「わぁ〜、気持ちいい風が吹いてるのッ☆」
窓を開けたユウ・ターナー(
jb5471)が、身を乗り出して歓声を上げる。
あれほど厳しかった暑さも、ひと雨来た途端に急に和らぎ、山間には涼やかな風が吹いていた。
一行は二手に分かれて車に乗り、捜索を行っていた。一方は川の上流から、もう一方は下流からである。
ハンドルを握るフローラ・シュトリエ(
jb1440)はちらりと窓の方に目をやったが、すぐに前方に向き直る。
「風は気持ちいいわね。……すごい道だけど」
運転する方は気が抜けない。道幅は狭く、センターラインもない。対向車と行き違えるだけの道幅があればいい方で、そんな道がうねうねと曲がりつつ続いていた。川に沿っているせいだ。スピードは出していない。出せないからだが、
「カーブの先が見えないわね。ミラーもなかったり、汚れててよく見えなかったりするし」
聞きしにまさる田舎道だ。
「道は封鎖しているんでしょう? 対向車なんて来ないですよ」
カシュッ、と後部座席から音がした。新井司(
ja6034)はそう言ってフローラの緊張を和らげつつ、トマトジュースに口を付ける。
「それもそうね」
「気を抜きすぎないでくれよ」
と、グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)が笑う。いつ、敵が狙いをこちらに定めて襲いかかってくるかわからないのだ。
『そう考えると、怖いですよねぇ』
電話越しに、睦月 芽楼(
jb3773)のため息が聞こえた。襲われた行楽客にとっては、降ってわいた災難だったであろう。
『そろそろ偵察に出た方がいいかもしれないです』
電話の向こうの芽楼が、天を仰いだようだ。
「そうだね」
それに頷いたグラルスが、わずかに顔をしかめてヘッドセットをはずす。またしても電話が切れてしまった。
山の陰にはいるせいか、たびたび通話がとぎれる。キャリアによっては、なかなか通話可能な地点がない。さすがに、こんなところにはアンテナも少ないらしい。
「山の中だからな。それも仕方がない」
携帯電話の画面を見返して「あら、切れてしまいました」と呟く芽楼をよそに、鴉乃宮 歌音(
ja0427)はさして気にする様子もなく、座席に体を埋めていた。
「まったく連絡が取れないのは困るが、 常時交信している必要もないだろう」
敵発見の報をやりとりできれば、それで十分だ。
そう言って、身をよじって後方をみやる。
すると水葉さくら(
ja9860)が運転席から、とがめるように声を上げた。座席をいっぱいに上に、前に動かしている。そうでないと、前がよく見えない。
「あの……! シ、シートベルトしてないと危ないですよ」
「そんなことを言っている事態じゃないと思うんだが……」
苦笑いしつつも、とりあえずベルトをしめる。
「もしかしたらお馬さんとかけっこになって、かなりスピードを出すかもしれませんし」
お馬さんは足が多いからずるい、ですよね。
と、なにやらずれたことを呟く。
「馬ねぇ……」
後部座席にふんぞり返っていた独思慕 蠱惑(
jb5356)が、「ふー」と息を吐いた。
「馬は美味い……か。存分に食べさせてもらおうかね」
「た、食べるんですか……? 本当に?」
「さぁね」
ふふッ、と蠱惑は鼻を鳴らす。
ザァザァと川の流れる音に混じって、チチチ、と小鳥の鳴き声が聞こえた。
「あれは……!」
フローラが鋭い声を上げ、前方を指さす。いくつかのカーブの先に、何者かの姿が見えたのだ。馬に乗った人間のような姿は、探し求めるサーバントにほかならない。それが、1体。
グラルスがその姿を認めるかどうかのうちに、その姿は見えなくなった。はじめ、それはこちらに背を向けていたように思える。
「すると……狙いはこちらではないのか?」
いやな予感がしたグラルスは、フローラを促して先を急ぐ。
すると、どうだ。少し進むとわずかながら開けたところに出た。狭いながらも何枚かの田圃が広がり、また左手には小さな橋がかかっていた。
その向こうから1台のミニバンが、左右のミラーのない奇妙な姿で走ってくるではないか。しかも、山肌にぶつかりそうになる猛烈なスピードで!
追われている!
司はまだ動いている車から、ドアを開ける間ももどかしく飛び出した。
橋の袂に人馬の怪物の姿が見える。それは悠然と矢をつがえると、車の運転席に狙いを定める。
しかし、怪物は矢を放たない。運転手は目を見開いたまま急ハンドルを切ると、怪物のいない方向へ曲がろうとした。その拍子にスリップした後部を標識にひっかけ、大きな音を立ててタイヤが裂ける。
「さては、あれが次兄だな。まずい、奴がこちらにいたと言うことは、あのミニバンの逃げる方に……!」
そのときだ。別班の芽楼からの呼び出しが鳴った。
『よかった、つながりました……!』
かと思えば、電話の向こうの声はさくらだ。ノイズに負けぬよう、グラルスは叫ぶ。
「敵を発見。それと、一般車両がいる!」
さくらが息をのんだ。一拍おいて、必死の声で訴える。
『こちらに一般車両がこないようにしてくださいッ! こっちの道に1体、大型の敵がいるみたいです!』
少し前。車を走らせている途中で、芽楼は翼をひろげ空からの捜索を開始したのだった。
探すと言っても、さほど悩むことはない。どうせほとんど道は一本道。さくらの運転する車に先行するように、様子をうかがってくればよいだけである。
「でも、けっこう道まで枝が張りだしていますね。まるで、緑のトンネルみたい」
走っているときにも感じていたが、そのせいで思いの外、日差しを浴びずに済むのである。風をことさら涼しく感じるのもそのせいだ。
しかしそれも、上空から見下ろすとなると邪魔になる。道路が隠れてしまっているところも多い。それに負けず偵察すること、しばし。
いた。
それは道を塞ぐような巨体を有し、地を踏みしめて立っていた。大きく肩を回し、天を仰いた。
「いました。たぶんあれが……長兄ではないでしょうか」
携帯電話を取り出し、ひとまず下の歌音に連絡を入れる。
「向こうも、こちらに気づいたと思います。動きが見え次第、続報を……」
そう言って、わずかに高度を下げたときだ。
目があった。
人馬の怪物は電光の速さで腕を大きく振った。そこにはいつのまにか弓があり、次の瞬間には、芽楼に向けて矢は放たれていた。
「きゃぁッ!」
剛矢一閃。不意をつかれた芽楼は身をよじり、かろうじて射抜かれることを免れる。しかし大きく体勢を崩し、落下していったのだった。
「大丈夫か!」
『……ぎりぎりで立て直しましたから。お尻を打っただけで、なんとか』
電話の向こうでがさごそと音がして、今度こそ芽楼が電話に出てきた。どうやら心配はなさそうだ。
ともあれ、これで敵の所在は分かった。
合流を待ちたかったが、仕方がない。グラルスも司の後を追って車から飛び出す。
「今度はそっちが狩られる番よ!」
司は拳を握りしめ、その拳から衝撃波を放つ。
「ぬぅッ?」
不意をついた一撃だったが、痛打とはいかなかったようだ。それでも司は怯むことなく間合いを詰めると、今度は拳そのものを叩き付けた。次兄は弓を持ち上げ、それを受け流す。
「人間、貴様さては撃退士か」
「だったらどうだと?」
わずかだけ背後に気を回し、パンクしたミニバンの乗員に大きな怪我がなさそうなことを確認した司は、次兄と睨み合う。
「止めておく! 早くここから立ち去りなさい!」
必ず、彼らを守る。それが、自分の進むべき理想への一歩であるから。
「そっちに行っちゃ駄目! 怪物がいるわよ」
その間にフローラがミニバンを誘導した。若者は慌ててハンドルを逆に切り、フローラが導くまま、撃退士たちがやってきた方へと車を走らせる。パンクしたタイヤはガタガタと車体を揺さぶるが、学生はホッとした顔つきでこの場を去る。
「邪魔ヲスルナッ!」
ミニバンが走ってきた道から現れたもう1匹の怪物が髪を逆立て、怒声を放つ。
「楽しい旅行のお邪魔は、そっちだもん!」
ユウは頬を膨らませつつ、弓弦を引き絞った。末弟は蹄を鳴らして素早く飛び下がるが、肩口に、浅くではあるが矢が突き立つ。
ユウは黒い翼を広げて舞い上がると、再び弓を構える。
しかし末弟は怯むどころかいっそう怒りを露わにして、
「汚ラシイ悪魔メ、射落トシテクレヨウ!」
叫ぶや、一の矢、二の矢と立て続けに空へと放った。
一の矢を避けるのが精一杯、よくぞ避けたというほどで、二の矢が太股に突き立つ。悲鳴を上げたユウは着地し、片膝をついた。
「黒玉の渦よ、すべてを呑み込めッ!」
投げ縄をユウに向かって放とうとした末弟を指さして、グラルスが鋭く叫ぶ。するとにわかに巻き起こった旋風が末弟を押し包んだ。その成果を確認する前に、ユウに駆け寄る。
「だいじょぶ、平気だよ☆ 血は出てるけど……ちょっと痛いだけ。まだぜんぜん動けるから!」
と、ユウは気丈にも立ち上がって応戦した。ユウの矢が末弟の腰に刺さる。
「ち……鬱陶しい奴らめ」
司の拳を受け止めた次兄は助走もつけずに大きく飛び下がると、頭を押さえてフラフラとたたずむ末弟の手を取り、
「退くぞ」
と、促す。末弟は歯茎を剥き出しにしていやらしく笑うと、駆けだした。
「あッ、待ちなさい! ……みんな、乗って!」
話に聞くとおり、人馬はすさまじい速さで川に沿った道を駆けていく。フローラは仲間たちを促し、アクセルを踏み込んだ。
「くくく、兄者の強弓にかかれば、撃退士など一網打尽よ」
うねうねと曲がりくねった道の先で。巨体の長兄が道を塞いでいた。筋肉を限界まで盛り上げて弓を引き、カーブの向こうから現れたフローラの車を待ちかまえていたのだ!
もはや避けられない! 腹をくくったフローラは、少しでも相手との距離を詰めるべく逆に加速する。
しかし、そこに人馬の背後から現れたのが、さくらの運転する車である。
「さぁて……囲まれたのはそっちの方だったねぇ。飛んで巣にいる馬鹿な馬、と」
蠱惑は酷薄な笑みを浮かべ、ちろりと舌を出して唇を舐めた。
急ブレーキをかけて車体が止まると、飛び出した歌音がボンネットに肘をついて銃を構える。
「……これで3匹揃ったな。むしろ、こちらにとって好都合だ」
まだ距離はある。しかし彼方まで見通す目をわずかに細め、引き金を引く。
狙いは過たず、銃弾は強弓を引き絞る長兄の腕を貫き、その矢の狙いは大きくはずれ、岩肌に突き刺さった。
こちらの存在に気づいた次兄が、矢を放つ。長兄ほどではないが、勁矢が風を切って襲い来る。
「あぶないッ!」
さくらの姿が瞬時に変化して、その背から小さな岩が……翼の形をした岩が生まれた。構えた陽光を受けた大剣は黄色く輝き、それを盾として、さくらは矢をはじき返す。
その間に、歌音はふたたび銃弾を放つ。先ほどは緊急のため長兄を狙ったが、奴らの頭脳となっているのは次兄である。次兄の、それも動きを封じるため前肢を狙う。
急所に命中することはかなわなかったが、それでも次兄の身体から血しぶきとも違う、汚らしい液体が噴き出した。
「狩りの時間は、ここまでとさせてもらうわよ」
車から飛び出したフローラが術を放つと、砂塵が舞い上がる。
立て続けに攻撃を受け、次兄はたまらず膝をついた。
怒りの声を上げる末弟の前に、芽楼が立ちはだかった。構えた大鎌は末弟の投げ縄に絡め取られてしまったが、しばし、押し合い引き合い睨み合う。
「小童ガッ!」
「くぅッ……!」
ガァン、という金属音が鳴り、一同の注意がそちらに向けられた。ガードレールで背を打ち、苦悶の声を上げたのは、さくらだ。長兄の蹴りを受け、小さな身体が宙に舞った。まともに喰らったわけではなく、しっかりと防御することは出来たものの、それでも身体は吹き飛ばされた。
恐るべき強さであるが、しかし戦いの全体を見渡せば、撃退士たちは徐々にサーバントどもを押し始めていた。なにより、その速さを封じ込めているのである。
その状況に苛立ったのか、末弟が雄叫びを上げて駆け出す。ほかの2匹もそれに続いた。グラルスが召喚した無数の腕をかいくぐり、さくらの停めた車を飛び越え、末弟は真後ろを振り向いて矢を放つ。
いや、放とうとした。
「ふふふ、蜘蛛ってのはねぇ……ジッと動かず、獲物を待ち受けるのさ」
末弟の足もとから蜘蛛の巣のごとき魔法陣が浮かび上がり、そこから無数の蜘蛛が這い出てくる。それは人馬の足を這い回っていたが、次の瞬間。
轟音をあげて爆ぜた。
傍らにいた芽楼まで爆風に身を固くしたが、蠱惑は知らぬ顔で車から這いだし、
「蜘蛛が、獲物を逃すはずがないだろう?」
と、体液をまき散らして喚く末弟に、まさしく蠱惑的な笑みを向けた。
「おのれぃ、よくも……」
「あなたの知略というのも、たかが知れていましたね」
芽楼が冷たく言い放つと、舞い散った色とりどりの炎がサーバントどもの身体を焼く。蠱惑の前髪が熱風にあおられ、彼女は口の端をわずかに上げた。
弟たちが倒れた後も、長兄は撃退士たちの前に仁王立ちとなり、撃退士を苦しめた。
撃退士たちは相手の狙いが定まらぬよう、入れ替わり立ち替わり牽制するが、長兄はそれに応戦する。手数こそ撃退士たちよりは少ないが、放たれる矢の威力はすさまじい。彼らの背後に生える杉の幹をへし折るほどである。わずかでもかすれば、ひとたまりもない。
右に左にと飛びながら矢を放つユウの、わずか10センチほど左を貫いていき、
「す、すごい威力ですね☆」
ユウは無理のある笑顔を作った。
サーバントは全身から流れた体液が足下に池を作っても、まだ倒れない。
「だけど……目の前の相手を忘れては駄目よ。ずいぶん、余裕があるのね!」
司が人馬の懐に飛び込む。
全力を込め、巨体を吹き飛ばさんとする気迫で放った一撃で、相手は一拍、動きを止めた。
撃退士たちには、そのわずかな隙さえあれば十分だった。
「気をつけろ。油断が命取りになるぞ」
銃を構えたまま、歌音がゆっくりと死体に近づく。サーバントどもの肉体がまったく蠢かなくなるまで、彼は油断しなかった。
「狡猾な相手だからね。……でも、さすがにもう大丈夫じゃないかな」
グラルスの言葉に頷き、歌音はやっと銃をおろす。
そのとき、全員の携帯電話が一斉に呼び出し音を鳴らした。
『事件について続報です。集落らしきものを発見、学園はすでに討伐の撃退士を向かわせました』
「大変。もしかしたら、そっちにさらわれた人がいるんじゃないかしら」
フローラはそう言って捜索に意欲を出したが、
「やめておきましょう。こちらも疲弊しているもの」
と、司は取りだした大きめの絆創膏をフローラの肘にも貼ってやりながら、頭を振った。
彼らは無事、人々を襲撃する無慈悲な狩人どもを滅ぼしたのだ。
仲間たちの健闘を祈りつつ、一行は現場を後にしたのだった。