ぱらり、と紙をめくる音。そして小さなため息。
「酷いですね」
現地に向かう道中、提示された資料を確認した彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)から漏れた吐息だ。
「戦力的には『全滅』の判定が出る有様か。これは手強そうだね」
それを耳にした日下部 司(
jb5638)が相づちを打つ。
「えぇ。これは酷いです」
先の戦闘結果は惨敗としか言いようがなく、中でも、前途ある若者(彩自身だってそうだが)が落命したことには心が痛んだ。
その傍らではジョン・ドゥ(
jb9083)が、普段の陽気さを収めた厳しい面持ちで腕組みをしていた。普段の彼を知るものなら、そのただならぬ雰囲気に驚いただろうし、さらに彼をよく知る、ともに死線をくぐり抜けてきた者ならば、すでに彼の意識が戦場に臨んでいることに気づいただろう。
ジョンが思い出すのは、かつて戦った依頼だ。あのときも……。
その思いをよそに、彩はまたため息をついた。
「天魔にも自信というものがあるのでしょうか? 今回のように、単体で発見される敵というのは……おおむね強力です」
「あぁ、なんとなくわかる」
と、紫園路 一輝(
ja3602)は相づちを打った。
「……偵察は新人向けではなかったかもしれませんね」
「だからって、依頼を受けるなとは言えないだろ? 受けちまった以上、やるしかねぇ。ただ、連中は運が悪すぎたけどな」
と、向坂 玲治(
ja6214)が首をボキボキと鳴らしながら口を開く。ずいぶんとぶっきらぼうな物言いだが、
「しゃーねー。柄じゃないが、敵は討ってやるか」
頭をかきむしりながら呟くのを、撃退士たちは聞いた。
「そうですね。仇は、私たちで必ずとりましょう。それしか、仲間の無念に応える方法はないんですから」
山里赤薔薇(
jb4090)がそう言うと、撃退士たちはそれぞれの胸に秘めた思いを確かめるように、口を結んだ。
「まぁ、なんて美しい月」
防波堤にひらり、と飛び上がった紅 鬼姫(
ja0444)は恍惚とした顔で天を見上げる。
深夜ではあるが、天気は快晴。月光を受け、海はきらきらと輝いていた。
「ほら、恭弥。足下に気をつけて。転んでしまいますの」
ライトで照らさずとも歩けるほどだったが、鬼姫はそう言って、クスクスと笑う。
だが影野 恭弥(
ja0018)は小さく鼻を鳴らしただけで応じることもせず、銃の感触を確かめている。
「つれないですの。散歩するにはとても素敵な夜だというのに」
わざとらしくため息をついた鬼姫だったが、ふと歩みを止めると、「ふふ」と笑みを浮かべた。怪訝に思った恭弥が顔を向ける。
「ほら……あそこにも散歩している方がいらっしゃいますの!」
そう言うや、全身に鎖が巻き付いたような痣が浮かび上がる。そのときすでに、両手には小太刀が握られている。
恭弥もすぐに察し、スナイパーライフルを構えた。
「笑っ、た……?」
恭弥と同じようにライフルを構えた赤薔薇は、照準の先に不敵な、そして不快きわまりない笑みを見た。サーバントもまた、こちらを見ているのだ!
まさか。頭部にあるのは、何の感情も示しようのない、単なるくぼみだ。
それでも言いようのない悪意を感じ、赤薔薇は唇を舐めた。
銃弾が放たれた。距離はあるが、問題にはならない。当てる力量が、赤薔薇にはある。
銃弾はその皮膚で弾けた。
体液なのか、それとも表面の粘液なのか。何かが海に飛び散る。
とはいえ、それは痛打ではなかった。
サーバントは腕の先に連なる触手を幾重にも束ね、防いだのだ。
「ちッ」
恭弥が小さく舌打ちして銃を下ろす。彼の放った銃弾もまた、サーバントを捉えていた。
応戦して来る気配は無いが、向こうにとって打つ手の無い距離をとり続ければ、逃走を許してしまうかもしれない。
「近づくしかないか」
「そういうことだ! チクチクつついてたんじゃ、埒があかないぜ!」
玲治はそう言うや、槍を手に飛び出していく。
撃退士の接近を悟ったサーバントは触手を振り回し、襲いかかってきた。1本、2本と繰り出されるそれを、玲治は力任せに弾き返していく。
足下の砂が思ったよりも柔らかく、わずかにバランスを崩したときには、すかさず司が前に進み出て、襲い来る触手を大剣で切り落とした。
「悪いな」
「お互い様です」
玲治と司、ふたりは阿吽の呼吸で攻撃を受け止めつつ、距離を詰める。
その隙に、ジョンは翼を広げて上空へ舞い上がり、サーバントに狙いをつけた。
それを察したサーバントは大きく息を吸い込むような仕草を見せると、空へと水弾を放つ。
目を見開き、ギリギリまで引きつけて身をよじる。弾の1発は耳元をかすめていったが、命中弾は無い。
「おいおい、目の前の相手を無視することはないんじゃないのか?」
そう言って挑発する玲治の方に、サーバントは思わず向き直ってしまう。次に水弾が放たれたのは玲治の方へで、彼は盾を構え、それを受け止めた。
「人様に水を吐きかけるなんざ、失礼にもほどがあるだろうが!」
そう叫んでジョンが放った『炎陣球』は見事にサーバントの顔面を捉えた。
「あら、やっぱりそこが顔なんですの?」
水飛沫を上げ、鬼姫が走る。鬼道忍軍ならではの体さばき。軽やかに水面を蹴り、一気に距離を詰めていった。
襲い来る触手に馬手の小太刀を突き立てて食い止め、返す弓手で切り落とす。
それに呼応するように周囲には霧が立ちこめ、サーバントの視界を一時遮った。めちゃくちゃに水弾を放つが、これでは当たりようがない。
それに怒りを覚えたのか、怪物は意味のわからぬ咆哮を上げた。
ただならぬ叫びは海を泡立たせ、地を震わせる。
地が震える? いや、これは!
「なんだぁ? 怒ったのか?」
「玲治さん、後ろ……!」
赤薔薇がいつにない大声で叫んだのと同時に。
「後ろーッ!」
もうひとつの声が、砂浜に響いた。
「夜分すみません、そちらに入院している撃退士について、お尋ねしたいのですが……」
現地に到着する前、彩は件の病院に連絡を入れ、可能ならば先発隊から情報を手に入れようとしていた。
さすがに病室に直通の番号などあるはずもなく、外来にかけた電話はしばらく待たされる。受話器の向こうの、慌ただしい空気が伝わってくる。そして。
「……は?」
「? どうしたんですか、彩さん」
間の抜けた声に、赤薔薇が振り返った。
「入院中の撃退士が、病院を脱走したと」
時間を戻す。
「『手癖』だけじゃなく、『足癖』も悪いのかぁッ!」
玲治が不敵に笑い、槍をくるりと回す。回して、背後の地面に突き立てた。
そこには海浜に延々と続く砂の帯。そして、そこから猛然と襲い来て、玲治に毒牙を突き立てんとする触手が。
玲治の槍はそれを正確に刺し貫いていた。
さらに渾身の力で突進すると、ずるり、と数本の触手が地面から巻き上げられた。
「そのような手には引っかかりませんよ」
彩はそう言うと、『呪縛陣』を張り巡らせる。
案の定、畝の下にはサーバントの触手が蠢いていて、大量の砂を巻き上げながら姿を表す。
彩の結界はそいつらを抑えつける。
「人の姿に似ていると思ったのが、そもそもの間違いだったんだな!」
司が渾身の力で剣を振るうと、それは黒い衝撃波を放って触手をなぎ払った。
奇怪な食虫植物が獲物を狙う本能であれ、それをある種の知恵と呼ぶのなら。このサーバントにもそれがあると言えよう。
水から上がってこないのも納得だ。曲がりなりにも人型なのは上半身だけで、下半身はすべてが触手となって水中を蠢き、あるいは地中に潜って、哀れな犠牲者を求めているのだから。
そんな、サーバントと対峙する彼らに向かって人影が迫る。
「ああああああああぁッ!」
怒声を放ち、刀を上段に振り上げて砂浜に飛び降りた人影……だがその腕を、恭弥がつかんだ。
驚いたようにそちらを見上げたのは、額にも左手にも包帯を巻いた、学園の制服姿の女生徒。
眉を寄せた恭弥以上に驚いたのは女生徒の方で、
「どうして止めるんですか! 私も戦います!」
と、その手を振り払おうとした。だが恭弥は、その包帯を巻いた腕を握る。すると、女生徒は苦悶の表情を浮かべた。
「その有様では、無駄死にするだけだな」
「く……!」
「ひよっこが、その怪我で何ができるっていうんだ? まさか、刺し違える覚悟ならどうにかなるなんて、くだらないことを考えてるんじゃないだろうな!」
と、ジョンが激しく叱責した。
「死んだ奴のぶんまでテメェが生きて、借りを返してやらねぇといけねぇだろうが」
言葉は厳しいが、女生徒に向けたまなざしは思いのほか、優しい。
「お気持ちはわかります! でも、その傷では無理です! 私たちが必ず、皆さんの仇を討ちますから!」
赤薔薇が小さな身体で立ちはだかると、さすがに女生徒も刀を収め、うなだれた。赤薔薇はギプスをつけた腕を握り、傷を癒やす。
「よしよし、そこで、おとなしく見学してな!」
そう言い残し、ジョンは再び飛翔する。
本性を現したサーバントは腕のそれよりも太く、刃のような鋭い先端を持った触手で地面を叩く。その都度、激しい音とともに地面が揺れた。
「隠し芸は終わりか? その程度では、脅しにもならん」
恭弥は迫る触手に銃を向け、引き金を三度引く。彼の全身から噴き出した漆黒のアウルは三つ首の番犬の姿となって、触手を襲う。
狙いはさほど正確ではなかったが、太い触手はぶらぶらと、なかばちぎれ飛んだ。
もちろん触手はそれ1本ではなく、次々と襲いかかってくる。
撃退士たちがそちらの対処に気を取られている間に、サーバントは大きく息を吸い込み、水弾を放ってきた。
「この程度なら、いくらでも耐えてやるよ!」
玲治は叫んで盾を構え、仲間たちには流れ弾ひとつ行かぬよう、身を挺して受け止めてみせた。
さすがに無傷とはいかなかったが、彩が『乾坤網』を施していたので、たいしたものではない。戦いで高揚した今なら、さほどの痛みさえ感じぬほどだ。
追撃してこようとする腕の触手を、今度は司が受け止めた。敵の攻撃がいったん止まったとみるや、赤薔薇はライフルで銃弾を撃ち込む。
玲治と司が攻撃を食い止めている隙に、ジョンは上空から一気に降下し、斧槍を折れよとばかりに叩きつけた。
その刃はサーバントが受け止めた腕の触手ごと叩き切り、脳天まで至る。
「まだ倒れませんの?」
触手の山を跳躍し、鬼姫が迫った。両手の小太刀を交差するように突き立て、切り抜けると、サーバントの首が宙に舞った。
だが、それでもサーバントは動きを止めない。腐り果てた果汁を思わせる、不快で、妙に甘ったるい粘液をまき散らして、なおも暴れ続ける。
「小賢しさといい攻撃の鋭さといい、そのしぶとさといい。確かにルーキーどもには荷が重い相手だったかもしれないな」
仲間たちの攻撃の合間に、触手をかいくぐって恭弥は間合いを詰めた。
「そこそこ強かったよ、お前」
胸板に押しつけるようにして放った銃弾は再び地獄の番犬となり、サーバントに風穴を開けた。
静寂が戻り、波の音だけが響く砂浜に、赤薔薇は花束をそっと置いた。
手を合わせ、祈る。
どうか、安らかに。人知れず、人々のために戦って散っていった戦士たち。人々があなたたちを忘れても、決して私たちは忘れない。
月が明るい。
翼を広げた鬼姫が、鼻歌交じりに夜空を飛んでいる。波の音、潮風に全身を包まれながら。
病院の窓から、その影を見ることができた。
「……さきほど電話を替わったのは、あなただったのですね?」
彩が問うと、別途に横たわった男は肯定を示すように、薄く笑った。
女生徒が脱走したという知らせを受けて慌ただしくなった病棟において、電話を替わって情報を伝えてくれたのが彼、先発隊を率いた撃退士だったのだ。
「すまない。面倒をかけた」
一行とともに戻ってきた女生徒は、さすがにばつが悪そうにうつむいている。
「……そりゃ悔しいよ。だけどな、その悔しさを晴らす相手は何も、今日の相手だけじゃないんだ。
今は俺も、お前も戦えない。戦えない以上は、おとなしく傷を癒やすしかない。次の戦いに備えるしかない。それも撃退士だ」
先輩撃退士が女生徒を諭すと、玲治とジョンは「わかってるじゃねぇか」とニヤリと笑って、その腕を小突いた。
「痛ぇよ」
「気にすんな、生きてる証拠だ」
「さっさと治せ。そろそろ治ったか?」
「治るか」
獣の子のようにじゃれあうのも、幾多の戦いをくぐり抜けてきた者同士の間にある親愛の情なのだろう。
そんな男たちを横目に、司は女生徒の方に向き直った。
「今回の事件、あなたにとってはとてもつらい結果だったと思います。
この記憶が残る限り、もう、今までのようなあなたではいられないかもしれない。
それでも……忘れないで欲しい。あなたが持っていた志も、ともに戦った仲間のことも」
「はい」
女生徒は目に涙を浮かべたまま顔を上げ、両手をギュッと握りしめて。
はっきりと頷いた。
その姿に司は、彼女が一人の撃退士として、殻を除いていこうとする意思を感じた。