東雲。
澄み切った空気に緋色の空だ。
薄闇の中、銀髪の長身の男が黙祷を捧げている。
其れは、京都を取り戻す為に戦い散っていった者達へと捧げられた祈りだった。
「――どっかで見守っててくれよな。鬼島の旦那」
小田切ルビィ(
ja0841)は呟き西へと向かった。
陽が昇り、夜が明ける。
一日が始まる。
●
朝。
現地入り前、黄昏ひりょ(
jb3452)はまず宇治市の病室を訪れていた。
「こうして直接挨拶させて頂くのは初めてですね。俺は黄昏ひりょと申します。先の戦いはお疲れ様でした」
「有難うございます。神楽坂茜と申します。黄昏さんも先の戦ではお疲れ様でした。こんな格好で御免なさいね」
ひりょが挨拶すると、ベッドの上で上体を真っ直ぐに起こしている濡羽色の長い髪の女は、申し訳なさそうに笑って頭を下げた。患者服姿の少女は頭部や手足に幾重にも包帯を巻いていた。肩口から脇腹にかけてはザインエルの剛剣が原因だが、他はそれで昏倒した後に、空から大地に叩きつけられた際の負傷らしい。
「いえ、お怪我なさっているのですから、お気になさらず。あ、こちら、詰まらない物ですが……」
「あら、そんな、悪いですよ」
「いや、ご遠慮なさらず。よろしければ召し上がってください」
「お気を使わせてしまって申し訳ないですね。有難うございます」
「いえいえ」
なんだか学生同士の挨拶にしては随分硬いような気もするが、ジャパニーズ礼儀作法を守る者同士が病院で初対面でだとこんなものだろうか。
ちなみにひりょが生徒会長に渡した紙袋の中身はケーキである。彼女は甘い物が好きだから、きっと喜ぶだろう。
二、三、神楽坂茜と世間話をしてからひりょは席を立った。
「では俺はこの辺で」
「黄昏さんはこれから京都市の方ですか?」
「はい、中京城でゲートの見張りですね」
「現地からの報告では危険な兆候は無いとの事ですが、お気をつけて。お忙しい中有難うございました。頑張ってきてくださいね」
黒髪の娘はそう言って微笑した。
「はい、神楽坂さんは普段から激務でお疲れでしょうし、この際にしっかりご休養を取ってください。ではまた」
青年もまた笑って挨拶すると病室を出る。
取り出した懐中時計に視線を走らせてぎょっとする。十分余裕は取っていたのだが、何時の間にか時間が押して来ていた。
(急いだ方が良さそうだな)
監視班の纏め役をしている岸崎蔵人は生真面目の固まりだという。初日から遅刻していったらどやされるに違いない。
黄昏ひりょは足早に病院内から立ち去るのだった。
●
朝の蒼空に太陽が眩しく輝いている。
『オラー! 解体(バラ)せー! バラせー! ぶっ壊せー!』
京都市西要塞、朝っぱらから景気の良い怒声と共に破壊音があちらこちらから響き渡っている。
「あーあ、あの場所もな〜……綺麗な所だって聞いてたから写真撮りたかったんだけどな〜……残念……」
要塞の解体作業に従事している少年が大剣を杖に体重を預けながらボヤいた。仕事にかこつけて各地の写真を撮って回っているはぐれ悪魔ハウンド(
jb4974)である。京都は以前のまま残っている部分もあるのだが、同様に破壊されてしまっている場所も多い。狙っていた場所の幾つかは撮れたが、同時に幾つかは駄目になってしまっていたのだ。
(まぁ、この要塞の解体が終われば加速するんだろうし、復興終わったら遊びに来ようかな〜その時は何があるのか楽しみだ)
そんな事を考えていると、
「オラそこー! さぼってねーで手を動かせー!」
注意が飛んできた。ハウンドは叫びを返す。
「あいよ親方ー! じゃなくて隊長ー! あーでも、ただ、破壊するのって勿体無くないー?!」
「あぁー?! なんだぁー?!」
「ほら、天使の技術って気になるしー! ここで調べ尽くせば対抗策も見つかるかもしれないじゃん?! 利用出来る物は、安全に利用して後につなげなくちゃって思うんだけどー!」
「お前の言う事はもっともだがー! んなもん俺達が調べて解るもんなのかー?! 一応、占領した時にざっと調べたが解らなかったぜー!」
普通は、簡単には解らないように隠されているものである。素人じゃまず無理だ。ちなみに怒鳴りあってるのは周りの騒音が酷くて普通に喋ると聞き取れないからだ。
「そんなの、やってみなきゃ、解らないだろー!!」
「おうおうおうおうー! てめぇの言いたい事は良くわかったー! そんじゃ一応やってみっかー!」
隊長の秋津はそう言って周囲に作業の一時中断を命じ、解体班は急遽予定を変更して調査を開始するのだった。
●
「炊き出しとは!」
中京城の中庭、現れたジャイアントパンダがクワッと顎を開いて叫んでいた。
「ただ好き勝手に料理を行えば良いというものではない……素材の調達から各所への配達まで、すべてを抜かりなくこなす必要がある!」
演説をしているのは下妻笹緒(
ja0544)その人である。
「な、何よあんたっ?」
三角巾をしたブロンドポニテの女がお玉片手にびびっている。
「わー、パンダだー、パンダだー!」
「あれ、きぐるみだよね? どういう仕組みで細かい部分は動いているのだろう? 気になる……気になる……KAITAIしたい……」
はぐれ悪魔の童女は喜び、千年天使は好奇心を剥き出しにしている。
「……だからこそ炊き出しは奥が深く、面白いのだ」
なんだか一部不穏な発言が聞こえたような気がしたが下妻は続けた。
「つまる所?」
「うむ。多くの人に食べてもらう品である以上、あまりに突飛なものは避けるのがベター。
尚且つ、大量に作る必要があるため、ある程度誰でも作れる品が好ましい。
デリバリーしやすく、時間を置いても美味しく食べられ、作業しながらでも気軽に口に運ぶことができる……そういう物が良い」
「……まぁ一理あるわね」
下妻の言葉にパトリシアは頷く。
「だろう。となれば答えは一つ――――そう、パンダおにぎりしかない」
「なんでっ?!」
「ふむ、理由は説明した筈だが?」
「いや、オニギリは解るんだけどなんでパンダ――」
「俵型の白米を包む、海苔が描き出すアート。ジャイアントパンダを模したおにぎりで、皆の胃袋を満たし、心を癒す。これぞ至高だ! これしかない!」
わいのわいの中庭は喧騒に包まれてゆくのだった。
●
空は蒼く晴れている。
「さてェ、少しでも有意義な見回りに致しましょうかァ……ちょっと壊れてるけど京都散策開始、開始ィ」
黒百合(
ja0422)が言った。調査班は単独ないし何名かの組を作って市内の見回りに出る。
碁盤の目に並ぶ古い町並み、今は住む人は無く、所々は灰燼に帰し、音を立てる者は少ない。活動する者の少ない都市の空気は澄んでいる。
黒百合は市中のパトロールの傍ら激戦地だった場所や重要文化財の多い場所を中心に調査を行った。
幕末の某浪士組がかつて本拠地にした寺を調べている最中、黒百合はふと本調査行の相棒となった少女がぼぅっとした様子で北の方角を眺めているのに気付いた。
「気になるところでもあったァ……?」
「――いや」
大炊御門 菫(
ja0436)は振り返ると答えた。
「何でもない」
「そう……? なら良いんだけどォ……」
菫は京都市の上京区の出身だった。
故郷。
(戦い、そして取り返した)
だが、見知った場所が荒れているのは痛ましかった。
ふつふつと、様々な思い出が蘇り、少女はうなじへと手をやった。
髪は、もう無い。
家を出た時、うなじから下の髪を切り捨てたのだ。
――実家の様子は気になる。
だが、その資格は無いだろう。菫は己をそう断じた。
一つ頭を振って調査へと戻る。
私は『私』が出来る事をしよう。
只、前へ。
●
菫が黒百合と共に調査を行っているとぽつぽつと市民達と遭遇した。市外で避難生活を続けているが、奪還されたと聞いて様子を見に来たらしい。
中には子連れの家族もいて、その際には黒百合が屈み込んで菓子を渡している。
「ありがとーおねえちゃん!」
「食べたらちゃんと歯を磨くのよォ……♪」
菓子折りを抱えつつ片手をぶんぶんと振る童子に手を振り返し、頭を下げる夫婦に一礼を返して、黒百合は一家を見送っていた。
菫がその様を眺めていると、
「壊れた建物は物理的に直せばいい、だけど人間の心はそう簡単に直らないし、失ったら直せないからねェ……少しでも辛いことから気が逸れればいいのだけどォ……」
黒髪の少女は、何処か遠くの景色を眺めるように金色の瞳を細めて、そう呟くように答えた。
「……そうだな」
菫は頷く。
「うん、それじゃ、さてぇ……次にいきましょうかァ」
黒百合が伸びをしながら起き上がる。
二人は再び市内を巡るのだった。
●
中京城の中庭、金色の髪の少女が、炭火焼の台で鮭の切り身を焼きながら額に汗を浮かべている。
瓜生 璃々那(
jb7691)だ。
「長い激戦だったと聞いております、これから復興していくご助力として微力ではありますが炊き出しを頑張らせて頂きますわね」
との事で、復興の手伝いに参加したのである。京都へ旅行中にアウルが発現したらしいが、つい最近の事だったのだろうか。
「蓮、そこの大根を洗って葉を切り取っておいてくださいまし」
撃退士や自治体の職員だけが相手とはいえ、総数は三桁だ。大量に作る必要がある。忙しなく手を動かしながら少女は相棒へと告げた。
「はーい、これかな? パンダのどの部分になるの?」
黒髪の中性的な容姿の少年がダンボールから白い野菜を一本取り出し、しげしげと見ながら小首を傾げる。黒瀬 蓮(
jb7351)だ。どうやら炊き出しのメニューは下妻案が通ってパンダおにぎりになったらしい。
「それは中に詰める具ですわね。定番だけだとどうしても野菜不足になってしまうので塩茹でして焼いたシャケと混ぜようかと」
「へー」
「料理は味だけでなく栄養バランスにも気を配るべきですわ」
ブロンド娘はそう料理指導する。
「……そういうの考えるの、すごく面倒くさそうなんだけど、璃々那、良く出来るなぁ」
「やるからには徹底的に、ですわね」
瓜生璃々那はふわっと笑って言う。
とにかく面倒くさがりな性格だが、やりだしたら止まらない性格な少女だった。
「なるほどー、それじゃしっかりやっておくね」
「お願いしますわね」
黒瀬少年はよいしょっと掛け声をだしつつダンボールの箱を持ち上げて抱える。
洗い場へと向かおうとした途中、妙な鈍い音が背後から響いて咄嗟に振り向いた。
「何か今……」
「大丈夫、気のせいですわ」
にこっと笑って璃々那が答える。
「そう?」
気のせいなのに何故大丈夫と言い切れるのかが解らなかったが、まぁ大丈夫と言っているのだから大丈夫なのだろう、と楽天家な少年は判断する。まさか料理で死人がでる訳はあるまい。世にはそういう事もあるらしいが、璃々那は料理は得意らしいからその心配はないだろう。切り傷や火傷などの怪我は心配だが、そういう様子はなかった。
「それじゃ、何かあったら声かけてね」
「はい」
黒瀬はダンボール箱を抱えて洗い場へと向かうのだった。
●
新井司(
ja6034)は中京城中庭にいた。
監視場所である天守閣最上階は、左右の壁が消滅して吹き抜けており、さらに高所にあるので風通しは最高だった。つまり寒い。
黒髪の少女は炊き出し組から鍋を借りて温めた缶珈琲を抱えて上に登ってゆく。
最上階には十人弱の監視員がゲート入り口を見張っていた。
(ゲートか)
監視員の一人、黄昏ひりょは、その奥に広がる蒼い薄闇に先の戦いの事を思い出していた。
先の戦、小さいながらも部隊を率いての戦いだったが初のゲート内での戦闘だった。
(だからかな)
いざ戦闘において普段通りに体が動かない事への苛立ち、焦り、そういったものが出てしまっていたような気がする。
(精神的な面も鍛えないと駄目だな、焦りは命取りになる時もある)
そんな事を考えていると階段から黒髪の少女が最上階へとあがってきた。司だ。
「あ、これ、よかったら」
「ああ、すいません、有難うございます」
ひりょは差し出された珈琲を礼を言って受け取ると、プルタブを開けて口をつけた。暖かい珈琲が冷えた身に染みてゆく。季節は既に晩秋だ。
司はメンバーにホットコーヒーを渡して回る。
「はい、差し入れ」
「うむ、ご苦労」
風が吹きすさぶ中でも常と変わらぬ様子で堂々と立つ黄金の髪の娘――フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)――に司が缶珈琲を差し出すと、女は張り込み慣れしている壮年刑事の如く無造作に受け取り、強風に乱れる金の長髪にも頓着した様子無く、某無糖派な缶珈琲を美味そうに飲み始めた。
これも王者の風格という奴なのかしら、と司は思いつつ配り終えれば、自らもコートの襟を立てて缶珈琲を啜りつつ持ち場につく。
しかし、
(……特に何かが出てくる気配はないわね)
一向に変事は起こらなかった。起こりそうな気配すらない。概して見張りというのはそういうものだが、ついつい司は、ゲートよりも、消滅した壁の向こうから見える京都市の街並みへと目がいってしまうのだった。他の見張りの面子も大体そんな様子だ、岸崎蔵人だけは生真面目にゲート奥を睨んでいたが。
(北海道の異変から始まってだいたい一年半か)
黒髪の娘は思う。一年半をかけて戦ってきた京都という場。
封都、疾走都大路、塔の偵察とその陥落。
(思えば、あの頃から随分と遠くに来た物ね……)
吹きすさぶ寒風に薙がれる前髪を片手で抑えつつ青い瞳を細め、白い息を吐く。思いが胸をよぎる。
そんな中、
「――何を黄昏ているのだ」
不意に女騎士がやって来て言った。
「黄昏てるって程じゃないわ。ただ……その、少し、ね」
「ふむ?」
「……この一年半で、私はどれだけ強くなったのかしら……これから先も、どれだけ強くなれるのだろうって」
司はフィオナへと胸中を吐露した。
「そんなもの。どれだけ強くなれたかも、これからも強くなれるかも、答えを持っているのは自分自身だ」
対する女は即答した。相変わらず根本的に偉そうである。
周囲一同の視線が集まる中、ブロンドの娘は昂然と言い放つ。
「敢えて言うとすれば……我等はこの手でこの都の歴史を取り戻した。これは揺るがぬ事実」
フィオナは緑色の瞳で司を見据えてきた。
「――これをどう取るかは、貴様の自由だ」
「……そうね。確かに、取り戻した」
客観的に見れば、己を含め撃退士達は強くなったのだろう。
己の手の平を見る。実感は、あまり無いが。
「いずれにせよ、仮にも英雄を目指すのであれば……この程度で満足はするなよ? その程度の者を円卓十席に迎えたつもりは無いのでな」
「……それについては言われるまでも無いわね。研鑽を怠る事はないわ」
物心ついてよりずっと努力を重ねて来た。これから先もそれを止めるつもりは無い。
「ふん、なら良い」
ニヤリと笑うと騎士はまた持ち場へ戻っていった。
(…………あれ、一応心配してくれてたのかしら?)
司は新たに湧いた疑問について考えつつ、缶珈琲を啜る。
歩みを止めるつもりは無い。かつて為してきた何かが、無為だと思い知らされるのは、怖くて仕方が無いから。
●
昼時。
菫は休憩時間に中京城へと食事を受け取りに向かった。
(……今回は食べる側で良かった)
以前はまな板を爆砕したものである。
「あ、菫だっ、お疲れ様!」
中庭を進むと、シィールが出てきて少し弾んだ調子でそう言った。
「そちらもお疲れ様。今日のメニューはなんだろうか?」
「パンダだよ!」
「パン……ダ?」
少女が呆気に取られている他方、中京城の天守閣前。
「この都に人が戻る……随分と、懐かしい気がします」
見張りの休憩中、神埼 煉(
ja8082)は床机に腰を降ろし、感慨深そうにパンダ型の握飯と缶珈琲を片手にそう語った。
桝本 侑吾(
ja8758)は珍しく流暢に喋る友人の姿を、ぼんやりとした表情で眺めていた。
「俺にはよくわかんないけれど、そういうもんか」
ぐびっと缶珈琲に口をつける。苦かった。
彼は京都を巡る戦いとは関わりが薄かったので、友人達程の感慨は無い。
(それはつまり、冷たいって事なんだろうな)
男は自らをそう評した。人によっては、いやそれが普通だろう、と言うかもしれなかったが、桝本本人には己は冷たいのだ、という自覚があった。
「およそ一年と六ヶ月ですね。どうにか、取り戻せました。後は護るだけです」
神埼は嬉しそうにそう述べる。
喜んでいる友人の姿に桝本は思う、それだけの強い意思を以て進み喜べるのは良い事なんだろう、と。
ならば、自分はこれからもその手助けをする。
(俺が剣を持つ理由なんて、それだけで充分だ――それが、誰かの供養になるか迄はわかんないけどさ)
もぐりとパンダ飯を齧る。中身はマヨシャケだった。弾力のあるシャリとパリッとした海苔とがバランス良く合わさり、なかなか美味い。
「護るのは、得意だものな」
「ええ」
神埼は頷いて言った。
「封都の時、私もここに居ました……あの頃よりも、強くなったとは思います。だからこそ、次はもう奪わせはしません。悉くを護る城壁、守護者としての誇り。私の守護領域を侵す粉砕する破壊者としての矜持。その全てに賭けて」
若い男の言葉は力強かった。
「そうか。神埼君なら、やれるだろうさ」
桝本はそう言った。
「有難うございます……でもその為にも、鍛錬は続けないといけませんね。どうです、今度組み手でもしませんか?」
「組み手? 俺とか?」
「はい」
どうやら表情を見るに、相手は良い勝負になると思っているらしい。
明らかに負けるだろ、俺が、と桝本は思ったが、悪い気はしなかった。
緩く笑うと言う。
「じゃ、負けたら奢りで」
「望む所です」
男達は約束を交わすと昼食を終えてまた高所へと昇ってゆくのだった。
●
「……戻ったのな、故郷が」
年の頃十二程度の黒髪の童女が呟いた。左目を覆うように白布を巻いている。黒夜(
jb0668)だ。
少女はボロボロになった故郷の街並みを見回りつつ、未だ実感が持てなかったが、市内を歩いてゆくごとに徐々にその事実が身に染み渡ってきた。
(ホントに戻ったんだな……)
呟く。
行方不明の両親。大収容所から救出された中にもいなかった。故に再会は無かった。
その事に少女は安堵した。
「まだ生きているのなら……」
死体になっていても、二度と会いたくはない。
碁盤の目の通りを、見えざる不安を払うように童女は抜けてゆく。
かつて、死んだ双子の姉として生を送っていた。封都事件でその生から解放されるまでは。
世には家族との再会を願う者もいれば厭う者もいる。
背負う背景は、人それぞれ。
見覚えのある景色。
彼の場所は、あちらだろうか。
「……今は撃退士の黒夜だ」
思う。
今の自分は、封都が起こる前の自分ではない。
――自分の名を捨てたヤツが、行く場所じゃねー。
少女は呟き、実家へと続く道から背を向けた。
●
見回りの途中、黒百合達は書記長と長谷川に遭遇した。
軽く挨拶を交わしつつ、
「そういえばさっき、空き巣らしい男を捕まえたから親衛隊に預けておいたけど、それで良かったかしらァ……?」
邸宅の前で挙動不審な男がいたので、黒百合が注意しようと近づいたのだが、脱兎の如く逃げ出したので追いかけて捕縛したのだ。
「あぁそうか、処置はそれで構わない。秋津が上手くやる筈だ」
源九郎は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに納得したようだった。
「しかしまいったな、人間か、失念してたよ」
天魔という脅威が去り人も戻りきっていない事から、悪意ある者達が残された財産を狙って京都市に集まりつつあるようだった。
「パターンでしょう。その辺りの対策が抜けてるのは、手落ちねェ」
「歴史書を紐解くまでもなく道理だね。風紀委員会に――いや、ここは自治体かな、人員を回せないか連絡しておこう」
「一応風紀にも入れておいたらどうだ? 万一アウル覚醒者がいると厄介だ」
かくて一同は情報を交換する。喋る長谷川青年を眺めながら菫はふと思った。
(あの時シィールと出会わせたのは副会長だったか)
一年前の夏の日。はぐれ悪魔の護衛行に悪魔に怨みを持つ少年を誘った。あの時、鬼島はどうしてそんな真似をしたのかと、同行者達の多くは疑問に思ったものだった。
(思う事は在っただろう)
菫は胸中で呟く。
(今の、京都と景守の姿を見せてやりたかった。貴方のやり方は間違っていなかった、と)
「――菫、どうかしたか?」
景守が視線を向けて問いかけてきた。
「いや」
何でもない、と菫は首を振った。
●
「構造無視して無闇に破壊しちまうと、建物の破片が周囲に飛散したり予想外の方向に倒れちまったりして危険かもしれねぇし、その辺含めて改めて調査するってのは良いんじゃねーか」
要塞調査について小田切ルビィはそう言った。
「なるほど、それじゃその辺りを含めてやるか、頼むぜ」と秋津。
「はーい」ハウンドは紙に要塞の図面を引きながら返事をする。
一同が要塞の調査を進めてゆく中、
(少しだけ思ってしまうな)
龍崎海(
ja0565)は秋津等親衛隊員達を見やって胸中で呟いた。
(あの時、鬼島さんは、収容所の開放を優先するべきだったんじゃないか……? 敵も消耗していたから十分倒せただろうし。勿論、助かったのは嬉しい。でも、最初は罠にかかっても先発隊の救助より解放優先だったんだし、トリアージした自分がトリアージされなかったのはすっきりしない……!)
鬼島武の作戦から見えてくるのは、救助というのは敵を撃破し安全確保をした後に行う、そういう基本方針だ。歴戦の指揮官である鬼島は敵を前にして後退する危険を十分に知っていたのだろう。
それなのに最後の時だけ、何故。
倒せるならば、当然、倒した筈。なのに、何故。
思い当たる。
――勝ち目が、見えなかったのか。
勝てるならば、退くか討ち死にしたのは使徒達の方だった筈だ。だが米倉は最後、逆に攻勢に出ている。
鬼島も親衛隊も強かったが、竜崎達突入隊よりも総戦力が高かったかというならそうではない。基礎的な地力だけで言うなら、今の竜崎が隊員とぴったり互角。装備の強力さを考えるなら一部は既に親衛隊員達より強かった。
その三十八名を蹂躪した敵部隊に対し二十八名で勝てたかというと、米倉の雷光波に薙ぎ払われ中倉に斬られ、善戦はしても勝てるものではなかった。米倉の雷光波の後に中倉やサーバント達の突撃を受ければまず沈む。
撃破を優先しても倒せないなら負傷者を担いで逃げるしかない。鬼島は総玉砕を選ぶ指揮官ではなかった。劣勢の中、未来ある者達に後の逆襲を託した。
竜崎はその考えに思い至ると、目蓋を強く閉じた。
拳を握る。空を見上げ、息を吸って吐く。
瞳を開いた。
空は青く晴れている。
「今回で、京都が奪還できてよかった」
そう思った。
(奪還できていなければ……自責で潰れる奴もいただろう)
そう、思った。
●
「理不尽に与えられる死を、幾度となく目の当りにした」
市内。瓦礫と化した地区。
晩秋の風が撫でる残骸を眺め、銀髪の男が佇んでいた。
「それを与えるものを悪と呼ぶ事に何の間違いもねえ。だから、天魔を憎む事も出来たかも知れねえ」
赤坂白秋(
ja7030)はそう語る。
「でもな。俺は残念ながら撃退士なんだ」
破壊の蔓延した都を進みながら、
嘗ての戦場を凝視しながら、
男が辿り着いたのは南の大収容所だった。
未だ、赤黒い色を残す大地。
「人が死ねば、それは俺の責任なんだよ」
深く、深く、首を垂れた。
「勝ちました」
湧き上がる幾つかの感情が、男にその一言を絞り出させた。
「――すみません、でした」
●
南大収容所。
その男もまた、その場所を訪れていた。
眼鏡をかけデニムのジャケットにジーンズ姿の若い男だ。
若杉 英斗(
ja4230)は片膝をつくと赤い大地に指先をつけた。赤い土から顔をあげれば、塔への入り口と、その奥に広がるホールが見えた。地獄の底は今も赤く染まっている。
(あの時……鬼島さん達が加勢に来ていなければ自分はどうなっていたか……)
若杉は当事のことを振り返った。強く思い出すあの瞬間、あの時、中倉、米倉達を相手に、立っていたのは自分を含めて二名だけだった。
「俺にもっと、力があったら……」
男は淡々と呟いた。
自分一人の力であの時の戦況をどうこう出来たと思う程、自惚れてはいない。
だが。
考えずにはいられなかった。
自分にもっと力があったら、もしかしたら鬼島達を死なせずに済んだのではないかと。
より強い力か――もしくは何かの機転、それがあれば、せめて。
南収容所の敷地内は、静かだった。
晩秋の風が吹き、若杉の髪をゆらして抜けてゆく。
立ち上がった。
日本各地にはまだ天魔が支配している地域が数多くある。
天魔を倒し、そのすべてを奪還するまで自分達撃退士の戦いは終わらない。
「――見ていて下さい」
若杉は言った。
「見ていて下さい」
淡々と、そう言い残して、男はゆっくりと踵を返し、外へと向かって歩いていった。
●
解体が進められる西要塞。
「秋津さん。――アンタ、これからどうすんだ?」
昼下がりの休憩時、小田切ルビィは部隊長に問いかけた。
(恐らく、次の親衛隊長は秋津さんか岸崎さんのどちらかだ)
彼自身も含め、学園の皆はどちらが親衛隊長になっても着いて行くだろうと、ルビィは思う。
(……だからこそ。秋津さんの覚悟と考えを知りたい)
ルビィの視線を受けて、ヤカンから茶を飲んでいた秋津は軽く眉をあげた。
「そいつぁ……真面目な話か」
「偶にはそういう時もある」
ルビィはあくまで飄々とした調子だったが、常とは少し違う雰囲気でそう言った。
秋津は頭を一つ掻くと、
「知りたいのは誰がなるか、か?」
「ああ」
「どうしても秋津京也しかいねぇって事になったら腹括って俺がやるが……現状はそうじゃない。実力がある方に上にいってもらった方が良い。久遠ヶ原って名前の船は一つだけだ。全体が強くなった方が結局得だろう。船が沈めばまとめて終わりなんだ。そこを逆手に取ってくるクソヤローも世にはいるが、岸崎さんは生真面目だからそういう部分の心配についても信用できる。あとな、内ゲバだけは避けるべきだ」
「岸崎さんが?」
「本人にその気がなくとも、その周りが本人の意思を無視して暴れ出す、派閥というのはそういうものだ。あの人はぁそういうの無頓着そうだし、俺の方で抑えておいた方が良い。ついでに俺がなった場合は、源九郎と反りが合わねぇ。実行部隊の長と参謀長がそれってのは、避けられるなら避けた方が良い、例え大事前小事で本人同士がケリをつけられても、下に伝染する。正直、信頼できた上は死んじまったし、全部ぶん投げて山に籠もりたくなるんだがよ、隊の奴等や付き合いある連中の事考えるとそういう訳にもいくめぇ」
「……なるほどな」
ルビィは眉を潜めた。
人が集まれば、色々あるものらしい。
●
路上。
「リゼット、重くないか?」
遊佐 篤(
ja0628)は隣を歩くフランス生まれの少女へと声をかけた。
「大丈夫ですよ」
茶色の髪のリゼット・エトワール(
ja6638)はふんわりと微笑する。抱えているのは果物の詰まった袋だ。先の戦いで負傷した生徒会長への見舞い品であるらしい。
「ん、そうか――まぁ持つよ」
ひょいと袋を奪い取って遊佐。
「あら」
「筋力トレーニング中なんだ。普段から鍛えとかないとな」
「……有難うございます」
くすくすと微笑してリゼットは礼を言った。
青年は少し照れくさそうにしつつも片手で袋を抱え、片手でリゼットと手を繋ぎ指を絡める。少女は嬉しそうに笑った。
「……二人は、仲良し……」
同行者のエリス・シュバルツ(
jb0682)がその様を眺めてぽつりと呟いた。
「恋人同士だからな!」
遊佐はそう答える。
「……爆破、されるんですか?」
「されねぇよ!」
三人はそんなこんなをやりつつ宇治市の病院へと向かい着くと、受付で案内を受けて会長のいる病室へと向かうのだった。
●
「……まだ痛い所はありませんか?」
病室、リゼットは神楽坂茜に問いかけた。
あの時、腕の中に抱えていた少女は血塗れで、意識がなかった。酷い有様だった。
怪我の具合が気になる。
「おかげさまで、もう痛みはほとんど無いです」
黒髪の少女はにこりと笑うと深々と一礼した。
「あの時は有難うございました。皆さんには命を助けられました」
リゼットはほっとしたように微笑すると答える。
「良かったです……スパローの人達も茜さんが一命を取り留めてよかったとおっしゃっていましたよ」
「有難うございます……神楽坂がお礼を申し上げていたと、お伝えください。とてもとても感謝しています、と」
ベッドの脇の椅子に腰掛け、生徒会長とそんな会話をかわす恋人の眺めながら遊佐は内心ドキドキとしていた。
視線の先は、リゼットが左手に持っているリンゴと、そして右手に持っているナイフだ。
(……大丈夫だろうか)
いざという時は自分の手を犠牲にする所存である。
ふと茶髪の少女が振り向き、遊佐と瞳が合った。リゼットは気まずそうに俯く。
「ど、どうした?」
「……耳が……耳の部分が上手く出来ませんでした」
切り終えたリンゴを皿の上に載せながら赤面してリゼット。
「あ、あー、うん、なるほど、確かにちょっと短いけど、でもそれくらい大丈夫だよ、なぁ会長?」
「そうですね、私よりずっとお上手だと思いますよ」
他方、エリス・シュバルツは病室の入り口の扉の陰からそんな中の様子を窺っていた。
黒髪の少女の顔が向けられ、視線が合うと、
「……発見されました」
「こんにちはですエリスさん」
にこと笑って神楽坂茜は言った。
「お久しぶり……? 喫茶店で……少し……お話して……以来……?」
エリスは病室に入りつつ問いかける。
「ですね、ご無沙汰しております」
「今日は、お姉様の……お願いで……お見舞い代理……? これ……お土産……で、こっちが……預かってるお手紙……」
「まあまあ、お世話かけてしまって、すいません、有難うございます」
女は菓子折りと某青い飲み物が入っている袋を受け取ると、次いで手紙を両手で受け取って開いた。
神楽坂茜は手紙に目を通し始めると黒瞳を柔らかく細め、やがて、くすっと笑った。
エリスの手を取って言う。
「……有難うございます、お姉さんによろしくお伝えしてください。癒されましたと、お待ちしておりますと」
「……わかりました……でも今日、ちょっと残念……本当なら持ってきたのに……お姉様……七色フォンダン……綺麗なのに……駄目って……」
しゅんとしてエリス。
会長は笑顔のままで固まった。
「七色フォンダンて?」
その様子を訝しんだのか遊佐が問う。
「とっても綺麗なお菓子……私が作ってるんです……」
「まあ、エリスさんお菓子作られてるんですね」とリゼット。
「興味……ありますか?」
「はい、エリスさんの手作りお菓子、今度食べてみたいです」
茶色の髪の少女は笑顔で述べ、可憐な銀髪少女は嬉しそうににぱーと笑うと、
「今度……作って……おきます……」
こくりと頷いてそう言ったのだった。
なおリゼットは帰り際、何処か心苦しそうな神楽坂茜から密かに、健康に自信がない場合は食べるのは避けておいた方が良い、との旨の言葉を貰った事を追記しておく。
●
日も大分傾いて、風が冷たさを増す頃、月詠 神削(
ja5265)は中京城の天守閣最上階に立ち、ゲート入り口を眺めつつ物思いに耽っていた。
思い出すのは赤髪の使徒・中倉洋介の事だった。
神器争奪戦でソウルイーターを叩き込んだ時。
南大収容所での完敗。
そして、北大収容所での最後の激突――
(……奴の首には、結局届かなかったなぁ……)
そんな言葉が、胸を掠める。
周りには、馬鹿だの無茶だの言われたけれども、
「それでも俺は、本当は一人で中倉に勝ちたかった」
呟きが、洩れた。
思うのだ。
(だってさ。 あいつ、正義だの大層に語ってたけど、少しのことですぐ熱くなって、冷静さを忘れて――)
何処から見ても、俺たちと同じ人間そのものだったじゃないか。
(だから同じ人間として、一対一の対等な条件で戦って、勝ちたかった)
思う。
(その人としての意地を貫けなかったんだよなぁ、俺は)
ゲートを眺める、冷たい晩秋の風に吹かれながら。
太陽は既に中天を通り過ぎ、西の空へと、落ちゆこうとしていた。
●
紅蓮の天球が西の地平の彼方へと沈みゆこうとしている。
赤く染まった空を久原 梓(
jb6465)は小さな翼を広げて飛行していた。
青い髪を吹く寒風に流しつつ地上を見下ろす。
暮れなずむ京都の街並みは、点々と破壊された箇所が目につく。地上では未だ調査活動している者達――ハウンドや機嶋 結(
ja0725)等が建物を撮影している(前者は趣味で後者は提出の資料用である)――の姿も見えた。女天使もまた倒壊した建物の前へと降り立つと紙が挟まれたボードを取り出し書き付けてゆく。メモを取り終えると再び空へと上がった。
「米倉か……」
唇からふとした呟きが洩れた。
思う。
(人でありながら寝返り、あまつさえ人類の心胆を寒からしめた男)
久原は南大収容所で一度対峙し、そしてその後のリベンジでやっと討ち取れた男だった。
作戦の成否を分けたものは何だったのだろう。単純に作戦の規模、兵力差だけでは無いだろう、と女は思う。
原因と結果、その分析に対する答えは人それぞれだ。
「小隊とその連携、かしらね。1足す1が2以上になるわね……月並みだけど」
久原梓はそう結論を出した。三人が一人でばらばらに戦うよりも三人が連携して一単位として戦った方が大体は強い。厳密に言うなら、彼我の作戦、地形、機動力、射程、火力、特殊能力、等々そういった物を考える必要はある。重装長槍密集陣の中で一人だけ軽装でダガー振ってても意味がないので、そういう時は一人で遊撃してた方がむしろ良い。
「ま、でも上手く使えるならやっぱ小隊よね。私も立ち上げよう。アイツに相談ね」
気持ちを切り替え、天使は夕焼けの空を飛ぶのだった。
●
鬼無里 鴉鳥(
ja7179)はゲートの見張り任務を終えるとその足で宇治市の病院へと向かった。この三日間、その繰り返しだった。
茜への見舞いは、他に見舞い客のいないだろう時間帯を見計らって訪うていた。
(『見舞客の内の一人』なんて体裁など御免だ)
そう思っての行動だった。例え茜が鴉鳥に対してそう思わなくとも。
(私が嫌なのだ)
少女の脳裏を言葉がかすめる。
(……浅ましい見栄なのかな、これは)
そんな思いを抱きつつノックしその返事を受けて病室に入れば――多分、鴉鳥のそんな思いなど想像すらしてなさそうな、実に嬉しそうな笑顔を黒髪の少女は向けて来た。
「お疲れ様です呉葉ちゃん、今日はどうでした?」
日暮れ、窓辺から夕陽差し、ベッドの上で身を起こした少女の顔に陰影を作っていた。
「ん、今日も何事も無かったよ。京ゲートの残骸は大人しいものだな」
「良かったです。このまま何も問題が起こらないと良いのですけども……」
「まぁ万一に備えて皆が監視している、心配はいらぬさ」
挨拶代わりに状況の報告をしつつ、銀髪の少女は椅子に座ると抱えてきた見舞い品を取り出す。
「今日は、ちと時期がはずれるが、実家で取れた桃を持ってきた。市販のそれより甘くてな」
「おぉ、桃ですか、ピーチですか! 桃美味しいですよね。高級品ですよね。桃缶とか小さい頃から大好きです」
キラキラと目を輝かせて茜が言った。相変わらず根が庶民派であるらしい。
「……缶詰の物と一緒にされるのも困るのぅ、刮目して食べると良いのだ」
旧家の当主の少女が手ずから桃を剥いてやると黒髪の少女は実に幸せそうな顔で舌鼓を打って悶えていた。やはり生の桃は桃缶とは一味も二味も違うらしい、当たり前である。生の桃は当り外れがあるが、産地直送な実家の桃は美味だった。
「学園では文化祭が盛況なようだよ」
「開会まで最後の仕上げ、という所で私はこの様ですけども、今年も無事に開けて良かったのですよ」
何処かほっとしたように茜は言った。
取り留めの無い話を続け、やがてそれも尽きる。
「……秋も終わりだなぁ」
「そうですねぇ」
桃を食べつつ、窓の彼方に見える山の紅葉を眺めながらそんな呟きを洩らす。
夕陽がゆっくりと落ちていった。
●
夜。
機嶋結は神楽坂茜の見舞いに果物の詰め合わせを持ち込んでやってきていた。
「会長は……料理の腕、お上手になりました?」
銀髪の童女は林檎の皮をしゃりしゃりと剥くと手ごろなサイズに切り、皿に載せて黒髪の少女へと差し出す。
「おかげ様でカレーはもうバッチリです。あ、後トリュフを作れるようになりましたよ」
「それは……凄い、格段の進歩ですね……努力は報われる……」
過去の惨状を知る者としては驚きである。
ベッドの脇の椅子に腰掛けて談笑(淡々と)しつつ、会長と共に爪楊枝を使って林檎を食べる。甘酸っぱくてなかなか美味だ。
「結さんは最近の調子はどうですか?」
「私ですか……」
童女はちょっと考える。依頼関係は京都以外は神戸と四国、そんな所だったろうか。あちらでの戦いも激しい。
辺り障りの無い範囲で近状を伝える。話が一段落すると、
「怪我の具合は……どれ位で完治するのですか?」
結は尋ねた。手足や胴など包帯が幾重にも巻かれてる様が窺えたが、本人は思ったより元気そうだ。しかし、見た目では解らない事も多い。
心配だった。
黒髪の娘は機嶋に柔らかく微笑を向けて、
「大丈夫、心配いりませんよ。今月の下旬には退院できます」
少しほっとした。
「……そうですか。無理しないで、ゆっくりして下さいね……休むのも仕事の内」
機嶋は言った。
「貴女が生きていて……よかった」
すると、
「……うっ」
不意に茜は黒瞳を潤ませ、目元を押さえて俯いた。
やや経って問いかける。
「…………何故、泣いているのですか?」
女は涙声で答えた。
「人情が目に染みました」
「……何故、私の頭を撫でているのですか?」
「良い子だからです。おねーさんの癒しだからです」
「はぁ」
頭を撫でられつつ、なんか色々溜まってたのだろう、と機嶋は思った。
思う。
亡くなった人は戻らない。
生き残った人は、彼らに報う為に頑張る――そうは聞くが、立ち直る迄目一杯悲しんだほうが、いい。
(逝った人にとっても……ご自身にとっても)
自分が、そうだったから。
「……泣きたい時は、泣くのが良いですよ」
そう、目を細めて言った。
●
鳳 静矢(
ja3856)は人手が少ない場所を重点的に見回り、主に住居の状態を調査していた。
曰く、
「天魔の脅威が無くなれば、すぐにでも戻りたい人も居るだろうしな」
との事で、すぐにでも人が住めそうな住居の戸数を調べていた。
三日間をかけて精力的に出来る限りの範囲を調査し、被害が酷い地域や水害などの自然災害が起きそうな地域もまたチェックしていた。
「天魔がこういう点に気を配るとも思えないしな……今後の為にも必要だろう」
紫髪の男は河川のほとりに立つとそう言った。
鳳の予想通り、天魔は治水等には気を配っていなかったようで、河川の堤はこの一年半で破損が激しくなっている箇所が多々あった。場合によっては甚大な被害が発生する為、至急の修復が必要だろう。
最終日の調査を終えると男は各調査結果を大塔寺へと提出した。黒百合もまた被害情報の詳細、市民の要望や意見なども含めてまとめ、急務の内容をピックアップし、資料を添付して優先度順に報告書を作成して提出しに来ていた。
「何かの役に立てば幸いです」
「有難うございます。助かりますよ」
書記長は早速資料へと目を通しつつそう答える。
鳳はしばしの間の後に言った。
「……これから、生き残った私達は、更に勝ち続けなければならないのでしょうね。命を掛けて散った人達の為にも」
「それは――」
源九郎は鳳へと視線を移すと言った。
「そういう意味じゃないのかもしれませんが念の為、その考え方はちょっと危険だと思いますよ」
「危険、ですか」
「故人の志を抱いて戦うのはぼかぁ良いと思います。でも、死人に強制される謂れはない。そいつは呪いと言うんだ。死者の念に憑き動かされるようになったら、それはもう『亡霊(ファントム)』でしかない。だから『故人の為にやる』は良いけど、『故人の為にやらなければならない』は違うと思います。貴方の人生は貴方の物だ。ぼくらぁ戦人です。死人の念に強制されてたら明日だって歩けやしない。倒れた奴は捨ててゆけ、それが鉄則です。少なくとも、それを承知してない奴は親衛隊にはいない。承知しない奴はだいたい発狂してくたばりますから。僕は言うし彼等もきっと言う、仲間の足手まといになるのは御免だと」
源九郎は言った。
「それでも、死んでいった連中の事を時々偲んでやってくれるなら嬉しくは思います。しかし、自分自身の思いの為に戦うべきだ、と僕なら言います。神楽坂の会長や長谷川あたりなら、あるいは違う答えを言ったかもしれませんが」
●
黒夜は期間を終え、帰る前に最後、崩壊中のゲートへと立ち寄った。
蒼く暗い次元の彼方の異空間。
己が撃退士としての道を歩むきっかけになった天使、使徒――そして従兄に対して、
「…ありがとう。……さよなら」
童女はそう告げて、背を向け立ち去る。夕陽の赤い光の中へと、黒夜は消えていった。
●
「にゃははは。調べ終えたし思いっきり破壊するよ〜!」
ハウンドが笑いながら大剣で連打してドカドカと壁を破砕している。
「……がりがりどーん」
他方、エリスは新しい子ことティアマットを使役して壁を崩し中だ。
西要塞では調査の結果、やはり良く解らなかったので、怪しそうな紋様があった部分などは片っ端から切り取ってダンプに乗せて研究所へと送っておいた。作業の遅れを取り戻すべく現在絶賛残業中である。
「これを武器に加工すれば、撃退士じゃなくても天魔を傷つけられるのかな?」
「どうですかねぇ、ネフィリム鋼とはまた別の物みたいですし」
「専門家じゃなけりゃわからねーな、やっぱ」
解体の傍ら、竜崎、若杉、ルビィが首を捻っている。
そんな調子でやりつつ、やがて陽もすっかり落ちた頃に、各員の奮闘で西要塞の解体作業は無事完了したのだった。
●
最終日、夕方。
作業終了後、赤坂白秋は解体作業が進められる宇治川本陣の隅にこっそりと忍び込んでとある作業していた。
スコップを土の地面に入れて掘り返し、調達した小さな苗木を植える。
「……こんなもんで良いのかね?」
植え終えた苗木を見やって赤坂は息を吐く。木には植え方というのがあるが、まぁこんな所だろうか。
己の護るべき象徴として、新しい時間を刻むものとして、この苗木を植えたのだった。
時が経てば、やがて大きな樹へと育つだろうか。
そんな物思いに耽っていると、
「――ナニモンかと思ったらGNの大将やんか。あんたこないな所で何やってんねん」
不意に背後から声がかけられた。赤坂が振り向くと、そこには赤毛の少女が銃を手に立っていた。
「面に覚えなかったらあんたのドタマ御休みさせる所やったで」
物騒な女である。
「……あんた、確か執行部の?」
「そうや。それは?」
大鳥南は苗木へと視線をやる。
「別に、危険があるもんじゃねぇよ、ただの樹だ」
「何、陣内に勝手に埋めてんねん」
「ぐっ、うるせー、ケチケチすんなよそれくらい」
「アホンダラ、陣の解体工事やってる所にそないなもん無断で埋められても更地にする時にまとめて掘り返されるわ」
赤坂は半眼で言う大鳥南の言葉に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。世知辛い世の中である。
「ほれ」
「……なんだこれ?」
現在の京都本陣の総責任者は真っ白な紙とボールペンを赤坂へと押し付けてきた。
「本陣への要望書。『樹、植えたいんですけど』って書いて受付に提出しとき。ほな、アタシは仕事あるんで戻るわ」
女は言うと、建物の方へと歩いてゆき、大きく跳躍して二階の窓から中へと戻っていった。音が鳴ってガラス戸が閉まる。
「……浪漫の欠片もねぇ」
赤坂は嘆息するとガリガリと頭を一つ掻いた。
――象徴として植えられた苗木だったが、まずその未来を守る為には、本部に書類を提出して許可を取るという地味で面倒な戦いが必要なようだった。
一つの大きな戦いが終わり、それぞれはまたそれぞれの進む方向へと歩き出す。
遠い彼方からずっと繰り返されてきて、しかし二度と同じ事はないもの。
それをして人は時と言い、歴史と呼んだ。
二〇一三年十月、京都は一つの時代が終わり、また次の時代へと進んでゆくのだった。
了