梵字の描かれた網代笠をかぶり、白灰色を基に赤で彩られた派手な着物に身を包んだ悪魔が、はっきりと敵対の意志を言葉に示した瞬間だ。
眩い光弾が唸りをあげて飛んだ。
刹那、風と光が断たれた。
鞘走りの音を後に残し、何時の間にか放たれていた白刃が、左の腰の鞘内の位置から侍の右の空間を断つように水平に伸びていた。
光弾は斬られていた。
一射を放った影野 恭弥(
ja0018)は、PDWの銃口を向けながら”噂に違わぬ力量だ”と剣閃を見て思う。しかし、恭弥が放ったのはただの弾丸ではなく『マーキング』であった。位置が手に取るように流れ込んでくる。成功だ。マークした。
「パティ!」
恭弥がマーキングを放った瞬間、同時にナナシ(
jb3008)も叫び、翼を広げて宙へと飛翔した。
童女は金糸を後頭部で結い上げた娘へと黒髪青年とそばかす眼鏡の娘を守るように頼み、そして研究者である眼鏡娘には無理せず自らの身を守るようにと告げる。
ナナシの声が響き咲村 氷雅(
jb0731)と巫 聖羅(
ja3916)が宙へと飛翔する中、
「ふっ!」
大炊御門 菫(
ja0436)は鋭く呼気を発した。紅蓮に燃える槍が弧を描いて翻り、宙に描いた赤い斬線に沿って衝撃波が飛び出す。
衝撃波は光弾を斬り払った直後のSaMuRaIへと唸りを上げて迫り、着流しに笠の男は目にも留まらぬ速さで身を翻し――まるでコマ落とし連続再生中に途中のコマが省かれたかの如く――気付くと太刀の位置が右から左へと移動していた。斬り裂かれた衝撃波が四散し、霧散してゆく。動きの起こりがまるで見えない。無拍子の神速剣。
その間にエアリー、パティ、景守が後退し、御堂・玲獅(
ja0388)もまた阻霊符を発動させ銀の小盾を構えながらエアリーを守るように前に立ちつつ、後退する。そしてエアリーへと言う。
「エアリーさん、ペンジュラムを私に預けてください」
「えっ?」
そんな声を背後に聞きつつ、鴉守 凛(
ja5462)もまた、その玲獅とエアリーを敵の目から隠すように前に立ちつつ二人に合わせて後退する。
玲獅は思っていた。
(多分マーヴェリックの狙いはペンジュラムの破壊や強奪だろう)
と。
サイディが今、単独でいるのは、おそらく隠密能力に長けている『孤高《マーヴェリック》』は斥候的な役目も担っているからだろう。正面きっての戦闘だけが主任務ではない筈だ。
だが、このまま撃退士達を放置してしまうと応援を呼んでくる前に特殊鉱石を掘り出されてしまいそうだから、止むをえず単騎で仕掛けてきた、恐らくは、そんな所ではないだろうか。
で、あるなら、サイディが探査装置《特殊鉱石シーカー》を奪取または破壊すれば、シーカーを無くした撃退士達は特殊鉱石を少なくとも新たなシーカーを調達して来るまでは掘り出せなくなる訳だから、サイディからすればそれだけで時間を稼げる。
単騎で調査隊を全滅させるなどの無理をするよりも、そちらを狙った方が効率が良い。
ここでさくっとシーカーを奪取、破壊して時間的猶予を確保したら一端退き、応援を呼んで来てから改めて場を制圧する。そしてシーカーを使って特殊鉱石を冥魔側で掘り出し持ち去ってしまうか、シーカーが奪取できなかった場合でも大体の場所は既に示されているから、広範囲を爆砕――例えばヨハナの魔弾などなら可能だろう――して消し飛ばしてしまえば、人類は素材を手に入れる事ができなくなってしまう。
だから、
(ペンジュラムを守らなければ)
と玲獅としては思うのである。
他方、
「カウンターに装甲無視の斬撃なぁ……」
翠玉色の双眸が、だらりと脱力したように刀をぶら下げて立つSaMuRaIを射抜いていた。金糸の如き長髪が銀嶺を吹く風にさらりと揺れる。この地に積もっている深雪の如く白いかんばせ、年の頃二十歳程度に見える若い娘、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)である。
「前に出る。攻めに徹するゆえ、守りは任せるぞ」
恐るべき敵手を前にし、しかし女騎士は楽しそうに笑った。
白を基調とした着流し姿の侍に対しフィオナは両刃肉厚の剣を手に、間合いぎりぎりまでに前に出る――剣の結界の内側へは、味方の着弾に合わせて踏み込みたい。
「……ああ、範囲攻撃に巻き込んでも構わんぞ。我が死なない程度ならな」
「ほっほー、可愛い顔して捨て身でゴザルなぁ。なるほど、なるほど、腕が立ちそうだ」
着流しの美青年はヘラヘラと笑った。フィオナは眉間に皺を寄せて目の前の男を睨んだ。金色の爬虫類じみた瞳がフィオナを見ている――顔は笑っているが、目が笑っていない。捕食者の目。
「四獄鬼か、あの狼の仲間だな」
冷えた声が響き渡った。菫だ。
(―――あの下種狼の)
同じ四獄鬼、人狼レイガーと交戦した時のかつての記憶、炎と鮮血と悲鳴、強敵を呼び込むが為だけに、生かさず殺さず嬲られ、全身の骨を砕かれていた少女の無惨な姿が、鮮明な映像となって甦った。
槍を持つ手に力が籠もる。
「旅団長、ね。恐らく四獄鬼の中では最強の一角。――でも……!」
阻霊符を展開しながら聖羅が言う。能力の性質が違う故に単純比較も難しいだろうが、しかし特定条件下では同じ四獄鬼のヨハナよりも、レイガーよりも凶悪と踏んで良いだろう。一対一で争わせれば三者の中で恐らく最強。蛇剣の侍は近接戦に限定すれば軍団長の悪魔博士、子爵カーベイ=アジンにも勝る。
「ああ、それでも希望の光を喪うわけにはいかないのでな、情報料ぐらいは置いていってもらうぞ」
菫は聖羅の言葉に頷きつつ槍を構え直し機を窺う。
「マーヴェリックの剣の結界……カウンター技は、恐らく何らかの回数制限や発動条件はある筈よ。少なくとも白光剣? との同時使用は出来無いのかも」と聖羅。
恭弥はシールドを活性化しつつ、半身に構える侍の正中線を狙う為に横手へと回り込もうと、斜面を積雪に足を取られぬよう注意しながら駆け登ってゆく。
エアリーから『ダウンジング・ペンデュラム型の探査装置《シーカー》』を受け取った玲獅は、エレメントクリスタルをシーカーの前に重ねて懐の中にしまいこんでいる。
他方、二人を隠すように立つ凛。
サイディは長身、しかし凛も女子としては長身だ。細身だが受け渡しする手元くらいは隠せているだろうか? 視覚はそれとして聴覚、会話は聞かれなかっただろうか? 微妙な距離だ。
そこも気になる所だったが、凛には他にも関心事があった。
(私の一撃であの敵を捉え得るか――終わらせる事ができるか――)
最前に立つフィオナと対峙している蛇侍を見据えつつ、胸中にそんな思いを過ぎらせている。
――試したい。
衝動が湧き起こる。
恭弥の光弾と菫の衝撃波を文字通り目にも留まらぬ”はやさ”で斬り抜いて見せた剣技。
試してみたい。
自分の力はそれを破れるのか。
けれども、理性が告げる。
”不可能”
恐らくは。
故に、
「……それを渡さなければ良いんですよねえ?」
自制という名の臆病。凛は背後の玲獅とエアリーに呟き、シーカーを守る意志を見せた。
多くは語らない。
(いずれも私より遥か上の同行者達……)
奪われる不安さえ除けば敵は任せられる。
ゆえに、守りに徹する。
凛はそう決意した。
一方――
飛行して旋回しながら氷雅が言葉を放っていた。
「それにしても、奇襲せずわざわざ声を掛けて正体を現すとは……実力は確かなのだろうが、随分と舐められたものだな」
「ハハハ、舐めている訳ではない。そのほうが反応が愉快にござるからな。悪魔は生きるを楽しまねば。まあヨハナたんなら真面目でござるからいきなり奇襲したでござろうが、それはセッシャの流儀ではない」
「……なるほどな」思う。それを舐めているというのだ、もしくはこいつは命を賭けた酔狂者だ「まぁ、その驕りで助かったのは事実、礼として一生働かなくてもいいよう――」
周囲のメンバーの動きを視界に入れていた氷雅は、仲間達の布陣が完了しナナシが旋回して突っ込んだのを見ると、その手に『剣』を生み出し矢のように弓に番え引き絞った。
「――ここで始末してやろうか!」
言葉と共に弓より『剣』を撃ち放つ。
「やれるものなら!」
迫る『剣』に対して侍は猛然と反応、一瞬で姿勢を変え、打刀が消える。が、その瞬間『剣』は液体化して広がった。
「おおっ?!」
液体は侍の身に纏わりつき凍りつき、その身を束縛せんとしてゆく――ように侍の目に見せていた。幻影。
同時、ナナシは彼女から見て彼我の距離およそ十歩程度まで詰め寄るとピコピコハンマーを振り上げアウルを解き放った。空間に鮮やかに眩く赤い炎の薔薇の花弁が出現し、それは急速に数を増して、強風と共に竜巻の如くに逆巻いてゆく。
壮絶無比の火炎の嵐、『聖霊降臨《ペンテコステ》』だ。
「うおおおおおおおっ?!」
侍は己の周囲へと一閃、二閃と嵐の如く刀を振り回すも、当然、無数の火炎花弁を払いきる事は出来ず、凶悪な破壊力を持つ火炎に呑まれ成す術もなく破壊をその身に受けてゆく。
(――ここだ)
黄金の髪の女騎士、フィオナ・ボールドウィンは、炎の薔薇花弁が壮絶な破壊力を炸裂させている中、身を低く沈めると、手に鈍く輝く両手剣を構え、機を見計らい猛然と踏み込んだ。
紅蓮の竜巻が晴れ、その中から姿を現した一気にボロボロになっている着流し姿の男は――しかし、それでも笠の下からその黄金の眼光をフィオナへと向けていた。
騎士が”結界”に踏み込んだ瞬間、SaMuRaIの姿がブレ、刃が消えた。刹那、フィオナの鎧が五条に斬り刻まれて切断され、女の身より鮮血が噴水の如くに吹き上がる。
「――頑丈そうなのでちと本気で斬った。顔は外しておいたで御座る。美しく散られよ」
一瞬で血塗れになったフィオナは侍を睨み剣を構えたまま一歩を踏み込み、そして膝から折れるように崩れ落ちて、己が作った赤い血溜まりと、積雪の中に倒れた。
負傷率三十三割五分。
死ぬか、再起不能だ、このままでは。
後方に下がっていた景守が前方へと飛び出した。
彼とエアリーを守るように頼まれていたパティが、エアリーと景守を忙しく首を左右に振って見比べている。離れた相手は同時には守れない。どちらの守りにつくべきか迷っているようだ。
「貴様ッ!」
菫が炎の槍を振るって再び衝撃波を飛ばし、サイディの身が途中のコマが抜かれたコマ落としの映像のように一瞬で動き、日本刀が消え、衝撃波が切断されて霧散してゆく。効かない。
しかし、
「レミエル様の……いえ、人類の希望を渡しはしない!」
上空、赤毛の少女が魔法書を掲げると共にアウルを解き放ち、猛烈な風の渦を巻き起こした。マジックスクリューだ。
巫聖羅もエアリーと同じく信じている。
”レミエル様は嘘を言わない”
と。
(必ず成し遂げてくれる筈……!)
だから、その為に、このふざけたSaMuRaIを打倒する。
宙より少女が撃ち降ろした竜巻は消える刃の一閃を受けながらも突き進みマーヴェリックの身に直撃すると、その破壊力を炸裂させた。風の渦のすべては刀一本では斬れない。
銀髪の青年は、一連の猛攻で被っていた網代笠が吹き飛び、着流しはあちこちが破れ、片方の袖も取れ、身体のあちこちより血を流し、酷い有様になっていたが、しかし平然とした様子で立ち、目を細めた。
「なるほど、なるほど、飛び道具持ちが多いでゴザルなぁ」
侍は構えを変えた。
下段から八双の位置へと刀を動かす。
景守がフィオナへと癒しの光を飛ばし、聖羅が叫んだ。
「彼はカウンター戦法を得意としているけれど、相手が打って来ない時は、白光剣で自分から斬り込んで来るわよ!」
瞬間、
「よくセッシャの事をご存知で!」
”バサリ”とサイディの背から純白の翼が広がり、矢の如くに宙へと舞い上がった。
向かう先は――ナナシ。
超火力は存在するだけでプレッシャーだ。御堂やエアリーへと真っ直ぐ突っ込めば、ナナシに背を取られる形になる。だからまずナナシから潰す。そんな所か。
「させるか」
恭弥はPDWの照準を向け引き金を絞る。瞬間、猛烈な勢いでアウルの弾丸が銃口より吐き出され、飛翔する侍へと襲い掛かって行く。機動するマーヴェリックは恐ろしく速い。だが、
(中てる)
空を裂き唸りをあげて咆吼する弾丸は、侍の脇腹に直撃しその肉を食い破ってめり込み鮮血を噴出させた。恭弥の命中精度もまた驚異的であり、そして側面を取っている。中る。
「遠距離攻撃を切り落とす技術は驚嘆だが、生憎このPDWは連射出来るのが売りでね」
恭弥の攻撃は火力もまた凄まじかった。壮絶な破壊力に血飛沫が咲き乱れて侍の態勢が大きく崩れ、すかさず氷雅が銀の魔剣を嵐の如く放ち、聖羅が風の渦を撃ち放つ。
無数の魔剣が唸りをあげて侍へと迫り、そして宙でよろめく侍の身を次々に貫き、続く風の渦がさらに直撃する。
侍は連打を受けて態勢を大きく崩し、しかしそれでも強引にナナシへと稲妻の如くに突っ込んだ。
日本刀が一閃の光と化して銀嶺の空を断つ。
刹那、切り裂かれたスクールジャケットが出現し、その隣の空間に紫髪の童女が出現した。間髪入れず再度剣閃が走り、しかしまた即座にナナシは掻き消える。空蝉。
切り裂かれたジャケットが宙を舞う中、サイディの懐へと出現して入ったナナシの声が響き渡る。
「来ると思ってたわ」
黒杭の魔力結晶をサイディの至近に出現させた悪魔の童女は、ピコピコハンマーを杭頭へと向けてフルスイングした。『ポキュ☆』っという気の抜けた可愛らしい音と共に、触れた全てを粉砕し消滅させる壮絶な衝撃力が爆裂し、頭を打たれた杭がそのパワーを乗せて射出されて加速し、黒い閃光と化してサイディのどてっぱらに突き刺さりぶち抜いてゆく。
「近接戦の技量では絶対に貴方に勝てないけど、何とかなる方法が無いわけでは無いのよ!!」
ナナシは再び距離を取りつつ宙の侍へと叫ぶ。
青年の口から盛大に鮮血が吐瀉され、魔力がその身へと侵食せんと蠢いてゆく。
が、
「こ、この状況はしんどい……!」
魔力は侍の身の奥底まで侵食できなかった。侍が旋回しながら上空へと登って行く。
「あれを受けてまだ動くのか」
氷雅は訝しんだ。普通はスタンする筈だ。ナナシの魔力に対抗できるほど強大な魔力を持っているのか、若しくは、何か耐性でも持ってでもいるのか。
やはりまた面倒なのが魔界から戻ってきたものだ、と思う。
景守がフィオナにヒールをかけながらその身を抱かかえて後退し、玲獅が生命の芽を発動し癒しの光をフィオナへと降り注がせた。血塗れの女騎士の身が急速に癒されていく。負傷率およそ二十一割四分まで回復、フィオナの重体が回復し一瞬目を覚まし、そして再び気絶した。傷が深過ぎる。
「貴方とはあの街の出来事以来よね。サイドワインダー。派遣っていう事はプロホロフカやヨハナの命令では無いのかしら?」
ナナシは今度は侍を追いながら言った。しかし、ナナシはかなりの高速だったが、それと比較してすら相手の機動力の方が上回っている、引き離されてゆく。
「年末年始にまでこんな所に来るなんて、怠け者の風上にもおけないわ。ヨハナに迷惑をかけながら、もっとグダグダしてて良いのよ? 逃げたいのなら、クライアントの事を話せば、これ以上は追わないわ」
「はは、ぐーたらしてたい所なんでゴザルが、ヨハナたんマジ泣きしちゃったでゴザルからな、こんな時くらいはセッシャが甲斐性見せんと。美女の涙には勝てぬでゴザル、ふっ」
血塗れの銀髪侍青年はナナシとの距離を離しながら気障に笑う。
「『性悪女《ヘルキャット》』の涙を信じるとは焼きが回っている。それとも色香に惑わされたか」
氷雅は空に複雑な旋回軌道を描き始めたSWとナナシを見上げつつ呆れ顔で言った。
「チガウ、セッシャには解る! あの涙は真実! 本当ッ! 信じてる!」
「除夜の鐘でも聴いて祓われてろ煩悩侍が」
「ぬぅ、クライアントについては守秘義務故にOHANASHIできませぬな――無論、まだ祓われる訳にはいかぬ。勝負はこれから、推して参る!」
ナナシとの距離が十メートルを離れた時、侍の姿がゆらゆらと揺らいで消え始めた。
(『夕闇渡り』か。しかし姿を消したところで位置はまる解りだ)
恭弥は富士山頂上付近から見上げる蒼い空を睨む。銃口を向ける。マーキングの反応を追う。
その動き、初めは緩く、徐々に加速してゆく、向かう先、それは
「御堂、注意し――」
ろ、と言いかけた所で恭弥は天より回転、加速しながら自由降下してくるそれを視認した。
刀。
一本。
それのみ。
「SWめ! マーキングした刀を手放した!」
男は目を見開き、滅多にあげない大声をあげて仲間達に注意を呼びかけつつ、急ぎ視線を周囲に走らせる。
恭弥の声を受け、御堂玲獅は生命探知を発動した。反応、無い。生命探知を発動した時に射程内にいなかったのか、それとも抵抗されたのか。
大炊御門菫は瞳を閉じ、耳をそばだてた。精神を研ぎ澄ます。
女は思う。
”姿を消しても音や匂いは残る筈”
”飛ぶ羽を持っているなら飛んでくる筈”
あの大きさ、質量のものが高速で動く時、風は唸る。
山の鳥獣の動きを捉えるに同じだ。
注意を向けるべきは地ではなく空。
女は目を見開くと振り向いた。
見つめる先の空間、揺らぎが見えた。矢の如く風を巻き唸りをあげて突っ込んで来る。
「恭弥! 後ろだー!!」
菫の叫びに、恭弥は弾かれたように猛然と後方を振り向いた。
口端をあげて笑う血塗れの侍と輝く黄金の瞳、そして振り上げられた鈍く輝く鋭い刃、脇差だ。サイドワインダー・マーヴェリック。
刹那。
侍の刃から眩い白光が噴出した。白光剣。
恭弥はシールドバッシュ――はまだ活性化していないので、シールドを発動しPDWの銃身で受ける――と魔具ごと両断されて破壊されるので、
(避けるしかない)
咄嗟に身を横に逸らさんとし、刹那、侍は身を斜め下へと低く沈め肘を曲げた。動きに合わせて斬鉄の刃の剣先が弧を描き急角度で曲り振り下ろしから薙ぎへと変化する。光の刃が螺旋を描いてから横一文字にはしり抜け、恭弥の身を包む魔装をバターの如くに鮮やかに両断し、その奥の骨肉も深々と斬り裂いて抜けた。負傷率約十四割四分。
「白光剣……! 剣の軌道や間合いも蛇の様に変化するから気を付けて!」
聖羅の声が響く中、真っ赤な血をぶちまけながら恭弥が倒れ、玲獅の隣の雪の斜面に音を立てて回転落下して来た日本刀が突き立った。
再び姿を出現させた侍へと次の刹那、火炎嵐と矢と火球が飛び、マーヴェリックは宙へと離脱して回避する。
「そこな美少女! 可愛いけれどちょっと黙られよ!」
唸りをあげてマーヴェリックが旋回し聖羅へと矢の如くに突撃する。ナナシが旋回機動の横から詰めて聖霊降臨を放つも、白翼の侍はローリングしながら滑るように機動して火炎の渦の範囲から離脱する。速い。中らない。
聖羅は後退しながら火球を撃ち放ち、マーヴェリックは突撃しながらスライドし飛来する火球を回避、肉薄するとすれ違いざま一閃、聖羅の胴を斬り抜けた。赤髪の少女の身から盛大に血飛沫があがる。負傷率二十四割。
「レミ、エル、様……」
赤い血を散らしながら聖羅が地上へと落下してゆく。
聖羅を斬り捨てた侍は即座に旋回し氷雅へと矢の如くに迫る。
「ああ、年の瀬に鐘を鳴らそう! 貴公らの葬送の鐘よッ!! 鐘四つ!」
爬虫類の如き黄金の瞳を輝かせながら歌うように吠える。
「ああ、やかましいなこいつも」
氷雅は己へと向かって豪速で迫って来る白翼血染めの侍に対し毒づいた。
相手の機動力が高い。
(やれるか……?)
氷雅は唸りをあげて迫る黄金の瞳に対し、剣の間合いぎりぎりまでひきつけると弓に矢を番えて構え、後退すると見せかけて前に出た。敵の虚を突く。
サイディの目が微かに瞠られた。
刹那、閃光が”真っ直ぐに”走り抜け、放たれた矢は侍の脇腹を掠めて抜け、一閃を受けた氷雅が、鮮血を撒き散らしながら落下してゆく。変則攻撃を警戒・予測して腕を狙った氷雅だったが、変則警戒が周知されてる上に虚を突かれた侍は反射的に最速で真っ直ぐに斬り抜いていた。結果、矢は外れ刃が氷雅を薙ぎ抜けた。負傷率約二十六割九分。黒髪の男が銀嶺に落ちてゆく。
「くそ……!」
菫は歯を食いしばり空を見上げた。夬月の使用回数は尽きている。飛び道具が無い。翼も無い。空の戦いに手を出せない。
玲獅は癒しの風を、ヒールが尽きた景守はライトヒールをフィオナへと放ち負傷率十二割九分まで回復。
玲獅と景守は引き続き治療にあたり、フィオナ、負傷率約七割九分まで回復。
空の戦。
「一対一でござるなぁ!」
マーヴェリックが唸りをあげてナナシへと迫る。血塗れの黄金の瞳がナナシの眼前に迫り、閃光の太刀を風を巻いて振るった。ナナシは空蝉してかわし、追撃もまた空蝉してかわすと、再び杭を出現させて撃ち放った。
が、今度は侍は素早く身を捻ってかわした。二度目は読まれた。
フィオナが目を覚まし、景守は恭弥の元へと駆ける。
「くっ……!」
ナナシは後退しながら火炎の竜巻を放ち、マーヴェリックは壮絶な破壊力の火炎花弁の嵐に対し、斜行飛行して空気の断層上を滑るかのように回避し、稲妻の如くに折れ曲がって再びナナシへと迫り、二連の剣閃を閃かせた。
ナナシの身に二連の日本刀が連続して入って抜け、紫髪の童女が血飛沫をあげながら落下してゆく。負傷率二十一割五分。
「五つッ!! し、しんどい……! やはり働きたくないでござるな……っ! ははは!」
へらへらと笑う血塗れの美青年の姿がゆらゆらと空に溶けるように消えてゆく。
飛行戦力が全滅した。
地上に来る。
「――玲獅、空の音を聞け」
地上、エアリーの周囲を固める玲獅の傍らへとやってきた大炊御門菫が、玲獅へとそう言った。生命探知は間合いに入れてから発動しなければならない。
空の風の音を聞く、どこぞの剣豪伝説ばりの業であったが、実際、菫はそれをやってのけたし、出来ないと不意打ちされて死ぬ。十m以内なら見えるが、十mなどマーヴェリックの速度ではおよそ一秒で詰めてこられる。故に玲獅は、
(やるしかない)
と覚悟を決めた。
銀髪の女は紫瞳を閉じ、息を吸い、吐いた。己の心臓が脈打つ音さえ聞こえそうだった。
しばしの間の後、微かに頭上の方角より風が不自然に唸る音が聞こえたような気がした。
近づいて来ている。
玲獅は意を決し、アウルを全開に生命探知を発動した。
反応、有り。高速で移動している。猛然と振り仰ぐ。ClavierP1を出現させる、そちらに撃ち込みたいが、スキルを使った直後なので攻撃をまだ放てない――
玲獅が振り仰いだ事で、その先に居ると周囲の撃退士達は悟った。
玲獅の見つめる先――彼女の頭上、真上の空間が揺らぎ、血塗れの黄金の瞳が白い翼を羽ばたかせて爆風を巻き頭から突っ込んで来る。手に握るは純白の光を迸らせる脇差。
「借りを返してやる」
先程滅多斬りにされたフィオナ、それでも怯む事無く猛然と白い斜面を駆け高々と跳躍、空のサイディに肉薄すべく突っ込んだ。空中戦。竜の如き緑の瞳と蛇の如き黄金の瞳の互いを睨む視線が激突する。
「ハァアアアアアアッ!!」
銀光一閃。
唸りをあげて振るわれた両手剣は、侍の頬の端を斬り裂いて掠め、後ろに抜けた。
(――速い)
侍がフィオナをかわし、その脇を抜けて、稲妻の如くに玲獅へと迫る。
「チェエエエエエエストォオオオオオッ!!」
しかし、
「さがって――」
その斬線上、鴉守凛が割って入った。
光の一閃が凛の肩口から脇腹へと弧を描きながら抜け、鎧を泥のように斬り裂き、その奥の身も深く断って血飛沫を噴出させる。
が、
(まだ……!)
倒れない。
直後、肩口から落下してきた侍の身と凛の身が激突した。
衝撃と共にもつれ合い両者揃って転倒する。
凛はその場ですぐに起き上がりオニキスセンスを発動しつつ玲獅と共に距離を開けんとする、侍は雪の斜面を転がり二転、三転としてから勢いをつけて起き上がり光を失った血濡れの脇差を構え直し――
その横手、距離の離れている位置。
マーヴェリックが既に斬り倒したと思っている男、景守のライトヒールによって回復し意識を取り戻していた恭弥が、アウルを全開に開放し、虚空に四つの銃器を浮かべその中央でPDWを構えていた。
「バレットパレード……銃弾の雨に沈め」
五つの銃火器が一斉に火を吹いた。天空神の捌きの雷、地獄の劫火、銀嶺を爆砕し、大気を震わせる、桁外れの超弩級の破壊力が、横殴りに悪魔の旅団長の身に襲い掛かった。
「なに――」
サイドワインダーの微笑が深まり、青年の身のあちこちが爆ぜ飛び、猛烈な弾幕に踊らされ、鮮血と肉塊が雪の上にぶちまけられてゆく。
踊る血色の塊へと向かって、菫が叫び、パトリシアと共に突っ込んだ。菫が加速する、凄絶に鍛え抜かれた対冥魔の力、カオスレート+9。が、雪に足を取られていつも程の猛烈な速度が出ない。
「――!」
光が奔った。
稲妻の如く繰り出された銀の長剣の切っ先を、サイドワインダーは脇差で払ったが、その直後、鬼神の一撃が如き破壊力を秘めた焔槍の切っ先が、宙に螺旋紅蓮の残光を残しながら、銀髪の侍の身を貫いていた。
菫の槍が貫いた箇所は――人ならば――心臓の位置。
悪魔の青年は口端をあげてニヤリと笑った。
濡れた音と共にその口から大量の血色の塊が吐き出され、
「拙者、と、した、こと、が……ぬかっ、た……働き、過ぎ、た…………」
赤色を撒き散らしながら、心臓を貫かれた青年が、仰向けに倒れてゆく。
血染めの侍が雪原に転がった。
「ハハ……慣れぬ、事、は、するものでは、ない、な……」
男は呟き、その黄金の瞳から光を消すと、二度と動かなくなった。
穴底。
「確かに珍しい鉱石だな」
蒼く輝くペンデュラムが押し当てられると、周りが抉られた為に突き出る形となった岩の一部が、蒼く眩く煌々と輝いた。氷雅は平鏨の刃を光の境にあてると、ハンマーを振り下ろして鏨の柄尻を叩いた。独特の音と共に刃が岩にめり込み、穿たれる。繰り返して削り出してゆく。
「祭器とやらが完成したら少し分けて貰えないか戻ったら交渉してみるか、鍛冶師として是非とも調べて色々と試してみたいものだ」
「氷雅って鍛冶師だったの?」
「一応な」
氷雅がパティにそう答える傍ら、
「おいエアリー、レミエルのおっさんに言っとけ、祭器なんて作ってる暇あったらもっと強い銃を寄越せってな」
恭弥がツルハシを穴底で振り下ろしつつ言う。
「レミエル様はおっさんじゃありません!」
「……つっこむところ、そこなのですか?」
「そうよ、レミエル様はおっさんじゃないわ!」
「聖羅まで?!」
「貴様等、呑気な事を言ってないで、さっさと手を動かせ」
「ああ、また天魔がこないとは限らないからな、急ごう」
戦後、負傷者を一箇所に集め、玲獅とスキルを入れ替えた景守の範囲回復スキルで傷を癒した一同は、周囲の警戒にあたりつつ採掘を再開していた。
「私は少し……興味がありますね……」
凛は穴底から掘り起こされた鉱石を聖羅から受け取り、頭上の穴縁に座るナナシへと渡しながら呟く。
凛としては、祭器が戦況を覆すだけの力を有すか否かの真偽には関心は無いが、一つだけ興味を引く点があった。
それは、
「聖槍のような唯一無二ではなく、私達全員に恩恵を与えるものというところ」
強くなるために縋れる物には何にでも縋るべきだ、というのが凛の結論である。
祭器というのがすべての撃退士の力となるというのなら――それは凛自身にとっても大きな力となる筈。
それで得た力で何かを成したい訳では無い。
ただ、天魔に辿り着き、そして超える力こそが、自信に繋がる、という期待だけがあった。
「量産化する、という話だものね」
凛から受け取った鉱石を籠の中へと移しながらナナシ。
「エアリーさん、この鉱石は、ここにある量だけで足りそうなの?」
「……うーん、まだ試作段階ですし、百個二百個作る程度なら十分以上ですけど、ゆくゆくは、何百、何千と作られるおつもりのようですから」
この鉱石が使われる部分は祭器でも核となる部分、いわば部品だけらしいが、それでも作ろうとしている数が数なので、足りるかどうかは解らない。
「戦時に前線の撃退士全員に行き渡らせられるだけ用意する、というのが大目標ですから、それから考えるとたぶん全然足りないですね。全員に行き渡らせるにはもっと必要です。もっと集めないと」
「そう……なるほどね」
エアリーの言葉にナナシは頷いたのだった。
かくて、富士の山頂に一本の刀が冥魔の旅団長の墓標として立つ事となり、撃退士達は無事に日本一の霊山より大量の特殊鉱石を掘り出す事に成功した。
掘り出された鉱石は撃退士達の手によって無尽光研究委員会のもとへ運びこまれ、祭器の完成に大きく一歩、近づいたのだった。
了