神を信じる男の声が響いている。
雷光が爆ぜる音が轟いた。
山の稜線。
救援信号を受けた狩野 峰雪(
ja0345)はひた走りに目の前の斜面を駆け登る。
ハの字を描く稜線を登りきれば、彼方への視界が通る、立ち昇る紅蓮が見えた。真紅の焔光、太陽の黒鴉、ファイアレーベン。
中年男は撃退士の中にあっても神速と言える速度で拳銃の銃口を怪鳥へと向けた。速攻。崖上に現れた己を敵が認識するよりも速くに射抜かんとする。
無尽光の弾丸が銃口より雷神の槍の如くに飛び出し、閃光と化して焔纏の黒怪鳥へと迫る。
鳥の瞳がぎょろりと動いた。
怪鳥は峰雪と弾丸を認識し――そして、その時には既に一発の弾丸はファイアレーベンの身をぶち抜いて、彼方へと抜けていた。
焔が散り、黒い羽が散り、宙に赤を撒き散らす。
間髪入れず、さらに黒光の衝撃波がファイアレーベンの身を突き破った。
小田切ルビィ(
ja0841)の封砲だ。
峰雪に並んで崖上に現れた銀髪赤眼の若い男が、両手剣を振り抜いている。断末魔の悲鳴をあげる間もなく炎纏大鴉が堕ちてゆく。
さらに櫟 諏訪(
ja1215)とナナシ(
jb3008)が崖上に現れている。緑髪の男が構える狙撃銃に闇色の霧が蠢き、収束し、紫髪赤眼の童女がセフィロト樹を模した魔導銃を構え、その小柄な全身に闇を纏う。
両者の銃口は揃って同じ対象へと向けられていた。すなわち、その狙う先、古風な長衣に身を包んだ銀長髪の男、使徒オラートル・フルメン。
引き金が引かれ、二つの銃口から弾丸が勢い良く飛び出す。
「ぬうっ?!」
使徒は、彼から見て右手前方から飛来した闇の弾丸に俊敏に反応した。
オラートルの長い身より蒼白い稲妻が勢い良く噴出して迸る。
稲妻と弾丸とが激突し激しく鬩ぎ合う。蒼雷は二連の弾丸の闇を消し飛ばし、しかし弾丸達は雷壁を突き破って使徒の長衣へと喰らいついてゆく。
そして、壮絶無比の破壊力を秘める魔弾が、弾き飛ばされた。
悪魔の童女は軽く赤眼を見開いた。ナナシの一撃は超レベルの領域、容易く防げるものではない。だが防がれた。
一方、諏訪が放ったライフル弾が長衣を貫き赤色を噴出させていた。
使徒の防御には、何かカラクリがありそうだ。
「何奴ッ?!」
使徒が崖上を仰ぎ見る。
「"なにやつ"だと思われますかー? 緊急事態のようだったので攻撃させてもらいましたけれど、お相手させて頂きますねー?」
諏訪は微笑と共に崖上から彼方の青年を見下ろし言葉を山中に響かせる。
「……浄化の邪魔をするとは、不心得者めがッ!! 貴様も百代魂魄まで洗浄してくれるッ!! おおっパーテル! ホザンナ! アーレルヤッ!!」
男が錫杖を振り上げて駆け出し、声を響かせる間にも周囲も素早く展開している。
「レーベンとサブラヒ。それとあれは――使徒か? いくらなんでも新米の手には余るだろうぜ」
ルビィが呟きを洩らし、陽波 透次(
ja0280)、若杉 英斗(
ja4230)、咲村 氷雅(
jb0731)、久遠 仁刀(
ja2464)の四人の男達は高さ十メートルにも聳える崖上から次々に跳躍して宙に身を舞わせていた。
男達が次々に崖下へと落下してゆく。
(サブラヒにファイアレーベンだけでもやばいってのに、使徒までいやがるのか)
落下中、全体を見渡して若杉は厄介さに顔を歪ませつつ胸中で呟く。
(久しぶりに来てみれば随分と騒がしいのが現れたな)
氷雅は実戦から離れていた為、勘を取り戻す為にこの依頼に参加したのだが、これはまた面倒なことになったものだ、と思う。
(不完全結構)
仁刀は先程響かせていた使徒の言葉に対し思っていた。
揺らぐことのない完全というなら、そんな相手と語る舌は持たない。
崖下に累々と横たわっている別班の撃退士達の姿を確認し、仁刀は視線を鋭くする。
(暴れた落とし前をつけさせる)
空に燃えるレーベン達は甲高い鳴き声を発すると、撃退士達へと向かい翼で弧を描いて旋回する。
落下した透次は着地の際に受身を取って転がり、硬直を減らして立ち上がり駆け、使徒の隙を窺い弧を描いて機動する。
他の三人も次々に着地する。英斗は新米二人の前へと急がんとし、氷雅は手近の木乃伊武者へ、仁刀は最遠への怪鳥へと向かわんとする。幸い着地の瞬間を狙い澄ましての攻撃は飛んでこなかった。
では百戦錬磨の木乃伊武者達は何をやっていたかというと、新手の出現に際し、主とは違いさっさと敵の頭数を減らそうと考えたらしい。蒼白く燃える鬼火で形成された弓に矢を番えその鏃の先を地上の新米へと向けていた。
サブラヒのタイクーン達は粛々と流れるように澱みなく動き、脅える少女・雪花を狙い、
「そこの二人!! 棒立ちになるんじゃない!!」
ナナシが叫んだ。
「盾を構えて前を向いたまま後退しなさい!!」
声が響く中、武者達は一斉に鬼火の矢を解き放った。
英斗、距離がある、庇護の翼、まだ届かない。ナナシの叫びが聞こえて我に返ったのか、
「南無三ーーーっ!!」
八鳥十志松が吠え声をあげて盾を構え、雪花の射線上に庇い出たのが英斗の瞳に映った。
次の刹那、蒼焔の四本の矢が儀礼服姿の少年の身を貫き、矢が叩きつけた凶悪な衝撃力に少年は回転しながら吹き飛び、倒れてゆく。やられた。その光景に恐怖か悲しみか混乱か、絶叫する少女の声が聞こえた。
「……っ!」
仁刀、宙を見上げて睨み、距離が詰まると、月白のオーラを纏う斬馬刀を一閃した。光刃が爆発的に伸びて宙を裂いてゆく。その向かう先、ファイアレーベンはこれに素早く反応して斜めに急旋回してひらりとかわす。刃が羽先をかすめながら抜ける。速い。
氷雅は敵を死角に入れぬよう崖に沿って北上すると木乃伊武者へと迫り、無数の蒼い蝶の幻影を産み出した。蒼蝶達は次々に武者へと群がり音波を発してゆく。
「……くそっ!」
英斗は歯噛みしつつ倒れた八鳥と戸次の元に辿り着く。視線を走らせて八鳥の状態を確認する、
「戸次さん下がれ! ここは俺達に任せろ!」
「ああ、ぁぁぁ……わたし……わたし……! や、やとりんが……っ!!」
「君! 撃退士だろッ!? 彼の遺志を無駄にするな! 安全な場所まで下がるんだ!!」
英斗は恐慌している少女に活を飛ばし、雪花は涙目でこくこくと頷いた。
「フハハハハッ! 死ね! 死ね! どんどん死ねえぃッ!!」
他方、諏訪に向かって駆けるオラートル・フルメンは奇声と共に錫杖に稲妻を宿していた。
「きたれぃ神の雷ッ!! 凝縮爆裂雷光波!!」
錫杖一閃、偃月状の蒼雷刃が唸りをあげて飛び出し、諏訪目掛けて襲い掛かってゆく。
諏訪と峰雪が反応した。回避射撃が飛び、弾丸に宙で撃ち抜かれた雷刃は目標に到達する前に爆ぜ、宙で激しく雷撃を撒き散らす。
「ナニィッ?!」
使徒の驚愕の声が響く中、英斗もまた目を見張っていた。
(あの技……?!)
見覚えがあった。
――爆裂する偃月状の蒼雷刃。
(米倉だ。対処法も同じか!)
だが、爆裂する範囲が少し違って見えた。米倉のものはもっと広かった。オラートルのはやや狭く見える。直径にして六メートルといった所か。だが、その分、雷撃嵐の密度は上昇しているように見えた。
他方、
(ここだ!)
空に雷光が荒れ狂った瞬間、透次はアウルを全開に踏み込んだ。金色の光輝を纏う日本刀を振り上げオラートルへと迫ると、一刹那の間に超高速の剣閃を巻き起こす。
使徒は咄嗟に電撃の障壁を張ったが、刃は障壁を突き破って銀髪の男の身を斬り刻んだ。使徒が苦悶の声をあげ、長衣が裂け血飛沫が噴出する。
敵の懐に飛び込まんと駆ける仁刀に対し最も東のファイアレーベンが距離を詰め、中央のレーベンは氷雅とサブラヒの頭上を越え峰雪へと迫る。
峰雪まで辿り着いたレーベンはその顎を開き、サッカーボール大の紅蓮の火球を吐き出した。
中年男は咄嗟に反応し飛び退く。火球は地に炸裂し、そして膨れ上がる紅蓮が峰雪を呑み込んだ。灼熱の炎が峰雪の身を焼き焦がしてゆく。負傷率三割三分、なかなか効く。
東のレーベンもまた仁刀の頭上を取ると火球をほぼ垂直に撃ち降ろしていた。青年も飛び退くが避けきれず、火球の爆裂に呑まれる。負傷率四分。掠り傷だ。凶悪にタフで堅い。
「きぃ〜さぁ〜まぁああああああ!!」
使徒の眼がギラリと文字通りに光った。
雷電を纏う銀髪の使徒オラートル・フルメンは錫杖の中頃を持ち、風車の如くに旋回させる。透次へと疾風の如く踏み込みざま猛然と殴りかかった。
「天魔が起こした不幸を僕は忘れない」
透次、顔面目掛けて迫りきた先端による薙ぎの軌道を見切り、上体を逸らし紙一重でかわす。直後、その振り抜いた動作で錫杖が回転し、反対側の石突が突きとなって迫り来る、間髪入れずの流れるような二段攻撃。
だが、透次はそれも素早く体を横に捌きすり抜けるように鮮やかにかわした。
「人を苦しめ心も尊厳も奪うカミサマなんて認めない」
だから、
使徒を前に一歩も退かず睨み返し、透次は剣嵐を巻き起こす。
「魂全てが燃え尽きるまで僕は抗う」
再び血飛沫が吹き上がり、使徒は目を見開いて一歩、気圧されたように退いた。
「おっ、おっ、おのれぇ〜……!!」
使徒が憎々しげに透次を睨みながら錫杖を構えなおし、その身より雷電が勢い良く荒れ狂わせた。隙を狙ってナナシから放たれていた魔弾が雷に闇を消し飛ばされ、そして長衣に弾かれた。
「……――貴方のその技には聞き覚えがあるわ」
魔導銃を構えるナナシは崖上より赤眼で使徒を見下ろし声を投げる。
「たしか、ザインエルの使徒だった米倉創平の技ね。それを使うという事は、貴方もザインエルの使徒なの?」
一方、最西のレーベンが再度咥内に紅蓮の炎を宿し、だがそれが放たれるよりも速くに、峰雪が神速で銃口を向け弾丸を放っていた。雷鳴の如き銃声が轟く中、怪鳥が血飛沫をあげながら大地へと墜落してゆく。
落ちてゆく怪鳥を横目に峰雪もまたナナシに続いて使徒へと探りを入れる。
「いやあ京都に目をつけるとはお目が高い。それにお強いですねえ」
情報によればこの山にいるのは野良サーバントの筈だった。
しかし、では何故、使徒がここに居るのか?
「その技は米倉の強化版……? あなたは彼の師匠とか同僚とかだったり?」
これが意味するところはなんなのか。
他方。
諏訪はレーベンが再び火球を撃ち下ろさんとした瞬間を狙い澄まし発砲、が、レーベンは素早くローリングして一射をすり抜けるようにかわすと火球を仁刀へと吐き出した。
仁刀もまたオーラ纏う斬馬刀を再度一閃、態勢を崩しているレーベンへと爆発的に伸びる光刃が襲い掛かる。
撃ち降ろしの火球が青年に直撃して猛爆発を巻き起こし、天へと向かい伸び上がった光の刃が怪鳥の身を真っ二つにして抜ける。鮮血をぶちまけながら鴉が堕ちてゆく。撃破。
他方、三体のサブラヒタイクーン達は蒼白く燃える炎の弓に矢を番え引き絞ると、戦域から離脱すべく全力で駆け出した少女の背へと狙いをつけ放っていた。
逃げる雪花へと三条の矢が唸りをあげて迫り――突如、射線上に飛び込んできた影に遮られ悉くが弾き飛ばされた。
「相変わらず良い威力だ」
白銀の円盾を構えた青年、若杉英斗は言った。
「けれど、俺には効かない」
八鳥らはその矢の威力の前に斃れたが、実力が違う。英斗に対しては最低限の衝撃しか通らない。
一方、氷雅と対する最西のタイクーンは弓を虚空に掻き消すと、手より蒼い焔を発していた。
「カァッ!!」
意志を持つように蒼焔は躍り、一振りの蒼焔剣を形成がされ、武者は奇声を発しながら嵐の如くに氷雅へと斬りかかってくる。
(つくづく、嫌な事を思い出す)
先程、視界の隅に捕えた蒼い雷刃、木乃伊の武者達、焔の鳥、斃れゆく撃退士達、思い出すのは京都のかつての戦、そして、脳裏に浮かぶ蒼白い男の顔、米倉創平。
男は溜息をつきつつ一対二本の曲剣を左右の手に構えた。『幻視』を発動させる。相手の動きが一瞬鈍った、ような気がした。だが、それでも凄まじく速い。多大なレート差で加速している。
蒼焔の大太刀は蒼い落雷の如く、稲妻の速度で空間を縦に断ち割りながら迫り来る。氷雅は身を横に捌きながら左の曲剣を翳した。触れる。払う。針穴に糸を通すようなタイミング。剛雷が横に流れ、一撃をかわした氷雅は、虚空より氷の剣を呼び出し地に突き立てた。瞬間、氷の茨が周囲一帯に急速に生成され広がってゆく。
氷の茨はタイクーンの身に絡みついてゆき――そして木乃伊武者は焔の剣を一払いする動作を以って、己の身に絡みつく氷の茨の群れを打ち砕いた。
「……やはり、物理では通らないか」
対物理半減障壁。サブラヒはただ頑丈なだけでなく、鎧にそのカラクリがある。ろくにダメージが通っていなかった。抵抗力もそう低くはないようだ。幻蒼蝶は今は効果を発揮しているようだが、いつまで保つか。
崖を飛び降りたルビィは着地し、戦況を見やる。
「……使徒の技もだが、米倉を想い出す布陣だぜ」
仁刀が最後のレーベンを両断したのを見たルビィはフリーになっている木乃伊武者の一体へと迫り斬りかかる。武者は弓を消して蒼焔の太刀を出現させて受け止めた。ツヴァイハンダーの刃と蒼焔刃が激突して光が爆ぜる。
「ここに貴方が居るって事は。ザインエルはまた京都に手を出すつもりなの?」
ナナシは銃を消しハンマーを出現させると翼を広げて宙に舞う。
「我はオラートル・フルメン! 天の使徒なり!」
使徒が叫んだ。錫杖に三度目の稲妻が宿る。
透次は味方が雷光波を使徒至近で撃墜する可能性を鑑み、その際に巻き込まれぬよう横に駆け始める。
「我の主はザインエル様ではなく! 米倉創平なる男とは会った事も無い! 知らん、なぁ!!」
言葉と共に雷刃が放たれる。が、今度は待ち構えていた峰雪と諏訪から間髪入れずに弾丸が飛んだ。
雷刃がオラートルの至近で爆ぜ、壮絶な雷光を撒き散らす。
「そう、知らないなら、仕方ないね」
微笑する中年男は拳銃を構え発砲していた。さらに引き金を絞り連射してゆく。嘘か真かは知らないが、このままでは素直に答えるタマでもあるまい。
「こしゃくなあっ!!」
雷撃の障壁を纏う男は、雷光嵐の中にあって平然としていた。ダメージを受けている様子は無い。峰雪の弾丸が電撃の障壁に弾かれる。
そこへ諏訪、構える狙撃銃、その銃口から唸りをあげて発射されたライフル弾が、男が纏う稲妻と長衣をぶち抜いて血飛沫を噴出させ、さらに傷口の周囲より蝕み始めた。
「こいつはスペシャルですよー」
アシッドショットだ。
透次は再度方向を転ずると、使徒へと神速で踏み込むと共に無数の剣閃を巻き起こした。赤い色が乱れ飛ぶ。
氷雅は幻視を継続しつつ、一瞬前までの、己の首の位置を一文字に走り抜けた蒼焔を身を低く沈めて掻い潜る。
紙一重。
真にギリギリの紙一重。
いつ中ってもおかしくない。かわせているのは、幻蒼蝶と幻視と捌き方による所が大きい。ただまともにあたっていたら、一撃で直撃して斬り倒されている。
氷雅は唸る刃を頭上にかわすと、一歩を踏み込んで右の曲剣で逆袈裟に胴を薙ぎ払った。多大なカオスレート差が乗った一閃は、頑強な鎧を断ち切りその奥の腐った肉体までを斬り裂いた。魔法攻撃なら通る。
「行くぞ!」
英斗は雪花が射程外まで離脱したのを確認すると、フリーのサブラヒナイトと向かって突撃を仕掛けた。
対する武者は弓消し蒼焔の大太刀を出現させ一閃。
稲妻の如く走る蒼刃が英斗の盾を掻い潜って胴を掻っ捌いた。
「くっ――」
矢よりも大太刀の方が威力が高い。英斗の頑強な装甲すら抜けて来る。
が、
「――おおっ!! 燃えろ、俺のアウル!!」
英斗は一撃を受けながらも盾の側面についている刃を用いて斬りかかる。盾刃が白銀色の輝きを放ち、爆発的に物理攻撃力を高め、唸りをあげてタイクーンを直撃、その壮絶な破壊力を炸裂させる。
だが。
対物理障壁が展開した。
英斗の一撃の破壊力の大半が減衰させられ、頑強な鎧の前に弾かれてしまう。
(相変わらず固い……!)
タイクーンの装甲を物理で抜くのはやはりまともにやっては並大抵以上であっても無理なようだ。
他方、レーベンを仕留めた久遠仁刀、斬馬刀を虚空に消すと新たに雪のように白い刀身の剣を手にし、彼もまた武者の一体へと間合いを詰めていた。
迎撃の蒼焔刃が奔り、仁刀の身が焔の稲妻に痛烈に斬り裂かれる。灼さがはしった。負傷率三割九分。軽い一撃ではない。
だが仁刀は逆にここぞとばかりにアウルを全開に解き放った。
雪白の直刀が瞬く間に漆黒のオーラに覆われて染まり、さらに闇色の靄が噴出してゆく。
蝕だ。
仁刀は猛然と闇の剣を振り上げると、踏み込みざま袈裟に渾身の力を籠めて刃を振り下ろした。壮絶なカオスレート差を乗せた魔の一撃が、頑強な鎧をも断ち切って、タイクーンを肩口から脇腹までを斜めに掻っ捌いた。壮絶な破壊力。
武者が苦悶の声を発しよろめく、が、まだかろうじて斃れない。
一方、小田切ルビィVSタイクーン。
(……流石にやるな)
一度飛び退いた両者は、それぞれ鋼と蒼焔の大剣を手に間合いをはかっていた。
赤眼のルビィは左足を前に、切っ先を真っ直ぐ向け、右頬の横の位置、両手を交差してツヴァイハンダーの柄を握る構えを取っていた。ヨハンネス・リヒテナウアーの系譜、ドイツ剣術が構えの一つ、その剣、突きかかる雄牛の角の如く。
「カァッ!」
睨み合いの中、一瞬で気を膨れ上がらせサブラヒタイクーンが踏み込んだ。ルビィもまた軸をずらしながら踏み込む、アウルの力を足に込め加速し、目にも止まらぬ速度で大剣を振るう。
次の刹那、蒼い稲妻が空間を断裂しルビィの肩先を掠めながら抜け、対する水平横一文字に振るわれたツヴァイハンダーがサブラヒの頭部に炸裂した。ルビィは突くと見せかけつつ、交差していた腕を捻り戻す動きを加えて加速しながら横薙ぎに切り替えたのだ。
「"Ochs(オクス)"――雄牛の角のお味はどうだ?」
龍兜に物理半減障壁は発生しなかった。痛烈な一撃に武者の兜がひしゃげ、その身がぐらりと揺らぐ――そして、そのまま崩れ落ちた。ヘッドスマッシュ。一撃必殺。
峰雪の弾丸が降り注ぎ、透次がカウンター狙いで使徒に纏わりつく。先に蝕を放った仁刀、多大なレート差は諸刃の刃、武者は逆転に賭けて猛然と大太刀を振り上げ――闇が奔った。
仁刀、再び蝕、剣閃は黒い閃光と化し、タイクーンの剣が振り下ろされるよりも早くに左袈裟に一閃された。凶悪な一撃が武者を鎧ごと両断し、真っ二つに叩き斬って捨てる。撃破。
他方、氷雅と斬り合うタイクーン、その身からアウルが噴出し、纏わりついていた蝶達が吹き飛んだ。
木乃伊武者が一気に加速し猛然と蒼焔の大太刀を振り上げ、氷雅へと斬りかかる。
認識阻害から回復し、これまでより精度が大幅に上がっている。これまでは僅かに氷雅側に分があったが、逆転した。速い。
中れば一撃で終わりだ。薄氷の勝負。氷雅が一撃をかわし逸らさんと左の剣を掲げ、瞬間、紅蓮に輝く焔の薔薇のはなびらの嵐が逆巻き、サブラヒタイクーンを呑み込んだ。
伝説は言う、神の子の復活の時、それを祝い天から『聖霊《炎の舌》』が降ったという。赤く輝く鮮やかな火炎は頑強無比を誇るサブラヒタクーンを呑み込み、一瞬で消し飛ばした。
「――御免なさい、余計だったかしら」
鬼神の破壊力。声に振り仰げば、紫色の神の悪魔の童女が翼を広げて舞っていた。ナナシが咄嗟に放った一撃だったようだ。
「いや、助かった」
氷雅は首を振って見せた。おそらく、あれは避けられなかった。そして中れば己の耐久力では一撃で斬り倒されていただろう。
「次だ」
男は一つ息を吐くと、眠姫を赤炎蝶に活性化変更しつついまだ健在なサブラヒへと向かう。
英斗と激突しているサブラヒへとルビィが加勢して斬りかかり、タイクーンがルビィへと反撃し痛烈に斬り裂く。
「どうして、のさばる、病原体どもが……ッ! どうして、死滅しない……! この風呂場のカビめ、頑固な汚れめ……!」
他方、オラートル・フルメンは憤怒と悔しさに満ち満ちた声を洩らすと、身を翻し、全速で駆け出した。
「……逃げる?!」
目の前で背を向けた使徒に対し、透次は咄嗟に踏み込んで、逃すまいと追撃の斬撃を仕掛ける。
だが、使徒は追撃が来るのは予測していたか、電撃が身より放出されて日本刀の斬撃の威力を弱めた。
その直後、
「ここですかねー?」
使徒が防御スキルを使うタイミングをさらに予測していた諏訪が、狙撃銃の銃口を向け発砲していた。闇を纏うライフル弾が猛然と飛ぶ。ダークショット。
「うごほぉおあっ?!」
闇色の弾丸がカオスレート差を乗せ、使徒の胴を背後から貫き、凄絶な破壊力を炸裂させた。
銀髪の男の口から盛大に鮮血が吐き出され、その身がよろめく。
「ぐぬうううおおお!!」
だが、狂信者の男は倒れず踏み止まり、血を後に散らしながらも、健脚で駆け、山森の木々の陰へと飛び込み、その姿をくらませていった。
かくて、使徒を退却させた撃退士達はその後、残っていたサブラヒを掃討すると、ヒール等を用いて倒れている撃退士達の治療にあたった。
撃退士は頑丈である、多くは治療を受けて息を吹き返したが、爆裂する雷槍の直撃を受けたダアトなどはやはりそれでもダメージが深く、死亡した。
「弔わないと……連れて帰ってやろう」
仁刀は遺体を抱え上げてそう言った。
「そうね……」
ナナシもまた頷いた。その後すぐに討伐隊の全班が集結し、相談の末、討伐行は中止し、重傷者と遺体を街へ運ぶ事となった。
八鳥十志松はかろうじて息を吹き返した者の一人だったが、命はとりとめたが医師の見立てでは撃退士として再起する事は不能だろう、との事だった。初陣でいきなり引退である。
「あたしのせいだ……」
と雪花は酷く気を落とした。
そんな少女へとナナシが言う。
「……運が悪かった、とは言うつもりは無いわ。何処に居ても油断をすれば死ぬわ。まだ私達撃退士は絶対強者では無いの」
先輩の言葉に雪花は拳を握り締めて俯いた。
「新米にはきつい展開だったな……」
病院から出た後、仁刀がぽつりと呟いた。
強者と弱者がぶつかれば強者が勝ち弱者は敗北する、戦場での敗北は死を意味する。命を拾えただけまだ運が良い――おそらく、あの時、呆然としたまま防御態勢に入っていなかったら死亡していたのだろう――というものかもしれなかったが。
「そうね。戸次さん、思いつめないでくれると良いんだけど……」
その後、ナナシは撃退署に対し、使徒に関して。特徴的な外見から使徒になる以前の情報を探れないかを要請した。探ってみる、との返事だった。
「それにしても、頭の悪い事ばかりを言うやつだったな」
氷雅は呟いた。
あの男の戯言――距離があった為良くは聞き取れなかったが――人は不完全というが、天界も武闘派と穏健派で派閥が分かれて問題起こすは、馬鹿にしている人間に遅れをとるは、果てには裏切られ離反され堕天使まで出る始末、正直、他所の世界の事を言える立場ではないよな、と氷雅としては思うのである。
であるのに何故、あの男は天を盲信するのか。
「……まあ、詮のないことだ」
何時の世もああいう種類の者はいる、そう考えて、氷雅は思考を打ち切った。
野良サーバントの群れと当初見られていた今回の事件だったが、使徒の関与が明るみとなり、またサーバントも強力なものが潜んでいると判明した為、京都の撃退暑は警戒レベルを上昇、京都市北部に警戒と注意が集まる事になるのだった。
了