ぴんぽーん、と玄関のチャイムが鳴る。
時刻は午前5時より、少し前。12月ともなれば、辺りはまだ真っ暗だ。
ふたたびチャイムを鳴らすと、寝ぼけ眼のシンジが顔を出した。
「なんだよ、まだ寝てたのかシンジにーちゃん! 起きろーッ!」
花菱 彪臥(
ja4610)憤慨したように腰に両手を当てると、ずかずかと中に入っていく。
「いや、寝てたわけじゃないよ。大丈夫」
確かに、寝ぼけ眼ではあるが着替えは済ませている。
待ち合わせ場所まで行くと、すでに数人の仲間たちと、マユがそろっていた。
その顔を見るなり、あくびをしていたシンジの背筋が伸びる。
「や、やぁ! 今日は頑張ろうな!」
「こちらこそ、よろしくお願いしますシンジ先輩」
名前を呼ばれたシンジの顔が、にへら、と緩む。
「まったく、真面目にお仕事しましょうよ……」
と、雫(
ja1894)はシンジの現金な姿にあきれ顔だったのだが。
「まぁ、いいじゃないか。恋はいつだって、人を迷わせてくれる素敵なものだよ」
「わぁ、ジェラルドさん、それ今まで何人の女の子に言ったのかなぁ?」
「んー、……秘密、だな」
「悪い人だなぁ」
などと、ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)や藤井 雪彦(
jb4731)は、ずいぶんと乗り気になっているようだ。
「頑張る気になってるんなら、手助けくらいはしてあげようと思うじゃない?」
と、雪彦は余裕を持ったことを言う。
「そう言ったところで、相手の好みも様々だろうに。俺たちがシンジを持ち上げたって、相手に好かれるかどうかはわからないぞ」
と、翡翠 龍斗(
ja7594)。
「そこは、ぬかりなしや」
見得を切ったのは亀山 淳紅(
ja2261)。
「ほう、なにか妙案でもあるのか?」
「バッチリ、マユちゃんの好みをリサーチ中や! ……レフニーが」
「自分じゃないのか」
「いやだってホラ、こういうのは女同士の方が話が弾むもんやん?」
「まぁ、そうなんですけどね」
傍らのRehni Nam(
ja5283)は苦笑い。
「不自然になってもいけませんし、そこは慎重に」
「ま、これも仲間の悩みだからね」
四国の現状を憂う龍崎海(
ja0565)だったが、仲間に力を貸すのもよいではないか。
一行は荷物を詰め込んだリュックサックを背に、登山道へと足を踏み入れる。
ちょうど紅葉が目に鮮やかで、マユはそれに目を奪われていた。
「綺麗ですね……あ、ごめんなさい。そんなこと言ってる場合じゃないですよね」
「い、いや。そんなことはないよ! 綺麗だし。うん綺麗だなー!」
「もっと近づけばいいのに」
雪彦は肩をすくめたが、
「それができるなら苦労はしないか。電話番号ひとつに一苦労なんだから」
買い出しに行くことになった昨日だって、けっきょく雪彦がマユを呼び戻した。
いかにマユがあまり携帯電話を使わないタイプだからといって、番号の交換さえできていなかったのはシンジくらいのものだった。
「これでもし依頼中にはぐれたりしても、シンジさんに助けを呼べますね〜♪」
わざわざ二人に念押ししてまで、交換したことを確認したのだ。
道のりはまだ遠い。
サーバントまでも、マユの心までも。
歩く途中で、ジェラルドがススス、とシンジの方に近寄っていって耳打ちする。
「貸した本、読んでおいてくれた?」
ジェラルドが昨日のうちに渡していたのは、『子供にも分かる時事問題』とかいう本、などなど。
「でも、いくらなんでも『子供にもわかる』って……」
「もっと本格的な本の方がよかった?」
「勘弁してください」
シンジはぶるぶるぶる、と頭を振る。なにせふだん小難しい本など読まないのだ。授業? それは出席率と先輩のノートが頼みである。
そんなわけで、読み終わるのに夕べ遅くまでかかってしまったのだ。彪臥が来たときに寝ぼけ眼だったのも、そのせいである。
「いやぁそれにしても、今年は野菜が高くて困るねぇ! やっぱり冷夏だったせいかなぁ! 為替とかねぇ!」
と、付け焼き刃きわまりない知識を披露してみる。慌てたせいか、フリもオチも全部自分でしゃべっている。
ジェラルドが眉間を押さえつつ、「よく知ってるね」といちおう褒めてみせた。かなり駄目な気がする。
それでも、
「そうですね。料理してると、ときどきすご〜く野菜をいっぱい使いたくなるときがあるんです! ありません、そういうの? それなのに……」
と、方向性が多少違ったとはいえ、マユの会話のきっかけにはなったようだ。
やれやれ、とジェラルドは胸をなで下ろした。
さて。
山の天気は変わりやすいと言うが。
歩き始めた頃はさわやかな晴天で、まさに小春日和といった感じだったのだが。だんだんと空は暗くなり、嫌な雲行きになってきた。
「雨具を持ってきて正解だったね」
「早めに身につけておいた方がいい……んだったよな、シンジ?」
海と龍斗に促されたシンジは我に返ったように、
「そうだそうだ! 濡れると消耗するからね。普段なら『これくらいなら平気』と思ってもね」
と、マユの方を振り返った。
「なるほど、平地とは違いますもんね。標高が上がって、けっこう寒くなってもきてますし」
両手をポンと合わせるマユ。シンジは照れくさそうに笑ったのち、海と龍斗の方を振り返った。「どやぁ」とばかりに。
うんうん、よくできました。
海は子供を褒めるように、小さく頷いた。何やら成し遂げたような顔のシンジが、少しばかり鬱陶しいが。
「スパイクも装着しておこうよ」
と、雪彦はシンジにだけ聞こえる『霞声』で助け船を出した。
雨具に雫がつき始めた。粒は小さいが、まるで霧のように身体にまとわりついてくる。音もしないほどだが、いつの間にか雨具はぐっしょりと濡れていた。足下も滑りやすい。
『シンジの言うとおり』に装備を調えておいて正解だった。
先頭を行くのは……押しつけられたのは、シンジだ。
だんだん山深くなってきたため、茂る草を払いながら進むのだ。
「さすがだね、頼りになるなぁ」
と、雪彦が押しつけつつ、持ち上げてもみせる。
実のところ、甘え上手に好意を持つ女性も意外と多いのだが。
「マユちゃんは、そういうタイプじゃないかな」
だったら、まだまだ頑張ってもらおうかシンジさん。
「そこの石、踏んだらあかんで。グラグラしとる」
「ありがとうジュンちゃん」
レフニーは微笑んで、淳紅の伸ばした手を握りながら坂道を登る。せっかくなので、指と指とを絡めなおしてみる。淳紅が「うおッ」という顔をしたが、レフニーは逃がさない。
これも作戦のうち。彼らが仲のいい様子を見せていれば、マユに対してもそういう空気が作りやすくなるはず。
これ、思った以上に恥ずかしいやんけ! 悶え死ぬでしかし!
マユには気づかれないところで、ジタバタともだえる淳紅。
昨日の買い出しの時も、ふたりはラブラブッぷりを見せつけまくっていた。ふたりで一つの買い物袋を持ったり。
淳紅だってレフニーの買った荷物を持ってやったり、いかにも女子女子した色の雨具を褒めてみたり……。頑張った。頑張って甲斐性を見せてみた。
一方で、肝心のシンジも、
「マユちゃん、疲れてない? もし足が痛くなったりしたら、早めに教えてくれよ? 無理は良くないから」
そう言って、マユの歩調を気遣ってみせる。淳紅や雫から耳にたこができるくらい言われたのだから。たぶん、ぐんぐん進んでいたさっきまでは忘れていたんだろうが。
「大丈夫です。これでも、体力には自信あるんですから」
マユはそう言ったが、そろそろ昼休憩にもちょうどいい。
「シンジにーちゃん、腹減ったー!」
と、彪臥が大声を出す。
「じゃあみんな、休憩しようか。……いいよな?」
「そうしよう。これ以上敵地に近づけば、それどころじゃないしね」
と、海はその発案を尊重してみせる。悪くないリーダーシップだ。
そこでマユが取り出したのは、なんと色とりどりの重箱だった。
「すいません、ハイキング気分みたいで。でも、お昼ご飯で元気が出たらと」
「うわー、すごいねマユねーちゃん! 俺も食べていいの? ありがとー!」
彪臥も皆も軽食程度は持ってきていたが、そんなものは家まで持って帰ればいい。
そういえばさっき、料理の話をしていたっけ。その通り、見事なできばえだった。
ごちそうさま。風は冷たいが、心が芯から温まった。
食事を終え、ぬかりなく準備していた雨よけのタープや防水シートをシンジたち男連中が片付けている間に、雫はマユの傍らに歩み寄る。
「マユさん、シンジさんとは初めての依頼ですよね? マユさんから見て、どう感じますか?
ちょっと不器用ですけど、とてもいい人だと私は、思うのですが」
すこしきょとんとした顔をしたマユだったが、
「あ、さては雫ちゃん。シンジ先輩の事が気になってきたとか?」
と、興味津々といったまなざしを向けてきた。
「ないですそれは」
「ほんとうかな?」
「ないですったら! ……これでも、思い人はちゃんと別にいますので」
「あら。そこのところ、詳しく聞いてみたいですね。どんな人なんです?」
「レフニーさん!」
雫ににらまれたレフニーは小さく舌を出して笑うと、当初の目標へと矛先を転じる。
「一緒に戦っていて安心できますし、触れ合ったり、笑ったり……うぅん、ただそこにいてくれるだけで、嬉しいものですよ?」
「そうですね……」
マユが何か言おうとしたとき。
「おーい、そろそろ出発しよう! もう敵地は近いから、気をつけて!」
と、シンジの(空気を読まない)声が聞こえた。
話をよく聞けなかったのは残念だが、表情を引き締めたシンジに「はい!」と返事したマユが向ける視線は、悪くはないように思えた。
ヒリュウの視界が、蠢く「それ」を捉える。レフニーが警告の声を上げると、捜索していた撃退士一行に緊張がはしった。
「あれか!」
「あ、わかった!」
海が樹木の彼方を見やる。彪臥もそちらに視線を向ける。確かにそこに、尋常ならざる創造物の気配がある。
「シンジさん、迂闊に飛び込まないように」
「了解。慎重にいきますよ」
と、海の言葉に頷いて相手の出方をうかがう。
たしかに、ペン立てのような姿。撃退士全員がその姿を認めた、その瞬間。
サーバントの姿が大きく膨らんだように見えたかと思うと、何かが撃退士たちに向けて打ち出される。
狙いは逸れて近くの岩を直撃したが、それだけで大岩は砕け無数の破片が飛散した。
「く……」
海が纏ったアウルの鎧にも、それは降り注ぐ。
「いてててて! なにこれ、ヤベーじゃん」
盾で顔を覆った彪臥が思わず悪態をついた。直撃したときは砲弾のようだったはずのそれが、今はシュウシュウと煙を上げる液体になっていた。
うかつに受け止めようと思わない方が、賢明かもしれない。
「次、来るで!」
さきほどまでは「疲れたから」といって召喚したケセランに乗っかっていた淳紅が、急いでそれを引っ込め、代わってストレイシオンを呼び出した。
翼を広げたストレイシオンが、砲弾を受け止める。
レフニーが霊符で応戦するが、あちらの方が射程が長い。
「うわッ……!」
雪彦が体勢を崩した。砲弾が、傍らの巨木をなぎ倒したのだ。それを避け、隙が生まれた。
すぐに次弾が飛来する。マユは「危ない!」と雪彦の前に立ちはだかり……。
「マユさん!」
シンジが飛び込んでくる。マユを横抱きにし、砲弾をかわす。雪彦はついでに蹴倒されたようなものだが、苦笑して立ち上がる。
やれやれ、気を引く作戦でならともかく、本当に庇われたのでは情けない。
「距離を詰めないとまずいね」
「敵は言ってみれば、大砲みたいなものだから」
「なるほど、左右に揺さぶりながら接近ですね」
ジェラルドの言葉に頷いたシンジは跳躍、さすがの身軽さと果敢さで、先頭を切って距離を詰める。
いちいちシンジの発案にしている暇はない。シンジもその方が動きやすいのか、すっかりそのことを忘れているようだ。
「シンジにーちゃん、負けるな−!」
彪臥が、シンジにアウルの鎧を纏わせる。
「援護します」
雫が、その幼さにはおおよそ似つかわしくない妖艶な笑みを浮かべた。サーバントにさえそれは届いたようで、シンジにつけていた狙いが、逸れる。
サーバントの背に、龍斗が飛び乗る。相手の動きは、そう速くない。大上段から振り下ろした刀で、サーバントの背の突起……すなわち砲身に切りつけた。
しかし、そこはサーバントにとっての生命線でもある。思ったほどの手応えは得られず、相手がそれを振り回してくるのを避けるため、いったん飛び下がろうとした。
「龍斗ッ!」
「!」
シンジの声に、反射的に身をよじる。ほとんど密着した状態から、敵が砲弾を放ったのだ。伸ばされた手をつかみ樹の幹を蹴った龍斗は、シンジとくるりと身体を入れ替えて着地した。
「忍び顔負けだな」
「忘れるな、俺は阿修羅だ」
ニヤリと笑みを交わす。
「さて、ボクも格好悪いところ見せるだけなのはシャクだからね」
雪彦は傍らに鳳凰を従え、その力で威力を増した炎の剣がサーバントを襲う。サーバントは身をよじり、雄叫びを上げた。
「ジュンちゃん、今がチャンス」
「え、ホンマにやるのん?」
「そうですよ。石破ブラブなんちゃら拳〜ッ!」
淳紅とレフニーはタイミングをはかり、サーバントを同時に攻撃する。
「さぁ、シンジもマユも、一緒にやったって!」
恥ずかしいのは一蓮托生やんか!
「お膳立てはしましたよ」
雫が大剣を振り回し、サーバントを吹き飛ばす。近づいてさえしまえば動きはさほど速くない、与しやすい相手だ。
「いくぞマユちゃん!」
「は、はい。いきますシンジ先輩!」
恥ずかしい技名を叫んだりはしないが。跳躍したシンジが刀で切りつけると、その陰から懐に飛び込んだマユが、深々と長刀を突き立てた。
「ほら、せっかく悪くない雰囲気なんだから、デートの約束でも取り付けてきなよ」
ジェラルドがそう言ってけしかけた。
「じゃあ、このチケットをあげよう。なかなか予約も取れない、人気のカフェなんだけど。……あいにくと、約束した娘にはふられちゃったみたいだからね」
ほんとうかどうかは知らないが。
「うっす、いただきます」
覚悟を決めたように、シンジはその手からチケットを奪い取った。
こちらでは、女子だけの秘密の会話。
マユは雫とレフニーとだけに、そっと囁いた。
「私、シンジ先輩のこと、嫌いじゃないですよ?」
「……もしかして、気づいてましたか?」
レフニーに問われたマユは「だって」と笑った。
「でも、私からの口からは言いません。言ってあげません。先輩の口から、聞かせてくれないと……」
シンジが3人のところに近づいてくる。
「なぁ、マユちゃん……!」