日が落ちるのもすっかり早くなった。瀬戸内海を赤く染めて夕日が沈むと、辺りには夜のとばりが降りる。
それとともに、この島にも静寂が訪れる……はずなのだが。
「待てぃ、このぉぉぉぉぉぉぉッ!」
「ひえぇ〜ッ!」
「むぁ、てぇぇぇぇぇぇいッ!」
「うひょ〜ッ!」
実際は、いくら何でもそこまでではないはずなのだが。『迫力として』は島中に響き渡るような怒号と、そして島を揺さぶるような地を蹴る足音を立てて、道無き道を走る数人の人影。
先頭を行く小さな人影は御供 瞳(
jb6018)。素っ頓狂な悲鳴をあげる彼女を追いかける屈強な男ども……いや、待て。よく見れば胸部が盛り上がっているような気がするところを見ると、この堂々たる体躯をしている者どもの性別も女性であるのか。
ともあれ、数人の『女性』が、瞳を追いかけ回していた。
肉薄する女の姿こそ、あれぞまさしく『瀬戸内の超弩級戦艦』! あの巨体でありながら、なんというスピード! なんというスタミナ!
「撃退士仲間と考えたら、頼もしいんだがねぇ」
島に潜入した瞳は大きな真っ白のシーツをかぶり、まさしく「オバケ」の格好でうろつくと、見つけた女子の前に飛び出して両手をあげて、
「ももんがぁ〜」
ところがその女子ときたら、「きゃあ」と可愛く悲鳴を上げるでなく、一歩飛び下がったと思えば、次の瞬間には「でぇいッ!」と雄叫びを上げて正拳突き。頬をかすめ、危うく尻餅をつきそうになったのは瞳の方で、シーツを放り投げると一目散に逃げ出した。
「頼もしすぎるのも、考えもんだべ」
「回り込め!」
「追いつめろ!」
オラァ、ここまでされるほど悪いこと、してるべかぁ?
山狩りされてる気分だ。冷や汗をたらしながら走る瞳が、周囲を見渡す。気がつけば、何人かに回り込まれて囲まれている。
身を隠したいところだが、かすかな月明かりだけでは『蜃気楼』の発動は難しい。
「Oh!MOUREETU!!だっちゃ!」
叫ぶや、突風が追っ手たちを襲い、中にはバランスを崩して尻餅をつく者もいた。
その隙に足下に磁場を形成し、加速して逃れようとする。
だが、それでも。
「逃がさないよッ!」
超弩級戦艦はなおも諦めず、瞳に向かって野球のグローブのようにごつい手を伸ばしてきた。
時間は戻る。
船を出してもらった一行は、舳先に立って海原に視線を送る。
それはプロジェクトリーダーたる山部清司郎が送り込んだ、精鋭たちだ。
「でもあの人、『志を同じくする者』なんて言ってたけど……それで、この人選はないんじゃないの?」
それだと私まで同類になるじゃない、と稲葉 奈津(
jb5860)はゆるくウェーブのかかった髪を指に巻き付け、唇をとがらせた。
なにせ集まった面子は女子生徒だらけ。よくもこの面子を前に堂々とあんな演説が出来たものだと、むしろ感心する。
たったひとりの男性というのがマクセル・オールウェル(
jb2672)なのだが、何を思ったのか、筋骨隆々、赤銅色の肉体を女子の制服に押し込んでいる。布地の伸縮性はもはや限界、本来の目的とは異なった方向性で耐久性をテストされていた。
「酒井殿、かたじけない。なにやら我が輩だけ浮いているような気がしたのだが……これなら大丈夫だ」
「はは、思いのほか似合ってる。なに、相手には規格外の『瀬戸内の超弩級戦艦』もいるんだ。上手く紛れられるのではないか?」
と、酒井・瑞樹(
ja0375)は頷いた。はたしてそうなのだろうか?
ともあれ、『物資』に目を向けたときの、あまりの肌色の割合の多さに、
「困ってしまいますね」
と、樒 和紗(
jb6970)は眉を八の字に曲げ、照れくさそうに笑う。
「まったく、なんてものを用意させるのよ……」
件の『肌色本』とやらがよく分からなかった奈津は、書店に赴き、店員にその旨を尋ねたのである。幸いなのか不幸なのか、そこは一般の書店より『そちら』に力を入れている店で、店員のお薦めで見繕ってもらったのだ。
気づいたのは、手元に渡されたときだった。いまさらいらないとは言えなかったのだ。
あああ! あのときの店員、なんて思ってただろう! 死にたい!
そして男子学生どもめ、ぶん殴ってやりたい!
「こ、困っちゃうよね」
顔を赤くしてはにかみながら、猫野・宮子(
ja0024)も自分の持ってきた肌色本を差し出した。
「ボク、よくわからなかったんだけど……。親切な通りすがりの人がいて、『キミにはコレがオススメだ!』とかいって渡してくれたんだけど……」
「誰よそれ! ぜったい危ないって、それ!」
「うん、まさかボクが本当に魔法少女だとは気づかなかったと思うけど。渡してくれたのも、魔法少女ものみたい。中身読んではないけど」
「そういう意味で言ったんじゃないし、中身も読まなくていいし」
「肌色本とは、そういう物だったんだべな。ビニ本なら知ってだだよ」
と、瞳。
「なんで知ってんのよ」
「まぁ、男の子だもの。仕方がないわよ」
藍 星露(
ja5127)がそう言って肩をすくめる。
年下のはずなのにずいぶん余裕があるなと、奈津は思った。なんだか妙になまめかしい。
「うぅむ。我が輩は異性を性的な意味でとらえたことがないので、『厳選』と言われても困ってしまったのだが……こんなもので良いのだろうか」
マクセルが腕組みをして首をかしげた。売れ筋から適当に取ってきたのだ。
「よく見ると、描かれているのは少女ではなく少年のようだ。もしかしたら女性向けを持ってきてしまったのではないか?」
「いや。日本人は未来に生きてるから、大丈夫」
なんだかよく分からないことを言いつつ、秋桜(
jb4208)は甲板にうつぶせになるように顔を近づけて、『物資』の値踏みをしていた。
「ふふふ、さすがはエロマイスター清司郎氏。一度は敵味方でも、心の中ではナカーマと思っていたけれど……ここで共闘することになるとは」
ぶつぶつ呟く秋桜の方を見て、奈津はため息をついた。秋桜の髪は少し跳ねていて(きっと寝癖だろう)、奈津からすると、ちょっと信じられないものを見た気になる。
「まさか、このような破廉恥な依頼を受けることになるとは……!」
肌色本から目をそらすように瑞樹は天を仰ぎ、
「しかし、それでも武士は、約を違えてはならん! 困っている者を見捨ててはおけんのだ」
と、己に言い聞かせた。
「ひぃ〜ッ!」
「頑張ってください……!」
「すまん。瞳君の志、無駄にはせんぞ」
和紗と瑞樹が、悲鳴を上げて逃げ回る瞳の様子を、高台から見守っていた。
「そんな、死んでるんじゃないんだから」
瞳を囮としている間に、一行は合宿所へと向かっていた。彼女らふたりは明るいうちに島の東側、港から上陸し、山道を通って。
そして宮子は水着に着替え、普段の様子からは一転。
「魔法少女マジカル♪みゃーこ出陣にゃ♪」
という、彼女にはお決まりの決め台詞とともに、船から飛び降りる。その身体は水中に没することなく、地面と変わらぬ確かさで水面を踏みしめていく。
船の停泊できない岸壁に近づいた宮子は、力強く水面を蹴ると、今度はほぼ垂直にそびえる3メートルほどの岩壁を駆け上っていった。
「にゃにゃにゃにゃにゃ〜ッ♪」
「では、任務遂行といくのだぜ。『秋桜、舞い忍びます!』」
「うむ、行くのである!」
けだるそうに立ち上がった秋桜が、ゲームか何かの決め台詞を言うときだけピシィッとメリハリのあるポーズを見せ、背中の翼を広げると飛び上がった。
マクセルの方は身体が一回り大きく見えるほどに全身の筋肉を盛り上がらせてポーズを取ると、同じく空へ舞い上がる。
「こういうときは、便利でいいかも」
星露は長い髪をまとめながら、ふたりを見送った。着替えた後にも羽織っていた上着はすでに脱ぎ捨て、水着姿だ。指輪がついた、首からさげたチェーンを胸元に押し込み、浮き輪を手に静かに水に入る。浮き輪には濡れないように何重にも密封した『物資』。それを引っ張りながらすいすいと星露は泳いで、合宿所を目の前にした海岸へと向かう。
浜辺にたどり着いた星露は鼻から上だけ水面から出し、陸地の様子をうかがった。合宿所が目の前なのはいいが、そちらから浜辺がよく見えるのはいただけない。
もう少し様子を見る必要がありそうだ。
和紗と瑞樹も、慎重に事を進めていた。周囲の気配をうかがいつつ、一歩一歩進む。状況をもっともつかんでいるのは彼女らであろう。瞳を追っていったのはおそらく4、5人程度。全員で徹夜のはずもないから、かなり手薄になっているはずである。
和紗がその旨、連絡を送る。全員、携帯電話は着信音はおろかバイブまで切っているに違いないから即時の連絡は付かないこともあるだろうが、皆、上手くやっているはずだ。
合宿所が見下ろせるところまでやってきた。しゃがみ込んで繁みの隙間から様子をうかがう。先日の戦いで受けた傷が痛み、瑞樹は顔をしかめた。
女子学生の目を避けるように、秋桜が屋根に降り立つ。
「さて、ターゲットはどこかな……」
細かく打ち合わせが出来ていればよかったのだが、依頼があって以降、彼らとは連絡が付かないのである。携帯電話は没収されたかしたらしい。
「行けばわかるか」
屋根の上からこっそり下をのぞくと、見張りの女子が歩いていた。首をすくめ、ちょうど見えた和紗に向かって合図を送る。
和紗も秋桜に気づいた。向きを変え、裏口へ上手く向かうと中へと忍び込む。
「筋肉天使のお通りである!」
「な、なんだなんだ?」
「こんな夜中にまで特訓とか、勘弁してくれー!」
壁を透過して現れたマクセルの姿に、男たちは慌てふためく。昼間の特訓で疲れ果てた男どもが放つすさまじいイビキは、その部屋を容易に特定させたのである。
「しぃッ! 静かに。……山部さんからだ」
瑞樹は男子学生の口を押さえ、ささやくように言った。
「マジカル♪みゃーこが、みんなにお届け物なのにゃー!」
宮子も小声でポーズを取りつつ、部屋に入ってくる。
「確かにあの女どもじゃない。『瀬戸内の超弩級戦艦』でも『豊後水道の航空戦艦』でも、『伊予灘の重雷装艦』でもない! 本物の女の子だ!」
「……そんな物騒な異名の女子ばかりなのですか?」
ともかく和紗は包みを渡し、受け取った男子学生は微妙な顔でこちらをうかがいつつ封を開いた。そりゃあそうだ、女子から受け取るような物ではない。
「着物……?」
「そうですとも! この、はだけた着物、この上なく色っぽいとは思いませんか?」
ずずい、と身を乗り出す和紗。それに「うん」と頷いて共に熱く語り合えるほど、この男どもの根性はすわっていない。あるいは、まだまともだった。清司郎じゃあるまいし。
「おや? こんな本、荷物にあったかな」
秋桜が1冊の文庫本を取り上げた。持ち込む予定の本はすべて、すみずみまでしっかり熟読したうえで電子化したはずなのだが。この小説には見覚えがない。
「ふむ。これはまた、だだ甘にエロス」
ページをめくりながら呟くと、瑞樹が大きく反応した。
「ど、どこを読んだらそうなるのだ! 単なる欲望ではない。褥で甘く愛を囁きながらという、正しい恋愛観が大切だと、彼らに伝えたくて……!」
「熟読済み? 愛読書?」
「ち、ちが、違う、けっして、私のお薦めとかではなく……!」
語るに落ちた。
そうしてひそひそと言葉を交わしていると突然、
「全員、起きろーッ!」
と、外から窓ガラスが揺れるほどの大音声が呼ばわった。
「ちょっと、まずいよ!」
2階から奈津が駆け下りてきた。彼女は女子部屋の様子をうかがっていたのだ。
なにかつけ込む『軟弱な』弱みでもないかと探っていたのだが……なんというか、女子の華やかさには大いに欠けると言わざるを得ない状態だった。
「特訓命かぁ……苦手だな、こういう体育会系って」
天敵のような物である。
大声が轟いたのはその時であった。慌てて窓から様子をうかがってみると、奮戦むなしくついに逃れきれなかった瞳が、猫の子よろしく首根っこを掴まれ、ぶーらぶーらと揺れていた。
「すまねぇべ、限界だったべ」
さすがに、少女相手に手荒なことはしていない様子だったが。
超弩級戦艦はドスドスと足音を立て、合宿所に入ってくる。2階からも外からも、重量級の足音が近づいてくる。
どうしたものか。役目は終えたのだし、あとはこの場を立ち去るだけだ。
ところが悲嘆に暮れる男子学生たちに向かって星露がなんと、
「大丈夫、肌色本はまだ残っているわ」
と、言ったのだ。
「残り半分だけだけど、海岸に隠してあるから。さぁ。手に入れるためには、彼女らと戦って勝ち取りましょう!」
男たちの反応は鈍い。だってそうじゃない。あんな連合艦隊みたいな連中と戦えるもんかい。そこで星露はもう一押し。
「勇気を出してくれる人になら、おっぱいくらい揉まれたっていいんだけどなー?」
それには男どもも反応せざるを得ない。全員が「くわッ」と振り向いて、思わず星露は半歩退く。
「お嬢さん……自分を安売りしちゃあいけないゼ☆」
とか1人は言いつつ、上着……なんて着てないから、寝間着代わりのランニングシャツを星露の肩にふわり。
「はぁ」
「だが、その心意気はありがたく受け取るッ! いくぞ、みんなぁッ!」
「おうッ!」
拳を振り上げるや、男どもは叫びながら女子どもの方へと突進していった。
気合いははいったものの、実力差はいかんともしがたい。襟元を掴まれひょいひょいぽーんと、面白いように投げられ転がされ叩き付けられる。
「さ、今のうちに」
「あんた、悪魔だよ」
星露を見て、奈津は頭を振った。
圧倒的ではあったものの、突然の反撃に女子たちも少しは慌てたようだ。
その隙に瞳は逃げだす事に成功……というより、捕らえていた本人が、男どもを投げ飛ばす方に熱心だったからだが。
一部の女子は一行を捕らえようと追ってきたが。
奈津が「ほら、イケメンだよ、軟弱なここの連中とは違うでしょ!」と、清司郎の写った写真を投げると、1人が脱落した。
秋桜が「BLの嫌いな女子なんていませんッ!」と『男性同士の薄い本』をまくと、1人が立ち止まった。
そしてマクセルが筋骨隆々のボディビルポージング写真集を開くと、3人が夢中になった。
「うむ、我が輩が撃墜王だな」
そうして一行は、なんとか島を脱出する。
男たちはさんざんに撃破され、肌色本はすべて没収。隠し場所まですべて自白させられた。そして昨夜の戦いの傷も癒えぬうち、それまで以上の特訓でしごきにしごかれた。
それでも、男たちは昨日までとは違う。
「出会えた」時間はわずかに十数分。それでも、肌色本はこんなにも俺たちを勇気づけてくれた!
ありがとう、肌色本! ありがとう、プロジェクトIOのみんな!
君たちの勇姿を、俺たちは永遠に忘れない!