●木漏れ日の狩場
小鳥が鳴く。そよ風が木葉を撫でていく。
平和を歌うような初夏の森を、二人の少女が歩いていた。光纏も阻霊符の発動もなく、ただの少女に扮した二人。
依頼のために囮を買った六道 鈴音(
ja4192)が立ち止る。目の前に転がるのは、真っ赤なリンゴ。
「まさか、狩人のつもりがいつの間にか獲物になるとは思ってないだろうな」
茂みの陰からその様子を窺いながら、向坂 玲治(
ja6214)が囁いた。脇に並ぶ谷屋 逸治(
ja0330)は携帯に目を落とす。電波の棒は一本だけ。携帯が使えなくなっても作戦を果たせるよう、彼は味方に地図を配る。
「‥‥動くみたいですよ」
御堂・玲獅(
ja0388)の声に、撃退士たちが視線を上げる。囮役の二人がリンゴに手を伸ばすと、するり、と地面から黄色い脚が生えてきた。まだら模様の生きた檻が、二人の少女を閉じ込める。
そして何処からともなく、蜘蛛男が現れた。
浮上した二匹の罠蜘蛛に近寄り、捕らわれの獲物を舐めるように観察する。キョロリキョロリと動く眼球に、マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は怯えたように目を逸らした。麦藁帽子に隠れる顔は、少し気丈そうな、それでも普通の少女のもの。
おぞましい。そう感じたのは本心だった。汚らわしくて。厭わしくて。
そのまま見ていれば、この場で殺してしまいそうで。
蜘蛛達が仲間を運びだすのを視認し、玲治が立ち上がった。
「よし、追いかけるぜ。鬼が出るか蛇が出るか……確実に出るのは蜘蛛だけだがな」
同時に動く翡翠 龍斗(
ja7594)。ふと、あることを気にした。
(接近してきた蜘蛛男は一匹だけだった。ならば‥‥)
もう一匹は、いったい何処にいる?
太陽が高い、ある日の午後。
狩人蠢く真昼の森で、馬鹿を見たものから死んでいく。
これは、狩人を狩る話。
●獲物の声
(然しその場で捕食するでもなし、何処へ連れて行くつもりなのでしょう‥‥)
罠蜘蛛の背に運ばれながら、マキナは静かに考えた。傷つけることを恐れるかのように獲物を運ぶ蜘蛛達の挙動には、どうも違和感を覚えざるを得ない。
一方、別の蜘蛛の上では、鈴音がすっと深呼吸をする。
(お母さんとみきちゃんは必ず助け出す! そのためには……)
後方。携帯を使うことを諦めた追走班は蜘蛛達に悟られぬよう、慎重に後をつけていた。
(蜘蛛か‥‥囚われた二人が心配だな。一刻も早く救助出来れば良いのだが‥‥)
逸治が地図と双眼鏡によって鈴音達を観察し、木の陰に見失った際は、玲獅が感覚を研ぎ澄まして場所を特定する。酒々井 時人(
ja0501)は蛍光塗料を水に溶かした道具を持参していたが、敵に気付かれるリスクを鑑みて鈴音達に渡すことは留めた。場合によっては時人も生命探知の力を使えるし、結果的に、次に道中で起こったある出来事によって、尾行は完璧なものとなった。
「うぅー‥‥! 誰か助けてぇーーっ!!!」
突如、前方の蜘蛛達の方向から泣き叫ぶ声がしだした。
思わずびくりと体を強張らせた撃退士達だったが、すぐにそれが、騒ぐ獲物を気にしない蜘蛛男の習性を利用した鈴音の演技であると気が付く。
追走班が笑みを交換する。声を頼りに進んでいけば、もはや目を瞑っていても見失うことはないのだ。
●貪食の巣
岩壁の肌にぽっかりと開いた、大きな洞窟が見えてきた。マキナ達を捕えた蜘蛛達が向かっていくのを見ると、どうやらあれが彼らの巣穴らしい。
時人が精神を集中する。巣穴の中――入ってすぐの所に人間二人の気配を、そしてそれを捕える罠蜘蛛と蜘蛛男の気配を感じ取った。彼はそれを仲間に伝達する。
「このままディアボロが巣穴に入ると、親子に危害が及ぶかもしれない。その前に攻撃を仕掛けた方が良さそうだね。向坂さん、行けるかい?」
「おうよ。それじゃあ、一丁行くか!」
追走班が一斉に行動を開始する。玲治が木々がひらけた広場に飛び出し、蜘蛛達の前に躍り出た。蜘蛛男が即座に反応する。
「こっからは通行禁止だ。足踏み願いますってな!」
タウントを纏った状態で、ぶんっと大きくハンマーを振りかぶる。突進してきた蜘蛛男めがけ、玲治は槌を思い切り振り下ろした。左腕で受け止める敵、しかし伝わる確かな手ごたえ。蜘蛛男の鉤爪を盾でいなす彼の脇を、逸治、玲獅、龍斗、そして枯月 廻(
ja7379)が、次々に駆け抜けていく。
しまった‥‥! 不覚を察した蜘蛛男がバッと後ろを振り返る。獲物を逃さぬよう罠蜘蛛に目配せをしようとして、その眼が映したのは、蜘蛛の檻の中で光纏した鈴音の姿。
「そろそろいいよね。六道鬼雷撃!」
瞬いた稲妻に、蜘蛛男は堪らず目を逸らす。感電して開けた罠蜘蛛の脚の隙間から、鈴音は巣穴目掛けて駆け出した。それとほぼ同時、もう一匹のトラップスパイダーの背後に時人が迫る。
「そこの蜘蛛。蝶を捕らえて離したくない気持ちは解るけど、僕等に返して貰うよ」
翻った斧槍が罠蜘蛛の下脚を並べて斬り飛ばした。上脚の拘束が僅かに緩んだその一瞬を、マキナは逃さない。
宙にふわりと鋼糸が躍る。彼女が身を屈めたその刹那、六本の蜘蛛の脚が一瞬で細切れに吹き飛んだ。
舞う六脚と麦藁帽子。それを焦がすように立ち昇る光纏の黒焔に包まれて、少女は『終焉』の二つ名を持つ戦士へと姿を変えた。
蜘蛛男の眼が焦りに震える。感情を爆発させるかのように、鉤爪を玲治に振り上げた。
――巣の目前。
近づいた龍斗達を迎え撃つように、巣穴から蜘蛛男が飛び出してきた。廻が撃退士達の中から真っ先に飛び出し、敵に殴りかかる。
「さぁ、復讐を始めよう」
呟きと共に敵の胸にスネークバイトを叩きこむ。彼の目的は天魔への復讐。救助などは二の次だった。
呻き声と共に鉤爪を振りかぶった蜘蛛男の腕を飛来した弾丸が撃ち抜いた。遠距離から拳銃を構えた逸治の援護射撃に、蜘蛛男が上半身を仰け反らせる。
「今だ。行け‥‥!」
逸治の声に龍斗と玲獅、そして鈴音が地面を蹴った。巣穴に転がり込み、すぐに見えた罠蜘蛛を――、少女を捕えた生き檻を、龍斗がレガースで蹴り斬った。緩んだ檻から転がり出た娘を龍斗が抱き留め、放たれた玲獅のショートスピアが蜘蛛の脳天を貫く。
「いくわよ蜘蛛モドキ!」
鈴音がもう一匹の『檻』に護符を叩きつけた。中にいる母親に注意をし、放つ炎で脚を焼き切る。逃れた母親の手をとって、まだ息のある罠蜘蛛から引き離した。
「助けに来ました、怪我はないですか?」
鈴音が母親に声をかけた、その時だった。
「――っ!!」
巣穴の奥の『それ』を見て、玲獅が息を呑んだ。慌てて、思い切り叫ぶ。
「いけない! 皆さん、逃げてください!」
同刻、巣穴の外。
「人を攫わなければ、誰にも知られずに生き永らえたかもしれないね」
と言ってもディアブロである以上、いずれ滅ぶ運命だろうけど――と時人は回転させるハルバートで、鈴音が痺れさせた罠蜘蛛の脚を薙いだ。落ちた蜘蛛の頭に、叩き割るトドメ。ふぅっと息を吐いて戦況を見つめると、そこでは玲治がハンターと交戦中。
「おらおらどうしたァ!」
玲治がハンマーで打ち攻める。蜘蛛男の爪を盾で防ぎつつ、頬を裂かれながらも、粗く強く、戦槌の尖った側面で蜘蛛男の側頭を殴り抜いた。
続く玲治達の喧嘩から、時人は巣穴に目を移す。そこは丁度、手負いの罠蜘蛛が二匹、まるで何かから逃げるように、飛び出してきた場面だった。一匹は上の脚に火傷を負った個体で、もう一匹は、元から巣にいたのか無傷な個体。巣穴の前で蜘蛛男と交戦する廻を素通りし、その背後にいる逸治に向かってガサガサと這って行く。
マキナが追った。彼女に気付いた無傷な罠蜘蛛、それが振るった脚を屈んで躱し、過ぎざまにマキナは蜘蛛の頭に鋼糸を巻く。殴り飛ばすように腕を振る。締まった糸に、蜘蛛の頭が裂き潰された。崩れる死体、起き上がるマキナの脇を、しかし一匹の蜘蛛が走り抜け逸治に迫った。
黄色い脚が突き出され、逸治の胴を突く。手負いの罠蜘蛛は嬉しそうに脚を引き戻し、射撃に徹していた彼を近距離から一気に殺してしまおうと――
バスンッ、と蜘蛛の頭が両断された。
「接近戦が出来ない、とでも思ったか‥‥?」
振り下ろした偃月刀を、逸治は粘液を払うように振る。
「きゃぁぁああああっ!」
突然の悲鳴に、撃退士たちが巣穴を振り向いた。娘を背負った龍斗が、悲鳴を上げる母親が、その彼女を庇うように玲獅と鈴音が、次々と飛び出してくる。そしてその奥から、四本の太い脚が突き出された。
巣穴を脱した鈴音の肩を裂き、その脚の主が洞窟から姿を現す。
「‥‥成程」
マキナが、思わず声を洩らした。
敵が狩場で捕食をしない理由。まるで神への供物を運ぶかのような、蜘蛛達の獲物運びの丁寧さ。巣穴から出てきたのは、覚えた数々の違和感の真実だった。
神がいたのだ。蜘蛛達が崇拝する、『六本脚の神』が。
現れたのは二足歩行をし、四本の上腕を備えた、2メートル以上の体躯を持つ巨大な蜘蛛男だった。大きな口から涎を垂らし、撃退士たちをギョロリと睨む。
「‥‥痛‥‥っ」
肩の傷口を押さえて走る鈴音。その眼前に、ぞっとするような光景が広がっていた。
巣穴の前、スネークバイトを突きこんでは肉を潰し、鉤爪を振られては皮膚を裂かれ、回復をしては削り合う。額から血を流しながら、痛みも忘れて復讐に盲進する廻が蜘蛛男と死闘を演じていた。
「龍斗さん、玲獅さん、二人を任せます!」
鈴音は母子の傍を離れ、廻に近づく。彼に襲い掛かる蜘蛛男に手の平を向け、
「くらえ! 『六道呪炎煉獄』!!」
紅蓮と漆黒の炎に巻かれ蜘蛛男が燃え上がる。されど天魔は天を仰ぎ、口元を震わせた。
『ゲゴゴゴゴゴゴゴゴ!』
額の血を拭い、瞳に冷たい憎悪を燃やす廻が地面を蹴る。鋏角ごとブチ抜く勢いで、
「黙れよ、クズが……!」
ぐしゃりと顔面を拳で穿つ。頭を潰された蜘蛛男が仰向けに倒れるが、廻はその死骸を、原型を留めなくなるまで攻撃し続けた。
「は……この程度で俺の復讐は止まらない」
廻の瞳に宿るのは、天魔そのものを焼く憎悪。
その頃、龍斗達は戦闘が繰り広げられている広場を脱し森を進んでいた。龍斗が娘を背負い、玲獅が母親の手を引く。
突然背後から、蜘蛛男の鳴き声が聴こえてきた。奇妙な声が一瞬響き、中途半端に途絶える。
がさり。と脇の草むらから音がした。龍斗はふと、そちらに目を向ける。
ヒュン――。眼前に鉤爪が閃いた。
「!」
咄嗟に浮身で躱したが、鎖骨の下を裂かれる。体勢を立て直し顔を上げると、そこにいたのは蜘蛛男。森に残っていた個体が、味方の鳴き声を受けて現れたのだ。
(‥‥いっそ、鋏角を潰す作戦も立てておくべきだったか)
龍斗は娘を下ろして後ろに庇う。
「厄介な。だが、意地でも護り抜く。それが、依頼主との約束だ」
ふわり、と光に包まれたかと思うと、たった今負った傷が回復した。彼の隣に、ライトヒールをかけてくれた玲獅が並び、共に敵と対峙する。
「行きましょう」
「ああ」
玲獅の言葉に龍斗が動いた。蜘蛛男が放つ突きを避け、その黒毛の肘に手を添える。がら空きの脇腹に石火を乗せた蹴りを入れ、そのまま体を捻って敵の首に回し蹴り。
『ギィ!』
怒り狂った蜘蛛男も、唸りを上げて脚を振る。体をずらしてダメージを軽減した龍斗の胴を、それでも確かに爪が捉える。そのまま振るう腕の爪。これもまた肩を裂く。が――。
傷が浅い。さらには次々と治っていく。
蜘蛛男がキッと玲獅を睨んだ。龍斗に『アウルの鎧』を纏わせ、さらには回復もする彼女。叫びを上げて飛び掛かろうとするも、眼前を龍斗に遮られる。
「行かせない。お前という悪夢、ここで終わらせる」
龍斗と玲獅、連撃と回復の連携攻撃が続く。
●真昼の愚者
『ゲギガゴゴゴゴゴゴゴ!』
大蜘蛛男が四本の腕を振り回す。鋭い鉤爪が前線のマキナの肩を抉り、回復をして突進する廻を斬る。
連撃を掻き分けて廻が敵の懐に飛び込み、蜘蛛の胸に手甲の刃を突き込んだ。時人の回復を受けたマキナも廻に並び、拳を握りしめて静かに構える。創造≪Briah≫『九界終焉・序曲』――終わりの為の、制限的な力の解放。
大蜘蛛が叫びと共に四つ腕を振りかぶる。マキナを一気に薙ごうとした天魔に、紅と黒の炎が襲い掛かった。
「終わりよバケモノ!」
鈴音が撃った六道呪炎煉獄が黒毛の巨躯を包む。炎を受けてなお大蜘蛛男は腕を止めず、右の腕を振るった。
バキリッ! と、蜘蛛男の腕が弾かれる。
飛び掛かった龍斗が、敵の腕を蹴り飛ばしたのだ。
「遅くなった。これより戦線に復帰する」
龍斗が着地する。体勢を崩した大蜘蛛男。それでも何という執念か、首をひねって歪に動いた。巨大な顎でマキナに噛みつきにかかる。
その遠方、チャンスを窺っていた逸治がついに敵を照準に見た。
「‥‥捉えた。これで‥‥!」
トリガーを引く。頭を狙って精密狙撃。首を振り下ろした大蜘蛛に、弾丸が空を穿って飛んでいく。四つの眼球がギョロリとそれを見て――
撃ち抜かれた。眼球の一つが砕け散り、大蜘蛛が甲高い絶叫を上げる。
血、体液、涎を散らす蜘蛛。マキナはその悍ましい姿を静かに見据え。
「是非もない。此処で果てなさい」
『終曲』。ティアボロの胴体に幕引きの一撃を放った。
巣窟の悪夢。六本脚の神。その全てを鎖す『黒』が、真昼の空間を灰燼に帰す。
干乾びたチーズのように砕け散った蜘蛛の肉片が、陽光に照らされ燃え尽きていった。
●家族の景色
「これで全部か? やれやれ、もう暫くは虫とか勘弁して欲しいな」
叩き潰した敵を見下ろして、戦槌を担いだ玲治が大きく一息つく。
龍斗と玲獅の案内で、一同は母娘のいる安全地帯に歩き出した。その中一人、ふらりと別方向に歩く者がいる。
「‥‥分かってるよ。復讐をしたところで何も変わりはしない」
呟きながら廻は、敵と自分の血に濡れた手を見下ろした。
「けど、俺にはそれしか残ってないんだ」
戻らない家族。彼方に霞んでいく遠い日の記憶。
「‥‥仕方ないだろう」
何かにしがみつくように、血まみれの拳を握りしめる。おぼつかない足取りで、廻は一人、この場を後にした。
「貴女の息子さんが、生きて知らせてくれたから、大事に至らなかったと思います」
擦り傷だらけの母親にヒールをかけながら、時人が静かに微笑みかけた。
「会ったらその事を褒めてあげて下さいね」
彼は彼なりに立派に家族の命を救ったのだ。そう聞いた母親は目を潤ませ、時人に何度も礼を言った。
逸治が回した救急箱も使用し、撃退士たちは母娘と自分達の治療をする。
そして、任務の終わり。
真昼の森を抜け、二人を連れて少年が待つ場所へ。
町まで案内し、一同は少年を母と妹に引きあわせる。
「依頼は確かに果たしたよ」
再会の光景を見つめながら、鈴音は笑顔で囁いた。
〈了〉