夕陽。
波打つ海の西、水平線の彼方へと燃陽は光線を放ちながら沈みゆかんとし、島の白砂を黄金色に輝かせていた。
光を浴びながら、スコットランド生まれのリチャード エドワーズ(
ja0951)は、集まったメンバーと共に支骨を砂に打ち込みテントを建てていた。
「今頃、会長達は料理の真っ最中ですかねぇ」
メンバーの一人、黒井 明斗(
jb0525)がテントの他、望遠鏡なども浜に設置しつつ言う。
「だろうな。まぁ茜の様子は気になるが……」
と答えて久遠 仁刀(
ja2464)。曰く、チョコ作りは何となく男は入り辛い、との事でこちらを手伝いに来たらしい。
「頼りになるのも一緒にいるようだし、信じて待とう」
「楽しみだね」
ブロンドのハイランダーは微笑した。
「ふむ、もうそんな時間か。では私はあちらの手伝いに行ってくる」
あらかたテントを建て終わった所で大炊御門 菫(
ja0436)が言った。
「了解した。しかし菫、料理できたのか?」
と景守。
「…………し、下準備くらいなら手伝える筈だ。それに、ほら、会長もいるしなっ」
「会長もいる、か……」
うむぅ、と仁刀は唸った。
茜が料理修行を頑張っているのは知っているが、さて。
●
「神楽坂さん、久しぶりね。元気になって良かったわ」
家庭科室。生徒会長と再会したナナシ(
jb3008)はそう言った。
「おかげさまで、その節はお世話になりました」
楽しそうに話す黒髪の少女の顔色は良い。最後に会ったのは病室だった。神の剣との戦いで会長は重症を負っていたが今ではすっかり傷も癒えているようである。
(さて、会長のチョコだと期待して食べる何も知らないファン達のため……私が居る限りゴミなど決して作らせないわ!)
ナナシは決意に燃えていた。会長の為に完全レシピ本を作成してきていたりする。
本を渡しながら言う。
「私、神楽坂さんの事、すっごく信頼してるし頼りになると思ってるわ」
「え、ほんとですか? 有難うございますっ」
会長は嬉しそうだ。
「うん、本当よ。でもね……料理の腕だけは、まーーったく信用してないの」
その言葉に黒髪少女は目に見えてずどーんと落ち込んだ。
「確かに、一年前はチョコを焦がしたり目も当てられない酷さでしたからね」
苦笑しながらファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)が言う。
「でも最近は随分と腕を上げたんですよ」
「あら、そうなの?」
ファティナとしては、茜の日々の頑張りを知っているので、今の認識は改めて貰いたいらしい。
ナナシが視線を向けると、少女ははにかむように笑って。
「ファティナさんに教えていただいてるので……おかげさまでなんとか」
「そうなの。うーん、じゃあ、それいらなかったかしら?」
「いえ! 色んな種類のが載ってますし、私まだ教えていただいてない事も沢山ですから!」
取られまいとするかのように本を抱いて身を退かせつつ茜はそんな事を言った。
ナナシはくすりと笑うと、
「そう。それじゃ始めましょうか。どれを作るのかしら?」
「最初にトリュフですね。最後に余裕あればフォンダンショコラに挑戦の予定です」
とファティナが言って、かくてチョコ作成が開始されたのだった。
●
チョコを溶かす際にはまず細かく砕くという。
「こんな物で良いだろうか」
故に、少し遅れて手伝いにやってきた大炊御門菫は『素手で』チョコを『握り潰して粉々』にしていた。粉々である。粉である。粉末状である。むしろ液状。
「うふふ、菫さんはとても男前でらっしゃいますね」
あまりにも豪快なその手法とパワーを前にして思わず会長モードの煌びやかな笑顔で答える神楽坂茜。
「あ、でも……直接握り潰した方がサクサクいけて効率良いでしょうか……?」
「よくありません!」
一瞬、素に戻ってそんな事を言い出した会長へとファティナは叫び、痛そうに己の額を抑えた。本気で言ってそうなので困る。
「応用(?)は上級者になってからですよ、まずは基本に沿ってゆきましょう」
「はーい」
「作り方は覚えてらっしゃいますよね? あ、ちなみに失敗なされたらいつも通り遠慮なくいきますので」
笑顔の銀髪の少女は片手をわきわきと動かす。
「だ、大丈夫です、覚えています、多分っ」
「む、もしやこれは夕食も作る流れ……?!」
エプロン姿の菫は包丁をおもむろに「装備」しつつはたと呟く。
「大丈夫! 夕食後集合だから、基本は皆済ませてから来る筈よ、早まっちゃ駄目!」
会長を見つつ自分もトリュフを作っていたナナシがそう言ってさらなる混沌が開始される事はなかったのだった。
●
満月の少し前の大きな月が輝く夜、二十名程度の撃退士達が久遠ヶ原の海岸に集まった。空気は凛と冷えている。
自己紹介や挨拶もそこそこに終えると、
「それじゃあ、早速始めましょう!」
との会長の言葉と共に花火が配られ、花火大会が始まった。
月光に照らされる薄闇の中、燃焼の音と共に焔の花光が色とりどりに咲き乱れてゆく。
リチャードは花火をしつつまず準備にあたっていたメンバーへと話しかけ、労いの言葉をかけた。
「無事に始まったみたいだね、お疲れさま。大分、無茶振りでもあったと思うんだけど――いや、面白そうだとは思ったけどね」
「そうだな。しかしまぁ実際、息抜きが必要な顔触れは多いだろうからな」
仁刀はリチャードへとそう言葉を返した。
「皆さんが笑顔が見られたのが報酬というものです。特に、いつも苦労している会長にはリラックスして欲しかったですから」
花火をしている面子を見やりつつ黒井。
「ふむ、そういうものかい」
ハイランダーの青年は言葉を交わしつつ、鮮やかに闇に軌跡を描いてゆく花火の光に目を細めた。
「さぁ、定番のアレをやりましょ」
ナナシはペットボトルにロケット花火を刺して持ち会長へと言った。
「アレ、ですか?」
茜は小首を傾げた。悪魔の童女は笑顔で点火しながら答える。
「撃ち合うの!」
「人に向けて撃ってはいけませんと注意に――」
「問答無用っ」
ペットボトルの口が向けられ、瞬間、ロケット花火は勢い良く飛び、生徒会長の鼻先を掠めて消えてゆく。
「――やりましたねっ!」
「撃っちゃいけないんじゃなかったの?」
「挑まれた勝負は買う主義です!」
茜は言葉と共に導火線の火が本体に着火する直前にロケット花火を投擲した。回転しながら明後日の方向へと投げられた花火は、しかし本体に着火すると焔を噴出させ、直角に曲るように急角度で方向を転じ、ナナシへと襲い掛かる。
側面から襲い掛かったロケット花火ははぐれ悪魔の少女の胴に直撃し――そしてそのまますり抜けた。
「えーっ?!」
「物質透過セット中よ! ふふ、お返し!」
すかさずナナシもまたロケット花火を撃ち返す。会長は直撃コースのそれを素早く身を伏せてかわした。
「くっ! なら阻霊符展開です! 今度こそ!」
「空蝉!」
「そ、そこまでやりますかぁっ?」
「ふふん、これも戦術よ!」
「解りました。ならこっちも全力でいきますからねっ!」
バシュバシュバシュと薄闇を紅蓮に切り裂いて二人の少女は猛然とロケット花火の応酬を開始した。どう見てもガチである。遊びは本気でやるから楽しい、とか言いそうな二人だった。
「やれやれ、騒がしい事だね」
鳳 静矢(
ja3856)は苦笑しつつ海から水を汲んできたバケツを近くに置いておいた。火の始末はしっかりと、という奴である。
「行くですよぅ、みんなっ!」
盛り上がってきた所で鳳 蒼姫(
ja3762)がスキルを発動し、色とりどりの花火を盛大に爆裂させた。
かくて派手な物が一段落した後、ぽつぽつと手持ちの花火や線香花火が行われてゆく。
「しゅわしゅわしてて、頑張るですよ、線香花火」
蒼姫は浜辺に座りつつじーっと火花を散らす線香花火の先端を見詰めている。
「機会があれば今度は打ち上げ式の花火もやってみたいですね……」
同様にしゃがみこんで線香花火を行いながら柔らかく微笑してファティナが言う。冬は空気が乾燥するので夏とは見え方が違うらしい。
「誕生日とかに、サプライズで集まって、誰も欠ける事無く…………誰も……」
知らず、言葉が詰まった。
「……ティナさん?」
共に線香花火勝負を行っていた茜が訝しく思って問いかける。
ファティナは俯き、赤い瞳から涙を溢れさせてゆく。透明な大粒が砂浜へと落ちた。
「……逢いたいよ……もう一度……エルちゃん……」
落ちた雫は、ぽつぽつと砂を濡らした。溜め込まれていたものが堰を切ったようにとめどなく、枯れる事など知らないように。
「ティナさん……」
神楽坂茜は花火を置くと涙を流すファティナを抱きしめた。黒い瞳からも一つ涙が零れ落ちた。
冬の月は蒼白く煌々と輝いていて、風は冷たく、花火が静かに燃えていた。
●
やがて花火が終わり、天体観測が始まった。
それに合わせて紅茶やチョコが配られてゆく。
「お、これは、美味しいね。よく出来ている」
口に広がるチョコの甘い味にリチャードが感想を述べた。もてなしや真心といったものを感じ、それが一番のおいしさだと考えている。しかしそれを抜きにしても美味だった。
「ほんと、とても美味しいですね。腕を上げられました」
にこにこと破顔して黒井が言う。
「何を言ってるんだ、会長は元々料理も上手だろう」
「……ああ、そうだな」
と不思議そうに菫が言って、素知らぬ顔で仁刀が相槌を打った。色々あったがファティナやナナシの活躍もあってチョコ作成は上手くいったようだ。
他にも、
「さぁアキ特製の檸檬パイのおでましなのですよ! よ!」
「身体が冷えてきた方はホットケーキなんてどうです? あったまりますよ」
蒼姫の檸檬パイや黒井のタコ焼き型(何かタコ焼きにこだわりでもあるのだろうか)ホットケーキ、愛らしい箱とリボンでラッピングされたナナシ製の生トリュフなどが配られてゆく。
さらには、
「ロールケーキ?」
「恵方巻きとかを出す計画は阻止されたらしいが、同じ巻いてある物だからな。気分だけでも、とな」
菫に答えつつ、おおかみグローブをつけた久遠がロールケーキを配っている。狼はハロウィンの仮装を意識しているのだろうか。静矢もまた節分豆をチョコでコーティングした菓子を配っていた。
「ふむ、意外にほんとに上手く出来てるな……」
「源九郎さん」
会長製のチョコをつまんでしげしげと見詰めている源九郎へと静矢は言った。
「以前京都で話す機会があった時の言葉……個人的にとても参考になりました」
「それは良かった――思う所がありましたか」
「はい。私は、私自身が後悔しない為に……大切にしたい故人の意思、失った大事な人々の想いを背負うと。それが私の戦いだと確信しました……望んで背負ったモノであるから、それを突き通す。そして、二度と目の前で悲劇を繰り返させない。共に歩めるなら、人も天魔も護り通す。それが私の道です」
源九郎は男の言葉に頷いた。
「――誰かの為だからと思い、そして報われないと感じた時、人は人を怨みだす。過酷なものほどそうだ。だからそう、己が思いの為に戦う、と思えば良い。誰かを幸せにしたいなら、その人の為ではなく、その人の笑顔が見たい自分の為だと思えばよろしい。きっとそもそもに、そういう事なのだと僕は思います」
●
夜が更けてゆき、喧騒も落ち着いてゆく。
吐く息は白い。
菫はふと頭上を見上げた。
視界一杯に広がるのは、満天の夜空だ。煌く星々。息を吸えば、冬の夜風の匂いが肺一杯に満たされてゆく。
冬の香りに思い起こされたのは、道場に居る父の笑顔だった。
吸い込む空気は冷えているのに、胸はじりじりと焦がされるように疼く。
何時までもこれで良かったと思えないのは、何故だろう。
(――決断したのなら、迷うな)
己に言い聞かせるように呟く。
「菫、どうかした?」
声に振り向けばピエロの童女が己を心配そうに見上げてきていた。
「あぁ、いや、なんでも無い――何の話だったか」
「今度は映画とかやりたいってジャンヌ・ルイが暴れてるって話ー」
「む、暴れてるとは失敬なー。私はだね、芸術とは常に挑戦のスピリッツこそがアポローンの導きであり、ケイオスの大地に建てられる向上心という名の屋根こそが太陽の光線によってその頂を黄金色に輝かせると――」
「あはは、ごめんごめん、うん、守りに入っちゃ駄目だよね」
劇団の天使と悪魔は随分と仲良くなっているようだ。ちらりと景守を見やれば、相変わらずの仏頂面だったが、これは多分、デフォルトなのだろう。人間の少年――もう青年と呼ぶべきか――もまた今では随分と彼女達と馴染んでいるようだ。
(景守達は上手くやっているようだな)
仁刀は劇団の近状を聞きつつ、胸中で安堵の呟きを洩らす。
(指輪は……どうするべきか)
菫は笑っている金髪美人の顔を見つつ胸中で呟く。破局による陰は今は少なくとも表面上はもう見えない。
しかし例の指輪は未だどうしていいのか分からずポケットの中にあった。
誰かに相談した方が良いのだろうか、と悩む菫だった。
●
「うーん、静矢さん。あっちの星がこっちの星なのですよねぃ?」
蒼姫は星座早見盤と望遠鏡を通した実物の夜空とは交互に見やりつつ問いかける。
「うん? あぁそうだね、あの赤い星がベテルギウスだね。そこから少し下がった所で三つ並んでいるのがオリオンのベルト。ベルトの中央の星を中心点として大体対称の位置にある明るい星がリゲル、と――」
自身も図鑑片手に望遠鏡を覗き込みつつ静矢は確認する。
「寒空と言うのは清んでいて良いな……光が良く見える」
夫の横顔を見詰めてから蒼姫は頷くと微笑した。
「確かに冬の方が星は綺麗だよねぃ〜☆」
やがて天体観測も終わり就寝となった時、蒼姫は色々やったが寒かったので静矢と一緒の寝床で眠る事とした。曰く、あったかくて幸せなのですよぅ、との事。
「……静矢さん、生きて帰ってこなきゃ駄目様なのですよぅ?」
静矢は抱きついてきた妻の頭を一つ撫でた。
「聞いていたのか。勿論、私自身も生きて……帰るさ」
空には大きな月が輝き、潮騒の音が聞こえていた。
●
朝。
「……気晴らしになった?」
夜遅くまで茜と話していたナナシは解散前に最後にそう問いかけた。
思う。
戦い続きで心が壊れる前に馬鹿騒ぎで心が晴れるならその方がずっと良い、と。
「有難うございます」
柔らかく微笑して茜は答えた。
「気にかけていただけて、とても嬉しいです。とても……だから、私は斃れずに戦えます」
それから少し瞳を曇らせて、
「私も同じように出来ていれば、良いのですけど……」
そう呟いた。
また笑顔を見せると言う。
「もしもナナシさんも、何か辛い時とかあったら、良かったらおっしゃってくださいね。撃ち合いする相手なら、務められますから」
かくてキャンプは終わり、撃退士達はまた元の日々へと戻っていった。
朝の空には太陽が輝いている。
了