事件現場となっている住宅地に近づくにつれ、避難を促すサイレンの音が何重にもなって、耳に届くようになってくる。
「おーい、待ってくれ!」
サイレンを鳴らし、警告を発しつつ走る自治体の広報車を、雪ノ下・正太郎(
ja0343)は前に立ちはだかるように呼び止めた。
「あぁ、撃退士の皆さんですか。そうです! もうすぐそばまで来ているかもしれません」
ぞっとしない、という顔をする職員たちに斉凛(
ja6571)が「あとはお任せくださいな」と優雅に一礼すると、彼らは安堵したように顔を見合わせた。
ゲルダ グリューニング(
jb7318)がそこに口を挟む。彼女が辺りを見回しつつ、
「避難は順調みたいですね。もうこの辺りに残っている方はおられませんか?」
と問うと、
「すべての家を確認したわけではありませんが、おそらく。
あ、おーい!」
職員は頷いたが、急に声を張り上げた。仲間たちの陰に隠れるようにしていた志々乃 千瀬(
jb9168)はビクリと身を震わせる。
通りかかったのは消防団の車で、職員はそれに向かって呼びかけたのだ。顔なじみでもあるらしい。
ところが、消防団員が告げた事こそ千瀬を本当に驚かせた。逃げるのを拒否している男性がいるらしいのだ。
「ふぇッ!?」
頓狂な声を漏らしてしまったのは久遠寺 渚(
jb0685)。
「そ、そんな方がいるんですか? ひ、避難してないなんて……」
山の方を見たり住宅地の方を見たり、職員たちの方を見たり。視線をさまよわせながら漏れ出る渚の言葉はひどくたどたどしくなってしまう。
「いや、それが実は……」
それでもなんとか「それで、その方はいったいどちらに」と問おうとしたのだが、まさに口を開きかけたそのときに。
一同は轟音に首をすくめた。
山が波たっている、というのは奇妙な形容だが、そうとしか言いようがない。巻き上げられる土砂となぎ倒される木々とで、そこだけ一直線に波が起こっているように見えるのだ。サーバントが、すぐそこまで迫っていた。
職員たちは顔色を変え、「あとはお願いします!」と車を発進させた。
「あ……!」
渚が呼び止める間もなく、職員たちは行ってしまった。
「まぁ、仕方がないでしょうね」
支倉 英蓮(
jb7524)は、
「彼らを逃がすことも、わたくしたちの役目ですもの」
と、肩をすくめ、そして得物を取り出して構えた。
「こうなったら仕方がない、いったん二手に分かれて行動だ!」
地堂 光(
jb4992)は仲間たちを促し、自らはこの閑静な住宅街にはあまりにも不釣り合いな斧槍を構え、「よし」という気合いとともに石突きを地に打ち付ける。
猪川真一(
ja4585) が頷き、
「わかった。その男の方は俺たちに任せろ。いざとなったら首に縄つけて引っ張ってくる」
「そ、そうならずに、済むと……」
いいんですけど、という言葉はかき消えてしまったが、千瀬もまた、真一に続いて駆けだした。
「よし、俺たちも急ぐぜ! 龍・転! リュウセイガーッ!」
正太郎がポーズを決めると、彼はテレビのヒーローのようなスーツ姿になった。
果たして正義の味方は、この街を守れるか。
翼を広げた凛が空を舞う。
住宅地の上空を飛びつつ、彼女は避難していないという男の姿を探し求めていた。
とはいえ。それぞれに決意と夢と人生がかかっているとはいえ、さほど遠くない時期に立てられた分譲住宅の見た目には、さほどの差違はない。クリーム色の外観だったりレンガ色だったりする程度のことだ。同じ施工会社が手がければ、仕方のないことかもしれない。
タイミング良く、外に出てきてくれればよいのだが。
耳をそばだててもいるのだが、「そこにいる」というだけの生活音を聞き取るというのも、なかなか。
なにより、
「……あちらの音の方が、よっぽどよく聞こえますわ」
視線を巡らせた先には、まるで航跡のようなサーバントの突進の様が見えた。
サーバントは別段、住宅地の破壊をもくろんでいるわけではないようだ。発見されてからこれまで、ときおり動きを止めてもいた。
ゲルダを背に乗せたヒリュウが遠く……東側の山の方から牽制するように雷撃を放ったが、サーバントはそちらに敵意を向け、襲ってくることもなかった。
きまぐれ。もしかすると、案外と臆病で慎重なのかもしれない。だからこそ面倒ともいえるが。
「みなさん、来ます! その家の方!」
戻ってきたゲルダが、地上で待ち受ける光たちに注意を促した。
地上で迎撃に向かった光、正太郎、英蓮、そして渚は東西に立ち並ぶ家(1〜3)の門を乗り越え、ガレージの横手をすり抜け、ガーデニングされた花壇を遠慮がちに飛び越えて、家の裏手、山の斜面に駆けつけた。
迫ってくる突進の音。渚は急いで、迎撃の構えを見せる。
「進路は……ここですか? えいッ!」
気合いを込めるや、地を四神の結界が包む。続いて……と中空に指を這わせたとき、前方の木がなぎ倒され、サーバントが姿を現したではないか!
「なんて速さだッ!」
マスクの下で、正太郎が思わず叫ぶ。渚の術が間に合わない!
「下がれ久遠寺ッ!」
背後を気にした光はサーバントの真正面に立ち、斧槍を横に構えて防壁となった。
正太郎がサーバントの眼前の地面に巨大な鉄槌を振り下ろしたが、敵はまるでそれが目にも入っていないかのように跳躍し、速度を緩めることなくまっすぐ飛びかかってくる。
光は臆することなく、その突進を受け止めた。
大木を薙ぎ倒した音にも匹敵する、すさまじい音が響く。
しかし、それとともに光の体躯は宙へと舞上げられ、住宅の塀に叩きつけられた。あまりの衝撃に、塀が崩れる。
「かはッ……!」
それ以上の衝撃を受けたのは、光自身だ。背中を強く打ち付け、呼吸が止まる。全身の骨がきしみ、ひび割れ、あるいは折れた肋骨は臓腑を傷つけてしまったかもしれない。
噂に違わぬ突進力。防御を固めていたにも関わらず、真正面から食らえば、これほどか。
「なんてパワーだ……」
呟いたつもりだったが、漏れたのは血の混じった咳だけだった。
始まった。
周囲を包む轟音に、異質なリズムが加わった。きっと仲間たちの戦いが始まったのだ。
千瀬は一件の住宅の前にたつと、何度も呼び鈴を鳴らした。分譲地の南端に建つこの家(8)は、なるほど景色がいい。南側が段差になっているだけに、眺望は最高だ。彼方に見える川沿いの並木は、桜だ。咲き乱れる花が街の風景を色鮮やかなものにしている。
もっとも、そんな景色を楽しんでいるゆとりはない。3度呼び鈴を鳴らした千瀬は、
「ごめんなさい、おじゃま、します」
と、門の前で頭を下げ、敷地の中に入っていった。裏手に回り、リビングの中をのぞき込む。
聞いた話では、男性は勧告を退けて立てこもっているということだから、呼んで素直に出てきてくれるとは限らないのだから。
しかしこの家には、人気はなかった。
空振りだ。時間の浪費に焦りつつ、今度は隣の家(7)の呼び鈴を鳴らす。
「しつこいよ! 俺は逃げないって言ってるだろう!」
するとどうだろう。インターホンの向こうから、男の怒声が聞こえてきたではないか。
喜びと驚きとで千瀬は目を大きく開き、
「ち、違います、撃退士、です!」
と、懸命に呼びかけた。一方で、向かいの家を捜索している真一を呼ぶ。
「あの、撃退士、です。どうか、避難して、ください!」
はっきり言って話すのは得意ではないが、今はそんなことを言っている場合ではない。言葉を必死に考え、なんとかそれを口にする。
「そんなこと、出来るか! 野球を始めたのも高校大学も就職も、プロポーズさえ成り行き任せだった俺の、一大決心の結晶なんだこの家は! 俺はこの家で、家族仲良く暮らすんだッ! 天魔の野郎なんかに、メチャクチャにされてたまるかぁ!」
野球のヘルメットをかぶり、手にはバット。脂汗をかきながらも、来るなら来いという構えで、男は玄関に姿を見せた。もちろん、そんな「装備」などまったく意味はないのだが。
押し問答を続けるうちに、真一が駆けつけた。
「なぁ、安心してくれ。俺たちが必ず、この家を守ってみせるから」
真一がそう言う間にも、戦いの音はここまで聞こえてくる。内心焦りながら、真一は男に語りかけた。
こうなると、もはや意地だ。俺がこのマイホームを守ってみせるという、意地のみが男を突き動かしている。撃退士の助けが来たからといって、いまさら「後はお任せします」とは言えないではないか。
「そもそも家族と過ごすための家だろう。もし万が一のことがあったら、産まれてくる子供はアンタの顔を知らずに生きることになるんだぞ」
「そう、ですッ!」
そのとき、千瀬が大声を上げたので、真一と男は思わず振り向いた。いかにもおどおどとした様子の彼女としては、かなり意外だったからだ。
「あなたのご家族の、誰も、あなたがこの家と、心中することなんて、望んでいるはずが、ないじゃないですか!」
懸命に訴えながら、男の袖を掴んだ。言葉がたどたどしいだけに、かえってその切々と訴える心情が伝わってくる。あぁ、生まれてくる娘がこんな子に育ってくれたらなぁ。
「うぅ、わかっ……」
「えい」
可愛らしい千瀬の声とともに放たれた術によって男は、くてん、と眠りに落ちた。
「大事なのは、家族。でも、気がつかない間に優先順位が逆転してしまうこと、ありますよね……」
「……おい、ほとんど納得してなかったか?
まぁいい。少しでも早く話がつくなら、それに越したことはない」
と、考えることにしよう。真一は男を軽々と背負うと、戦いが迫る北側の道路を避け、安全なところまで運んでいった。
「地堂様!」
英蓮がさすがに慌てた様子で叫ぶ。
英蓮は油断なく盾を構えてサーバントを睨んだ。布槍の穂先がゆらゆらと揺れてサーバントを威圧する。光の献身的な防御もただ返り討ちにあったわけではなく、甲斐あってサーバントはその足を止めていた。
「……ならば、わたくしが鳳凰に懸けて。不動の盾となりましょう!」
サーバントが大きく目を見開いた!
英蓮はわずかに身を屈め、相手の突進に合わせて横に跳躍した。さすがに光の様を見て、真正面から受け止めるのは避けた。その代わり、交差する瞬間、側頭部に掌底を打ち込む。
しかし、軽い。
例えるならば、迫る特急列車の前に立ちはだかり、それに轢かれることなくその横っ面を叩けというようなものである。十分に踏み込むことは難しい。
巨大な猪は家(2)の門を突き破り、道路に出た。
「まるで闘牛士の気分ですわね」
そう呟く英蓮の後ろで、光が立ち上がる。
「大丈夫……姉さんのお仕置きは、こんなものじゃ、ない、からな」
少しは落ち着いたのか、軽口を叩く。しかし足下はおぼつかず、斧槍を杖代わりにしている有様だ。
しかし光は自らの肉体を活性化させ、回復させる。万全ではないが、
「まだまだいけるぜ、さぁ、何度でもかかってきな!」
と、不敵に笑う程度には十分だ。
光が大声を張り上げると、今にも彼方に飛び出していきそうだったサーバントが、ギロリとこちらを睨んだ。
そして、再び突進。
分譲地の道路は2台の車が行き違えるほどに十分広く、
「真っ直ぐの道路を走ってくれた方が、まだしも被害は減らせそうですわね」
住宅の屋根に舞い降りた凛は光の意図を察してうなずくと、小銃を腰に構え、フルオートで引き金を引く。
「チェックですわ」
反動で銃口が跳ねるが、慣れた様子でそれを抑え、いくらかが家々の塀や道路にそれたものの、多くがサーバントの巨体に吸い込まれていく。肉が弾け、血飛沫が飛ぶ。
「行って!」
ゲルダがヒリュウにしっかりとしがみつき、叫ぶ。ヒリュウは主の命に違わずサーバントに向けて突進すると、渾身の力で体当たりした。
しかし、正太郎の時もそうだったが、いったん走り始めた猪は周りを見ることなく、ただ一心に前方を狙う。
「これ以上は行かせませんよッ!」
渚の術が発動すると、サーバントの足下から砂塵が舞い上がる。呻き声をあげてよろめく猪の、足が止まった。
と、思ったのもつかの間。サーバントは大きく頭を振ると、鼻息荒くうなり声を上げた。
ところがその声が、悲鳴に変わる。
いつの間にかサーバントの背後に表れた千瀬が、符を放ったのだ。真一も姿を見せる。
「待たせた!」
苛立たしげに巨体を振るわせたサーバントは真一の振るった剣の一撃をはじき返してしまったが、
「正太郎様、道を塞いでくださいませ」
と、隙を見た凛が屋根の上から指図する。
「言われずとも。喰らえッ!」
正太郎が振り回したハンマーはすさまじい速さで、圧倒的な破壊力と共にサーバントに襲いかかる。激しい衝撃と共に、左の前肢が砕ける手応えが伝わってくる。のたうち回る巨獣。
「まだだ。もう1本、へし折ってやる!」
「ふふ、でしたらわたくしは、後ろの脚でしょうか」
光の斧槍が肉に食い込み、どす黒い血飛沫がクリーム色の家の壁まで飛び散った。英蓮は朱の着物が染まるのを嫌うように、大きく飛んで避ける。
だが、それでもサーバントは倒れない。倒れるどころか、心臓をわしづかみにするような、憎々しげな雄叫びを上げてなおも進む。
さすがの撃退士も、この様には息をのんだ。
それでも確かに、速さは落ちているのだ。なかば這うようにしながらも、サーバントは突進を止めない。
「いい加減に、して、くださいッ!」
今度こそ! 渚の放った式神が、サーバントの巨体にぐるりと絡みついた。
「やっと、つかまえましたよ!」
「あとは、このメイドにお任せあれ」
そう言って凛が構えたのは、今度は狙撃銃。一発の銃声は、閑静な住宅街に長く長く、響き渡った。
『……ご存じですか? ○○保険の個人向け住宅保険、天魔特約。この特約で、万が一の天魔の襲来にも安心です……』
テレビからはどこかの保険会社のCMが流れていた。
家を持つって大変なのねと、ため息をつく。
男性の住宅、そして周辺の住宅の損害は軽微なものだった。建物の半壊等は無し。それでも撃退士たちは、血飛沫で汚れた家々や、瓦礫などを取り除く手伝いをした。
住民たちは損害を責めるどころか、よくこの程度で、と感謝してくれた。それこそ、件の保険で修復できる部分もあったらしい。
「加入してたの忘れてたよ、そういえば。いやぁ、お騒がせして悪かった」
「まったくもう! それにたとえ家が無くなったって、大事なのはそんな事じゃないんだから!」
と、駆けつけた奥さんに、男性はこっぴどく叱られていた。やっぱり尻に敷かれていそうだ。けれど、それもまた家族の微笑ましい姿。
「日常や思い出を護ってこそ、『護る』か……」
ゲルダは母の言葉を思い出し、呟いた。
このタイミングで口にすると、なんだかCMのキャッチコピーみたい。
ゲルダは苦笑いし、テレビのスイッチを切った。