朝。
某県にあるホテルのロビーラウンジ。
「ヴォルクは義理堅いね。恩義のあるラプターと少女、二人の板ばさみか」
狩野 峰雪(
ja0345)は乳白色の陶磁器に注がれた珈琲に口つけつつ呟いた。ホールではまばらな人が行き交いしている。
「少女がどんな人か不明だけど、はぐれた当時はヴォルクは人界知らずだろうし、惚れた弱みで騙されてる……とか、考えすぎかな」
「……ありえん事ではないな」
対面の席に座る郷田 英雄(
ja0378)が煙草を咥え、ジッポで火を先端に灯しつつ頷く。
「僕はそちらをあたってみるよ」
「わかった」
撃退士達は朝食がてら卓を囲み、これまでの調査結果をまとめ、今後の方針について話し合っていた。
「とりあえず、ヴォルクの生存が第一ね」
と言ったのはナナシ(
jb3008)。クライアントからの依頼内容的にはまずそれだ。
「……わたしは、することはシンプルに、場を整えるだけだよ」
そう答えたのは水枷ユウ(
ja0591)である。
「結果どうなろうとそれは二人が選んだこと。わたしには関係ないし、手を出す領域でもない」
領域ではない、と女は言った。
「ただ、見届ける。それだけ」
「……そうね、依頼人本人がそれで納得したなら、決闘等で彼がラプターに殺されても私も納得するわ。そうでない場合は話は別だけど」
とナナシ。
「本人が納得したらか」
ふむ、と天野 天魔(
jb5560)は呟く。
「相手の死を願うほどの怨念……」
日下部 司(
jb5638)が口を開いた。何が正しいという確実な答えがない問題だ。
「和解させるのは――とても難しいのかもしれませんね」
不可能なのかもしれない、と内心思いつつも少し言葉を選んで青年は言う。
「止めさせるには彼を殺さないといけないのかもしれません」
司の言葉に否定を述べる者は誰もいなかった。そういう状況である。
「それでもこのまま……親友だった二人が話すこともなく、終わりを告げるなんて絶対ダメだと思います」
司は語気を強めつつ言った。どんな結果になろうとそれを背負う覚悟は決めていた。
「そうね……一度本人達同士で直接、話し合う機会は作った方が良いと思うわ」
巫 聖羅(
ja3916)が頷く。
「その上で殺害依頼をキャンセルする事が出来無かった場合は……皆の方針に従うわ」
「――シャリオンが止まらなかった場合は、俺がラプターをやる」
郷田が告げた。
「……はんたいはしないよ」
男から向けられた視線にユウはそう答えた。
「ただ、そうなった時は、それを手伝いもしない。わたしは彼らの選択を見届ける」
その言葉に郷田は頷く。
「手頃な場所に一室――そうね、ビルの会議室あたりを借りておきましょう」
ナナシが淡々と言った。
「ラプターを無力化して連れ出しヴォルクも一緒にそこに立て篭もる。シャリオンがやってきたら、部屋の入り口前で最後の説得をするわ。説得が上手くいかず押し通られたら、その時は……お願い」
「解った」
男は頷いた。
それが、依頼人の命を守る為の最終手段だった。
かくて、撃退士達は一旦の打ち合わせを終えるとホテルを出た。
(嫌な予感がする。良くないことが起きる気がする)
山里赤薔薇(
jb4090)は不安だった。少女の桃色の瞳には影が落ちている。
ホテルを出た時、少女が見上げた空は鉛色だった。分厚く暗い雲達が何重にも渦を巻いて空を覆っている。
「……いずれにせよ、私は人類のために行動するわ」
ブロンドの少女は不安を振り払い意を決するように呟くと、薄暗い街中へと向かい歩き出した。
●
狩野、天野、ナナシは共に某県にある少女が入院している病院へと赴いていた。
「ごめんね、ちょっと聞いても良いかな?」
狩野はカウンターへと向かうと、学園の学生証と撃退士である事の身分証明書を提示しつつ尋ねる。
「ブ、ブレイカーさん?」
受付にいた若い娘は身分証と狩野の顔を何度も見比べる。彼女は『げきたいし』よりも『ブレイカー』派らしい、閑話休題。
「いや、たいした事じゃないんだ。そう緊張しなくても良いよ」
「は、はぁ」
「666号室に"茂木陽菜"という名前の患者さんがいると思うんだけど、彼女を担当している先生と話はできるかな?」
「えぇと…………少々お待ちください」
言葉通りに少々待たされた後、三人は奥の部屋に通され、担当の医師と会う事が出来た。
狩野は幾つかの質問をした。
少女が病を得た時期はいつ頃か、経済状況、家族、病状、医療費はどの程度か、治癒の見込みはあるのか、国からの支援制度は受けているのか、等々である。
(――ふむ)
担当医から諸々を聞き出すと三人は礼を述べて退出し、今度は直接少女の病室へと向かった。
●
他方、
「ラプターさんが学園にやってきた時に何故、接触せずに雲隠れしたんですか?」
司はヴォルクへと問いかけていた。彼の口からしっかりと理由と想いを聞き出す必要があると思ったからだ。
「それは…………」
ブロンドの巨漢は渋面で唸った。
「あいつが俺に復讐しにきたってのは解ってた。俺はラプターを殺したくない。あいつが牢獄に繋がれる姿も見たくない。出来る事なら、あいつには幸せに生きて欲しいんだ――勝手過ぎるってのは、解ってる。でも俺自身もまだ死ぬ訳にはいかねぇんだ。だから、会わせる顔も無い」
なので逃げた、と。
「――みんなちゃんと殺してあげれば、こんなことにはならなかった」
するりと滑り込むように声が響いた。
弾かれたようにヴォルクが振り向き声の主――水枷ユウを見た。
水枷ユウは視線に対し、淡々と答えた。
「それが悪いってことじゃないよ」
そういう事を言いたい訳ではなかった。
「事実として、ヴォルク=ヘイメリアとヴェロシラプター=オズムルスカが生きている。だからこんなことになった、そゆこと」
「……あんた、何が言いたい?」
巨漢の悪魔の赤い瞳は訝しげで、ユウは無表情のままに銀の双眸を向けて見据え返した。
「だから、あなたは選ばなければいけない、ということ」
――何を?
「ヴォルク=ヘイメリアとヴェロシラプター=オズムルスカの生死を」
銀色の女の答えに、金髪の男は苦痛を覚えたかの如くに顔を歪めた。
「……選んで、望む未来に届くように動かないと」
人生は難易度に際限の無い問題集。選択肢は難解で、正解は容易には解らない。
しかし、選ばなければ。
「ここを他人任せにしてたら、……まあ言わなくてもわかってるよね」
ユウの言葉にヴォルクは表情を歪めたまま沈黙した。
●
――狩野達が周囲を調査し、また直接少女と話してみた結果では、少女は今の時代では胡散臭く思われるくらいに裏表無く善良で、一般的には優しいと言われる人間であると思われた。
少なくとも、狩野にはそう見えた。天野やナナシも同意見らしい。もし違うのならば、たいした役者だ。
両親は死亡しており、年の離れた妹が一人いる。姉妹は一時期は唯一の近親である叔父の元を頼ったが、問題のある人物であり、妹の身を考えた彼女は今はその元を離れている。
病はヴォルクと出会う以前から軽度には発症していたらしい。国からの支援制度も受けた上であり、現在では経済的にはヴォルクの支援が失われればとても生活も治療も立ち行かないようだった。完全に頼りきりである。
かつて、困難に対し優しく病弱な少女は、夢みたいな解法が現れるのを祈っていた所に、ヴォルクが現れた。
しかし少女には最初からヴォルクへと縋ろうとした意図はなく、また催促した訳でもなかった。少女に計算高さがあったなら、他者の顔色を窺って生きてきた悪魔はそれを見抜き、現状には至らなかったかもしれない。
陽菜とその妹にとってヴォルクは英雄であり、姉妹は深い感謝と愛と優しい笑顔をヴォルクへと返す。ヴォルクはそれに癒されて生きている。互いに支えあっているようだった。捻って見るなら、依存しあっている。
砂糖菓子のように甘い関係。
もっとも、物質的にはヴォルク一人の経済力によって支えられており、ヴォルクの経済力――様々な便宜など――は、彼がかつて売った仲間達の屍山血河の上に築かれているようだったが。
そんな少女へとナナシは協力を要請した。
「わ、わたしでヴォルクさんを助ける力になれるなら……」
ベッドの上の陽菜は二つ返事で悪魔の童女に頷いた。
「有難う、どうかお願いね」
ナナシは一つ推理を立てていた。
鬼将は、依頼者や被害者も含め特異な状況での人の想いと行動を観察しているのではないか、と。
(もしかして人の魂の色を知りたいのかもしれない)
シャリオンによる殺害を止めるには、停止ルールの該当事項を実行すれば良い。
(でもそのルールが厳密な物とは思えないのよね)
故に、関係者である茂木陽菜に頼み、頑張って連絡方法を探して、鬼将に『ヴォルクを守る事』を依頼してもらおう、と思い立ったのだ。
「殺人依頼ですら無いけど、彼自身が納得すれば、それはルールとして成立するはずよ」
「……解りました。ネット上からでもそのシャリオンさんっていう人とは連絡を取れるんですよね」
黒髪の少女、陽奈は決意を瞳に宿して頷く。
「ここでもネットなら使えますし、全力で探します。あと月菜――妹もきっとヴォルクさんの為なら協力してくれると思います」
●
赤薔薇は、ユウの言葉に沈黙しているブロンドの悪魔へと淡々と告げた。
「あなたがラプタ―さんと向き合わないと、私達はラプターさんを殺さなければならなくなります。それは、あなたの本意ではないでしょう?」
その筈だったが、しかし巨漢は身を縮こませたまま動かない。
「――お前が関与しないと言うなら俺達はラプターを殺す」
ぶっきらに男の声が響いた。
ヴォルクは息を呑んで声の主――郷田英雄を見た。
郷田は赤い隻眼で悪魔を見据える。
「俺達はお前を助けるが、奴を助けられるのはお前だけだ」
思う。
(弱者は本来、悪だ)
郷田英雄はそう断ずる。
彼は、天魔を屠る事に躊躇いはなかった。
力を持たないものは文句を言う権利も持たない。
人間社会では美化されているが、弱者は本来、悪だ。
(この世において力が全て)
だがヴォルクは戦う事から逃げている。
「怨まれて当然の事をした自責の念があるなら、憎悪を全て受けとめ撥ね返してやれ。そいつの生きる目的となれ」
俺はラプターの気持ちはよく分かる、と郷田は言った。
左の義手の掌を開き、右手で拳を作り左掌に打ち付ける。
「俺も命を以って落とし前をつけさせた」
拳と掌がぶつかり、乾いた音を立てた。ぐっと握り拳を眼前に翳してみせる。
「復讐は自分の手でつけたいと思っているはずだ」
ラプターが郷田の想像通りの男であるなら、それは確実な筈だった。
「もしも違うのだとしても、そう思わせろ――お前が命まで奪う必要はない。腕を折るだけでも良いのだから」
「腕…………」
巨漢は唸る。
「ヴォルクさん」
日下部司ははぐれ悪魔の赤眼を真っ直ぐに見据えた。
「ヴォルクさんとラプターさん、お二人の確執は話合った程度で解決するものではきっとないと思います」
司の言葉にヴォルクは渋面で頷く。
「直接会うことになったら怨み辛みを吐きつけられ、殺し合いをしなくてはいけなくなるのかもしれません。それでも……ラプターさんに依頼を撤回させたいのなら、直接会わなくてはいけない……俺はそう思います」
自分勝手な意見を言って申し訳ありません、と謝罪しつつも青年はそう言った。
「…………俺が会って話をしただけで、ラプターが俺を殺す事を諦める事は、無い、まず無いと思う。だがそれでも俺が直接会うべき、それは、そうなんだろうな……」
巨漢は片手で渋面を覆い、唸り、俯く。
「しかし……ただそれをやっても、それは確実に殺し合いだ……あいつなら必ずそうする。俺が、俺が、ラプターと戦うのか……」
ヴォルクにはやはり、躊躇いがあるようだった。
動かない。選べない。
「――ヴォルクが何もしないなら、またはラプターが止まらないなら、ラプターはだれかが殺して止めるから。そこは安心していい」
再びユウの声が響いた。
「死のうとしない限り、あなたは死なないとおもう」
ヴォルクは動かない。
「……どうするか決めたら連絡ちょうだい。場所とかの準備くらいはしてあげる――悩むのは大事だけど、時間は有限。忘れないでね」
客観的には平坦に、主観的には優しく、あるいは厳しく、女の声は、部屋に響いたのだった。
●
他方、巫聖羅はラプターの元を訪れていた。
島にある薄暗い部屋に漆黒の悪魔はいた。
ツインテールの柔らかな髪の少女は、己もまたヴォルクからの依頼を請けてやって来たのだという事を告げてから、
「ヴォルクは今回の件に関して学園の風紀等に報告はせず、内密に貴方を説得し殺害依頼を撤回して貰う事を望んでいるわ」
そう静かに言った。
「ハッ、あのヘタレ野郎らしいな! どこまでもムシの良い事を言いやがる……!」
聖羅は嘲笑と憤慨を混ぜた表情を浮かべる男を見つめると、
「……情報を人類側にリークする際に、彼は貴方だけは殲滅対象から外される様に誘導した可能性がある、というのが学園の見解よ」
その言葉にラプターは一瞬沈黙し、
「……だからなんだ?」
怒りの色に黒瞳を燃やした。
「お前だったら、仲間達を皆殺しにされて許せるか? 自分だけは外されたから? あいつは今となっちゃクソムカツクがダチだった。俺のダチが、仲間達を嵌めて皆殺しにしやがったんだよ。ダチだった俺がヤツに落とし前をつけさせねぇで、他の誰がつけさせるんだ? 誰があいつらの無念を晴らすんだ?」
「……私はヴォルクに対する貴方の感情を責めるつもりは無いわ。どんな理由があったとしても、仲間を売られた事実は変わらないものね……」
失われた命が戻る事はない。
「そうだ」
面差し鋭い悪魔は、聖羅の瞳を黒瞳で見据え頷いた。
「血は、血でしか贖えない」
――けれど。
と、聖羅は思う。
「貴方はヴォルクにとって大切な存在だったのよ」
少女は言った。
「そうでないのなら貴方も他の仲間達と一緒に死んでいたかも知れないし、今回も依頼を出す事は無く、真っ先に風紀委員に報告していた筈よ」
ラプターは眉間に皺を刻み、沈黙する。
「許してあげて、……とは言わないわ。唯、ヴォルクにとって貴方は今でも大切な存在だという事実は知っていて欲しい」
聖羅は赤い双眸でラプターの瞳をじっと真摯に見つめながら語りかける。
「せめて一度、彼と会って話をして貰いたい。話し合いの末、尚も貴方が復讐を望むのなら――その時はシャリオンに頼る事無く、自分達自身の手で決着を着ければ良い」
●
翌日の午前。
某県での少女への調査を終えた狩野と天野はヴォルクの元を尋ねていた。
「先日、見舞いにいったのだが、君の愛する少女は可憐だな」
天野天魔はヴォルクへと白黒反転した目を細めつつ言った。
「特に君が昔彼女の為に手を血に染め、今その代償にかつての親友に命を狙われていると告げた時の顔は中々に扇情的だった」
「あんた、何を……?!」
ブロンドの悪魔は表情を激変させる。
「自らが犯した罪が原因とはいえ、命を狙う相手を未だ親友と思い、殺す事も殺される事も善しとせず逃げ続け、命の危機に陥った今でさえ庇う。君は、愚かだが美しい」
ふ、と血の涙を流し続ける堕天使は腕を組み直しながら笑う。
「だが、君の愛する少女は君が親友に殺されても、君が親友を殺しても心に深い傷を負うだろう。故に君が彼女の病だけでなく、心も救いたいのならば、かつての親友と和解せねばならない」
「お前……陽菜に何を……!」
「――もはや逃げ場はない。死力を尽くせ、ヴォルク=ヘイメリア」
天魔が告げた言葉は弾丸の如くにヴォルクを射抜き、金髪の巨漢は観念したように項垂れたのだった。
●
午後。
天野、狩野、ナナシ、ユウらは共にラプターの元へと向かった。
天野天魔は言った。
「取引だ。君がシャリオンへの依頼の撤回するなら俺達は君とヴォルクを引き合わせる。君も出来るなら自らの手で彼を殺したかろう?」
「何……?」
漆黒の男ラプターは天野を胡散臭そうに見やる。
「僕達としては君がシャリオンへの依頼を取り下げないと、君を殺して依頼撤回をさせざるをえないんだ」
狩野は穏やかに言った。
「ヴォルクが君から逃げ回る理由は君への恩義の為だよ」
「それと、茂木陽菜さんの事。ヴォルクは彼女の為にも死ねないのよ」
とナナシはヴォルクと陽菜の関係について説明する。
「陽菜さんは人間だし、彼女の寿命まで待てば、ヴォルクは逃げないはずだよ。そうすればあなた自身の手で決着つけられる」
と狩野。
「……なるほど、だが、些か気の長い話だな」
ラプターは首を振った。
「シャリオンへの殺人依頼を撤回し、陽菜さんへの援助を貴方がヴォルクの死後に代わって続けると約束するなら、ヴォルクは貴方との決闘等に同意する可能性があるわ」
ナナシの言葉にもラプターは眉間に皺を刻み首を振る。
「もし俺が勝ってヴォルクを殺したら俺は牢屋の中だ。それでは援助なんて無理だろう。相打ちになる可能性もある。その場凌ぎでYESって答えてもいいけどな、その女はどうなる。犬猫拾うにだって責任がある、人の一生の事で、そんな安請け合いはできねぇ」
「――では、もし殺害依頼を撤回するなら手付けとして」
拒否を続けるラプターへと、
「全ての元凶、彼が君達を裏切った元凶である少女・茂木陽菜の居場所を教えよう」
天野天魔はそう言った。
「居場所、だと……?」
ラプターは少し考えてから、
「教えるのか? 俺に? その茂木陽菜って女は本当に、ヴォルクにとって大切な奴だってのは間違いがないのか?」
「間違い無い。命の恩人にして惚れた相手である彼女と生きてゆく為に、ヴォルクは人類側につくと決意し、その為に学園に入らんとし、その為に君達を裏切ったのだからな」
天野天魔は頷いた。
「その茂木陽菜の居場所を君に教える。仮に俺達が君との約束を破っても、君が茂木陽菜を殺すと脅迫すれば、ヴォルクを簡単に呼び出す事が出来る。悪い話ではなかろう?」
ラプターは再び沈黙した。
やや経ってから口を開く。
瞳には刃のような光が宿っていた。
「――確かに、あんたのそれは、悪い話じゃないな。本当ならばだが」
「偽りは言わんよ」
「良いだろう。天野天魔、あんたを信じ、その提案を、呑もう」
ラプターは天野の提案を受け容れ、殺人依頼をキャンセルする事を約束した。そして、自ら決闘する事を望んだ。
「シャリオンとはどうやって連絡を取るんだい?」
狩野は問いかけた。
「定期的に向こうから連絡が入る。こっちからは連絡できねぇ。最初にコンタクトを取った時に使ったサイトは破棄されてる。次に奴から連絡が来た時に、依頼を取り下げるように伝えるよ」
「信じていいのかな」
「俺があんた達を信じるしかないように、あんた達もまた俺を信じろ、としか言えねぇな」
「解った。よろしく頼もう」
天野は頷いた。
「代わりに決闘のセッティングはこちらに任せておけ。あぁそれと――」
去り際に堕天使の男は言った。
「君と彼とでは彼の方が強いのに、彼は君と戦わず逃げ回り、実際に命の危機に瀕している今でさえ、事件を公にせず内密に処理する事を望んでいる。君だけが生き残った事といい何故だろうな?」
「……だから?」
「この国で無所属の悪魔が生きるには様々な苦労がある。のほほんと青春を謳歌しているように見えたのは君の錯覚かもしれん。気になるなら殺す前に問い質すといい。死人は答えてくれないからな」
●
先日、ヴォルクの元を訪ねた折、郷田英雄は併せて都市伝説の怪人の事も尋ねていた。
「お前はシャリオン=メタフラストに詳しいようだな。どこで聞いた? 或いは、目にしたか? 奴について知ってる事を全部教えてくれ」
まずは知らなければならない。
(奴は噂でも都市伝説でもなく、一人の悪魔だ)
知れば自ずと解決策も見えてくるはず。
郷田英雄はそう思う。
「俺が聞いたのは人伝とネットで――」
とヴォルクが語ったほとんどは、世間にオカルトとして流布されてる噂と同じだった。
が、
「だけど俺は冥魔軍にいた頃にも噂を聞いた事があるんだ。カーベイ=アジン・プロホロフカが率いる軍団には四柱の強大な悪魔がいる。それがプロホロフカ四獄鬼。ヘルキャット、ウルヴァリン、マーヴェリック、メタフラスト。冥界の鬼将シャリオン・メタフラストは四獄鬼の長だって話だ。剣の結界の使い手で、その強さは子爵カーベイ=アジンよりもずっと上だという」
「剣の結界?」
「ほんとにそういう技名なのかは知らねぇけど、奴の剣の間合いに迂闊に飛び込むと大勢でも即座に真っ二つにされるから、そう呼ばれてるらしい。範囲技って訳でもねぇらしいから、冷静に見るなら、多分、手数が多くてカウンター技が得意って事なんだろうな。あと間合いが遠いと消える」
「……消える、だと。なんだそれは?」
「どういう手品かは知らねぇけど、一定以上距離が空くと奴の姿は見えなくなるらしい。近接戦の鬼だが遠距離からは見えないので撃てねぇ。だから無敵の死神だ。それ以上は俺も知らねぇ」
「では、フラウロスという悪魔は知っているか?」
「どっかで聞いたな。あぁ、確か……旧い地獄の大公爵、豹頭の炎の魔神がそんな名前じゃなかったか? それこそ伝説の存在だよ。一箇所には留まらず一柱だけであちこち気侭に流離っている変わり者の大悪魔らしい。嘘か本当かはしらねぇけど」
●
翌日、ラプターは殺人依頼を本当に取り下げたらしく、シャリオンがヴォルクの前に忽然と現れ「あぁ、警戒する必要はありません。事情が変わりました。僕が貴方を付け狙う事は今後一切ありません。御安心くださって結構ですよ、と、それを告げにきました」というキャンセルされた際のお決まりの台詞を言いにきた。
「もしも僕等がラプターを殺害して、目の前で君の依頼をキャンセルさせていたら、君はそれを愉しんだかい?」
狩野は黒髪の少年に問いかけた。
「それとも、興醒めだったのかな」
男は鬼将の価値観も知りたいと思った。狩野が見るに芸術家肌のようだが、行動原理となるものは一体何なのか。
「――あぁそれは、夕陽は鮮やかに光を放ちます。貴方は夕陽を見るのは好きですか? 魂は炎に似ている。もしも放つ光が鮮烈だったならば、理由を失くした力は、己が振るわれた意義を見出していたかもしれませんし、そうでなかったかもしれません。そんな所です」
都市伝説の怪人は淡々とそう答えると、ゆらゆらと姿を霞ませ消えながら去っていった。
かくて夜。
ヴォルクとラプターは人気のない自然公園で顔を合わせる事となった。
「会いたかったぜぇヴォルクぅ……!」
長身痩躯の悪魔ラプターは牙を剥いて笑った。
「色々考えたんだがよ、やっぱテメェは許せねぇわ。抜けッ!!」
「俺は会いたくなかった」
巨漢の悪魔ヴォルクは暗い顔で答える。
「お前ならそう言うと思った。どうにもならないか」
「いちいち言葉が必要か?」
「待ってください」
司と赤薔薇が間に割って入った。
「ラプターさん、ヴォルクさん、どうかまずはしっかり話し合ってください」
青年は訴えた。
「きちんと話し合って……お互いお腹の底にあるものまですべて吐き出すの」
赤薔薇もまた懸命に言う。
しかし、
「ハッ、今更こいつとこれ以上話す事なんてねぇよ。どけッ!!」
とラプターは赤薔薇と司を押し退けて進まんとする。
瞬間、
「駄目ェッ!」
ブロンドの少女の手より凶悪な電撃が噴出し、ラプターへと襲いかかった。
「んなっ――?!」
山里赤薔薇、外見年齢十四歳、見た目に反し、実はとてもとても強い。
「うごごごごごごごごごごごーーーっ!!」
赤薔薇からの電撃に打たれたラプターは、猛烈な電圧の前に白目を剥いて意識を失ったのだった。
●
その後、赤薔薇達が睨みを効かせる中、ヴォルクとラプターは話をした。
ヴォルクは現在の境遇、過去の真実を話した。
その上で――やはりやりあうしかない、という結論をラプターは告げた。
「……ラプター、どうしてもやるなら、俺もやらなけりゃならん。昔はお前の方が遥かに強かった。だが今のお前と比べるなら、俺の方が強い」
「ハッ! 敵が強いから、自分が弱いから、そんなもんがここで退く理由になるかよ。だからてめぇはヘタレなんだ」
「なる。"大嵐の前に誇り立つ樫は風に圧し折れ、首を垂れる葦は生き延びる"」
「古い話だな。懐かしい話だ。そうだな。あの頃は俺達は若かった。未来があった。だが今は無い。テメェが奪った。俺とあいつらの未来を、テメェが消したんだ。例え勝ち目がなかろうと、ここでへらへら笑ってテメェを許したら、俺と俺達のすべてが嘘になる――だから、筋は通すぜ。テメェが死ぬか、俺が死ぬか、二つに一つだ」
決闘が、始まった。
撃退士としても経験を積んでいるヴォルクとはぐれ化したばかりのラプターとでは基本スペックに大きな差があった。
だが、戦闘はそれだけでは決まらない。
立ち回りの鋭さではラプターに分があり、さらに生き残らなければならない上に殺害に躊躇のあるヴォルクに対し、捨身のラプターは死活も発動し、文字通り命を賭けて斬り込んでゆく。
ラプターの捨身の猛攻はヴォルクを追い詰め、あわや斬り倒すかと思われたが、ヴォルクもまた死活を発動、技量差に物を言わせて交差ざまにラプターの片腕を圧し折り、体をあてて転倒させると、足で踏みつけて動きを封じつつ、刀を回転させて、その切っ先を大地とその狭間にあるラプターの喉元へと向けた。
凄惨な殺し合いの結末――
「待ってください!」
山里赤薔薇から静止の声が飛び、ヴォルクは剣を構えたまま停止する。
「もう勝負はつきました……もう、もう、やめてください」
赤薔薇はヴォルクを押しのけて間に割って入ると、ラプターへとヒールを連射する。
死者は、出さない。
赤薔薇は決して死者をだそうとはしなかった。
「事、ここに及んでも止めるだと……?! ふざけるな……ッ! どういう意味か、解っているのか……?!」
「死んでは駄目です!」
意識を取り戻したラプターは抑えられながら治療を受けつつも、文字通り血を吐きながら赤薔薇へと怒りの声をあげ、ヴォルクへと叫んだ。
「ヴォルク……ッ! 俺は生きてる限りお前を殺しにいくぞ! あらゆる手段を使ってな! 俺を殺さない限り、俺はお前を殺しにいくぞおッ!!」
先は確かにトドメを刺さんとした様子を見せたヴォルクだったが、一度止まった彼は、酷く葛藤している様子を見せながらも、再びラプターを殺そうとはしなかった。彼もまた赤薔薇と同じく殺そうとはしなかった。
「陽菜は……心、優しいからな……悲しませたく、ない――、有難う」
ヴォルクは笑って、赤薔薇へとそう礼を述べると、死活の反動で気絶して倒れた。
かくて、ヴォルクとラプターの決闘は終わった。
結果。
シャリオンへの依頼は取り下げられ、決闘もまた行われたが死者はでなかった。その場においては。
殺人依頼が取り下げられなかった場合はラプターを殺す。
両者合意の上ならば、その決闘の末にどちらが死ぬ事になっても納得する――撃退士達の大勢の意見はそれであった。
しかし、赤薔薇の活躍もあり両者ともに死亡はしなかった。
殺人依頼は撤回され決闘が行われたが、ラプターは未だにヴォルクを狙っている。
こうなった場合どうするのか、指針が存在せず、撃退士達の意見は紛糾したが、
「あいつがまた俺を狙って襲ってきても、俺がなんとかする。俺は負けない。今の俺なら勝てる。殺さずに退け続ける。俺は陽菜の心も守るし、ラプターも殺さない」
ヴォルク=ヘイメリアは覚悟を決めた表情で撃退士達へとそう告げた。
そして、依頼期間が終了した事もあり、撃退士達はそれぞれの生活へと戻っていったのだった。
●
後日――
生き延びた悪魔は傷を回復させると、先に天野から提供されていた情報を元に某県の病院から"少女"こと茂木陽菜を誘拐「この娘の命が惜しければ、誰にも言わず一人でこい」とヴォルクを単身廃工場へと呼び出した。
そして、陽菜を柱に錠と鎖で縛り付け燃料を撒いて火をつけ囮としヴォルクの注意を惹いた。悪魔は焼かれないが、人は焼かれる。
ヴォルクは炎の海を突き抜け陽菜を拘束する鎖を急ぎ解かんとし、ラプターは焦りで注意力が散漫になっていたヴォルクの背後意識外より頭部へとライフルで狙いをつけ狙撃、頭部を粉砕した。不意打ちでヴォルクを気絶させたラプターはさらに追撃を入れて殺した。
陽菜は、崩れ落ちるヴォルクより噴出した鮮血と肉片を浴び茫然自失状態に陥っていたが、足元で斃れ伏している男の死を認識すると錯乱、発狂、しかしラプターに抱えられて炎の廃工から病院へと生きて帰された。
そしてラプターは足がつき、風紀によって捕縛され法の裁きを受ける為に収監される事となる。既に人類への害意はない事もあり、極刑に処せられるよりも生きて罪を償わせる方向になるだろう、というのが大勢の見解だった。
茂木陽菜は人質にされた際の直接的な負傷は軽い火傷と擦傷程度だったが、肉体的にも精神的にも著しい負荷がかかり、急速に病状を悪化させ、間もなく病室で死亡した。
すべてを失った茂木陽菜の妹・月菜は、叔父の元へと引き取られていった。
「あぁ、こういう結果になりましたか」
黒髪の少年は、瞳から光を消した童女の前に立っていた。
「偶に想定外の事になる。だから飽きないのかもしれませんし、そうでないのかもしれません――貴女の願いはなんですか?」
「ヴェロシラプター・オズムルスカを殺して」
茂木陽菜の妹、茂木月菜――ナナシからの要請で姉と共に鬼将とのコンタクト方法を探していた娘――はシャリオン=メタフラストを見つめて地の底からせり上がってくるが如き声音で懇願した。
彼女の慟哭と怨念はついに地獄の鬼神を呼び出していた。
「法が殺せないのなら、貴方が殺して、あたしの依頼の元に、あたしの殺意の元に」
後日、監獄の中からラプターの死体が発見された。
陽菜の妹の姿も忽然と消え、二度と生きた人として姿を見せる事はなかったという。
水平線の彼方で黄金の陽が燃えている。
了