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鈴虫が鳴く。
夏夜の風が通る森。夜空には満天の星々がひろがっていた。
「綺麗ですね……」
見上げる星空に、天野 那智(
jb6221)が吐息を洩らす。
寝苦しい夜は無理に寝ず、外の空気を吸うのが彼女の流儀。自然好きな彼女が訪れたのは、学園の裏山だった。
「街灯のない所では星空がよく見えますね」
那智の隣で微笑んだのは、鑑夜 翠月(
jb0681)だ。緑のリボンと黒髪を揺らし、天を仰ぐ。
「この時間に人に会えるとは思いませんでした」
「僕も空を眺めるのが趣味なんです。晴天も好きですけど、喧騒のない場所で眺める夜空も素敵ですよね」
月明かり。夜のしじま。天の川はこの季節が一番見やすいのですよ――そんな話をしながら。
「この先に丁度良い広場があるのです。よかったら一緒にいかがですか?」
やがて那智が森の奥を指差す。
二人で歩き出す。夜の偶然は、心を躍らせるものである。
一方、市街地。
「ふむ……カツアゲもなし、アホをやらかしてる輩もいない。今日は平和だな」
屋根へ着地するブーツ。月夜にそよぐ兎耳フード。繁華街に眼帯を向けインレ(
jb3056)が頷く。
「毎夜こうだったら良いんだが……。人が集まれば悪さをする者が出るのは仕方がない」
特別な力を得た若者が自己を特別視するのは不思議でもない――と。ガントレットに包まれた手で赤いマフラーを整える。
「犯罪行為は褒められないが、若人が元気なのは良いことだ」
――ぎゃりりりん。
「……ん?」
ぴくり。響いた音に、二本の耳が揺れる。
「何か聞こえたな。自警団か警察に気付かれたか?」
なぜか近頃、彼らに目をつけられる。ヒーローだからヒーローっぽい恰好(真夏でも妥協を許さぬロングコートと完全武装)をしているだけなのに変質者呼ばわりとは実に不可解。
「まあいい。誰かの危機ならば駆けつけない訳にはいかないな」
とうっ、と。月夜の黒兎が跳梁する。
●
「学園中心の島でも、酒が上手い店ってのはあるもんだな〜っと」
夜の繁華街。上機嫌で歩くネームレス(
jb6475)が、鼻かけ眼鏡をかけ直す。
少年少女が多いこの島で、昼間から酒をかっ食らうのは褒められる事でもねぇだろう――そんな気遣いの結果、彼は静かな夜に外をブラついていた。
「しかし成程。こういった環境の方が撃退士の質を上げるってのは正解かもな」
実際、随分と強い撃退士が多い。意味深に学園へ感心を示す彼は、ふと足を止め。「――だがよぉ」と呆れた風に苦笑した。
「……この島って結構、警備は穴だらけだったりするのか?」
眼前。建物の壁を這ってきた半人半獣のラミアが、ネームレスを見据える。
「何で島の中で敵に遭遇しなきゃいけねえんだよ!」
さてどうする? 戦えって? 馬鹿言うな。俺は今、得物を持ってねぇ。
「あ〜くそ! 面倒くせぇな、オイ!」
襲い来るラミアの爪を躱し、苦笑を浮かべた青年は一目散に駆けだした。
繁華街、別所。
「酒場とか、色んなお店があるのね。興味深いわ」
青い肌の女の子が路地裏から歩み出る。人間界を見学中のラプラス(
jb6336)である。
(やっぱり夜の方が落ち着くわね。魔界に近いし……人の目も、気にならないし)
人間に言われた「顔が怖い」の感想を、コンプレックス塗れな彼女は気にしていた。
ふと視線を向けるは、暗いショーウィンドウ。映った自分は顔を隠すために眼鏡なんかをかけてしまっている。
「……そんなに怖いかしらね……」
思わず俯き、嘆息した。目を上げると、再び、暗い窓に自分が見えて――
その背後に、にっこり笑った『翁』の顔があった。
「――っ!」
ギャリリリン!
振られた爪。咄嗟に跳び退いたラプラスの視界で、一瞬前まで立っていた歩道が火花と共に削り飛ばされた。
「……追手!?」
ぱらぱら降るアスファルト片のなかで、ラプラスは片膝をついて着地する。
(はぐれになった私の命を狙いに来たってこと?)
分からない。しかし十分に有り得ることだ。
翁のナーガが、再び飛び掛かってくる体勢を見せる。その時。
ばしゅん。
拳型のアウルが飛来した。敵は咄嗟に腕を上げ、それを弾く。
同時に、ナーガとラプラスの間に黒いロングコート男が着地した。
「待たせたな。怪我はないか?」
仲間、だろうか――? 訝しむラプラス。だが、疑問に思っている間にもナーガは距離を詰めてくる。
「……怪しい恰好してるけど、あなたも撃退士なの?」
「撃退士である前に、ヒーローだ」
「それは信用してもいいのかしら――って、きゃっ!」
びゅん、と振られた爪を、ラプラスとインレが跳躍して躱す。
「もう、しつこいわね……!」
ラプラスが悪魔の翼を広げる。インレが遠くを見る。
「とりあえず人のいない場所に誘導するぞ。跳べるか?」
「飛べるわよ――行きましょう。あいつ、また来るわ!」
ラプラスが透過能力で地面に潜る。インレは道路を蹴り、壁を蹴って、電柱へと跳ねていく。
悪魔と蛇の追走劇が始まった。
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――居住区画。
「あっついー……。どうしてこんな日に飲み物切らしちゃってるかなぁ……」
街灯に照らされた道路。
赤髪にわずかに寝癖をつけた神喰 茜(
ja0200) が、胸元にぱたぱたと風を送りながら自動販売機を目指していた。寝苦しくて起きてみたら冷蔵庫に水分がなかった。そんな、最悪な理由から。
(でも、まぁ……こんな夜も悪いことばかりじゃないかな?)
満天の星空を仰いでそう思う。十字路に立ち止った、その直後。
「いい加減にしろよ、てめぇ!」
破砕音と怒号。ラミアに追われたネームレスが横道から駆け込んできた。
「……は?」
茜がまばたきをする。腕を撓らせアスファルトを砕くラミアと、舌打ちと共に脇に跳んで回避する青年。顔を上げた般若と、茜の目が合って――。
「面白そうなことしてるね」
口元を歪ませる。ブレスレットから太刀・八岐大蛇を展開させて。
「私も混ぜてよ!」
地を蹴った。般若が目を剥く。振り下ろされた茜の太刀を、蛇女は右腕で受け止めた。
――同刻、近くのアパートの一室。
「……うん?」
風呂上り。火照る首にタオルを引っ掛け。桜花(
jb0392)は、シャツに短パンというラフな格好で魔具の手入れをしていた。
「なんだろ、物騒な音がしたな……」
武器を床に置き、立ち上がる。裸足でフローリングを踏みしめ、開けっ放しの窓際へ。
「え、嘘」
数本先の十字路。切り結ぶ音と、天魔の咆哮が聞こえてくる。
「こんな所まで天魔が出るのか……!」
驚愕。舌打ち。されど躊躇なく、窓の柵を裸足で蹴って夜の街へ飛び出す。
建造物の屋根を跳び跳び、やがて眼下に交戦中の2名を目視。
「手伝うよ!」
丁度、ギャイン! と激しい音を立てて茜と蛇女が太刀と腕を弾き合った。
距離を取った両者の間に、桜花は着地する。般若の面を不敵に睨んで、彼女は腰から得物を抜刀――――できなかった。
「……あれ?」
桜花の手が、腰の部分で空を切る。無い。武器が無い。
(……もしかして、部屋に武器を忘れてきた?)
桜花の顔が、青くなる。ネームレスと茜を、彼女はぎこちない笑顔で振り向いて。
「ごめん、何でもいいから、なんか貸して……」
跳びかかってきたラミアに、桜花がマンガじみた絶叫をあげる。嬉々と斬りかかろうとする茜を「周りが巻き込まれるだろっ!」とネームレスが襟を掴んで止める。
ドタバタと三人で、天魔に追われるハメになった。
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偶然に。あるいは必然的に。
二組の撃退士達は、同じ区画を目指していた。
自然区画。学校の裏山。そこならば気兼ねなく戦える。
インレ&ラプラス組は、時折ナーガに攻撃を加えた。しかし全てを腕に防がれ、僅かに与えた傷も回復される。情報収集をしつつの、縦横無尽な逃走劇だった。
対して、茜たちの組は――賑やかだった。
「なんで二人とも武器持ってないかなぁ」と太刀を手に駆けつつ、不満そうに茜。
「そ、それに関してはごめん……」と申し訳のしようもなく目を逸らす桜花。
「生憎、こっちはオフだったんだよ」と警備の緩さに髪を掻くネームレス。
二組とも天魔に追われて数分。
誘導し、追われ、爪を振られ。血を流し、反撃は叶わず、追い詰められ。
そして――。
「……えっ?」
翠月と那智が、腰を下ろして夏の大三角を眺めていた公園だ。
そこを囲む森から、天魔に追われた撃退士達が転げ出てくるかたちとなった。
「――む?」
「やっと広場についたわね……!」
開けた視界にインレが気付く。ぷはっと息を吐き、ラプラスが声を上げる。
「ど、どうしたんですか? そんなに慌てて……」
目を丸くした翠月が、二柱の悪魔に歩みよる。
次の瞬間、もう一組の撃退士達も森から飛び出してきた。
「うわぁああっと!」
桜花が地面に手をつき、体勢を立て直す。茜とネームレスも踵で地面を削り、土煙をあげながら森へ向き直る。
「あ、あなた達は……?」
那智も事情を呑み込めない。だがそれも一瞬。
「! なるほど……天魔ですか」
木々から這い出てきた二体のディアボロに、那智は表情を引き締める。
「時間も彼らには関係ないようですね」
般若ラミアと翁ナーガが、脅すように爪を揺らす。
もう逃げられないぞ――とでも言う風に。仮面の赤目には、エモノを追い詰めた事への不遜な狂喜が光っている。
だが、対して。
「僕らの人数は、7人ですか」
翠月がヒヒイロカネを取り出す。
「ここなら誰かの迷惑になることもありません。幸い、月も明るくて視界には困りませんね」
仲間を確認した撃退士達には、狼狽など微塵も見られない。
「悪い、誰か武器貸してくれ。出来れば大太刀とか、デカイの」
ネームレスが、ごきんと肩を鳴らす。不敵に笑んで、一言。
「さてっと、始めるとするか。散々追い回してくれた礼をしねぇとなぁ?」
それが合図。
インレがネームレスに『武器』を投げる。それと同時に、黒兎の悪魔は拳を構えてラミアに跳びかかった。
『ッ!』
唐突なインレの一撃を、般若ラミアは反射的に左腕で受け止める。さらに、ほぼ同時に。
「やっとお前を斬れるね」
インレに気をとられたラミアの側面へ、流れる長髪を金色に染めた茜が舞いかかった。構えた「八岐大蛇」。深紅の軌跡を引いて、太刀筋を横から振る。
間一髪。腕ごと斬り飛ばされそうな衝撃を耐え、ラミアは右腕でそれを受けた。
ラミアが両腕を振り回す。インレと茜を吹き飛ばした。さきほどまで単なる獲物だった撃退士達の一転攻勢に、困惑する。
キュン、と美しい弦音が響く。
ラミアの背に矢が刺さった。怒り狂った般若の面が、背後の那智を睨む。
「後ろから卑怯だとか言わないでくださいね。私は武士でも騎士でもありませんから」
青みがかる黒髪を夜風に流し、那智は警告する。
「私のことより、ちゃんと前を見たほうが良いですよ」
ラミアの懐に、前方から翠月が飛び込んでいた。
「やあっ!」
放つゴーストバレット。透明な弾丸に込められた翠月の強大な魔力が、ラミアの胴体を円形状に吹き飛ばす。
悲鳴。上半身だけになったラミアが地面に墜落する。それでも猶、鬼の顔を持つバケモノは両腕で起き上がる。
が――、その眼前をネームレスが踏みしめた。
「お前らのせいで折角の酒が抜けた。責任取れよ」
全長2m強もあるインレの大剣を叩き落とす。圧倒的な質量を持つ不完全なる剣は、堅い天魔の仮面を砕き、般若の頭蓋を粉砕した。
これで、まず一体。
「これ、借りるよ!」
那智から大太刀を借り受け、桜花がナーガへと疾駆する。咆哮したナーガは、厭な音とともに酸を吐き飛ばしてきた。
「ぐっ……!」
咄嗟に受けた桜花の腕が、じゅう……と煙を上げて焼ける。苦痛に顔を歪め、されど足は緩めず、雄叫びと共に斬りかかる。
「貰ったわ……!」
遠距離から機を窺っていたラプラスが、構えた拳銃のトリガーを引く。
桜花とラプラスの同時攻撃を、ナーガは眼前に掲げた両腕で防いだ。
「終わりだな」
隙を逃さず、蛇男の背後に跳躍するインレ。整える手刀。あまりの速度で背後をとった彼に、ナーガは振り向けない。
『禍穿』。
大地を踏みつけて放たれた螺旋の貫手。鋼と化した躰から放たれた必殺の一撃が――
宙を突いた。
「っ!」
遠目に見た翠月が目を見開く。攻撃が躱された。ナーガが消えた。何処へ?
そこで失策に気付く。状況がイレギュラーすぎたせいだろうか。
此処にいる誰も、阻霊符を使用していない――。
「下です、皆さん!!」
直後。地面から飛び出したヘビの胴が、那智を天高く締め上げた。
「あ……ッ!」
胴に絡みつかれ、那智が弓を取り落とす。苦痛に歪む視界で、嗤う翁と目が合った。
ネームレスの斬撃と、翠月のゴーストバレットを、ナーガは両手で受け止める。彼らを振りきり、蛇男は猛烈な速度で、那智を拘束したまま森へと這いだした。
「逃げる気ですか……っ」
胴を閉める万力に呻きながら、那智が両手を掲げる。
「そうは……させません!」
夜を照らす雷を、右手に集束させる。アカシックレコーダーの力。サンダーブレード。
己の感電も厭わずに、那智は自らを絡め取った胴へ稲妻の刃を突き立てた。
怪物の絶叫。
体躯に電撃を奔らせたナーガの動きが、鈍る。
「動けなければ、その邪魔な腕も使えないでしょ」
茜がナーガの背へと駆ける。すれ違い様に振り抜いた太刀でナーガの胴体を薙ぎ飛ばした。
鮮血の雨。地に伏す蛇男。
かちり。翁の瞳が最後に見たのは、黒い銃口と青い肌だ。
「魔界にいた頃は欲なんてなかったけど。こっちに来て私も変わったのかしらね」
見下すラプラスの笑みは冷たかった。
「さぁ、私の糧になりなさい」
一夜の戦いに幕を引く銃声が、夜を劈いた。
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明けない夜は無いという。
一夜の日常もまた然りである。
「星も綺麗だし、夜の散歩も悪くないね」
天を見上げる茜の表情は、先程まで血濡れていたとは思えぬ爽やかさだ。
「星空を沢山の方に見てもらえて良かったですね」
「ええ。本当に」
煌めく星々を眺めつつ、翠月と那智も微笑みあう。
一方、桜花。大好きな『羽』をもつ女の子であるラプラスに、そそっと体を寄せる。
「いやー、無事に終わってよかったね!」
「そうね。でも、あなたはもう少し落ち着いて出てきたほうが良かったんじゃないかしら?」
裸足だし、と指さされ、「……はい」と縮こまる桜花であった。
「デカい武器を貸せとは言ったけどよ、いくらなんでも規格外すぎるな」
インレに大剣を返しつつ、ネームレスが笑う。久遠ヶ原島。面白い場所だ。
「そろそろ帰るか。あんまり遅くまで起きてんなよ、少年少女?」
「私も。帰ってシャワー浴びて寝ようかな」
息を吸って、茜も背伸び。インレも同じく、腰を上げる。
「学園にも連絡を入れた。……さて、僕は見回りの続きといこう」
黒兎の悪魔が月夜に跳ねる。まだ見ぬ『何か』を闇に求めて。
ある日の夜は、終わらない。
〈了〉