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マスター:水谷文史
シナリオ形態:ショート
難易度:非常に難しい
形態:
参加人数:8人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2015/09/14


みんなの思い出



オープニング



「随分と探したぜ」

 四国の森の奥深く。
 夜風に漆黒のロングコートを揺らしながら、悪魔ヴァンデュラム・シルバ (jz0168)は嘆息した。

「まさかこんな辺鄙な場所で、こそこそ人間の魂を貪ってるとはな」

 月光の中、闇と判別がつかぬ程に黒い血で染まった緑のコート姿の同僚を見つめ、眉を顰めた。

「何を震えてんだ? ‥‥ああ、粛清に来た訳じゃねえよ。柄じゃねえが、俺は助言をしに来たんだぜ」

 懐から光輝く球体を取り出す。魔力で凝縮された、高濃度の『人間の魂』だ。
 恥も外聞もなく飛びつき、魂を貪り食う同胞。貴族風のコートも、背に流れるブロンドもすっかり形無しな姿に、シルバは眼をしかめ。

「今からここでゲート展開をしろ」

 同胞の動きが止まる。
 気怠げに髪を掻きつつ、シルバは続けた。
「小さな門で構わねえ。五日かそこらで完成させてくれ。そのぐらいなら俺がお前の周囲を護ってやる」
 喚く同胞に、シルバは顔をしかめる。
「五日じゃ作れないだ? 莫迦を言うなよ。いつもの小細工を忘れて集中すれば余裕なはずだぜ。それに、今回開くゲートは魂の収穫用じゃねえ」
 そして告げる。

「ゲートで撃退士と戦え」

 両眼を剥いた同胞に、シルバは続けた。
「お前の失態、要はお前が撃退士に邪魔され続けてるのが悪いって訳だ。ジャムは撃退士を過大評価してるからな。この辺りで示しをつけといた方がいい」
 シルバは紅い目を細め。
「それにお前、撃退士が憎くて堪らねえんだろ。潰す力があって理由もあるなら、やらなくてどうする‥‥ってのは、まぁ、撃退士からの受け売りだがな」
 俺は面倒だから、基本的に『やらない』側だが。
 細められた同胞の三白眼に活力が灯ったのを見届けて、シルバは背を向けた。
「‥‥分かったらさっさと取りかかってくれ」

 月光の下。
 森に足を踏み入れた者達の死骸の真ん中で。
 吐息。
 骨ばった白い手が地からレイピアを引き抜く。


 七日の後、人里離れたこの森に、冥魔のゲートが展開された。



●依頼斡旋所

「調査の結果、四国山中に展開されたゲートの主はドルトレ・ベルッキオで間違いないようであります」
 大量の資料と報告書が貼られたホワイトボードの前で、久遠ヶ原の女子、黒峰 夏紀(jz0101)が告げた。
「先日学園に届いた差出人不明の手紙にあった情報は本当だったのでありますね‥‥。まるで、いつかの悪魔のサーカスのようであります」
 資料の中央に張られているのは、紙片。
 ベルッキオという悪魔の名と、四国の一点に印のつけられた地図だ。
 乱雑に切り取られた地図の裏には、『約束の品』という謎の殴り書きがされていた。
「本ゲートの脅威度は、四国の他のものと比べて決して高くありません。魂吸収の影響も人類の生存範囲へは及ばないようであります。ただし、それでも近隣住民がゲートに攫われる事件は発生しており、確実に魂を奪われています」
 元々、争いが激化している四国でのことだ。
 正確な犠牲者の数は知れないが、相当数に上っているのだろう。
 コアがどれだけ肥えているのかは分からない。
「本任務の目的は二つであります。一つはゲートのコアの破壊。もう一つは、主の撃破です。度重なる戦闘と撃退士側の勝利によって、ベルッキオはかつて無いほどに疲弊しているはずであります。ゲートの内部での戦闘は人類の不利となりますが、勝機は十分にあると言えましょう」
 眷属を操っていた左手は破壊した。
 兵力となる眷属の補充も全て阻止した。
 切り札のワームも倒し、ゲート展開を止めると共に、着実に魔力を削いできたのだ。
「今が、彼の害意を食い止められる最大のチャンスであります」
 これを逃したら、全て、またやり直しになる。
 黒髪を正し、黒峰夏紀がふと口元に笑みを浮かべた。
「感傷に浸るわけではありませんが、これは本当に、皆で作ったチャンスなのでありますね。改めて過去の報告書を読み直しましたが、任務に参加した撃退士達の記録に感慨深さを感じてしまいました」
 戦と死がありふれた世界。
 理不尽すぎる害意に、小さな一太刀を重ねるしかなかった。
 四国を覆う闇の一つを終わらせられる機会が、やっと来たのだ。
「私も全力でサポートいたします。一歩ずつ、これからも戦い抜いて参りましょう」


●脈動


 怠惰なる同胞には感謝をせねばなるまい。


 だが、彼の台詞には一つだけ間違いがあった。


 ワタシは撃退士が憎くなど無い。
 ただ、許し難いだけなのだ。

 冥魔の餌でしかない人間が、一丁前の生き物のフリをして悪魔に逆らってくることが。

「愛」
 ゲートの奥で囁いたドルトレ・ベルッキオが、小脇に抱いた女の遺骸を指で撫でる。
「数十年しか生きられぬ塵の分際で、なァにが愛ですかッ。頬を染めて語らい、それを護らんと必死になるおぞましさたるや、本ッッ当に! 見るに堪えませんでしたねェ‥‥」
 ドロリと溶けた遺体が床に白い蝋を溜めていく。
 擡げられた全身は蝋燭に似て、いつか撃退士が斃したディアボロに酷似していた。
「誇り」
 傍に這いつくばる男の遺体に悪魔は剣を突き立てる。
「永遠を穢されたことに、死骸を蔑ろにされたことに、血塗れになりながら刃向かってくる彼らの姿‥‥滑稽以外の何だと言うのですッ?」
 冥魔の力を注がれた遺体は全身をみるみる変化させ、髑髏の面を持つ喪服姿の眷属に生まれ変わった。

 ゲートの構造は円形の闘技場。
 いや、壁の全てが赤い触手で構成され、四方に配置された凸部が心臓が如く脈打つ様、天井に空いた孔から煌々と降り注ぐ二階のコアの光は『肉色の大聖堂』とでも形容すべきか。
 大聖堂の壁沿いには、冥魔を賛美するかのように十数体もの純白の像が並んでいる。
 攫われた人々の遺骸が天魔の蝋で塗り固められたものだ。
「短き生涯。小さい心。生まれ落ちたその日から、たった数十年しか命のフリを出来ない砂どもが‥‥」
 紫の双翼を畳み、大聖堂の中央でベルッキオは顔を手で覆う。
「このワタシを、よくもここまで‥‥」


 静寂。


 そして。


「ぷ」


 噴き出した。

「くはッ」

 唇から牙を覗かせて。

「くッはははははははははははははははははははははははははははッ!」


 どぐん。

 肉の大聖堂全体が、大きく脈動した。
 壁が熱を帯び、メキメキと隆起した四方の肉塊が狂ったように脈打ちだす。床の無数の触手からほぐれ出た数本が、背を反らせて嗤う冥魔の背に次々と突き刺さっていく。
「殺してやる」
 三日月のように笑んだ口から、赤い霧が漏れる。
「そうとも、殺してやりましょうッ!」
 左腕の付け根から噴き出た真紅の霧が、両腕を広げた悪魔を囲んで旋回する。
「刹那の煉獄に生まれ落ちてしまった不幸を! ワタシに楯突いた不遜を! 存ッ分に後悔させてあげましょうッ! 徹底的に痛めつけて泣かせて這いつくばらせて害する。そう、【害する】のだッ!!」
 背に埋まった触手はいまや肉へと一体化し、壁の脈動に合せて形を変えていく。
 何人も寄せ付けぬ勢いで旋回する血霧の向こうで魔が嗤う。
「傲慢なる撃退士ッ、ワタシは許さない、ワタシは認めない! 諸君らの愛に、哀愁にッ、一片の価値も認めはしませんよッ!!」

 彼らを殺し、ワタシは復活を遂げよう。
 煌々と魂を湛えたコアを仰ぎベルッキオは眼を剥き絶笑した。

「さァ、おいでなさい撃退士‥‥ワタシに害されるために、此処へ来いッ!!」



リプレイ本文




 悲鳴と怒号が連鎖する。


 どぐん

 有り触れた戦場の音と共に、撃退士達の背後で轟音がする。

 どぐん

 駆けこんだゲートの入口。その唯一の退路を、暗闇が鎖して。

 どぐん

 振動と残響を残し、闇が満ちる。

 命の香りが八つ。
 死の気配が三つ。

 鼓動にも似た音が鳴り続き、煌々と光が降り、仄明るい壁と大気の微粒子が煌めく邪悪な大聖堂。
 その中で、ふぅ、と一人の吐息が大気を濡らす。
「半分締め出されたか。仕方ない。戦力の分断。アクシデントはよくあることだ」
 握り直される大剣。カイン=A=アルタイル(ja8514)の青の瞳が、闇を裂く電光のように浮かんだ。
「分断? 冗談じゃありませんわ。むしろ退路を断たれたのは――」
 優雅かつ高飛車に引き抜いた細剣で、クリスティーナ アップルトン(ja9941)が鋭く敵を指し示す。
「貴方の方ですわよ、ベルッキオ」

 どぐん

 大聖堂の中央、道化のように赤い唇が吊り上がる。
「あァ、なんです。見た顔が居るじゃアありませんかッ‥‥」
 グロテスクな根に支えられる生命の木のように、触手に擡げられていたベルッキオが、ぐつり、と蝋に浸った床を踏みしめた。
「退路など必要ありませんよ。貴方がたのその減らず口を、此処は潰すための我が城なのですからッ!」
「城? 墓の間違いだ、な」
 アスハ・A・R(ja8432)が冷淡に呟く。雨のように髪を蒼く染め、摘んだ阻霊符にアウルを送った。下らない冗談をあしらうように、粛々と刃を構える。
「同感だな。籠城など破滅を加速させる愚考。何を勘違いしているのかはわからんが、その仮初に終止符をくれてやる」
 アスハに並び、獅童 絃也(ja0694)が黒布を手へと巻き地を踏み締める。敵を射抜く双眸に揺れは無い。
「害される為来いと言ったわね?」
 また一人、戦士に並んで進む。無銘の白槍で邪気を払うかのように、暮居 凪(ja0503)が一歩を踏み出した。
「違うわ。来たのは愚か者、そちらよ。私が測る前に死ななかった事こそを喜びなさい」
 深紅の霧の中で、悪魔が両眼を細め。
「奢るんじゃアありませんよ。貴方がたは最後まで、我ら冥魔に謀られ死んでいくのです」
 ちゃぷり、と悪魔の隣にディアボロが立った。
 喪服姿の剣客冥魔『フューネラル』と、花嫁衣裳の蝋燭人間『ウェディング』。
「諦めた、というわけではなさそうですね」
 五線に転がる音符のように、声が浮いた。
「貴方の前に立ちたかった人達、たくさん居たと思います。皆、貴方と決着をつけるために力を磨いていましたから」
 悪魔の三白眼を見据え返すのは、亀山 淳紅(ja2261)の真紅の瞳だ。
「彼らの殺意は預かってきました」

 脈と、嗤いと、人の魂。
 魔と撃退士が奏でる音の中で。

「貴方の歌は、自分の命に代えても、ここで終曲にさせていただきます」
 撃退士の声が、戦端を開いた。



「終曲! 生きが良いッ! やってみるがいいですよッ!」
 一つの小さな台風が如く、ベルッキオのレイピアが旋回する血の霧を手繰り振る。
「洗練されし我が奥義ッ! この究極の霧をッ、突破できるものならッ!!」
 それを冷静に観察しながら、クリスティーナが光纏をして。
「悪魔も自白している通り、ワームを失ったあの臆病者が、なんの備えもなく私達と対峙するハズないですわ」
 ベルッキオを覆うあの霧の恐ろしさは、以前の戦いで知っている。
 吸引した者の動きを確実に奪う霧。
 無策では接近もままならぬまま、地に沈められてしまう。
「ですが、血霧は奴の切り札のはず。それをああも連発できているのは‥‥」
「どこからか力を供給されているのかも」
 呟いた淳紅に、クリスティーナが顔を向けて頷く。
「奴と繋がっている触手も、何もないと考える方が不自然ですわ」
「だとするなら、狙うは――」
 と、絃也が鋭い視線を肉色の大聖堂に走らせる。
 その様子を穏やかに眺め、ラドゥ・V・アチェスタ(ja4504)は口元に微笑みを浮かべる。
(此奴らとあの悪魔。互いに大した憎しみを買い合ったものだ)
 最初の襲撃から、この悪魔の所業を見続けてきた存在として、ラドゥの目的はただ全てを見届けること。
 力は貸そう。人と魔が、答えを見せてくれるのならば。
「そら、来るぞ」
 ラドゥの指差す先。背の触手に擡げられたベルッキオがレイピアを撃退士達に突き出す。
 幾度もみた技。氷の礫を躍らせる凍てつく蒼の竜巻が大口を開けて飛来する。氷霧が撃退士の一団を丸呑みにした。
「っ‥‥、しまったか」
 蒼白に煌めく粒子に包まれながら、カインは失策を悟る。
 広範囲攻撃を操る相手に、散開せずに対峙するのは愚策。入り口に固まっていた一団ごと霧に包まれてしまった。
(しかも、ディアボロの性質が最悪だ)
 裂傷と低温で身動きのとれぬ肉体で足元を見やる。案の定。白い蝋が既に膝まで、塗り固めていて――
「ちッ‥‥」

 次の瞬間、撃退士達の脚を包んだ蝋が、内を針で満たした。

「くッ、ははははははははははッ!」
 ベルッキオが、ウェディングの『鉄処女』の威力を眺め絶笑した。撃退士達の姿は氷の霧に呑まれてぼやけているが、蝋の床に滲み広がっていく血が、彼らの痛みを代弁している。
「ワタシに近づけば霧で縛られ、しかしッ、逃げても霧で沈むのみッ! どう足掻いても貴方がたは、蝋に固められ死んでいくしかないのですッ!」

「成程な」

 悪魔の視界の外から、囁かれる声。
「底が知れたぞ、悪魔」
「なッ‥‥」
 悪魔が瞳を向けた先、絃也が、大聖堂の壁の凸部に肉薄していた。
 爆発的な瞬発力でいち早く地を蹴った絃也のみが、唯一霧に呑まれる前に数十メートルも駆け抜けていた。
「その紅い霧が血を媒介しているのならば対処法は一つ」
 絃也はベルッキオを包む血霧から眼を離し、隆起し脈動する肉色の凸部へと視線を注ぐ。
「力を送る『心臓』を壊せば、貴様に拳が届く」
 低く落とした腰から一息、解放と同時に拳を放つ。ずん、と重い音を響かせ絃也の拳が埋まった直後、分厚い肉の皮を有していた凸部が無数の肉片へと爆散した。
「その顔、図星なようだな」
 ぎょっとした表情で絶句する悪魔から、絃也は視線を逸らす。
 壱秒、弐秒、参秒‥‥。呼吸と共にカウントするも、崩れ落ちた凸部に変化はない。
「‥‥再生は無しか。続け!」
 絃也の叫びに答えるタイミング。
 彼と対称の位置にある凸部で、人影が揺れた。
 瞬間移動で現れたのは、仲間と共に霧に包まれたはずの、淳紅だ。
「ふッ!」
 身の丈ほどの朱塗りの和傘を振りかぶった青年が、水の刃で凸部を横薙ぎにする。分厚い肉壁に阻まれるも、確かに損傷させた『心臓』が血を滲ませた。
「き、貴様ら‥‥ッ」
 悪魔の片目がひきつる。
 なぜ、見抜かれた?
 我が才に溢れた策が?
 いや、それ以外にも。
 傘を振るう青年の服には氷の粒が光っている。
 間違いなく、霧は命中したはずなのに。
「なぜ‥‥動けるのですッ!」
「対策は万全、ということよ」
 いまだ煙っていた氷の霧から、凪が、アスハが、駆け出る。頬や腕を氷に裂かれた痕はあるものの、脚に傷は無い。
「何度も手の内を晒し過ぎたわね。そこが愚かだと言うのよ」
 凪が掲げて見せたのは、天魔の害を退ける装飾品。ベルッキオの人を害する力、その対策を撃退士達は怠っていなかった。
 霧に包まれた筈のほぼ半数が、『鉄処女』を回避したのだ。
「さて。有象無象の塊ども――こちらに来なさい!」
 笑む凪が『CODE:LP』を発動させる。視線で、動作で、フューネラルの注意を引きつけて。
「お前は私が相手取るわ!」
 一瞬で接敵。引き絞った白槍による一撃が、剣客が構えた刀の腹で高らかに鳴った。残響を轟かせ、フューネラルの足が蝋の床を削る。
「一度凌いだくらいで‥‥良い気になるンじゃアありませんよ女ッ!」
 ベルッキオが震える唇で唸る。氷を纏ったレイピアを振り上げて。
 その直後。
「星屑の海に散りなさい――」

 両脚を蝋から解放されたクリスティーナが細剣を構える。
「スターダストイリュージョン!」
 煌めく流星の奔流が、真っ直ぐにベルッキオへと飛翔した。
 床から跳ねた触手がそれを防ぐ。炸裂した星光の向こうで、悪魔が体勢を崩した。
「悪魔」
 腕の一振りで、闇に舞う残雪を払う。
 翡翠 雪(ja6883)が、クリスティーナを、カインを、ラドゥを、癒しの光で快復させていて。
「私が生きている限り、貴様に仲間を害させはしない」
 桃の前髪の下、少女は研ぎ澄まされた双眸で敵を見る。
 敵。
 そう。悪魔の敵を、名乗るために。
「私は盾。全てを征し、全てを‥‥護る!」
「やれるものなら‥‥やってご覧なさいッ!」
 雪に向き合い、悪魔が牙を食いしばった。
「悪魔の栄光を謳うゲート! 降り注ぐコアの光のなかでッ、人間がいつまでも耐えられると思うんじゃアありませんよッ!」
 くちゃり。
 技の被害を抑えられ不満を覚えたか、ウェディングが口を粘らせ這い進む。
 その前に、ラドゥが歩み出た。
「ふむ、では我輩は、愚民共が早々に悪魔とあたれるよう貴様の相手をするとしよう」
 妖しく光る大剣を振り、真紅の瞳を細めて笑う。
「紛い物の花嫁よ、貴様にこの舞台は役者不足だ。弁えるがいい」

 カインの瞳が、冷静に戦場を俯瞰する。
 悪魔の云う通り。
 コアの下で、撃退士が全力を出すことは叶わない。
 あげく敵は、かつて右手ごと攻撃してやっと牽制できた相手だ。
 霧の攻撃を、そう何度も受けている暇は、確かに無い。
(なら、俺がするべきは、味方が敵を抑えているうちにコアへの道を確保することか)
 孔から降るのは間違いなくコアの光だが、天井には道が無い。
(なら、翼と透過で上るか。それから剣で床をぶち抜くだけだな)
 物騒な発想に当然のように帰結。
 やるなら今だと見定め、天魔の血を引くカインが背に双翼を顕現させた。
 その瞬間。
「二階への階段がない、な」
 付近で同じく上を仰いでいたアスハが呟く。
 飛び立とうとしていた少年兵士は、ふと踏みとどまり。
「ああ、だから俺が壁に穴を開ける」
 説明しかけた、直後だ。
「よし。滅し飛ばす、か」
「‥‥何?」
 一瞬、何を聞き違えたか分からないカイン。その眼前でアスハは右腕を、天井を狙う砲台が如く掲げた。
「覚えておけベルッキオ。光が降り注ぐとは‥‥こういうことだ」

 『蒼刻光雨(イーヴィルレイン)』。

 地から天へと逆行する雨のように。
 微細なる無数の光弾が蒼光に輝いて立ち昇った。天井で次から次へと弾ける魔法弾が世界を完全なる蒼に染め、閃光と轟音が炸裂する。
「うっ‥‥」
 戦場をかけぬけた衝撃波に煽られ、凸部の破壊にとりかかっていた淳紅が眼を腕で庇う。そっと見上げ、顔をひきつらせた。
「え」

 先ほどまであった天井が、崩落していた。

 水晶質のイバラに覆われたコアが聖堂をまばゆく照らしている。
 見上げるベルッキオは、ぽかん、とした無表情で。
「‥‥あァ、もう、何度目ですか」
 唖然と見上げる冥魔の額に、やがて青筋が浮いていく。
「貴方がたのその‥‥ッ、常識外れな、無礼を見せつけられるのはッ‥‥!」
「‥‥多少、同情してやってもいい」
 ふぅ、と呆れの息をつくカイン。アサルトライフルを出現させ、強制的に感情を闇へ落として地を蹴った。
『‥‥ッ!』
 狙うはフューネラル。頭部へ乱射された弾幕を、眷属は身を折って躱した。
「お、良いタイミングね」
 その一瞬の隙を逃さず、フューネラルの背後へと踏み込み凪が微笑む。
「セァッ!」
 一声と共に白槍で喪服に一閃を見舞う。
 ギリリと噛み締めた眷属が放った刺突の反撃を、活性化させた盾でいなす。
「このまま押し切るわ」
「ああ。やろう」
 戦乙女と亡霊兵士。不敵な笑みと薄暗い眼差しが敵を捉えた。
 悪魔の首を刎ねる。これは、その過程にすぎないのだから。



「貴様を見ているとよく分かる。人と天魔はまだ真に同じ舞台に立っていないと」
 旋回する血霧の半径を量りながら、魔法書を携えた雪が悪魔を正面から睨む。
「永遠に立てない、が正解ですよ小娘ッ」
「‥‥そう言うと思っていた。だから私は示さねばならない。貴様らの、敵として」
 悪魔を味方に向かわせる訳にはいかない。
 私は人を護り、活路を切り開く者なのだから。
「悪魔ドルトレ・ベルッキオ。貴様を‥‥ここで終わらせる!」
 狙うは触手。片手に沿わせた水の刃を悪魔へ飛ばす。
「『敵』? なんです妙にッ、我が怠惰な同胞と似た語り口をするじゃアありませんか!」
 しかし跳ねた触腕がそれを弾いた。自らに向いたレイピアに雪は眼を剥く。
 回避は駄目だ。避ければ霧は他の仲間に向く――
「やらせは、しないっ‥‥!」
 巨大な盾を顕現させた直後、盾も身も呑み込んで氷の旋風が雪を呑み込んだ。礫が、鎌鼬が、少女を切り裂き、膝を折る。
「あっけないッ! さァ次ッ!」
 悪魔の切っ先はそのまま凪とカインへ。放たれる霧は蒼から黄へ。
「あら」
「‥‥邪魔な」
 凪が、カインが、急な身体の痺れに体勢を崩す。身体を支えた二人の脚に、すぐさま蝋が、蛸の足のように喰らいついた。
 ウェディングの面がニヤリと笑んで。
「ふむ」
 その顔面を、ラドゥの大剣が削いだ。
 大きくブレた眷属の上半身。液状の顔面が崩れた一瞬、視界を奪われた『鉄処女』は効果を激減された。
 されど、拘束された凪達の両脚からは確実に血が垂れる。
「たった一撃で貴方がたを瓦解させる。これが悪魔の力ですッ」
 ベルッキオが細い眼を、さらに細め。
「そしてッ! 我が眷属の力は、凡百のディアボロとは違いますよッ!」
 連撃は止まず、霧中の人影となった二人へフューネラルが踏み込んだ。
 動けぬ撃退士。刀を受ければ毒に犯され、そのまま身ごと爆破されてしまう。
 悪魔の哄笑。
 髑髏の剣客が、突き出した日本刀を、しかし盾が弾く。
「侮る人間に簡単に怒らせられる。悪魔。酷く、酷く興味深いわ」
 霧から覗いたのは、吊り上げられた凪の口角。
「と、私が笑ってはいけないわね。戸の向こうに悪いもの」
 凪が、フューネラルの刃を思い切りたたき返した。愕然とした面持ちで仰け反った天魔。
 直後、同じく霧から突き出された昏い銃口。
 放たれたカインの銃弾が、髑髏の頭部をまともに撃ち砕く。
「‥‥ッ」
 ベルッキオの両眼が剥かれた。
 霧で痺れさせて猶、我が眷属の刺突を防いだというのか。
「どこまでも‥‥ッ、舐めた真似を」
 ならば確実に、血の霧で堕とすのみ。
 背の触手で身をもたげ、真紅の霧をまとった悪魔は凪達へと飛翔した。
「来るか」
 カインの血に濡れた蒼瞳が、悪魔を捉える。
「だが間に合ったか」

 大聖堂に、立て続けに破砕音が鳴った。

 淳紅の混元傘の刺突が、凸部の一つを刺し貫いた。
 絃也の蹴りが、凸部を壁から吹き飛ばした。

「なッ‥‥」
 ベルッキオを支えていた背の触手がグズグズと腐れていく。
「いくぞ」
「分かってますわ!」
 未だ脈打つ最後の心臓に、アスハとクリスティーナが雪村と星屑幻想を叩きこんだ。
 爆裂。花弁が開くように鮮血を撒き、全ての凸部が砕け散る。
「ぐッ‥‥」
 悪魔が胸を抑える。ぶしゅり、ぶしゅりと、その体躯から噴き出ていた紅い霧が、勢いを失っていく。
「臓腑は崩した。最早何も、貴様に血を送ってはくれないぞ」
 絃也の、冷徹な双眸が、悪魔を睨む。
「これで、貴方は無防備です」
 血霧を剥かれ俯く悪魔に、上空から撃退士の声が降る。
 仰げば、中空の五線譜に支えられた淳紅。幻影の楽団を従えて、悪魔を見下ろしている。
「貴様ッ、その技は‥‥ッ」
 『Cantata』。大気を震わせる旋律の雨がベルッキオへと降り注いだ。激しい衝撃に両腕で顔を庇い、ふと、悪魔は異常に気がつく。
 痛みが無い。
 ワタシに、命中していない。
「く‥‥ははッ‥‥ッ、どうしました? 狙いが逸れていますよッ!?」
 悪魔が顔を挙げ、笑いを上げた直後だ。

 ウェディングの悲鳴が轟く。

 腹を大剣で貫かれた花嫁が、狂ったように叫びながら己を貫いたラドゥを殴り続けている。
「全く。串刺公を名乗る気は無いのだが」
 天魔の背後。剣を構えていたクリスティーナが真っ直ぐに眷属を見据える。
「花嫁衣裳のディアボロ‥‥。ベルッキオ、相変わらずの外道ですわね」
 和の居合切りも斯くや不可視の剣閃が、ウェディングの頭部を両断する。
 ズルリと顔をズレさせた液状天魔が、床の蝋へと崩れ去った。
「お仲間はやられてしまったみたいね。お前も後を追う時間よ」
 痺れた身体で、ギリギリとフューネラルと鍔迫り合う凪。その身体を光が包んだ。
 裂傷に塗れながら、痛みで朦朧状態を克服した雪がクリアランスで痺れを取り払ったのだ。
 凪の槍の刺突に、大きくたたらを踏んだ剣客天魔。
 その背後。縮地で天魔に接敵した絃也の高い蹴りが、その髑髏を吹き飛ばす。
 跳ねる髑髏に眼もくれず。拳の神布を巻き直し、絃也が悪魔を睨んだ。
「さて、これで貴様一人だな」

 撃退士達が、武器を携えて悪魔へと歩み進む。
 ベルッキオの呼吸が、荒くなる。

 馬鹿な。
 全滅?
 我が眷属が?

「か‥‥ッ」
 一滴の汗を滴らせ、ベルッキオが、震える唇で笑んだ。
「こ、この程度で勝ったと‥‥思うんじゃアありませんよッ‥‥わ、ワタシにはまだ切り札があるッ! 何のために、人間どもを塗り固めて城に配置したと思うのですッ!?」
 ばっと身を起こし、悪魔が片手を闇に掲げた。そして、
「あ‥‥」
 絶句する。
 蝋で固めた白像、ディアボロの素体となる筈だった遺体が、破壊されている。
 残ったのは、わずかに三体ほど。先ほどの淳紅の楽団の術は、悪魔ではなく周囲の白像を狙っていたのだ。
 像が増援の源だと読んだ上での、冷酷ともいえる判断。
「心が痛まないのですか‥‥ッ、仮にも、同族の遺骸ですよッ!?」
「何とでも。それを背負う覚悟は、貴方を殺す覚悟と一緒に済ませました」
 怒りと恐怖に歪む悪魔の貌を、淳紅が揺るぎない瞳で見据える。
「さて。終幕だ、な」
 アスハとカインが同時に地を蹴った。
 瞬時の移動で天井の跡を掴み、アスハは純白の魔銃を構える。
 天魔の翼で飛翔したカインも同様。崩れ落ちた二階の一角で身を屈めると、突撃銃のサイトにクォーツを捉えた。
 射撃音と光芒。
 ぱらぱらと崩れ散る水晶質が、コアの光に煌めく。
 ベルッキオはそれを眺めるしかない。
「あの日の依頼、私の中ではまだ終わってはいませんわ」
 立ち尽くす悪魔に、クリスティーナが告げる。
「ベルッキオ、貴方を倒すまでは」
 輝きを増す彼女の剣に、ベルッキオの眼球が救いを求めて暴れだす。

 何処だ?

 身を護るワームは?
 バリアクォーツは?
 手下にしようと誑かした撃退士は何処にいる?
 補充に努めたディアボロが、何故足りない?


 嗚呼、全部。

 全部、人間に邪魔されたせいじゃアないか。

 ベルッキオが腕を広げる。背後に残存した白像から、巨大な猫にも似た天魔が三匹、飛びだした。
「ほう、久しいな」
 ラドゥが眼を細める。最初に四国を襲撃したベルッキオが従えていた『デュアル』の亜種だ。
「小賢しいわね。こんな奴ら、時間稼ぎにもならないわ!」
 放たれた巨大な拳を凪が白槍で薙ぎ払った。
 巨体で覆いかぶさるように襲いくる猫モドキに、雪は盾で応戦する。
(時間稼ぎにもならない。確かにそうだ。‥‥だが、何だ? この違和感は‥‥)
 悪魔の討伐を目的とした一団に、たかが三匹の中級ディアボロが与えられる損害など知れている。
(では何故‥‥悪魔はこんな雑兵を寄越した?)
 盾で敵を弾き、雪は、デュアルの巨体越しに冥魔を見やる。
 広げられる紫の双翼。地を蹴った冥魔が、コアへ向けて飛翔した。
「‥‥おい。悪魔が来たぞ」
 天井。コアへと銃撃を加えるカインがアスハへ呟く。
 アスハが飛来する悪魔を見とめた。仮に狙われても、即座に『擬術』で点対称へと移る準備はできている。
 だが悪魔は、二人ではなく、ひび割れたクォーツへと張りついた。
 まるで壊されゆくコアに縋るように。その表情は翼に覆われ見えない。
「望むならコアごと撃ち崩してやる」
 アスハは、一点集中の銃撃で着実にクォーツへ銃撃を叩きこんでいく。
 悪魔が邪魔してこないならそれも良い。コアを最速で破壊するだけだ。
「妙だ」
 デュアルをまた一体死骸へと変えながら絃也が天を仰ぐ。
「この悪あがきに、一体何の意味が‥‥」
 直後だった。
 絃也を天雷のような気づきが貫く。
 欠落した知識を補うように読み耽った資料。ゲートを展開した悪魔のみが使用できる能力の記載があった。魂を喰らい、その肉体を戦闘用に特化させる秘術――
「絃也さん?」
 突如、ディアボロの死骸を蹴り飛ばして跳躍した絃也に、淳紅が驚きの声を漏らした。
 一方の絃也は、壁面を蹴り、無我夢中で悪魔へと手を伸ばしていた。
 間に合うとすればメンバー中最速の自分しかいない。
「届‥‥け‥‥!」
 絃也の手が、悪魔のコートを掴みかけた。
 そして。


 闇が、聖堂を包んだ。




 何が、起きたのだろう?

 凪が見上げる頭上。
 ぐしゃり、めきめき、と厭な音がふってくる。

 コアはどうなった?
 悪魔は?
 仲間は無事?

 ぽたり。
 クリスティーナの頬に温もりが滴る。
 指先で拭うとそれは、誰かの血で。

『人間』

 声が降る。
 背骨の髄を舐り尽すような悍ましさを伴って。

『あァ、人間ごときに‥‥真面目に構ってやる必要などなかったのです。策を練る必要も、恨みを募らせる必要も、全てッ、なかったッ』

 暗闇から、それが降りてくる。
 仰いだ雪の全身が粟立つ。

『眼前を飛ぶ小蝿に、癇癪を起こしても、才を見せつけても、何の意味があるのでしょう?』

 現れたのはヤスデにも似た巨腕。
 左と、右と、それから背と、胴よりも太く節のある三本の触腕を軋ませ、双翼の邪神と化した悪魔がゆっくりと降りてくる。

『そう。ワタシは、ただ、無造作に――』

 触腕に掴まれていたアスハとカイン、絃也が、床へと無造作に叩きつけられる。
 糸の切れた人形のように、三人の体が床を転げる。

『――潰せば、良いだけだったのだッ』

 血溜りで動かない彼らを見て、淳紅は、現実を、致命的に、知った。

 『変化』したのだ。

 戦闘だけに特化した姿。コアの魂をエネルギーに変えて。悪魔の最終形態とも言える姿にベルッキオは成った。
 罠に気をとられ、眷属に気をとられ、奥義の可能性を失念していた。
 ごくりと凪が喉を鳴らす。

 ――ここからどうする?

 ベルッキオが地を蹴った。
 槍を構えようとした刹那、凪の胴に、ヤスデの巨腕が叩き込まれている。
 戦乙女の鎧にメキリと罅が入り、彼女の口から血が零れる。

 ――対策?
 ――作戦?

 崩折れる凪に手を差し伸べた淳紅を、ぐるりと触腕が包んだ。
 同じく捉えられた雪と、ベルッキオの両眼が交差する。
 宙で叩きつけられた二人の撃退士が、衝撃と散った赤に掻き消える。

 ――そんなものは無い。

 悪魔の背後をとったクリスティーナの斬撃が、背の巨腕にいなされる。
 彼女の絶句を悪魔が仰いだ直後、左腕の触腕が、彼女を壁に叩きつけた。

 ――想定外。
 ――考えていない。
 ――だから。
 ――道は。

 一つだけ。

「全力で迎え討つまで、ってやつね」
 血だまりから起き上がり、凪が口端をあげる。
 撃退士達が悪魔へと突進した。
 もはや作戦も何も無い。技をぶつけ、力と力で、殺される前に殺しきるだけだ。
「牧男さん、紗枝さんの無念、いまここで晴らします!」
 クリスティーナが、叫んで剣閃を突きだした。刃が帯びる輝きはこれまでで最も強く、闇夜を裂く月光のように悪魔へ注ぐ。
『喧しい』
 巨腕の表面を削り飛ばされ、されどベルッキオは背から振り下ろす触腕でクリスティーナを薙ぐ。
 その直後。ラドゥが触腕の下に影のように滑り込む。大剣で確かに悪魔の脇腹を捉えた。
 ギョロリと睨み、冥魔が右の巨腕をラドゥへと振りかぶる。
 同時、今度は反対方向から凪のウェポンバッシュが巨腕を弾いた。
「なかなか諧謔の利いた姿じゃない。さんざん人を虫けら扱いしたお前が、一番蟲に似てるなんてね」
『減らず口を』
 呻いた悪魔が両腕を手繰り巨大な節を突きだした。
 火花が散る。瞬時に割り込んだ雪が、両腕で支える盾で悪魔の巨腕をいなす。
「盾は‥‥砕けない!」
 歯を食いしばり、絶大な力を受け流しながら叫ぶ。
「人の意思は、砕けはしない! どうした害意! 私はまだ砕けてないぞ!」
 夜の嵐が終わるように、いなしきった巨腕の隙から雪は悪魔へと踏み込んで。
「貴様の害意を征し、我が威を示す! 我が首獲るまで、しがみ付いてくれる!」
 ただひたすらに強い意志を込めて、突き出した盾の槍で悪魔の胸を穿った。
『がッ‥‥おのれ‥‥』
 わずかに怯んだ悪魔。甲殻に挟まれたようになった面長の貌に、
「死ね」
「ふんッ!」
 大剣と、拳が、背後の両側から叩きこまれた。
『ッ!?』
 ぐるりと回りかけた瞳で悪魔が見やる。血に濡れた姿で立ち向かってきていたのはカインと絃也だ。
 カインの殺意、絃也の闘心、血濡れ姿に光る彼らの双眸は、まるで地獄の戦士のようで。
 さらにその前。
 深い色彩に身を沈めたアスハが、煉獄に揺れるかのような蒼き炎を片腕に添えている。
「ある阿修羅から伝言だ。人を理解せぬまま、絶望に沈め、ベルッキオ!」
 放たれた蒼きアウルが、ベルッキオの巨腕を貫き、左肩から先を吹き飛ばした。
 立て続けの必殺級の攻撃に、悪魔の装甲が、肉体が、徐々に崩壊していく。

 ――人を、理解せぬまま?

 血を吐きながら冥魔が唸る。

 理解など、とうにしている。
 『家畜』
 『下等生物』
 それ以外に何だと言うのです。



 かつて

 初めて人を喰らい
 初めてヴァニタスを創り
 その性能を称賛され
 ワタシは知ったのだ

 我が才を
 生きる価値ある身を授かった幸せを

 愉しかった
 喜ばしかった

 あの栄光を

 人間ごときに



『否定されて、堪るものですかッッ!!』
 眼を剥き叫ぶ。鞭が如く振るった触腕でアスハを薙ぐ。歪むアスハの双眸は、悪魔の余力に驚くようで。
『我が名はドルトレ・ベルッキオッ! 誇り高き、冥魔だッ!!』
 剛腕を擡げ、大気を両断する巨人の剣が如く撃退士へと振り下ろす。
 盾で受け止める雪と凪。膨大な重量と衝撃に、二人の少女の足元が沈む。
 そして、二人が作った巨腕と床の隙間を縫うように、淳紅が駆けた。
「正直、貴方を少し尊敬し始めてます」
 押し潰さんと振ってくる背の触手を躱して。
「どれだけ手折られようと、朽ちず咲き返る矜持に誇り、感情という不確かな物に振り回されるその姿」
 追撃してくる先端部を駆けこんで避ける。
「方向は真逆と言えど、それは僕らが理想として謳う事」
 攻撃と防御が轟く戦場で、淳紅の声がはっきりと悪魔に届く。
「ねぇ、気づいてますか、ベルッキオさん」
 悪魔の眼前で、魔法の刃をかまえて告げた。

「貴方、今、とても『人間』らしいんです」

『冗ッッ談じゃアありませんよッ!!』
 血と絶叫を吐いて、ベルッキオが触腕で淳紅を叩き潰した。
『ワタシが‥‥このワタシの生涯がッ、貴様ら人間と同程度ッ? 屑同然とッ!? 侮辱する気かッ!!』
 鮮血の雨、地に潰れる淳紅から眼を離し、ベルッキオは背後のラドゥへ向くと触腕を振り上げた。

「違う」

 背後から声。
 眼を見張る。
 振り向けば淳紅が立っている。
 血に塗れた姿。
 それでも人だけが使える、起死回生の力で。
「貴方の命は、人間と同じく軽いわけじゃない」
 濡れた指を、赤と黒のヘッドセットに沿わせる。
「貴方が害してきた全てと同じ。きっと、貴方も尊かった」

 憐みを消して謳おう。
 ただ、幕を引く歌を。
 淳紅の窮地によって解放された厖大なアウルが、慈しみを感じさせる巨大で壮麗な炎の腕を形作る。抱かれる蟲は、人と同じく、あまりにも小さくて。
 炎の中で悪魔が身をよじる。
 美しい炎が、冥魔の甲殻を砕いていく。
『ふざ‥‥けるな‥‥ッ』
 滅びていく肉体。醜悪に歪む憤怒の眼。
『ごの‥‥ワタジが‥‥終わる訳が‥‥そんな筈があるかッ‥‥!』
 焼け落ちる翼。
 骨ばった手が、撃退士達へと伸ばされる。
『我が誇りは‥‥才は、貴様らなんぞに‥‥理解できはしない‥‥ッ! そう‥‥誰か‥‥、この‥‥ワタシに‥‥ィッ‥‥か‥‥か‥‥』
 業火に消える呟き。
『喝采、を‥‥ッ‥‥』
 絶叫も。害意も。全てを抱いて。
 炎の中で。一つの戦いが沈黙へと還った。



 コツ。

 コツ。

 コツ。

 コアが壊され、ゲートが変質したのだろうか。
 触手が剥げ、硬質な床が剥きだしになった床がある。
「痛々しい最期だ。それだけ貴様は愚民共の怒りを買ったのだろうな」
 歩み寄ったラドゥが、一つの闇を見下ろして、
「どうだった、人は」
 問う。静かに。
「まったく弱く、愚かで、直向きだろう。それ故に恐ろしく、それ故に‥‥」
 生じた笑みを、吸血鬼はいつの間にか消して。
「驕るばかりで何も見ようとせん者は、弱者に首を撥ねられる。結局貴様は最後まで、人に何かを見る事は叶わなんだか。‥‥だが、どうだ。愚民共は最後に、お前に何かを見ていたぞ」
 人とは何か。
 冥魔とは何か。
 その差は何か。
 埋められるものか。
 魔と人の価値に違いはあるか。
 あるとするならどちらが上か。
 そして、もし。違いが無いとするなら、人と冥魔は――
「とはいえ、愚民共の『人懐こさ』には、我輩も手を焼いているがな」
 肩を竦めて嘆息する。
 ゲートの入口。人がこじ開け、光の射すその中へラドゥはやがて静かに立ち去る。

 嗤う害意は、人にとって何だったろう。
 敵か。侵略者か。分かり合うべき存在か。
 いつか答えは出るのだろうか。
 人と、冥魔の、関わりの中で。

「さらばだ、害意の悪魔よ」
 ひとつの闇を越えた先。誰もいなくなったゲートには、光だけが射しこんでいた。

〈了〉


依頼結果

依頼成功度:大成功
MVP: 歌謡い・亀山 淳紅(ja2261)
重体: −
面白かった!:18人

Wizard・
暮居 凪(ja0503)

大学部7年72組 女 ルインズブレイド
厳山のごとく・
獅童 絃也 (ja0694)

大学部9年152組 男 阿修羅
歌謡い・
亀山 淳紅(ja2261)

卒業 男 ダアト
撃退士・
ラドゥ・V・アチェスタ(ja4504)

大学部6年171組 男 阿修羅
心の盾は砕けない・
翡翠 雪(ja6883)

卒業 女 アストラルヴァンガード
蒼を継ぐ魔術師・
アスハ・A・R(ja8432)

卒業 男 ダアト
無傷のドラゴンスレイヤー・
カイン=A=アルタイル(ja8514)

高等部1年16組 男 ルインズブレイド
華麗に参上!・
クリスティーナ アップルトン(ja9941)

卒業 女 ルインズブレイド