●
「‥‥妙ですね」
シルバの提案を聞き終えるなり、雫(
ja1894)の第一声はそれだった。
「いつもなら襲って来た者の迎撃はすれど、進む者には不干渉と思っていたのですがね」
表情の乏しい幼い顔。ジトリと注がれる視線から胸中は読めない。
疑われるか‥‥とシルバは顔をしかめる。
「『穏便に行こう』と言う割に『殺す』と脅してくるとは、いい性格ですわね?」
すらりとした佇まいに剣を構え、クリスティーナ アップルトン(
ja9941)もまた、切っ先に似た視線で悪魔を刺す。
「今の貴方は『戦う気も人間を狩る気もない』。あくまでクラウディアに指導をせがまれ、彼女から逃れるため此処に居た‥‥そんな話を信じろと?」
じりじりとにじり寄る銀髪と金髪の二人の剣士。あげく次に口を開いたのは、今のシルバにとって最も厄介な人間の一人だった。
「シルバ」
悪魔を睨み、隙あらば斬りかからんと直刀を構える翡翠 雪(
ja6883)。「人は悪魔の敵だ」とシルバに最初に啖呵を切った『思い違い』の元凶は、凛とした瞳で状況を伺いつつ。
「言い分は分かった。しかし、お前の気が変わらないという保障がない以上。こちらにも帰るという選択肢はない」
雪の剣呑な様子に、首を左右に振ったシルバは剣に手をやった。
「なんだ。結局、戦うって訳かよ」
「ああ」
目を細めた雪は、すっと息をつめ。
「‥‥これで勝負をしましょう」
トランプを取り出した。
「‥‥‥‥何」
声を洩らしたシルバは、完全な真顔だった。
●
どうして、こうなったのぜ?
そよ風が行き交う公園で、七人の人と一体の魔が円になって座っている。
あぐらをかいたギィネシアヌ(
ja5565)は、携帯してきたゼリー飲料をぢゅーと吸いつつ、困惑した眼を悪魔と仲間に向けていた。
(お、俺たちはどうして、はぐれでも無い悪魔とババ抜きをやっているのだ‥‥?)
尤もすぎる疑問である。
いきなりな雪の誘いに、「えっ」と声を洩らしたのは、しかしギィネシアヌだけ。他の撃退士は急転直下でほのぼのモードに突入した。
「ね、寝癖大丈夫!? こんな事ならもっと可愛いリボン着けるんだった‥‥!」
バトルじゃなくなった途端、嵯峨野 楓(
ja8257)は髪を整えだす。気合を入れ、にこーっと笑みを作って。
「お久しぶりです、シルバさんっ!」
あろうことか、ぴょーいと抱きつきにかかった。
「な」
見開かれるシルバの両眼。流石の動体視力で背後の樹木を透過して逃れようとした。が。
透けない。
原因は、「『久遠ヶ原の毒りんご姉妹』華麗に参上!ですわ」と、事前にクリスティーナが発動していた阻霊符だ。高速で楓に抱きつかれたシルバは、地に転がる。
「デートしに来てくれたんですよねー! 戦いが目的じゃないそうですし。シルバさんったら、約束覚えてくれてたなんてウェヒヒですよ」
「おい、待て、離せ。誰もお前と約束なんてして無」
「ま、細かいことは置いといてっ。私はシルバさんと楽しく過ごせれば何でもいいんです」
「話を聞けよ‥‥」
悪魔を抱きしめて笑む楓に、ぐったりと仰向けで呻くシルバ。そこへ、雪が涼しい表情で「どうぞ」と手札を差しだす。
いや、どうぞって。
ここに至って何かオカシイと察したギィネシアヌが、正気な誰かに助けを求めて左右を見渡した。
が、アデル・シルフィード(
jb1802)は瞑想するように腕を組み黙しているし、冷静な部類の雫も「では」と手札を受け取る始末。ではって何なのぜ? 俺はどーすりゃいいのだ? と銃を手にぐるぐる悩みだすギィネシアヌの隣で、鑑夜 翠月(
jb0681)もまた、平和な現場に適応してふわりと笑んだ。
「シルバさんとお会いするのは本当にお久しぶりですね。ちょっと変かもしれないですけど、お元気そうで良かったです」
諦めを深める蛇の眷属(自称)。
そんなこんなで、冥魔を交えたババ抜きが始まってしまった。
「ここ暫くはお姿を見掛けませんでしたが、冥界で何かされていたのですか?」
「何も‥‥」
「戦う気がないのでしたら、これでも飲むといいですわ」
「パスだ‥‥」
翠月の問い、クリスティーナの紅茶に、つっぷした悪魔は目もくれず首を振る。
「面倒も戦闘も嫌なのに、何故こんな所まで来てるんです貴方は」
どこか説教じみた口調と視線。悪魔に向けつつ雪はカードを引く。
「俺の意志じゃねえ‥‥というかお前、そんな丁寧な話し方も出来たのかよ」
「今は戦いではないので相応に。成程、貴方ほど強くても命令には抗えませんか」
ペアを捨てつつ、雪は律儀に手札をシルバに向け。
「ままならないのはどこも同じ‥‥という事ですね。はい、次は貴方の番です」
差しだされた手札に、地にめり込みそうな勢いで伏せっているシルバは声も返さずに首を振った。
(なんだか、今までで一番シルバさんを追い詰めてしまっている気がしますね‥‥)
苦しそうな悪魔の様子に、翠月が苦笑した。
じー‥‥。
「‥‥何を見てんだ」
体育座りでシルバを見つめていたクリスティーナに、悪魔が顔を上げる。
「監視ですわ。無用な戦闘を避けるというならそれもいいでしょう。ですが、貴方が此処から立ち去るまでは、しっかり見張らせて頂きます」
油断はしない。彼女は両眼を細め。
「それにレディが淹れた紅茶を断るなんて男性としての品も疑いますわ」
「気にしてたのか‥‥」
唇を尖らせたクリスティーナは、不機嫌な瞳をぷいっと脇へ。
「構いませんわ。いずれ、茶葉から淹れた紅茶の味を知って頂きますから」
陽光に照らされ、カードを弄びつつ、雫がぽつりと言った。
「今日は怠惰というより心此処に在らずという感じですね。何か悩み事でも?」
「‥‥自分達の胸に聞けよ? 悩みの種はお前らだ」
「失礼。少し、貴方から変わった印象を受けたので」
顔を上げるシルバ。
「以前の貴方は命令なら従い、違うなら忘れていた。もっと物事を単純に考えていたのでは? 今の貴方は何かを考え、悩んでいるように見えたので」
見透かせてしまうのは、雫がシルバと似た者だからか。
「‥‥前々から思ってたが、お前の勘の良さは不気味だ」
悪魔の呻きには、悲痛な本音が含まれているようで。
「単純に考えてられるほど、お前らが大人しけりゃ良かったんだがな」
暫しの静寂がおりた。
ひだまりの中で、たまった温もりに触れるように翠月が髪にさわる。
「温かいですね」
問うともなく。
「シルバさん、良い日向ぼっこの場所をご存じないですか? この様な素敵な場所に居ましたから、他にもご存知かと思いまして」
「どこも同じだろ」
「やっぱり僕は、戦うよりもこうしている方が好きですね」
「俺だってそうだ」
陽に溶ける本音。応じた悪魔の声も、心からの物に聞こえた。
同じ時を過ごすと、分かり合えた気がしてしまう。
同じ事を、悪魔も思ったのだろうか。
「‥‥なあ」
シルバが言った。
「お前ら、もう悪魔と戦うのを止めてみねえか」
●
「なんだって?」
ギィネシアヌが問い返す。
「お前らには戦う理由が無ぇだろ。冥魔は撃退士の魂は吸収できねぇ。他の人間を見捨てりゃ、お前らは安全な所で、こうしてだらだら過ごせるじゃねえか」
「そんなことできる訳がないのぜ!」
思わず、胸に手をあて訴えるギィネシアヌ。
「理由ならあるさ。親や兄弟、友達を救う為では足りないのぜ? 人が全員この力を持ってる訳じゃないのだ。俺の母はアウルを振るえない。大事なものを護る為に戦うことがそんなに不思議かい?」
見せよう。ゼリー飲料の空パックを宙に放る。
展開する『紅蛇世界』――少女の足元に広がった鮮血色のアウルが、無数の蛇となってパックに殺到した。風。食い破る音。銀の容器が、霞となって消える。
「確かに俺は化け物かもしれないけど‥‥この力を護る為に使いたいのだ」
歴戦の痛みを象徴するかのような血色。アウルに濡れた少女の隣で、クリスティーナも頷く。
「理由も何も、天魔によって困っている人達がいるのです。そして私には人々を救える力がある。彼らの為に己の力を使うのは、誇り高きアップルトン家の者として当然ですわ」
晩春の桜が如く舞う銀の破片。それを睨み、シルバは言った。
「力の無い連中のことは諦めろ」
冷徹な言葉。二人が息を呑む。
「気持ちは分からなくもねぇよ。だが、その努力は実らねえ。お前らのちっぽけな力じゃ、戦いの流れから何も守れねぇよ」
「まるで守れなかった事があるみたいに言いますね」
雫の声に、悪魔が動きを止める。
「退ける可能性を持つのに自分に脅威が無いからと見過ごす事など出来ません。そんな事をすれば私は、ただ流されて動く死人と成り下がってしまう。私はもう、昔の様な人形に堕ちたくないから‥‥」
貴方に分かりますか、と胸中で悪魔に問いかける。
貴方はまだ、生者として居たくないのですね、と。
また難しい話だ。
なんて、思うのは楓。どうして悪魔と戦うか?
「仕事だから」
吐く理由に、血なんか通っていない。
「どっちかと言うと流される側ですかねー。‥‥あ、でもこんな出会いもあるし。悪くないかな、と最近」
あは、と笑む表情は、どこか酷薄だった。
「いい加減に、聞き飽きた答えしか返ってこないと思いますが?」
息をついて、雪が悪魔をじっと見据えた。
「『戦わない』という答えを求めても無駄ですよ。敵が来れば戦う。人も天使も。悪魔も同じでしょう?」
雪の指摘に、悪魔は黙した。
「貴方が生者だった頃の事を聞いても良いですか?」
ふいに訊ねたのは雫。
「偶には貴方が質問に答えてみたらどうです。暇潰しの一環になるでしょう」
「‥‥特別な過去なんて無えよ」
唸る悪魔。
「今と同じ様な戦場があっただけだ。敵も仲間も、関わった連中が片端から死ぬ。そんな普通な戦場で、関わるだけ徒労だと気付いた」
「だからですか。あなたが私達を敵と認めないのは」
関わる必要のない誰かを探して。
戦場のない世界を、目指しているから。
「ままならない世の中ですね。‥‥さて、あがりです」
雪が手札の全てを落とした。
●
悪魔との交感の時は、瞬く間に過ぎ去った。
「もういいぜ」
前触れもなく、重い腰を上げた悪魔が翼を広げた。
「ろくに寝せてもらえなかったが‥‥俺はもう帰る」
「えっ、まだデートちっくなこと何も」
「うるせえ」
深々と嘆息しシルバが背を向ける。その背に。
「俺は悪魔と戦うぜ」
ギィネシアヌが声をかけた。
「たとえ俺たちの力がちっぽけでも、大切な人達が危険に晒されるなら、俺は何度でも抗いたいと思うのだ。もう、何もできずに両膝を抱えて震えるだけなんて御免なのぜ」
拳を握り締める。
「力と理由があるなら、自分がやらなくてどうするのだ」
一人の生者として、言う。シルバは振り向くこともせずに。
「勝手にしろ。警告はしたぜ」
翠月も、追う様に立ち上がり。
「最後に一つ訊ねさせてください。ドルトレ・ベルッキオという悪魔をご存知ですよね」
シルバが歩みを止める。
翠月は目を伏せて。
「悪魔と戦う理由‥‥アウルで為したい事を見つけられない僕には返答は難しいです。でも、話しても分かり合えない害意が存在する事を知りましたから」
ぎゅっと手を握りしめ。
「噂程度でも良いです。あの悪魔の現状を教えてください」
シルバの紅い瞳が翠月を貫く。
「あいつと戦ったってのは、やっぱりお前らかよ。追い詰めた気でいるって訳か? 言っとくが、お前らじゃあいつを殺すのは無理だぜ」
「なぜです」
「あいつも悪魔だからだ。情けねえ奴だがな。人間に殺されるなんて有り得ねえ」
「でも、僕達は止めます」
「どうやってだよ」
「どうやってでも」
翠月に退く気は無い。害意を終わらせる。心に、決めたことだ。
しばし見返していたシルバは、やがて目を細め。
「あいつは今ゲートに戻ってねえ。名誉も力も失ったまま、お前らへの憎しみだけで動いてるんだろうぜ。だがお前がそうまで言うなら、都合がいいな」
「都合?」
「俺がお前に、あいつの居場所を教えてやる」
撃退士の間に、戦慄が走る。
「止めれるってんなら試してみろよ。人間は悪魔の『敵』にはなれねえんだ」
暗く色を深める瞳からは思惑は読み取れない。
「どうしてだ」
ギィネシアヌが苦痛気に歯を軋る。
「怠惰が好きなんだろ。なら、お前さんたち悪魔はなぜ戦ってるのだ? 天使とも撃退士とも戦わない選択肢だってあったさ、きっと」
紅い瞳が銀髪の少女に向く。
「あったのかもな。だが、冥魔はその道は選ばなかったって訳だ」
刻限。
飛び立たんとした悪魔に、駆け寄る者が一人。
「待った待った!」
楓が、シルバの手を掴む。
「ぶっちゃけ私は、ベルなんとかさんとかどうでもいいです。誰かと関わるのが面倒でも‥‥私はシルバさんの事が知りたいです。好きなものに嫌いなもの。趣味とか好きな子のタイプとか。あと、パンツの色も最優先で」
「おい」
「仲良くなるにはまずお互いを知るべきですよね。私は甘い物とか好きで、虫とか幽霊は嫌いかな、趣味は同人誌漁りとか‥‥」
指折り数え、不敵に笑んでシルバを見る。
「私のこと覚えて貰いますからね。好きだって言ったの、本気ですから」
「訳が分からねえ」
困惑した風なシルバに、楓は笑んで。
「バレンタインは過ぎましたが」
菓子チョコを取り出す。髪から赤いリボンを引き抜いて、包装代わりに巻いた。
「今度はちゃんとデートしましょうね。手繋いで散歩でも十分デートっぽい気がするし、次を楽しみに待ってますっ」
悪魔のポケットに滑り込ませる。
「お前は‥‥」
「ん?」
口ごもったシルバは肩を竦めて。
「何でも無え。頼むから、そんな調子のまま俺に殺されてくれるなよ」
小さく息を吐いて、雪も腰を上げた。
「もっと段階を経てから。私が貴方の『敵』だと言える頃に言うつもりでしたが‥‥これも運命というのでしょう」
こんな提案をするには、うってつけの雰囲気だ。
「シルバ。久遠ヶ原に来ませんか?」
表情は真剣。顔をしかめたシルバの、言葉を読んで。
「えぇ、はぐれになれ、と言ってるんです。貴方の腕と知識なら学園も無碍にはしない。力は減衰するでしょうが、争いと無縁の立場にだってなれるでしょう」
「嫌だね。天魔の資源でしかねえ人間についたら、今度こそ終わりだ」
じっと視線を注ぎ、雪は伝えるように。
「頭の片隅にでも置いておいて下さい。私だって、本気ですよ」
飛び立つ悪魔を、撃退士たちは見送った。
奇妙な午後。
通信したクリスティーナの「シルバとトランプをしていたら、ベルッキオの動向が掴めましたわ」という報告は、学園の黒峰夏紀に「えっ?」を八回言わせる結果となったが。
●
「そういえば」
クラウディアが、シルバを振り向いて言った。
「シルバ様はお供無しですのに、無傷なんて尊敬です」
「‥‥疲れはしたけどな」
ポケットの重みに髪を掻き、撃退士の言葉を思い出す。
ままならない世の中。全くだ、と嘆息した。
〈了〉