図書室ねぇ。
学園内。3階建ての校舎は閑散として、人の声も遠い。年がら年中なにかしらの騒ぎが起こっている学園にも、こんなところがあるのか。
しかしそのぶん、冷える。寒さに首を縮めた志塚 景文(
jb8652)は傍らに人が立っているのに気づき、振り返った。
「こ、こんにちは……!」
「君は……あけび、さん? よろしく」
「は、はい。こちらこそ! 今日はよろしくお願いします!」
小鹿 あけび(
jc1037)はぺこん、と頭を下げ、
「そんなに緊張しなくても」
と、景文は苦笑いした。
「こたつで読書ねぇ……俺だったら、すぐに寝てしまいそうだ」
「そんなものか?」
と、戸蔵 悠市 (
jb5251)はさも心外そうに振り返る。
「長い休みは、まるまる読書……実に有意義な過ごし方じゃないか」
と、妙に嬉しそうに頷いている。そう、これは共感というやつだ。
有意義どころではない。おおよそ、それ以上に有益な時間の使い方など思いつかない。
「出かけるのなんかやめて、いっそ私も仲間に入れてもらおうか……?」
「なに言ってんのー! えぇい、こんな所にも隠居じーさんのようなヤツがいるとは!」
と、アキが叫んだ。すると横合いから、
「そうだそうだー」
という、囃し立てる声が。
「ん……ルドルフ? ルドルフ! なんでお前がここにいる!」
そちらを振り返った悠市、見知った顔に気づいて半歩下がる。下がるが、その手首をルドルフ・ストゥルルソン(
ja0051)が「逃がすまい」とつかんだ。ニヤリと笑う。
「なんでって。そりゃ依頼を受けたんだから、いるだろう当然。
今日は逃がさないっつーの。まったくこの、アラサー読書馬鹿朴念仁ガミガミメガネめ、堂々と引きこもり宣言してんじゃない!」
「酷い言われようだな……」
「言われるだけの前科もあるからだし!」
「そうよー。引き受けた以上は、キッチリと仕事してもらわないと」
「なぁ?」
「ねぇ?」
と、ルドルフとアキは妙に意気投合している気配。
「それも正論ですねぇ……引きこもりの麻里奈ちゃん、どうやって引っ張り出そうかしら」
黒百合(
ja0422)が可愛らしく、しかしどこかしら加虐的な表情を浮かべ、
「きゃはァ……♪」
と笑う。どうやら黒百合は、この依頼にたいへん乗り気のようだ。
「過激な行動は、ほどほどにしましょうね」
雫(
ja1894)が念のため、釘を刺す。
「心外ですねぇ。あくまでも穏便に、ですよぉ」
「それなら……いいんですけど。
閉じこもるのが良くないという話にも一理はありますし、麻里奈さんがいいというなら、誘ってみましょうか」
かたわらで、
「ん」
とだけ呟いて、平野 渚(
jb1264)も「こくん」と頷いた。
彼女も話を聞いてやっては来たものの、麻里奈の決意のほどを聞いてしまうと、その邪魔をするのはなんとなく憚られるのだ。
「そんな手ぬるいこと言ってないで!
あああ、もうこんな時間! い〜い? 絶対に麻里奈ちゃんを連れ出してきてねー!」
アキはそう言うと、騒がしく廊下を走っていった。
「行っちゃいましたね……」
嵐が過ぎ去る。山根 清(
jb8610)の呟きが、静寂の戻った校舎に漏れた。
まぁ、たかだか麻里奈ひとりを呼んで来るだけの事だ。依頼と呼ぶほどでもない。
そう高をくくって、撃退士たちは件の図書室の扉を開けたのだが。
「あの。今日は閉室なんですが」
「僕たちは図書委員で、今日は図書室の整理のために来てるんです」
お行儀良く来訪者を迎える図書委員のちびっ子たち。
「すまないね、ちょっとだけ騒がしくするけど」
そう言った景文は「麻里奈さんはここ?」と、部屋の奥にある準備室の方に目を向けた。
両室を隔てる窓と、ひとつのドア。
景文はノブに手を回して見たが、開かない。
「……内側から鍵、かけてるな」
「本当ですね。う〜ん、どうしましょう」
雫はそう言って、窓から中をのぞき込む。
窓のカーテンも、あちら側からしっかりと閉められている。しかし、何かに……とは言うまでもない。棚の上に積み上げられた本によって端が引っかかり、わずかにだがめくれ上がっているのだ。
雫がのぞき込んだのはそこからで、かろうじて中の様子がうかがえる。
「……うわぁ」
コタツの上にも絨毯の上にも、積み上げられた本、本、本。その中心にいるのは、いうまでもないが麻里奈である。
「わぁ、準備室ってコタツがあるんですね。暖かそうでいいなぁ」
と、あけびは無邪気な感想を漏らした。
コタツの上には、他に急須と湯飲み。視線は本の方に向けたまま、器用に湯飲みを手にとって口に運ぶ。しかしそれは、本に没頭している間にすっかり冷め切っていたらしく、わずかに顔をしかめた。
それでも、また本の方に意識を戻す。
呆れたように、雫はかぶりを振った。
いちおうノックもしてみるが、まるで反応がない。
だめだこりゃ。
「あらぁ……? どうしましょう」
そう小首をかしげたのは、どういうわけか見知らぬ少女。いや、よくよく見てみると身につけているのは黒百合が着ていた振り袖である。いかにも読書好きの少女という風体に変装していたのだ。
渚も眉を寄せる。傍らで一緒に読書でもしたら話すきっかけがつかめるのではないかと思ったのだが。中にさえ入れないのでは、その機会さえない。
「そうだ、スペアキーを」
「あ、そうだな。よし、ちょっと行って借りてくる!」
手を打った雫の言葉に、景文は駆けだした。
景文は5分ほどで戻ってきたのだが、
「駄目だ! スペアキーも貸し出されてる!」
つまり、麻里奈は正規のキーを借りた後、なにかしら理由をつけて司書さんからスペアキーまで借り受けたというわけらしい。いい加減な司書さんというか、麻里奈への厚い信頼というか。
「本気だな。本気で引きこもるつもりなんだな」
悠市は苦笑するしかなかった。麻里奈とは直接の面識はない……ないはずだが、何から妙に親近感がわく。
「まるで、天岩戸だ」
問題は、天照大神と違って「楽しそうなこと」が、岩戸の中にあることなのだが。
「本当に本が好きなんですね」
あけびが感心したように呟く。いや実際、感心しているのだ。好きな物を好きだとはっきり言えるというのは、すごいことだから。
もういっそ、出てくるのを見守っていようかとさえ思ってしまうのだが。
「そういうわけにもいかないだろうなぁ」
景文は頭をかいた。アキに押し切られるような形でとはいえ、引き受けてしまったのだから。
「あのー。塩谷先輩には、『しばらく閉じこもってるから開けないでね』と言われてるんですが……」
どうしたものかと頭を悩ませる一行が振り返ると、そこには怪訝そうな顔をした図書委員のちびっ子たちがいた。
けなげなことに、麻里奈の静謐な時間を侵すまいとしているらしい。
「あぁ、すまないね。そういうつもりではないんだ。
そう、私も手伝おう。人手は多い方がいいだろう?」
悠市はそう言って、少年たちが置いていた本を手に取った。
口から出任せではない。司書として実際に勤務したこともある、経験者なのだ。
「どれ、図書カードは……」
と、手慣れた様子で手伝い始める。
ならばと、景文や雫も加わった。図書委員のちびっ子たちを敵に回すのは得策ではない。
「ありがとうございます。と言っても整理なんて半分以上は建前で、こうやって集まってるだけなんですけどね」
さすがに、こんな正月から根を詰めて働くつもりはないらしい。きっかけからして、麻里奈が声をかけたから集まったというのが大きいようだ。
さすがは麻里奈が育てた(年下の者ばかりなので)精鋭と言うべきか、彼らはてきぱきと段取りよく働いていた。その様子に、悠市も舌を巻く。
「たいしたものだ。小さな図書室だから網羅するのが無理なのは当然だが、可能な限り良作を集めてあるな」
「へぇ〜。お、この本。子供のころ好きだったなぁ」
と、景文も思わず手にとって開いてしまう。彼女も……連れてきたいな。
「まてまてまてッ! いつの間にかなじんでるよ!」
ルドルフが仲間たちを叱咤する。あぶないあぶない、このままなし崩しに読書タイムになってしまうところだった。
気を取り直したルドルフは1冊の雑誌を手にして笑う。
なになに、初詣特集?
どうやらタウン情報誌的なものらしい。しかしながら、それには図書室の所蔵を示すラベルがない。つまりは、ルドルフの私物なのである。
彼は準備室の前まで行くとわざとらしく、
「塩谷さん塩谷さーん、ちょっと采配をお願いしたいことがありましてー。この不明の本なんですけどー?」
と、声を張り上げた。
「なにをしているんだ?」
「建前とはいえ、整理の発起人は彼女っしょ? だったら不明の本を発見したときの処置も、彼女にもらうのが道理ってこと」
と、悠市に向かって「どうよ?」と自信ありげな表情を見せる。
なるほど、いい作戦かもしれない。
……が、反応がない。
「おかしーなー。責任感のある子だろうから捨て置けないと思ったんだけど……って、あれ寝てるな」
ルドルフが準備室をのぞいてみると、麻里奈の頭がこっくりこっくり。読みながら寝てしまってるらしい。かと思えば、ページはしっかりとめくっていく。
「やれやれ、本の虫の鑑だねまったく!」
「あそこに」
雫が、何事かを思いついたように顔を上げた。
「なんですか?」
訝しげに見返すちびっ子たちに、
「みなさん、さすがにまずくないですか? 学園施設の私物化……はまぁ、多少のところは誰もがやっているとしても。いくらなんでも、あのぐ〜たらぶりを先生に見つかったら、お小言のひとつは言われるんじゃないですか?」
と、懇々と説き始めた。ここが踏ん張りどころと、いつになく饒舌である。
「そうかなぁ。この学園だと、みんなあんな調子のような……」
自主性を重んじる学園である。
しかし雫は聞く耳持たず、言い切る。
「それに! いくら本が好きとはいえ、部屋にこもりっぱなしというのは健康に良くありません。
気分転換くらいはした方がいいんじゃありませんか?」
と、ちびっ子たちを納得させたのだ。
そうやって麻里奈を誘い出す側に仕向けておきながら、自分は図書室を出て行く。
準備室に、たったひとつだけ窓があるのに気がついたのだ。
「えい……! まったく、端から見たら立派な不法侵入ですね」
窓を開けて、身体を滑り込ませる。小さな窓だが、成長途中の小さな身体ならば十分に通れた。
部屋に入ったとたん漂ってくる、甘い柑橘の香り。覚えのあるその香りは、お行儀悪くかじられたままになっている麻里奈のオヤツか。
「麻里奈さん!」
「ふぇ? な、なになに何ですか?」
いきなり声をかけられ、麻里奈は狼狽して身体を跳ねさせた。その拍子にコタツで足でもぶつけたか、「ううぅ!」と悶絶する。
いったんそれにはかまわず、抵抗される前にと図書室へと通じるドアに張り付くと……って、ドアの前まで本が山積みになっているではないか。それを押しのけ、鍵を開ける。
すると、仲間の撃退士のみならず図書委員のちびっ子たちまでもが、どやどやと入って来た。
「ん」
渚は麻里奈の横に座り、1冊の本を差し出した。ルドルフの物とはまた違うが、やはり神社とかそういった類いの本である。
もはや習性というべきなのか。受け取ってパラパラとめくり始めた麻里奈に向かって渚は、
「本の世界。体験してみるのは……どう? 書いた人が見た物を、麻里奈も」
そう言って語りかけ、じっと眼を見つめる。
「みんなで初詣行こうよ。お手伝いしてくれた子たちの労いも兼ねて。頑張ってくれたのに、お礼もなしってのは悪いじゃん」
と、ルドルフは言って、そしてニヤリと笑う。
「甘酒とか? こっちのおにーさんがお金出してくれるからさ」
「……射的とか? 綿飴とか?」
「もちろん、それもオッケーオッケー」
小首をかしげる渚に、ルドルフは親指を立てる。
「勝手に人の財布をあてにするな」
ルドルフに腕を捕まれた悠市は顔をしかめたが、思い直し。
「まぁ、いいだろう。新刊の買い逃しがないよう、お参りしてくるか。
君も行かないか?」
そう言って、皆で麻里奈を誘う。
「あー、えーと。お気持ちはありがたいんですけど、やっぱり私は。皆さんと行くのが嫌って訳じゃないんですよ! 決して!
でも、寒いですし! コタツ最高ですし! やっぱり本が読みたいですし!」
「だめだ、このコタツムリ姫。はやく何とかしないと」
景文が呆れたように呟く。
そんな麻里奈につつつ、と黒百合が近づく。
「ご一緒できませんかぁ? それは残念。あちらの神社……」
「な、なんですか?」
ちらり、と横目で見やる黒百合の仕草に、麻里奈が身構える。さりげなく、辺りには月下走の香りが漂う。
「なんでも古本市が、古本市が開かれているそうなのですけどねぇ」
ぴくり。おや、麻里奈の頭に獣の耳が見えたような気がした。
「それはそれは、希少な本もよく出品されているという……」
「ほう。希少というのが、古い古文書ならば最高だがな」
と、悠市ものってくる。
「わかりました! わかりましたから。一緒に行きましょう!」
おや。いまの麻里奈には、ぱたぱたと動くしっぽまで見えるかのよう。
「あらぁ? べつに、この香りいらなかったかも」
「どこまでも本、だな」
「すみません、おせっかいなことしちゃって……」
実のところまったくその通りなのだが、
「せっかくだから、みんなで初詣が楽しめればいいかなと思って」
などと、あけびに言われたら、麻里奈だって「そうだそうだどうしてくれる」などとは言えない。まぁ、こういうのもいいでしょう。
もちろん、帰ったら即座に閉じこもるつもりであるが。
そんなことを話しながら神社の方に歩いて行くと、
「あー! 来た来た麻里奈ちゃん!」
アキが手を振りながら駆け寄ってきた。
その姿は、巫女……と言えなくもない。巫女というには服にはフリルやらリボンやらが多すぎるように見えるし、袴の色も鮮やかなオレンジ色だ。
「よ〜し、みんなよくやってくれたわね! さぁステージの始まりよ麻里奈ちゃん!」
「え? えぇ〜ッ?」
「お願いよー。コアな人気を誇る麻里奈ちゃんがいてくれないんじゃ、成功させる自信がないんだもん」
などと、しおらしいことを言う。そんな柄でもないくせに。
「逃げるなら……助ける。やるなら……手伝う」
渚がそう言って、決断を促した。
かえって、麻里奈を追い込んだようなものだが。
「人がいいなぁ」
アキに引っ張られていく麻里奈を見送り、景文は肩をすくめた。
こうなったらせめて、その勇姿を応援に行こう。