夜明け。
世界が闇から光へと移ってゆく刻、光闇が入り混じる紺碧の世界、山岳の大気は冷え、吹く風は氷刃の如く頬を薙ぐ。
(……黒瀧さんの口ぶり……今回の仕事は、ヒロイックな撃退士とは違うもの……?)
茂みの中に身を伏せている齢十一歳程度の銀髪の少女は小首を傾げていた。機嶋 結(
ja0725)だ。
もしもそうであるならば。
(……私に相応しい仕事、かもしれませんね)
慣れている。
そういう事は、慣れている、自分は。
学園に来てまで同じ事をするのは、少し気分が悪いが。
「――まったく、人体実験は自分の身体でやりたまえよ」
不意に小さな呟きが響いた。
鷺谷 明(
ja0776)が誰とも無しにぼやいていた。詳細は伏せられている仕事だったが、事前の敵情報等から、ある程度の察しはつくものだ。
「そいつは連中に言ってくれ」
風紀の長が肩を竦めて答えた。
「風紀委員長に言ったつもりも無いけどねえ」
鷺谷は表情を歪めて薄く笑う。
「なるほど、人体実験をしていたのは連中であって、学園ではない。そうして、技術が出来上がった所でこうして抑える、と……――何時から学園は知っていたのだい?」
鷺谷は視線を送り、風紀委員長は眉を顰めた。
「――つい先日だ」
「なるほど、ご立派。それを私達に確保しろってねえ?」
「力自体に善悪は無いとの仰せだ。銃だってそうだろ、何時だって引き金をひくのはテメェ自身だ」
飄々とした調子は消え、何処か投げ槍に三十男は言った。解りの良い言葉とは裏腹に、学園に納得がいっていないのは、多分この男自身なのだろう。
「力その物に善悪は無い、か……」
久遠 仁刀(
ja2464)は呟き、視線を向ける。
「そんな考えが、そういう連中を蔓延らせてるんじゃないのか?」
その言葉に、風紀の長は黙した。
(……すんごく面倒な状況だ)
久瀬 悠人(
jb0684)は胸中で呟く。
まぁ二割方は冗談だが、それでもちょっと厄介だなと思う。
(……出来るだけは頑張る所存)
黒瀧からの事前情報によれば、敵は一人一人が凄まじく手強い、仲間達の会話からするに背後関係もややこしいのだろう、それは一人単位でなく組織として厄介な相手だという事も意味している。
「そろそろ時間だ」
獅童 絃也 (
ja0694)が淡々と言う。
マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は群青の薄闇の中、彼方にぼんやりと浮かぶ白い建物へと目を凝らす。
(如何な理不尽も退ける者で在りたい)
改めて、そう思った。
●
――その時、茂みの中に身を隠している撃退士達は音を聞いた。
映画とは似ていて違う、それよりも淡々としていて、あっさりとしていて、呆気が無い破壊の音。
総てはあっさりと壊れ、あっさりと失われてゆく。
ただそこに在るだけで約束されているものは、この場所には何も無かった。あるとするなら、それは破滅だけだ。
「行動を開始する」
壮年の男の低い声が響き、撃退士達は速やかに、しかし極力音を抑えて動き出す。
僅かな移動の後、薄闇の彼方、アスファルトが敷かれた広い山の道より、鶯色の布を被った女が駆けて来るのが見えた。
「おはよう、お姫様。お迎えに上がったよ」
橙瞳の青年は声をかけると車道に姿を現した。
「――君達が宝井の?」
女は緑の瞳に微かに脅えと警戒を宿して声をかけてきた。
久瀬は安心させるように微笑むと頷く。
「そうだ。追っ手の数は? 俺が直衛する。こっちへ」
男は阻霊符を発動し一対の大剣を両手に出現させ、手招きするように剣持つ腕を軽く振る。
山道の彼方には既に複数の人影が出現していた。
「五人、どれも手練だ。中でも赤毛の堕天使は特殊な業を使う」
女は言って、天冥双方の技を使うのだとの情報を伝えてきた。
「……空にいるうちの片割れですね」
機嶋は目を眇めて低空を猛進して来ている粗野な風体の男の姿を確認する。
「そちらは私が行きましょう。黒瀧さん、空の忍軍をお願いできますか?」
マキナは黒夜天を発動しつつ言う。
「了解。しかし空蝉使いか、出来るだけは妨害するが、注意してくれ」黒瀧が頷く。
「本当に危なくなった人がいたら応急手当を」と鷺谷。
「解った」
撃退士達は手早く担当を打ち合わせると迫り来る追っ手を迎撃すべく前進する。
「よろしくお願いするよナイト殿」
「俺は久瀬悠人、君は?」
久瀬は言いつつ四蒼翼のストレイシオン・エルダーを召喚し、仲間達の後を追わせつつ防御効果を指令する。
「ミルザム、という」
女は久瀬の背に回りつつそう答えた。
北より五つの影が迫り、南より六人が走る。
夜明けの山岳に咆哮が轟いた。鷺谷の頭部が竜のそれへと変化してゆく。竜咆だ。機嶋は身を低く陰になるように異形と化した男の後方から追随してゆく。獅童もまた闘気を解放しつつ薄闇の中を駆ける。
(何が出ようが変わりない……やるさ、その為にきた)
同じく路上を駆ける久遠、まずは敵のアタッカー達の注意を惹きたい。こちらのアタッカーの絃也が範囲攻撃に巻き込まれぬよう散開して進む。
距離二十四メートル、白虹の間合いに入る瞬間、手の中に雷の剣を出現させ猫のきぐるみ少女へと向かって一閃させた。月白のオーラが刃と化して長大に伸び、瞬間、黒髪眼鏡の少女の身が輝き、猫少女の前に光の壁が展開する。
月白の光刃と光壁が激突して激しく光を散らし、オーラの刃は光壁に大幅に減衰しつつも突き破って抜けた。猫少女は刃に貫かれるも、しかし倒れず魔法書をかざした。刹那、回避射撃の弾幕が飛び、冥夜は身を捌いてかわし態勢を崩しつつもアウルを解き放つ。
次の瞬間、明け方の薄闇を消し飛ばす程に眩い爆炎の華が、大気を揺るがす程の爆音を轟かせながら咲き乱れた。冥夜渡りの火の芸術。
炎嵐に呑まれた久遠、防御効果の蒼燐光を纏い急所を守るべく雷の剣を翳して防御している。灼熱の鉄塊で殴りつけられたかの如き衝撃と痛みが次々に襲いかかる。凄まじい猛撃だったが、歯を喰いしばって耐える。倒れない。負傷率二割六分、頑強だ。
獅童は爆炎が咲き乱れるその脇を抜け疾風の如くに距離を詰めてゆく。女騎士は赤いワイヤーを出現させ突進してくる男へと向かって放った。鋼糸が獅童の身へと絡みつき、しかし武術家は腕を使って自らより強く巻きつけ回転するように捻った。騎士の身がワイヤーに引かれて一瞬崩れ、男は血飛沫をあげつつも鋭く地を踏みしめるように踏み込んだ。震脚。慣性の法則により一時的に重さを増し、勢いを乗せて双打を放つ。女騎士は咄嗟に大盾を出現さんとしたが、態勢が崩れていた為に一瞬展開が遅れ、盾を掻い潜った双打がその身に直撃する。痛烈な一撃、綺麗に決まった。烈風の突きは、鈍い音を響かせながら勢い良く女の身を後方へと吹き飛ばした。絡み付いていたワイヤーはさらに獅童の身を切り裂きながら解けてゆく。負傷率六割七分。
他方。
「ミルザァァアアアアム!」
空からクルドが怒声をあげて突っ込んで来ている。
「行かせません」
黒い外套を翻して進路上に銀髪の少女が躍り出る。マキナ・ベルヴェルク、敵は空だ、高さがある。ショットガンを出現させ、空へと銃口を向け発砲。撒き散らされた散弾が赤髪の天魔の身を穿ち血飛沫を噴出させてゆく。凶悪な破壊力。
「邪魔すんじゃ、ねぇ!!」
クルドはマキナの頭上を越えミルザムに向かわんとしたか一瞬逡巡するそぶりを見せたが、流石にこの攻撃力を前に背を向ける危険は冒せないか、紫光の宿る短剣をクロスさせると天より地へと向けて一閃させた。痛烈な光波が蒼燐光を貫きマキナの身を撃ち抜く。
激痛に視界が揺れ、膝が落ちそうになる。だが意識を絞って空を舞う男を睨みつける。
目の前の相手以外は仲間を信じて任せている、だからこそ、
「……命に代えても、貴方は止める」
倒れない、負傷率六割九分。
他方、弧を描いて回り込むように機動している白尽くめの少年は地上の黒瀧からの射撃を空蝉でかわしつつ、ミルザムへと向かって接近してくる。
「……まずっ、退がろう」
「私は戦闘に加わらなくて良いのだろうか?」
「大丈夫、彼等は負けない」
久瀬はミルザムの手を引いて山林の中へと飛び込んだ。直後、忍軍から投擲された雷光の槍が道に突き刺さってアスファルトを爆砕する。
他方。
「ケェエエエエエエエエッ!!」
身の毛もよだつような奇声と共に、筋骨隆々の銀髪の老人がエネルギーブレードを振り上げて、鷺谷へと一瞬で間合いを詰めていた。鋭い踏み込みと共に一閃された烈光刃はまさに閃光の如く、コンマ1秒以下で竜頭の男を両断して抜けた。
「Not, not, not. I am not.」
しかし、
――違う、違う、違う、私ではない。
両断されて地に転がっているのは、身代りとされた人形だった。
嘲りの言葉と共に、剣を振りぬいた老人の横手より獣の豪腕が伸びる。
「……ぬぅっ?!」
「変化と自己改造の魔術って便利だよねえ」
顔面を掴み取った享楽主義者の怪物が笑う。頭蓋が軋み、鈍い音が響き渡る。老人が白目を剥いた。
「……容赦は、できませんので」
間髪入れずに突撃してきた機嶋は旋棍を出現させレートを増大、強烈な白光を宿してそのがら空きの胴を打ち抜いた。神輝掌。カオスレート+5の壮絶な一撃が炸裂し、老人の身がくの字に折れて吹き飛びその口から鮮血が吐き出される。
「ク……ハッハアッ!! 良い動きだ餓鬼ども!! それでこそ殺り甲斐があるッ!!」
老人はすぐさまに何事もなかったかのような動きで跳ね起きた。黒瀧が飛ばす回避射撃の弾雨の中、機嶋へと斬りかかる。
大剣に持ち替えていた少女は、咄嗟に防御せんとカイトシールドを出現させる。
「うっ?!」
烈光の刃は弾丸に妨害されてなお、盾をかわして機嶋の胴を稲妻の如くに掻っ捌いた。灼けつくような激痛が全身を走りぬけ意識が千切れ飛んでゆく。少女の膝が落ちた。スタンだ。負傷率は四割四分。見た目可憐だがありえんくらいタフである。
「良いから寝ておきたまえ」
鷺谷は間髪入れずに踏み込むと腕を伸ばし、修羅の頭部を再び掴んで締め上げる。鈍い音が響いて、老人は再度朦朧状態に陥る。
しかし、
「鷺谷さん機嶋さん、忍軍がそっちに行った!」
久瀬の声が響き、鷺谷は空を仰ぎ見る。
瞬間、天空から猛烈な稲妻が飛来し、意識が混濁して動けない機嶋の頭部目掛けて襲い掛かった。ヘッドショット。鷺谷は即応し老人を放り出すと軌道上に割って入る。雷霆の剣が男の身を貫き、脳髄を灼き焦がすような激痛が走り抜けた。鷺谷、負傷率六割八分。
獅童は吹き飛んだ女騎士を追いかけるように駆け出す、冥夜との間を分断するように。凶悪無比なる猫少女に背をがら空きで見せる事になるが、背中は久遠に任せるつもりだった。獅童絃也、まさに阿修羅的な戦いぶりだ、骨を切らせて骨を砕く。
女騎士は冥夜の方へと駆けながらPDWで獅童へと猛射し、獅童は弾丸を浴びて血飛沫を噴出させながらも騎士へと迫る。負傷率十二割五分、意識が薄れ身が崩れそうになるが、歯を喰いしばって転倒を堪える。猫少女が獅童へと振り向きざまに魔法書を掲げ、久遠は大剣を出現させざまに月白のオーラを撃ち放った。抜き打ち。反応速度の勝負。
次の刹那、猛烈な破壊の光刃が猫少女を貫き吹っ飛ばして抜け、冥夜は鮮血を散らしながら路上に転がった。その手から魔法書が滑り落ちる。沈めた。
獅童は血飛沫をあげながら踏み込み崩撃を放つ、眼鏡少女は大盾を翳して受け止めた。再び後方へと吹っ飛ばされるも身を捌いて足から着地する。
他方。
アスファルトの道上を機動しているマキナ。
傷付く事は厭わない、目的を果たせるのならば。
戦場に終焉を。それがマキナの求道であり、胸に擁する不変の信念なれば。
この身、この拳は、唯一その為に。
なればこそ、勝てぬから、倒せぬからなどと言う理由で――
「退く事など有り得ない」
マキナの右腕から黄金の焔が噴出し、その白い髪もまた黄金の色に染まってゆく。刹那の力の解放。
「――退けと言ってんだッ!!」
クルドの双剣より純白の光の波動が放たれ、駆けるマキナの身に直撃する。負傷率十五割三分、骨が嫌な音を立てて軋み、口から鮮血が吐き出される。だが、倒れない。
黒瀧は獅童へ向かって駆けると腕に光を集めて飛ばした。獅童の傷が癒え、負傷率九割三分まで回復する。
宙舞う白尽くめの少年は機嶋を庇って立つ鷺谷を見下ろすと白く眩く輝く雷光の槍を出現させた。身を盾にする以上は、避けられない。
「これは鬼畜」
竜咆の効果が切れ人頭に戻った青年は口端を上げて笑い白糸を消し円形盾を出現させて構える。
意識を取り戻した機嶋は頭を振りながら立ち上がらんとするも、天より飛来した雷光の槍が鷺谷と機嶋をまとめて貫いた。鷺谷、盾で軽減して負傷率十一割五分、機嶋は直撃して負傷率七割八分。
「すいません、もう大丈夫です」
「了解」
なんとか凌いだ機嶋と鷺谷は再び駆け出す。少女はリジェネレーションを発動し急速に傷を回復させてゆく。
久瀬は修羅老人が転がったまま動かないのを見て、スレイプニル・ランバートを召喚、クライムを発動するとミルザムを抱えてその背に飛び乗った。
「……どうするのだい?」
「逃げる」
二人を乗せたランバートは即座に南へと向かって駆け出してゆく。
他方。
久遠は空舞うクルドへと狙いを定めると横手より白虹を放った。光が空の天魔を貫き態勢が崩れた所へマキナ、飢餓天狼を発動、ショットガンを発砲し即座に飛び退く、黒瀧が回避射撃を放った、間髪入れずに天より襲い来た反撃の白光がアスファルトの道路を爆砕する。かわした。散弾がクルドの身に喰らいついて猛烈な勢いで血飛沫を噴出させ、引き換えにマキナの身体の傷が癒えてゆく。負傷率十三割三分まで回復。
「くそがぁ……! 覚えてやがれッ!! 野郎ども、ずらかるぜ! 散れ!!」
戦況の不利と届かぬ事を悟ったか、クルドは駆け離れてゆく久瀬達の背を憎々しげに一瞥すると、高空へと昇って射程外に出てから後退を開始。女騎士は踏み込んで来る獅童へと弾幕を叩き込んで撃ち倒し、彼女もまた踵を返して駆け始める。
黒瀧は鷺谷を回復させ、忍軍は退却の駄賃とばかりに撃退士達の頭上を横切る軌道で飛び、稲妻を鷺谷へと撃ち落とした。機嶋が防壁陣を発動させて鷺谷は防御力の増した盾で雷霆を受け流し、機嶋は反撃に光矢を無数に出現させて空へと撃ち放つ。さらに久遠が白虹を、マキナが銃撃を放ったが、忍軍は空蝉して空蝉して空蝉すると西の空へと消えていった。
かくて撃退士達はクルド、忍軍、騎士には逃げられたが、修羅を討ち冥夜を生け捕りにした。別働隊の方も無事に施設を制圧したようだった。
機嶋、鷺谷、久遠の三人は獅童と戦闘後に倒れたマキナを黒瀧に預けると南へ向かい久瀬達と合流した。
こうしてミルザム救出は激しい戦いの末、成功に終わったのだった。
了