山頂。
夏の太陽が青空に燃えている。
「かなり、距離が有るようだな?」
神楽坂 紫苑(
ja0526)は「山二つ越えた所」という言葉を聞いてそう述べた。
「直線距離ならそれ程でもないのでしょうが……山ですからね。しかも護衛行ですし」
と牧野 穂鳥(
ja2029)。通れる場所は限られているので迂回を重ねる事になる。
「なるほど」
紫苑は頷きつつ胸中で呟く。
(しかし、こいつは、やりづらいかもな? 悪魔の護衛と言う事だが、護衛の中にも悪魔へ怨み持つ奴はいるからな……)
かと言って表だって警戒し護衛の自分達の仲が険悪になるのも不味いと思われた。
(ならば、疑っている事は伏せつつ警戒するか)
考えをまとめる。
他方。
(悪魔護衛に景守か……考えはあると思うが、道行きは荒れそうだ)
久遠 仁刀(
ja2464)は景守の嘆きを目の当たりにしている。故に、良い予感はしない。
(……天魔に恨みがある奴等を護衛につけるって何だろうね、試してるのか。瓦解させて蹴落とす機会を狙ってるのか)
柘植 悠葵(
ja1540)は疑問を覚えていた。真意は何処だ。
そもそも、
(大企業が、はぐれ悪魔に何の用だか……)
柘植が件の悪魔へと視線を向けると、風鳥 暦(
ja1672)が「シィールさん今回はよろしくお願いします!」と挨拶をしている所だった。ピエロ姿の童女は「うんっ、よろしくね〜」などと笑顔をみせている。
(何故、武は長谷川をこの依頼に参加させたんだ?)
大炊御門 菫(
ja0436)もまた柘植と同様に疑問に思っていた。
(私は天魔に身内を殺された事はない。景守の苦しみを完全に理解する事は不可能なんだろう。だが隊の中には天魔を恨んでいても可笑しくない人間がいる。苦しみを乗り越えた者の姿を見せようとしているのか……?)
だとするなら、積極的に皆と交流させねばと菫は思う。
他方。
(背中を安心して任せられないなんて、哀しいですね……)
雫(
ja1894)は胸中で呟いた。九つ程度に見える童女は人形のように無表情だ。だが何処となく寂しそうだった。
「今回はよろしくお願いしますね」
一方、陽気に気さくにメンバーに声をかけているのは虎牙 こうき(
ja0879)だ。彼は親衛隊の事を信じていた。基本、人を疑いたくはないのである。
「茜殿の剣を目に出来る事、光栄に思うよ。此度はよろしくだ」
そう述べる鬼無里 鴉鳥(
ja7179)は逆に基本的に仲間に信頼を置いていなかった。今回真に信を置いているのは同部の菫と畏敬する茜だけだ。茜は「こちらこそ光栄です。ご期待に恥じないようにいたしますね」などと答えている。
(悪魔の護衛、ねえ……まあ、お仕事と割り切って命を懸けて全うしますか)
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は思う。マジシャンとして、同じ芸人として、お近づきになるのも面白いかも知れないと。
かようにメンバーの思惑は様々だ。
ジェーン・ドゥ(
ja1442)は一行が置かれた状況と、その面子を見渡し。
(単なる護衛の退屈な依頼かと思ったけれど、どうやらそうでもないらしい)
チェシャ猫のようにニヤ、と笑う。
(――ええ、ええ、愉快な道中になりそうだ)
歓喜。
魔女の末裔を称するスコッツ青年は世界の全てを愛している。
矛盾は、ないのだ。
●
それじゃ出発かな、と紫苑が言って鬼島が頷き号令をかけ一行は動き出す。
マステリオはシィールの直衛につく事にした。菫もシィールの傍についている。
少年は歩を悪魔の傍に寄せ、人当たりの良さそうな笑みを浮かべながら。
「はじめまして、シィール=クラウン、僕はエイルズレトラ=マステリオ。マジシャンであり、そして戦う者――まあ、奇術師ならぬ『奇術士』とでも申しましょうか」
「初めまして〜、おお、なんだか近しい職業だネっ、私は流離いのピエロさっ。でもマステリオさん、きじゅつしならぬきじゅつしって?」
童女は小首を傾げる。
「おっと、同音異字ネタは口頭では分かりにくいですね、失礼」
文字違いなのだと説明する。
「へぇ、なーるーほーどー」
マジシャンとしての経歴を活かし、芸人としての話題で会話を弾ませつつ、周囲にそれとなく目を配る。襲ってくる天魔には誰もが警戒しているだろうからと、それよりも人間に重点を置いて警戒していた。
柘植は時折読唇術で親衛隊員達の会話を探っている。今の所、不審な会話は入ってこない。マステリオとシィールの会話が一段落した所で、声をかける。
「シィールはどんな術を使える?」
「んー、軽業とかナイフ投げとか得意だねっ、あとは炎だせるかナ」
一応、戦う術は持っているらしい。
一行が進む道には夏草が、その左右には木々が青々とした葉をつけて生い茂っている。山林の道だ。
牧野もまた良く警戒にあたっていた。
それとなく聞き耳を立てたり、手鏡で身だしなみを整えるフリをしながら動きを観察する。
今の所は、特に不審な動きはない。
菫や虎牙が親衛隊達と積極的に会話しているが、怪しそうな会話は聞こえてこない。
鏡の端に捉えた景守はむっつりとへの字に口を結んで道の左右を見回していた。その付近では久遠が周囲の警戒にあたっている。
(……あれ?)
不意に鏡中の端、景守とは別の、親衛隊の少年が、酷く鋭い眼つきで誰かへと睨みを向けたように見えた。一瞬だった。誰に向けたかは解らない。怪しいものでも発見したのだろうか? しかし、今は既に普通の表情に戻っているので、大事はなかったようだが――
牧野は少し考えながら道を歩いた。
風鳥はシィールの背後を固めている。銀髪の少女はきょろきょろとしきりに視線を四方へと走らせていた。
(正直あまり人を疑いたくないのですが……)
風鳥はそう思う。だが、依頼なので仕方が無い、することはする。内部含めて、周囲を警戒する。
紫苑は温和な表情で最後方を固めている。表情はそれだが、怪しい動きをする者がいないか良く注意を払っていた。
撃退士達の監視の目は内外に厚く張り巡らせており、奇襲する側からすれば、実に襲撃しにくい一行となっていた。
無論、人数が多い為、隊列は長く伸びていたので、一人ではカバー出来ぬ箇所もあったが、護衛対象のいる中央は厚く、また端にいる親衛隊員達もさすがに警戒を忘れてはいなかった。
「私、戦うのって初めてなのよね……」
そんな道中、列の後方をゆく乃上 叶(
ja8909)はぽそりと呟いた。
「おいおい姐さん、護衛対象の耳にはそんな事いれるなよ?」
まだ二十歳前であろう青年が聞き咎めて言った。乃上は出発前に聞いたので名前は知っていた。秋津京也だ。
「無駄に不安がらせる必要もない。これだけいりゃ、一人くらいは初陣だって言われても平気かもしれないが」
「……そうね」
「……もしかして、不安がってるのはアンタの方か?」
「ええ」
乃上は頷いた。
「怖いわよ。命のやりとりなんて、した事ないんだもの」
元々は普通のOLだったのだ。
「天魔なんて間近で見た事ないし。銃だって、この間貰ったばかりよ」
ちらりとかなり前方を人に囲まれて歩いているシィールへと視線をやる。
「でも。天魔って……パッと見、人とそんなに変わらないのね」
「まぁな。色んな奴がいるからな。人とたいして変わらん奴も多い。だが、色んな奴がいるんだ。天魔を見るのが初めてだって言うなら、あれを基準には考えない方が良い」
秋津は言った。
「虫を潰すを躊躇わない人間がいるように、人を潰すに何の痛痒も感じぬ天魔は多い。餓鬼が悪戯に虫を解剖して喜ぶような、そういう天魔もいる」
●
乃上は山道をゆきながらふと、出立前に鬼島を訪ねた時の事を思い出していた。
今回の護衛行の計画は不自然であると乃上には思えたのだ。
たった一人の悪魔にこれだけの護衛。親衛隊だけでは不足なのだろうか? 条件から考えるなら、必要以上の戦力を割いているように思えた。
だから訊いた。
「……ねぇ。この護衛の話――貴方達が立てたわけじゃ、ないでしょう?」
乃上が問うと鬼島は「そうだ」と頷いた。
「親衛隊さん達だけじゃ、足りないと思った人は、だあれ?」
男は答えなかった。
「足りないと思ったのは……何故?」
「シィール=クラウンは裏切り者として悪魔達に狙われている」
鬼島は言った。
ただ撃退するだけなら、大物でもでてこない限り親衛隊だけで十分。しかし護衛行となると話は変わる。
守りながら戦うのは難しい。道中で奇襲される可能性があるならなおさら。確実に護るとなるなら、手や目は沢山あった方が良い。
「俺としても護衛は多い方が良い。だから頼んだ。人命――悪魔だが、とかく命がかかっているからな」
しかし、別の理由もあるような口ぶりだった。その別の理由を持つのは恐らく立案者なのだろう。
乃上が追求すると、鬼島は重そうに口を開いた。
「……馬鹿げた話だ」
「馬鹿げた話?」
「シィールを護衛するにあたり、親衛隊を信頼するなと奴は言った。シンパシーなどの検査も予測がついていれば簡単に出し抜けると。だから保険をかけろ、と」
鬼島は言う。
「確かに、悪魔を怨んでいる者はいるだろう。だが、俺達はシィールを護ると約束して依頼を受けた。その約束を違えて害しようなどと企む輩は、親衛隊には存在しない」
俺の仲間はそんな者達ではない、と巨漢は淡々と述べた。
乃上は会長にも聞いたが、
「人によって事情は色々あるでしょう。けどその上でなお、正道の為に剣を取った皆さんです。心配なんてありませんよ。それを疑っては侮辱でしょう。そもそも、いくらなんでも、そんな事する人なんて親衛隊にはいませんよ」
にこっと笑って茜は言っていた。
二人は仲間達の事を強く信頼している様子だった。
●
出発してから数時間が経過したが、敵と遭遇する事もなく一行は順調に進んでいた。
「そういえば、親衛隊の皆ってはぐれさん達についてどう思ってます?」
中央から少し離れた列をゆく虎牙が周囲の親衛隊員に問いかける。
「はぐれねぇ」
隊員の青年は割と呑気そうに呟いた。
虎牙は言う。
「俺、悪魔は嫌いです。だけど、はぐれって人たちはその中から除外したいとは考えてるんですよね……だってはぐれの人ってもう人を襲わない。そう簡単には割り切れない、ってのは俺もありますけど……」
虎牙の言葉に隊員は頷く。
「そうだなぁ。天魔の大半にとっちゃ、俺達は虫ケラかせいぜい家畜だって認識だろ? だから天魔は平均して信用ならねぇな。ただ、結局は、個々に拠るんだとも思う。ああいうのもいるしな」
と青年はシィールを指した。
「あいつは友好的だ。人も襲わない。そういうのは、信用して良いと思うぜ。あくまで俺個人の意見だけどな」
隊員はそう述べた。
虎牙がふむふむと頷いている中、ジェーン・ドゥは少し離れた場所を歩く隊員の一人にそっと近づいた。密かに牧野から注意するよう聞いていたジェーンは、その少年の表情を見逃さなかった。
「君は、意見が違うようだねぇ?」
魔女が囁く。
少年は胡乱気な眼差しをジェーンへと向けた。
「……はぐれの話か? そんな事はない」
「本当に?」
「何故、そんな事を聞く?」
「だって、不服そうなんだもの」
くくっとジェーンは笑った。
少年は顔を顰めた後、声を潜めて言う。
「不服ではない……ない、が、悪魔は、何処までいっても悪魔だろう」
「ええ、ええ、悪魔は、悪魔、その事実は変わらないだろうねぇ」
魔女もまた声を潜めて頷く。
すると少年は少しジェーンに興味を持った様子だった。
「……君は、話が解りそうだな?」
実際の所は、ジェーンは全てが愛おしいから恨み辛みを言われても判らない。
「やはり、はぐれ悪魔は危険かな?」
素知らぬ顔で問いかける。
「危険だ。あのシィールとかいう奴、人畜無害に振る舞っているが、とんでもない化物だ。僕は忘れない。奴に殺された人の事を。それが、悪魔が、連中が、久遠ヶ原の内部にまで踏み込み我が物顔で闊歩しているこの現状はぞっとする。獅子身中の虫ほど恐ろしいものはない」
「どうしたら良いもんだろうねぇ」
「……危険は、排除すべきではないか?」
「排除ねぇ。何をどうするにもリスクとメリットはあるだろうけど……」
ジェーン・ドゥは時には憶測を交え、時には内面に踏み込んで、少年の意見に頷き、会話を愉しんだ。
●
日暮れ。
一行は開けた場所を見つけると野営の準備を開始した。
ある者はテントを張り、ある者は煮炊きを開始し、ある者は燃料となる薪を集めにゆく。雫は女性陣のテントの周りに夜這い防止の名目でブザー付きワイヤートラップを仕掛けていた。
「君も、悪魔を護衛するのは不服かい?」
薪を集めに出た時、ジェーンは景守にも声をかけていた。
「気分は良くない」
少年は枯れ枝を拾いながら頷いた。
「俺は悪魔が嫌いだ。斬り殺したい程にな」
何故、と理由を聞けば先の事件の事を景守は語った。
「では首を刎ねる?」
「襲い来る敵ならば」
「あの子は?」
「護衛対象だ。敵じゃない」
「本当に?」
景守は答えなかった。代わりに、
「……護衛が護衛対象を斬る訳にはいかないだろう」
「何故だい?」
「何故って」
景守は言い淀んだ。
くっくっと喉を鳴らしてジェーンは言う。
「義に、反するからかい? 君がくだらないと言っていたそれに?」
「そういう訳じゃない」
「本当に? 私としては、正義や悪も便利で尊くて──どうでも良い、ただそれだけ。否定するつもりはないけれど、想いを抱く姿は愛おしいけれど、なぜ正義だの悪だのどうでもいい事に拘るのかしら。想いのあるがまま動けば良いのに」
少年は表情を歪めてジェーンを睨む。
「黙れ」
魔女は猫のようにニヤと笑い、
「そこで止まるなら、その想いはその程度なのかもね?」
言い残して、去っていった。
「想いはその程度……」
呟き、立ち尽くす景守の前に、
「正義なんてくだらない、というのは同感だね」
木陰から柘植が姿を現した。
景守は流石に驚いた顔をした。
「あんた、何時から聞いていた」
「割りと最初から」
柘植には読唇術がある。
「正義なんてくだらない、というのは同感さ……でも、あのピエロ女を一時の激情で殺したら、君は退学になって、撃退士を続けられなくなって……二度と悪魔に復讐する機会を失うかもね」
柘植は言う。
「あんなピエロ一人を葬ったところで、君の気は晴れるのかな」
景守は沈黙した。
「どうせ悪魔なんて利用するだけ利用して……不要になったら、惨めに見棄てられるさ」
そんなものだ、柘植は思う。
だから言った。
「死なんて一瞬さ、それよりも生きることで齎される苦痛を与えよう」
「俺は」
景守は顔を青くしたり赤くしたりしている。
胸中、柘植は思っていた。
――誰かが死んだからって、我を忘れて熱くなるなんて、気が知れないけどね。
死は誰にも等しく訪れる。
さよならだけが人生だと云う。
ただ、早いか遅いかの違いがあるだけだ。
畳の上で天寿を全うできるなんて、こんな時代じゃ一握り。
だから思う。
(こんな救いのない世から、早く退場させてもらえたんだ。寧ろ、死んだ女は倖せだったのさ)
復讐なんて、故人のためじゃなくて、結局は自分の為だ。
死に意味なんてない。
(勿論、人生にもね)
ただの暇潰しさ。
●
メンバーが野営の準備を進めていると、薪を抱えて景守がやってきた。
「久遠さん」
「なんだ?」
「もし、俺がシィールに斬りかかったら、どうします?」
その言葉に、傍らで作業していた鬼無里が顔色を変えた。
鬼無里は余り感情を表に出す事もなく争い事も好まない少女だが、逆鱗というものはある。
「戯けが。依頼に私情を持ち込むな。矜持も捨てたか?」
少女は少年を睨んで言う。
「なんだそれは? 話しは聞いているがな。私には貴様が泣きじゃくり駄々を捏ねる子供にしか見えぬよ。総ての悪魔が死ねば人の無念が浮かばれるのか? 貴様の無念が晴れるのか? 莫迦が。貴様の無念如きで人の理想を穢すでないわ!」
鬼無里は言った。
「共存――あぁ、綺麗な言葉だとも。だがそれが何だと言う。貴様の理は、気に入らぬ総てを殺戮すると言っているも同じだ。そうだと言うのなら――」
「……言うのなら?」
「今此処で、散れ」
銀髪の少女が太刀の柄に手をかける。
視線が交錯する。
張り詰めた空気の中、久遠は思った。
彼としては、景守が抱く怒り自体にかける言葉はない。
だが、
「振らせはしない」
赤髪の男はそう答えた。
「お前の刃がシィールに向かうなら、振らせはしない」
振り下ろされる前に止める、と。
怒りを認める事と、その心のままの行動を全て許すのは別だ。
「俺自身、人を殺したようなものだ」
久遠は語った。
二人の命か、まだ魂が戻せるディアボロ、どちらか選び助けろという悪魔のゲームで、敵に抵抗できずディアボロを斬った事がある。
「吹っ切るなど無理だし、悪魔に思うところもある。それでも……自分の感情にも、自分の志は折らせない。滅ぼす為に撃退士になった訳ではない」
「……そうですか」
景守は頷き、一言、久遠へと礼を述べ、鬼無里に「矜持はあるさ」と言って去ってゆく。
「景守」
菫が去りゆく背に声を投げた。
「私は苦しみを知らないが……それを知っている景守に出来る事があるんじゃないのか?」
少年が立ち止まり、振り返る。
「私達が何故、光纏中光るのか考えた事はあるだろうか」
菫は言った。
光は持つ事は出来ないが、周りの人を照らし生かす。
生きるという為だけにアウルを授かったのだと。
「私達が光だとしたら景守は他の光を貰ってその分輝く事が出来るんじゃないだろうか。それは尽きぬ事の無い光だ」
その言葉に少年は、しばし考えるような間をおいてから、
「……正直、俺には良く解らない。光るから光る、それだけだと思う。思うが、あんたは真面目だ、言葉の意味は、良く考えてみる」
そう述べて一礼し、去って行った。
●
夜、幾つかのグループに別れて、焚き火を囲んで一行は食事を取った。
菫はシィールに香水を贈った。万一分断された際でも匂いで追いかける事が可能になる筈と考えた為だ。
シィールは「これ、結構高いんじゃ?」と遠慮する様子だったが、菫は先の理由と代わりに技を教えてくれと頼んだ。
童女はそういう事なら有難くと受け取り、軽業とナイフ投げの技を披露してみせた。流石に弱くともデビルか、サーカスで花形を務められるくらいには良い動きをしていた。
「お菓子、食べる?」
技を終えたシィールへと乃上がチョコを手に言う。
「疲れが取れるかもしれません」
と牧野が取り出したのは棒飴だ。
「おー、私は甘いもの大好きさっ。ありがとーっ!」
童女は喜色満面の笑顔を浮かべると二人から菓子を受け取る。
風鳥は眠気に弱いのか、既にうつらうつらしていたが、シィールや雫等と雑談する事で意識を繋ぎとめていた。
「なぜ素直に人間に会うんですか?」
雑談中、牧野がシィールへと疑問を切り出した。
「ほえ?」
童女は大きな目をしぱしぱと瞬かせる。
「なぜ、かぁ……」
むぅっと唸って飴に齧りついたまま黙り込んだ。
やや経ってから、
「わったしはさー、戦うのって、嫌なんだよネ」
シィールはそう口を開いた。
「出来るなら、毎日楽しく笑って暮らしたい。でも冥魔は天使達と戦っているし、悪魔の世界は戦いばかりだ。もう嫌になって飛び出したんだけれど、そしたら天使だけじゃなく悪魔からも裏切り者って狙われる事になっちゃって、地球に逃げ込んだのさ。色々あって学園に保護してもらった。世話になってるから、借りは返したいというのが一つ。あと久遠ヶ原が潰されちゃったら私も困るから、力になれるならなっときたい。他にも理由は色々あるけれど、主にはそんな所カナ」
「……凄いわよね。はぐれになるって事は、冥界の仲間達から命を狙われるわけでしょ? 人間側だって――全てが、貴女を歓迎するわけじゃない。殺されるかもしれないって、思わなかったの?」
乃上は怖くないの? と問いかける。
「……殺されるかもってのは思ってた。凄くはない。魔界にいたままじゃ絶対殺されるって解ってたから逃げただけ。何もしないままで殺される物解りの良さは、私にはなかった。怖いよ。でも悪魔と天使が争う戦場の方が私には怖い。私は、弱いから」
悪魔の童女はそう呟いた。
●
就寝前。
「シィールさん」
マステリオはテントに入ろうとするシィールに声をかけた。
「ん、なぁに?」
振り向いた童女へと言う。
「必ず守り通すなんて無責任なことはいえませんが、命を捧げてでも守る努力はする……とは、このハートのクイーンにかけて誓いますよ」
周囲に聞こえぬように声を潜め、少年はさらにつけ加えた。
「天魔からも、人からも……ね」
「あ、有難う」
シィールは驚いた様子だった。そこまで言って貰えるとは思っていなかったのだろう。彼女は、悪魔だ。
マステリオは微笑を浮かべ。
「御休みなさい。良い夢を」
「うんっ、御休み。また明日ネっ」
シィールは小さく手をふってテントの中へと消えていった。
●
深夜。
草木も眠る丑三つ時。
漆黒の夜空に星々が煌めいている。
風鳥はテントの中で寝袋に入り自前のアイマスクを装着して安らかな眠りを貪っていたが、けたたましいブザーの音と共に叩き起こされる事になる。
「風鳥さん! 風鳥さん! 起きてくださいっ、緊急事態ですっ!」
ソプラノの声と共にゆさゆさと揺さぶられる。
風鳥は眠りを妨害され、アイマスクを剥ぎ取った。
「……いま、なんぢぃ"?!」
ゴウッと爆音と共に白いオーラが吹きあがり黒い火花が飛び散る。目の色を真紅に変え、コロス笑みを浮かべて自らを揺さぶる相手を睨みつける。
風鳥暦は眠りを邪魔されるのをとことん嫌うのだ。
「ひぃっ!」
茜がびびって後退したので、代わりに雫が冷静に言った。
「狼型のディアボロの襲撃です。既に皆さん迎撃中です。狼撃退しないと眠れません」
「おーけー、ブッツブします」
風鳥は殺意に満ち溢れた様子でがばりと起き上がると、寝袋を脱ぎ捨てテントの外へと駆け出していった。
「……あれ、ホントに風鳥さん?」
「茜殿、茜殿、呆けてないで私達も表へでよう。テント内では守りにくい」
鬼無里は呆然としている茜に声をかける。
「はっ、そうですね!」
我に帰った茜と共に鬼無里、雫、菫の三人はシィールを連れてテント外へと出た。
雫の言葉通り周囲は既に交戦中だった。
狼ディアボロは群れているようで、かなりの数のようだった。
深夜での襲撃で場は混乱に陥っており、焚き火が原因か山林は火に包まれていた。紅蓮の光が溢れ熱波と共に煙を発生させている。
炎に焙られる闇の奥、真紅の玉が無数に輝いている。狼の目だ。
やがて炎光に照らされて浮かび上がり、木々の間を抜け炎を突き破って狼達が突進してくる。
うち一匹の足へとダーツが突き刺さった。柘植の射撃だ。
「この!」
虎牙は動きの止まった狼へと忍術書を翳した。風の刃が放たれ焔と狼を斬り裂いて突き抜けてゆく。狼は血飛沫をあげて倒れた。撃破。
だが、敵は一匹どころではない。
狼は俊敏に駆けると地を蹴り、虎牙へと牙を剥いて飛びかかった。
虎牙は身を沈めると捻り様に脚を天へと向かって振り抜いた。鞭のように繰り出された脚が、狼ディアボロを弾き飛ばし樹に叩きつける。すかさず乃上がデリンジャーを構えて発砲、追撃の弾丸を叩き込んで仕留めた。
さらに別の狼が虎牙へと突進していたが、
「"その首を刎ねておしまい!"ってね」
遁甲術からの迅雷で側面から奇襲をかけたジェーン・ドゥが戦斧を振るって狼の首を刎ね飛ばし一撃で沈めていた。
他方面では秋津と景守が剣を振るって斬り伏せ、久遠が大太刀から月白のオーラを解き放って群がる狼達を薙ぎ払っている。
狼達は後から後から湧いてくる。
「姐さん、怖いならすっこんでた方が良いぜ!」
秋津が乃上へと言った。
乃上は新手へと銃をと向けながら答える。
「いえ……守るわ。悪魔だろうが何だろうが。私も、友人を亡くしてる。けど……この光は、私にとっての新しい希望、だから。それに恥じない手で、在りたいの」
弾丸が飛んで狼に突き刺さり倒れた。
「……おかしいかしら?」
「いいや、上等!」
撃退士達は戦い続けた。
●
一行はキャンプ地で円陣を組むように展開し、中央を守ろうとしていたが、それでも狼の数は多く、全ての範囲をカバーは出来ず、抜けて来る。
「……私の安眠を妨げる者は何者だろうと排除する」
中央。安眠妨害されてすっかり攻撃的になっている風鳥が弾丸をばらまいている。前線を突破して来た狼の一匹に銃弾が直撃し、すかさず紫苑が和弓に矢を番えて追撃を放ち仕留める。
闘気を開放している雫は二匹並んで抜けて来た狼達に向かい、己の身の丈よりも長大な炎の剣を脇に構えて走ると、地を這うような斬撃を繰り出した。三日月の閃光が飛び出し、狼達を二体まとめて両断する。強烈な剣撃。
マステリオはシィールの傍に駆けつけ守りを固めつつ、アウルでトランプを出現させて投擲、次々に狼へと突き刺して前衛を援護する。
牧野は爆椿伐で茜を援護している。椿と炎を孕む蕾の幻影が狼の周囲に出現し、蕾が落下すると共に開花して爆散した。炎に薙ぎ払われて狼のうち一匹が吹き飛んでゆく。
菫は茜の戦いを観察し技を盗もうとしていた。
茜の剣に奇抜さはなかった。正統派の剣術だ。一つ一つの技はどれも基本で、しかしそれが圧倒的に速い。一刹那に三条の剣閃が走り、飛びかかった狼達が真っ二つに断たれて地に落ちる。息を吸って吐くように斬り殺してゆく。
手首、手の内がしなやかで強靭なのだと菫は気付いた。弧の刀線を描きつつ縦横無尽に太刀が翻る。連続で、繋ぎが滑らかで、速い。振るう太刀も業物なのだろうが、刃筋刃並がしっかりしていなければここまで鮮やかには斬れない。
鬼無里は茜の背後を守るように立ち、鋼糸を振るっていた。突っ込んで来た狼が斬り裂かれ鮮血を噴出させる。親衛隊の少年が駆け寄って来て追撃に大剣を叩きこみ、爆砕した。
激しい戦いが続く。
そんな乱戦の最中だ。親衛隊の少年が茜の背を見た。鬼無里は不穏な気を感じて少年を睨む。
視線が合った。
瞬間、少年は身を転じ、シィールへと踏み込んで白輝の光を大剣に集めて振り下ろした。パールクラッシュ。
菫が即応し庇護の翼を発動させた。大剣とシィールの間に割って入る。壮絶な一撃が菫の身に炸裂する。
あまりの衝撃に菫は目の前が明滅し意識が遠くなりかける。が、倒れず踏みとどまった。頑強だ。
「何をする!」
「貴様――」
場が目まぐるしく動いた。マステリオがレガースで蹴りかかり、鬼無里が大太刀を具現させ漆黒の光を集め、少年が横へ一歩踏み込んで再度シィールへ向かって大剣を振り上げ、風鳥が縮地を発動させる。菫が防御を固め、紫苑が光を集め、雫と茜が狼を斬り伏せながら振り向いた。
次の刹那。
マステリオの蹴りと漆黒の閃光が少年に炸裂し、加速した風鳥がシィールを脇に抱きかかえて跳び、大剣が風鳥の足裏を掠めて大地に突き刺さって爆砕した。紫苑から放たれた光が菫の身に集まって傷を癒してゆく。
「貴方――」
茜が驚愕に目を見開き、少年は後方の宙へと大きく跳んでその背から白い大翼を発生させた。風鳥に抱えられたシィールを空より見下ろして言う。
「僕は忘れないぞ。御前は僕の戦友を殺した!」
風鳥は腕の中のシィールが震えたのを感じた。
「あなたは……復讐者か」
マステリオが空を睨んで呟いた。だが、だからといって殺させる訳にはいかない。誓ったのだ。シィールと風鳥の前にかばうように立つ。
「下衆め。殺せば総て片付くと思うておるか。ならばその道理が如く、この一刀の下に――」
鬼無里は再び大太刀を具現する。漆黒の光が集中し、刀身が天へと向かって貫くように伸びてゆく。
「――斬り伏せてくれようか」
踏み込みと共に全力で斬り下ろす。少年は騎士盾を翳した。漆黒の刃と銀の盾が激突し白と黒の光を激しく撒き散らす。
やがて剣が消えると少年は踵を返した。夜空の彼方へと飛び去ってゆく。
「ま……待ちなさい!」
襲い来る狼達を斬り伏せながら茜が声をあげたが、少年は振り返らなかった。
●
狼達を撃退した後、まずやった事は少年の追跡よりも、山林に燃え広がった火の消化作業だった。
どうにか消しとめて、大火事になるのを防いだ後、一行は再度出発した。親衛隊から三名ばかり追跡手が出たが、捕縛するのは難しいだろう。
「シィールを重役に会わせる理由は何なんだ?」
道中、久遠は茜に訪ねた。
「それはー、はぐれ悪魔に対してー、とても懐疑的な人達がいるんですー。悪魔とつるむー久遠ヶ原にー援助などして良いものなのかー? と考える一派がー先方に存在していてー、シィールさんはー、とても人類に友好的なかたですからー? 実際に接して貰ってーはぐれさん達は人類に協力的で友好的であると示してー、先方からの理解を得てー、友好を深めよう作戦ー、ですー、まぁー、一言でいうならー広報でーすーねー」
死んだ魚のように虚ろな目をした茜がそう説明した。隊員の行動がショックだったのかちょっと壊れている。
元々、会長が同行しているのもその為らしい。
「なるほど…………その顔で重役に会うのか?」
「着く頃にはー、修復ー、しますー、化粧技術万歳ー」
中身の方が心配だ、と一同は思った。
やがて一行は目的地のホテルに到着した。
念の為と護衛に残るメンバーも居たが、脅威はもうなかった。
「色々あったが、これで依頼は完了か。かなり疲れたな」
ぐったりとした様子で言う紫苑の言葉が、一同の胸中を代弁していた。
ともあれ、死者を出す事なく依頼は完了し、撃退士達は学園へと帰還したのだった。
了