黄金色に輝く三日月だ。
山間の町に吹く夜風は緩く、されど死人の手の如くに冷たく、頬や首元をゆっくりと撫でてゆく。
影達が動いていた。
それはまるで冬に這い蠢く虫だった。光に引き寄せられる、死にかけの虫達。緩慢な動作で、何かに引き摺られるように、ふらつきながら道を歩いてゆく。焦点の合わぬ眼差しで幽鬼のように。
人々は明らかに正気ではなかった。
「――先行偵察か、了解したよ。こちらもすぐに現場に向かう」
見回りに出ていた狩野 峰雪(
ja0345)は駆け出しつつ無線に答えて言った。
「もし敵性の存在が確認されたら僕達が現場に到着するまでは、逐次敵の種類と位置を伝えてくれるかい」
『了解だ』
ノイズの後に、無線から張りのある若者の声が聞こえた。DOGの鳥居赤心だ。
狩野は続ける。
「それと、様子がおかしくなっている住民達の避難や行動阻害を行えるなら、それもお願いしたいのだけど」
『それを試みる事自体は可能だと思うが……偵察行動と同時に両立させるのは難しいかもしれない』
「なるほど」
狩野は頷いた。一人で一度に出来る事には限りがある。偵察か足止めか、いずれかという事になるだろうか。
『――住民が神社に引き寄せられてるのよね?』
若い女の声が無線から流れた。雨野 挫斬(
ja0919)だ。
『なんか嫌な予感するし、避難優先で良いんじゃない? 高松さん、なんとか神社の階段前とかで喰い止めておけないかな?』
『うむ、狭隘を利用するなら不可能ではないかもしれないが、私の名は鳥居赤心だ』
(赤井殿でもなかったか)
と胸中で呟いているのは白蛇(
jb0889)である。鳥居赤心、やたらと氏名を間違えられ易い男。
『そうね、私も足止め優先に一票』
無線からまた一つ、まだ幼さを残す童女の声が聞こえた。ナナシ(
jb3008)である。
『あたしもどちらかしか出来ないなら、危険領域へ向かってるなら、一般人の足を止めておいて貰いたいかねぇ』
続くサバサバした女の声はアサニエル(
jb5431)だ。
『むぅ』
「では、ひとまず足止めを優先して、住民の服で縛るなどして動きを封じてから、後続が見えなければ偵察に向かう。鳥居君、そういう形ではどうかな?」
初老の男は諸意見をまとめるとそう言った。
『――了解、出来る限りやってみよう』
かくて、鳥居赤心は神社への階段前で住民達の足止めにつとめる事となったのだった。
●
町内へと散っていた撃退士達は、ほぼ同時に山頂の神社へと続く登り階段の麓へと辿り着いた。
入り口では鳥居が真夜中深夜月明かりの元、老若男女の服をひっぺがして縛り上げて転がしていた。その数四名。事情を知らない者が傍から見たら、言い逃れできそうにない光景である。
「鳥居殿」
白蛇が声をかける。
「すまない。偵察は行えていない」
「うむ、まぁ仕方ないのぅ」
「後続が続々来ているみたいね」
と周囲を見回しながら言うのは巫 聖羅(
ja3916)だ。
月下の薄闇の中、のろのろと蠢く住民達が町中から神社へと向かって来ている。
「さっきから聞こえているこの歌が原因ですよね? 洗脳や催眠の効果でもあるんでしょうか……」
同じく周囲を見やりつつ眉を顰めて日下部 司(
jb5638)。
「断定はできませんけどその可能性が高そうです。まったく、どこかの笛吹きでも気取ってるつもりなんですかね」
或瀬院 由真(
ja1687)が怒りを滲ませて言う。
「ハーメルン……と言うよりもセイレーンの類だね、こりゃ。魔性の歌声だ」
山頂の神社の方向より響いて来る女の澄んだ声に耳を傾けつつアサニエル。
「セイレーンねぇ、近所迷惑な真夜中のスピーカーは解体しなきゃね」
雨野が言う。
「行きましょ。鳥居さんは引き続きここで止めといて」
「了解。返礼に死の歌を聞かせて来ると良い」
撃退士達は再び駆け出し、古びた石の階段を駆け上ってゆく。狩野は侵入を発動した。
神社は小高い山の上にあり、左右には鬱蒼と暗い山林が生い茂っていた。
撃退士達の超人的な視覚は、十分に夜目を効かせていたが、やはりそれでも暗い。転倒しないように注意を払い、しかし急いで登ってゆく。
ナナシは闇の翼を広げ、白蛇もまた分体を召喚すると、透翼を展開して飛翔してゆく。聖羅はセルフエンチャントを、狩野は専門知識を発動し、雨野は肩までの黒髪を後ろでまとめてリボンで縛った。
階段を――登り切る。
開けた場所、薄闇の彼方、木造の古びた建物が月明かりを浴びて佇んでいた。
その手前、緑色の長い髪と同じ色の肌を持つ少女が佇み、陶然として微笑を浮かべながら澄んだ美しい歌声を響かせている。
彫刻のように整った美貌、豊満な体躯、古代のギリシャ人が纏っていたような薄布を申し訳程度に要所に身につけ、オリーブの冠をかぶっていた。
人外の存在なのだと、一目で解かった。あまりにも整い過ぎている。神話の妖精がそのまま抜け出てきたかのような存在だった。
歌う少女は一体だけでいる訳ではなかった。その左右には全長六メートルにも及ぼうかという高さの巨大な異形が聳え立っていた。
上半身は緑青色の肌を持つ人の男のそれで、頭部は剃髪、彫の深い顔にニカッとした明朗な笑みを浮かべている。下半身は白骨、しかもそれが鳥の籠のように広がり檻を形成していた。
扉のような部分は開かれていて、既に中に一人、頭にハチマキを巻いたジャージに半纏姿の少女が入り込んでいた。受験勉強だろうか、今の時期という事もあって、相当後が無さそうな姿だった。
「人がいるわ!」
聖羅が言った瞬間、少女を捕えていた籠の巨人の頭部が一瞬で爆砕されて吹き飛んだ。
闇を纏い翼を広げた悪魔が月明かりの宙を舞い、セフィロトの樹状の巨大な魔導銃を構えている。ナナシの狙撃だ。
鮮血を撒き散らしながら巨人の上体が折れ、その手から分銅付きの鉄鎖がこぼれ落ちる。
「人攫いはそろそろ終わりさね。残党は残党らしく駆逐されるのが定めだよ」
アサニエルが砂利の敷き詰められた境内を駆けながら言う。
「あれは、サリエルが使用していたものに似ている……遠距離攻撃には注意しないと」
日下部司が闇に光を発しながら浮遊している橙色の光球へと視線を走らせ呟く。境内にいたのは少女と巨人だけではなかった。鳥が絞め殺される際にあげるような奇声を発しながら双頭の鷲頭人が前進して来ていた。
嘲笑うかのように細められた双眸を持つその鳥人達の数は三体。
赤、白、黒、それぞれ色の違った重厚なラメラーアーマーに身を固め、手には長柄の両手持ちのメイスを持っている。背からは揺らめく黄金色の焔を噴出して翼を形成し、大きく開いた顎の奥より炎が膨れ上がってきていた。
鷲達の視線の先では白鱗金瞳のセフィラ・ビーストが威嚇を発動しながら宙を翔けている。
その光景に白蛇の脳裏に先の大戦で猛威をふるった竜達のそれが連想された。
「ブレスじゃ! 射線を味方と重ねてはいかん!」
声があがると同時、次々に連続して燃え盛る火炎が放たれ、司(白蛇の分体も司と呼ばれている。日下部司ではない)へと襲いかかってゆく。
白鱗のビーストは天翔けて機動し、サラマンダーの舌の如く伸びて来た火炎の奔流を間一髪でかわす。が、一波は回避したものの、続く二波と三波を避けきれず呑み込まれてゆく。
黄金の火がその白鱗を焼き払い、猛烈な熱さが召喚主の白蛇へも伝わった。生命力が猛烈な勢いで削り取られてゆく。負傷率八割八分。
嘲笑う双頭の鷲達は口からブレスを放ちながら飛翔しセフィラ・ビーストへと迫ってゆく。
地上、日下部は光明神の白鎚を振り上げながら極限までアウルを集中させ横薙ぎに一閃させた。純白の戦鎚より漆黒の衝撃波が唸りをあげて撃ち放たれ、一直線上を薙ぎ払い、ナナシが砕いたのとは別の緑青の巨人の上半身を貫いて抜けてゆく。
狩野もまた機動しながらショットガンの銃口を巨人へと向け、背から伸ばす巨大な純白の翼目がけて発砲した。撒き散らされた散弾が片翼に次々に喰らいつき、血飛沫と共に羽毛を散らせ無数の穴を生じさせる。狩野はそのまま駆け抜けて境内の左右に広がる森へと素早く飛び込んでゆく。
敵方の地上、緑肌の少女もまた弾かれたように駆け出していた。歌う声はそのままに左右の手にそれぞれ剣を携え、信じられない程の速度で瞬く間に間合いを詰めて来ている。狙っている先は――ナナシだろうか? 白蛇だろうか? 空を飛んでいる相手を狙っている気配。
「へぇ?」
少女への迎撃にはアサニエルと或瀬院が展開していた。赤髪緑眼の女は獣以上の速度で駆けてくる少女を見やり、たいした速さだ、とでも言いたげに不敵な笑みを浮かべる。
「ひとまずは歌うの禁止さね」
アサニエルはアウルを手にへと集中させると屈み込む動作と同時に地に手をつける。刹那、女を中心点に、アウルが全方向へと津波に如くに爆発的に広がり光の魔法陣が出現した。シールゾーンだ。
魔力が満ち、鬩ぎ合い、そして少女からの歌声が途切れる。だがその周囲、半径6m、直径で12m程度の広さに展開している薄白の光靄に影響はなかった。遠目には透明でさほど気にならなかったが、近づいてくるごとに光は屈折の割合を増してゆき靄中のその姿が反射の薄白に遮られる。
その靄中へと銀髪金瞳の少女が飛び込んでいた。
(くっ……視界が)
或瀬院が靄の中に入ると、そこは真夜中だというのに薄白の光が乱反射する眩いばかりの世界だった。光が咲き乱れている。その奥に少女の緑色の体躯が見え隠れしているが動きを把握しにくい事このうえない。
「アサニエル! 視認困難、誘導を頼みます!」
或瀬院は歌わない少女へとワイヤーを放ちながら叫び、緑肌の少女はワイヤーを突進しながらすり抜けるようにかわし、或瀬院に肉薄すると風の如くに双剣で斬りつけた。
或瀬院は身を低く重心を低く構え、疾風の斬撃が命中する瞬間に身を捻る。右の刃が肩当てに激突し、回転に流されて火花を散らしながら滑ってゆく。衝撃は軽い。続く左の刃へもまた、腕の装甲を翳し捻った身を逆側に回転させつつ打ち払いいなす。衝撃が貫いて来るがやはり軽い。上手く流し、削られるのを最小限に抑えている。或瀬院、負傷率四分。
が、不意に眼前から緑色が消えた。乱反射する光のせいで視認しづらいが、前にはいない、左も右も下にもいない。
刹那、視界外から衝撃が横殴りに襲い来て或瀬院のこめかみを打ち抜いた。視界が揺れて目の奥で火花が散り脳味噌が激しく揺さぶられる。
(何を――)
貰ったのか解からなかった。一体何をされたのか。焦燥と恐れを殺し衝撃に揺れる意識を繋ぎ止めんと気を絞りつつ銀髪の少女は一歩、後退しながら身構える。
「蹴りだ! 斜め上に跳んで回転したよ!」
アサニエルの声が聞こえた。
緑肌の少女は低く構える小柄な或瀬院に対し、跳躍してからの後ろ回し蹴りで踵を叩き込んでいたらしい。足での一撃は剣よりもさらに軽かったが、良い所に良い角度で入った。負傷率一割六分。
他方、
「ガオー! 食べちゃうぞ〜!」
雨野は間合いを詰めると轟く咆哮をその喉から発していた。アウルが込められたその声は、歌声が止んだ直後、ぼうっと虚ろな表情をしていたジャージ少女の精神を打つ。
「はっ……へ? きゃああああああああああっ!」
恐怖を呼び起こされた受験少女は周囲を見回してさらに恐怖を上塗りし、ガタガタと身を震わせながら駆け出した。裸足で駆けて籠の縁でつまづいて滑って転び、這って進んで立ち上がり、再び駆け出して横手の森へと突っ込んでゆく。
その間、
「イイ笑顔なのがムカつくわね! 何かのCMに出てる方がお似合いよ? グリーンジャイアントさん!」
聖羅が間合いを詰め、黒色の杖を振り上げ真紅のオーラを全身から立ち昇らせ、アウルを集中させている。
「炎よ!」
裂帛の声と共にダアトの少女が手に持つ杖が突き出され、荒れ狂う火炎の塊が撃ち放たれた。紅蓮の炎は闇を切り裂いて飛び、明朗な笑顔をニカッと浮かべる筋骨隆々の巨人の上半身に炸裂した。
爆裂を受け熱の障害を受けながらも巨人はイイ笑顔を崩さず、片翼から光を噴出して跳ね上がった。飛行――ではない、跳躍だった。日下部の封砲、狩野のショットガン、聖羅のフレイムシュートと、猛攻撃を受けていたが巨人は凄まじくタフだった。宙より落下しざま、地上の聖羅へと向かって猛然と腕を振るって分銅付きの鎖を放つ。
迫り来る分銅に対し、赤髪の少女は咄嗟に身を捻ってかわす。分銅が脇をかすめて勢い良く空間を貫いてゆき、しかし、伸びた鎖が薙ぐように聖羅の胴を打って来た。鎖は聖羅の身を支点に折れて曲り、ぐるぐると少女の身に巻きついて強烈に縛り上げてゆく。回転により三重にも四重に絡みつかれた所で、円運動から戻って来た先端の分銅が聖羅の胴に直撃した。原理はフレイルのそれだ。
特筆強烈な打撃力という訳ではないが、聖羅は装甲が薄い。負傷率六割一分。少女の肺と口から苦痛の息が絞りだされた。
開戦より五秒経過。
封印を受けていた少女が再び歌い始め、或瀬院がシールドバッシュを仕掛けたがひらりとかわされた。森の中に足を踏み入れた受験少女は、急速に駆ける勢いを落とし、再び虚ろな表情となって、しかしガタガタと身を震わせながら境内から逃れんと歩いてゆく。
(歌が復活しても戻ってこない……これは案外対処は楽かな?)
雨野はその様を一瞥して胸中で呟く。
他方、聖羅は身を束縛する鎖から逃れんともがいているが魔法的な物ではなく物理的な物らしい。鎖を引き千切るような腕力は少女にはなかった。巨人はイイ笑顔で鎖を引き絞って締めあげつつ近づいて来る。外れない。
「……最悪ね」
聖羅は眉を寄せ、猫のようにややきつい瞳を鋭く細めて巨人を睨みつける。
ピンチな美少女に対し、クールな情熱を持つ空のヒーロー、慌てず騒がずされどすばやく淡々と、その銃口を笑う巨人の眉間へと向ける。
ナナシだ。
黄金色の月を背負って、地上を見降ろし、闇を纏う悪魔は巨人へと呟く。御休みなさい、良い夢を――否、
「貴方が見るのは悪夢で良いわ」
滑らかに引き金が絞られた。爆音と共に集束されていた膨大なアウルが爆裂し、魔弾が閃光と化してその長大な銃身より撃ち出される。
まるで小隕石でも激突したかのように次の刹那、巨人の頭部が吹き飛んだ。大爆砕である。赤い花火が闇に咲く。いかに強靭な生命力を誇ろうとも、四桁ヘッドショットの前ではそんなの関係ねぇ、鬼神の破壊力。
「唾つけときゃなおるんじゃないかい? って訳にもこれはいかないか!」
地上、アサニエルは軽口を叩きつつ手を空へと翳して癒しの光を飛ばす。
「司、回復じゃ!」
同時、白蛇が指令を発し、宙を機動している白鱗の化身はその口から癒しの無尽光を発生させた。
ライトヒールとブレスヒールの力を受けて、セフィラ・ビーストの傷がみるみるうちに癒され白蛇もまた生命力を回復させてゆく。負傷率一割六分まで回復。
ビーストを追って突撃する双頭鷲の鳥人達だったが、天翔ける白鱗の化身の方が機動力が高く引き離されてゆく、メイスで殴りにゆけそうにない。
なので、嘲笑う鷲頭人達は再びその顎を開いた。燃え盛る黄金の炎が轟音と共に放たれ宙を焼き焦がし司へと伸びてゆく。
白鱗のビーストは、かわさんと旋回したが避けきれず黄金の炎の帯に呑み込まれ、態勢が崩れた所へ二波三波と次々に直撃してゆく。焼き焦がされた司が炎にまかれながら地上へと墜落してゆき、その途中で掻き消えた。白蛇の意識が途絶えたのだ。鈍い音を立てて銀髪の小柄な娘の身が大地に激突する。白蛇、負傷率十三割七分。
或瀬院VS緑肌の少女。再び歌い出した少女は靄中の或瀬院に対して斬りかからず、足に風を集めて思いきり大地を踏みつけた。
瞬間、地上より風が噴出して、刃と化して渦を巻き、天へと向かって吹き上がってゆく。
(――風?!)
或瀬院は咄嗟に腕で顔を庇いつつ耐える。それは少女を中心に直径十メートルにも及ぶ風刃の竜巻だった。
緑髪の少女はさらに風を足へと集めて振り上げる。連発する気だと悟った或瀬院は瞬時に小盾を活性化すると、瞬く白光の彼方に隠れる緑の少女へと稲妻の如くに踏み込み、体ごとぶつかるように盾を繰り出した。シールドバッシュ。
薄衣のサンダル娘は踊るようにひらりとしたステップでかわしざま大地を踏みつけた。再び風刃の嵐を発生する。少女はさらに容赦なく足に風を集め、再度シールドバッシュで突っ込んだ或瀬院をやはりすり抜けるようにかわす。三度、大地が踏みつけられた。
「後ろだよ!」
ドン、ドン、ドンと三連で轟音を轟かせ天へと向かって吹き荒れた巨大な竜巻は、銀髪の小柄な娘の全身を削った。だが或瀬院は走る痛みを堪えつつ声を頼りに振り向きざま閃光の如くにワイヤーを放っていた。緑肌娘は軽やかに、薄衣をなびかせながら後方に回転しながら跳躍して伸びる鋼糸をかわす。靄のせいで狙いを上手く定められないのもあるが、素でも速い。
「この露といい、足癖といい……本当に性悪ですね……!」
光靄の中の女を睨む或瀬院由真、負傷率三割三分。地味に削られてきているがまだまだ余裕ではある。装甲の薄い者ならとっくにお陀仏になっているが、或瀬院は非常に頑丈だった。こっちの攻撃も一発も中っていないが。相性が良いのか悪いのか。
狩野は長大な和弓に矢を番えると木陰より星空へと向かって構えた。サリエルと同じような光球、ふと言葉が脳裏をかすめる。
(忘れ得ぬ君……ってとこかな)
機動する赤鎧の双頭鷲のその周囲に浮遊し追尾する光球へと狙いを定めはっしと放つ。鋭い音と共に矢が放たれ、橙色の光頭を撃ち抜いた。光が破散し消滅する。
黒髪の少年もまた白鎧の鳥人へと月の女神の紋章を翳す。狙いはやはり、その周囲に浮遊する光球。孔雀の羽が嵐となって光球へと飛び、狙い違わず撃ち抜いて四散させる。
他方、雨野は拳銃を出現させつつ、赤色鎧の双頭鷲の後方へと回り込んでいる。バックアタック。
「あは、頭飛び越えて無視ってつれないわよね。あたしと一緒に遊びましょうよ!」
言葉と共に空へと両手で拳銃を構え発砲、連射。轟、轟、轟、と轟く銃声と共に銃弾が鳥人の背中を次々に穿ち、頑強無比なラメラー・アーマーを貫通して血飛沫を噴出させた。レート差が乗った背後撃ち、凶悪な破壊力だ。
聖羅は背より陰影の翼を顕現させると、地を蹴って飛翔し夜空へと舞い上がっている。地上を見下ろして敵味方の分布を確認する。さっきの一般人はもう逃げ切っただろうか? 後続は鳥居が麓で抑えているのか境内にあがってくる様子は無い。
同じく空を旋回するナナシ、竜巻を吹き荒し、或瀬院と攻防を繰り広げている歌う少女へと狙いを定める。緑肌の娘は、近づくと靄のせいでよく見えなかったが遠間からはまったく影響がなかった。だが、靄の阻害がなくとも軽快に高速で動いている。速い。
高機動型の頭部を動きを止めもせずいきなり狙った所で中る訳が無い。
しかし、はぐれ悪魔の童女は闇を纏うと躊躇なくその頭部へと狙いを定めた。次の刹那、少女の頭が轟音と共に爆砕されて吹き飛び、呆気なく大地に転がる。
空飛ぶあいつはスマッシャー。
エリートを超え、超レベルの撃退士を超え、撃退士世界でもほんの一握りしか到達できないレベルをさらに超えた精度を叩き出している、半端じゃない。
アサニエルは白蛇へとライトヒールを飛ばして白蛇、負傷率九割五分まで回復。
地上、空より降下突撃してきた赤鎧の双頭鷲と長柄の偃月刀を構える雨野挫斬が激突している。
雨野、迫る双頭鷲に対しその側面へと回り込むように踏み込みながら薙刀を一閃、メイス持つその腕を狙って斬りつける。回り込んでも一対一ならやはり当然の如くに反応する。双頭鷲は雨野へと向き直るように身を捻り、しかし、その動きは鈍く回避の仕方は拙かった、レート差を乗せて鋭く放たれた長柄の刀刃は唸りをあげて奔り、鳥人の腕を逃さず直撃する。強烈な斬撃。
が、
(――硬いっ?)
文字通り鉄塊を殴りつけたかの如き手応え。重厚なラメラー・アーマーの装甲で斬撃を耐えた鳥人は、その二つの顎から奇声を発しながら猛然とメイスを振り下ろす。
黒髪の女は咄嗟に回避せんと身を捻ったが、レート差を乗せたメイスは雨野を逃さずその首元を強打した。身体がバラバラになりそうな激痛と共に視界を揺るがす衝撃が雨野の身を走り抜ける。負傷率七割八分。
(あれ、なんか)
急速に景色が白く薄らいでゆき、身体がふわふわとして、気分が良くなってきた。女は数歩、たたらを踏むと、崩れるようにその場に膝をついた。意識が混濁してゆく。朦朧だ。
他方、同様に地上で日下部司が白鎧の鳥人と激突している。
黒髪の少年は天空より降下突撃して来る鳥人の動きを見据える。背より黄金の翼を噴出し間合いを詰めた鳥人は猛然とメイスを振り上げ、
(――ここだ!)
瞬間、日下部は地を蹴って斜め前方へと飛び込んだ。猛烈な重さを誇るメイスが唸りをあげて先ほどまで日下部が立っていた空間を打ち降ろし、身を捻りつつその側面に入った少年は、戦鎚を消してその手にルーンが刻まれた大剣を出現させた。魔法攻撃。
裂帛の気合と共に大剣を振り抜き、アウルを爆発させて漆黒の衝撃波を至近距離から撃ち放つ。封砲。サイドアタック。極限まで研ぎ澄ませて放たれた黒光の衝撃波は白鎧の双頭鷲の身を貫き、その奥までを一直線に薙ぎ払って抜けてゆく。
が、
「これでも駄目か……!」
痛烈な打撃だったそれを受けても、やはり頑強なラメラー・アーマーはその破壊力のほとんどを受け止めていた。瞳を三日月にゆがめる双頭の鷲は奇声をあげながら泰然と日下部へと振り向く。魔法攻撃にも硬い。
或瀬院は黒鎧の双頭鷲へとその進路に躍り出ながらPDWを出現させ猛射する。鳥人は弾幕に対し、回避しようとするそぶりすらみせず、黄金の焔を背より噴出しながらメイスを構えて突っ込んだ。弾雨が鳥人へと直撃するその手前、木の葉が風に吹き散らされでもするかのように、突如としてベクトルを横に曲った。弾幕が次々に明後日の方向へと吹き散らされてゆく。外れた。
嘲笑う双頭鷲は奇声を発しながら猛然と或瀬院へと迫り、突撃の勢いのまま長柄のメイスを振り上げ、小柄な娘は避けず、逆に地を蹴って加速し前方へと飛び込んでいた。
唸りをあげて長柄メイスが振り下ろされ、或瀬院はその先端が描く半径よりも内側へと飛び込みつつ、斜めに掲げた銃で打ち払うように一閃させた。銃底が長柄メイスの柄を横から叩き、横のベクトルを加えられたメイスが弾かれ、或瀬院の身ではなく大地に突き刺さって爆砕する。パリィだ。かわした。
「このっ!」
上空から戦況をみやっていた聖羅は、雨野が膝をついたのを見ると杖を翳し、アウルを操って炎を形成すると塊と化して撃ち放った。高所からの撃ち降ろし。
燃え盛る火炎が赤色鎧の双頭鷲を呑みこみ荒れ狂う。が、メイスを構え雨野の前に立つ双頭鷲は応えた様子を見せなかった。硬い上にタフだ。
しかし炎は、高温によって障害を発生させて、鳥人の能力を全体的に僅かに低下させてゆく。
他方、林中の狩野峰雪、雷鳴の書物を掲げて狙いをつけている。
(――どれだけ装甲が厚くとも)
アウルが開放されて雷の矢が出現し、赤色鎧の鳥人目掛けて飛んだ。
(その動きが鈍いなら)
月下の薄闇を切り裂き閃光と化して飛んだ雷矢は、障害によってさらに動きを鈍らせた双頭鷲の頭部を貫通し、その破壊力を解き放った。
(装甲の無い箇所を狙って撃てば良い)
頭部を砕かれた鳥人は、負傷が限界点を超えたか、残りの一頭もまた白目を剥き、血飛沫を撒き散らしながら倒れた。撃破。
大地に倒れていた白蛇が首を振りつつ起き上がる。
雨野は視界が揺れてふわふわとしていて酷く気分が良かった。だが身体は動かない。朦朧中だ。
他方、空、ナナシ、司と攻防を繰り広げている双頭鷲の片頭へと狙いをつけ本日四度の発砲、天空より飛来した魔弾が鷲の頭部を爆砕して吹き飛ばした。
が、
「――まだ動く?!」
白鎧の双頭鷲の残りの頭部は空のナナシを一瞥したが、突撃しても届かない距離である事を悟ると、目の前の日下部へと向かって八双に構えから横薙ぎに振るう。
瞬間、日下部はアウルを足に集中させ爆発的に加速し、神速で踏み込んでいた。メイルを横へと振るう途中のその腕へと肩から体当たりするように激突する。
体を中てて敵の攻撃を潰した日下部は、間髪入れずに短く持った戦槌を横薙ぎに振るう。白槌がラメラー・アーマーに激突し、衝撃を起こして火花を散らし、しかし硬い手応えと共に弾かれた。硬い。
黒鎧の双頭鷲もまた先に振り下ろしに対処してきた或瀬院へと向かって後退しながら八双にメイスを構えた。前進を止めるべくやや袈裟斬り気味の横薙ぎ振るう。この一撃に対し、少女は古刀を額上に翳しながら深く身を沈めながら踏み込んだ。小柄な少女は下方から横薙ぎを打ち上げて逸らすと、伸び上がりざまにさらに踏み込んで両手で構えた古刀を双頭鷲の腹へと目掛けて渾身の力で突き出す。諸手突き。
稲妻の如くに奔った切っ先が、強烈な衝撃を巻き起こして頑強な鋼の小板鎧に突き刺さり、そしてそれ以上刺さらなかった。硬い。
白蛇は高速で司を召喚するとヒールブレスを発動、負傷率六割五分まで回復。
「今日は忙しいことだねぇ」
また軽口を叩きつつアサニエルは手に光を集め、それを雨野へと投擲する。雨野の傷が癒えて負傷率三割二分。
聖羅は空より火炎塊を撃ち降ろして白鎧鷲へと直撃させ、高温で動きが鈍った所を狩野が残った頭部へと目掛けて雷矢を放ち、撃ち抜いて砕いた。撃破。
朦朧から回復した雨野が頭を一つ振りつつ立ち上がる。
「どんなトリックかと思ったけど……要するにぶん殴った際の衝撃力で意識を混濁させる訳ね。タダの力押しじゃない!」
力こそパワー、な双頭鷲達であった。
「解体するわ」
リボンの黒髪娘は言うと青龍刀を消して、紅蓮に燃え上がるが如き真紅の大剣を出現させ駆け出してゆく。
空からナナシが射撃して光球を吹き飛ばし、聖羅は忍術書を掲げて風刃を飛ばして黒鎧を撃ち抜く。
或瀬院は双頭鷲の振り下ろしをやはり横に払ってかわして斬りつけ、可能が片頭を雷矢で撃ち抜き、アサニエルのライトヒールを受けた白蛇はバイコーンシールドを構えて黒鎧の背中へとチャージし、その左右から日下部が戦鎚で殴りつけ、雨野が紅蓮の大剣で袈裟に斬り抜いた。
堅牢を誇る双頭鷲だったが、四方を包囲されては成す術もなく、一斉攻撃を受けて解体され、最後の双頭鷲もまた大地に倒れ伏したのだった。
●
「ブレスか、なかなか厄介な相手だったようだな。あのまま偵察に出て行ったら、案外途中で気付かれて逃げ切れずに焼き殺されていたかもしれない」
鳥居赤心はそんな事を言った。
鳥居他、住民達は全員生存しており、死亡者は零、最善と言って良い結果に終わった。
「住民を集めて移送するなんて……何処かに新しいゲートでも開くつもりなのかしら? 裏でイスカリオテ達が動き出している事と、多分関係あるわよね、これ」
聖羅が小首を傾げて言う。
「あると見て動いた方が良いでしょうね。富士火口のゲートはまだ生きてますから、その支配領域に運び込んでいる可能性もあります――あの歌う少女が複数いるとしたら、かなり危険な気がします。一体はなんとか排除できましたが」
日下部司がそう所見を述べる。
「人手は有限で全ての地区をカバーすることは不可能。そんな穴を突いて嘲笑うかのように効率的に人を狩る。穴を突いて狩る事で人手を分散させて、他を手薄にする。嫌らしい手口だね」
狩野は口元に手をやりつつ思案し、ひとりごちるように呟いた。
「前撃退長の殺害前後から、こっちの防衛体制が把握され過ぎてる気がするのよね」
ナナシが言った。
「確かにね、そうでなければ出来ない事だ。天魔が静岡の地理や事情にも通じていて、DOGの支部の場所も把握している……?」
初老の男は思う。
元は人間のリカが関わっているのか。
それとも、DOGの内情を漏らしている存在があるのか。
戦闘中、どこから観察している者がいないか、狩野は戦いながらそれとなく周囲を探っていたが、それらしい影は見えなかった。
ナナシもまた今回誘われた住民達に、最近何か変な物を見なかったかを尋ねてみたが特段変わりはなかったという。
応急処置が済んだ所で、ナナシはDOGの本部へと電話をかけていた。相手は新撃退長の西園寺顕家である。
「――対策が必要だと思うの。各地にマイクを設置して無線で本部に飛ばして、24時間監視して歌が聞こえたら撃退士を派遣するとか、そういう事できないかしら?」
『あ〜……なるほど、信用出来る手が足りねぇからな。試す価値はあるかもしれん。採用しよう』
西園寺は相変わらずくたびれた声音で、聞いてる方が多少不安になりそうなくらいにあっさり即決した。じきに防衛体制に変化が出る事だろう。
「正直、最近は後手に回りすぎてるわ。いくら先日の戦いで被害を受けたにせよ、ヨッド達がここまで搦め手で来るなんて」
『まぁこれからさ。そう悲観する事も無い。搦め手でチマチマ来るって事は、従来通りの力攻めだけじゃ俺達には勝てないって敵さんは判断してるって事だ。諸事鑑みるに、恐らくあちらには十分な戦力が手元に無い。よほど石橋叩きたい奴だって可能性もあるがね』
「でもそれ、今までの所は、じゃない?」
住民が徐々に徐々に連れ去られている。そしてサーバントとは人間を材料にして作られる。材料の調達が順調なら、サーバントも順調に増える。
『残念ながらその通りだ。その辺りは新防衛体制に期待かねぇ。しっかり防いで返す刀で反撃といきたい所さ』
「それしかないのかしらね……把握され過ぎてるって事に関しては?」
いくら新しい防衛体制を敷いた所で、それが筒抜けでは結局。
『あぁその辺りは、おいおいな』
目が死んでる新撃退長の声は相変わらずだるそうだった。
が、
『もう季節は春だ、冬の曇はそのうち晴れる。古着は処分し新春のコーデに袖を通して、ピクニックと洒落こもう』
ぬらりとしている。
「……貴方が服装に気を使っていたとは知らなかったわね。パーティでもよれてたし」
『そうさな、たぶんは結局、いつもの赤服さ。他の色は似合わないらしい』
血の雨が降る、何故かそんな予感がした。
了