「お疲れさま……ようやく一段落がついたわね」
ナナシ(
jb3008)は茜らのもとへと赴いていた。
「ナナシさんもお疲れさまです」
白ドレスの娘はにこっと微笑して答えた。
「富士の件はお疲れ様でしたね」
と言ったのは、起伏豊なしなやかな肢体を鮮やかな青のイブニングドレスに包んでいる銀髪娘、ファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)である。
「富士市からの部隊の一人としては、素直に喜び切れませんが……少し冷静さを欠いていましたね……」
赤眼を伏せつつ女は言う。ヨハナ隊は壊滅させられたが救援に向かった静岡市では被害が出ていた。
「一人で何もかもが出来ないように、一隊で何もかもが出来る訳ではありませんから……ティナさん達は御奮闘なされたと聞いておりますよ」
と労わるように微苦笑して茜。
「有難うございます」
しかし実は茜に怪我を負わせたという私的理由でヨハナを狙っていたファティナなのであった。
「――まぁあのナースの事は置いておくとして、今回は振袖ではなくドレスなのですね」
としげしげと茜を見やってファティナ。
「はい、ずっと振袖だったのですけど、夜間のパーティだという事と、十九歳になったのでちょっと挑戦してみまして……」
見つめられて、もじもじとしつつ低身長な黒髪娘は上目遣いに問う。
「……おかしく、ないでしょうか?」
「ふふ、髪飾りまでされていつもと違い新鮮に感じる衣装だからでしょうか? 大人な女性としての魅力が感じられてとてもお似合いですよv」
と笑顔でファティナ。
「有難うございますっ」
「カメラを持ってきてれば……あ、今は持ち歩くようにしてたのでした」
しゃきとデジカメを取り出し構える銀髪娘。
「 」
そんな訳でぱしゃぱしゃと撮影会が始まる他方、
「西園寺さんは退院おめでとう。あと、ビル崩壊の時にすぐ助けられなくて御免なさい」
悪魔の童女は申し訳なさそうな表情をしてDOG顧問官にそう言っていた。
「どーも。だが、お前さんに謝られる筋じゃねぇなバカヤロー」
くたびれた壮年男はナナシの謝罪に対して乱雑に答えた。
「余計なお世話かもしれねぇが、世辞でなく本気で言ってんなら、世の中人のそういうとこにつけ込むトウヘンボクも多いから気ぃつけた方がいいぜ?」
「ほんっと余計なお世話ね」
「うるせぇバカヤロー」
挨拶代わりにそんな会話を交わしつつ話題は今後の事へと移ってゆく。
「一刀さんとDOGってどう動く事になりそう?」
「軍事的には山岳に消えた天魔への偵察、減衰した戦力の回復、監視網・防衛体制の再構築と強化ってとこだ。もし天魔の足取りを首尾よく掴めても、当面は防衛が主体だろうな。爺さんは良くも悪くも慎重だ」
と、少し声のトーンを落としつつ答えて西園寺。
「政治的には?」
「その辺りは、俺より爺さんに直接聞いた方が良いな。紹介しようか?」
「ん〜、そうした方が良いかもとは思うんだけど、私、悪魔だし。公の場で付き合いを深めると、反融和組織が動く可能性が高くなる恐れってないかしら? 今の段階でそれは避けたいのよね」
「ほ、お流石、慎重だな。ま、石橋しとくに越した事はねぇか。そんじゃ俺から答えるが、俺から見える範囲じゃ、大枠は山県時代の物に戻るな。黒と白の二色旗よりは灰色の旗だ。明確と尖鋭さよりも人の和を以って尊しと成す。爺さん流にちょいとインフラ工事が盛んにはなるだろうが」
「ふぅん……まぁ一刀さんなら、そう悪い事にはならないわよね」
「へぇ」
西園寺はナナシを見た。
「あの爺さん、叩けば埃は出まくるし、人外にとっちゃあんまり都合の良い御仁でもないが?」
「だからといって別に嫌いでは無いわ。彼は彼なりの考えで静岡を守ろうとしている」
と答えてナナシ。
悪魔の童女は、自分の邪魔になるからと考えの違い程度で誰かを嫌いになったりはしなかった。
「は、アンタも優等生なこった。種族間違えてんじゃねぇか?」
と西園寺は鼻を鳴らし笑う。
「それって偏見よ。悪いかしら?」
考えの違う者達とも喧嘩をせずに共に暮らして行ける世界、それが天と魔と人の平和の道に繋がるとナナシは信じている。
「いいや、悪くない。あんたが正しい。それが王道だ。個人的にはあんたらが何処までいけるか期待はしている。俺は悪党だから、俺のやり方でやるがな」
西園寺顕家はそう言った。
その後、壮年の顧問官が去った後、二人の会話に考え込んでいる様子の茜へとナナシは言った。
「――神楽坂さん、慌てなくて大丈夫よ。五年で駄目なら十年で、それでも駄目なら二〇年、三〇年で。私達の夢はそういう道のりなのだから」
白ドレスの娘はナナシへと微笑を返し、
「はい……解っています。ただ」
少し目を伏せた。
「……私、もう生徒会長になって結構長いんです。任期とか、明確に定められていませんが……それだけに、来年もそうあり続けている保証はありません」
「慌てなくて、大丈夫よ」
ナナシは苦笑を洩らし、繰り返した。
「私達の夢はそういう道のりなのだから」
「……そう……そう、ですね」
茜は言葉を良く考えているような表情で頷いた。
後、
「――ですね。気長に、心を大きく構えていかないと潰れてしまいます。努力したから途中で倒れてもOKじゃなくて、本気で結果を叩き出すつもりなら気楽にいきませんと。明日は明日の風が吹くッ! 折角美味しいお料理あるのですし、食べましょう〜」
と笑顔を見せた。根はノー天気な娘である。
ナナシはあっさりテンション上がった茜にくすりと笑うと。
「神楽坂さんて胃が弱いのに結構良く食べるわよね」
「甘い物は別胃です。あ、ナナシさんもアイス食べます? 暖房が効いた中で食べるアイスは絶品ですよっ、ティナさんもどうですかっ?」
なんて訳で茜達と共にアイスを食べるナナシであった。
●
他方、
(庶民としては、こういうパーティーは気後れする……)
陽波 透次(
ja0280)はスーツ姿で会合に参加していた。
(緊張感を周囲に伝えず、警備も確り行う、中々難しい……)
どうしても行動の端から緊張感が出てしまう。撃退士になってから数年経つが、上流の社交界なんてのは未だに苦手である。
そんな調子で透次がグラス片手に会場内を見回っていると、人々の中に見知った顔を見つけた。
今日の彼女はバーで泣き潰れてる酔っ払いお姉さんではなく、黒のパーティドレスに身を包み、長い黒髪を後ろで結い上げて淑女然としていた。
凛とした中にも艶やかな、二十半ばの女は表情薄めながらも自然と会場に溶け込んでいるようだった。
「――お久しぶりです」
透次が近づき声をかけると、
「あ……陽波さん?」
草薙皐は少し驚いたような表情の後に、花の咲くような笑顔を見せた。
「以前はどうも有難う……陽波さんも、お仕事ですか?」
「はい…そんなところです」
青年は頷いた。
「草薙さん……復帰なされたのですね。おめでとうございます…で良いのかな……」
透次は草薙の復帰を祝いたかった。
(でも、祝うというのも変なのかどうなのか……何をどう話せば喜んで貰えるだろう……)
などと悩む。
悩みつつも、青年は挨拶をする。
「……戻って来てくれてとても心強いです」
透次はあまり器用ではなかったが、気持ちは伝わったらしく草薙はとても嬉しそうに微笑した。
「有難うございます。陽波さんや皆さんのおかげで、なんとか復帰できました」
女の方もあんまり器用ではない。
「草薙さんがエアリアさんの窮地に活躍したと聞きましたが」
「……偶々なんです。偶々、その場にいて、まだその時、私は生き残っていたから……」
その時の事を皐は語った。
話を聞きながら、透次は思った。
運命は回転する車輪だ。
束ねられた結果は、さらに次なる結果を生み出してゆく。
(草薙さんが勇気を出して復帰してくれたから、エアリアさんは命を繋いだのかもしれない)
だから、それは凄い事だと透次は思うのである。
草薙が立ち直らなかったら、そも、あの時死んでいたら、エアリアもまた富士山で死んでいた――かもしれない。
そうなると、草薙の救出やその後に関わった透次達も間接的にエアリアの運命にも関わっていた事になる。
南米の蝶の羽ばたきがテキサスでハリケーンを巻き起こすなら、透次達の行動は未来にどんな風を吹かせるのだろうか。運命のダイスはどの目が出るかは解りはしない。
まぁそれはそれとして。
(草薙さんはお酒入ってない方が素敵だな。仕事してる姿かっこいい)
透次はそんな事を思うのだった。
●
――戦いに勝利したから浮かれて良いのではない。
ジングルベルが流れるこの時期だからこそ、積極的に浮かれるべきなのだ。
下妻笹緒(
ja0544)はそう結論する。
男は思う。
久遠ヶ原学園に通う者達にとって、必要なのは過去を振り返り、思い出を懐かしむことだろうか?
それとも輝かしい未来に想いを馳せ、夢や希望を語り合うことだろうか?
笹緒に言わせるならば、その答えは『どちらも否』だ。
学生にとって重要なのはまさに今、現在、この瞬間、この時間である――男はそう考えている。
(それだけが価値あるものだ)
下妻笹緒、今を生きている。
そんな訳で、エクストリーム新聞部としては、最も力を入れるべきはクリスマス企画の『どっきん★ラブが深まるハートフルプレゼント特集』であるのは明白だった。
気になるアイツに何を贈るべきか、という悩みは、高位の天魔を相手に如何に戦うかというそれに匹敵する。なればこそ聞かなければならない。答えを待っている全てのボーイズ&ガールズのために。
故に笹緒は「もらってうれしいクリスマスプレゼントはなにか」を会話の中にさりげなく混ぜて――というか捻じ込んで――の突撃取材を敢行した。
「愛です」
「ふむ」
笹緒は会長を見た。
一人目から割と斜め上な回答が飛んで来た。こいつら空気読まない。
「具体的には……どういう事だろうか?」
「贈り主様が私の事を喜ばせようと考えてそのお気持ちをプレゼントに籠めてくださる。私の事を気遣ってくださる。その過程、そこに籠められたお気持ちこそがとてもとても嬉しいのです」
と、目をきらきらとさせて十九歳。
「……なるほど、気持ちが大事、と」
銀縁眼鏡の位置を指で調節しつつ笹緒は頷きメモを取る。言ってる事は割りと王道――王道、なのだろうと思った。
なお本日の笹緒は着ぐるみを脱ぎ、明灰色のスーツとパンダ柄のネクタイで決めている。身長180cm半ばの貴公子だ。割と貴重な人間形態である。
「ぼかぁ馬かなぁ」
古い名家の御曹司、大塔寺源九郎はそう答えた。
「馬?」
「うん、僕の中では流鏑馬ブームが長くてね。良い馬は沢山いても困らない」
「ふむ、なるほど流鏑馬……」
浮世離れした連中が言う事に対しても笹緒は特に驚く事もなく納得を示しメモを取ってゆく。笹緒自身こそが奇人だ。馬ごとき動ずるには値しない、彼が普段身に纏っているのはパンダだ。
他方、
「戦力だな」
本業は民間警備会社の社長である西園寺顕家はそう答えた。
「腕の良い卒業予定の学生がいたらうちの会社に是非来てもらいたい。下妻笹緒、あんたどうだ? 広報がうるせぇから情報戦略に強いのが欲しい」
「プロパガンダよりも真実の追究の方が興味深いので」
と、やんわりお断りを入れておく。恐らくそれは真実の徒ではなく剣の一本に過ぎなくなってしまう。
「茶、ですかねぇ……下手の横好きですが、茶を点てるのが趣味でしてな」
と答えたのは初老の撃退長一刀志郎。
「騎兵槍だな。ランスチャージで良く折ってしまうんだ」
と答えたのは堕天の聖騎士エアリア。
「えっと、綺麗なネックレスとか嬉しいですね」
「タバコ、サイフ、腕時計、その辺りは結構嬉しいな」
「ロンゴミカンだ。一体どんな味なのか」
「休暇。貧乏暇なしイヴも正月も仕事とかやってらんないわよ!」
以上、草薙皐、森崎国松、鳥居赤心、御堂風香、DOG隊員の面々である。
「ふむ……実に興味深い意見達だった」
眼鏡の青年は呟きと共にさらさらとメモ帳に記してゆく。
「ねぇおにーさん、おにーさん」
「何かな?」
銀髪の青年は近づいてきた黒ゴス少女に向き直る。
「――バナナオレ知らない?」
「ふむ、残念ながら見かけていないな。あぁ、こちらも一つ尋ねたいのだが――」
と笹緒は例の質問をする。
さて、水枷ユウ(
ja0591)はクリスマスプレゼントでもバナナオレを欲しかったりするのだろうか。
これもきっと、真理の探究だ。
●
――バナオレ神はバナナオレを求めて豪華会場を彷徨い歩いていた。
しかしこの少女、
「政治的なお話には興味ないし、わたしには関係ない。警備のお仕事? なにそれバナナオレより大事なの?」
仕事してくれませんかお嬢さん、と思わずツッコミが入りそうな事をのっけからぶっちゃける娘だった。
「だって、ここにいるメンバーならわたしがいなくたって余裕だし、逆にこのメンバーをどうにかできる相手なら、わたしがいたって変わらないでしょ?」
結構目に見えて変わるが、しかし「大きなパーティー=お金かけてる=高級なバナナオレがあるはず→行くっきゃない」という理由で参加していたユウに、そもそもやる気なんて、なかった。なかった。
かくて夜の豪華絢爛な社交界を、黒のゴシックドレス(またの名を私服とも言う)に身を包んだ銀髪娘が、バナオレ求めて彷徨ってゆく。
「おじーちゃんおじーちゃん、バナナオレはー?」
「ふむ、バナオレ……弱りましたな。抹茶オレならございますが」
「おじさんおじさん、バナナオレ見なかった?」
「あぁ? バナナオレ? 見てねぇなぁ。バナナとミルクなら見かけたから、一緒に喰って飲めばOKなんじゃね?」
「会長さん会長さん、バナナオレどこでもらえる?」
「えぇっと、そういえば見てないですね…………イチゴ牛乳とかじゃ駄目です?」
イチゴオレ党滅ぶべし、バナオレへの道のりは遠い。
そんな中、
「書記長さん書記長さん、バナナオレ知らない?」
「あぁそれなら、あっちの方で見かけたよ」
ついに手がかりを掴んだユウは示された方角へと走る。
「おにーさん、バナナオレください……!」
「申し訳ございませんマドモアゼル」
給仕らしき美青年は洗練された動作でスタイリッシュ謝罪をする。
「先程品切れになってしまいまして……ご了承ください」
無常、であった。
●
結局、バナナオレを手に入れる事はできなかったユウ。
黒ドレスの少女はシルバーアイズを微かに伏せると、
「……期待はずれ」
とぽつりと呟いた。
欲しい物は、手に入らない。
(んー……、まあないものは仕方ない)
少女は気を取り直すと別に並んでいる瓶を指差す、
「それじゃあ、このブドウジュースっぽいの貰っても良い?」
「お目が高い、こちらブルゴーニュの六X年物を撃退士向けにカルミナ・ブラーナ秘伝の製法で仕上げた物になります。ただ……」
「ブルゴーニュ……お酒?」
「はい、非アウル覚醒者及び未成年の方へはお出し出来ない規則になっておりまして、一般人が飲むと命に関わります」
「大丈夫、わたし撃退士だしこないだ二十歳になったばっかり」
実は銀髪長姉や会長などより年上なユウだった。
「そうでございましたか。ご成人おめでとうございます」
美青年は笑顔を浮かべてグラスに赤い液体を注ぎ、祝辞と共にユウへと渡す。
「……ありがと」
そんな訳でワイングラスに口つけごくりと嚥下する。
しかし、
「……うー、バナナオレの方がおいしい」
あまり好みの味ではなかった。
「申し訳ございません……――お客様、大丈夫ですか?」
しかもなんだかふわふわするのだ。
「ん、大丈夫」
軽く焦点のずれている銀瞳で頷く。
心配げな給仕に別れの言葉を残し、グラス片手にふらりふらりとユウは歩いてゆく。
(甘いもの……ないかな)
求めるものを探して銀髪娘は再び会場内を彷徨うのだった。
●
パーティは煌びやかに光を放っている。
人々の笑い声が耳から入ってくる。
艶やかに赤いドレスを身に纏う女は、しかし共に笑う気分ではなかった。
鴉守 凛(
ja5462)である。
彼女は勝利を祝う気持ちも、行く末を按ずる気持ちも無かった。
華美な会場も心が乗らねば灰色の景色の一枚に過ぎない。
楽しんでいる人々の間を一人歩いて、内警備を担当時間までこなすと、凛は早々に更衣室へと引き上げた。
ドレスを脱ぎ捨てる。暖房が十分でないのか少し肌寒い。制服を取り出し袖を通してゆく。
――疑問が残り、ずっとそれを考えていた。
凛はずっと考えていた。
端的に、気持ちは何も変わっていない。
(私の想いは否定された)
それが事実故に、解らない。
思う。
(彼女の力も、その手段も、私が描いたのとは違うのに?)
しかし、凛の気持ちは、何も変わっていなかった。
考えて、考えて、気付いた事がある。
多分……思い描いた彼女も、現実の彼女も同じ物を持っていたのだろう、と。
もう少し時と機があれば気づけたのかもしれない――自信というものなのだと。
内心を本当にそれが占めていたのかは解らない。
繕っている部分もあったのやもしれない。
(それでもなお、己が生き方を貫いていたから……)
あの瞬間、否定の言葉にこそ、羨望を向けたのだろう。
それは凛に欠けているものだった。
それを彼女から感じ取ってゆく時間はもう、無い。
凛に解るのは、
――もう、逢う事は無い。
その事実だけ。
死者は二度と帰らない。
一期一会。
彼女に認められたい、と紡いだ、この力も、技も、今は無用の長物と成り果てた。
――これを、挫折というのだろうか。
女は思いつつ、更衣室の蒼白い壁をぼんやりと眺めた。
(そういえば、つまらない人生ではあるけれど、こういうのは初めて……)
壁の隅では換気扇がゆっくり回っていた。
●
夜空では満天の星が輝いている。
「あー、その、なんだ、いい天気だな?」
おどけたような声が響いた。
本日、その巨体をスーツで包み、パッツンパッツンとなっている久我 常久(
ja7273)は、野外で警備任務にあたっているエアリアを尋ねていた。
「うん、風は強いが良い天気だな。寒いがその分、星の光が良く通っている。綺麗だ」
制服姿の絶世の美人は、久我が手渡したサンドイッチにもぐもぐと齧り付きながら頷く。断られるかも、と久我は思っていたが、存外に素直にエアリアは差し入れを受け取って有難うと礼を言っていた。
「……前は強引にすまなかったな」
久我は茶を啜りながら言う。
「……そうだな。でも、危ない所を貴方に助けられたのは事実だ。有難う。でも私としては私の邪魔はしないで欲しく思ったのも事実だ。今となっては、コアを破壊出来たから良いけどな。でもあの時、私は死んでもコアを破壊したかった」
「死に急ぐべきじゃねぇよ。あの時も言ったが、お前はあそこで死んでいい奴じゃあなかった筈だ」
「誰だって死んでなんて良くない。誰でも良くないなら私がやる。私にはやるべき理由があったからだ。その思いはあの時も今も変わらない」
「継いでやれ」
久我は真面目な声音で言った。
「託された想いを、光を受け取ってやれ。山県や、富士で斃れた奴等、継いでやれるのは生きている奴等だけだ」
堕天使は沈黙した。
エアリア派――旧山県派の人員は激減している。趨勢を見て鞍替え、というのも当然あったが、大部分は富士山での速攻戦の大敗で死んだからだ。
物理的に、消えた。
「ああ、最初期からのメンバーは随分少なくなってしまった……どれだけの顔が、残っている? 私達は消耗品だ。すべてのものは、通り過ぎてゆく」
やや経ってから口を開く。
「皆、死んでしまった。本当に優秀だった者達は真っ先に死んだ。私に、その資格があるだろうか」
「他に生き残りがいねぇんじゃ、やるしかねぇだろ」
「…………うん、そうだな……その通りだ。やるしかないか……」
久我は思う。
生きている限り、何度でも問われ続ける。
あの時あれでよかったのか、と。
その途切れる事の無い問いが自身を強くするのだと。
「何も無い今の内に転び方を学ぶのもいいんじゃねぇか、色んな物を背負いすぎると転べなくなる」
白い息を吐きつつ、壮年の男が見上げた空では、冬の星座が輝いていた。
●
ファティナ・V・アイゼンブルクは問いかけた。
「――もし茜さんの夢に立ち塞がる方が現れた時、貴女はその方をどうします? 説得されますか? それとも……斬ります?」
「斬る、ですか?」
スプーンを咥えていた神楽坂茜は、驚いたように黒瞳を見開いた。
娘はスプーンを皿に置くと一度、ファティナの赤い双眸へと視線を合わせてから、
「基本的に……融和は融和ですから、説得というかプレゼンして、これは良いものだ、と先方に思っていただく事を目指します。それで駄目なら、前を塞がれても迂回できるなら迂回して、それで近寄らなくて済むなら近寄りません。押し売りはしませんし、受け取ってもらえないから殺して排除するとかそういった乱暴な事はいたしません。言論の自由や個人の意志、主義主張の権利は他者を不当に脅かさない限り保たれるべきです。刀を抜くのは、自分や誰かの命を脅かされたりとか、そういう自衛の為に戦わざるをえない状況でもなければありません」
「……では、例えば」
ファティナは言った。
「悪魔を嫌う友人から『和平などあり得ない。だがお前達がその道を選ぶなら、私は必ずお前達を殺しに行く。そう決めている』と言われた場合は、どうしますか?」
「――必ずお前達を殺しに行く、ですか」
ドレス姿の黒髪娘は薄く目を細めた。
「そうですね……そういったケースの場合は、風紀委員に通報して逮捕していただきます」
「逮捕、ですか?」
「はい。和平に反対するのは自由ですし、それを訴えるのも自由ですが、刃を持ち出してはいけません。法の下ではそういった不法に殺人を働こうとする事は犯罪です。もしも友人が人類側の法の下にある方ではなく、天界など交戦状態にある勢力に所属している方の場合は斡旋所などに依頼して対処を」
「……その方がご自身にとって大切な人達でもです?」
「はい」
十九の娘に躊躇いはなさそうだった。『有事にそれが出来る覚悟がなければ、茜殿が抱く信頼は只の甘えだ』と言われていた十六歳の少女では既にない。
「説得する余地や猶予、余力がある時ならば、出来る限りの説得交渉をすると思います。ですが、説得を試みていたらその間に死傷者が出る危険性が高い場合など、緊急性が高い状況の時は即座に通報し、被害を抑えにかかります。場合によっては執行部会長として直接捕縛に動く事もありますし、やむをえない場合は斬る事もあります」
「……意地の悪い問いで申し訳ありません」
ファティナは赤瞳を伏せがちに翳らせた。
「私は迷っておりまして……天魔を憎む方々の理由も分かりますし……立ち塞がる友人を斬っても、変わらず夢を追い続けられるのかなと……そんな事はしたくないですが」
いえ、お気になさらず。そんな事はしたくないというのは当然だと思います。と会長は言ってから、
「私のこの判断は……夢の為ではないです。それよりも自衛権や法治、言論の自由や治安維持、安全保障の問題です」
そのように続けた。
「その例は『和平に賛成する者は殺す』というケースでしたが、逆に『和平に賛成しない者は殺す』と主張して不法に命を脅かすケースでも、私は同様の対処をします。融和問題への立場は関係がありません。この法治体制下で不法に他者の命を脅かす者は、賛成派でも反対派でも己にとって大切な相手でも、断固として鎮圧します。それが役目ですし、そうしないと多くの人が困りますから」
執行部の生徒会長はそう言ったのだった。
●
「撃退長就任おめでとうございます。約束が果たせ安心しました」
天野 天魔(
jb5560)は微笑と共に一刀志郎へと一礼していた。
「いや、やはり果たせませんでしたね。支援は必要なかった。貴方様は実力で撃退長となった。お見事です」
「いやいや、天野さんのご提案と学園への働きかけ、そのご支援があってこそ、ですよ。それがなければこうはいかなかった」
柔和な笑みと共に和装の老人は答える。
「有難うございます。今後もその御力で静岡をお守り下さい。我々も微力ながら協力させていただきます」
「心強い事です」
酒盃を片手に幾つかの言葉を交わした後、天野は言った。
「そういえば、こんな噂をご存知でしょうか……一刀氏はかつて対立したエアリア嬢を恨んでおり降格させ、今回も目に付く場外警備に回し晒し者にした――」
「ほう、そんな噂がありますか」
「無論、根も葉もない噂です。彼女の犯した失態を考えれば降格は妥当どころか温情であり、要人が多数集まる会場の警備に実力者である彼女を配置するのは当然です」
遺憾な表情を浮かべてみせて天野は言う。
「ですが、事情を知らぬ者はそうは考えられません」
「でしょうな」一刀は重々しく頷いた「いや、そういう見方が出るのは解ります。私としても、本来ならばもっと丁重に扱いたかったのですよ」
老練の翁は笑顔の中に沈痛な渋みを混ぜてみせた。
「私自身、エアリアさんとは友好的にありたいですし、それに前の王朝の王家一族を皆殺しにした新王朝は概して長続きせず、逆に丁重に扱い温情を示した新王朝は長続きしますからな。ほとぼりが冷めた頃に何か適当な高さの地位につけるつもりだったのです――なのですが、西園寺さんが強硬に主張しましてね」
「……西園寺顧問官が?」
天魔は一刀を見、撃退長は頷いた。
「ええ、信賞必罰が西園寺体制よりのDOGの規定です。昔はもう少し融通が効いたのですがね。それと、エアリアさんは小隊長としてなら優秀なので、将来的に強力な精鋭隊が欲しいなら一般隊員達から認めなおさせる為にも今はそういった事をやらせろと――古い考え方では、と私ですら思うのですが、彼の根は政治家でなく軍人のようです。しかしやはり今の時代、あまり厳しいと支持を失います。精鋭に叩き上げてもそれに恨まれていたら意味がない」
「その通りだと思います……幹部の末席に昇格させ、DOGに所属する天魔の意見を上層部に伝える窓口、つまり後方勤務にするのはいかがでしょう? 彼女が前線にいると殉職した際に彼女の派閥は真実を無視し貴方様が犯人と決め付け暴走し、また乱を起しかねません。それにかつて対立した者を厚遇すれば器の広さを内外に示す事ができます。また彼女は純粋です。恩には相応に応えましょう。武人は敵対より懐柔すべきかと」
天野の言葉に一刀はうんうんと頷いている。
「ごもっともです」
天野はさらに声を潜めて言った。
「最後に、彼女と貴方様の融和が目に見える形で現れれば"対立の芽"が消えたと、DOG内も静岡の民等の外部も安堵します。当面の脅威が減った今こそ融和の好機。断られても融和の為に差し出された手を払ったエアリア嬢に否があり処分する正当な口実になります」
「……いや、さすがは天野天魔殿、素晴らしい」
老爺はしきりに頷いている。
「そうですな、精鋭の一隊というのも軍事的には魅力ですが、やはりDOG全体を見ればまとまりを欠かない方が結局は良い。やはり組織内政治を優先しエアリアさんには相応の職についていただきましょう。天魔の窓口、これは良い案です。早速検討に入りましょう。もしも天魔の窓口には就けられずとも、他のなんらかの相応の地位の後方勤務職には回したいと思います」
一刀志郎はそう言った。
天野はその言い回しに少しのひっかかりを覚える。
(……もしや、これは……後方勤務自体には回されるだろうが……『天魔のとりまとめの窓口』には就けられない、可能性がある、か?)
一刀志郎は堕天使やはぐれ悪魔への対応については保守的な立場にある。天魔が一致団結するような芽を嫌う。
借りのある天野が堕天使な為、言葉の上では前向きな姿勢を見せた。しかし確約はしていない――そういう事ではないか?
そう疑うのは、邪推だろうか。
目の前の初老の男はにこやかに笑っている。
しかし、この爺さんならそんな言い回しをしそうな気もする。実直な聖騎士ではなく、このジジイは狸なのだ。
それが静岡にとって吉とでるか凶と出るかは、解らなかった。
●
「ねぇ、エアリアさん。貴方、学園に来てみる気は無い?」
外に出たナナシはエアリアにカイロを渡しつつ問いかける。
「有難う。でも久遠ヶ原に戻る気は無い。ここでやる事がある」
即答だった。
「結構……お元気そうですね?」
凛もまた持参した缶コーヒーを渡し自らも口つけつつ問いかける。
はて、失脚といって差し支えない立場の彼女も凛と同じく空虚を感じているのかなと思ったのだが。
「うん、勝ったからな。それで済む訳ではないが、死なせてしまった皆と目指していた事は果たせた。これからも苦難はあるだろうが、静岡の未来は明るい方向を向き始めている」
エアリアは言った。
「山県陽彦のバカが遺したDOGは出来れば自分で引き継ぎたかった。けど陽彦を殺したのは一刀ではなかったし、一刀が長でもそれで静岡が守られるのならそれで良い。あいつも一応、昔からの仲間だ。それに、一刀も西園寺も手段を選ばなさ過ぎる所があるから、目に余るようだったら私が叩き斬らないといけない。私のやる事は変わらない。この地の人々の為に私の出来る事をするだけだ」
「そう、ですか……頑張ってください」
と透次。エアリアは結構、大丈夫そうであった。
ナナシは思う。
――本当に?
ナナシは、エアリアは開き直って一刀の下で進んで行けるタイプではないと思っていた。
そして、歪みは蓄積し屈折してゆくものだ。
未来、どうなるのか、それは誰にも、解らない。
凛はそんなエアリアを眺めながら、
(道がなくなってしまった人って……どう生きて行けば良いんですかねえ)
胸中でそう、呟きを洩らしたのだった。
●
久我は国松等、DOGの一般隊員達とも言葉を交わしていた。
しかし、
「黒い噂ってよく聞くが、具体的にはどんなのがあったのか」
という事に関しては。
「いや、噂は噂、特に何もないっスよ。ただ、地元じゃ顔は広いッスね。お役所にも会社にも色んな団体にも」
とにこやかな言葉の後、声を潜めて、
「――俺達の口からは、お察しください。ここは湾に近く、そして海の底は涼しい。一刀さんをまともに批判できるのなんてエアリアか西園寺くらいだ」
と囁くように言ったのだった。
「DOG達の墓は……共同墓地になるのか、それとも家族の下へ帰るのか?」
「判別できる状態で回収されたものは骨が故郷へ送られますが……何故、そんな事を?」
「いや、酒の一本くらい持って行ってもいいかもしれねぇなーなんて思ってな」
「……有難うございます」
共同墓地の場所を久我は聞いた。
それは本部がある富士市にあるとの事だった。
(帰りにでも、行ってみるか……)
そう、男は胸中で呟いたのだった。
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敵も味方も混沌とした事情を内包して世界は回る。多様性というのは、そういう事だ。
冬の月夜のカオティックブルー。
透次は吹き荒ぶ寒風に白い息を吐き出しながら思った。
(リカがサリエルの為に使徒として猛火となったのなら、僕は人として人を守る為に猛火となりたい)
人を守る信念で透次は彼女達と戦った。
だから、何があってもそこは曲げない。
透次はそれが己に許された彼女達への唯一の誠意と信じた。
(けど)
サリエルやリカが辿った地獄、そんな世界を変えたいと願う気持ちもあった。
イスカリオテ・ヨッドの叫びも忘れられない。その手段は、肯定出来なかったが。
(天魔と人。融和出来るなら、手を伸ばしたいな……)
空では蒼白い月が燃えるように輝いていた。
了