会議室から、話を始めよう。
●―本当は言いたいんだ。―
「遺体は守ります。俺も皆を救いたいですから」
本当は、夏紀みたいにそう言いたかった。
しかしだ。高瀬 颯真(
ja6220)は胸を貫く罪悪感を、自分の弱さへの自覚で殺して、こう笑った。
「‥‥遺体の破壊は分かりました。戦いの邪魔になるなら躊躇はしませんね」
途端に、夏紀が激情を燃やした瞳を向けてくる。
「高瀬撃退士まで何を‥‥!」
「だって、敵は強大ですし。俺たちは何時だって『被害を最小限に』を考えて戦わなきゃいけないじゃないですか」
颯真は、鋭く自分を咎めてくる夏紀の視線に身を貫かれるように感じながら続ける。
全部を救うなんて出来ないんだ、と。
「そうしなきゃ勝てない。そうしないと負けます。俺達が負けたら、町の全ての住人が死ぬことになる。‥‥今は敵の殲滅を優先で考えるべきですよ」
本当は言いたいんだ。皆を救いたいって。
けど、自分の力ではそれが出来ないことを知っている。
ただただ、悔しくて。
「だから、」と颯真は笑った。
「俺も、夏紀先輩は甘いと思いますよ」
だから今は、感情を殺して残虐な撃退士になるんだ。『全部』以外の『誰か』を救うために。優しさよりも冷酷さが人を救う時もあると信じる。
「的確な判断だな」
会話を見届けて、沖村は冷たい表情のまま頷く。
「方針は決まったな。全員、出発の準備を開始しろ」
結局、夏紀は最後まで沈黙したままだった。9人の撃退士は、各々の装備の最終確認をする。
「感情を搾取するでもないだろうに、悪魔のやることは理解しがたい」
転移門の前に佇んで、黒翼の天使ランベルセ(
jb3553)が呟いた。まあ、かといって――自分が黒峰たち人間の葛藤を理解できているとも思えないが。
「随分と歯痒そうな顔してるけどさ。せんせーや皆が言ってる事は間違ってないよ?」
ぽん、と。夏紀の肩に手を置いて、神喰 朔桜(
ja2099)が微笑む。
「はい。‥‥重々、納得しております」
「嘘だね」
とは、朔桜は分かっても言わなかった。夏紀はきっと作戦に納得できていない。その上で、自分の理想に現実味が無いことも、理想を実現する力が自分に無いことも知っているのだと。
ここは理想を語る場所ではない。本来なら夏紀の意見は無視するべきだが――。
「でも、」
と、あろうことか朔桜は無邪気に唇を緩めた。
「“それでも”と思ったなら、一緒においでよ」
「‥‥何だと?」
耳ざとく聞き取った沖村が朔桜を睨む。夏紀も意外そうに目を上げる。
「だって、夏紀ちゃんはこの状況に対して理想を持ってる訳でしょ? なのにそれを自分で目指すチャンスが無いってのは、勿体ないかなーってさ」
理想を追うことの困難さを。
理想を負うことの尊さを。
夏紀は知るべきだと、朔桜は想ったのだ。
「っ、そうだぜ、夏紀ちゃん!」
ギィネシアヌ(
ja5565)も夏紀に駆け寄った。元自衛官の彼女を見上げるかたちで、銀髪の少女は必死に声を紡ぐ。
「俺はきっと彼ら全ては救えない‥‥。いつだってそうだ。俺たちが出来る事は、明日を生きる事が出来る人たちを、明日に繋ぐ事だけなのだ」
必死だった。過去に助けられなかった人がいる。ギィネシアヌは絶望を知っていた。
「でも――だからこそ‥‥、救える命はあると俺は信じている。その為にどうか、生存者たちの救出を手伝って欲しい」
全員の視線が夏紀に集まる。斡旋所手伝いの夏紀はしばらく沈黙し、やがて静かに答えた。
「‥‥やはりわたしには、生存者の救出を手伝うことはできません」
一瞬固まった撃退士達に、しかし、夏紀は柔く笑んだ。
「救うのであれば、犠牲となった方々のご遺体も、でありますよ」
夏紀は深呼吸をする。ポケットのヒヒイロカネに指で触れ――元自衛官の撃退士は、毅然とした瞳を9人に向けた。
「ご一緒させて頂きます。決して足は引っ張りません」
仲間が、一人増えた。
戦力と呼べるほどのプラスではない。しかし撃退士たちの頬には確かに、心強さの笑みが灯っていった。
「――して、貴様はどうするのだ?」
士気と微かな歓声に満ちる室内で、沖村へ不機嫌そうな目を向けたのはフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)だ。
「‥‥何?」
「あのような物言いをしたのだ。よもや、ここに留まるなどという真似はすまい? 我等に汚れ仕事をさせようというのだ。貴様にも見届ける義務があろう」
さすがに面食らったのか眉を顰める教師に、フィオナは顎を高くして言った。
だが、対する沖村も伊達に経験を積んではいない。
「‥‥自分が何の為に呼ばれたのかを弁えることだな。私はもはや現役ではない。此処で指揮をとらせて貰う」
冷徹に告げる沖村に、「ふん、腰抜けめ」と我が道を往くフィオナであった。
「‥‥さあ、行こう」
ギィネシアヌが、転移門へと足を進める。光に包まれ、悪魔が待つ戦場へ。
10人の撃退士達が、血戦の地を踏みしめる。
●優先順位
目の前に広がった夏祭り会場は、死者の都かと疑うほどに静かだった。
「前回は結婚式で今回は夏祭り会場と、幸せで楽しい筈の行事に現れますね‥‥」
篝火の焔に浮かぶ無人の夜店群に、鑑夜 翠月(
jb0681)が目を細める。
撃退士達はいくつかのグループに分かれ、各自の方針に従って夏祭り会場を進みだす。
(もしも選択を迫られたら)
と六道 鈴音(
ja4192)は、惨劇と享楽の熱が残る遺跡を夏紀やランベルセと並走しながら考える。
不吉な予感とも弱気な諦念とも違う、一つの確かな自覚を胸に。
――私は、万能じゃない。
皆を助けたい。でも、最優先事項はあくまで生存者の救出だ。躊躇って被害を拡大させる訳にはいかない。
だから、もし絶対に退けない局面で私の前に遺体が転がった、その時は――。
「‥‥優先順位を見誤らないようにしないと」
静かな決意の呟きは、しかし誰の耳にも入らない。
「奴か」
夏祭り会場の中央だ。屋台の陰から、隠れているとは到底呼べない立ち姿のままフィオナは広場を眺める。
悪魔を見とめ、朔桜は微笑み、体育の前のようにリラックスして背伸びをする。
「さってと――、始めよっか!」
ごうっ、と漆黒の雷槍が朔桜の脇に出現した。
黒焔の尾を引いた槍が、祭りの跡を魔術の色に染め上げながら悪魔へと襲い掛かる。
「ん? ‥‥ぬぉァッ!?」
バリアにぶつかり、魔法槍は爆散する。目前にて炸裂した漆黒に目を細めながら、悪魔ドルトレ・ベルッキオが歯を軋らせる。
「この技ァ‥‥見覚えがありますよォ‥‥ッ!」
激昂する冥魔に、朔桜は焔に全身を照らされながら進み出た。
「やぁ、悪魔さん。久し振りだねっ!」
友達にするように気さくに微笑んだ、黒髪の少女に。
「あァああああ‥‥やはり、貴女かッ!!」
ベルッキオの怒号が木霊した。
戦闘開始。朔桜とフィオナ、そして翠月が進み出たのは広場の南だ。
その真逆、広場の北で、ランベルセは静かに叫ぶ。
「‥‥行くぞ!」
黒衣を躍らせ、ランベルセは広場へと駆けだした。目測20m弱の先に、人質を抱えた骸蜘蛛が2体、彼に背を向けて並んでいる。
これが作戦。朔桜たちが悪魔の気を逸らしている隙に人質を解放する事だ。
「ふん、障壁か。小心者め」
「小心者ッ? 誰のことです!? って、こら、近づくんじゃありませんよッ!」
戦場に踏み込むや否や、フィオナは敵を見据えて凛然と接近する。悪魔は彼女に夢中。行けるか――。ランベルセは眷属へと距離を詰める。
だが、残り数メートルまで迫った時だった。
蜘蛛の一体が、赤い光の灯る眼窩でランベルセを振り返る。
「ちッ――」
舌打つ天使。敵に気付いた蜘蛛は、動かぬ人質を抱えたまま、鋭い爪を持つ余った足を振り上げ――
バシュンッ。
その時。極小の音を立てて蜘蛛ディアボロの足が吹き飛んだ。骸蜘蛛はバランスを崩し、地に倒れる。
朔桜からの指示を受けた、夏紀の支援射撃が命中したのだ。
「助かる!」
怯んだ骸蜘蛛の懐に、ランベルセが滑り込む。手の中に太刀を具現化させるや否や、ランベルセは縦一閃の剣技で骸蜘蛛の首を刎ね飛ばした。
人質は全て避けて斬った。遺体の破壊は已む無し。だが、生者を斬っては寝覚めが悪い。
解放された人体は、5体。
残る骸蜘蛛は、1体だ。
「あー、毎っ回思うんだけどさぁ」
と朔桜が溜め息混じりに苦笑する。
「悪魔さんのその小者っぽすぎる手口、なんとかならないかな?」
「どこがッ!? 貴女はまたワタシを愚弄する気かッ! そしてそこの金髪ッ!止まれと言っているのですがッ!」
朔桜とフィオナに注意を奪われている悪魔は、背後での救助活動に気付けない。そして――。
闇に緑瞳を走らせてバリアクォーツの子機を狙う翠月にも、無防備だった。
(あれをまとめて壊せる位置に、僕が行けば‥‥!)
空色の子機は本体を離れて遊泳中。子機同士はかなり遠いが、翠月のスキルであれば一気に2体は狙えるように見えた。
――その頃。
「‥‥生きている」
ランベルセが地に転がった人質たちの脈をとった。全員が生者だ。ということは、つまり‥‥。
「――っ」
同じく広場の北方向から駆けだしていた鈴音は、先行したランベルセを視認し、自らのターゲットが『遺体を抱えた』蜘蛛であることを悟った。
遺体を破壊するか否か、決めるのは私なのだと。
(――どうする‥‥っ!)
蜘蛛同士の距離が近い、悪魔は気付いていない、遺体が天魔化したら生者は死ぬ、今なら『壊せる』、生者を救える、決断しなくては、優先順位、誰かの命を背負う覚悟はある、そして――、
『私は、万能じゃない』。
「おらぁああああああああっ!!」
颯真が駆けた。悪魔の意識外だった広場の東側からだ。
「待ってろ悪魔! 取り巻き共を即効で片付けてやる!」
身軽な動作で颯真は跳躍する。空中で大鎌を展開し振りかぶると、彼の髪や目が光纏により黒に染まっていく。
「なッ――」
悪魔が息を呑むのと同時に、颯真の鎌がゴーレムへと振り下ろされた。
ギィン――! と。しかし鎌は鋭い音と共に『硬化したゴーレムの肩口』に弾かれる。颯真は思わず舌打ちした。護衛のゴーレムはやはり、正面からの突破には強い。
「俺達も行くぞ‥‥!」
「おう!」
颯真の真逆、広場の西から別のゴーレムへと疾駆するのは、リンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)とギィネシアヌだ。
リンドが振ったクレイモアは、やはり硬化したゴーレムの腕に激しい衝撃音を立てて受け止められてしまう。だが――。
「今だ!」
斬り結んだままリンドが叫ぶ。完璧なタイミングで、ギィネシアヌがゴーレムの背後へと滑り込んだ。
「ふ――ッ」
一瞬で狙いを定め、引くトリガー。螺旋の尾を引く弾丸が、土人形の背面を吹き飛ばす。
「な、にィ‥‥ッ!」
「随分と品の無い悪魔もいたものだな、此方を片づけて消し炭にしてくれる」
振るう大剣でゴーレムの腕を弾きながら、リンドは燃える赤の瞳をベルッキオへと向けた。
「ぐっ‥‥だが、一人では徹せんッ!」
叫んで、ベルッキオが仰いだ上空。
純白の翼を広げた天使、エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)が戦場を見下ろしていた。
「えいっ」
ずぎょんッ。
「‥‥ぶェええぇッ!?」
ベルッキオの目の前だった。灼熱の槍が、その圧倒的な破壊力で『硬化した体表ごと』ゴーレムの胴体を貫いたのだ。
「なんだか‥‥がっかりすることが多い日ですねー」
天使が嘆息する。今晩の献立に悩むような気軽さで、片頬に手の平を当てて。
「少し脆すぎます、何もかも」
地上。純白の光としか認識できぬほどに熱した槍に貫かれ、ゴーレムの巨躯が、まるで無限の酸素を与えられた木炭のように崩れ散った。
「どうした、顔が青いぞ?」
悪魔に投げられる嘲笑。
「何を怖がる? 見物をするにしろ、安全圏に退がるということはな‥‥」
最後の距離を歩いて詰めたフィオナはふと息を詰め――、バン! とベルッキオを震えあがらせる勢いでバリアの表面へ掌を叩きつけた。
「我らに恐怖を抱いていることの裏返しだ。臆病者め」
額に青筋を立てる冥魔へ、フィオナは怜悧な嘲笑を浮かべてみせる。バリアが攻撃以外も止めることを確かめながら。
「‥‥うんッ、おやッ!?」
悪魔が目を見開く。目の前に倒れ伏していたはずの自警団たちが、どこにもいない――。
「手早くお願いね。本当に救いたいと思うならさ」
朔桜が誰にも聞こえぬ小声で呟く。彼女が自警団に指示を出し人質の救出に向かわせたことに、やっと悪魔も気が付いた。
「小癪なッ!」
苦渋に顔を歪め振り向けば、丁度、鈴音が手を天に掲げた場面。
「ケシズミにしてやるッ! 六道赤龍覇!!」
真っ赤な業火の龍が地中から駆け上がり、巨大な咢で骸蜘蛛を呑んだ。
『遺体、もろとも』だ。
鈴音は、駆けてくる自警団達に目を上げる。一様に驚愕と咎めの視線を送ってくる彼らに叫ぶ。
「方法の文句は後で聞くわ! とにかく今は生きている人と――、遺体を運ぶのを手伝って!」
鈴音が行使したのは『術士が望んだ敵だけを焼く魔術』。彼女は咄嗟のスキル選択で、全ての遺体を救ったのだ。
「く‥‥!」
とベルッキオのは口元を歪め、
「‥‥はははッ」
破顔した。
「甘いんですよ‥‥撃退士!」
撃退士達の視界を、黄色い霧が覆う。
●―生きたければ。―
「こ、れは‥‥」
翠月が呻く。バリアクォーツの子機を射程に捕えかけた、瞬間だった。
体が動かない。
別所。颯真も同じく麻痺を感じつつ、にじり寄ってくるゴーレムを睨みつける。
「今の霧‥‥麻痺毒、か‥‥!」
「その通り! お見せするのは四国での決戦以来ですねぇッ?」
ゴーレムが、巨大な拳を颯真に振る。
颯真は咄嗟にブロンズシールドを展開してガードした。激しい衝撃に全身を叩かれ少年は呻く。
(しまった‥‥)
翠月は、絶望的な状況の悪化を悟っていた。
周囲を見る。上空で躱したエリーゼ以外の全員が、体を麻痺させている。
翠月には麻痺から脱するスキルがある。だが、仮に自分を回復して子機を2つ破壊したとしよう。他の子機はエリーゼと、遠距離攻撃が可能な鈴音で狙える。
だが、クォーツの本体は?
位置的に狙えるのはフィオナだけ。たとえ彼女が攻撃したとしても、リンドとギィネシアヌに挟まれている以外の2体のゴーレムは、本体を庇うだろう。
(本体を――破壊できない‥‥!)
手数が足りない。痛感する。今回の作戦からは、ベルッキオの妨害能力への対策が抜け落ちていたのだ。
「さアッ! ショータイムですッ!」
冥魔の声に鈴音が目を上げる。鈴音とランベルセと夏紀は、一般人と遺体、そして駆けつけた満身創痍の自警団たちを庇い、魔法霧をまともに食らってしまっていた。
「っ、そんな‥‥!」
鈴音の視線の先ではベルッキオがこちらに指を向けている。指が指す先は、自分でもランベルセでもなく、その後ろ――
「危ない、夏紀さん!」
夏紀が背負った幼女の遺体が、ぷくり、と膨れた。
せっかく、全員を助けられたのに――。死した女の子の腕が溶けて巨大化する。絶叫に代えて鈴音は手の中に業火を生じさせた。その時だ。
落雷。
微かにミントグリーンの色合いを帯びた雷の槍が天から降り、目にも留まらぬ速度で遺体を貫いた。激しい衝撃に小さな死骸は一瞬で木端微塵に爆散する。
「死んだら終わり。戦場で肉の塊に対して何を躊躇してるんですか」
地面に突き刺さり消滅していく自身のスキル――『ブリューナク』に目を細めつつ、エリーゼが呟く。
「はぁ‥‥会議の時から思っていましたが、わざわざ堕天までして撃退士になったのに、この展開は拍子抜けですねー」
戦いに躊躇いは禁忌。このまま遺体が邪魔になるなら、ディアボロにされる前にこちらで消してしまいましょうか、とまで思う。
「う‥‥」
衝撃で倒れ伏した夏紀が、上げる視線で魔法槍が消滅する光景を見る。地で蒸発する血液。ばらばらに散った塊と布は、先程まで自分が背負っていた幼女の――
「走れ!」
茫然としかけた夏紀へ、ランベルセの大声が飛んだ。
「生きたければ! ‥‥生かしたければな!」
痺れた体で振り向き、夏紀と自警団をランベルセは睨む。
夏紀が、『麻痺』する体で無理やり起き上がる。『毒』で、唇の端から血が零れるのにも構わずに、
「はいっ!」
掠れる声で叫んだ。夏紀たちが撤退を開始したのを見届け、颯真はベルッキオを嘲う。
「はっ、小細工ばかりでかっこ悪い悪魔だな!」
救いたかった気持ちも、悔しさも。
痛みも辛さも全てを隠して、笑顔で叫んだ。
「人質なんか俺達には効かねえよ!」
刹那。
ゴーレムの拳が空を切ってフィオナを襲った。女騎士は慌てるでもなく両手の剣を操り、それをパリィする。
痙攣するように、ベルッキオは頬を引き攣らせ笑った。
「えぇ、人質など最早どーでもいいですよッ。ワタシが才を以て貴方達を屈服させるまで!」
●侵略者
悪魔が放ったのは、緑色の2発の魔弾だった。被弾したフィオナと颯真の装備が、液体が蒸発するような音と共に艶を失う。
「ぐ、あ‥‥っ」
ゴーレムの連撃に耐えていた颯真の体力は被弾で限界を越えるが、吹き飛びそうになる意識をなんとかつなぎとめた。
麻痺した体を抱えたまま、ギィネシアヌもベルッキオを睨む。
(あれが悪魔だ。典型的な侵略者(インベーダー)だ。俺たちはアレらに、手を出してはいけない相手を覚えさせねばならないのぜ‥‥!)
撃退士になった理由は誰かの涙を拭う為。だが、血で汚れた手で出来るのは穿つだけ。
ならば穿とう。人間らしく愚直に健気に、蛇の如く執拗に。信念を放つ銃となる。
「だから、まずはお前を倒さなくてはいけないのだ!」
眼前に屹立するゴーレムの巨躯に吠える。構えたアサルトライフルの銃口に、光纏の蛇八匹を潜り込ませ、真紅の螺旋を描く弾丸を撃ち放つ。
だが――、ゴーレムが無動作に硬化させた胸部で、銃撃は防がれてしまう。
「どこを見ている、木偶の坊!」
その隙を逃さずに、リンドがゴーレムの腰を『柔らかいままの背後』から叩き斬った。ぐらりと体勢を崩した巨躯へ、リンドがさらに大剣を振る。冥界の土人形はギィネシアヌを殴り倒すと、上半身だけを回転させ、硬化させた上腕でリンドの剣を防いだ。
ガチリ。
額から血を流しながら、ギィネシアヌが敵の後頭部へ銃口を当てる。
「悪いが天国へ送ってやれるほど徳を積んじゃいないんだ」
元は『誰か』だったディアボロへ、少女は目を細め――、
「せめて安らかに眠りな」
銃声と破砕音。泥の脳漿をぶちまけて、一体のゴーレムが地に崩れ去る。
その時だ。エリーゼが、鳥が夜を劈くホイッスルを吹き鳴らした。
「合図‥‥!」
翠月はその意味を読み取り、胸に手を当て集中する。鎖を断ち切る心象と共に。体内でアウルを活性化させ、痛みを代償に、麻痺を消し去った。
「っ‥‥!」
激痛は無視する。解放された脚で、しなやかに地を蹴った。狙いをつけたクォーツの子機、2つの間に位置取って『氷の夜想曲』を発動させる。
周りの大気が瞬時に凍てつき、優しく白んだ景色のなかで空色の子機が2つ砕け散った。
「さて、いけますか?」「もちろんッ!」
一瞬の掛け合い。エリーゼが上空から炎の剣を放ち、鈴音が火球を放つ。2つの子機が、同時に爆散した。
かしゃあん――と涼やかな破砕音を響かせて、ベルッキオを囲んでいた障壁が砕け散る。
子機の同時撃破。
先ほどのホイッスルは、バリアクォーツの破壊要員が揃ったことの合図だった。
「まずい‥‥ゴーレムッ!」
残存する2体のゴーレムが獣の様にベルッキオへと駆け出す。――だが、1体の前には麻痺の治ったランベルセが立ちはだかり、もう1体は朔桜の『冥牢繋ぐ禁戒の縛鎖』に絡め取られる。
「壁がなくなったな、臆病者」
唇に冷笑を浮かべ、フィオナは双剣を左右に切り払うように構えた。
「貴様に誇りがあるのなら、せいぜい対処して見せるが良い」
周囲にスキルの赤い魔力球を展開し、フィオナは地を蹴った。ベルッキオとの僅かな距離を瞬時に詰め切る。
「ぐ‥‥、残念でしたァ!」
悪魔は彼女に指を向け、哄笑を上げる。
「確かに今!貴女はクォーツの本体を破壊できるでしょう! だが、ワタシにはまだ切り札が――ぶッ!?」
予想外。
フィオナはなんとバリアクォーツの本体ではなく、ベルッキオに『円卓の武威』を全弾叩き込んだ。
無数の武器を胴に打ち込まれ、貫かれはしなかったものの、悪魔は激しい衝撃によって大きく吹き飛ぶ。
「どこまでも愚かな奴よ。我は貴様に、自ら対処しろと言ったのだ」
スキルを収めながら嘯く。同時に今度はフィオナが、再生したバリアに包まれた。
「ふん。子機が治れば主ではなくとも護るか」
転がるベルッキオから目を逸らし、フィオナは自らを守ってくれているクォーツを見下ろして、
「無礼者め」
ガァンッ! と地面に突き立てる剣で、水晶の天魔を真っ二つに叩き斬る。
「我を、この程度の悪魔と一緒にするでない」
●
「うぅ‥‥、かぁッ!」
目尻の涙を拭い飛ばし、緑の悪魔はバネ仕掛けのように起き上がる。
「貴方たち全員‥‥ッ、殺しても帰しませんよッ!!」
ベルッキオがレイピアを構えると、正面へ氷の霧が旋回した。丁度悪魔の背後にいた鈴音と上空のエリーゼ以外の撃退士が呑まれ、温度差と衝撃で意識を狩られる。
「‥‥火葬してやるわ!」
未だ痺れた体のまま、鈴音が『六道呪炎煉獄』を放つ。赤と黒の炎がベルッキオへと踊りかかるも、しかし、割りこんだゴーレムが身代わりとなる。
「これで、3体め」
飛来した『レヴァンティン』が、土人形を斜め上方から串刺しにした。灼熱の槍に天魔が蒸発するのを見届け、エリーゼはやや不満げに息を吐く。
「あとは悪魔を串刺しに出来れば良いのですけれど‥‥少々、難しいですねー」
地上は、ゴーレムがランベルセを殴り飛ばした場面。ここにきて、冥魔の勢力が優勢に見える。
「ひャアはッ!」
奇声と共にベルッキオが撃ち放った3発の魔弾が、颯真と翠月、ギィネシアヌを吹き飛ばす。
「が‥‥っ!」
駄目だ、反撃しろ――。ギィネシアヌは歯を食いしばる。が、失血が過ぎた。視界が霞む。仰向けに倒れる――。
「立っていろ」
声と共に、銀髪の少女は背後からランベルセに抱き留められた。
「『治癒膏』だ。傷は癒した。気休め程度だが‥‥」
頭部からの流血に片目を塞がれながらも、ランベルセは戦況に目を凝らす。
「俺は今から翠月と颯真を治しに行く。お前はなんとかして、あの悪魔に一太刀を入れろ」
「‥‥っ、ああ‥‥!」
敵が広範囲に撒いた霧のせいで、動ける者が極端に少ない。悪魔を撤退させるには、朦朧から立ち直った者が攻めるしかないのだ。
実際、ランベルセは勝つために、傷の浅い俺を先に治したのだから――
やるしか、ないのぜ‥‥!
「‥‥心海より来たれ、蛇の王! 虚栄を誇れ傲慢たれ!」
血の味を呑んで叫ぶ。光纏の蛇を、銃口に潜ませ、
「――『紅弾:世界蛇』!!」
王冠を頂いたオルムンガンドルの銃弾を撃つ。銃口の小ささには到底見合わない超巨大な蛇が、土を抉ってベルッキオへ迫った。
「小娘が、過ぎた力を‥‥ッ!」
冥魔は手を振り、ゴーレムを盾にして、後退する。が――。
キン――ッ、と電光石火で降り注いだ雷の槍が、土人形を頭頂から股まで真っ二つにして地に突き刺さった。
「な――ぐッぉ!」
盾を失ったベルッキオは、短い悲鳴と共に世界蛇に全身を削られる。
「今、です‥‥!」
ランベルセによって気絶から救い出された翠月が、鈴音と同時にジャンプする。
鈴音は『六道呪炎煉獄』を、翠月は『ファイアワークス』を手に溜めて。
狙いは、敵の左手だ。
(僕と六道さんで魔法をしかければ、ベルッキオさんを撤退させつつ寄生ディアボロも倒せるかも――!)
だが、ベルッキオもそれは予期していたのだろう。
攻撃を待たず、悪魔の左手から『それ』が飛び出す。
刺胞動物のヒドラに似た異形。人の胴の3倍はあろうかという透き通る白い3本の触手。その内の2本が硬化し、2発の魔法を弾いた。
もはや手の形をしていない左手。冥魔の三白眼が翠月たちを睨む。
「どうです、中々に、美しいでしょうが?」
ぞくり、と。翠月は悪寒を覚える。
でも――
「ここまで来たら後には退けません‥‥!」
高笑いと共に『黄霧』を纏うベルッキオに、翠月と鈴音は雄叫びをあげて突進する。
翠月が纏った『氷の夜奏曲』がヒドラの触手の一本によって防がれ、鈴音の『六道天啼撃』が、扁平に変形した2本目の触手によって防御される。
そして。
「手が三本、あるのなら、」
正面に敵を見据え、満身創痍のリンドは口から光を溢す。
「これで――それも尽きるだろう‥‥!」
『驚天動地屠ル也』。
轟音と共に、大気を貫く雷光の一閃が放たれる。龍の怒りが具現化したような咆哮の一撃が、ワームの三本目の防御をバチバチと空中に留める。
「今度こそ、万策尽きましたね?」
羽毛のような軽快さで、エリーゼが天から地に下りた。硬化した三本のワームの隙間から、顔を歪めたベルッキオが叫ぶ。
「堕天使か‥‥ッ! 無垢そうな顔をして、暴虐者がッ!」
「んー?」
エリーゼは頬に人差し指をあてる。人畜無害な少女のように、小首をかしげて見せる。
「それは変な理屈ですね。あくまで私には関係の無い一般論としてですが、」
エリーゼはにっこりと、天使の微笑みを浮かべて。
「無垢と暴虐は矛盾しないと思いますよ? 悪魔さん」
手の中に漆黒の風を溢れさせる。生成した深淵の槍『トリュシーラ』をベルッキオへと投擲した。
空気に一陣の闇を残して、槍はベルッキオの脇腹へ吸い込まれる。悪魔の絶叫も呑み込んで、漆黒の暴風が広場の空間を鎖した。
●
――強くなりたい。
意識が戻って、颯真はまずそう思った。
「俺は、もっと強く‥‥」
目に映った透明なヒドラ。悪魔の左手へと戻っていくそれに、少年は無意識に斬りかかっていた。
斬る。
血。
「‥‥む」
朦朧とする意識のなか、フィオナはそれを確かに見た。先程まで硬化し、主を守っていた触手。それを今、颯真は確かに斬ったのだ――
「悪魔のリンド=エル・ベルンフォーヘンだ」
微量の失血にふらつくベルッキオの前に立ち、リンドは元同胞を燃える色の目に映す。
怒りを覚えていた。
此奴が、人間が同族の亡骸を葬らねばならぬ状況を作り出したことに。
「‥‥人間を下等と見做す事に関して、全く同意出来ぬ訳ではない。だが愚鈍な御主の頭では、人間に此処まで邪魔立てされた理由など千年経っても分からんだろうな」
ぴくり、とベルッキオの眉間が痙攣した。
「愚鈍‥‥ッ? それは逆にッ、冥魔の誇りを忘れ家畜へ堕ちた貴方へこそ投げかけられるべき言葉ではありませんかッ!」
誇り。敵が口にしたのは、奇しくもリンドが重んじる概念の名だった。
「よもや冥魔の掟を忘れては無いでしょう、リンド=エル? 裏切りには死ッ! 粛清の時を楽しみにしていろ、逸れ者がッ!!」
ベルッキオは手で自らの血を掬い、握り込めた。指の隙間から漏れる瘴気。未知なる『霧』。
「また会う日まで、ご機嫌よう!」
深紅が霧散する。
リンドの視界で火花が散る。音と光が遠ざかり、闇が訪れた。
●
視界が開ける。夜空に満天の星が広がっていた。霞む世界から、名を呼ばれる。
「‥‥神喰撃退士!」
意識を失っていたらしい。朔桜は寝起きの目を擦って倒れたまま、夏紀を見上げた。
「悪魔さんは?」
「逃走したようであります」
「人質の避難は?」
「1名のご遺体を除き‥‥成功しました」
1名。その犠牲を呑んだ上で。朔桜はあっけらかんと夏紀に笑んでみせた。
「夏紀ちゃんの理想に、賭けてよかったよ」
一夜の矢や回の結末。撃退士達は、沖村が送った医療部隊の治療を受けていた。
颯真と鈴音は並んで座り、遺体の葬儀を見つめている。
否応なしに考えてしまう。別の選択をすれば、あるいは遺体を救えたのではと。
ふと隣を見る。そこには平然と立つランベルセ。鈍感だ、と非難する気にはなれない。むしろ強いなと鈴音は感じた。
「ランベルセさんは、いつも落ち着いてますね」
天使は黙る。俺には、人間の感情は分からない。だが。それを伝える代りに試みた。
「昔の話だ。戦場で仲間が死んだ」
抑揚のない声で、ランベルセは語る。
「奴が殺された時、おそらく死んだ、と一目で分かった。だが同時に、俺は奴の手当てをしなくてはとも思っていた。連れ帰りたいと強く感じた。結局は、仲間に見咎められ叶わなかったが」
過去を思い出す。落日にも似た、懐かしさと熱と終焉を感じさせる光景。
「奴の死を、俺は諦めきれなかった」
呟き、天使は、遺体の断片を前に泣き崩れる自警団を顎で示す。
「奴らが今感じているのは、昔の俺が覚えた感情と同じものだと、お前らは思うか?」
膝を抱いたまま颯真が頷いた。感傷を隠して。静かに。
「そうか」
と、ランベルセは無味乾燥に頷いた。
「ならば多少の想像はつく」
ギィネシアヌと夏紀は、『応急手当』で部隊の治療を手伝っている。自分達が重傷人であるにも関わらず、だ。
「夏紀ちゃん」
アウルを操りながら、ギィネシアヌが呟く。夏紀と目が合う。
――真面目な君のことだ。
責任を感じてしまってないか? ちゃんと、前を見れているか?
「どんな決断でも自分が選んだという事に意味があるんだぜ。俺はそうやって来たし、これからもだ」
息を吸う。吐いて想う。
「自分で選んで省みて、でも俺達は後悔だけはしてはいけないのだ。俺達が選んだのは――背負ったのは、誰かの命なのだからな」
炎が焚かれる。送り火が灯る。予定に無かった灯籠流し。
「どうか安らかに」
翠月の言葉。夏祭りの跡で、一筋の煙が昇っていった。
〈了〉