「うえぇ〜」
「もう、泣かないでよ!」
ナナがぐずる妹の手を引き、路地を駆ける。そうは言うが、泣きたいのはナナだって同じだ。
涼しい海風も、それが木々を揺らすサラサラという音も、すべて生まれ育った島の光景だというのに。今は、すべてが怪物の出現を疑う物音でしかない。
ガタンッ!
「きゃあッ?」
「わ、悪い。鉢植え蹴っちまった……」
先頭を行くヤマトが、ばつが悪そうに振り向く。
「お、脅かさないでよ……」
子供たちは吐く息の音さえ恐れるように、路地を進んだ。
2艘のボートが船から降ろされる。それに乗り移った撃退士たちは島の方に視線を巡らせたのち、船の乗組員に頷いた。船はゆっくりと島から遠ざかっていく。
2艘もしばらくは舳先を並べて進んでいたが、やがて別れて、それぞれの方向へと離れていく。
「やれやれ。あっちの方に加わりたかったんですけどねぇ〜」
落月 咲(
jb3943)は船縁から海に手を差しのばしながら、退屈そうに呟いた。
敵の数が多い。今回、撃退士たちは島を陥れたとおぼしきヴァニタスの掃討をする組と、救助を求めてきた子供たちを捜索する組とに別れている。このボートに乗り込むのは後者だ。
「子供たちを守るのも、自分たちが動くには十分すぎる理由だよ。急ごう!」
と、キイ・ローランド(
jb5908)がたしなめる。オールを持つ手に力を込め、小さな身体でも全力で船を漕ぐ。
「ですかねぇ」
退屈な依頼だ、とまでは咲は言わなかったが。にへら、と感情のこもらぬ笑みを作って、あとは目を閉じた。
「ま、俺たちは俺たちで、出来ることをしようよ」
「そうね。時間をかけてる余裕もないし」
と、緋野 慎(
ja8541)と冴島 悠騎(
ja0302)は頷きあった。
仲間たちに助力するゆとりのない身としては、仲間たちの健闘は祈るしかない。彼らが苦戦し、失敗するようなことがあれば、自分たちの成功も、さらには帰還も難しくなるだろう。
「なに、あいづらも百戦錬磨の撃退士だっちゃ。きっとうまぐやるっちゃ」
そう言った御供 瞳(
jb6018)が突然立ち上がって、手を振り始めた。なにごとかと思ってそちらを振り返ると、彼方のボートからも巫女装束を着た少女と帽子をかぶった少年のふたりが手を振っていた。
「急に立たないでよ」
桜花(
jb0392)は苦笑しつつ、身体の位置を入れ替えて揺れを治める。
「確認しましょう。俺たちが上陸するのは、島の港から。子供たちが連絡してきた集落にも近いですからね」
クリフ・ロジャーズ(
jb2560)は船の中で決定した方針を、もう一度繰り返す。凪澤 小紅(
ja0266)は頭の中で先ほど見た地図を思い出し、
「そうだな。高台の学校からは少し離れているが……これは好都合と考えるべきなのかな」
もう一班と直接の連携はとれそうにない。が、強敵との遭遇も避けられそうだ。
一行は近づいてくる島に視線を送った。あの島はもう、のどかな漁村ではないのだ。
「じゃあ、あとは頼むね」
ボートから下りた慎はそう言って、島の捜索へと向かう。撃退士たちはここ、港で守りを固める者と、島を捜索する者とに分かれた。ここに居残って偵察を担当する祖父・緋野 煉(
jb4209)に「気張ってこい」と声をかけられた慎は、
「じいちゃん! もう子供じゃないんだぞ!」
言い返しはするものの、同行できたことが嬉しそうである。
「俺は、上から捜索してみましょう」
と、クリフは悪魔の象徴たる翼を広げ、上空に舞い上がった。
「よろしく。しかし、これだけ込み入った集落だと、上から見通せないところも多いだろうな」
小紅は制服のネクタイを締め直しながら、集落へ入っていく。
集落は、海沿いの道こそ車が通れるほどの広さがあるが、そんな道は他にいくらかしかなく、奥に行くとすぐに人が行き違えるのもやっとという路地になってしまう。しかも、島の中央に向かうにしたがって斜面になっている。撃退士たちはさらに別れ、子供たちを探す。
「こんなところを毎日駆け回ってたら、そりゃあ子供たちも元気に育つよねぇ」
と、桜花は長弓の弦を一度鳴らし、見えた路地をのぞき込んだ。
住宅と住宅の隙間、大人は通れないような隙間から小さな頭が現れる。
「……よし、何もいない」
ヤマトは後ろを振り返って頷き、パッと飛び出して道を渡った。子供たちがわらわらと後に続き、最後にナナとその妹が渡る。
「あッ!」
まだ小さい妹の手を引いて走るのは、走りづらそうだ。足がもつれたナナの肩を、路地の入り口で子供たちを迎え入れていたヤマトが支える。
「ありがと」
「おう」
潮の香りが強くなってきた。海まで、もう少しだろうか。かつてこれほど、この島を広く感じたことはなかった。
「手こぎのボートは、私たちのものしかなさそうですね」
「まぁ、これだげ船があれば、どれがぁ動ぐのもあるっちゃよぉ」
港に残った悠騎と瞳は、脱出に備えて船の確保を試みていた。子供は5、6人はいるとのことだから、8人もの撃退士を乗せたボートだけでは少々心許ない。
逃げるつもりならば、子供たちは必ず、港に向かってくるだろう。島の子供だ。中には船を動かした事のある子供もいるかもしれない。そう瞳は予想した。
それならば、島を捜索する一方で港で待ちかまえていれば、行き違いになることはないだろう。
「子供だづんもバカなんかじゃねぇべ……」
郷里を襲った暴風から逃げまどう少年たちの姿は、自身のかつての姿でもある。瞳の神妙な横顔を見て、悠騎は「瞳ちゃん」と名を呼びながら優しく背中をさすった。
さて、一方で。
小紅、慎、桜花の3人は揃って集落を、家の一軒一軒をのぞき込むように捜索していた。
「う〜ん、ここにはいないな」
ときおり慎は電柱の上まで駆け上がって、そこから集落を見下ろす。耳を澄ませてみるが、さすがは海に近いだけはある。風と波、そして木々の揺れる音は思いのほか賑やかだ。
「こんな時でなかったら、気持ちが安らぐ音なのだろうがな……」
ため息をついた小紅だったが、すぐに気を取り直して捜索を続ける。
果たして、どれほどの時間が経っただろうか。
たたた、というかすかな音がした気がして慎が路地を振り返ってみると、ほんの一瞬だけだったが、小さな女の子の靴が、見えた気がした。
「誰かいるの?」
呼びかけたのとほとんど同時に、「わぁぁッ!」という悲鳴が上がる。3人が急いでそちらに駆け出すと、子供たちと、その目の前に……いつの間にここまで近づいたのか……ディアボロが立ちはだかっていた。
「戻れ! 逃げるんだ!」
年かさの少年が子供たちを促し、そばにいた年下の少年の肩をぐいっと押す。
しかし彼らは、振り向いたところに撃退士たちが立っていたことに驚き、足を止めた。
「安心しろ、味方だ! 久遠ヶ原学園の撃退士だ!」
小紅は制服の校章をつまんでみせ、子供たちをかばうように前に出ると、構えた剣を横一線に薙ぎ払った。
「みんな、おねぇさんの後ろに下がってて! 大丈夫、みんな絶対に守るからね」
子供たちのリーダーとおぼしき少年の手を引っ張った桜花は、力一杯その身体を抱きしめた。そして、背中を押して下がらせる。
距離が近い。桜花は長弓を拳銃に持ち替え、2発、3発と銃弾を浴びせた。
ディアボロが身体を震わせる。痛みに耐えているのか、あるいは怒りに震えているのか。そもそも痛覚や感情など存在するのか?
とにかく、怯んだ様子もなくディアボロは左右の腕を長く長く伸ばして、襲いかかってきた。
一方は、「かかってこい!」と名乗りを上げた慎の方に。上体を反らし、ギリギリのところでその攻撃を避ける。
そしてもう一方は、幼い女の子の手を引く、少女の方に。
「危ないッ!」
横合いから、駆けつけたキイが身を挺して少女をかばう。服が裂け、血が飛び散った。
「大丈夫だよ、このくらい。自分は、君たちを助けに来たんだからね!」
さぁ、とキイは、涙ぐむ少女たちに逃げるようにうながす。
小紅と慎がディアボロを防いでいる間に、キイと桜花が子供たちを守ってその場から離れる。
「存外にしぶといな……」
小紅が斬りつけるたびに血とも体液ともおぼつかない汚らしい液体が飛び散るが、ディアボロはうなり声を上げるものの、まだ動きをやめない。その間に、小紅も何度か殴打された。だが……。
「それ、つかまえた!」
ディアボロの影を、慎の苦無が縫いつける。
「よし。あとは引き受けた。慎も早く、子供たちを」
「了解。こんなヤツと遊んでる場合じゃないもんね」
ディアボロに向かって舌を出し、慎は子供たちを追った。
これよりも前に、彼らは子供たちを発見したという知らせを他所の仲間たちに送っていた。
しかし……。
島を捜索していた咲とクリフが駆けつけられなかったのは、彼らもまた、ディアボロと対峙していたからである。
しばらく前。
「敵さんもお子さんたちも、出ておいで〜」
楽しげに口ずさみつつ、咲は軽い足取りで路地を進んでいた。
だがそこに、
「咲さん!」
と、クリフが鋭い声を上げて急降下してきた。
その声と、家の影からディアボロが姿を現したこと、それが長い腕を咲に向けて伸ばしてきたこと、そして、咲が大鎌の柄でそれを打ち払ったこととは、ほぼ同時だった。
「大きな図体の割には、足音もしないんですねぇ」
触手状の足をみやり、咲は唇をちろりと舐めてディアボロに対する。
長い長い両の腕、そしてときおり触手状の足をも伸ばし、ディアボロは襲いかかってくる。
そのうちのひとつが咲の横腹を打ったが、お返しにとばかりに、重い一撃を同じく敵の横腹にたたき込んだ。
相手の巨体が大きく揺らいだその隙に、色とりどりの炎が舞う。クリフの起こした爆発で、なおもディアボロはのたうち回った。
クリフの方を横目で見た咲は、
「ここで倒してしまった方が、あとの脱出もやりやすいでしょうしぃ。ここはウチに任せて、クリフさんはどうぞ合流してくださいねぇ」
と、促した。
「そういうわけにもいかないよ」
と、クリフは苦笑する。
「いえいえ。ディアボロ退治はあくまでもついで。子供たちを脱出させる方が大事ですからぁ」
と、もっともらしいことを言って自らがディアボロを引きつける。
「……わかりました。無理はしないでくださいね」
クリフは再び翼を広げ、敵発見、の知らせを送りつつ空へと舞い上がる。
「ふふふ。やっぱりウチは、子供の相手よりこっちの方がいいですねぇ」
「まだいたのかッ! これで併せて3体目だよ」
呆れたように慎が叫ぶ。
あとは島から脱出……少なくともいったん、子供たちを島から遠ざける……だけだ。しかしながら子供たち、特に低学年の子供たちの足は遅い。一番年下の少女は、その姉らしき少女に手を引かれていたが、ついには走れなくなり、桜花に負われていた。
そうこうするうちに、再び彼らはディアボロと接触したのである。まだ小紅は追いついていない。
桜花は負っていた少女を姉に引き渡し、応戦の構えを見せた。
幸い、クリフがそこに駆けつけた。彼は再び炎を放って、ディアボロを焼く。
「港はもうすぐそこだ。皆、走れ!」
6人の子供をそばに置いたまま戦うのは危険だ。港に続く開けた道路までは、もうあと少し。
キイは敵の触手を盾で受け止め、返す刀で敵の胴を突く。そうしながら、子供たちを走らせた。
「あッ、戻ってきたべ!」
道の向こうから、子供たちが姿を見せた。瞳はそちらに向かって大きく手を振り、
「おらだつ撃退士だぁ! 島さからたずげ出しにきたっちゃよぉ〜!」
と、声を張り上げて呼び寄せる。
子供たちの表情がパッと明るくなったのが、ここからでも分かる。
船の傍らから離れず守るアダム(
jb2614)を残し、瞳と悠騎は子供たちの方へと駆け寄った。
これで安心、と思ったとき。子供たちが駆け抜けた脇道に、1体の、都合4体目となるディアボロがうずくまっていた!
ディアボロは常以上に恐ろしげな声で呻いた。その声は撃退士さえ一瞬、身をすくませてしまうほどで、子供たちは引きつった顔で、金縛りにでも遭ったかのように動けない。
呆然と見守る中で、ディアボロの腹部が大きく割り開く。それでも子供たちは動けない。
「ナナッ!」
子供たちの中で一番早く動けたのは、年かさの少年だった。ディアボロの腕につかまれようとしていた少女を突き飛ばす。しかし彼自身が、ディアボロに足をつかまれてしまう。
「うわぁッ!」
ディアボロは少年を腹の中に飲み込もうとして……。
そこに悠騎は飛び込んで、少年の身体を抱きしめた。そのまま少年と悠騎とは、ディアボロの腹に飲み込まれる。
しかし、悠騎もなすがままにされたわけではない。
「魔術師は接近戦が出来ないなんて、誰が決めたのよッ!」
掌に魔力を込めて突きだし、ディアボロの腹を再び割って、少年と共に外に這い出た。
その時には、瞳は他の子供たちを蜃気楼で包み隠し、港まで逃がしていた。
「旦那様ぁの行方……聞きてぇが、そもそもおめさんは話せそうじゃねぇなぁ」
「これを片付けないと、脱出どころじゃありませんね」
辺りのディアボロどもをすべて討ち果たし、撃退士と子供たちは船に乗り込んだ。年かさの少年が操船する漁船は、沖合で待機していた巡視船と合流する。
まもなく小紅が桜花たちに合流し、その敵を倒したのち、悠騎らと対峙するディアボロにとどめを刺した。最後に現れたのは咲で、なんとか倒すことが出来たらしい。少なからず手傷を負っていたものの、妙に満足げであった。
子供たちはさぞかし怖かったろう、そして疲れただろう。撃退士たちが用意していた食べ物に口を付けると、年かさのふたり以外は、くぅくぅと寝息を立て始めた。
「やぁ、向こうもうまく行ったようですよ!」
ほめろほめろと迫ってくる友人に「うんうん」と頷きながら、クリフは島の方を指さした。怪我人を乗せているらしい漁船と共に、ボートが近づいてくる。彼らも見事ヴァニタスを撃破したのだ。
撃退士たちは巡視船の上から、皆が両手を振って、仲間たちの帰還を喜んだ。
しばらく後。
フェリーに乗り込む母子の姿があった。ヤマトだ。
島の駐在だった彼の父は、ヴァニタスに殺害された。母子も元々この島の生まれ育ちではなく、父がいなくなった今、この島では生活のあてもない。
「じゃあな」
「うん……」
「泣くなって、ナナ」
「うん」
島の子供たちは全員が集まって、ヤマトを見送っていた。ヤマトが何度なだめても、ヤマトの手を握りしめるナナの手は離れず、流れる涙は止まらない。
平和に戻った島だったが、なにも変わらないわけにはいかないのだった。
「必ず、いつか帰って来るから」