放課後の屋上。
夕焼けは赤く燃えている。
「私は……足手纏いにはなりたくないの」
ナナシ(
jb3008)は真剣勝負と告げて以来、人形のように表情が抜け落ちている神楽坂茜を見据えた。
思う。
自分と茜はある意味同類。戦いに想いを込める戦人として。
――だから。
ただ守られる存在では無く、
以後の長き時を彼女と共に歩む『戦友』となるために、
ただ一度だけ、本気の本気で彼女と死合う。
そう決めていた。
「だから、貴方と対等で有り続けるために。今この時だけは、私の全てをぶつけて……"最強"に挑むわ」
茜は固まったままだった。
「……どなたと向かい会う時でも聞こえるものですが」
長く短い沈黙の後に女は唇を開いた。
「それでも貴方に刃を向けたくないという自分の声がとても大きく強く聞こえます。おかしいですね。その声よりも大切なものがあると、私は考えている筈なのに……」
茜は静かに言った。
「未来への望みに対して対等に頼れる人がいる、それがとても嬉しい。貴女はいつも私を癒し支えてくれた。私は貴女が好きなのです。だから、理屈も状況も抜きに貴女に命や未来を奪う可能性がある物を向けたくないと、私の心は言うのです。……けれど」
黒い瞳がナナシを見た。
「だから。貴女が対等を示さんと望むなら、望んでくださるのなら、私の理性はやれと言う。だから私は本気の本気を以って、貴女を倒しにゆきます」
きっと言葉の通りに、苛烈なものになるだろう。そういう女だ。
「ん、望む所よ」
ナナシは頷いた。
「それと、これ、渡しておくわね」
童女は小さな髪飾りを手渡した。白銀で白詰草、黒水晶で黒百合の花があしらわれている。
「私の親友からよ。どうしても今日は来れないから代わりにって」
白詰草の花言葉は「約束」。不器用な少女の精一杯の想いの言葉と感謝の気持ち。
「あと、伝言『あの子の様に勝手にいなくなったら許さない』って」
「…………有難うございます」
無表情だった女は柔らかく表情を綻ばせた。
「私は死にませんよ。なんてったって最強ですからね!」
えへんと胸張ってふんぞり返り茜。ナナシは思う、やはりこの娘、テンションの上下が激しい。
「ね、これ、似合ってますかね?」
「うん、そうね、良い感じなんじゃないかしら」
いそいそといつものカチューシャを外して貰った髪飾りをつけている神楽坂茜を見やって、ナナシはそんな事を答えたのだった。
●
(こんな緊張すんのは久しぶりだな。たまには真面目にやっか)
久瀬 悠人(
jb0684)は神楽坂茜との真剣勝負を希望していた。
勝てるかどうかを考えれば望みは薄いが、全力で行くだけである。
「よろしくお願いいたしますね」
微笑して女は悠人に一礼してきた。
「あぁ、こちらこそよろしく頼む」
青年は礼を返すと定位置についた。抜刀し向き合う。
(……いや、変わり過ぎだろ)
一瞬で無機物人形の如き冷たい無表情へと変貌した娘が、虚無色の瞳で殺界を纏い、氷の圧力を壁の如くに噴出させてくる。剣鬼達が纏う何処か非人間的な空気。
(だが、いくら達人だろうが視線で人は斬れん)
悠人は吹きつけて来る圧力を受け流し逆に探るように見据え返す。
「始めっ!」
開始の声がかかった。悠人は双剣を消し即座に煙幕手榴弾を投擲した。爆発的に白煙が広がってゆき、さらに青年は上空に召喚獣を、手に双剣を出現させつつ姿勢を低く後退してゆく。
(飛ぶか、直進か)
勝負がつくなら一瞬だ。悠人は意識を極限まで集中させ動きに備える。
――来ない。
立ち込める白煙は少女から青年の姿を視認させ難くするが、同時に悠人からも茜の姿を隠した。
(上――は、いない。まさか、煙中に留まっている?)
動きが起こらない。煙が薄れてゆく。不意に第六感が警笛を鳴らし悠人は背後を振り向いた。
眼前、虚無色の瞳の女がいた。
煙を突っ切る事はせず一旦後退してフェンスを越え下方の宙へと飛び降りて飛行し、悠人達が立っている校舎壁にぴたりと沿って背後まで回りこんで来たらしい。えげつない。
悠人は即座に地を蹴って姿勢低く踏み込んだ。
(来るなら横薙ぎ)
縦斬りは隙が大きすぎるし、何より神楽坂は剣速重視。
瞬間、閃光が斜めに走った。
(袈裟……か)
剣道では使われないが八双からは袈裟斬りが速い。
入り身で横に回りながら一閃された刃が、帽子越しに青年の頭部を直撃してかち割り、悠人は鮮血を噴出しながら前のめりに屋上に沈んだ。
頭部を狙って一撃必殺。
選んだ対戦相手は真に本気のようだった。
●
鴉守 凛(
ja5462)は会長と戦ってみたい気持ちもあったが、色々約束などがありそうな人達と万全で戦って欲しいかな、と思い、何となく知人(影野 恭弥(
ja0018))と訓練する流れとなっていた。
「どうせなら賭けでもしようか」
開始の合図前、位置につきつつ銀髪金瞳の男はぶっきらに提案してきた。
「賭け……ですか……」
一体なんだろう、と凛は瞳を瞬かせる。
「俺が勝ったら甘い物奢りな」
「甘い物? えぇと、それは……」
言葉通りの意味か、他の何かか。凛がどう返事したものか戸惑っていると開始の合図が叫ばれた。
(……とにかく集中を)
女は半身に俯き白銀の槍を上段に、構える腕で顔を守るようにしつつ、南側から弧を描くよう間合いを詰めてゆく、直進はしない。かわしきる事は考えなかった。急所にさえ叩き込まれなければそれで良い。
対する恭弥、即座に射撃してきた。アウルが凛の脇腹に直撃し、しかしダメージはなかった。
(……マーキング?)
凛は訝しみつつも吸魂符を発動。後退している恭弥の身を術が捉えて命を吸い上げてゆく。男の身が揺らいだ。負傷率三割二分。
(なかなか効くな)
苦痛を堪えつつ恭弥は己が負ったダメージを把握する。一発二発では倒れないが、それ以上貰うと危なくなってくる。真っ向勝負では厳しい強敵。
だが恭弥には策があった。発煙手榴弾を手に出現させると床に向かって投擲、爆発と共に白煙が勢い良く噴出されてゆく。
凛は相手の意図に気付いた。即座に煙中へと駆け紛れていった影に向けて『侵食』を発動する。
足さえ止めれば――届いたか?
目の前は真っ白だ。凛は術を放った地点へと回り込んでゆく。直後、白中に黒影が無数に浮かび上がった。
漆黒の犬の群。
牙剥く黒獣達が突如として飛び出し、唸りをあげて次々に凛に飛びかかってきた。黒犬達が凛の手、足、胴、次々に噛みいて壮絶な破壊の牙を連続して打ちこんでくる。激痛の嵐が全身を貫いた。
凛の装甲も凄まじいが恭弥が放つ犬達の火力も凄まじく煙中から不意打ち気味に繰り出された一撃は防御が難しい。負傷率五割四分。一気に凄惨な状態となった。
女騎士は白中をよぎった黒影へと薙ぎ払うように白銀の槍を一閃。煙を裂いて白刃が翻り――空を切った。
いない。
他方、恭弥は煙中を駆けて凛の横を抜け背後まで回りこんでいた。互いに視認が難しいが、恭弥だけはマーキングで凛の動きが手に取るように解る。一方的な有利だ。
吹く風に白煙は薄らいできたが、男は慌てず騒がず淡々と二発目の手榴弾を出現させて投擲する。再び白煙が発生した。
凛は煙中に必死に目を凝らし、足音と影らしきものがよぎった方向へと回り込みつつ吸魂符を放つ。手応えなし。かわされた。状況が悪過ぎる。
他方、恭弥にとっては状況はこの上なく良い。
容赦なく凛の背後まで回りこんだ男は、純白の拳銃にアウルを集中させると静謐に引き金を絞った。装甲を腐敗させる弾丸が煙中の女の背に炸裂して爆ぜ、バックアタック、背後煙中潜行からの一撃による壮絶無比の破壊力が荒れ狂った。負傷率十八割一分。凛の意識はそのまま白煙の中に刈り取られ、女騎士は屋上に沈んだ。
後。
ヴァンガード達によって悠人の時と同様、凛への治療が行われ、恭弥は応急手当でそれを手伝ったのだった。
●
久遠 仁刀(
ja2464)は景守に先日の怪我はもういいか、と問いかけた。どうしても気になっていたのである。
「問題ありません。俺の未熟の結果です。久遠さんと同じくらい俺が頑丈だったら上手くいっていた筈」
相変わらずの仏頂面だったが景守は少し悔しさを滲ませてそんな事を言っていた。
試合。
仁刀は正式で礼をした。茜の方もしっかりと礼を返してきた。
互いに礼後、抜刀して構える。
「始め!」
仁刀は姿勢低く後退しつつ出方を窺う。袴姿の少女は半身八双に滑るように詰めて来る。剣の間合い手前で数瞬視線が交錯し刹那、額に衝撃を感じゴーグルが吹き飛んだ。頭部打ち。負傷十二割九分。額をかち割られていきなり消し飛びそうになった意識を根性で繋ぎ止める。正面からで起こりが見えなかった。咄嗟に身を沈めて打点をずらし衝撃を逃したものの、気付いた瞬間には既に斬撃が額に伸びてきていた。動きが消える。
虚無色の瞳の少女は吹きつける殺気と共に太刀を振り上げ、仁刀は再度頭部と感じ反射的に太刀を頭上に翳した。弧光。瞬間、下段から胴を薙がれた。今度は直撃。強烈な衝撃に息が詰まる。しかし胴の装甲は厚く男は倒れない。
翻る太刀の三段目、鋭く合わせて仁刀は後光を発動、アウルを練り上げ殺気をぶつける。剣の如くに殺気が伸び、それをかわすように黒髪の少女は身を半身に一瞬で捌いて側面に回り込んでくる、が、仁刀は実際にはまだ剣を振っていなかった。
フェイント。
(――ここだ!)
赤髪の男は猛然と身を捻りざま、アウルを乗せて爆発的に加速させ竜巻の如くに白陽炎の大振りの剛刀を横薙ぎに振り抜いた。剛刀と太刀とが激突し、凄まじい火花を巻き起こしながら刀身に沿って上に流れ、鍔に激突して破壊し柄握る女の指を斬り削ぎ落としながら抜けてゆく。鮮やかに赤血が噴出した。
赤色を散らしながら少女は、左手一本で太刀を一閃させ仁刀の膝裏に炸裂させた。鮮血と共に仁刀の片膝が落ち、しかし倒れない。不死身な勢いである。実際そんな事はなく根性で耐えているだけなので累積すれば普通に死ぬ。
脚を封じられた仁刀はオーラの刃を爆発的に噴出させて伸ばして一閃、少女は円を描くように滑り動いて光の刃をかわす。仁刀の背後に回りこんだ茜は血塗れの白腕を首元にまわして締め上げてきた。意識を根元から刈りに来た。
視界がすっと白くなり、仁刀の意識はそこで途切れたのだった。
●
銀髪赤眼の長身の男、神凪 宗(
ja0435)は訓練用装備で試合に挑んだ。対戦相手は眼鏡な書記長である。
「神凪宗だ。よろしく頼む」
「大塔寺源九郎です。こちらこそ」
開始の合図と共に神凪は身を低く眼鏡男の右手、木刀を持つ側へと回り込みながら前進する。源九郎は東南へと後退しながら左手の拳銃で発砲。
瞬間、飛来したゴム弾を神凪は木刀で弾き飛ばした。首を狙ってきた。神凪は脇を若干締め左の木刀を首前、右を下段構えにしてパッドへの射線を可能な限り遮っている。
互いに距離詰まり、微妙な間合い。
源九郎は発砲せず神凪を待ち構え、睨み合い、空気が張り詰めてゆく。
神凪は一気に踏み込み、源九郎が拳銃を翳し、それを払い抑えんと神凪は右の木刀を伸ばし、瞬間、書記長はその手首を狙って木刀を振り下ろした。
「あらよっと!」
短くも激しい動きの応酬の後、書記長の鋭い一撃が神凪の手首を打った。電子音があがる。一本。拳銃は囮だったらしい。
定位置に戻って二本目、神凪は二刀で守りを固めつつ接近。
問題は攻撃の瞬間だ。
再び接近しての睨み合い。神凪は右を鋭く繰り出して拳銃を打ち払い、源九郎は流れに逆らわずに後退しながら拳銃を構え直し発砲。が、神凪は素早く踏み込みながら右を下段に構え直し腿へのゴム弾を弾き、身を捻りざま左の木刀で刺突を繰り出した。切っ先は吸い込まれるように書記長の首元へと叩き込まれた。
二本目、取った。
三本目。
問題の近距離戦。神凪は拳銃を牽制しながら左右の木刀で斬りかかる。書記長は拳銃を囮に一本目のように再度篭手打ち――と見せかけて額を突いて来た。神凪は咄嗟に左剣で払う。甲高い音と共に剣が流れ、神凪はすかさず右を相手の右手首目掛けて振り下ろした。炸裂。
神凪の勝利である。
「いやぁ遠距離で仕留められないとやっぱ飛び道具は駄目ですね。守りが手堅い」
敗北した源九郎はそう言って前進の仕方を評価してきた。
「こちらとしては近づいてからが苦労したな。銃口を向けられていると注意がどうしても向く、そこを狙っていたか」
と神凪。そんな感想を二人は述べ合ったのだった。
●
最終試合。
ナナシは戦槌を手に神楽坂茜と向き合った。
開始の声が響き、ナナシは即座に物質透過を発動。その身が滑り落ち校舎内部へと降り立つ。
直後、天井が三角形に斬り裂かれて、天井だったものが廊下に落下激突して砕け散る。茜が屋上を斬ったらしい。
ナナシは遁甲の術を発動させて廊下の角まで駆け飛び込んだ。魔導銃を出現させ廊下を窺う。
(ここから先はゲリラ戦ね)
今の所降りて来る気配は無い。警戒しつつ透過を翼に入れ替えて発動する。
不意に、背後から鈍い音が聞こえた。
振り返ると彼方の校舎の壁が叩き斬られて破壊されていた。生じた穴より侵入してきたのは虚無色の瞳の少女。
血色の粒子を舞い上がらせる黒髪の阿修羅は、猛然と飛行しナナシ目掛けて突撃して来る。ナナシは咄嗟に闇を纏うと廊下を後ろ向きに飛びつつ巨銃から魔弾を発射した。
剣鬼は凶悪無比の魔弾を突撃しながら紙一重ですり抜けるようにかわしナナシに迫って来る、追いつかれた。
空蝉を発動。刹那、先程までナナシの頭部があった空間を凶光の刃が断裂した。間一髪かわした。しかし視界が移動した瞬間、即座に側面に赤い光が見えた。息つく間もなく空蝉。
かわし、視線を巡らせ――いない。消えた。勘で空蝉を発動。直後、背後からの刃が先程までいた位置を、風を破裂させるような音を鋭く鳴らし抜けてゆく。
吹き荒れる死の刃。掛け値無しに殺しにきていた。心臓が激しく脈打つ。死合いだ。
虚無色の瞳が眼前に出現し、空蝉、空間が斬り裂かれる。刃が見えない。空蝉打ち止め。
息が乱れ、視界が軋む。ナナシは意識を研ぎ澄ませて振り絞った。闘いに来たのだ。
睨む視線の先、剣鬼の瞳は既に虚無色ではなかった。少女の黒瞳の中には、様々な感情が裂かれて散り散りに入り乱れているのが見えた。
茜が何かを振り払うような裂帛の叫びと共に大振りで剣を振り上げ、ナナシはそれを真っ向より見据えて全身から闇を噴出して纏い銃口を向け引き金を絞った。
発砲。
渾身の精密無比の魔弾は一瞬で身を半身に捌いた少女の脇腹を掠めて抜けた。
――かわされた。
鬼気迫る表情の女より、風を巻き破裂させる赤刃が頭部へと振り下ろされ、視界が揺れ額が割れた瞬間、ナナシの意識は闇に消えた。
●
全試合終了後、凛は真に虚ろに虚脱してる会長の姿を眺めつつ思った。
(これ程強くても……あの人達へは届かないのかな……)
静岡で凛達と戦う天使の主達。
遠く見える目の前の少女よりももっと、というのならそれはどれだけ遥かなのだろう。
戦ってすら貰えなかった先日の幕を思う。
(……確かに私では足りないのかも)
と凛は溜息をつくのだった。