冬の強い風が、店の窓ガラスを震わせた。
窓から差し込む夕陽は、黄金の色だ。
琥珀色に良く磨かれて鈍く光る、表面に木目を浮かびあがらせる長方形の木造テーブルには、ソーサーが二つ置かれ、それぞれ陶磁器のカップが載せられていた。
店内は空調が効いていて、暖かかった。
やや暑いくらいだ。
クラシックの曲が緩やかに流れてくる。
「リストね」
とリボンの巻かれたソフトハットをかぶり、伊達眼鏡をかけて変装しているナナシ(
jb3008)は胸中で呟いた。
副題は確か、三つの夜想曲。
主題は――
「いいわねぇ、青春よねぇ」
六道 鈴音(
ja4192)がうっとりしたような表情で呟いた。ナナシと同席しているパンツルックの黒髪黒瞳の女子大生は、伊達眼鏡と鹿射ち帽をかぶって変装している。
その視線の先には、久遠ヶ原学園の中等部の制服にそれぞれ身を包んでいる少年と少女がいた。
「これって二人に『付き合ってるの?』って聞いたら、二人して『そんな事無い』って言うくせにズルズル関係が続くパターンよね」
「まあ実際、どうなんだろうな。本人達、親しいだけで普通に友人のつもりなのかもしれないぞ」
と答えたのはナナシ・鈴音とテーブルを挟んで向かいのソファーに腰掛けている赤髪の青年、久遠 仁刀(
ja2464)だ。ただし本日は黒いサングラスを光らせトレンチコートに身を包んでいる。
「そういう場合もあるもんだよな」
仁刀の隣の席で夕刊を広げつつ頷くのは小田切ルビィ(
ja0841)。こちらも眼鏡をかけ、ハンチング帽を目深にかぶって変装している。
「えー?」
「確かに、互いに自覚がないパターンもあるわね。で、途中ではっと互いの気持ちに気付くのよ。鉄板展開よね」
「そうそう、じれったいわよねぇ。もう、さっさと押し倒しちゃいなさいよ!」
「うっひょー、リンネちゃん先輩過激!」
「おい、声がでかいっ」
隣のテーブルの席で笑っているのが忍軍先輩こと陣内万樹で、小声で叫び慌てているのがインフィル先輩こと真田雪風だ。二人ともに高等部三年である。
一同の会話を狩野 峰雪(
ja0345)はにこにこしながらカップに口つけつつ聞いている。
(……良い先輩達だな)
今回の場を設けたという万樹と雪風に対して陽波 透次(
ja0280)はそう思った。
(……自分達も辛いだろうし……十分彼らも若いっていうのに……)
特に雪風は先の戦いで恋人を亡くしている。万樹が八鳥に"そういうのはすぐやるんだよ"と言ったのは、彼自身が過去に亡くした身内に言いそびれた事があったからだろう。
(辛い事があっても、支え合える関係……か)
ずっと、彼らの関係が続いて欲しいと透次は思った。これ以上、誰も欠けずに。
(……あの時、俺が連中の護衛に就いていれば、な。ハッ、『たられば』に意味は無ェか……)
一方、ルビィは己に不甲斐無さを感じていた。
(……頭では分かっちゃいても、そう簡単に割り切れるモンじゃあねえよな)
夕刊の越しに中等部制服姿の少年を見やり、胸中で呟く。
――今まで信じて歩んで来た道が、突如として理不尽に途切れる怒りと哀しみ。
それを想うと、ルビィは八鳥に対し軽々しく『頑張れ』等と慰める気になれなかった。
「……それにしても二人とも喋らないわね」
ナナシは読唇術で探りつつむぅ、と唸る。
「最初に挨拶してちょっと話したっきりずっと無言よ」
視線すら合わせない。
八鳥少年は窓の外を見ているし、雪花は俯いて両手を揃え膝を見ている。
「チッ、何やってんだあいつぁ」
「やとりん、ファイト!」
万樹が舌打し、鈴音が両手を握って小声で応援を送る。
「やはりこうなったか――何か、動きを促した方が良いかもしれないな」
ガタリと仁刀が立ち上がりかけ、
「待った待ったっ」
「俺達がここにいる事がバレると不味いぜ……っ! 突撃は最後の手段だっ」
雪風が抑え、ルビィが言う。
「それは解っているが……だが、ずっと動きがないぞ?」
再び腰を降ろしつつも、このまま放っておくのも不味いんじゃないかと仁刀。
「こっちの正体をバラさずに、何らかのアクションを仕掛けられれば良いんだけど」
「うーん……」
ナナシと透次が上手い手はないかと首を捻っている。
そんな時だった、窓の外をじっと不動で眺めていた八鳥が、雪花に向き直った。
「――雪花」
(おお、動いた!)
と一同は胸中で叫びそれぞれ見守る。
「は、はい」
俯いていた少女も声を受けて顔をあげる。
「この前の事なんだが――」
おそるおそるの二人の視線が絡み合い――
(うん?)
そんな中、峰雪は店の扉が開き、男が一人、ふらふらと入って来るのに気付いた。
中肉中背ジーンズに長袖シャツ姿の、特徴の無い若い男だった。
否、特徴はあった。
一見、普通を寄り集めただけの男に見えたが、目の焦点が合っていない。
瞳孔が開ききった瞳は左右非対象にぎょろぎょろと動きまわり、正常な人間のそれではない。
峰雪の背に怖気が走った。
何かのクスリでも決めているのか、それとも――
焦点の定まらない男はふらふらと入り口付近のカウンター席に近づくと、マスターと談笑していた女性へと向かっておもむろに腕を振り上げた。
「あら?」
女性が振り向いた時、男の腕の皮膚が、肉が、袖が、爆ぜた。
飛び散ったものの下から男の腕が現れた時、それは生物的ながらも金属の如くに硬質化し、鋭い刃状に変化していた。
男の腕刃が高速で動き、呆気にとられている女性の顔面へと叩きつけられる――寸前に、唸りをあげて横から何かが飛来した。
峰雪が抜き打ちで放った弾丸が、男の腕刃に炸裂して切っ先を弾き、弾かれた男の腕刃がカウンターに食い込んで鈍い音と共に木っ端が散る。
フランツ・リストの「愛の夢」のメロディが聞こえた。
一瞬の静寂。
直後、女性の絹を裂くような悲鳴があがり、男がカウンターに食い込んだ腕を引き抜く。
その時には、即応した透次、ルビィ、仁刀が剣をヒヒイロカネから具現化させて男へと迫っていた。
三本の剣が光の如くに閃き、貫かれ斬り裂かれた男が血飛沫を噴出しながら床に倒れる。
店内は一気に騒然となった。
「ひひひひひ人殺しっ?!」
「違う! こいつは天魔だ!!」
「天魔っ?!」
「うわ?! 見ろ! 表ぇ!!」
窓の彼方、通りを小走りに走る婦人が後ろから駆け寄ってきた男に斬りつけられて倒れていた。車道に躍り出た女に車が激突し、車の方が吹き飛んで横転し、家屋の壁にぶつかって爆発炎上する。
悲鳴と絶叫が聞こえてきた。
一般人達が愕然とする中、ルビィが声を張り上げる。
「落ち着いてくれ! 俺達は撃退士だ! 天魔は俺達が必ず撃退する。皆は表には出ず、落ち着いて行動してくれ!」
「ちっ……せっかくイイトコロだったのに!」
鈴音が空気読まない天魔の襲撃に対し悪態をついた。その手には召炎霊符が構えられている。近接組が討ち洩らした時に備えていたのだ。
ナナシもまた構えていた魔導銃を消す。
「そいつ、ディアボロかしら?」
「その腕の刃……静岡や山梨でみたディアボロに似ている気がする」
と鈴音。
「ああ……確証は持てねぇが、どっちかといえば、ディアボロっぽい面してるな」
ルビィは頷いた。
「とりあえず、椅子とテーブルを集めてくれ! バリケードを作る!」
「あいよ!」
万樹や雪風、景守らが店の出入り口や窓の前にテーブルや椅子を運び積み始める。
「せ、先輩達……?」
「なんでここに?」
雪花と八鳥が呆気に取られた顔をしている。
ばれてしまっては仕方ない、とばかりに鈴音は帽子を脱ぎ、伊達眼鏡を外し苦笑して見せた。
「八鳥君、戸次さん、貴方達は気にせず続きをしていてね」
「いや、そういう訳にも」
「戸次さんは、八鳥君が無茶しないようにちゃんと見張ってないとダメよ?」
「は、はい!」
「俺は――」
「八鳥、スキルは使えるんだろ? なら、防御系のスキルと盾を活性化して守りに専念してくれ。一般人を頼む」
言いつつルビィは、メモを八鳥へと渡した。
「これは……?」
「俺のスマホの番号だ。侵入された時に連絡をくれ」
ルビィは八鳥を見据え、言った。
「今やれる事を全力でやる。それが『何の確証もない明日』に続く唯一の道だと、俺はそう信じてるぜ……自分の心だけは誤魔化せないからこそ――明日を信じて着実に歩み続ける。それが自信へと繋がって行くんだ」
赤眼の男はそういって八鳥の肩をぽんと叩くと、まだバリケードが完成していない隙間を抜けて、窓から外へと飛び出して行った。
●
黄金色に染まっていた街に、赤い色が急速に増えてゆく。
火と、そして血の色だ。
「――折角の休日だが、流石に見過ごすわけにはいかんか」
買い物の為に偶然居合わせ、街を歩いていた天野 天魔(
jb5560)は全身から無尽光を噴出して纏うと阻霊符を展開、手から淡く発光する刃を出現させると駆け、一閃した。
逃げ回る子供を追いかけていた腕刃の男が胴を掻っ捌かれ血飛沫をあげて倒れる。
「この手応え……ディアボロか」
呟きつつ、ストレイシオンを召喚する。礼を言ってきた子供や周囲の市民達に己についてくるように言いつつ小走りに駆け出す。
目指すはこの街の撃退署だ。壊滅していなければ、避難場所としてそこが適切だろうと思われた。
他方。
街を歩いていた天羽 伊都(
jb2199)は、突如として通行人の腕が爆ぜ、隣を歩く少女へと奇声を発しながら跳びかかる場面に偶然にも出くわしていた。
(なんだ……っ?!)
少年は咄嗟に光纏して洋弓に矢を番えると即座に放った。考えるよりも前に、身体が動いていた。
雷光を纏った矢が一直線に飛び、振り下ろされる腕刃に横合いから直撃し、その衝撃力を炸裂させて弾き飛ばす。
(こいつ……サーバント、いや、ディアボロか?!)
一撃を弾かれ奇声をあげながら伊都に向かって来る男に対して、伊都はその刃が己へと到達するよりも前に、再び素早く矢を番え撃ち放った。
雷光の矢が閃いて宙を奔り、矢は見事に男の胸に突き刺さり、壮絶な衝撃力を炸裂させた。砲撃でも喰らったが如く壮絶な勢いで男が吹き飛び、路上に転がる。
一つ息を吐く。
伊都の周囲には他には、先程殺されかけて腰を抜かしている少女や、目を丸くして足を止めている通行人達しかいなかった。しかし、角の向こう、大通りの方から悲鳴や急ブレーキの音や重い何かが衝突したような音が響き、次いで爆発が轟いて来る。
「何が起こっている……?!」
伊都は駆け、弓を手に跳躍すると、背から翼を顕現して宙へと飛翔した。
すると、彼方から光の球が高速で飛んできて、伊都の頭上を高速で突き抜けて彼方へと飛んでゆく。
振り返る。
街の中心地へと向かう方角だった。
背の高いビルが、幾つも見えた。
●
「あの光は……!」
斬馬刀を一閃し『腕刃』の一体を斬り倒した直後、空を舞う光を目撃して仁刀は呻いた。
「……しばらく姿を見ないと思ってたけど。また、あの連中が戻って来たのかしら」
光が飛び交う黄金色に染まった雲が浮かぶ空を見上げながら、ナナシが呟く。
――魂が、空を駆けている。
悪魔の童女は携帯を取り出すと学園にTELを入れた。伝える事は、街が襲撃を受けている事と、魂齎剣が関わっている可能性が高い事。
「あの光の玉に、このディアボロ達……またあの特殊ディアボロを使って人間の魂を集める輩が現れたって事!?」
鈴音が夕焼けの空を仰ぎながらかつての惨劇を思い出し、叫ぶ。
「プロホロフカ……!」
陽波透次は壁走りで家屋の壁面に足をつけつつ、呟いた。
「……まさか、ヨハナ達がまた動き出した……?」
峰雪の疑問の呟きが、不吉なさわりを以って、その場に響いたのだった。
●
「これはまさか、魂齎剣か?」
光を確認した天野天魔は足を止め、目を見張って呟き、そして急ぎ携帯を取り出した。
天野に従っていた市民達も足を止め、通話を始めた撃退士を何事かと見守る。
天野は久遠ヶ原学園斡旋所の職員に己の名を名乗ると状況を説明した。
「――状況から今回の主犯は魂齎剣かその発展形をもっている可能性が高い。今から主犯の確認に向うが、そちらで他にも向わせるなら、主犯を発見しても迂闊に仕掛けさせず武器の確認を優先して欲しい」
よろしく頼む、と告げて天野は通話を切る。
男は周囲の市民の顔を見回した。
老若男女、皆、不安そうな眼差しで天野を見つめている。
「――悪いが状況が変わった。後は個人の才覚で逃げてくれ」
男は言うと跳躍し、翼を広げて空に舞い上がった。
「なっ?!」
「そ、そんな?!」
「ここに来て放り出すっていうのーっ?!」
人々から一斉に怒号のような悲鳴があがった。
「ま、待て撃退士! 我々市民の安全保障は何よりも優先されるべき筈で、そ、そんな事して良いと思っているのかッ?! そんな事が許されるのかッ?!」
恰幅の良い中年の男が叫んだ。
「何よりも優先されるとは限らん。そのあたりの判断は強制力を持った指示がない限り、現場の裁量に基本的に任されている」
「そ、そんなっ! じゃあ私達見捨てられるっていうのっ?! 赤ちゃんがいるのよ?! それを、見捨てるっていうの!? この人でなしっ!! 鬼! 悪魔ッ!!」
赤子を抱いた婦人が天野へと向かって叫んだ。
「……怨んでくれて構わんよ」
「お、お兄ちゃん!!」
子供が叫んだ。
最初に助けた子供の声だった。
「お兄ちゃんがこれからしに行く事、それ、大事なことなんだよね?! ――頑張って!!」
天野はただ一人の応援者に一度肩越しに振り返ると、
「ああ」
と頷いた。
「……任せろ!」
言って、堕天使は地上に取り残され声をあげている人々達へと背を向け、空へと飛翔した。
魂の光が、飛ぶ方角へと。
●
(……幾度となく繰り返してきた、将来の百を救う為、今の十を見捨てる事に、こうも罪悪感を覚えるとは……俺も弱くなったものだ)
天野天魔は自嘲する。
「せめて情報提供ぐらいはせねばな」
家屋の屋根に沿って高度を稼ぎ、比較的高空より地上を見下ろす天野天魔は、双眼鏡を用いて状況を観測し、ケータイで学園へと連絡を入れながら飛ぶ。
夕陽の光に煌くレンズの中に一瞬、弓を手に翼を広げ空を舞っている少年の姿が映った。天羽伊都だ。
光と炎と鮮血が彩る夕暮れの街を、少年は翼を広げて飛びまわっていた。
「この――っ!」
伊都は血の匂いの混じった風に歯を喰いしばりながら、全長150cmの長大な洋弓を構える。
天使の血が瞬間的に活性化され、その『聖』に属する血が少年の全身を駆け巡った。音を立てて引き絞られた矢に眩い雷光が宿る。雷の矢は鋭い音と光を撒き散らしながら放たれた。
天使の雷。
天空より撃ち降ろされた稲妻の一矢は、まさしく閃光の如くに赤い街を貫き、路上にて少女を斬り裂いていた『腕刃魔』を吹き飛ばした。
文字通り、吹き飛ばした。
矢が命中して衝撃力を炸裂させた瞬間、ディアボロの身は轟音と共に錐揉むように回転しながら宙を舞い、木の葉の如くに吹き飛んで、彼方の家屋の壁に激突した。凄絶なる破壊力である。
「大丈夫ですか!」
地上へと降り立った伊都は、弓を消し切り裂かれて転がっている少女の傍らに降り立つ。肩口から胸元まで、バッサリと切り裂かれていた。致命傷だ。
「――あ、あぁ」
少女は伊都へと向かって手を伸ばし、少年はその震える手を握った。瞳に涙を滲ませながら少女はごぽり、と口から鮮血を吐き出して、やがて光を消した。
もう動かない。
少年は俯くと、少女の手を胸の上へと降ろして組ませ、目蓋に手をあてて僅かに動かし、瞳を閉じさせてやった。
通りで炎が爆ぜている。
黒い影が長く伸びている。
「こんな事が、許されるのかぁ……っ!」
天羽は立ち上がると虚空から剣を引き抜き、彼方へと向かってアウルを解放し全力で駆け始めた。磁場が形成され、アウルが衝突し、銀色の粒子が少年の身を包み込んでゆく。
白銀色の光に包まれた少年は稲妻の如くに駆けて角を曲った。
腕刃の異形が見えた。
こちらへと牙を剥いて奇声をあげ、腕を振り上げてくる。駆ける。駆ける。距離が詰まる。少年は剣の間合いに入る瞬間、裂帛の気合と共に渾身の力を籠め身を捻りながら猛然と腕を振り抜いた。
竜巻の如き閃光が空間を断裂し、刃が抜けた通り道にあった腕刃魔の胴を、真っ二つに斬り裂いて抜けた。
「絶対オレが……ッ! これ以上はッ!!」
銀獅子の少年が、燃える街を駆け抜けてゆく。
己が一体でも多く脅威を屠れば、一人でも多く誰かが助かると信じて。
他方。
迫り来る異形達を前に、黒髪の娘が空へと向かって片腕を振り上げていた。
「ケシズミにしてやるわ! くらえ、六道赤龍覇!!」
紅蓮の光が逆巻いた。
六堂鈴音の身より放出される火炎の柱が、天へと向かって駆け登る龍が如く吹き上がり、紅蓮の龍を宙で咆吼するが如くに身をくねらせると降下し、路上を駆ける腕刃魔達へと襲い掛かって行く。
「薙ぎ払うわ――聖霊降臨《ペンテコステ》!」
さらにナナシが鈴音に合わせて真紅の光の群れを解き放った。
紫髪の空舞う童女から放たれた神秘の炎は、風に舞う薔薇の花弁の如くに、腕刃達へと降り注いでその身を焼き尽くしてゆく。
二連の火炎竜巻が荒れ狂った後、多くの腕刃達が焼き払われ、消し飛ばされ、次々に路上に倒れ伏してゆく。
が、
「数が多いっ……!」
壁走りで通りの家屋の壁を立体的に駆ける透次が、スナイパーライフルを出現させざまに弾丸を撃ち放つ。
轟く銃声と共にライフル弾が唸りをあげて飛び、炎の嵐を抜け、逃げてくる婦人を追いすがっていた恰幅の良い中年姿の腕刃魔の身を貫いてうち倒す。
「こっちへ! 落ち着いて! 私達がサポートします!」
峰雪が拳銃でディアボロへと射撃しながら、言葉と共に片手を翳し市民達に逃走経路を示す。
通りの角から腕を刃に変えたディアボロ達が再び姿を現し、ルビィが挑発するように両手剣を振り上げながら突っ込み、仁刀もまた合わせて突撃して、斬馬刀を一閃しディアボロを両断する。
再度、鈴音より炎の柱が吹き上がり、ナナシが炎の花弁を荒れ狂わせ、ルビィが封砲を、峰雪が拳銃弾を放ち、仁刀と透次が突撃して刀を振るう。
撃退士達は燃える街で戦い続けた。
●
他方。
(居た)
宙を駆ける光の球の行方を追う天野天魔は、やがて廃ビルの屋上に、網代笠に着物姿の長身の男が立っているのを目撃した。
高度を落とし、手近なビルの屋上へと降下する。
堕天使の男は身を低くしつつビルの縁までゆくと、双眼鏡を覗き込む。
(あれは……サイドワインダー・マーヴェリックか)
夕陽の光で橙色に染まっている白い着物、腰に打刀を差し、手には虹色の光を帯びている水晶の剣を持っている。
光の球が刀身に次々に吸い込まれてゆくのが見えた。
「魂齎剣……」
天野は呟いた。
では、やはりこの光は人の魂か。
廃ビルの屋上に立つ男を監視しつつ、片手で携帯を素早く操作し、観測情報をメールを学園と撃退署へと送信する。
時間がやけに長く感じた。
レンズの中のサイディは、剣をだらりと下げて、廃ビルの屋上からぼんやりと街の様子を眺めているようだった――が。
不意に、男は振り向いた。
視線がまっすぐに天野へと向けられていた。
美青年は網代笠の縁をクイッと摘みあげてへらっと笑った。
ぶんぶんと片手を振ってくる。
――気付かれている。
天野に危機感が走りぬけた時、
「動くな」
耳元でソプラノの女の声が囁かれると同時、背中――心臓の裏に、固く鋭い物が押し当てられた。
「ゆっくり両手をあげよ。首の後ろで組め。一体誰かと思うたら、なにやら見覚えのある顔じゃのう?」
天野としても耳元で響く声は聞き覚えのあるものだった。
手から双眼鏡、携帯、と順にもぎ取られた天野は指示通り首の後ろで手を組んだ。
「ヨハナ・ヘルキャットか?」
「然様じゃ。そういう主は天野天魔じゃったな。お主一人かえ?」
「今は一人だな」
天野は視線を前に、ビルの屋上から街を眺めながら答えた。夕陽が空から落ちゆこうとしているのが見えた。冬の風が冷たく吹いている。
「だが、もうすぐ討伐部隊が到着する。直ちに退け。今、お前に死なれては困る」
「何?」
天野は一つの住所を述べた。
「――そこに夏樹の墓がある」
「……だから?」
ヨハナの声は冷ややかだった。
「良ければ墓参りに行ってやれ。シャリオンにもそう伝えて欲しい」
天野が言うと、デビルナースが鼻で笑う気配がした。
「ハッ! 馬鹿馬鹿しい。妾をなんじゃと思うておる? 正真正銘の悪魔じゃぞ。墓参り? くだらん。死ねば唯の肉の塊よ」
背中で何かが収束してゆくかのような音が響き始めていた。
「今、妾達を撤退させる為の方便か、後日、夏樹の墓に妾達を誘い出して殺す罠なのか、それとも、単純に言葉の通りなのか、知らんが、まぁ良い、いずれにせよ、鬼将様にはそう伝えておいてやろうぞ。ただし、いずれにせよ、伝言代金はぬしの命じゃ。妾とぬしは敵同士、ここで死ぬが良い!」
刹那、天野の背で大爆発が巻き起こり、吹き飛ばされた男の身が虚空に舞った。
●
結果。
その後、ディアボロ達の流れが変わった。
腕刃魔達は潮が引くように街から退却してゆき、撃退署と学園からの増援が廃ビルに辿り着いた時には四獄鬼達の姿はなく、路上に血の池を作って倒れ伏している天野天魔が発見され、緊急で治療された。
(――生きている)
意識を取り戻した天野がまず思った事はそれだった。
(俺も悪運が強いな)
急所は、外れていた。
奇跡的に運が良かった。
それとも、
(……わざと外したのか?)
ヨハナの声には確かに殺意が籠められていたから"単純に仕留めそこなっただけ"である可能性も十分以上にあったが。
ただ、もし、わざと急所を外したのだとしたら、それはヨハナなりの礼なのだろうが――それであったとしても、向けられた殺気と傷の深さは"次は殺す"という警告であり宣言なのだろうと思われた。
●
ディアボロ達が去った後も撃退士達は火災に呑まれそうなっている市民達を救助し、火を消し、倒壊した建物の下敷きになっている市民を掘り出して救助するなど東奔西走した。
陽はあっという間に落ちて月が昇り、空に星が煌いた。
「また、後手になった……助け切れなかった……」
陽波透次は破壊された夜の街を歩きながら呟く。
「全ての命を助けるなんて無理なのは分かる……けど……どうして僕の手は……こんなにも、小さいんだ……」
青年は拳を握った。
●
先の喫茶店は人が集まった事から自然、避難所となっていた。
救助活動も一段落した所の休憩中、ボランティアから撃退士達に暖かい珈琲が配られた。
八鳥十志松は、バリケードの隅に腰かけ、じっと手の中のカップを睨んでいる。
鈴音はちらとそんな少年を見やった。
八鳥は今、何を考えているのだろうか。
鈴音はそもそも「気になるけど他の依頼でどうしても行けない。代わりに様子をみてきてほしい」と友人に頼まれ、代わりにここに来ていた。
八鳥と戸次の事は友人から聞いている。
戸次が自分と同じダアトという事で、ちょっと興味を持った。
八鳥が友人と同じディバインというのも、興味を持った。
戸次は二階で他の学園生達と共に避難民達の様子を見にいっている。
「――八鳥くんの四倍は生きてる僕だけど、それでも死ぬのは怖くてね」
不意に、何気なく、声が響いた。
狩野峰雪だ。
手近な瓦礫に腰を降ろしている中年の男は珈琲カップに口をつけながら言う。
「咄嗟に庇ったあなたは本当にすごいと思うよ」
「……俺は、ディバですから」
「僕にはできない」
峰雪は思う。
八鳥でも、絶望したのだろうか。
再起不能に陥った己の身に。
そして、嫉妬したのだろうか。
一気に別人のように成長し、今後も無限の可能性を秘めている、輝かしい未来が見えている戸次に。
その明暗をまざまざと見せ付けられて、打ちのめされたのだろうか。
明暗が分かれたのは、八鳥が戸次を庇ったからだ。
八鳥が戸次を見捨てていれば、立場は逆だったかもしれない。
己の選択の結果である。
彼はそれに何を思ったのだろうか。
「……人間誰しも完璧じゃない。機械じゃないからね。どんな立派な人にも弱さや悩みがある。無様を晒すこともある。でも挫折から学んで人は強くなる」
峰雪は顔を八鳥へと向けて言った。
「あなたは感情で動くタイプだね」
異論はでなかった。
「――理性と感情に優劣は付け難く、両方を得られれば、とても強くなれる。きっとあなたは大器晩成。初戦で死なずに済んだのは、色々と学ぶ時間を与えられたのかも」
峰雪はそう言った。
「光の剣の彼と同じを目指すことはない。自分なりのやり方を模索すれば良い。焦らず自分のペースで。憧れの人に、いつか追いつき、そして追い越せるように――死んでしまったら先はないけれど。生きていれば、希望の光は受け継がれ続けるんじゃないかな」
沈黙。
「……ねぇ、やとりん。私は、やとりんのそういうの、嫌いじゃないわ」
鈴音もまた言った。
「仲間を守った行動力と度胸。そして、再起不能と医者から言われても再起をあきらめない心。まさにディバインナイトにうってつけの人材よね」
黒髪の娘はニッと笑う。
「実際、再起がかなうかどうかは私にはわからないけど、私はやとりんを応援するな!」
八鳥は、鈴音と峰雪の言葉を噛み締めるように瞳を閉じていた。
彼は再び目を開くと、
「…………有難うございます」
言って、二人に頭を下げ、
「俺は、必ず」
そう言った。
「……八鳥」
仁刀が言った。
「戸次との事だが……言葉が足りなかった方から、足りなかった言葉を補足していけ。言い訳することになるとか思うな、足らない言葉を放ったままにしておく方が逃げだぞ」
自分を追い込んでる分、『何か償いをしてる』気になるしな――と仁刀。
少年の視線が向く。
「……偉そうに言っておいて、俺自身、一年ほどそんな状態だったがな」
仁刀は一つ嘆息した。
「それなりの先輩でもそんなもんだ、納得できないならあとは足掻け――丸く収まる答えを出してやれるほど頼りにならなくてすまんな」
「いえ」
八鳥は首を振り、
「有難うございます」
そう言って頭を下げた。
言ってる傍から言葉が少ないような気が仁刀にはしたが、まあ急には変わらないものなのかもしれなかった。
●
二階のテラス。
「この間は余計な事を言って、ごめんなさい」
透次は雪花に謝罪した。
「余計な、事、ですか……?」
月明かりの下、雪花は目をぱちくりと瞬かせた。
「僕は戸次さんの事を侮っていた……のだと思う……だから、ごめんなさい。弾除けにしても良いなんて言ってたから……己は死んでも良い、刺し違えてでも討つと……考えてたのかと思って……」
「はい、その通りです。それで仇を討てるなら、例えそうなっても構わないと、考えていました」
雪花は頷き、透次はその答えに首を傾げた。
「そう、なんですか……? だから、単独で深追いしたり突出したりしないか……怖かったんです。でも実際はちゃんと周りと連携していて良い動きでした」
「ご心配をおかけして御免なさい。それは、あの時に私が把握したあの場に揃えられた条件下では、連携した方が仇を取れる、と思ったんです。だから。あと、役に立てと言われて、連れて行ってもらうからにはそれが義務だと思ったのもあります。先輩から重みを忘れるなと言われたのもあります」
事前の情報提供や忠言や連携の勧めなど、それらがなく学園生達の行動が違っていたら、彼女は別の戦い方をしていたかもしれない。
「その……余計な事というものではなかったと、思います。ただ、私は考え方が少し違うというだけで……あの時は、有難うございました」
「……そうですか」
透次は呟いた。頭を下げる雪花の奥に、一階から上がってきた八鳥の姿が見えた。
●
「自分の死に場所は自分で決めるべきなのよ」
珈琲を啜りながらナナシは呟いた。
冷たい考えかもしれない、とナナシは思う。
けれど、戦おうとする意思を持つ者を彼女が止める事は無い。例えそれで戦場に倒れ死んだとしても。
「もちろん、戦う事を止める者を引き留める事もしないけど」
悪魔の童女はそう言った。
ナナシは信じている事がある。
都市伝説かもしれないが、意思の強さはアウルの強さに通ずるのではないかと。
学園のトップクラスに我の強い者が多いのはそのためだと。
だからこそ、
自らの意思の折れない限り、アウルを持つ者が戦う資格はあるのだと――
●
「たかが再起不能よ。死んだわけじゃないわ」
一階に再び雪花と共に降りてきた八鳥へとナナシが言った。ぎょっとしたようにルビィが振り返り、雪花が目を剥く。
しかし、
「その通りですね」
八鳥十志松は表情を変えずに淡々と頷いた。彼はもう絶望していなかった。
「まずは戦う訓練よりも身体を自由に動かせるようにする事からね」
「はい」
八鳥のやる気は十分以上のようだった。
そんな様を見てナナシは、雪花をしごきつつ八鳥が撃退士へと復帰する為の手助けをしよう、と思うのだった。
他方、この場に合流していた天羽伊都は頭を悩ませていた。
話を聞いて、八鳥については、無念さが感じられて、気にかかっており、励ましの言葉を贈りたいと思っていたのだが、なんと言って励ませば良いのか。
「……頑張ってください」
「頑張ります、有難う」
結局、口から出て来た言葉と返答は、実に無造作で、淡々としている物であるのだった。
かくて、夜が明ける。
学園生達と戦火に燃えた街の人々は、それぞれ、また明日へと向かって歩き始めた。
太陽が西に沈み東から登り続ける限り、その心臓が脈打つ限り、今日も明日が、待っている。
了