「駄目だ、圏外になっている。……これは、なにか妨害でもかけられたか」
翡翠 龍斗(
ja7594)は渋い顔で携帯電話を懐に戻した。
この島にも電波は届くはずなのだが、島に近づくにつれて電波状況は悪くなり、ボートに乗り移ってからは完全に圏外になってしまった。
「そう考えるのが妥当だな」
石動 雷蔵(
jb1198)も携帯電話をポケットに戻し、近づいてくる島を睨んだ。
天気は快晴、波は穏やか。しかし島全体を何か異様な雰囲気に包まれている。
「音が……」
天羽 伊都(
jb2199)がそれに気づき、眉を寄せた。
そう。いくら過疎の進む村とはいえ、人々の生活の声が聞こえないはずはない。代わりに聞こえるのは、不快なうなり声。そして混じってかすかに聞こえるのは、人々の悲鳴。
集落に人の姿がないことは、このボートから遠望しただけですぐにわかった。しかし、すでに皆が捕らえられたわけではないらしい。皮肉にも、悲鳴でそれがわかる。
「どこかに集まっているのでしょうか? 一刻の猶予もありませんね」
と、伊都は唇を噛む。
「ふん、悪魔どもめ……」
クライシュ・アラフマン(
ja0515)は顔全体を覆う白い面を抑え、低い声で呟いた。
「よし、じゃあ作戦通りに行きましょう。僕の発案は平凡で、すいませんけどねー」
と、マーシー(
jb2391)が軽薄な笑みを浮かべて一行を促す。
「そんなことないですって。すごいすごい」
天羽 マヤ(
ja0134)は朗らかに笑いつつ、マーシーの肩をぽんぽんと叩く。もっともその謙遜めいた言い回しは、単なる彼なりの処世術なのかもしれないが。
それを知ってか知らずか、マヤは、
「とりあえず、別れたときの連絡には光信機を使いましょ。小型のを借りられたから」
と、ごそごそと荷物からそれらを取り出す。
「まぁ、実際に敵が迫ったとき、やりとりしてる暇なんてないとは思いますけど」
「それでも、心強いです。仲間がそばにいてくれるようで」
天野 那智(
jb6221)はそう言いつつ、彼方に手を振った。
そちらには、別作戦を行う撃退士たちのボートが離れていくところであった。
「あ、向こうも気づいたみたいですね」
御守 陸(
ja6074)は那智と顔を見合わせ、自分も手を振る。
あちらのボートでもふたりが手を振っているのに気づいたらしく、黒い肌をした少女がボートから立ち上がり、元気よくぶんぶんと手を振っていた。
事前に島の情報は集めてある。
人々の悲鳴が聞こえてくる……集められている……とおぼしき場所は、島の分校であろう。いかに小さな村とはいえ、村民が集まれるような場所は、普段から集会所としても使われている学校くらいしかない。
「よし、行け!」
雷蔵がヒリュウを召喚する。ヒリュウはその指示に頷くような仕草をしたのち、集落を縫うように飛んでいった。
撃退士たちが予見したとおり、人々は分校に集められていた。
「いやぁぁぁッ!」
「ははは、またひとり飲まれたぞ! 見てみろ、あの怯えきった顔を!」
逃げまどい、足がもつれて転んだ主婦が、足首をディアボロに捕まれた。主婦は引きつった表情のまま引きずられ、パックリと開いた腹に投げ込まれる。不思議なことに、腹の中から外には悲鳴は聞こえない。すでに何人がそこに飲み込まれたのか。こころなしか、ディアボロの腹が膨らんでいるようにも見える。
ヴァニタスはそれを指さして笑い、痛みに呻く女教師の長い髪を乱暴に掴むと、無理矢理にそちらを向かせた。
「やめて……こんな酷いことをしなくても……!」
相手は悪魔だ。魂を奪うことが奪うのは本能のようなもの。しかしこのヴァニタスは明らかに、人々の恐怖を楽しんでいる!
女教師は朦朧とした頭で……無駄なことであるのに……懸命にヴァニタスを止めようとした。
「ふん……気に入らねぇ。善人ぶりやがって」
憎々しげにニシオカを睨み、その首を絞める。女教師は「うあ……」と弱々しい悲鳴をあげ、口の端から泡を漏らした。
ヴァニタスはそんな女教師の身体を無造作に振り払い、首筋に爪を這わせた。流れた血が一筋、外気にさらされた乳房に流れ落ちていく。
「お前みたいな奴が、一番殺してやりたいぜ。一番殺してやりたいから、一番最後にしてやったのさ。苦しむ姿が一番眺められるからなぁ」
そこに。
「……お前らにくれてやる魂なんてッ! ひとつたりともあるもんかぁ〜ッ!」
そう叫びつつ陸は校門を飛び越え、銃を両手で構えて立て続けに銃弾を放った。
狙いは、今にもひとりの島民の襟首を掴もうとしていたディアボロだ。狙いは過たず、その足に命中する。血なのか組織の一部なのか、汚らしい飛沫が飛び散った。
しかし動きを止めるには足りない。ディアボロは緩慢にも思える動きで、陸に向き直った。
「どこで体重支えてるかわからないんじゃ、たいした効果もないかな」
深呼吸して呟いた陸は銃をホルスターに戻し、グルカナイフを構えた。
「皆さん、撃退士ですー。こっちですよー!」
マーシーが拡声器を手に、声を張り上げた。島民の表情が劇的に変わる。島民たちは歓声を上げ、撃退士たちの乱入した校門の方へと駆け寄ろうとした。
しかしディアボロがその前に立ちはだかり、島民たちは慌てて立ち止まる。
その腕に那智の放った矢が突き立った。感情があるのかどうか分からないが、憎々しげにも聞こえるうなり声を上げたディアボロとの間に、クライシュが割って入った。
突如として現れた異様な風体の男に島民は戸惑ったが、ディアボロに襲われそうになった島民を身を挺してかばい、
「あ、ありがとうございます……」
「ふん」
と、礼を言う島民の背を押し、受けた傷も意に介さぬようにディアボロに相対するクライシュの姿を見ると、安心したようにその後ろに隠れた。
「皆さん、慌てないで! 私たちが守りますから、皆さんは避難を! 外にも悪魔がいるかもしれませんから、校庭の端に集まってください!」
緋色の袴は陽光を浴びて鮮やかで、人々はその眩しさに惹かれるように、那智の言葉に従った。
「撃退士どもかッ!」
屋根から身を乗り出し、ヴァニタスが叫ぶ。
「……お前の相手は、ここにいるぞ!」
雷蔵が呼び出した召喚獣の背を蹴り、龍斗が校舎の屋上に飛び上がった。屋根の上で一歩。鋭く踏み込んだ龍斗はヴァニタスの眼前でくるりと身を翻すと、膝頭を狙って回し蹴りをたたき込んだ。
「ぐッ……!」
とっさに防いだのは悪魔の身体能力によるもので、その動きは無様だ。ヴァニタスとなる前には、荒事などまったくの門外漢だったに違いない。
それでもかろうじて、身をよじって急所への命中は避ける。
「遊びに夢中で、少々意識がお留守だったようだな」
ヴァニタスに対峙した龍斗は闘気を放ちながら、かすかに口の端をあげた。
「てめぇッ! 図に乗るなよ!」
「図に乗っているのはお前の方だ。お前という悪夢、この場で終わらせてやろう」
「へッ、てめーらみたいに、馬鹿正直に戦うと思ったら大間違いだぜ!」
言うが早いか、ヴァニタスは龍斗から視線をそらさないままに横に跳んだ。
ニシオカという女教師をそばに置いていたのは、なにも「ゲーム」を見物させて悦に入ろうというばかりではない。
たとえ撃退士どもが姿を見せたとしても、この女を盾にすれば手出しは出来まい。まぁ、そこまで甘い馬鹿どもばかりではないにしても、だったらこの女を切り刻み、己がいかに無力かを思い知らせてから、戦ってやろう。
ヴァニタスは女教師の髪を無造作に掴んで無理矢理に身体を引き起こし、その身体を撃退士たちとの間に立たせ、そして背後から、首筋に鋭い爪を這わせ……。
……ようと、考えた。だが。
「さァせませんッ!」
校舎の壁を駆け上がってきたマヤが、女教師に向かって伸ばされたヴァニタスの手をめがけ、戦斧を振り下ろした。逆の手ですぐさまニシオカの胴に手を回し、そのまま身体を抱え上げる。
「ぐあああぁッ!」
完全に不意をつかれたヴァニタスの右手は深々と戦斧によって切り裂かれ、鮮血(?)があふれ出た。ヴァニタスはおぞましい叫び声をあげ、ブラブラと力を失った右手をマヤの方に伸ばし、追いすがろうとする。
「おっと、よそ見するなよ!」
だがその足下に、雷蔵が銃弾を撃ち込む。ヴァニタスは踏みとどまって命中こそしなかったが、その間にマヤは、今度はニシオカを抱いたまま壁を駆け下りた。
その様子を見送って、伊都は安堵のため息をついた。だがその穏やかな表情を一変させ、ヴァニタスに向き直る。
「なんすか、これ……」
普段のお調子者の様子がなりを潜め、低く、静かな声でヴァニタスを正視する。
「世の中の善悪を『わかる』なんて言えるほど大人じゃないっすけど……あんたが悪いヤツってことはよくわかったですよ! 絶対に、倒すッ!」
両手剣を大上段に構え、伊都はヴァニタスに向かって大きく踏み込んだ。
「マーシーさん!」
と言いつつ、マヤは女教師の身を横たわらせる。
「はいはい、今、楽にしてあげますからねー」
「……物騒ですよね、その言い回し」
ともあれ、アウルの力によってニシオカの傷から流れ出る血はわずかなものとなった。同時に痛みも少しは治まったらしく、女教師は「みんなを……」とマーシーの顔を見上げて呟いた。
「えぇ。任せてくださいよー。皆さん、すいませんが、しばらくこの方をお願いします!」
力尽きて気を失ってしまったニシオカを島民たちに預け、自身は銃を構えて彼らを守るように立つ。本格的な治療が必要だろうが、今それを望むのは不可能だ。
「オォォォォォォォォッ!」
島民を捕獲することが、ディアボロどもに与えられた指令なのだろうが。
「まずは私を倒すことですね。でないと、一方的に撃ち抜きますよ!」
那智はそう言うや、己の背丈よりも大きな強弓を引き絞りディアボロを射抜く。
矢は深々とディアボロの頭部に突き刺さっているのだが、奴らは相変わらずおぞましい呻き声をあげるだけで、手応えが無いことこのうえない。
ディアボロどもは目標を眼前の撃退士たちに定め直したらしく、雄叫びを上げて襲いかかってきた。その足取りは緩慢だったが、その手は伸びきったかと思ったところよりもさらに伸び、那智の肩を打つ。
「きゃ……ッ!」
「しっかり!」
体勢を崩したところに、ディアボロが迫る。しかし横合いからマヤが戦斧で斬りつけると、その一撃は浅いものだったが、その周りにだけ局地的に霧が立ちこめた。その隙に那智は、再び矢をつがえる。
「木偶人形ごときが、俺をどうにか出来ると思ったか? 笑わせる……」
クライシュが刀を振るうたび光の波が放たれ、ディアボロの体躯が揺れる。
「気をつけてくださいね。倒すよりもまず、捕まっている人を助け出さないと!」
陸の眼前にいるディアボロは心なしか、他のものよりも腹がふくれているようにも思える。
撃退士まで飲み込もうというのか。呻き声を上げ、巨木の虚を思わせる腹部の裂け目を開きながら腕を伸ばしてくる。その攻撃をかいくぐり、陸は手にしたグルカナイフを裂け目の端に突き立てた。
力任せに刃を動かすと、裂け目は見事に広がる。陸はさらに手を裂け目に突っ込むと、手応えのあったところをグッと掴み、引き寄せた。
すると中から、汚らしい粘液でぐしょぐしょになった老婆が、ぐったりとした様子で現れた。
「なるほど、その要領か」
そう言ってクライシュは、裂け目に向かって斬りつける。
「さぁ、喰らったものを吐きだしてもらおうか!」
「島の人は助け出せそうだな。するとあとは……お前を倒すだけだ」
雷蔵は両の拳を握った拳闘スタイルで、ヴァニタスと対峙する。龍斗が、伊都が、ヴァニタスを取り囲む。
さすがに相手は強い。しかし、撃退士たちは敵の攻撃をしのぎつつ、持久戦を続けていた。マヤの予想外の一撃で受けた傷が深いらしく、ヴァニタスの動きにキレがないのも幸いしている。
「調子に乗るな、クソったれが! どいつもこいつも、俺を舐めやがって!」
ヴァニタスは叫ぶと、長く伸ばした左手のかぎ爪で斬りかかった。上体をそらし、ボクシングで言うところのスウェーバックで雷蔵はそれを避けようとする。が、予想以上にその攻撃は長く伸び、間合いを計り損ねた雷蔵はガードを上げてそれを防いだ。皮膚が裂け、みしり、と骨のきしむ音が耳まで届く。
「く……」
「どうだ! 正義の味方ぶりやがった撃退士なんざ、くだらねぇクソ野郎なんだよ!」
「なんだって!」
伊都が、眉を逆立てて叫ぶ。冷静に冷静に、と言い聞かせ、大きく息を吸う。
「……なんだか分かったですよ、人間だったあなたの人となり。力を持ったとたん、周りの人に鬱憤をぶつけているだけの、つまらない人ですよ!」
大剣が白く眩く輝き、伊都はそれを横一文字に振るった。
悪態をついてヴァニタスは跳び退り、反撃に転じようとした。しかしその足が、なにかにとられて体勢を崩す。
「やられ損にはならなかったようだ」
と、雷蔵。ヴァニタスが足下に視線を転じてみると、そこには細い金属の糸が、縦横に張り巡らされているではないか。
「さぁ、滅びを受け入れろ」
龍斗の声に慌てて振り返った、その視界をいっぱいに覆った戦斧が、ヴァニタスが最後に見たものだった。
死亡したのは警官。一番の重傷者はニシオカで、あとの島民は疲労とショックはあるが、重傷者はいなかった。島民が出してくれた漁船にニシオカを乗せて、沖合で待つ巡視船へと向かう。
「あ、あちらも無事に脱出できたみたいですね」
巡視船から手を振る撃退士たちの姿を認め、陸もまた手を振って応えた。
撃退士たちの活躍で、島は再び平和な漁村の姿を取り戻したのである。