「うはぁ〜、メ、ロ、ン、パ、ンだぁ〜!」
夜雀 奏歌(
ja1635)が目を輝かせ、眼前に並ぶパンを見つめる。右を見てもメロンパン、左を見てもメロンパン。この世に、これほど幸せな光景があるだろうか!
おっといかん、よ、だ、れ、が。
「へへ、こりゃ美味そうだな」
蔵寺 是之(
jb2583)が焼きたてのそれを、ひとつ手に取る。
最近のお気に入りである『特濃伊予柑クリームメロンパン(チョコチップのせ)』、もちろんその美味さは知っているが、手に取ってみるとほんのりと温かさが伝わってくる。いっそう、香りが際立つ。
伊予柑の香りが鼻腔をくすぐる。ひとくち噛みしめれば、それはいっそう広がっていく。
「わぁ、すごくいい香り〜。ルルウィ、これ大好きになりそう〜♪」
ルルウィ・エレドゥ(
jb2638)が満面の笑顔を浮かべている。
「なるほど。これがご当地ならではの、味わいなのですね」
相羽 菜莉(
ja9474)だって、美味しいものに興味が無いはずがないわけで。手にとってにこにこと微笑む。
しかしながら。
撃退士たちがその甘美な魅力を存分に堪能するには、乗り越えなければならない障害がある。
「アァァァァァ、マァァァァァァイッ!」
ディアボロは身のすくむような叫び声を上げ、短い足の割には意外に素早い動きで、工場の方に近づいていく。
社長は狼狽し、窓から身を乗り出したまま「パンが!」と叫ぶが、その声に呼応してディアボロに立ち向かうような従業員はいない。むしろ、飛び出していこうとする社長を羽交い締めにして止めている。
「ディアボロの相手は、私たちに任せてください!」
工場の門から、ミニバンが飛び込んできた。止めてある車を左右によけつつ、タイヤを鳴らして急ブレーキ。
そのサンルーフから飛び出した雫(
ja1894)は、フランベルジェを両手に構え、ディアボロに飛びかかる。
全力でなぎ払った先制の一撃をディアボロは両腕で防いだが、雫の打撃はその巨体さえ浮かす。吹き飛ばされたディアボロは盛大に水しぶきを上げ、海中に没した。
「やぁ、お見事だね」
ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)は「ヒュウッ♪」と口笛を鳴らしつつも、戦斧を構えた。
これで片付いたのなら万々歳だが、ディアボロはすぐさま、何の痛手も負っていないように岸壁をよじ登ってきた。
「うわ、なにあれ。気持ち悪い」
奏歌は海水だか粘液だかを滴らせながら這い寄ってくるそれをみて、顔をしかめた。それでも食欲、いやメロンパン欲とは関係がないらしく、手にはしっかりと常備しているメロンパン。
「撃退士のみなさん! その化け物を! このままでは我が社は!」
社長の叫びに奏歌が視線を巡らせると、そこには粉砕された配送車と、散らばった『特濃(以下略)』。
「ゆ、赦せない!」
メロンパンを投げ捨て……るようなことはせず、最後の一口までじっくりと咀嚼してから飲み込み、怒りに燃える瞳でディアボロをにらみつける。
「熱くなりすぎないでくださいよ」
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が油断なくディアボロの動きを探りつつ、奏歌をたしなめる。ちらりと配送車の方を見つつ、
「まさか、パンを狙ってここを襲ったんでしょうか?」
「そんなことがあり得るんですね」
ヒリュウを召喚したゲルダ グリューニング(
jb7318)が、小首をかしげる。
あり得ない、と言い返したいところだが、
「アマ、アマ、アァァァァァ、マァァァァァァイッ!」
目の前であり得ているのだから、仕方が無い。
ディアボロは再び叫び声を上げると、今度は工場の方に飛び込んでいこうとする。そちらには、いままさに焼き上がったところの『特濃(以下略)』があるのだ!
「させるか、この野郎ッ!」
是之が紫寿布槍を投げつけ、見事、ディアボロの腕の1本を絡め取る。しかしディアボロはそれを気にもとめず、ぼたぼたと涎(?)を垂らしながら前進を続ける。
「くッ……、なんてパワーだ! 無駄な執念燃やしやがって!」
「まぁ、好きな物も好きな人も、ところ構わず食べてしまいたくなるものらしいですし」
と、ゲルダは肩をすくめて暢気なつぶやきを漏らした。
「ひ、昼間にする話題としては、ちょっとアレすぎます……」
頬を引きつらせ、曖昧な表情で笑いともつかぬ表情を浮かべる菜莉。
「そうなんですか? 母が昔、口にしていたことがあったもので、ふと思い出して……」
「どんな母親だ」
思わずエイルズレトラが横やりを入れる。
「幼い頃に別れたので、はっきり覚えてはいないんですが……」
「いや、そんな微妙に重い身の上の意味ではなく」
「暢気にくっちゃべってないで、手伝えおまえら〜ッ!」
是之が叫ぶ。布槍でつながった是之とディアボロはさながら綱引きのようで、腰を下ろし、懸命に引っ張る。靴の裏が摩擦熱で熱くなる。しかし、さすがにディアボロの巨体をひとりで支えることはできず、引きずられそうになっていた。
「あっ、ごめんなさい!」
菜莉が直剣を構え、星の輝きをたたえたそれで、ディアボロの胴を横一閃に払った。
そうだ。
名案をひらめいた菜莉は傍らの工場に飛び込むと、
「すいません、ひとついただきますッ!」
袋詰めされたばかりの『特濃(以下略)』をひとつ手にとると……あ、いい匂い。美味しそう……いやいや!
ディアボロが本当に『特濃(以下略)』を狙っているのであれば、これを囮にして引きつけることはできないか、と。
「これ! これが見えますか!」
振り返って手にした『特濃(以下略)』をかざしたのだが。その傍らでは、
「これはいただいていきますよ!」
と、エイルズレトラが広げたゴミ袋に手当たり次第、『特濃(以下略)』を詰め込んでいるではないか。
「こっちだ! 乗れ!」
猛スピードで突っ込んできたフォークリフトに乗っていたのは、ジェラルドだ。こちらは工場の片隅にあった『特濃(以下略)』の箱をすくい上げ、おまけにエイルズレトラを乗せて疾走する。
いやまぁ、そこまで大胆に行くのなら、それでもいいのですけれど。菜莉も一緒になって駆け出す。
「ははははははは、あなたはこれが欲しいのでしょう? 欲しかったら、必死になって追いかけてきたらどうです?」
哄笑しつつ、エイルズレトラは袋をひとつビリリ。大きく口を開けてはむッと一口。あとでお金は払います。
「う〜ん、美味しい! 残念ですね、これはすべて僕がいただきました!」
「なんだとぅ!」
「そういう意味じゃないですよ奏歌さん」
眉をつり上げる奏歌を、雫がたしなめる。
「あ、そっか。そうですね。……そんなうらやましい作戦なら、私がやる〜!」
そう言って、奏歌もジェラルドたちを追う。
「アァァァァァ、マァァァァァァイッ!」
ディアボロは、おそらく怒りを表しているのだろう叫びを上げながら向きを変え、空き地の方へと逃げるジェラルドたちを追っていく。
「それほどパンが食いたいかよ!」
吐き捨てつつ、足止めの役目を果たした是之は布槍から弓に得物を換えて追いかけた。
「あはは、ディアボロさん〜、そんなにおなかが空いてるの〜?」
ルルウィは屈託無く笑う一方で、ディアボロの『顔』をのぞき込むようにして、相手の出方をうかがっていた。
まともに意思の疎通が成立する相手ではなさそうで、ひとつわかることと言えば、目の前のパンに異常な執着を見せているということだけだ。
「……以前に、似たディアボロと対峙したことがあります」
と、真剣な面持ちでつぶやいたのは雫。
「食いしん坊さんの?」
「いえ、姿形の意味で……。
もしかしたら、『生前』の執着が表に現れているのかもしれません。前の時は『赤ちゃん』そして今回は……甘味?」
やはりそういうことになってしまうのか? 困った顔で首を傾けた雫だったが、
「やっぱり食いしん坊さんなんだね〜」
と、ルルウィが屈託無く笑ったので、「間違ってはいませんね」と戦いに集中した。
その方向性が奇妙なものとはいえ、ディアボロの執念、いや狂気は撃退士たちにとっても恐るべきものである。
「ジェラルドさん、パンは私が!」
ゲルダが召喚したヒリュウがパンの入った袋をくわえて舞い上がると、ディアボロはさらに怒りを増したように、叫び声を上げた。
「独り占めされて怒ってるのは、こっちだって同じなんだぜ!」
上空から是之が矢を放つ。激しい砂塵が舞いディアボロはのけぞるが、それだけで動きを止めたりはしない。
ならばと波状攻撃を仕掛ける。奏歌は鋭く地を蹴って、その脇腹に篭手につけた刃を食い込ませた。ディアボロがそちらを振り返るより速く、大きく後ろに飛び下がる。
今度は逆側から、ルルウィが仕掛けた。
「転んじゃえ〜♪」
鎖鎌をディアボロの足に絡ませ、力一杯に引く。
転ぶとまではいかないが、奏歌を追おうとしていたディアボロは体勢を崩し、いらだったように4本の腕を地面にたたきつけた。頭髪のような体毛が、うねうねと蠢く。
「離れてください!」
突然、雫が彼女らしからぬ大声で叫び、自前のメロンパンにこれ見よがしにかぶりついていた奏歌は、目を白黒させる。
その直後。蠢いていた体毛が真っ直ぐに伸び、ディアボロの体躯が数倍に膨らんだように見えた。
体毛は極細の槍となり、撃退士を襲う。攻撃後、すぐに離れていた奏歌は慌てて避けたが、ルルウィは避けきれなかった。悲鳴を上げ、倒れる。
「しっかり!」
ゲルダは叫びつつヒリュウを近くに呼び寄せ、ディアボロに体当たりさせた。しかし、4本の腕で受け止められる。
「おっと、そっちはダ〜メ♪」
ジェラルドはルルウィとの間に割って入り、戦斧を払った。腕をヒリュウに封じられたディアボロに打つ手はないかと思われたが、大きく割れた腹、実は大きな口でかじりつき、放さない。
「はは……あいにくとこれ、美味しくないんだ」
「そうそう、早く奪い返さないと、僕が全部食べてしまいますよ!」
と、エイルズレトラがポーズを決めると、いずこからかスポットライトの光が当てられた。
その挑発に乗ったか、ディアボロはジェラルドの戦斧を吐き出し、エイルズレトラに向き直った。
その間に、菜莉がルルウィのところに駆け寄る。
そのときにはすでに体を起こしてはいたが、菜莉はその体を支え、生命力を回復させた。
「ありがとうね〜♪ ちょっと油断しちゃった」
幸い、深手ではないようだ。雫のとっさの警告で身をよじることができたらしい。すぐに得物を構え直す。
「おなかが空いたのなら、これでも食べていなさい」
雫が懐から取り出したパンを袋ごと投げつけると、ディアボロは軽々とそれをつかみ、腹の口にねじ込んだ。
「甘い物ばかりでなく、刺激物もね」
「カラァァァァァァァアァァァッ!」
「あ、いちおう味はわかるんですね」
ゲルダが苦笑するが、これはあくまでも牽制だ。
アウルの力が生み出した蝶がディアボロを押し包むように現れ、苦悶の雄叫びを上げさせる。
その隙を、エイルズレトラは見逃さない。彼の手元に形成された1枚のカードは、ディアボロの腹の口にねじ込まれるや、轟音とともに大爆発する。
「ギャァァァァァァァァァァッ!」
ここに至り、初めてディアボロは『特濃(以下略)』への執着以外のことを考えたらしい。4本の腕をてんでばらばらに振り回し、身を翻す。
だが、
「あいにくと、前後左右、どこにも逃げ場はないよ」
ジェラルドはその前に立ちはだかり、また、ヒリュウの放った雷撃もまた、ディアボロの逃走を阻む。
「やっかいな黒幕は控えていないようだね。だったら、そろそろ終わりにしよう」
そう言うジェラルドの傍らに、ゆらり、と立つ者が。
「……人々を、いや、私のメロンパンを襲った罪……償ってもらおうかぁッ!」
愛らしい外見にはあまりにそぐわない、ドスのきいた声で叫んだ奏歌は跳躍、ディアボロの顔面に、拳をたたき込んだ。
10分後。
工場に案内された撃退士たちの前には、山盛りの『特濃伊予柑クリームメロンパン(チョコチップのせ)』が用意されている。エイルズレトラがさきほど掻っ攫っていったぶんだが。
「我が社の自慢の商品をどうぞ!」
「遠慮無く!」
真っ先に手に取ったのは、もちろんと言うべきか、奏歌。
顔を近づけただけで、鼻腔をくすぐる伊予柑の香り。ひと口含めば、濃厚な、しかし決してくどくはないクリームが口腔を満たしていく。それは、クリームにふんだんに使われた果汁の味わいのせいだ。
「これはおいしいですね……」
と、菜莉も思わず手元のパンを見つめ直す。その横ではルルウィが満面の笑みを浮かべて頬張りながら、
「海の中の島に生る〜♪ 黄色い伊予柑可愛いね〜♪」
と、鼻歌交じりであった。
オレンジ色のクリームが口の中に飛び出すと、そのさわやかな芳香が今度は鼻腔へと抜けていく。
あぁ、終わることのない香りのループ。
「俺のあんパンにも勝るとも劣らない美味さ……認めるぜ」
是之も唸る。
甘いだけではない。チョコチップの歯ごたえはふんわりした生地との対比を楽しませ、ほんのりとした苦みが甘さを際立たせる。
さすがにお値段の方もそれなりなのだが、納得の作り込みだ。
などと堪能しているうちに、あっという間に平らげてしまった。
「これじゃぜんぜん足りないですよぅ!」
奏歌は図々しくも、「報酬代わりということで、1年分……せめて1ヶ月分だけでも!」と社長に手を合わせていた。
「かまいませんよ。どんどん召し上がれ」
「いいんですか?」
大盤振る舞いが心配になって、雫は思わず声をかけた。
「私のポケットマネーから出しますから、何の問題もありません。それに……」
と、雫に倣うように声を潜め、
「おいしさをわかっていただけたなら、ほかの撃退士の皆さんにも広がっていくでしょう?」
そう言って、ウインクしてみせた。しっかりしている。雫は思わず笑みをこぼした。
「これから卸す分は、明日の材料をつかって作ります。残業になりますが」
「あ、それでしたら、私たちもお手伝いします。こういった工場、興味がありますし」
「困ったときはお互い様よ、と母もよく言っていましたから」
そう言った菜莉とゲルダに社長は喜んで、「ありがとうございます」と頭を垂れた。
「俺も手伝うよ。……ところで社長、こいつのレシピ、教えてくれないか?」
と、是之もついて行く。
「駄目ですよ。ふふふ」
「いや、パクるつもりはないんだ。ただ、この味わいのヒントだけでも……!」
「……そうですね、うち、大学生の娘がいるんですけど、次期社長として婿入りしてくれるなら」
「えぇッ?」
「ははは、冗談冗談」
激闘の後、社会科見学(?)まで行った撃退士たちを、従業員一同は笑顔で見送ってくれた。
なんだかんだで損失は出てしまったのだが、その後の売り上げは好調ですぐにそれも取り返せたのだという。
特に学園近くでの売り上げは先月比で倍増だったとか。