夏の蒼天、水平線の彼方まで広がる遥かなる大海原だ。
陽差しは眩しく、浜の砂は白輝に光る。
弧を描く海岸線、波が寄せては砕け、退いてゆく。風は強く潮の香りがした。塩の匂いなのだと、誰かが言った。あるいは命の源だと。
海だ。
「うーし、海辺でサーバント退治は初だけど、気を抜かずに行くぜ!」
浜辺で準備を終え、ウェットスーツ姿で松原 ニドル(
ja1259)は網を手に言った。潜水用具を受け取るついでに依頼主からファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)とLamia Sis(
ja4090)が借り受けて来たものである。「もし……破れたらごめんなさいね?」とのLamiaの言に、壮年の地元民は「その時はまぁ仕方ねぇな」と言っていた。気前が良いというよりは、それだけサーバントによる被害が切迫しているという事だろう。
(普段ほっとんど接触のない生徒会長とも一緒だし、ちょっと緊張すっかもなァ)
ニドルがちらりと視線をやれば、同じくスーツに着替えた黒髪の娘は何処か覇気がない様子だった。
(……生徒会長、なんか元気なくね?)
首を傾げるニドルである。同様の感想は機嶋 結(
ja0725)や他のメンバーも抱いている。
(いくら不調でいらっしゃるにしてもサーバント一体程度にどうにかなる、ということはないとは思いますが……)
神月 熾弦(
ja0358)は親衛隊が起こした事件の噂は聞き知っていたのでそれが原因かなと思った。放っておけない程度には心配だ。
撃退士達は作戦を打ち合わせ、確認する。
「1.阻霊符を使用してクラゲに投網を投げる。2.引き上げる。3.攻撃する。シンプルね」
同じくスーツ姿のLamiaが言った。まぁ作戦はシンプルで済むならシンプルな方が良い。
「では茜殿、私達は浜辺で待機で」
「了解です。海班の皆さん、危なそうならすぐ浜まで退がってくださいね」
鬼無里 鴉鳥(
ja7179)は茜と共に陸で待機する事にしていた。
「抵抗力を高めるスキルを活性化しているので毒は大丈夫だと思います」
囮を務める熾弦は、サーバントは海水浴客狙いだろうという予想から制服類を脱いで水着姿になっていた。豊かな曲線を描くすらりとした肢体を学園指定水着に包んでいる。
「水母の距離が近ければ投網だけで済むと思いますが……」
スーツに着替えたファティナは呟きつつロープも準備しておく。さて、クラゲは何処の辺りに居るのか。
「まず索敵ですね」
水着の上から潜水用具一式を身に付けた結がゴーグルの具合を確かめながら言う。敵の位置が解らなければ始まらない。
「かねぇ。それじゃクラゲ漁開始といきますか。実体はサーバントだけどな」
「状態異常とかありそうだから…早めに勝負決めたいわね」
網持つニドルとLamiaが言って一同は退治作戦を開始するのだった。
●
索敵を開始してしばし、結は海中、透視度限界の彼方よりぼんやりとした光が浮かび上がって来るのを捉えた。
即座にサーバントと断定して後退浮上すると声をあげて皆に報せる。
まず正面より囮役の熾弦が向かった。ある程度接近した所で潜水する。蒼い焔の如き光が四つ、熾弦に向かって伸びて来ていた。サーバントの腕だ。
熾弦は斧槍を出現させ迫り来る腕に対して構える。
蒼輝の腕が水を割いて熾弦へと襲いかかり、熾弦は身を捻り斧槍で払いかわさんとする。一撃、二撃とかわしたが、流石に水中では動きが鈍る。三本目に槍持つ腕を絡め取られ、四本目に脚に絡みつかれる。かわされた二本も翻り胴に絡みつき締め上げる。骨まで圧砕されそうな万力もかくやという強力だ。鎖骨が軋み肺が圧迫され、口から息が気泡となって洩れてゆく。止めとばかりに首に巻きつかれて締め上げられた。
四本の腕より刺胞が突き立てられ熾弦へと猛毒が注がれてゆく。熾弦の特殊抵抗力はとても高いので、麻痺と毒は無効化していたが、物理的に締め上げられる力まで防げる訳ではない。常は戦闘中でもぽややんとした態の熾弦だったが流石に表情が苦悶に歪んだ。
しかしその時、海面方向より星屑の如き金粒子が降ると同時、黄金の光が海中を割いた。光は熾弦の首を絞める水母の腕を斬り裂き一息に両断する。デュランダルを構えたファティナの一撃だった。アウルの燐光を帯びた不滅の刃は斬岩剣の伝説の如く、さらにもう一本の腕をバターのように割いて斬り飛ばす。剣の性能というよりは魔法攻撃なので多分に地力。
その間に水母本体に接近したニドルとLamiaは、水中を泳ぎつつ二人で網を展開して水母を捕えんとする。なんとか囲みこんで水母を網に納めると、陸へと向かって引いてゆかんとする。
他方、隠密に水母の背後まで回り込んだ結は、蛍丸の切っ先を水母へと向けていた。
(…上手くいくと、いいのですけど……ねっ!)
アウルを収束してフォースを解き放つ。光の波動が水母に直撃し、猛烈な衝撃力を炸裂させ水母を陸方向へと弾き飛ばした。その後押しを受けてLamiaとニドルは移動を加速させる。結はフォースを連射しさらに直撃させる。しかし、網も少し破けた。
熾弦は斧槍を一閃、自らを拘束する腕を断ち切ると息継ぎの為に海面へと顔をだす。水母は標的を移したようで、身を回転させ結へと腕を伸ばさんとする。網が絡まり、網持つニドルとLamiaは振り回されそうになったが、水を蹴りつつ腕を引き対抗する。
結は迫る四本の腕に対し防壁陣を展開し蛍丸を振るって弾いたが、やがて絡め取られて締め上げられる。しかしボンベもしっかりつけていたので、窒息はなんとか避けられそうだ。ファティナは巨大な水母に取りつくと網の上からロープを巻きつけ、水母引きに加勢する。
「成功しそうか……?」
浜辺で見守る鴉鳥は海を見やりつつ呟く。水中でかなりドタバタしている様子だったが、水母を浜へと寄せつつあるようだった。
やがて、足をつけられるような浅い水域まで水母が引き寄せられる。海面に輝く水母の傘が現れていた。
鴉鳥は茜と共に向かい、海中にいた五人も立ち上がってそれぞれ武器を構える。
かくて、陸揚げされた水母サーバントは袋叩きにされて退治されたのだった。
●
「いやー、皆さん、有難うございます! 流石は撃退士さん達だ!」
協会に退治成功を報告にいくと依頼主は実に嬉しそうだった。これでまたビーチが使えるようになる、と。
町で小休憩を挟むと撃退士達は約束の報酬を活用すべくビーチへと繰り出した。報酬の一日ビーチ貸切は恐らく、真にビーチの安全が確保されているかどうか、その確認もあるのだろう。
撃退士達は銘々に浜辺でくつろぎ始める。
Lamiaはパラソルを立てるとその陰で甘いシロップをかけたかき氷を愉しんだ。太陽が燦々と輝く暑い白浜で食べるかき氷はなかなか美味だ。
結はワイシャツにホットパンツ姿で大量に買い込んだアイスを舐めながらのんびりとしている。
ニドルは早速、自由になった海へと出て波と勝負とばかりに豪快に泳ぎ回っている。エメラルドブルーに輝く海は日本にあって有数の美しさである。
そんな中、水着の上からTシャツを着込んだ姿の茜は砂浜に一人立ちぼけっとした様子で海を眺めているようだった。
ファティナはちらちらと様子を見ていたが、あんまりにも茜がずっとそうしているので、一つ悪戯を思いついた。後方より足を忍ばせて近づいてゆく。
昼間、風は海から吹く。風下は忍び寄るには有利。獲物は気が抜けているのか完全に無防備だった。
「せいとかいちょーさん!」
ファティナは声と同時に背後から抱きついた。声と同時に手を回して茜の胸を掴みぐぃっと上に持ちあげる。結構なボリューム。
「は――へっ?! なっ、なっ、何をなさるのですっ」
呆けていた所から我に返った様子の茜は一瞬で耳まで真っ赤になった。不意打ちには弱いらしい。
ファティナはくすくすと笑い。
「今はいいですがお仕事の時にそんなぼーっとしてると命落としますよ?」
「そ、そんなにぼーっと、してたでしょうか」
「隙だらけですねっ」
そんな事をきゃっきゃとやっていると他のメンバーもやってくる。
「――煮詰まった顔してるわね?」
かき氷を手にLamiaが言った。
「ラミアさん」
「水物取らずにぼーっとしていると……脱水症状起こすわよ」
とLamiaは氷菓子を差し出した。茜は礼を言ってそれを受け取る。
「落ち込んでいますと、美人が台無しですよ?」
結がアイスを舐めつつ片手を茜の口端へと伸ばす。上にむにっと押して無理やり笑顔を作らせた。
「うぅ、そんなに落ち込んでるように見えますかね」
雑談していると海からあがったニドルがクーラーボックスを抱えてやってきた。
「うおーい、お嬢さん方、冷えた飲み物はいらんかねーい」
「売り子さんみたいですね」
「炭酸飲料からゼリーにデザート色々詰めてきたぜ」
と熾弦の言葉に答え、青年は各々の要望に答えて中身を配ってゆく。
(なんで生徒会長が元気ねーのか、分かんないけど……撃退士だって人間だし、常時ブレない鋼の心とかムリポだよな)
ニドルはちらと見てそんな事を思う。
「せーとかいちょ。あんまりぼーっとしてるとこんがり日焼けしちまうよ?」
茜へとペットボトルを渡しつつ笑う。悩みについては特に触れずに「お疲れさん、一緒に戦ってくれてありがとな」と労いの言葉をかける。素直な気持ちを述べようと思ったのだ。
「松原さんもお疲れです。有難うございます」
茜は飲み物を受け取ると、嬉しそうに笑って礼を言った。
ニドルは引き続き飲み物を配りつつ、雑談に興じている皆を見渡しふと思う。
(……あれ? っていうか今更気付いた。俺以外、全員女子?)
真に今更であった。
●
「スイカを調達してきた。海では定番だろう」
町の売店から戻って来た鴉鳥が丸々とした緑色の球体を掲げて言った。
「あ、スイカ割りですか。良いですね」
そんな訳で皆でスイカ割りをやる事となった。特に結が茜を誘って遊ぶのに積極的で競泳なども行われ場は賑やかだった。
陽が落ちて真丸の月が登る頃になれば、持ち込んだ花火に火をつける。蒼い闇に輝く炎の軌跡。熾弦が持ち込んだ花火は特に派手で皆の目を楽しませた。
派手なものが終わった後、線香花火をやっていると、
「……信じる、というのは難しいですよね」
熾弦が微笑しながらぽつりと呟いた。
「けど、信じた通りと違っていたと思い悩むのは『期待』というものかもしれません」
思いと違う事があっても、信じられる部分は信じ、駄目なところは止める。それしかないのかもしれないと、少女は言った。
●
後片付けして浜から引き上げる帰り道、ファティナは茜へと言った。
ファティナは、はぐれ悪魔の子を義妹と呼んで可愛がっているのだと。
だから、件の事件を聞いた時、少し悲しかった。はぐれでも悪魔が憎まれている事は分かっていたが。
「それでも、私は信じたい。あの子の夢を……」
ファティナは茜に言った。
「貴女は信じていて下さい、例え酷い裏切りにさらされても。私達が貴女を支えますから」
●
旅館で食事をして眠る前まで結は積極的に茜に話しかけていた。
灯りが消され、並べられた布団の中で目を閉じると、とても疲れた、と思った。基本、知らない人と騒ぐのは苦手なのだ。
(……まるでピエロね)
今日の自分に対し結はそう思った。しかし茜には早々と元気になって欲しかったのだ。
(執行部の会長が腑抜けていては困りますからね……彼女には悪魔を多く狩って貰いませんと)
費用対効果を考えれば道化を演るくらい安い投資だ。
が、
(人に裏切られ……か。案外、か弱いお嬢様ですね)
ちらりと隣の布団で眠る茜へとやる結の瞳に映る色は蔑み。
そして、多少の眩しさが在った。
(私は、道具だった)
過去が闇から伸びて来る。
首を振って振り払う。
喜怒哀楽も好嫌も、不利益なものなど波間の底に抱いて沈める。息を吸って吐くように。
総ては、悪魔を絶滅させる、その為に。
●
夜が過ぎ、月が沈み、今日もまた太陽が顔を出す。
鴉鳥は朝焼けの砂浜に茜を呼んだ。
「お話というのはなんでしょう?」
茜が小首を傾げて問いかけて来る。
「――茜殿、剣を抜け。茜殿の抱く迷い、私なりの解を示そう」
鴉鳥は言った。
「私を友と思うてくれるなら躊躇うな」
少女の構えは本気だった。その様に茜は息を呑んだ。
「……解りました」
黒髪の少女は頷いた。
●
鴉鳥はやるからには本気だった。
太刀はまだ具現化させない。間合いは読ませない。虚空刃がある。先手は取る気になれば取れる。
しかし、向かい合う相手、武器を構えると空気が一変した。
ゆらりと、静かに、鈍く輝く太刀から深紅の燐光が鬼火の如く立ち上っている。光の塗り潰された闇色の双眸が鴉鳥を見据えていた。何処を見ているか解らない、それでいて指先一本の動きさえ見透かしているような瞳。何処に打ってもかわされそうな気がした。神楽坂茜が本気だ。
だが鴉鳥は茜の動きは先に見て知っている。
茜の性格なら小細工無しに真っ向から来る筈だ。
まともに打ってはかわされても、攻撃の瞬間には隙が出来る、だからそこを狙う。見てから間に合わないなら、先読みして中てる。
鴉鳥は意を決すと、構えを崩してわざと隙を作った。
次の刹那、黒髪の女は瞬間移動でもしたか如く既に眼前で猛然と太刀を振り上げていた。この足場でも相変わらずの呆れる速さ。だが読み通り。どれだけ速かろうが解っていれば合わせられる。鴉鳥も動いていた。目で確認するより前に大太刀を顕現させ胴を狙って薙ぐ。女が身を捻った。
交差する二条の剣閃は黒雷と赤雷の如く、空間を断ち黒光が浜辺を爆砕する。鴉鳥の太刀の切っ先が砂浜に突き刺さっていた。
軌道が逸らされていた――上から打ち落された?
軽い混乱の中、喉元に違和感。
緋い刃が押しつけられていた。
●
「信用と信頼は異なる。信頼はな、茜殿、培う物だと思う」
一戦の後、鴉鳥は茜を見据えて言った。見も知らぬ者に背を預けるなど出来ない、少女はそう思う。
「……茜殿は、仲間に刃を向ける事は出来るか? 有事にそれが出来る覚悟がなければ、茜殿が抱く信頼は只の甘えだ」
茜は言葉に詰まった様子だった。
鴉鳥は思う。斬れるのだろうか、彼女は。先も結局、茜は寸前で刃を止めた。
「私は茜殿を畏敬していると言っただろう? 好きなのだよ。茜殿の愚直さは。だがそれが茜殿を懊悩させると言うなら――」
是非もない、と思う。
「その愚直さは、甘えだ」
だから言った。
「『仲間だから』は信頼を寄せる理由足りえぬのだよ」
冷徹になれとは言わないが、強く在れる様に。
●
朝に旅館を発ち一行は久遠ヶ原へと帰還した。
皆から渡された言葉達は茜に影響を与えたようだった。
会長の変化は執行部の作戦の端々にその影響を与えるようになるが――それはまた別の話とし、今回の報告はここまでとさせていただこう。
了