●
「ご愁傷さん、と。後掃除が面倒だろォな」
ビルの中。
散乱する遺体を無感動に一瞥しながらマクシミオ・アレクサンダー(
ja2145)は階段を踏み昇る。
「ったく、好き勝手汚しやがった上にゲートで保存なんぞ考えてる馬鹿は何処のどいつだ」
赤い瞳で通路を警戒しつつ、鷺谷 明(
ja0776)も呟く。
「ビルごと破壊したら終わらないかねえ?」
「‥‥鷺谷さん?」
「冗談だがね。周囲に被害が出たらいけない」
三善 千種(
jb0872)に半目で睨まれ、けれど明はニッコリと笑顔。どこまでが冗談か分からない。
「もう。その木材とライター、ビルへの放火用だったんですかぁ?」
千種に指差され、明は小脇に抱えた木板を見る。
「ああ、これは違う。子機の破壊前に主を見つけたら、床を崩して下から焚き火してやろうと思ってねえ」
「ちょっと」
「煙れ」
「いや駄目ですよぉ。面白そうですけれど‥‥」
二本の並んで聳えたビル、その右の建物を彼らは進んでいた。
罠を避けるべく、ルートに選んだのは階段。念の為にエレベーターも覗いてみると、案の定その床は紫色に溶けていた。
「‥‥ふん」
中津 謳華(
ja4212)は黙して進む。彼の平常心には一輪の波紋も立っていない。たとえ待ち構えるのが、人類を裏切った撃退士としても。敵として出るならそれも道だ。
ゲート展開までのリミットは、もう僅か。
●
「調子はどうだー? こっちは1個目の水晶を見つけたぞー( ´∀`)」
血濡れた手。煌めく子機の残骸をポケットに流しながら、ルーガ・スレイアー(
jb2600)がハンズフリーイヤホンに言う。
A班は、左のビルを捜索中だ。黒百合(
ja0422)の提案で小さな部屋を捜索の対象から外して、オフィスなど大部屋を中心に迅速に探索範囲を広げている。
「もっとちゃんとした地図が欲しいわねェ。もう少し進めば手に入るかしらァ?」
黒百合が唸る。『来客用』のラフな地図では、ビルの正しい構造が把握できない。一方。紫ノ宮莉音(
ja6473)の表情には、微かな自問が揺らいでいた。
(京都は奪還された。僕は、まだ撃退士を続けて行くんだろうか)
家族を失いかけたあの日も、刻まれた恐怖も、過去になりつつある。もちろんゲート展開は絶対に阻止しなくてはいけないし、今回のように戦いで護れるものがある事はわかっている。
でも、もしかしたら。
戦うことで壊してしまうものだって――。
「‥‥毒沼、ですね」
鑑夜 翠月(
jb0681)が前方を見据えた。カーペットを敷かれた床が広い範囲で液状化している。
「止まりましょう。迂回は出来ませんし、気を付けて避けるしか――」
全員が歩みを止めた、その直後だ。
パチン。
毒沼が、爆発した。
「っ‥‥!」
爆風の向こうに敵が歩み出る。天魔たちと寄り添う喪服の男だ。黒百合は鷹揚に、瞳を人型天魔へと流す。
「話は聞いているわァ。そっちの彼女が貴方の大切な人なのかしらァ?」
フューネラル。礼司はソレと添い遂げるために、人類への反逆を選んだのだとか。
「大切な人との別れ。悲しむかもしれないけど、私だったら『一緒に逝く』なんてロマンチックな考えにはならないけれどねェ」
「おいおい、俺達は、一緒に逝くなんて言ったことになってんのか?」
礼司が鼻で笑う。
「勘違いすんなよ後輩ちゃん。俺は、樟葉と一緒に生きるんだ」
「あら、同じことよォ?」
黒百合は微笑んで、恍惚とした表情でズルリと大鎌を両手に握った。
「だって、私が殺すものォ♪ 天使も悪魔も人間も関係無い――、私の邪魔をするのなら誰でも敵だわァ‥‥♪」
大気を冷やす様な殺気が廊下を凍てつかせる。戦場の空気が形成されていく。
「他の連中はどうなんだ? 大切な誰かが死ぬって時に、どうする?」
「‥‥私は長生きだからー、別れた時の気持ちなんて忘れてしまったぞー」
ルーガは和弓に矢を番えながらフューネラルを見据える。
天魔の喉元。
空色の水晶。
「けどー、お前に『忘れろ』とは言わないよー。だから憎む相手を与えてやるよー。この結果に納得が出来なければ、奪った私を憎めばいいんだぞー( ´∀`)!」
どうせ天魔だもの。
憎まれるにも慣れてるさ、と。
言うや否や、ルーガはフューネラルの喉を狙って『封砲』の矢を放った。閃光となった矢が敵の喉元へと飛翔する――が。
フューネラルは首を傾げてそれを躱した。同時、黒豹とネクロハートが撃退士達に襲いかかる。
「! まとめて対処します!」
翠月は天魔の群れへ手を向けた。温かみのある光が放たれ、駆けてくる黒豹たちの頭上へ到達して――炸裂。
七色の花火が、黒豹とネクロハートを吹き飛ばす。
「ふッ――」
莉音が振った薙刀が、火傷を負った黒豹の首を一閃に裂いた。死した仲間を跳び越え、次いで莉音へと牙を踊りかかった黒豹が、飛来した黒百合の『黒霧』に両断される。
「もう一度ー!」
再び。ルーガが封砲をフューネラルの喉へ放つも、避けられる。喉と子機、あからさまに密集した弱点は敵の最大の囮だった。首への直接攻撃は、見切られてしまう。
「僕が援護するよっ!」
礼司のファイアーブレイクを耐えて莉音が駆けだす、まさにその時。
ぷくり。中空で、ネクロハートが肉の体を膨らませる。
「っ!」
爆散した心臓天魔が緑の液を床へとぶち撒ける。莉音は毒の水たまりを前にして、立ち止った。
「さて、一方的に焼かせて貰うぜ」
毒沼の対岸で足止めされた撃退士たちへと、礼司が手の平に炎を生む。
「そうはさせないわァ‥‥♪」
黒百合が笑み、たん、と舞い上がった。天井を踏み、そのまま天井を礼司へと疾走する。
一瞬で肉薄してきた黒百合に礼司が目を剥く。逆さに構えられた三枚刃を持つ巨大な鎌に、注意を奪われてしまった。
攻撃が、黒百合の口から放たれる。
完全に予想外のタイミング。少女の口内から発射された高密度に圧縮されたアウルが礼司の胸へと突き刺さる。体内で炸裂したアウルに、礼司の肉体から鮮血が迸った。
「まだよォ、」
真っ赤な顔を上げる礼司へ、黒百合の鎌は止まらない。
「これで、お仕舞ィ♪」
黒百合の『隼突き』が、咄嗟に展開された緊急障壁を鎌で薙ぎ抜く。爆発的な反動に黒百合は天井を滑り、莉音たちのいる毒沼の向こう岸まで帰還。対する礼司は、衝撃を殺し切れずに壁へと叩きつけられた。
「が、はっ‥‥」
尋常では無い量の吐血。
翠月が思わず表情を強張らせる。礼司の負傷は、再起不能と診断されておかしくない重傷だ。
「さあ、諦めなよー」
くずおれる礼司を、後ろからルーガが抱えた。翼を有する彼女もまた毒沼の上を飛んできたのだ。
「殺しまではしないさー。子機さえ奪えばいいんだぞー…こっちは( ´∀`)」
諭すように、上着ごと奪うべく引っ張る。絶体絶命の状況下、礼司の口から漏れたのは。
「‥‥舐めんじゃ‥‥ねえ‥‥ッ」
フューネラルが、ルーガの背後で日本刀を振り上げていた。
莉音の援護射撃も、間に合わない。礼司を抱え両腕の塞がっていたルーガの背を、フューネラルの毒の刀が斬り裂く。
「う、ぁ‥‥ッ‥‥!?」
敵は二人一組。片方が捕まれば片方が救いにくる。宙でよろめいたルーガから礼司をひったくり、フューネラルは指を構えた。
「待ってよ!」
莉音が叫んだ。礼司たちが逃げる気だと――、そして、まだ戦いを続ける気だと気付いたから。
「礼司さん! 僕は、ただ一人と共に生きようと約束したことはないけれど――、」
それでも、悲しい別れはあった。
大切なものも失った。
だけど、いつだって帰る場所と迎えてくれる人はあった。
「大事な故郷の京都が奪われた時も、他のいつだって‥‥繋ぎ止めたいと願った! でも時間を巻き戻すことはできないよ!」
だから、もうやめよう。
今なら帰れるからと。
切実な叫び。
礼司が振り向く。
「知った口を利くんじゃねえ」
憎悪に満ちた瞳が、莉音を射抜く。
「本当に大事な何かを、失ったこともねぇ餓鬼がよ」
莉音が言葉を呑み込む。フューネラルの指が、パチン、と鳴った。
爆炎。
ルーガの肉体と床に散った毒液が、業火となって廊下を鎖す。熱と風の奥で、天魔と人が去って行くのを、撃退士達はただ見ているしかなかった。
●
「‥‥ん、了解」
マクシミオがスマートフォンを耳から離す。
「B班と連絡がついたぜ。傷は負ったが治した、探索に支障は無いってさ」
数分前。
B班と通信状態にしていた端末から、爆音が聞こえた。ビルの中腹。廊下で、マクシミオ達は黒豹の群と戦いながら連絡を試みていたのだ。
「無事ですかぁ。良かったです」
千種は、襲い来る豹を射抜きながら安堵の息をつく。前方。最前線で黒豹の攻撃をいなしていた謳華が、ふと一体の豹に目をとめた。
「妙だ。あの個体、攻撃に牙を使わん」
黒豹を膝の一撃にて屠りつつ、謳華が一体の豹を視線で示す。三匹で出現してから今まで、その個体だけはずっと爪だけで攻撃をしかけていた――
はっと千種が目を大きくする。
「口に何か咥えてます! 結晶持ちですよぉ! やっつけましょう!」
廊下の奥へ駆けだした黒豹を撃退士たちが追いかけようとした。その時だ。
曲がり角から、二つの影が歩み出る。
骸骨頭の女性と、血の染みたスーツを着た男。マクシミオは猟犬を思わせる双眸で、彼らを睨む。
「‥‥おたくが例の撃退士? さっき、重傷負って逃げたってハナシじゃねーっけ?」
「上の心臓天魔に治させたさ。お仲間にはやられたぜ。もう、油断はしねえ」
昏い殺気を感じながら、千種は嘆息。
「味方になれとは言いませんが、邪魔はしないで欲しいですねぇ。あなたが仕組んだゲームですよね、結晶探し」
「強かな言い回しだなぁ嬢ちゃん」
礼司は笑う。
「でも邪魔はするさ。お前らがゲームに乗った以上、俺や樟葉は結晶探しのゴールだ。避けては通れねえだろ?」
「故人の屍で人形遊びかね? 趣味が悪い」
愉快げに笑う明を、礼司が睨む。
「‥‥んだと? 大切な人を失いかけて、添い遂げようとする事の何が悪い」
「うん。人間としては問題ないかと思うよ。で? そちらの事情を何故こちらが勘案せねばならない?」
無限に漏れ出る笑いが廊下を這う。明は不気味な斑紋が蠢く手に刀を構えた。
「――黒豹は私が仕留めます」
弓の弦に馬手をかけながら、千種が仲間達へと囁く。
「皆さんには礼司さん達の対応をお願いできますかぁ?」
並んで立つ天魔と男へ、マクシミオが床を蹴った。
「言葉でどーこうなる空気じゃねえもンなァッ!」
一直線に突き出された白銀の槍の刺突を、礼司は身を振って躱す。
「空気で人を突き殺すのかよ、赤髪」
礼司の掌がマクシミオの頭部を狙う。それを防ぐように、明と謳華が礼司とフューネラルの前へと踏み込んだ。
謳華の膝をフューネラルが舞う様に躱す。
明の斬撃を礼司がバックステップで躱す。
「前衛が三人か。頑丈そうな身体してるがよォ、」
礼司の呻きと同時、謳華が肩口をフューネラルの刀に裂かれる。毒が、巡る。
「こっちは一太刀浴びせればケリをつけれんだよッ!」
パチン。
謳華の体が爆裂する。同時に礼司が放ったマジックスクリューに明も意識を狩り取られる。
「っ、謳華さん! 明さん!」
黒豹の腹部を射抜いて仕留めつつ、とんでもない爆風に千種が叫んだ。
直後。
だん、と。
礼司の眼前に踏み込む足がある。
爆炎を突っ切り、敵を睨む謳華。
「マジ‥‥?」
愕然とする礼司の鳩尾へ謳華の膝蹴りが叩き込まれた。禍々しい墨焔が礼司へ絡みつき、牙を剥く龍の顎となって肩へ喰らいつく。
「此の身全て剛の盾‥‥易々崩せると思うな」
黒焔を吸収する黒衣の男。額から、胸から、腕から、膨大な血を床に落としながらも、謳華は禍々しい気迫を纏い、構えを崩さない。
礼司が正面へ構えた掌を、躍り出たマクシミオが盾で弾き返す。
「ポイズンミストか」
歪む礼司の顔へ、マクシミオは凶暴に笑みかける。ビンゴだ。
「こっちもお前らの技はケンキュー済みってワケよ!」
連続で突き出されたマクシミオの槍が礼司の鎖骨部を掠め、血を散らせた。
フューネラルが舞いかかる。マクシミオの項を狙い日本刀を振り上げるも、飛来した矢がその腕を貫く。
「邪魔、仕返させてもらいますねぇ」
弓を構えた千種が礼司たちへと狙いを定めていた。
「樟葉ッ!」
礼司が振り向き、立ち塞がる謳華を魔法の風で今度こそ吹き飛ばす。
「『樟葉』か。滑稽だねえ」
意識を失いつつあるのが嘘のように、明が笑う。
「君は悪魔の人形を、大事な故人の名で呼ぶのか」
「手前ぇ‥‥まだ言うか」
「意識も記憶も無いのなら、唯の人形遊びだがね」
明の指が、不吉な死神のように天魔を指す。
「『樟葉』は死んだ。仮に意識と記憶が残っていても、今居るのは『ディアボロ』だろうに。彼女と躱した約定は彼女と共に死んだのじゃ無いかね? 『一緒に生きる』? 君は『ディアボロ』と共に生きる約定を再構築するのか?」
憐れむ風でもなく。
愉し気に。
「感傷でしかない自慰だよ。意味も価値も無い。満足はあるかもしれんが、瞬間の逃避に過ぎぬ」
笑み続ける明の腹へ、フューネラルの毒の刀が埋まった。
「‥‥意識も記憶も無ぇだと? 戯れんな。樟葉の何を見て言ってやがる」
「現実を見て言っているよ。愉しいからねえ」
爆破。
爆炎の柱と化した明が、その場へ崩れ落ちる。
(二体二‥‥)
千種が状況を分析し、前髪の下で目を細める。
(‥‥ちょっと分が悪いですね)
「怨むなよ。お前らだって、大事な仲間を失う時がきたら分かる」
「あ? 何の話だオイ」
呆れて吐き捨てながら、マクシミオは槍を構える。
「んなコト考えてたら落ち込んで仕方ねえっつーの。分不相応に先読もォとするから不幸にしかならねェ」
そうだ。
マクシミオの言葉に、千種も弓を握り直す。
この現状を不利と考えるのも後でいい。
今は、今だ。
「‥‥気持ちはわからないことはないですけどねぇ。許容はしません。立ちはだかるものは排除しますよぉ!」
マクシミオと千種が並び立つ。フューネラルが笑いをあげて踊りかかった。
迸る斬撃。散った血は僅かでも、続くのは爆炎。
戦いの音が小さくなり、やがて暗転する。
●暗闇
夢だろうか。
無が支配する暗闇。
謳華は、愛する人の前に座っている。
――大切な人との別れ、か。
彼女の相棒として相応しい男になる。そう、謳華が誓った女性に。
「もしもお前が宮本の惚れた女の様に殺され、ディアボロとして蘇り、悪魔から同じ様な選択を迫られたなら、俺は――」
――……
「あっ、目が醒めた?」
仰向けの姿勢。
目を開いた謳華が見たのは、莉音の安堵の顔だった。
「みんなー大丈夫かー?(´・ω・)」
「随分、派手に戦ったみたいねェ」
片方のビルの探索を終え合流したB班が、A班の治療をしてくれていた。
廃墟同然と化した廊下。全て、マクシミオ達の肉体が爆破されたことによる戦いの痕だ。四人は善戦したが、かすり傷を致命傷に変える怪物を相手に正面から立ち塞がっても勝目は薄かった。
「申し訳ありません。結晶も取られてしまいましたぁ‥‥」
煤と血の残痕から身を起こした千種が顔を背ける。翠月が優しく笑んだ。
「大丈夫ですよ。皆さんが無事なら、取り返しはつきます。‥‥礼司さん達は上に向かったみたいです。ここに来るまでディアボロ達を倒してきたのですが、途中、血の痕が最上階に伸びていました」
「悪魔は見つかったかねえ?」
上半身を起こし、痛い痛いと笑いながら明が訊ねた。
「それなー(`・ω・) 黒百合殿が社員用の見取り図を見つけて、潜伏場所の見当をつけたっぽいのだー」
入手した地図を全員で確認。
ああなるほどと、明は呟く。
「これじゃビル壊しても終わらなかったねえ」
「‥‥そこですかぁ?」
千種に呆れられる。マクシミオが赤い前髪を肩に流しつつ、首を上に向けた。
「んで、ラスボスはあの二人組か。決戦の舞台が最上階ってのも、出来過ぎと思うンだが」
伸びた犬歯を覗かせ笑みぐみ、腰を上げる。
「いっちょ、ぶン殴りに行ってやるか」
●
満天の星々が降らす水晶のような光に、宮本礼司は傷の癒えた身体をさらしている。
「あの男、ふざけやがって‥‥」
ぶつぶつとフューネラルに呟く。
「人形遊びだ? お前には生きてた頃の意識がある‥‥記憶だって、ちゃんとあるのにな‥‥」
返事は無い。ただ、髑髏の面が微笑んでいる。
「なあ、――」
心によぎる影に、思わず問う。
「お前は本当に‥‥樟葉、なんだよな?」
『エエ』
骨が頷く。礼司の顔が、泣きそうな安堵に歪む。
「だよな。そうさ。何も間違ってなんかねえよ。‥‥だからもう一度、改めて訊くぜ」
手に投げナイフを並べ、礼司は展望スペースの入り口に向けた。
「――大切な人との別れが迫った時、お前らだったらどうするんだ?」
並ぶ8人の撃退士。
月光のなかに進み出て、弓を構えた千種が目を細める。
「別れが必要なものであれば、別れるしかないですねぇ。永遠はありませんよ? 特に今回のあなたの場合――、彼女は望んでいるのですか? 悪魔に与したあなたを」
一緒に歩むと誓ったのは、悪魔が敷いた道ではなかったはずだ。
「死と同義ですよねぇ、人間としての。私はそれを望みませんよぉ、こんな時勢ですからね。それをなくす為に戦っているんですよ」
「望んでるのかだって? よく見ろよ嬢ちゃん」
礼司は腕を振ってフューネラルを示した。
「樟葉は、此処に立ってる。今も生きてる樟葉が俺と並んで立ってんだ! 望んでねえ訳があるかよ? 永遠は、あるさ。俺が‥‥この戦いで勝ち取るんだ!」
「別れが迫ったならば、か」
腕を組み、構えながら謳華は瞑目する。
(もしも彼女が殺され、ディアボロとして蘇り、悪魔から同じ様な選択を迫られたなら、俺は――)
「――殺す。必ず、この手で。微塵の躊躇いもなく」
脳裏の彼女へ、愛を貫く。
「惚れた女を殺され、剰えその身体を繰り殺戮の道具にするなどという辱めを見逃す事などできん。彼女が彼女であった証の為にもこの手で殺し、それを成した悪魔も、必ず殺す――絶対にだ」
怒りに満ちていた。
宮本礼司。
お前は何故、悪魔が愛する者を玩具にすることを許せたのだ。
「答えを出した者同士に、もはや問答はいるまい」
息を呑む礼司を見据え、謳華は月光が円形に照らす戦場に進む。
「中津荒神流古武術、中津謳華‥‥参る」
(僕は、恵まれた甘えた子供かもしれない。)
顔を歪ませる礼司を見つめ、莉音は想う。
だから彼を愚かだとは思わない。
でも。
「礼司さん」
それでもだ。
「こんな侮辱を許して繋ぎ止めることは愛を騙った支配だ」
莉音は礼司を見据え、薙刀を構えた。
「彼女はもう自分の意志で生きてゆかれない。だから僕は君と戦う。悲劇を終わらせる。未来を願うこと、今を動くこと。できるのは、それだけだから!」
ふいに涙が込み上げそうになって、礼司は咆哮する。
「あァあああああああァッ!来いよ! やれるもんならやってみろよッ! お前に終わらせられる悲劇も――お前が終わらせるべき悲劇も、もう、どこにもねえんだッ!!」
残る敵は、宮本礼司とフューネラルだけだ。
覚悟を決めた者達がいっせいに月光を蹴る。
哄笑と共にフューネラルが突き出した日本刀が、明の胴を貫いた。パチン、指を鳴らす。爆発が――起こらない。
「私の『人形遊び』だ」
『形代』。魔装を改造した人形に刺突を身代わらせた明が、フューネラルを斬り返した。
「さっきのお礼だー!」
ディアボロの頭上にルーガが舞った。封砲。閃光となって落下した矢の一撃が、しかしフューネラルに躱され床を爆散させる。
「もう逃がしません」
禍々しいヘルゴートの緑紫を纏った翠月が、フューネラルの背へ漆黒の刃を放つ。ルーガの一撃で逃げ場を失っていた敵の両脇を、莉音と謳華が固めた。
連撃。
魔法の刃が、謳華の『牙』が、莉音の薙刀が敵を呑み込む。
『――レイジ!』
骸骨の叫びに、千種の矢とマクシミオの槍をいなしていた礼司が振り向く。黒百合が鎌を振り上げて疾駆してきていた。
「同じ戦術を二度も食うかよッ!」
迎え撃つように向けられる掌。ポイズンミストの薄暗闇が、黒髪の少女を抱く。
パチン。
毒が染みることはなかったが、黒百合を包んだ霧がそのまま爆炎に変わる。が、猶も爆風の塊からデビルブリンガーの先端が飛び出し、隼突きの一撃が礼司の胸を貫いた。
「無傷で躱せると思って欲しくないわァ…♪」
鮮血。急激に奪われた体力に、礼司の膝が震える。
戦場。謳華と莉音がフューネラルに爆破された。身体から血を散らしながらも彼らは止まらず、明も人形を棄てて刀を振る。
「隙――」「ありだぞー!」
ルーガと千種の矢が同時に礼司を貫いた。間髪空けずマクシミオが踏み込む。礼司と瞳を交差させつつ問うた。
「限界か?」
「どっちがだ!」
礼司が撒いた炎に、マクシミオは包まれた。追撃を避けるべく熱の中で目を凝らすと――、礼司が遠くへ駆けていくのが見える。
「逃げる、ワケじゃねえな‥‥」
天井から、もう一体の天魔が降ってきていた。
隠し玉。最後のネクロハートだ。
マクシミオが一瞬の判断で床を蹴る。回復役がまだ居ることは読めていた。事前の連絡の共通で、斃した敵の数を集計したおかげだ。
(俺らも奴らも満身創痍。ここで治されて堪るか‥‥!)
マクシミオが心臓天魔を狙って距離をつめる。そして気付く。礼司が、自分に手の平を向けていた。
ポイズンミスト。
もはやシールドバッシュも使えぬマクシミオに回避の手段はない。魔法の噴霧を正面から喰らい、膝を折って倒れ込む。
食い込む指。
マクシミオの喉を鷲掴みにし、掲げ、礼司が口角を上げた。
「はッ、今度は読めなかったか? 毒、食らってんじゃねえかよ」
全身を焼く毒を感じつつ、マクシミオは唇から血を溢し。
「‥‥はっ」
獣眼が、礼司を睨んで。
「お互いサマだ、馬鹿野郎」
マクシミオの槍が、ネクロハートを貫いていた。
ばしゃん。爆死した心臓天魔から散った毒液が、礼司とマクシミオの全身をずぶ濡れにした。
「勝負アリだろ。天魔が能力を使ったら、お前も木端微塵だぜ」
絶句する礼司へ、マクシミオは双眸を細める。
「別れがどうのと言うけどよ。目の前だけ見て、其処にあるモンをあるがままに受け入れて。誰かと一緒に生きるのには、それで十分じゃねーのか」
終わりをどんなに遠ざけても。
人は、永遠には生きられないのだから。
「お前、なんで、受け入れてやれなかったんだよ」
礼司の目から、戦意が消えていく。
敗北を悟ったのだ。
回復の手段も無く、能力も封じられて。
もはや戦えぬと、相棒の天魔へと目をやって――。
「‥‥樟葉‥‥?」
愕然と釘付けになる礼司の視線を、千種が辿った。
フューネラルがマクシミオと礼司に指を向けていた。
マクシミオが目を大きくする。
千種とルーガが何かを叫んで弓を構える。明と謳華も、床を蹴った。莉音も翠月も、必死に駆けた。
ただ到底、間に合う距離ではなかった。
月光が降り注ぐ。
『死ネ、撃退士』
骸骨の頬が、最後に笑った。
閃光。
飛来したアウルの砲撃が、フューネラルの左腕を滅し飛ばしていた。
黒百合の『破軍砲』だ。神速で接敵した黒百合の鎌がフューネラルを床へと薙ぎ倒す。
「なん‥‥でだ‥‥」
「ディアボロは元々、悪魔の戦いの道具だよー」
愕然とへたり込む礼司へ、ルーガが静かに歩み寄る。
「敵を殺せるチャンスなら、瀕死の仲間なんて簡単に見捨てるさー。もっとも、『本当に生前の意識を残されていたのなら』違ったかもしれないけれどなー」
「礼司さんが一緒に生きたかったのは、樟葉さんだったはずです」
翠月が、礼司の傍に屈んだ。
「それなのに遺体をディアボロにされて‥‥どうして、許せたのですか」
たくさん見てきた。
誰かにとっての大切な何かが、あの悪魔に穢されるのを。
「ディアボロとして生かされるのは、樟葉さんにとっての辱めだと思います。別れは辛いです。僕も嫌です。悲しみますし、乗り越えるまで時間も掛かると思います‥‥けれどせめて、大切な人には安らかに眠ってほしい。それが、僕の答えです」
奪われた全て。
戻ってはこない。
救えるのは、心だけだから。
『レイジッ!!』
フューネラルが、黒百合と鷺谷の凶悪な連撃を捌くのに精一杯になりながら、大声をあげた。
『レイジ! コイツラヲ、ブッ殺セッ!』
「だからお願いします‥‥」
翠月は涙を堪えて頭を下げた。
「大切な想いの行先だけは、悪魔に奪われないでください」
礼司の目から、涙が伝う。
真実を悟って、項垂れた。
「すまねえ、樟葉‥‥お前を、愛してる」
『レイジ! ドウシタッ!?』
愛している。
その言葉が、何故。
『ソノ言葉ヲ何故ッ、アタシニ向ケナイ!?』
「嘘が剥がれたんだねえ」
直刀を手に、明が笑った。
「なに、愛が向くべき方角へと正されただけだがね。お前はディアボロだ。『樟葉』の意識を保っているフリをしていたようだが、もう無駄だねえ」
心も肉体も完全に置き換わっている。
魂すらも、悪意に満ちた贋物だった。
『シ‥‥』
真理を見抜かれ、樟葉の魂を騙っていたディアボロがわなわなと顎を震わせる。
『シ‥‥死ネ! 死ネ撃退士ッ!! 死ネ死ネ死ネ!! レイジモ!撃退士モッ!皆ミンナ死ンジマエェエエッ!!』
最期。
千種が、天魔の脳天に矢の狙いを定める。
「ご愁傷様です」
闇夜に飛翔した一本の矢が、贋物の絶叫を終わらせた。
●
コツン、コツン。
足音を鳴らしながら、撃退士たちは階段を下っていく。
――で、お前はどうしたいワケ?
数分前。決着後の最上階でマクシミオは礼司にそう問うた。
――彼女と一緒が良いってンなら俺等が送ってやってもイイ。同族殺しは趣味じゃねェが…土下座して頼むトカなら考えてやる。
――俺はもう、人類に合わせる顔がねえ。殺せ。一想いに
跪こうとした礼司が、マクシミオに顔面を蹴り飛ばされる。
目を白黒させる男の襟首を摘み上げ、顔を寄せたマクシミオが吐き捨てた。
――嫌だね。死んで楽になる気か? 俺らからさんざ言葉集めといて、何を寝ぼけたコト言ってんの?
――意味が分からねえよ。俺が生きてて、いまさら何をできるってんだ。
――とりあえず、生きる事かしらァ。
くすり、黒百合の笑み。
――だってさァ…大切な人との思いでも出来事も、自分自身が居なくなったら誰も覚えていないのよォ、全てから忘れ去れるのよォ? ‥‥それって寂しいじゃないのさァ?
長い静寂。
煌々と輝く月が綺麗だった。
――…ありがとうな。
潤む声。
宮本礼司の身柄は、後に学園へと引き渡されることになる。
公正な裁きの後に、彼はきっと、撃退士を続けるはすだ。
――忍びの嬢ちゃんの言う通りだ。天魔の姉ちゃんもだ。憎むべき相手はお前じゃねえ、他にいた。中華服の兄ちゃん、そうだよな、俺はこれを成した奴を――
「着いたわねェ♪」
ビルの、地下だった。
撃退士達は地図から目を上げ、倉庫らしき厚い扉を開く。
がらんとした室内へ、子機を握りしめて、千種は緑コートの男を睨んで一歩を踏みだす。
「こんな地下まで隠れて、随分臆病ですねぇ」
謳華も結晶を手に、悪魔を見据えて入室した。
「一つ訊く。なぜ、宮本が惚れた女の本物の人格を、天魔に残さなかった?」
みしりと子機を握りながら、ルーガが元・同胞へと笑んでみせる。
「どうした。悔しくて答えられないかー? なんなら代わりに呟いてやるぞー。『ゲート展開失敗なう』って――」
悪魔ドルトレ・ベルッキオが、憤怒に充血した三白眼を見開く。
「黙れ。この‥‥下郎どもが‥‥!」
澄んだ音をあげ、撃退士たちが一斉に子機を砕いた。
「右正拳しか使えねーのは仕様ッス、お客様のご理解とご協力をお願い致しまあああっす!」
オーラを纏ったマクシミオが、バリアを失ったベルッキオへと駆ける。一瞬で距離をつめ、緑玉色の輝きを帯びた聖槍を隻腕で突き出した。
悪魔が唸る。ゲート用のエネルギーを霧散させながら、左腕を白い3本の触手へと分裂させる。三つ又のヒドラ。その一本が硬化する。
衝撃。
絶大なカオスレート差を持つマクシミオの一撃は、鉄壁のワームに防がれた。
「赤髪、よく、突っ込んできましたねェ‥‥貴方達はッ、いつもいつもォ‥‥ッ」
黒百合の鎌が、バリアクォーツの親機を爆散させる。
「何度も何度も、このワタシの邪魔ばかりィいい‥‥ッ!」
両側から振り下ろされた莉音の薙刀と明の刀を、二本の触手が受け止める。
「貴方たちはどこまで! ワタシの邪魔をすれば気が――」
「あなたも、どこまでも悪質に人を苦しめることばかりしますね」
飛来した闇の刃がベルッキオの胸へと直撃した。
「ベルッキオさん。いえ――、ベルッキオ」
手を構えた翠月の瞳に、いつもの優しさは無い。
「僕は、ここまで誰かを『許せない』と思ったのは初めてかもしれません」
「『許せない』?」
滴った血を、悪魔は自ら掬った。
「なんです、気に食わない目をして…ッ。まるでワタシを許す権利が人にあると信じているようですよッ!」
悪魔の血が深紅の霧に転じ、室内に満ちた。
撃退士たちの視界が揺らぐ。
「許す権利も!力も!自由も!人間なぞにはありませんよッ! なぜ眷属に本物の意識を残さなかったか? そんなモノを残したら、あの撃退士の男が救われてしまうじゃないですかッ! ワタシも貴方達を許しはしない――報いの苦しみの中で死ぬ日を楽しみにしていろッ!!」
朦朧と意識を失う撃退士たちへ、悪魔の金切声が最後に届いた。
害意は去る。
穢されかけた想いと街の命。8人が守った二つの価値に、きっと差はない。
この夜、四国のゲート総数は、変化しなかった。
〈了〉