●ランチの時の久遠ヶ原
『スタジョーネ』の内装は、客も含め、普段とだいぶ異なっていた。
クロスが垂らされたテーブルが2つ、離されて設置されている。
設えられた椅子は一脚ずつ。両方の席には、既に『選手』がついていた。
1人は、全身で胃袋の大容量を表現しているような大巨漢。
もう1人は、リボン無しの学園制服に黒のスラックスを穿いた、中性的な装いの生徒だ。
「オッホッホッ‥‥! これはまた、随分ちぃちゃなコを選んだのですネエ」
貪食伯爵が、椅子の上から生徒を眺めまわした。
生徒は何も答えない。
ぴくりと眉を顰めた伯爵に、二人居る給仕の内、頬の赤い少年が口を開く。
「申し訳ありません伯爵様。こちらの方は風邪で喉をやられておりまして、口を利くことが出来ないのです」
「ホゥ。そんな体調でワタクシを倒そうだなんて、とんだお笑い草ですネ」
両者準備が完了する。
秒針の音が響く。
1対1の真剣勝負が、今、始まる。
――と、思うじゃん?!
ところがどっこい、今回は8対1だった。
(フェアではありませんが、これもお仕事です)
変装したヴィーヴィル V アイゼンブルク(
ja1097)が、椅子の上から伯爵を見据える。
(この勝負、負けられません)
カウンター裏に屈んだ物見 岳士(
ja0823)が選手交代の機を窺う。
(あの問題集があれば、寮の皆が助かるの!)
テーブルの下に潜んだあまね(
ja1985)が大義に燃える。
(準便は万端や。皆、がんばってや!)
給仕班の亀山 淳紅(
ja2261)が生徒達にウインクする。
(伯爵、なんでそんなに大食いにこだわるんだろ‥‥?)
厨房の艾原 小夜(
ja8944)が首を傾げつつ『策』を進める。
(ふふ、なんだか悪戯をするみたいで‥‥)
黒髪制服に変装したギルバート・ローウェル(
ja9012)が楽しむ。
(何が何でも成功させよう)
机下に体を押し込んだコンチェ (
ja9628)が、過去問題集が欲しいと本音を漏らす。
(うぐぅ、お腹が空いても我慢です‥‥!)
朝食を抜いた逆城 鈴音(
ja9725)が、コンチェの隣で空腹に耐える。
ヴィーヴィルが姿勢を整える。
(食事は人類の偉大な文化。質より量を優先し、味を蔑ろにするなど、貴族の風上にもおけません)
容赦はしない。全力で――。
(この私が直々に成敗しましょう!)
8対1の総力戦が、今、始まった。
●前菜
「最初の品は、鰹と鯵のタルタルです!」
ギルバートと小夜が料理を運び、淳紅が元気にメニューの説明をする。
「当店オリジナルの工夫でワカメと蒟蒻を加え、独特な風味と歯ごたえを出しています。オリーブとレモンで香りも良く、サラダ感覚でも頂けるオシャレさが‥‥」
なんて上手く舌を回すが、この料理の正体は『時限爆弾』。
水分を摂ったが最後、腹の中で食材が膨張して満腹に至ること間違いなしだ。
(感謝やでっ。アビーさん!)
さて、尋常でない料理の量。
伯爵はスプーンですくっては口に放り、ろくに噛みもせずスープのように呑んでいく。
対するヴィーヴィルも速度では負けないが、あくまで上品に口に料理を運んだ。
ほぼ同時。一品目の料理を完食する。
「ホゥ?」
唇を舐める伯爵が、好敵手を気に入ったように目を細めた。
ナフキンを口元にあてながら、ヴィーヴィルも不敵に微笑んでみせる。
(‥‥節度を越えて飲み食いし、あまつさえ料理人を侮辱するとは言語道断。天が許そうとも私が許しません!)
滅びなさい、似非貴族‥‥!
●机下1
国境の厚いクロスを潜ると、お食事会場であった。
広めの食卓ではあるが、小夜・コンチェ・鈴音・あまねが入るとさすがに狭い。
ヴィーヴィルの脚に密着するような体勢で、鈴音とあまねが小皿を抱える。
(これ、本当にうめーですね!)
(ごちそうさまなのー!)
二枚重ねにして遮音性を高めたテーブルクロスの中で、少女達がはしゃぐ。
(あれ? コンチェさんは食べないんですか?)
(む‥‥俺は後ほど出番があるからな)
小夜に答えつつ、コンチェの動作はぎこちない。
女性に免疫が無い彼に、誰かしらの少女に密着しなくてはならないこの空間はなかなか辛い。
大柄な体を隅に縮め、こそこそとテーブルマナーのイメトレをする元修行僧だった。
●一皿目
20分に渡る高速の前菜ラッシュを耐えきったヴィーヴィルは、善戦したと云えよう。
前菜6品目。
焼肉パーティが出来る量の『牛肉のカルパッチョ』を平らげたところで、彼女は顔が真っ白&若干の涙目になっていた。
「ときに伯爵様‥‥! 食材にはこだわりになられる方でしょうか!?」
あかんっ、と状況を察した淳紅が伯爵の注意を引く。
その瞬間にギルバートが机により、少女の姿を遮る。
「食材には興味ありまセン。大事なのは『量』ですヨ」
伯爵が答えた瞬間。
ヴィーヴィルが椅子から滑るように机下に消え、
カウンター裏から跳んだ岳士が、音も無く椅子に腰を下ろした。
「‥‥ン?」
伯爵が、くるりと首を回す。
そこに居るのは数秒前と変わらぬ姿の対戦相手。
に、見える。
‥‥見えるよな?
「次の料理はSpaghetti alla puttanescaで御座います」
何事も無かったかのようにギルバートが流暢に発音し、パセリの乗ったパスタを運んだ。
勝負の再会に、伯爵は夢中でフォークを回しだす。
ほっと息をつく岳士。
眼前のパスタの山を見て、雰囲気を切り替える。
(日々3000KCalの食事の他に間食と夜食に手を出し、さらに摂った分をペイし続けてきた‥‥育ち盛りの胃腸を御披露しましょう!)
体育会系の豪快さで岳士はパスタを口に詰める。
水はガン無視。炭水化物を食らう戦いなら定石だ。
一方の伯爵はグラスを干し、何度目かのおかわりを淳紅に頼む――。
●机下2
試合の初め、小夜が伯爵のグラスに注いだのは『炭酸水』だった。
満腹を生む策は効いているが、小夜はどこか、すっきりしない。
――大事なのは、『量』ですヨ――
(美味しく食べてこそのご飯だと思うけどなー‥‥)
味は崩さぬようにと回した工夫。
炭酸水がイタリアンに合うのは事実で。
その配慮をないがしろにされてしまうのは少し、寂しくもあった。
(こ、これ、辛いじゃねーですか‥‥)
パスタを食べつつ、鈴音は汗を拭った。
持参した麦茶で流し込む。
狭い空間。持ち込めたボトルは一本だが、喉を潤すには十分である。
問題ない。
ただ、先程大量に蒟蒻を食べてしまったこと以外は。
あまねは、一口ごとに目を細め輝かせ、試合そっちのけで料理を楽しんでいた。
その尋常ならざる「美味しそうさ」に、食の称号を持つコンチェは気が気でない。
(ん、これもおいしいのー!)
頬張るあまねに、彼はついに。
(‥‥俺にも一口、味を見させ)
(やなの)
(‥‥‥‥‥‥)
踏んだり蹴ったりであった。
●二皿目
(‥‥物見先輩、表情ひとつ変えへんなぁ)
見守る淳紅が感心する。
量的にはそろそろヴィーヴィルが倒れた辺りなのだが、岳士は未だ平然としていた。
が。
淳紅が次の料理を運んで近づいた時だ。
穏やかな表情の岳士が、淳紅にしか聞こえない声量で言う。
「‥‥やっぱり、食前に運動、しておけば‥‥」
そのままガシャンと、前のめりにぶっ倒れた。
(先輩ーっ!?)
余裕はポーカーフェイスのおかげかよ!
どうしよこれ!?
焦る淳紅。咄嗟に腕を動かす。
「‥‥ン?」
伯爵が、くるりと首を回す。
そこに居るのは数秒前と変わらぬ姿の対戦相手だった。
ギリギリで入れ替わったコンチェが背筋を伸ばす。
凝視する伯爵。
されど追及はされなかった。
安堵するコンチェ。
卓の陰で、あまねによって机下に引っ張られる岳士。
(さて‥‥)
古代ローマ風に焼いた豚肉の料理を前に、コンチェが合掌する。
(やはり、行儀の悪い食堂破りには、きついお灸をすえねばなるまい)
いただきますとフォークとナイフを取り、そして、二秒後。
(やはりいまいち、使い方が分からん――ッ!)
山育ちな彼は、ナイフやフォークなんて使ったことが無かった。
事前にアビーから教授を受けはしたのだ。しかし彼が発した極意は、
「イタリアンはわいわい楽しくが本当なのよ。あまり気にしないで、切って食べちゃってっ♪」
すごく感覚的だった。
(‥‥やむを得ん‥‥!)
効率重視。ようは切って、食えば良いのだろう。
切る為には支えが要る。
刺し易い形のフォークを肉の端に立てる。
柔らかそうな所をナイフで切る。
フォークを浮かせたら、肉が刺さったままになった。
食った。
美味い。
‥‥‥‥。
(‥‥大体‥‥正しいのではないか‥‥?)
食事の作法って、実はそんなものなのかも。
●机下3
鈴音は歪んだ笑いを浮かべつつ、ぎぎぎ、と白目で耐えていた。
マンナン恐るべし。
(逆城さん、顔がおもしろくなってるの‥‥)
(ま、まだ終わらねーんですか‥‥)
限界を迎えた二人。
そこへ、スッとテーブルクロスの向こうから、紙が差し込まれる。
『食材が無い』
●デザート
(さて、と)
無事に交代を済ませ、ギルバートは椅子についた。
この数分、彼らは大きく配置を変えた。
あまねと鈴音が持参した「床と同色の布」を被り、机下から這い出た小夜・あまね・岳士が、満身創痍ながらも買い出しに向かった。
食材は小夜がアビーに聞いてノートにまとめていたし、クーラーボックスを備えた自転車まで用意していたので問題は皆無。
出発前の彼らに手伝ってもらい、手薄になった机下に淳紅が、戦い抜いたコンチェを引いて潜り、給仕には代わりにヴィーヴィルがついて。
胃袋が無傷だったギルバートが、買い出しを辞して臨戦した。
「牛乳のグラニュータで御座います」
ヴィーヴィルが、銀髪を背中に流した格好で説明する。
「冷凍庫にて一晩寝かせ、バジルの香りを移した冷たいドルチェです。滑らかな口溶けを楽しんで頂くためには、フォークでよくかき混ぜて‥‥」
と、解説を無視してかきこむ伯爵。
ギルバートはそれを見て、やれやれとスプーンを振った。
一〜七品目、完食。
ヴィーヴィルが唖然とする。
十二品目、完食。
あまりにペースが速い。
十五品目、完食。
伯爵が、やや遅れているようにも見える‥‥!
(これなら‥‥勝てるかもしれません‥‥!)
ヴィーヴィルの瞳に希望が輝き始める。
試合の終わりは、もうすぐかも‥‥!
●机下4
(‥‥あかん)
(‥‥やべーです)
(‥‥まずいな)
淳紅、鈴音、コンチェが暗がりで向かい合っていた。
残暑厳しい夏の真昼。
二重にされた分厚いテーブルクロス内は、ほぼ密閉状態。
そんな場所に常に大人数で溜まり、作り立ての料理を持ち込み続けた。
その結果。
(((‥‥あっついッ‥‥!)))
机下の温度は、30度近くに達していた。
(ちょ、ちょっと涼しいところへ‥‥)
バッ、とテーブルクロスを開き鈴音が飛び出そうとする。が、
(ダメやっ)
(!?)
足首を淳紅に掴まれた。
両腕を放り出して転倒。額を床に打ちつけ、そのままズリリッと机下に引きづり込まれる。
(ななっ、何をするんですかっ!)
(今はまだ試合中やっ。策も無しにテーブルの下から現れれば、さすがの伯爵でも気がつく!)
(じゃあっ私の布を使えばいーんですよ! あれでカモフラージュして忍び出ればノープロ‥‥)
はっと気づき、鈴音が青ざめる。
――そうだ。
あの布は、さっき買い出し班に貸しちゃった‥‥。
(脱出する方法は一つだな)
うぷっと片手で口元を押さえつつも、コンチェが言う。
(ギルバートの完食を待つのだ。料理が無くなれば、ヴィーヴィルが料理を運んでくる。彼女の陰に隠れながら、順番に此処を出る‥‥!)
ギルバートと交代することでも外には出れるが、胃袋的に前線に立てるのは淳紅だけだ。
(もう少しの辛抱だ。今はギルバートを信じよう‥‥!)
コンチェが言う。
その直後。
スッと、ギルバートの指が、机下に伝言用紙を差し出してきた。
『そろそろ つらい』
(((ダメっぽい――っ!!?)))
三人揃って、声も無く絶叫した。
●
無類の甘味好きなギルバートが、ドルチェで躓いたのは一体何故か。
原因は、彼の前に出ている『偽カンパリ風味のマチェドニア』だ。
苦い酒の味を再現したシロップに漬けた果物料理で、端的に言えば『甘くないやつ』である。
こうなると、甘味は品ごとに別腹な彼もお手上げで。
万事休すか。そう思われた、時だった。
「お待たせ致しましたーっ」
厨房から、小夜が、あまねが、岳士が現れる。
「当店オリジナル、ドルチェ用の追加トッピングなのー!」
あまねがカップを手に伯爵席に近づく。
同時にギルバートに近づいた岳士が、
(頼まれたもの、買ってきましたよ)
と、耳打ちした。
机の上に置かれたモノ。
それは――、
大量の納豆。
伯爵含め、全員、ぽかんである。
お構いなしにギルバートは、ニコニコとそれを――
甘味の上に、ぶっかけた。
戦慄する全員。
躊躇いなくフォークでそれを取り、持ち上げる彼。
‥‥え、マジで? 本気でソレ食べるの?
口へ運ぶ。
――ちょ! ちょっと待ッ! この依頼は危険フラグなんてついてな‥‥
ぱくり。
全員が悲鳴を呑み込む中、ギルバートだけが幸せそうに、ネバ爽やかなドルチェ(改)を咀嚼した。
ひょいひょいひょい、と食べていく。
それはもう、椀子蕎麦の勢いで。
●
前ぶれは無かった。
座る位置をずらすような自然な動作で、貪食伯爵が椅子から転落したのだ。
机上にたっぷり余ったパンナコッタは伯爵の胃袋現状を雄弁に語っていて。
それはつまり、長い戦いの終戦の合図であった。
「勝っ‥‥た‥‥?」
小夜が声を洩らす。それが、きっかけだった。
歓声があがる。
厨房から現れたアビーは額を拭って笑み、電光石火でテーブルの下から駆け出た鈴音は、一目散にトイレに飛び込んだ。
伯爵は仰向けに倒れている。
ぼやけた視界のなかに、少年が現れる。
「なんちゅうか、自分もいっぱい食べるの好きなんやけどな‥‥」
少年は、意を決したように言う。
「歳とって食を楽しみたくなったとき、身体のせいで食べれない、なーんてざらなこと! どうせなら今のうち、いっぱい味わって美味しく食べたほうがお得やでっ! です!」
伯爵が少年に渡されたのは、眼鏡だった。
何を考えるでもなく、それをかける。
鮮明に見えた少年は頬が赤くて、にっと歯を見せて笑っていた。
「‥‥なかなか良い声のコだとは思っていましたが‥‥ナルホド、良い表情をしますネ」
伯爵が目を細める。
「ただ、少し痩せている。ゴ飯、しっかり食べてまス?」
基準がおかしい気もしたが、確かに淳紅は今回、あまり食べれていない。
「よっし! アビーさんっメニューに書いてあるパスタ全部くださいっ♪」
淳紅の宣言に、全員が呆れる。
食に始まり食に終わった本日は、やっぱり食で続くのだった。
〈了〉