普段から人通りのさほど多くない通り。それが深夜ともなれば、街灯もほとんどなく当たりは闇に包まれていた。その闇を、一台の車のライトが切り裂いていく。
そのトラックが停車すると、周囲は再び静寂に包まれる。
「さぁ、みんな。よろしく頼むよ」
そう言って、山部清司郎(やんべ・せいしろう)が撃退士たちを送り出す。
「できれば、もっと下見に時間をかけたかったところね」
「すまないね。なにせ先輩の細君は『思い立ったが吉日』を地でいく人だから」
清司郎に苦笑されると、佐伯栞奈(
jb7489)もそれ以上言っても仕方がないと、肩をすくめた。
「気を抜かずにいくしかない、ってことね。いざというときのサポートはよろしくね」
「任せてくれ。それに君たち……いや、我々なら出来ると確信している」
清司郎はそう言って、大きく頷いた。
「こんな夜更けに運び出しとはな。これじゃあ、泥棒と間違われても仕方がないよなぁ」
荷台から飛び降りた播磨 壱彦(
jb7493)が、肩をほぐしながら呟く。
「……なんか楽しそうだな、お前」
同じく荷台から降りた打田真尋(
jb7537)も、2、3回スクワットをして身体をほぐした。
もうすぐ日付も変わる頃。清司郎の調達した軽トラックは左右に板の張られた幌つきのものであったが、寒さをしのぐにはまったく不十分だ。そんな状態で長い距離を走ってきたものだから、関節もすっかり固くなってしまった。
「いいえ、そんなことないですよ?」
答えた壱彦の声色が、いささか狼狽え気味である。
「『無双』とまで言われた手練れの撃退士が相手だそうじゃないですか。見つかったら一大事、なんとか見つからず済むように頑張ろうと、えぇ。そういうことですよ」
「本音を隠しきれてませんよ、少しも」
ソフィスティケ(
jb8219)はいくぶん揶揄するような口ぶりで、助手席から降りてきた。ちゃっかりと暖房の効く助手席を確保していたのである。
「まぁ、それでやる気がでるなら結構なことです。あたしも頑張りますよ、仕事ですから。
清司郎さん、明かりがあるなら、貸していただけます?」
「あぁ。こういうのでどうかな?」
「手厳しいね。でも、私は仕事という以上に、興味はわくなぁ」
と、ヴィルヘルム・E・ラヴェリ(
ja8559)。
「ひそかに、しかもこんなに大勢で運び出すなんて、ものすごい骨董品か、魔術書の類だったりしないのかなぁ」
と、興味津々な様子である。
「なんなんでしょうね! 趣味のものだとうかがっていますから……魔術書ではないかもしれませんけれど」
と、ゲルダ グリューニング(
jb7318)も期待しているようだった。
「実用の品ではないとなると……魔術師の伝記であるとか、書き付け、手紙の類であるとか」
「ヴィルヘルムさんはなんでも魔術基準ですね。
いやぁ、みんなが盛り上がってると、なんだか俺も興味がわいてきたな」
そう言った恙祓 篝(
jb7851)だったが、急に自信をなくしたようになって、
「……だからって深夜に不法侵入なんて、大丈夫かな」
と、向坂 玲治(
ja6214)の方を振り返った。
「家主がいいって言ってるんだから、不法でもなんでもないだろうよ」
嫁さんの方はどうか知らないけどな、と玲治は小さく呟く。
「さぁ、ばれないうちにサッサとブツを運び出そうぜ」
険しい山中の道を進んだ一行は、神社兼住居の敷地内までたどりついた。
清司郎から渡されていた合い鍵で、倉の扉を開ける。
「わぁ」
ゲルダが思わず、感嘆の声を漏らした。
倉の中はたくさんの棚がならび、そこには段ボール箱がギッシリと詰め込まれていた。
「すげぇ数だよ。どうするよ、これ」
と、玲治が呆れたように呟く。
「かなり重いな。撃退士でもなけりゃ、腰が抜けそうだ」
そう言って、篝は二箱をまとめて持ち上げる。普通の人間にはとても出来ない芸当だ。
「……引っ越し屋でも始めれば、儲かるかもしれないな」
「家業を継ぐにもいいかもしれませんねー。思わぬ就職口です」
と、実家が建設業を営むゲルダが微笑む。
次々と荷物を倉から運び出していた一行だったが。
「みんな、静かに! 戸の開いた音かもしれない!」
倉から離れ、先輩の自宅や社務所の方をうかがっていた壱彦が、身を屈めながら近づいた。にわかに緊張が走る。
しばらく息を潜めていても、近づく足音などはない……ように思える。
「いつまでも隠れているわけにもいかないでしょう。私が先行するわ」
そう言って栞奈は立ち上がり、翼を広げて舞い上がった。
撃退士たちが作業を続けている間、先輩の邸宅ではこんなやりとりがあったのである。
「ふぁ〜あ、そろそろ寝るかぁ!」
「そうだねー。でも、台所の片付けがもう少し残ってるから、先に布団入ってて。あっためててもらうし」
「いや、だったら俺が洗い物くらいするから。先に寝てろよ」
などと言えば、ふつうなら夫の優しさに感謝しそうなものであるが。
細君、なにやらおかしいと感じて、夫に詰め寄った。
「なんでもない、早く寝て欲しいだけだって!」
などと、あとは言えば言うほどボロが出る。ついに、「後輩が俺のお宝を持ち出してる」と、暴露してしまったのだ。
先輩を責めるなかれ。細君の追及をかわし、騙しおおせる男が、世にどれほどいるというのか。
ともあれ細君は、
「あとでお説教だからね!」
と言い残し、槍を手にして家を飛び出したのだった。
荷物をかかえ、あるいは台車に載せ、あるいは召喚したヒリュウに載せて山道を下っていく撃退士たちを、細君が追う!
とはいっても、ドタドタと無様な足音を立てて走ってきたわけではない。さながら豹が獲物を狙うがごとく、ヒタヒタと足音を忍ばせ、迫っていたのだ。
「大変だ! ……えぇい、こんなことなら全部貸し出すんじゃなかったな!」
始めに気がついたのは壱彦だった。
ライトは手元になくなっていたので、仕方なく携帯電話を取り出し、あらかじめ打ち合わせしていた通りに点灯させる。かすかな光ではあるが、きっと察してくれるであろう。
「やれやれ。お宝が大事なら、もう少し粘って欲しかったですね」
翼を広げたソフィスティケがそれに気づき、同じようにライトを点滅させた。地上を走る仲間たちにも伝わっただろう。
そうしている間に、壱彦に向けて細君が迫る。
「足には自信があるんだ。負けませんよ!」
スタートラインに立ったときのような充実した緊張感を感じつつ、壱彦は追撃をかわして走る。
「待ちなさいッ!」
細君が鋭い呼気を発して槍を繰り出すと、その衝撃で一直線上に草が千切れ飛ぶ。
必死の形相でそれを避けた壱彦だが、唇を舐めると今度は、大木の幹を駆け上がった。
「ここまで追いかけてくることは出来ないでしょう!」
しかし細君、大きく踏み込んで槍を繰り出し、重い一撃を放つと、大樹の幹は粉々に砕け、ズズズッと音を立てて倒れていった。
慌てて他の樹に飛び移る壱彦を救わんと、ヴィルヘルムは光球を放って細君の注意を引く。
だが。……光球を漂わせている間に、細君と目が合ってしまった。
手にした段ボール箱を仲間に投げるように渡したヴィルヘルムは、代わりにメタルブックを構え、あろうことか細君に打ちかかる。
だが細君はその攻撃を槍でやすやすと受け止め、その手から本をはたき落とした。
「くッ、まだまだ!」
懐から、メタルブックが出てくる出てくる。
「そんなもの読んでたら、あいつみたいにろくな大人にならないんだからねッ!」
と、何かと勘違いしたのか細君は次々と本をたたき落とし、くるりと回した槍の石突きで、ヴィルヘルムの胸を突いた。
十分に加減はしてくれたのだろうが、一瞬呼吸が止まり、足下を踏み外して草地を転がり落ちる。
「私の受け持ちぶん、あとは頼みました〜」
「……戦い方まちがえてるだろ、あの人」
物理系ダアトってなんなのだ。茂みに身を潜めて玲治は呟いた。
それにしても、おっかない細君だ。
やり過ごしたとみた玲治たちは、急いで坂道を下る。
登ってくるあいだに、通り道には木の枝に白い布を巻き付けてきた。見つけた罠には赤い印。
白布を見失わないように、走る。
先行しているのは栞奈とソフィスティケ。
「突っ切っていくしかないわね!」
「わかりました! 槍で疲れるか足挟まれるか、どっちがマシかって気もするけど!」
栞奈は、ささやかながら踏み固められた山道をそれ、ショートカットを試みる。ソフィスティケが拾い上げた小石を投げつけると、トラバサミが大きく跳ねた。
「すごい勢いで追いかけてくるわよ。罠もあるはずなのに」
放った鼠の情報網で細君の位置を察した栞奈は驚嘆した。わずかな月明かりしかない山道なのに。まさか仕掛けた位置もすべて把握しているのだろうか。
「くッ……さすがだぜ」
脚力、スタミナにはそれなりに自信のある真尋なのだが、細君はそれに勝るとも劣らない。いや、そこからさらに加速してくる!
「あなた達の手に持ってるもの、すべておいて行きなさ〜いッ!」
「すまねぇけど、こっちも仕事なんだ!」
振り向きざまに小太刀を一閃。この程度、仮に当たったとしても致命傷にはなるまい。相手の力量を信じるからこそできたことだ。
案の定、細君はふたたび槍をくるりと回し、小太刀を受け流す。近い間合いだというのに、隙を見せない。残念ながら、力量の差は明らかだ。
「なにが仕事か〜ッ!」
続けた一太刀を穂先で弾いた細君は、山中に木霊するような怒声ともに、長い足を伸ばして前蹴りを放つ。
「ゲホッ! ……足癖の悪いお姉さんだな」
「なんかいろいろとすいません!」
なにが済まないのかはよく分からないのだが。篝は真尋をかばうように立つと、指を複雑に動かした後、前に突き出す。
すると辺りは、ライトの光さえ感じられなくなる暗闇となってしまった。
その隙に仲間たちは逃げ出すが、篝自身は殿とばかりに踏みとどまった。
「あッ、こら!」
狙いをさほど定めず繰り出された槍の穂先が、篝の頬をかすめる。
無理! こんなの受け止めるの無理!
やはり逃げの一手しかない! 篝は身を翻し、逃走を図る。ところが、篝を引っ捕らえようと伸ばした細君の手が、段ボール箱の縁にかかってしまった。
勢いというものがある。段ボール箱は大きく裂け、中身が飛び散ってしまった。
気づいたゲルダが慌てて駆け寄り、なんとか誤魔化そうとした。
「実はこれ……えーと、ぜんぶ私のなんです!」
そう言った途端、細君は「うへ」という顔をして、明らかに3歩ほど後ずさった。
「そういえば、中身が何かってことまでは聞いてなかったな。どれ……」
と、落ちていた1冊の本を手に取った篝が、「ほぐッ」と言って……というのも変だが、そう表現するしかない奇妙な声とも音ともをたて、顔を押さえてうずくまる。足下には血が滴っているではないか!
「おい……まさか、たとえばベッドの下とかによくあるような、そんな、あれか?」
真尋が落ちていた1冊を手に取った。見事なまでの肌色本。総勢何名だろうか。めくってもめくっても肌色。開いても閉じても肌色。
篝がほかの1冊をべちりと地面に叩き付けて叫ぶ。
「アホかぁ〜ッ! 大仰に宝なんて言うから何かと思えば、これか! こういうオチか?」
「いいから鼻血ふけ」
「ちょっ、違いますよ? 私のとは言いましたけど、私の、失踪した母が残したものなんです! 保管場所に困っていたら、ご主人が……」
ゲルダは慌ててフォローを入れるが、目の前に散乱しているモノがモノだけに、説得力はない。なにせ、紙面に溢れかえる肌色、肌色、肌色くんずほぐれつなのだから。どんな趣味だよ、あんたの母親。
「ちょっとあんたたち、そこに座りなさい! このエロエロエロエロ大魔神ッ!」
「お説教は勘弁してください」
そう言って、舞い戻ったソフィスティケが篝の手を取る。
「そりゃぁ、こんなの見せたら怒るわよね」
同じく栞奈は散らばった本をかき集めると、再び空へ舞い上がった。
懸命に逃げている間に、一行は山の麓近くまでたどり着いていたのだ。
「皆さん、乗ってください!」
栞奈かソフィスティケが電話でもしたのだろう。清司郎の運転する軽トラックが猛スピードで近づいてきたかと思うと、後輪をスライドして止まった。
「あ、清司郎! あんたまで加わってたのね! 待ちなさい!」
「あいにくと、そうはいかないんですよ」
細君の注意が清司郎の方に向いている隙に、一行は段ボール箱を荷台に放りあげ、自らも飛び乗る。
「ははは、先輩もお変わりなく! では、今日のところはこれで……!」
と、清司郎はトラックを急発進させた。段ボールに押されて満足に座るところもない撃退士たちは、落ちないように必死だ。
さすがの細君も、猛スピードで走るトラックには追いつけない。
「はぁ、すごい人だった」
やっと一息ついた壱彦が、額の汗をぬぐう。
「よし、戦利品の確認といこうぜ。ほう、確かにいい趣味をしてるな……」
と、荷台で玲治がうむうむとうなる。
「へぇ。世の中にはこんな本もあるんですね。大勢なのは、やはり儀式的な何か?」
と、合流を果たしたヴィルヘルムも(いささかずれてはいるが)興味津々。
「いや、俺は……人体なんて、見慣れてるから」
とか言いつつ、真尋もちらり。
女性陣の視線は、ちょっと冷たい。
数日後。先輩と細君とが、学園にやってきた。
「ゲルダちゃんだっけ? ごめんねー、気を遣わせちゃって。ほら、コイツがあんな気の利いたこと、するわけないから」
ゲルダは倉に残した段ボールに、先輩からという体で花束を置いていったのだ。
先輩の顔面は「え? これ人間?」という風情になっていたが、それでも細君は先輩に腕を絡めて歩いていった。
「ふたりの仲もうまく治まったようだし、貴重な蔵書も、我々の書庫に収めれば危険もない。よくやってくれたね、さすが我が同志。
我らはプロジェクトIO! 生きとし生けるもの、すべてにエロを与えん!」
清司郎は爽やかに笑った。