今年は紅葉が遅かったせいで、十分に色を変え人々の目を楽しませるようになる前に、冬が訪れた。くすんだ色のまま枝から離れた葉が、山野を覆い尽くす。
さくッ、と音を立て、そのうちの一枚が靴底に踏みつけられる。
「この辺りに潜んでいるとはいっても……探すとなると、これは骨だなぁ」
ヒロッタ・カーストン(
jb6175)が顔の前に手をかざして、息をついた。人里からさほど離れてはいないものの、あたりはすっかり木々の生い茂る山中になっている。起伏も相応にあり、もし近くにうずくまっているとしても、すぐに見つけることはできそうにない。
「無事だといいがな……」
「なんとかなるよ、きっと」
獅堂 武(
jb0906)の呟きを耳にしたヒロッタが、朗らかな声で応える。武はそちらを振り返り、にやりと笑った。
「まぁ、そうだ。全力でいくぜ」
「それにしても、なんでサーバントは撃退士をつかまえたりしたんすかねー? 人質? まさかー」
フォルテ・ストラーダ(
jb7957)が首を傾げる横で、華愛(
jb6708) は少し困ったように眉を寄せた。
天使によって創造された忌まわしきサーバントども。何を思って今回のような行動に出たのかなど知る由もないが、ただ、もしかして「ある種」の感情によるものだとしたら。
――それも理解できる気がする。
とは華愛は言わなかった。何も言わず、フォルテから視線を逸らす。
幸いにと言うべきか。一行はそんなことよりも、サーバントの探索に心を向け、話し合っている。
「件の亀野郎も、叩きのめしてやんよ」
大きく背伸びをしつつ、ライアー・ハングマン(
jb2704)が口を開く。いい陽気だ。これが依頼でさえなければ。
「行方不明者の体力も限界だろう。一瞬で屠ってやる」
「せやねー……」
その話を聞いているのかいないのか。城咲千歳(
ja9494)は気のない様子で返答だけする。視線の先にいるのは、鑑夜 翠月(
jb0681)。サーバントを見逃すまいと、鵜の目鷹の目で辺りをうかがっている。さすがに、まだこの辺りにはいないだろうが。
――無理したらいけないっすよー、YOU、病み上がりなんだから。
翠月の方ばかりを見て気のない様子の千歳に、ライアーは肩をすくめる。相手を転じて他の仲間に。
「擬態が得意な亀ということだが、図体はでかいんだ。まったく何の跡も残さずってわけにはいかないだろう」
「移動するだけでも木々をへし折るだろうし、引きずったような跡も残る。まして、撃退士と戦った場所ならばさらに痕跡は増す、ということだな」
里条 楓奈(
jb4066)はそう言って、携帯灰皿に短くなった煙草を押し込んだ。最後に一息吐き出すと、紫煙が細くたなびく。
「そういうこと。まぁ、透過していたらそのぶん痕跡は減ってしまうと思うが……」
「注意深く探索していくしかない、ということだね。みんな、頑張ろう」
紅織 史(
jb5575) はそう言った後で、皆が「応」と気勢を上げるのを尻目に、無言で楓奈の手を握った。楓奈もまた、力を込めて握り返す。
「よーし! じゃあ、どんどん進んでいこう!」
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が拳を振り上げ、木の根を乗り越えて歩みを進める。
「でも、あまりみんな離れない方がいいかな? 前の人たちみたいに、気づかないうちに襲われたってことになっても困るし」
冗談っぽく言ってはみたのだが、もし実際にそうなってしまっては一大事である。一同はなんとなく首をすくめ、辺りを見回した。
「電波はまだ入るみたいだね。よかったよかった」
顔をほころばせたヒロッタが上空へ舞い上がる。さほど遠くまで離れるつもりはないが、携帯が使えず、知らせるためにいちいち大声を張り上げるのも面倒だ。
「上空からというのは、いい考えだな」
「大きすぎるものも、かえって見つけづらいものだからね」
「そういうことだ。俯瞰してみた方がわかるときもある」
史に頷いた楓奈はヒリュウを召喚すると、それにそっと唇を寄せた。「頼むぞ」と声をかけ、舞い上がらせる。
「じゃあ、アヤは向かって右手を」
「分かった。だったら楓は左手だね」
愛称で呼び合い、ふたりは互いの死角を補うようにしつつ前進する。
「まずは、前の連中が接触した場所まで行ってみないことにはどうにもならないぜ」
武の提案に一同は頷き、一行はそこへ急いだ。
「これは……ひどいですね」
翠月が呆然と呟いた。
そこはもともとは銀杏の木々が立ち並ぶ、山の奥へと向かう途中で少しだけ開けた場所だったらしい。しかし今、木々は無惨にへし折れ、なにやら焼けこげたようにも見える染みが残っている。木の幹に残されているのは、もしかすると血痕かもしれない。
「よし、あと一息だ。覚悟しやがれ」
武が腕まくりをするような仕草をして、坂道を登る。
ところが、一段高くなって見晴らしの良くなったその場所の先には、小さな沢があった。そこで痕跡はとぎれていたのだ。
「透過……いえ、それなら辺りに、身体の上に降り積もっていた木々が残りそうなのです」
華愛が辺りを見回してみても、それは見えない。
「まさか……跳んだ、とか」
「ヴぁっ!?」
翠月の呟きに千歳が素っ頓狂な驚きの声を上げ、一同は思わず天を仰ぐ。
「マジか」
「そう言えば下の方に住む人が、しばらく前に地面がビリビリ揺れて、地震かと思ったのに何のニュースもなかったって言ってたような」
「……マジなんすか」
フォルテは呆れ果てつつも、
「でもでも、せいぜいこの沢を飛び越えるのが精一杯に違いないっすよ。近くまで来てるのは間違いないっす」
と、自分に言い聞かせるように。
そこで一行は辺りに散らばって、痕跡を探し求める。
ヒロッタは、
「ちょっと試してみよう」
と呟くと、囚われているはずの天使に直接呼びかけた。
――どうか応えてください、助けに来ましたよ!
そうすること、幾度か。
……あ……。
かすかな反応が、向こうからも返ってきた。弱々しく、「声」というにも頼りない吐息のような反応。
それでもヒロッタの全身には緊張が走り、再び呼びかけようとした。
しかし。
「ヒロッタ! そこだ、足下だぞッ!」
ヒリュウの視界で見ていた楓奈の言葉に反射的に飛び退くと、確かにヒロッタはこんもりと、盛り上がった丘の上にいた。聞いていたほど大きくないのは、相手が地面をいくらか掘ったか、落下の衝撃で埋まったかしたからであろう。
撃退士との戦いで甲羅の土が幾分か剥げ落ちていた。それで発見することが出来たのである。
「先手必勝あるのみっす!」
フォルテは大きく跳躍すると、腕を高々と振り上げる。轟音とともにその甲羅に杭を打ちこんだ。
武も符を投げつけつつ接近する。符は鋭い氷の刃となってサーバントを襲い、その間に肉薄した武は得物をドリルに持ち替え、山々に木霊する駆動音を響かせながら甲羅に叩き付ける。
しかしサーバントはびくともしない。かすかに地が揺れたのは、身をよじったせいだろうか。フォルテは自らの跳躍の反動で後ろに吹き飛び、地面に降り立ったところを大樹の幹のような「尾」が襲う。こちらを認識はしたらしい。
「うわッたッたッ〜!」
なりふり構わず地面に身を投げ出し、かろうじて避ける。
「あぶねー、あぶねー」
尾の先はとっさに首をひねった武の耳元をかすめていく。後ろ髪を縛った赤い髪紐が揺れ、武はそれを手で押さえながら首をすくめた。
尾の先に撃退士の姿がないことを確認したライアーは、
「探し人はそっちか? ちょっと口の中、見えてみろ!」
と、飛びかかった。
「うちもお伴するっすよー!」
めっさ堅いなぁ、と苦笑いしていた千歳も肩を並べ、サーバントの「口」を狙う。
ここに至り、サーバントもやっとこちらを排除すべき敵と認識したのか、うねうねと蠢く触手を鋭く伸ばし、襲いかかってきた。
「今のうちにッ!」
ソフィアが放った突風は、花びらを撒き散らしながら甲羅の上の草や土塊を吹き飛ばし、サーバントを傷つけた。
「効いてる……のかなぁ?」
「続きますッ!」
密かに背後に回った翠月がサーバントにギリギリまで近づき、凍てつく空気を浴びせる。今度こそ間違いなく、サーバントは怯みを見せた。巨体が地に伏し、動きが鈍る。
「ライアーさん、合わせるっすよ!」
「おう!」
触手にフォルテは闇の力を纏った拳を打ち付け、痙攣するように震えるそこに、ライアーの三日月の無数の刃が襲う。
「うわぁ、えげつなー。さすが悪魔だわぁ」
熟柿にも似た、顔をしかめたくなるような臭いの粘液をまき散らしながら、触手が1本、2本と切り落とされた。
本気なのかどうか。少し引いたような表情を見せた千歳だったが、突破口の開いた隙を見逃さず、サーバントの体内へと飛び込んだ。後にライアーが続く。
「お前の相手は私たちがしてやるぞ!」
と、ストレイシオンを従えた楓奈。そして史とがサーバントの注意を引くべく、叫ぶ。
「堅い甲羅が自慢のようだけど。こういうのはどうだ?」
蛇の幻影が、サーバントの尾の付け根に食らいつく。さらに、楓奈の召喚獣が雷撃を放つ。
「うまくやってくれよ……!」
内部は、ちょっとした住宅ほどの広さをもった空間が広がっていた。
「壁」に手をつく気にはなれない。足下も……「子猫に体重をかけて踏み込んだなら」こんな感じになるだろうという、不快な柔らかさをしていた。もちろん、そんなことをしたことはない。
……く……ぅ……。
奥から苦しげな吐息が聞こえてくる。
「よし、まだ生きてるな。しっかりしろ!」
ライアーが駆け寄ろうとするが、天使の身体は……「口」を覆っていたよりは幾分細い……触手で絡め取られていた。首もとまで巻き付いた触手はわずかに呼吸をする隙間を、おそらく偶然に残しているのみだ。
彼女が身につけていた服もボロボロでわずかな繊維の集まりに過ぎず、白かったはずの肌は火傷のように赤くなっていた。
「二人っきりのところ悪いっすけどー。返してもらうっすよ!」
千歳が構えたのは漆黒の大鎌。大きく振りかぶる事までは出来ないが、「ふッ!」と鋭い呼吸とともに肉壁へと食い込ませる。
血しぶき……とも違う体液が飛び散り、同時に触手の群れが、怒りを感じたかのように猛然とふたりに襲いかかってきた。千歳は再び大鎌を振るい、それを切り落とす。
「避けろッ!」
返り血などは厭わない……のだが、縛めの解けた天使の身体を抱き留めたライアーが、鋭く叫ぶ。
彼の周囲を冷気が包み、飛び散った体液も凍り付く。それでもいくらかはふたりに降りかかり、その痛みに思わず傷を押さえる。
なるほど、これが先の撃退士たちが重傷を負った理由か。無理もない。触手の表面もだが、体液はそれ以上に有害な成分で出来ているらしい。
ある程度は凍結させることで防ぐことは出来る。しかしそれも完全にではないし、なにより救出した天使の安全もある。ライアーはレインコートを彼女にかけ、抱き上げた。
「あぁ、もう!」
その身長を遙かに超える大きさのライフルを構えたソフィアが、頭を振る。
銃弾は確実にサーバントに命中しているのだが、甲羅に命中したそれは、まだまだ有効打になっているようには思えない。
「あれだけ的は大きいのに……もっとよく狙わないと」
思いのほか動作が機敏で、甲羅以外のところが狙いにくいのだ。
そのとき、サーバントの動きが今まで以上に活発になった。そう、まるで「怒り」を感じているかのように。
理由は明白、体内から千歳たちが飛び出そうとしていた。
しかし「口」の、さきほど触手を切り落として隙間になっていた部分から、新たに触手が飛び出したではないか!
「危ねぇッ! 鬱陶しいんだ、止まってやがれッ!」
武が刀印を切ると、砂塵が舞い上がる。致命傷を与えるには遠かったが、サーバントの動きがピタリと止まる。
「やったぜ!」
さらに武は、大胆にも甲羅の上に駆け上がり、そこで結界を張った。これで、もし体液を浴びても傷は浅く済むだろう。
「はやく、こっちに!」
その間に千歳たちは体外へと脱出し、大きな鞄を抱えた華愛が彼らを呼び寄せた。
「ひどい傷なのです……」
華愛が絶句するのも無理はない。染み出た粘液は徐々に徐々に天使の肌をむしばみ、その皮膚を傷つけていた。普通の人間ならば、とっくに息絶えていただろう。
少しさわっただけで皮膚が剥がれてしまいそうだ。華愛は慎重に、布で粘液を拭き取っていく。
「華愛さん、これも」
と、翠月がミネラルウォーターを放ってよこした。口元に持って行ってわずかに含ませると、こくり、と喉が動きホッと胸をなで下ろす。
だが、安心は出来ない。なんといっても、サーバントが狙っているのはこちらなのだ。
「シーさん、お願い!」
ストレイシオンが盾となって攻撃を防ぐ。が、重い一撃に顔をゆがめた。長くは持たない。
「くッ……僕に、うまく使えるかな?」
さすがのヒロッタも表情が険しいが、それでも目つきから弱気を追い出し。放った妖蝶がサーバントを襲う。
反撃が返ってきた。長い尾がしなり、轟音とともに大地を打つ。まともに食らえばひとたまりもあるまい。それは避け得たが、飛び散った石がこめかみに当たり、血が流れ落ちる。眩暈がしたが、踏ん張る。
傷ついたヒロッタは天使を抱え、華愛とともに後退した。
「これでもう、遠慮はいらないな。真っ向勝負といこうじゃないか」
と、ライアーが不敵に笑う。触手が襲い、その何本かはライアーを傷つけたが、お返しに数発の拳を打ち返した。しかしどうやら、「口」の触手をいくら傷つけても致命傷にはなりそうにない。
「体内からが無理なら、やはり胴体か。一転突破ならどうだ! アヤ!」
狙いを定めていた楓奈に向かって、触手が襲いかかる。
しかし、触手にボコッと穴が空き、体液を撒き散らしながらちぎれ落ちた。
「やった、今度こそ命中!」
ソフィアの銃弾だ。
「任せて、楓」
楓奈の召喚獣がサーバントの背に雷撃を命中させると、呼応した史も、同じ場所へ命中させた。
すでに、何度かの攻撃が命中している。今度は甲羅が爆ぜ、ひびが入った。
一度ひびが入ってしまえば、脆いものだ。撃退士たちがそこを狙うたび、ひびは確実に大きくなり、流れ出る体液の量も増えていく。
やがて……巨大な亀は大地に伏し、動きを止めた。
虚しく長い時間が、ここで終わったのだ。
数日後。
学内を歩いていた翠月は、後ろから呼び止める声に振り返った。
「このあいだは、どうもありがとう」
声の主は先日の天使だった。彼女は律儀にミネラルウォーターの代金を手渡すと、「じゃあね」と言って去っていった。短くなってしまった金髪だが、陽光に美しく輝いていた。
退院したばかりで、松葉杖をついてはいるが。もう、心配はなさそうだった。
「……寂しい、とかあるんすかねー。やっぱり」
たまたま一緒にいた千歳が、後ろ姿を見てぽつりと呟いた。