雪のように白い肌だ。
墨水を溶かしたような闇色の瞳がこちらを見ている。
(ああ)
カウンターの席に座る陽波 透次(
ja0280)は胸中で呟いた。
「……どうか、しましたか?」
目の前の女は数度目を瞬かせた。訝しげな色が瞳に宿っている。
――少し、似ている。
透次はもうこの世界にいない女の顔を思い出した。
「いえ……すみません……何でもないです……」
「…………そう、ですか……?」
カウンターに立つ小柄なメイドは、表情を変えずに呟くように言って、微かに小首を傾げた。
「う〜ん、朱子織さんは、まずは笑顔がほしいかな」
二人のやりとりを眺めていた狩野 峰雪(
ja0345)は紅茶の香りを楽しみつつ微笑する。
「笑顔……?」
茶天朱子織は片手で己の頬を抑えた。
「中には冷たくされるのが好きな人もいるけど。やっぱり笑顔があると安心するからね」
峰雪が言うと、黒髪メイドは少し動きを停止した後――にこっと口元を綻ばせて笑って見せた。少し、緊張の色が見える。
「うん、そうそう、良いね、良いよ。でももう少し力を抜いて、自然な感じにするともっと良いかな」
「…………解りました、頑張ります」
「ん、頑張って、でも、力を抜いてね?」
「あ……そうですね……」
女は”はっ”としたように頷くと、次の瞬間言った。
「峰雪は冷たくされるのが好きなの?」
「姉ちゃんそれは一般論だよっ! 礼節の力は抜かなくて良いんだよ! 何いきなり目上の人にタメ口で爆弾放り投げてるの?!」
「……ごめんなさい」
「はは、いやいや、構わないよ。ところで、南居論くんもメイドするの?」
「……オレが着るわきゃないだろぉおおおおおっ?! おじさんオレは男だよ?!」
「あら、南居論、そんな、怒鳴っちゃ、駄目よ、礼儀正しくしないといけないのでしょう? それと、ちょっと見てみたいかも」
「誰が女物など着る物かッ!!」
紅顔の少年が地団太を踏んでいる。
「君も大変だね」
美味そうに紅茶のカップに口つけつつ峰雪。
「そう思うならジャブ振り回さないでよおじさん……」
少年は怨みがましげに中年男を睨むのだった。
●
時は少し遡る。
「『久遠ヶ原の毒りんご姉妹』華麗に参上! ですわ」
名乗りと共に一番に店にやってきたのはクリスティーナ アップルトン(
ja9941)であった。
「こちらのお店ですかね? こんにちは♪」
と続いて笑顔で挨拶するのは木嶋香里(
jb7748)だ。続々とメンバーが喫茶店内に入って来る。
「本日は――依頼を受けてくださって有難う。皆さん、どうかよろしくお願いします」
「はじめまして、ミス朱子織、ミスター南居論……変わったお名前ですわね?」
ブロンド美女クリスティーナが小首を傾げると、
「両親は『ノリと勢いで決めた』と言っていました……」
「そ、そうですの」
話を聞く限りでは両親の遺伝子を最も色濃く継いでるのは長兄なのかもしれない。
改めて店がこうなった経緯を聞き、
「アホで無知なヲタのせいで大被害とは酷い話じゃ……」
よよよと涙するのは緋打石(
jb5225)である。銀髪紫瞳、身の丈132cmの小柄な悪魔童女だ。
人間界の知識をありとあらゆる方面で仕入れた緋打石にとっては、それを間違った使い方をするのは「納得いかん」のであった。
曰く、安易に今流行のジャンルだけを揃えただけじゃラノベは売れんだろ。あれと同じだ、との事である。
「ここはちゃんとした知識を伝授して茶天家を救い、長兄をボコるしかあるまい」
「……賛成」
緋打石の言葉に黒髪赤眼の15歳程度に見える少女がコクと頷いた。染井 桜花(
ja4386)である。
「皆さん有難うございます……でも、あの、どうか兄さんにあんまり酷い事は……」
「ねーちゃんがそうやって甘いからあのクソ兄貴はクソ兄貴なんだよっ! どうかやっちまってくだせぇお姉様がたあっ!!」
へへーっ、と南居論が礼の仕草を緋打石と桜花に取った。曰く、ほんとなら自分で懲らしめたいのだが、撃退士の兄貴とは本気の喧嘩になるといつも返り討ちにされてしまうのだそうだ。そんな悔しさのせいか、子供としては南居論は腕っ節は非常に強かったが、やんぬるかな所詮一般人である。撃退士には勝てない。
「うむ……双方の言い分、あい解った、自分らに任せておけい」
「……悪いようにはしない」
「有難うございますっ! あ、緋打石姐さん、桜花姐さん、何か飲まれますかい? サービスしますぜっ!」
「……南居論」
「しゅー姉ちゃん皆さんにお茶だしてお茶!」
「……まあまずはそうするつもりだったから良いけど……」
姉は一つ嘆息してからそんな事を呟くと、学園生達へと一礼し、腕で席へといざなった。
「どうぞ……おかけください」
●
かくて時は戻って、峰雪の呟きに南居論が額を抑えた後、
「メイドに関しては古今東西のゴミックに精通したこのゴミックマスターに任せてほしいのであります」
琥珀色の珈琲を啜りながら桃々(
jb8781)が言った。身長130cm、年の頃11才程度に見える童女である。スツールに座ると足がぷらぷらする。
「…………コミック?」
「いえ『ゴ』ミックであります」
桃々は無表情娘に対してもう一度述べた。
「説明しましょう。ゴミックマスターとは! 古今東西の橋にも棒にもかからないくだらない、つまらない、似ても焼いても喰えないゴミのような漫画通称ゴミックを愛する者であります」
桃々の言葉に対し黒髪パッツンメイドは数秒間沈黙し、
「……愛してるの?」
「愛しております」
「でもゴミックなの?」
「ゴミックであります」
「愛とは……深いものなのね……」
どういう思考を辿ったのかは良く解らなかったが、彼女の中ではそういう認識になったらしい。
「……桃々ちゃんはちっちゃいのに詳しいのね……よろしくね」
と桃々を見詰めて来る黒瞳には何処か尊敬の色が混ざっているように見えた。
が、
(……とは言っても、メイドさんについてはそんなに詳しくないのであります)
しかし、
「お任せあれなのですわ」
桃々はにこっと笑って見せた。
自分はプロである。プロたるものは、そんなことはおくびにも出さないものなのである。
「――朱子織さん、こちらをどうぞ」
小柄な者が多い中、クリスと並んでモデルばりの170cmの長身とダイナマイツなバディを持つ黒髪娘、和風サロン「椿」の女将、木嶋香里は一冊の冊子を朱子織へと差し出した。
「……これは」
「接客・おもてなしの心得がまとめられたものです」
にこっと微笑して香里。
「……良いんですか?」
サロンを経営しているならプロであって、プロの心得というのは商売道具である。
「どうぞ♪」
「……有難うございます」
喫茶店の女店主は深々と香里に向かって頭を下げ、冊子を受け取った。
「メイド喫茶のメイド……」
カップをソーサーに静かに置いて、齢十六歳程度の小柄な娘が呟いた。黒羽 風香(
jc1325)である。
「私も詳しい訳ではありませんが、可能な範疇で協力しましょう」
風香は、折り目正しく「有難うございます」と受け答えする朱子織を見つつ――実家が喫茶店な事といい何となく親近感が湧く、と感じていた。歳も同じくらいだし兄がいるのも同じだ。もっとも、その兄の方向性が随分と違ったが。
「……お兄さんには喜んで貰いたいですか?」
「ええ、まあ……あ、おかわり淹れますね」
朱子織は言って手元の陶器を動かし、何気なく視線を逸らした。
風香は、何となく親近感を覚える所であった。
●
一服した後に女子陣は、喫茶店の奥の部屋で普段の服装からメイド服に着替えると、早速教導に入る事とした。
トップバッターはクリスティーナ。黒を基調としたミニスカのエプロンドレスにニーソックスにフリル付きカチューシャ。この日の為に実は事前にメイド喫茶に行って勉強してきたという彼女のメイド姿は堂に入っている。
「さぁ、朱子織。まずはお店に入ってくるトコロからお願いします」
「了解……」
てってってーと小柄なメイド娘が店の外へと出てゆく。
少しの間の後、再びカランカランと店のドアが開かれた。
「おかえりなさいませ、お嬢様! ですわ!!」
クリスが元気良く挨拶すると、黒髪娘は目を瞬かせた。
「おかえり……?」
「メイド喫茶の作法というのはそういうものなんですわ。来店したお客様にはおかえりさないませと挨拶するのですわ」
「……一般に、有名なのは来店時の『お帰りなさいませ、ご主人様』ですね」
透次が横から解説した。
「逆に退店する時は『行ってらっしゃいませ、ご主人様』……これは男性向けの挨拶で……女性向けだと、今、クリスティーナさんが実演されたように、お嬢様になるんですね……」
「……なるほど……」
少女は瞳に理解の色を閃かせた。
「メイド、だから……?」
「そう、メイドだからですわ」
二人の言葉に朱子織は納得したように頷いた。「さ、続けますわよ」とクリスが言って、ロールプレイが再開される。
「ささ、こちらのお席へどうぞ。メニューはこちらになっておりますわ」
金髪メイドは娘を席に誘うとメニューを差し出す。娘は礼を言って受け取りそれを開いた。
「本日のオススメは、オムライスになっております」
「そうですか…………それじゃあ…………サンドウィッチとソーダフロートでお願いします」
完全に素である。
”それじゃあ”とは一体なんだったのか。
こういうお客さんいますわよね! と普段、双子の妹と黄金色カフェ・MAPLEという喫茶店を経営していたりするクリスは胸中で叫びつつ言った。
「何度でも言いますが、本日のオススメは、オムライスになっておりますわ」
クリス、輝く笑顔である。
「……わかりました。でも私はサンドウィッチと」
「本日のオススメは、オムライスになっておりますわ」
「……その、サンド」
「本日のオススメは、オムライスになっておりますわ」
「サン(略)」
「本日(ry」
「店長を呼んで」
「練習になりませんわよ!!」
「……そうでした……不覚」
つい、ごめんなさい、とがくりとしている朱子織。
クリスはその間に隣の席から皿を運んで来ると、
「そんなわけで、こちらあらかじめ用意しておいたオムライスです」
きらきらとした笑顔で言ってテーブルの上に置いた。
「これにケチャップでメッセージを書くのですわ」
言いつつブロンド娘はぎゅーとディスペンサーを握ってオムライスの表面に赤色の文字を描いてゆく。
『リピーターになって(はぁと)』
「……それは、少し、厚かましい、のでは……」
「あら、求められないよりも求められた方が嬉しくありません事?」
「……それは……確かに、そうかもしれません……」
微妙な匙加減な所である。
「最後に、おいしくなるおまじないをかけますわ」
ブロンド美女は手をオムライスへと翳すと軽快に独特な仕草をしながらパチリと碧眼でウィンクしつつ呪文を唱えた。
「おいしくなーれ、萌え萌えきゅん!」
朱子織が石化した!
「……なにをしているのです? 朱子織も一緒にやるのですわ?」
「…………で、ですよね……でも、その、クリスティーナさん、恥ずかしくありませんか?」
相変わらず表情に乏しいが、うっすらと頬に朱が差している。
「接客の基本は恥を捨て去る所からですわ朱子織? さ、ほら、萌え萌えきゅんー、萌え萌えきゅんー、さんはい!」
「……も、萌え萌えきゅんっ!」
●
クリスによる朱子織の訓練が一段落した後、
「……朱子織、いける?」
桜花はどことなく憔悴している様子の黒髪メイドへと視線をやった。
「私はまだ戦える……」
「……わかった」
こくりと桜花は頷いた。黒髪赤眼の小柄な娘は、白を基調としたナイフでも隠し持っていそうなメイド服――というか、太腿に巻いている黒革には鞘ごとナイフが差されているのが見えている――に着替えていた。
「……この後……香里も言うと思うけど……『もてなす心』の大切さ……それを知って貰いたい……」
桜花は「どうすれば喜んでくれるのか?」等の「相手の視点等」で考え、行動する事を説いた。
「……これから……手本を見せる……状況開始」
からんからんと店のベルが鳴る。
メイド姿の桜花は扉から入ってきた朱子織を案内し席に勧める。
『どうして欲しいのか?』
桜花は思う。基本はあれど、どうされると嬉しいか、というのは人によって千差万別である、と。
故にこそ相手のその気質を迅速に見抜く、という技術が肝要になってくる。
人の気質は外見、歩き方、目線の動き、口調、表情、身振り手振り、服装、靴、携帯やバッグの装飾、そういった部分に滲み出てくるものもある。何の接点もない初対面時はここを基点に手探りで進めてゆく。
しかし、今回、桜花は朱子織の諸々を聞き見ていた。
事の経緯や先のクリスのやりとりから察するならば、桜花が思うにこの娘は結構――
「……本日のお勧めは――」
「――サンド(略)」
――頑固である。
「……かしこまりました」
メイド桜花、優雅に一礼。こういう相手には相手の望む物を率直に渡すのが良い。
一度カウンターに下がり、注文の品を運んでくる。ちなみに練習なので空皿、空グラスのエアプレイである。
「……お待たせしました……お嬢様」
そして、とびきりの微笑みである。
朱子織が目を瞠ったのが解った。一撃確殺の微笑である。
やがて実演が終わると、
「……快適でした」
と朱子織が感嘆した。
桜花は頷くと、
「食事を作る時……どうやれば……喜んでくれるのか……そういうものを接客にもあてはめるべき」
と朱子織に伝える。
「だから……観察眼……鍛えておくと……便利」
戦闘メイドはそう言った。
●
「メイド喫茶や執事喫茶の需要というのは非日常の体験、という点にあると思います」
黒を基調としたロングスカートのエプロンドレスに着替えて白のカチューシャつけ、ストラップシューズを履いた小柄な黒髪娘――黒羽風香が礼儀正しい口調で言う。
「要は、美人やイケメンに主人と敬われてチヤホヤされるのが気分良いから行くんですよ。多分」
口調は丁寧だが語る内容はザックリ直截だった。
「チヤホヤ…………黒羽さん髪型かわいーいー…………とか?」
「いえ、主人にそんな態度で仕えるメイドがいたでしょうか? もしかしたらいたかもしれませんが、しかし、必ずしもお客に媚びる必要は無いと思います」
「なるほど……」
「大体、見知らぬかたにそんな愛想良く出来るなら苦労してないと思いますし」
「……尤も至極……そこが限界……けれど、私はその限界を超えてゆく……!」
「出来ない事はするなって言葉が世にはあるんですが」
そんな事を言い合いつつ、かくて実演。
”からん”とベル鳴りギィと音立て扉が開き本日三度目、黒髪メイドが客として店に入ってきた。
「――お帰りなさいませ、お嬢様」
同じく黒髪メイド姿の風香が出迎える。
風香は主人の世話をする侍女のように、静々と接客を実演してみせた。
「……席の案内をお願いできるかしら?」
「かしこまりました。どうぞこちらへ」
忠実に主人の望むところをこなす。余計な真似はせず、けれど気遣いを忘れないのがポイントだ。
(これなら無理に愛想良くする必要も薄いですし)
というのもある。
「ソーダフロートをお持ちしましたお嬢様」
雰囲気を出しながら風香はグラスをテーブルに置き説明する(ソーダでおまけにエアプレイではあるが)。
「炭酸を入れるタイミングに注意しつつソーダを作り、刳り抜くのが固くて非常に困難なアイスクリームを熟達のシェフが、ジャストな大きさに刳り抜いて鮮やかに炭酸、緑の海に浮かべたお子様の夢満載の当店人気メニューにございます」
「わあ……ありがとう、昔、これ好きだったの」
そんな事をやりとりしつつ、やがて一段落した所で、
「……快適でしたの事よ」
ロープレに意外にノリノリになっていたのか言葉遣いがおかしくなっている朱子織が言った。
風香の方針が朱子織の性格的に相性がピッタリ良かったのだろう。
「……楽しかったです」
朱子織ご満悦であった。
●
続いて、
”おもてなしの気持ちを伝えたいです!”
という木嶋香里はそのスタイルの良い長身を漆黒のヴィクトリアンロングメイド服に包んでいた。布地の多い伝統的メイド服である。
「――この行動は三ページ目の三行目にあるように、愛情を以って、自らの感情を律し、適切な節度を保ち、より自然な所作でお客様に接して、寛いで頂く為にするんです」
朱子織と香里の手の中には先程の冊子があった。
香里はまずポイント毎にテキストを使って朱子織に要点を説明してから、実演する流れで理解して貰おうと試みたのである。
「実演してみますね」
香里は料理が載っている設定の皿を朱子織の座るテーブルの前に置き、料理について簡単な解説と食べ方の説明をする。その身を包むロングメイド服と同様に、クラシックなスタイルだ。
「…………なるほど、そのようにやるのですね」
テキスト片手にふんふんと朱子織。
「基本はそうですね。でも、基本の上辺だけを真似るだけになってはいけませんよ。形だけを真似て、心が籠もらなくなってしまっては駄目です」
香里は一定の動作を終えると振り向き、真面目な生徒に微笑みかけながら解説した。
「心を籠めるというのは……決して独りよがりのものになってはいけません。常に、目の前にいるそのお客様に対して、最もそのお客様にとっての、最上、最適を目指さなければなりません。桜花さんもおっしゃっていましたけれど、どのようにするのがそのお客様にとっての喜びなのか、それを見定めなければなりません。ですから、籠める愛情が同じであっても、行なう事はその時、その時で微妙に違うのです」
「…………難しいです」
「そうですね、難しいです。ただひたすら研鑽あるのみです。頑張っていきましょう♪」
「はい……!」
香里は朱子織に対し教導を進めて行き、時折質問を挟んで理解度を確認する。
「感情を律する、といいましたけれど、その様にする事でお客様が過ごしやすくなる理由はわかりますか?」
「……泣いてたり、イライラしてたりする人の前では寛ぎにくいから?」
「その通りです♪」
「感情を表に出さないのは得意です」
「……朱子織さんはもう少しだけ表情筋を使った方が良い気はしますけれど……でも表情は動かなくても朱子織さんは結構、感情わかりやすいですよ?」
「……そうなんですか?」
「ええ、ちょっとした仕草で」
ふふ、と笑いつつ女将。
「――どうでしたか? おもてなしの気持ちはわかりましたか?」
一通りの教導を終えて、香里は朱子織に問いかけた。
「……基本だけなら、のみこめた気がします」
「それは大変結構です♪ これからも接客の基本を大切に頑張ってくださいね♪」
「はい。いただいた教えを元に……おもてなし力の向上に努めます。有難うございました」
朱子織は女将に向かって深々とお辞儀をしたのだった。
●
「萌とは関係ない絵画に描かれていたメイドの衣装を参考にしたのじゃ」
と、語るのは、地面まで届きそうなロングのスカートのメイド服に着替え、銀の髪を後頭部にアップで纏めた緋打石である。
「自分は接客したことはないがな、しかしさしあたり、メイドの歴史とその変遷については知っておる。自分からはその辺りを伝授しよう」
言って銀髪童女は台の上に乗るとカウンターに一枚の大きな絵を立て、観衆に見せた。
「おー」
南居論が感嘆の声をあげる。
緋打石が持つ絵にはどこか西洋の古い時代のクラシックな屋敷内が描かれていた。主人らしき男とメイド達の姿もある。
「さて、メイドというのは、この絵のように要は女中とか家政婦のことじゃな」
銀髪童女は朗々と語る。
「俗に言うメイド服は後世のコスチュームが広まってイメージとなったに過ぎない」
しかし、と一言、緋打石は呟き絵をめくった。
「――女性の社会進出が盛んになってからは見かけなくなったのじゃな」
絵がめくられると、今度は産業革命から紡績工場で働く婦人達の様子を描いた絵が現れた。その絵は途中でコマが割れて、ビルを背景にビジネススーツ姿で仁王立ちする女性の姿も描かれている。
「まぁそれでもメイドというのは、久遠ヶ原じゃよく見かけられる光景なんじゃがな。しかし一般社会じゃそうだ、彼女らは姿を消した。もうメイドがそこらの道なんぞは歩いとらん」
緋打石はさらにめくる。
今度は写実世界からデフォルメされて当世風の可愛らしいタッチで描かれたメイド少女が絵に現れた。
「メイドと萌えの関連性についてじゃが、どの段階で発生したのかは不明だ。じゃが女中・給仕服にフェチズムを感じるようになったことが始まりじゃな」
ぱらりとめくると次に登場したのは電気街。風情のある名前を持つあの街である。
「で、所謂美少女ゲームとか漫画とかで例のゴシック調の衣装を着たキャラクターが出てきたりして、例の服装を着た女中・家政婦のことを指す呼び方になったとさ――という寸法じゃな」
もう一度、絵をめくると、礼をしている新旧メイドのイラストが出てきて、おしまい、とフキダシに描かれていた。
「おー!」
「……解りやすかった」
パチパチと拍手が起こる。
「ところで、美少女ゲームって……」
「恋愛ゲームだよ、恋愛のゲーム!」
「まあここは飲食店じゃからな。そういった心持ちだけでもいいから参考にすればよい」
アップな銀髪童女は苦笑しつつそのように締めくくったのだった。
●
「重用なのは二点、方向性とサービスでありますわ」
と語るのは桃々。彼女も実演よりアドバイザーに徹するようで、店内の席に座って透次を交えて朱子織と話していた。香里が給仕についている。
「まずは、どのメイドを目指すかの問題であります、というかほぼこれに尽きます」
「……どのメイドかというと……さっきの緋打石さんの絵に出てきたように……種類があるという事?」
朱子織が小首を傾げた。
「はい……メイド喫茶は主には二種類ありますね」
透次がカップを手に頷く。
「一つはアニメキャラクターのような接客でお客と積極的に交流するタイプです……相席して会話したり、ゲームしたり、アイドルのようにステージで歌って見せたりするやつですね……」
「実際、クリスティーナさん、染井さん、そして黒羽さんと木嶋さんと緋打石さん、後の御三方は同じロングでしたけど、それと最初のお二人は服装からして同じメイド服でも大きく違いましたでしょう? 接客法も」
桃々も紅茶のカップに口つけつつ説明する。
それに「そういえば……」と朱子織は頷く。
「巷に散乱するきゃぴきゃびのミニスカメイドなのか? ナイフを飛ばすような戦闘メイドなのか? ……これはもうアイデア次第というしかないのであります」
言って、齢11才程度に見える童女はカップを置くと顔をあげて朱子織を見据えると、ギラっと目を輝かせて言った。
「いかに男どもの恋情というかマニア道をそそるかの勝負であります」
「桃々ちゃんおませさんなのね……」
黒髪娘が片手を頬にあててほぅなどと息を吐いている。
「他人事みたいに言ってちゃ駄目なのであります茶天さん。きみがやるのですわ」
「……げ、限界を超えてゆく……うーん、私にできるかしら……?」
「ミニスカに始まり軍人メイドなんてものまであります。それなら巫女巫女喫茶でもいいかもしれない……でゅふふ」
なにやら緑眼童女が独特の笑みを浮かべている。
「……桃々ちゃん巫女、好きなの?」
「はっ、つい空想の世界の重力に魂を引かれてしまったのですわ。お気になさらず」
童女は紅茶で喉を一度潤してからまた開いた。
「もう一方は、先程の御三方のように、萌なんかよりは史実に忠実な本格的なメイドさんを再現する場合でありますね」
「そちらはお客と積極的に交流するというより……メイドさんが接客する以外は普通の喫茶店でしょうか」
透次が言う。
「当時の歴史資料を参考に、本来のメイドさんの給紙・接客作法を再現して提供している正統派のお店……ですね。当時の歴史再現の為か紅茶に拘ってたりもするそうです」
「ええ、こちらの場合は萌とかの華やかな要素はなくなりますが、落ち着いたシックな英国的喫茶になるのではないでしょうか? このお店の場合はこっちの方が合ってるように思います」
「そう……?」
「僕もきってん!さんはクラシック系が向いてるような気はしますね……」
「……ですか、やっぱり、どちらかというならそうなのでしょうか……」
「次にサービス。制服に隠れがちでありますが、お客様の癒しになるのは同じであります。木嶋さんや染井さんもおっしゃってましたが、快適にくつろげる接客は大事なのですよ」
「僕もサービスは大事だと思います。メイド喫茶の魅力は……メイドさんは可愛いですし、確りとした接客作法で持て成されたら喜ぶのも分かる気がします……作法が上手な店員さんはそれだけでカッコイイですし……」
それに傍らで珈琲を飲みつつ耳を傾けていたクリスが、
「この珈琲の味であれば、私は普通の喫茶店に戻して勝負するのをオススメいたします。味はいいのですから、あとは宣伝が足りなかったのでは?」
と意見を述べた。
それに透次は頷くと、
「ネット等で外に宣伝もすると良いかも……ですね。好きな人は遠出しても来るかもしれません。口コミで広がるかも」
等々、透次と桃々とクリスは朱子織へとアドバイスしてゆくのであった。
●
「失敗から学ぼうっていう心構えは素晴らしいと思うよ」
メイド朱子織から接客を受けながら峰雪は微笑した。
「ホスピタリティという概念が日本に入ってきて長いし喫茶店をやっていくうえで、大切なことだと思うよ」
「ホス……?」
「歓待の精神、だね。相互満足と共創、ホストとゲストの間に互いに喜びを共有しようという精神――まぁ要は、相手が喜んでくれると嬉しいよね? って事かな。マナーは、相手に不快感を与えない最低限のルールだけど『心』が加わるとホスピタリティになるんだって」
中年男は珈琲を啜りつつ言う。
「なるほど……峰雪おじさん物知り……」
「長く生きてるからね」
中年の男は珈琲を啜る。
「……そうだね、やっぱり、皆も言っていたけれど、相手の立場を自分に置き換えて考えてみるといいかもしれないね、どうしたら嬉しいかなって――まぁ僕としては、萌えよりは、ホテルのウエイトレスさんみたいな給仕がいいかなあ」
峰雪は年輩客の視点でアドバイスをした。娘にさせたくないような事はNGである。
「そっか……」
「そういえば……このお店、葉斯波彩花って子がいるらしいけれど、シンガーソングライターの?」
「……知ってるの?」
「ちょっと前に色々あってね、お父さんとはうまくやっているのかなってちょっと気になってて」
「あぁ……昔、仲が凄い悪かったみたいだけど、最近は仲良いみたい。私はお父さんもう死んじゃったから、気を遣ってくれてるのか、その辺り彩花あまり喋らないけれど、自慢のお父さんみたいね」
「そうなんだ……歌は続けてるの?」
「ええ……今日は休日だから、きっとどこかで歌っているわ」
その返事を聞いた峰雪は、彩花の腕前と改装後の店次第では、弾き語りも楽しいかもしれないと勧めた。
「世の中には頑固な店主が趣味に走ったジャズ喫茶とかもあるしね。他のお店を色々と見学するのもいいかもしれないよ」
●
最後に、透次は様々な教えを受けた朱子織から接客を受けていた。
「……美味しい紅茶でした」
「恐れ入ります」
すっと黒髪メイド娘が頭を下げる。ちなみに流石に飲み過ぎな気がして紅茶はエアである。
(朱子織さんはメイドさんをやってみたかったのかな)
教えられた事を活かそうと奮闘している娘を見やりつつ透次は思う。
そして、ふと、最初の風香と朱子織の会話が脳裏を過ぎった。
次いで、何故か思い出したのは透次の姉の顔である。
(…………上手く行くと良いな)
青年はメイド娘から呪文を受けつつそんな事を思うのだった。
●
橙色の光輝く黄昏時。
「やあ君が――ぬっ?! なにもぬわー!!」
南居論から撃退士の兄の学年とクラスを聞き出した桜花と緋打石は三兄弟長兄・鵞絨を手紙にて呼び出し不意打ちして拘束、体育館裏に転がしていた。
桜花と緋打石は、何故、自分達が鵞絨を縄で縛り上げたのかを説明する。
そして、
「ち、畜生、南居論め! あのガキャ、ビロビロにしてや――って、え、ちょ、ちょっと待っ――!」
鵞絨青年の悲鳴が黄昏に鳴り響いた。「肉体的」ではなく「精神的」に「えげつないトラウマ」を刻み込む行為が容赦なく行なわれてゆく。そりゃあもう「遠慮容赦躊躇一切」無しである。
「ま、まいったっ! 俺が悪かったっ! こっ、降参だ! 反省する! 許してくれぇええええ!!」
「……ほんとう?」
「嘘じゃなかろうな?」
「ほ、本当だ! 反省する! 反省した! ちょっと俺も今回はまずかったかも、って思ってたんだ!」
「……ふーん」
桜花は縄をうたれた男を半眼で見下ろし、人差し指をすっと伸ばし、鵞絨の下半身の「とある部分」を指差すと、次の刹那、胡桃、林檎、胡瓜を取り出し次々に白手で握り潰して豪快に粉砕した。
「……次、逃げ出したり、二人に迷惑かけたら……こうなる」
さーっと鵞絨の顔が青くなる。
「……これは脅しではない……告知だ……二度目はない」
「……ははっ、貴殿もその若さで不能になりたくはないだろ?」
髪を漆黒に染めた烏天狗はごごごごごと白黒オーラを纏い、オッドアイを光らせ、仰向けに転がる鵞絨を見下ろす。笑っているが、目が笑ってない。
「は、はひぃ……」
性転換したくない青年はコクコクと二人に対して必死に頷いたのだった。
その後、風の噂によるならば、内装が改められ長男がおかしな難題を吹っかけて来る事もなくなり、さらに接客力をあげた女店長と弾き語りのジャズが聞けるようになった喫茶店は、以前の常連客を取り戻し、さらにはネットで評判になり以前よりも客足を伸ばすようになったという。
了