香り高い葡萄酒の色だ。
深く落ち着いた緋色の絨毯は、温かさと共に何処となく高貴さを人々の視覚に伝える。深緋は古代でも紫色に次ぐ高貴な色とされていたから、人の遺伝子に刷り込まれている感覚なのかもしれない。
薄紫の、要所にフリルのあしらわれた愛らしいドレスに身を包んだ童女は、白く冷たいアイスクリームに熱いチョコレートがかけられた物を皿に載せ、銀のスプーンで口元へと運んでいた。
(……美味しい)
機嶋 結(
ja0725)である。周囲を不快にさせるのも本意ではありませんし、という事でドレスから覗く義肢は、普通の手足に似せている物を選び、その上から白い長手袋とタイツを着用している。
舌をとろかすように甘く、熱く、しかし冷たい。この豪華ホテルのアイスは特Aである、と評価をくだしつつ、それとなく周囲の様子を窺う。
周囲六十人程度が言葉をかわしているパーティ会場は押し並べて事も無く、視線の先では夕焼け色の振袖に身を包んでいる濡烏髪の娘が、隙の無い笑顔を浮かべてどこぞの偉いさんらしい初老の紳士とお辞儀をし合っていた。そして男は去ってゆく。話は終わったらしい。
アイスを平らげた結は、新しい皿にモンブラン――これも美味しかった奴だ――とパイを載せるとその少女の元へと向かった。
「お身体は……もう、大丈夫そうですね」
声をかけると久遠ヶ原の生徒会長・神楽坂茜は振り向いて、結に笑顔を――先程まで浮かべていたものより、何処かほっとしたように緩んで見えるのは錯覚だろうか――向けて言った。
「あら機嶋さん。はい、おかげさまですっかり」
「良かったです……先程の方は?」
食べます? と確保していたケーキとパイを差し出しつつ童女は尋ねる。
「鈴田自動車の代表取締役さんですね。企業連で主導的な位置にいらっしゃる方です。噂では、新撃退長の招聘も彼がなされたとか」
有難うございます、それじゃちょっとだけ、とモンブランを取って齧りつきつつ少女。
「へぇ……」
品の良い、感じの良さそうな老人だったが、油断ならない物を深い所に仕込んでいるようにも見えた。
「新撃退長、ですか……」
前任が暗殺されたという事は聞き及んでいる。静岡は以前にも増して物騒になっているようだった。
かつて、機嶋が久遠ヶ原に来た直後、サリエル軍と戦った廃街での攻防でも目の前の少女は傷ついていた。先の大戦でサリエルの前に立った時、機嶋が考えたのは、彼女が傷を増やす前に、という事だった。そして一連の戦の果てにサリエルは討たれた。
「……死の天使が消え……多少、ゆっくりできるのかな、と思いましたが……」
まだまだ難しそうですね、という言葉は呑み込む。
「なかなか、楽は出来ない世の中のようで……まぁでも、なんとかもなるものですよ、きっと」
茜は笑って、そんな事を言った。
その笑顔を見上げながら、どのくらい本気でそう思っているのかな、と機嶋は思った。
他方。
(パーティー会場の警備でしたら、この私の出番ですわね)
クリスティーナ アップルトン(
ja9941)は強い自負を抱いていた。英国貴族のお嬢様は、実に堂に入った様子でグラスを手に会場を歩いている。周囲からの視線も気にはならない。
ホテル全体と会場の間取り、階段や窓等侵入口になりえる箇所は既に頭に叩き込んでおいた。防御でも脱出でもまず覚えておくべき基本情報だ。
(華麗に務めて御覧に入れますわ)
ふわりと揺れる艶やかなブロンドを宙に舞わせ、深い蒼玉色の双眸に勝気な、しかし何処か純粋そうな光を宿している。緑色にグラデーションするドレスはタイトな物で、メリハリがついた肉感的な肢体を包み、豊かに盛り上がった胸元では大粒のエメラルドとサファイアがあしらわれたネックレスが存在感を放っていた。
「こんにちは、久遠ヶ原の方ですか?」
それとなく会場をチェックしていると出席者らしき一人が声をかけてきた。かなり若い男で――といっても一般出席者の平均からの話であって二十代後半ではあったろうが――怜悧そうな顔立ちで、しかしまだ何処か危うさも感じさせる雰囲気だった。
「ええ、そうですわ。出は英国がアップルトン家のクリスティーナと申します、貴方は?」
「――貴族の方でしたか、これは失礼」
クリスティーナが話をしてみると、どうやら良い所の御曹司らしい事が解った。社内で高い役職にはついているようだが、実力によるものなのか、血縁によるものなのかは解らない。
会話しつつちらりと隣を見れば、むっつりとした顔の青年が御曹司の斜め後ろに陰の立っていた。さりげなく四方へと注意を払っているのが見える。
(……訓練された撃退士のようですわね。それもかなりの腕)
御曹司の恐らくは直衛についているだけあって、精鋭のようだった。立ち振る舞いは目立たず、あくまで主を立て、それでいて隙が無い。
不意に視線が合った。
一本気そうな黒い瞳がクリスティーナを見た。
クリスティーナはにこりと微笑した。男は表情を変化させなかったが、軽く会釈した、そして再び周囲の警戒に戻る。
「で、ありまして、私は、貴方は実に美しいと――」
御曹司が流暢に喋っている。彼は彼で確実に果敢ではあるようだった。
他方。
(こういう場所はどことなく場違いな感じはするな)
そう感じるのは、私がただの一撃退士だからだろうが、と思いつつヘテロクロミアの天風 静流(
ja0373)はもぐもぐと適当にフォアグラのソテーと茄子のグリエをつまんでいた。中がふわっと焼き上げられているそれらを一噛みすればじわっと旨みを口の中にとろけさせる。美味しい。他にも適度にスライスされた肉料理、新鮮な野菜、見た目も麗しい甘味など幅広く揃っていて、流石に無意味に高い金は取らないらしい、と思わせる内容だった。豪華ホテルのシェフ達は一流の仕事をしている。
ただ、酒には手をだしていない。
静流は友人にバーカウンターとかにいそうとか言われていたが、
(……私はまだ未成年なんだ)
花も恥らう十八歳である。凛としているので大人な空気があったが、お酒は二十歳になってから。
本日の静流のコーディネートは――ずばり、いつも通りであった。
(私服でいいみたいだしね)
との事で、艶のある腰程までの長さの黒髪を真っ直ぐに流し、女性としてはかなり高めのすらっとした長身を、白のドレスシャツに黒スーツの上下と黒コートで包んでいる。首からは銀の懐中時計らしき物を下げていた。
(……しかし、警備を担当する者達が見るからに強そうな面子だな)
入り口付近などに警備然として立っている者、礼服姿で要人の傍をそれとなく固めている者、それとなくパーティに混じっている者……どれも手強そうだ。
(こわいこわいと言うべき所だろうか)
なんて言葉が脳裏をかすめる。並の相手なら瞬殺されそうだ。
(私の様な一般は気楽でいい)
とそんな事を思う。その企業連の精鋭達の方では、アンタの方が怖い、と思ってそうだが。
ふと、
(ティナはこういう場所でも会長に仕掛けるのだろうか?)
同じく警備として会場に紛れている友人が気になり、そちらへと視線を送る。
周りの目があるし、流石に無いとは思ったが――
(やはり少し緊張しますね)
ファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)はドキドキと胸を脈打たせつつパーティに参加していた。銀色の髪を頭の後ろで結い、女性的に豊かな曲線を描く白い肢体を上品な青色のロングドレスで包んでいる。
(こういう場には慣れておくべきなのでしょうが……)
銀髪の少女はドイツ貴族のアイゼンブルク家の出身だったが、幼い頃は虚弱だった為か、それとも実はあがり症なのか、はたまた他の理由か、こういう場では多少緊張を覚えてしまうようだ。
(……今度は茜さんに心配をかけない様にですね)
そんな事を思う。
「あっちの話は終わったみたいやね」
燃えるような赤髪ショートの娘が言った。大鳥南だ。機能性とデザイン性を両立させている丈の短い真紅のドレスに身を包んでいる。
「そういえば、大鳥さんは伺わないのですか?」
「企業も政府もロビー活動は茜ちゃんの担当やからなぁ。アタシは口悪いし、源九郎も態度がアレやし、鬼島さんも寡黙で実直過ぎやったし、戦場以外の事は自然とな」
「茜さんとは長いんですね」
「一応なー、気付いたら結構な年数やわ」
肉料理を頬張っている横顔を眺めつつファティナは思う。茜よりは背が高いが、それでも165cmのファティナよりも小さい。華奢だ。茜があの状態なのだから、南も頭を痛める事くらいあるのでは、と。少し気になる。
「今は色々とお仕事、大変そうですね」
しかし、
「そんなん何処もこんなもんやろ。ちゃっちゃとやっつけたるわ」
ステーキの切れ端をごくんと飲み込み執行部の会計長は言った。本当に苦に思っていないのか、こちらを気遣ってそう言ってるのか、単に素直にきついとは言わない性格なのか、態度からはなかなか読み取りづらい。
「それよりティナちゃん、コレめっちゃいけるで! 折角やアンタもいっとき! 元取らな!」
「……オバちゃん化してますよ大鳥さん、ビュッフェはバイキングとは違うんですからそんな――」
立場上、力に慣れない事ばかりだけれども、親交も兼ねて気晴らしに何かに付き合うくらいは、と思っているファティナだったが、豪華パーティ会場でざっくばらんな行動に付き合うのは、ちょっとばかり勇気が必要とされる所だった。
他方。
「そう、俗受けする話題というものは陳套で結構なのだ」
泰然と持論を展開しているのは下妻笹緒(
ja0544)、御存知白と黒のジャイアントパンダ――ではなく、白を基調としたスーツに身を包んだ、知的ながらも鋭い面差しの美青年だった。
挨拶をした時、久遠ヶ原メンバーの多くの表情はなかなか壮観だった(特にナナシ(
jb3008)と大鳥南はあからさまに驚愕の表情を浮かべていた。神楽坂茜も微笑を崩さなかったが、あれは驚いている気配だった)
「陳套――って決まりきっていて古臭い、だっけ?」
文系サラブレッドの雨宮 祈羅(
ja7600)は、その学生社会では滅多に使われない言葉を記憶から引っ張り出してくると確認の意味を込めて尋ねた。
言ってから、新鮮なアワビの上にウニがふんだんに載せられて焼かれている物を一つ齧る。
「うむ」
ジャイアントパンダ――ではなく、銀髪眼鏡の美青年はグラス片手にゆったりと頷いた。
「独創性というものは至って使用が難しい毒薬であり、頻繁に振舞うわけにはいかないのだ――つまる所、何が言いたいのかというと、今月の新聞部の特集はズバリ『ときめき☆春コーデ』という事なのだよ」
「ははぁ、なるほど、定番だね。そして女の子には関心が高い、かも」
純白のカクテルドレスに均整の取れた身を包み、艶やかな黒髪を結いあげている娘は頷くと、今度は新鮮な伊勢海老に齧りついた。
パーティだし、思いっきり楽しむよ、と超笑顔で言っていた雨宮祈羅は、有言実行すべく思いっきり遊び、思いっきり食べている。
「うむ、そしてこの会合は学園の有名人の私服が拝める数少ない機会なのだ。新聞部部長として見逃すわけにはいかない、インタビューせずにはいられない。素敵女子たちのめちゃカワ着こなし術をババンッと載せて、部数アップに繋げるしかない!」
立て木に水の如くのいつもの論理展開である。笹緒は実は入学して初めてパンダの着ぐるみを脱いでいるのだが、本人的には特に気にした様子もなく実に普段通りだ。ブレない。
「とは言え、最低限の仕事はこなさなければならない以上、いきなりターゲットに突撃をかけるのは愚の骨頂。報道系の部活が生徒会に睨まれたら面倒極まりない。ここは彼女たちの信頼ゲージを上げ、出入りできる場所を増やすのがベターだろう、と考えている所だな」
「ほんと、堅実だねー! でも確かにそれが着実に成果を出すやり方かも」
伊勢海老を平らげた(美味かった)雨宮は白ワインが注がれたクリスタルグラスに口をつける。香りは芳醇、やや甘口、魚介類になかなか合う。
「信頼ゲージを上げる為には、どうするの?」
「うむ」
下妻笹緒はチップに生クリームが塗られキャビアが載せられた物を一口齧って咀嚼し、呑み込むと言った。
「真面目に仕事して成果を出す、という事になるかな」
やっぱり地道である。
「ところで、物は相談なのだが、雨宮君の着こなしも参考にして良いかね?」
「ん、良いよー。記事に使えるようなら使っちゃって!」
にぱっと笑って祈羅。早速取材対象を一人確保した笹緒であった。
他方。
「振袖姿、とても良く似合っているよ」
鬼無里 鴉鳥(
ja7179)は神楽坂茜の姿に目を細めた。
「あら、照れますね、有難うございます」
頬に手を当てて、ころと鈴のように女が笑う。
「私の格好はどうだろう?」
銀髪の少女は本日は黒を基調とした紅葉柄の着物に身を包んでいた。その上からトレードマークのマフラーを巻いていた。
腕を広げる鬼無里に対して茜はにこっと微笑すると、
「とってもお綺麗ですよ。呉葉ちゃんの銀色の髪と、着物とマフラーの黒と、紅葉の山吹色から赤へと変化してゆく色が、お互いを際立たせてとても綺麗です」
「ふむ、そうか……」
「着付けも綺麗になされてますね、御自分でなされたのですか?」
「うむ、実家では和服だったからな」
と、旧家『鬼無里』の三十六代目当主は答える。
取り留めのない会話を交わしてゆく。
鬼無里にはそれで十分だった。茜と親交を深められれば、それで、と。
「茜殿はこう言うパーティには良く参加するのか?」
目の前の、己より年上だが背が低い少女を見やる。
「ええ、お誘い頂いた時は都合がつく限りは出席させていただいてますね」
穏やかにも楽しそうに微笑(いつものえっへへーとかいった笑い方とはちょっと違うようだが)しているから多分、向こうもそう思ってくれているのだろう。
●
(やはり公の場だと、私の知っているふにゃっとしている感じとは少し違うな)
背筋をピンと伸ばしてキラキラした笑顔を振り撒いている会長を見やりつつ天風静流はそんな事を思った。普段の気の抜けてる具合との差がちょっと面白いのでさりげなく観察中である。
会長は今度はどうやら紫色の振袖姿の童女と話しているようだった。
「出向が蹴られた事は別に良いの、第三者案が通った事で最低限分裂の危機は回避できたろうから」
アイスクリームが薄いクレープで包まれた一品をスプーンでざくざくと切り分けながらナナシは言う。
「ただ企業連合の学園への距離感が見抜けなかった事と、判ってはいたけれど……天魔へは負の感情があるのね」
日本は人間の国で、人間の社会だ。楽園ではない。
天魔は人間よりも強力なスキルが多いが、こと人間社会での社会的な事は不利な場合も多い。
――あの時、背中から感じた負の視線。
思い出して、胸が詰まる、息が少し洩れた。クレープアイスを口へと運ぶ。美味しい筈だが、あまり美味しく感じない。
「……ちょっとだけ凹んだわ……私もまだ甘いなぁって」
童女は呟き、しゅんと肩を落とした。
久遠ヶ原学園では人類側の天魔は身近だが、この地では遠い。あれでも堕天使のエアリアが有名な位置についていて、好意的に見ている者達が一定数いただけ、むしろまだマシだったのかもしれなかった。
「ナナシさん」
不意に、がしっと両肩を掴まれた。
顔を上げると、神楽坂茜が眦を吊り上げていた。きらきらと振り撒いていた笑顔はすっかり消えて、黒瞳の奥に紅蓮の炎が燃え盛っている。
「私は貴方が好きです」
何か言い出した。
周囲から視線が集まって、ひそひそと囁きが交わされ始める――大鳥南は「また悪い病気がでた」と呻き己の額をべしんと叩いた――しかし神楽坂茜はそれらは今は知った事ではないらしく、ナナシの瞳を真っ直ぐに見据えて言った。
「私は貴方が好きです。とても親愛な友人だと思っています。貴方なら信じられる、悪魔であっても。貴方は素晴らしい人です。皆、それを知らないだけ」
黒髪の少女は懸命さを感じさせる声音で言う。
「いつか必ず――私が生きている間には無理かもしれません。まずは戦いを終わらせなければなりません。でもいつか、一代先、二代先、善き方達は皆、天魔も人も当たり前にそこにいて、皆が仲良く暮らせるような、久遠ヶ原学園のように、全世界を。私が生きている間に実現させたい。それが無理でも、そういう世界を現世にもたらす為の礎の一つになって、いつか必ず。千年を生きる貴方達の元へと、きっと届ける、そういう世界を。あるいはそれは、遅すぎるのかもしれませんが、それでも」
いつの間にか会場は静寂に満ちていた。その様子を鬼無里は傍で、静流はデザートを食しつつ少し離れた位置から、機嶋はじっと様子を見ていた。
「……ティナちゃん」
大鳥南が言った。
「御免、ホンマに頭痛くなってきたわ」
赤毛の会計長は崩れるようにその場に蹲み込んで、ファティナは慌ててその身を支えた。
●
「わけーやろーはすぐに胆をくくる。性悪爺は一周廻ってそういうのを好むようだがな、そういう覚悟を決めやがった奴から死んでいくんだよ」
ぼりぼりと頭を掻きながら、目が死んでる系壮年男は盛大に嘆息してみせた。
「多様組織の上層の旗色はある程度は現しつつしかし玉虫色でなければならん。白黒はっきりしたら共存も排除もいずれにせよ対立陣営の過激派からバーンだ、知らねぇぞオレぁ、天魔を憎悪してる奴はかなり多い筈だぜ。お前さんならそういう連中の気持ち、良く解ってると思ってたんだがな」
新撃退長、西園寺顕家である。
ナナシは一度挨拶しておきたかったので、神楽坂に紹介を頼んだのだ。
「……私は昔、助けてと願った。危害を加えて来る者は逡巡無く討ち滅ぼします。けれど、個人を無視して総てを同じものとして判断するのは、悲しい事だと思うのです」
「左様で。血色童女も丸くなったもんだ」
「もう十八です」
どうやら知り合いらしい。
「で、そちらが?」
「はい、ナナシさんです」
「えぇと、その、色々御免なさい、就任とか半分は私が発端よね。貴方がヨッドの矢面に立つ事になったのも」
西園寺に対してちょっと悪かったなぁと思っていたりするナナシである。
しかし、
「いらぬ気遣いだ。俺を引っ張り出して来たのは爺どもだし、それを引き受けたのは俺自身だ。てめぇの進退と生死の責任くらいてめぇで持つさ。あんたが責任感じる事じゃあない。そこの馬鹿娘が暴発したのもな」
「そう……」
ナナシは思う。天使達がDOGを崩壊させるため、これからも何らかの手を討ってくる事は間違い無い。西園寺には調整役として本当に頑張って欲しい所なのである。
悪魔の童女はスーツ姿の壮年を見据えて言う。
「私が言う事じゃ無いけど静岡をお願いね。私達の力が必要になったら、できる限り力になるわ」
「契約は果たすさ。俺は勝てない勝負はやらねぇ。ただ、楽に勝てる状況でもなさそうだ。あんた達をあてにはしてるんで、そん時はまぁ、よろしくな」
西園寺顕家はそんな答えを返したのだった。
●
他方。
(家の探偵さんを含めて、みんなが守ったところ、ちゃんと見ておかないとね)
雨宮祈羅は華やかな会場をデジカメで撮りまくっていた。
「……壊すこと以外の力、ちゃんと持ってるじゃないか」
少し微笑みながら呟く。これが成果だ。件の暗殺事件調査を行っていた同姓の赤毛探偵は祈羅の恋人だった。この画像は彼へのお土産にしよう、と思う。
また、並行して各人に挨拶も行ってゆく。
「――お話しを聞いて、エアリアさんはすごく素敵な女性だなぁって思って、それでなんか、話してみたいなぁって思ってたんです」
エアリアと会った時、祈羅はそう思いの丈を述べた。
「……私と?」
ギリシア彫刻のように整った美貌のブロンド美女は、白いドレスに身を包み、会場全体を見渡せる壁際で側近達と一緒に佇んでいた。
「はい、うちは強くないし、むしろ弱いし、恋人も、仲間も、ちゃんと守れる自信ないし……というか守られてばかりだし……」
言っててなんだか凹んできた祈羅である。
ぐっと腹に力を込めて顔をあげ、
「だからこう、素敵な女性からなんだかアドバイスいただけたらって」
視線を前へと飛ばす。その先に立つエアリアは、平坦な表情でじっと祈羅を見据えていた。
サファイアブルーの瞳に浮かんでいたのは、最初は疑念の色で、次に恐れで、一度目が閉ざされた後、再び開かれた時には何か透明な光が宿っていた。
ポーカーフェイスなようで、案外解りやすい、と祈羅は思った。
「……大切なのは勇気を持つ事だな」
エアリアは直截に、しかしゆっくりと祈羅へと言った。
「まず自分が何をどうしたいのか誤魔化さず把握する。そしてその上で、出来る事をやる。己の心に目を逸らすのも、不可能に目を瞑って突撃するのも、勇気ではない。日々己の武器を磨き、目を見開いて状況を見定め、退くべき時は退き、留まるべき時は留まり、進むべき時に進むべき方角へと進む。そうすれば道は斬り開ける」
堕天の聖騎士はそう語った。
●
他方。
「大鳥さんが頭痛い、覚えてろって言ってましたよ」
苦笑しつつファティナは茜に話しかけた。会長は笑顔のままで固まった。表情は動かなかったが、なんとなくわかる。物凄く恐怖している。
「あまり無理をさせてはいけませんよ。茜さんも」
「はい」
「あと……本当は最初にお声を掛けさせて頂くべきでしたが……あの時は失礼致しました……」
ファティナは少し目を伏せて言って、それからまた柔らかく微笑を浮かべた。
「私は大丈夫です……泣いて少し落ち着きましたし、茜さんにご心配をお掛けし続けるのも不本意ですから……」
その言葉に黒髪の少女は、じっとファティナを見上げた。
少し迷うような気配を見せたが、やや経ってからへらっと笑顔を見せて言った。
「有難うございます。茜、解りました。でも何かの時にはお気軽におっしゃってくださいねっ」
「会長、振る舞いがいつも通りになっているよ」
とツッコミを入れるのは観察していた静流だ。
「はっ!」
そんな様子にファティナは苦笑しつつ、
「あ、でもまた気晴らしなんかには付き合って頂けたりしたら嬉しいかなと……?」
「おぉ、良いですよ、何をいたしましょうか?」
「以前流れた話を考えさせて頂こうかなと」
笑顔を見せてファティナ。
「……しゅ、衆目とかはない場所でしたら」
(……あぁ、指定衣装を着てどう、とかいうあれか)
以前の会話をふと思い出して胸中で呟く鬼無里である。
そんなこんなをやっていると、
「お疲れ様ですわ、皆さん」
クリスティーナがやってきて声をかけてきた。
(ほんと久遠ヶ原には美しい方が多いですわね。今回の依頼メンバーもしかり、ですわ)
英国お嬢様は皆の姿を見てそんな事を思う。
「クリスティーナさんもお疲れ様です。調子はどうですか?」
「まぁまぁですわね」
先程、しつこい御曹司を一人撃退してきた所だ。ついでに一刀、エアリア、西園寺の顔もチェックしてきた帰りである。
「警備は私達に任せて、会長さんはこの機会に人脈でも作っておくといいですわ。後々学園生のためになるかもしれませんし」
「有難うございます。そうですね、先にはあまりお話し出来なかった方達もいらっしゃいましたし、ではちょっと――」
壮絶な爆音と共に壁が吹き飛んだのは、ちょうどそんな時だった。
●
「襲撃?!」
クリスティーナは即座に光纏し阻霊符を発動する。
「よくまあ仕掛ける気になるな」
複合弓を出現させつつ静流。
撃退士達は獅子吼に似た爆音を轟かせ次々に光纏し魔具を出現させてゆく。
会場の四方に空けられた大穴からは、執事とメイド姿の人型サーバント達が津波の如くに雪崩れ込んで来ていた。
(これは――ときめき☆春コーデが血と泥と料理の残骸に塗れたものであっては、断じてならない)
笹緒は危機感を覚えていた。モデル(予定)の女性陣の衣服を汚れさせる訳にはいかない。
思う。彼女等が大人しく隠れていてくれれば良いのだが――
「ォオオオオオオオオオオオッ!!」
「突撃しますっ!」
陰に隠れるどころかエアリアは背の翼から光粒子と爆風を巻き起こして宙翔けランスチャージしてゆき、神楽坂茜も赤光を迸らせる大太刀を抜き払って疾風の如く突撃してゆく。その援護の為に鬼無里がマフラーを靡かせながら駆け、機嶋もまた大剣を出現させて突撃し、ナナシは遁甲したがやはり続いて前進している。討ちにいく動きだ。
このお転婆ガール達めっ、と思う笹緒だったが、それは百も承知な事でもあったので、その上からさらに守らんと青年もまた駆けてゆく。
静流は適当に矢で射撃を仕掛け、ファティナ、祈羅、クリスティーナはそれぞれ剣と魔法書を手に手近な非アウル行使者の守備へと回った。
「『久遠ヶ原の毒りんご姉妹』華麗に参上!ですわ」
ブロンドの女は役員の前へと躍り出て突っ込んできた執事サーバントを斬り倒す。
大乱闘が始まった。
●
(『虚空刃』は……控えるか?)
鬼無里、会場への被害を考慮して一瞬、逡巡する。命あっての物種だが、状況的に微妙な所だ。豪華会場、壊れないなら壊れない方が良い。
突撃する茜の側面を狙って踏み込んで来た執事の側面から詰め、アウルを解放する。瞬間、視認不可能な程の速度で空間を何かが、さらに常よりも鋭く通り抜け、執事が胴から血飛沫を噴出して倒れる。斬天「刹那」、超高速の抜刀術である。
鬼無里は茜と共に戦える事に高揚を覚えていた。紅蓮を纏い縦横無尽に翻る剣閃が眩しい。
有体に言うと、嬉しかった。
故に、その為に駆ける。
右手に煌めく剣の炎、左手に神鳴る剣を携えるナナシもまた、神楽坂と一緒に戦えて実は嬉しかった。
(そろそろ足手纏いにはならないはず、せめて戦闘面だけでも彼女の負担を減らせるように……!)
剣閃と共に火炎を放って執事達を焼き払い、稲妻を巻き起こしてメイド達を薙ぎ払う。猛烈な殲滅力だ。
(今は敵を……)
機嶋もまた会長と鬼無里を庇護の翼の射程に入れつつその側面をカバーするように踏み込んで、遠方より猛射されてきた銃弾を大剣で受け止め弾き飛ばす。
三人から援護を受けているその神楽坂茜は、火の粉の如き無数の紅蓮の光粒子を周囲に舞わせ、赤光を纏う大太刀を嵐の如くに翻らせていた。
(力が湧いて来る、太刀が軽い……!)
自分は支えられているのだと実感できる。
(もう何も恐くない!)
今日の少女は特に凄まじかった。進路上に立ち塞がるサーバント達を瞬く間に斬り倒してゆく。
「神楽坂さんの横で戦うのも、そういえば初めてね」
ナナシは言った。
「少しは頼りにしてね、私も強くなるから」
「はい、有難うございます!」
少女はとても嬉しそうに答え、その姿に、機嶋は少し複雑な色を瞳に浮かべていた。
●
(できることからやっておかないと)
それはエアリアから言われるまでもなく祈羅が思っていた事ではあった。きつい現場で戦い抜ける人間というのは、結局の所、それに尽きる。出来る事を地道に粘り強くやる。その積み重ねだ。
企業役員を守っている祈羅はマジックシールドを展開して銃弾を受け止めると、魔法書を掲げてアウルを解放した。撃ち出された光羽は鋭く飛び、拳銃を構えている執事の胴に炸裂する。光羽を追いかけるように駆けていたファティナは、祈羅の一撃で執事の態勢が崩れたのを見ると床を蹴って一気に加速して踏み込み、裂帛の気合と共に聖銀の剣を袈裟に一閃させた。銀光が空間を断ち切り、黒服の執事が血飛沫を噴き上げて倒れる。
「無粋な輩は星屑の海に沈んでいただきますわ! スターダスト・イリュージョン!!」
クリスティーナは裂帛の気合と共に透明な刃を一閃させ、放たれた輝く綺羅の流星群がメイドと執事を吹っ飛ばして抜けてゆく。
「やれやれ、数だけは多い」
静流は時雨を発動、接近してきたメイドの水月へと石突を雷光の如くに叩き込み、間髪入れずに大薙刀を旋回させて刀刃で執事の身を叩き斬る。メイドと執事が折り重なるように倒れた。
「でもココを攻めるには脆過ぎますわね。こちらの戦力を見誤ったか、あるいは……本命は別?」
クリスティーナが剣を構え直しながら言う。
「なるほど、ありえない話ではなさそうだね」
と薙刀を構え間合いをはかりながら静流。
他方、笹緒は範囲攻撃を繰り返す大鳥が多数の銃口を向けられているのを見て取ると(主に服が)窮地と見て瞬間移動で射線上へと飛び込んだ。
弾丸の嵐を青年が受け止めている間に、アウルを集めた娘が色とりどりの爆炎嵐を巻き起こしてメイドと執事を爆砕する。
「すまんな、助かったわ!」
「ふむ、御代は取材させていただければ結構」
「……ええけど、やっぱ違和感あるわー!」
周囲では精鋭の撃退士達もまた次々にサーバントを撃破していて、既に大勢は決しつつあった。
●
結果。
数は多かったが、ほぼ一方的にサーバント達は殲滅された。
(然し一刀殿は援護に徹していたな)
戦闘後、ふと鬼無里は胸中で呟いた。
剣豪と名高い初老の男は、護衛達の後ろより紋付袴姿でRPGをぶっ放し、次に二丁PDWで猛射していた。剣豪とは一体なんだったのか(真面目に考えるなら剣が奥の手で人目には手の内を早々晒さない、等の合理性なのかもしれなかったが、活き活きしてたのでヒャッハーしたかっただけ、という疑念も拭いきれない)
その太刀を見れなかったのは鬼無里的には残念だった。
星幽達による治療が一段落し一息ついた、そんな時の事だ。
おかしいぞ、と出席者の一人――クリスティーナに話しかけていた御曹司だ――が声をあげた。
曰く「何故、ピンポイントにこれだけの規模の襲撃を天魔が仕掛けられるのだ?」と。
さらに間髪入れず「DOG本部が襲撃された」との報が入り、議論が沸きあがるその直前、西園寺の耳打ちを受けた鈴田社の取締役が会合の終了と解散を告げた。
去り際、企業の人間達が互いを見詰める目には疑念が混じっていた。
売国奴がいる、と誰かが言った。
了