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大きな音を立てて、教会の扉を開ける。
粉々になったグールの肉塊を踏み越えて、クリスティーナ アップルトン(
ja9941)が大聖堂に足を踏み入れた。
教会内は、狂乱に満ちていた。恐怖、哀哭、懇願――極限の感情を人々が叫んでいる。その異様さに、クリスティーナの顔に悲痛な影がよぎる。青い瞳を上げ、祭壇に立つ存在を見据えた。
「アレがこの惨状を生みだした張本人……」
緑色のコートの男。嫌らしい嘲笑を浮かべる、害意の悪魔。
「やっと来ましたかぁ、撃退士! 待ちくたびれましたよッ!」
「んー? あぁ、この間の悪魔さん」
目を凝らした神喰 朔桜(
ja2099)が微笑む。その視線を、悪魔の左手に向けて。
「手は、大丈夫?」
ぴくり。ベルッキオが眉を顰める。彼の左手は、まさに朔桜達のチームに貫かれたのだから。
「ああ、別に、別に皮肉ってるとかじゃないから。私、今は割と機嫌が良いんだよ。キミに話した友達と、色々話せた後だからさ」
「はッ。例の、使徒ですか……。『家畜』から『道具』へ成り下がった下等種族に、まーだ拘っているわけですねぇ?」
家畜、ね。と珠真 緑(
ja2428)が呟く。
「記録によればあんた、人間を食料とか、随分と嘗めているみたいね。理解できないわけじゃないけど――その食料も時には牙を剥くの。油断してると痛い目見るわよ?」
緑は悪魔の左手を一瞥し、くすりと嘲笑を浮かべる。ベルッキオは額に青筋を立たせ、歯を軋らす。
「ああ、やはり君達は、ワタシに実力で傷を負わせたと『勘違い』しているようだ……ッ。ええ、良いですとも! 君達の不遜を正すために、ワタシは舞台を用意したのですからッ!」
「お前が、やったんだな」
月居 愁也(
ja6837)が珍しく、低く唸る。
人間の本質とは何か。自分なりの答えを愁也は見つけたばかりだった。愛。それを踏みにじった、冥魔の男を睨む。
「ゲスの極みだな、クソッタレ」
祭壇。
血濡れたウェディングドレスを着た紗枝が、右腕の盾を構えて立って居る。
女性に寄り添う黒いタキシード姿の牧男が、巨大な左腕を背に回している。
もはや息もしていぬ『二体』に、フレイヤ(
ja0715)が呟く。
「……結婚出来る位のリア充なら、もっと幸せになりなさいっての」
どうして死ぬのだ。こんな日に。どうして彼らが、殺されなくてはならなかったのだ。
ここは戦場になる。避難誘導をすべく、フレイヤは明るく、声を張った。
「はーい! 皆さんちゅうもーく!! 超クールな撃退士、フレイヤ様が来たからもう安全よー!」
「待ってくれ」
男が、声をかけてくる。雰囲気から察するに、紗枝の父親なのだろう。
「娘たちを、どうする気だ……?」
フレイヤの目が一瞬歪む。だが、すぐに。
「……紗枝さんと牧男さんは、私たちが助けます」
嘘だ。分かっている。ディアボロを元に戻す方法は無い。
「だから、今は逃げましょう?」
微笑んだ。悲しくならない様に。余裕と救いを捏造した。
「さあ、我が新たなコマ達よ……!」
立ち去るべく飛翔したベルッキオが、嬉々として眷属に手を振る。
「彼らを八ッつ裂きにしなさぁあああいッ!!」
アンドラスが、跳んだ。
化物の跳躍力。大聖堂の端から端までを一っ跳びにし、フレイヤと一般人達めがけ、巨大な爪を振り下ろす。狙いの中心は――紗枝の父親だ。
「おっと」
朔桜が反応する。
アンドラスの周囲の空間に黒く燃える鎖を出現させ、花婿の体を絡め取り、床に落下させる。
「よりによって結婚式を挙げている方を襲うなんて……」
鑑夜 翠月(
jb0681)が、灰燼の書を握りしめる。
「でも……、やるしかありませんね。悔やむ事は後でも出来ます」
クリスティーナも剣を胸の前に構える。
眼前では、拘束された花婿が、床で狂ったように暴れている。動き出せば、一般人を襲い始めるだろう。
「殲滅を躊躇っている場合では、ありませんわね!」
翠月とクリスティーナが、同時に動く。
闇色の十字架と輝く流星が、アンドラスへ飛んだ。
だが、当たらない。一瞬のうちに花婿の前に滑り込んだギネカが、身の丈ほどもある盾で、攻撃の全てを受け止めたのだ。
「防御役……!」
翠月の目の前で、ディアボロ達が手を繋ぐ。ギネカが盾に負った罅が急速に修復された。
愁也が床を蹴る。ランタンシールドを、ギネカの盾に叩き込む。『徹し』によって伝わった衝撃でギネカの腕自体にダメージを加えた。
「こっちは俺が抑える! そっちはその間に――」
牧男さんを、殺せ。
「……ッ……」
言えずに愁也は、首を振る。愁也と緑がギネカを引き受け、アンドラスと距離をとらせる。
同時に、花婿のもがきは激しくなる。恋人の危機に激怒と心配でも感じるのか。巨腕で鎖を千切らんと足掻く。
「その腕、壊そうか」
朔桜が黒槍を展開する。翠月が咄嗟に言った。
「待ってください! できれば、異形化してない部位は無傷で――」
「OK」
朔桜は微笑む。興味が無いから。
「“できるだけ”、ね」
飛んだ魔法の槍が、花婿の巨腕を貫く。されど破壊には至らない。降り注ぐ攻撃を、天魔は執念深く回避していく。
「ねぇ、あんたは何を想ったの?」
愁也の連撃が盾を抑えている隙に、緑がギネカとの距離を詰める。
「人としての生を終える時、何を考えたの?」
興味があった。返事は無い。既に死んだ人間に聞いても無駄か。と、緑は鞭を、盾と化しているギネカの右腕に巻きつける。それに伝わせた電撃に、ギネカが隙を見せる。
愁也がランタンシールドの刃を突き込んだ。
狙ったのは、ギネカの『右腕』。血が吹き出すも致命傷にはならなず、ギネカは体勢を立て直す。
「……どうして腕を狙ったの?」
「助けられないのは分かってる。……だけどせめて、顔と異形化してない左腕だけは綺麗なまま遺してあげたいんだ」
緑の問いに、連撃で乱れた息を整えつつ、愁也は答える。
「親子の絆や愛は、何にも穢されない。あのクソ悪魔の思い通りには、させねえよ」
討伐は避けられなくとも、そこに救いを見いだせなければ、悪魔に負ける。大切な何かを失うのだ。
「っ、来るわ!」
咆哮。
ギネカが、愁也達に旋回する暴風を放った。
愁也が、盾で緑を庇う。凄まじい勢いに、耐えられたのは数秒。彼の足は床を離れ、砕け散る椅子の破片と共に壁へと叩きつけられた。
「ぐぁ……っ!」
ギネカが突如、猛烈な勢いでアンドラスへと駆けだす。
緑が、魔法の風を逆巻かせて立ち塞がるも、花嫁は盾を前にして進撃する。抑えが一人になってしまった今、彼女を食い止める事は難しい。
「!」
クリスティーナが、はっと気付く。自らのすぐ後ろまで、敵が戻ってきていることに。
そして同時に。鎖を引きちぎったアンドラスが、巨腕をしならせて衝撃波を撒き散らした。
「ぐっ――!」
見えない暴力に弾き飛ばされ、クリスティーナと緑が椅子を砕いて床に激突した。
朔桜が、再び黒い鎖を展開させようとする。その、彼女をも、駆け込んだギネカが巨大な盾で殴り飛ばされる。
(まずい……)
避難誘導を終え、扉を守っていたフレイヤが身を乗り出す。二体の天魔はあまりにも近い――。
「牧男」
背後からの声に戦慄する。教会の扉から、牧男の母親と、紗枝の父親が戦いを見ていたのだ。
牧男の母親が、ふらりと聖堂へと駆け込んでくる。アンドラスの仮面が彼女に向けられた。
「危ない!」
アンドラスとフレイヤが、牧男の母親へ飛びついたのがほぼ同時。
教会に赤が散る。
振られた爪が床を削り、フレイヤと母親は傍へと転がった。庇ったフレイヤの背から零れた血が、床に溜まる。
「っ……」
裂傷の痛みに堪えながら、フレイヤは牧男の母へと呼びかけた。
「大、丈夫……? 怪我は――」
「どうして?」
はっとする。牧男の母親が、作り物めいた暗い瞳でフレイヤを見ていた。
「助けてくれるって言ったじゃない。なのにどうして、あの子達をあんなに血塗れにしているの?」
「それは――」
「牧男たちを助ける方法は、」
母親の目から涙が流れる。
「本当に、あるの?」
フレイヤが口をつぐむ。
騙してでも助けるつもりだった。不幸に嘆く人々を助ける御伽話の魔女のように。物語を笑顔で終わらせるために。でも、これは現実だ。大切な人を亡くした彼らは笑えない。
だから嘘をついた。
――そうだ。
私は、彼らに生きて欲しい。
「あなた達は、死んじゃだめ」
「え……?」
泣きそうな声で続ける。
「あなた達は、生きないといけないの。辛くても、悲しくても、大好きな子ども達に、殺されたりしちゃだめなのよ」
嫌われても良い。私は、彼らを生かすのだ。
「さぁ、立って」
「待って……! 答えてよ! 牧男を助ける方法は――?」
泣き縋る母親を、フレイヤは真っ直ぐ見つめる。
「無いわ」
母親が固まる。最後の声は、蚊が泣くような音量。
「――どうして」
嫌うといい。恨むといい。私は無理矢理、あなたを救う。お伽噺の魔女は、王子様とお姫様の幸せのために、嫌われ者にだってなるのだ。
生きていればいつか、笑顔に戻れる時も来るから――。
アンドラスが、フレイヤ達に腕を振りかぶる。衝撃波を放たんとした巨腕を、落下した黒い十字架が、圧し潰す。
「やめろっ!」
スキルを放った翠月に、紗枝の父親が掴みかかる。
「彼らを傷つけるな……! 何か、方法は無いのか!」
「ごめんなさい……」
胸倉を掴まれたまま、翠月が目を細める。
「僕達に、花婿さん方を助ける術はありません」
「そんな――」
炎の槍が飛来する。
朔桜の術が、アンドラスの巨腕を射抜き、体からもぎ取り、教会の壁へと串刺す。
ギネカが駆け寄る。手を伸ばす。アンドラスも手を差し出す。
「回復は、させませんわ……!」
クリスティーナと愁也が駆け、新郎新婦の間へと割り込んだ。
クリスティーナが花婿の腕を盾で押さえ、愁也が花嫁の盾にランタンシールドをぶつける。
「はやく……! 逃げて下さい!」
「親父さん、退がっててくれ。この距離に居られちゃ、俺達も戦えない……!」
「私などどうなっても良いのだ!! 娘が助かれば――」
ああ、そうだよなあ。愁也が血が出る程に歯を食い縛る。絶対に、離れたくないよな。
でも、折れる訳にはいかないんだ。
「全身全霊で愛した子供に、どうか親殺しなんてさせないでくれよ!!」
「何もかも、どうでもいい……彼女達が生きてくれるなら……」
誇り、意地、体裁、何もいらない。生きてくれるなら。だから命だけは。
「紗枝達だけは……あの二人だけは殺さんでくれ……!!」
手負いの体を引き摺って、緑がやってくる。
「人の想いっていうのは、強いのね」
水龍の光纏をする。紗枝達の想いを、確かめるために。
発動する『水鏡』。水龍が触れた紗枝の父親の過去が、緑の視界に再生される。
美しい部屋。教会内の、親族用の着替え室だ。
――駄目な父親だったな、私は。
花嫁衣裳を着た娘に、彼は自分の欠点をあげつらねた。
――稼ぎも少なくて、ロクな暮らしをさせてやれなかった。お前が珍しく『お願い』をしてきたモンブランも、たしか、別のケーキを買ってきてしまった。本当に、我慢をさせた。
――素直に「綺麗だ」の一つも言ってよ。こんな時くらい。
――ああ、すまん。
駄目な父親をするのも、今日で終わりだ。
これからは、娘は自分の人生を歩んでいく。
私はもう、老いて、いなくなるだけだ。娘の足を、引っ張ることも無い。
――幸せになれよ、紗枝。
私はそっと、俯いた。
――なに言ってるの?
顔を上げた。
娘は、頬を膨らませていた。
――私は、私だけが幸せになるのなんて嫌よ。お父さんのこともお母さんのことも、これからやっと幸せに出来るんじゃない。
お父さん達と過ごした日々も、感謝も、忘れずにいよう。
死が二人を別つまで、家族みんなで歩もうと決めたのだ。
――言うのは、式まで待とうと思ってたんだけど、
娘はそう、照れ臭そうに頬を微笑んだ。
――今日までありがとう、お父さん。
「紗枝さんは、自分の幸せだけじゃない……あんたの幸せだって、願ってたんじゃないの」
緑が声を紡ぐ。紗枝の父親が、目を見張る。
「なのにあんたが、どうしてそんなに我が儘な事言ってるのよ。親でしょう? 娘の最後のお願いくらい、聞いてあげてもいいじゃない」
父親の目から、涙が零れる。
くずおれ、嗚咽を漏らす。だんだん強く。言葉になる筈も無い、ひたすらの慟哭だった。
「…………っ」
クリスティーナが、アンドラスの腕を押し返す。
哀しくない訳がなかった。ただ、それを表に出すのは性に合わない。
「流れる星々の輝きを御覧なさい――」
剣に、輝きを纏わせて。
「スターダスト・イリュージョン!!」
振り放たれた流星群が、アンドラスの体躯を吹き飛ばす。
ギネカの注意が一瞬、花婿に向いた。その隙を、撃退士達は逃さない。
「うぉおおおおおおおおおおおお――ッ!!」
武器をデュランダルに持ち替えた愁也が、ギネカの盾に次から次へと刃を打ち込む。防御を一か所に引き付ける。
翠月のファイアワークスが、鮮やかな色を撒いて炸裂した。圧倒的な威力。ギネカの盾が砕け、その体が高く舞って、床に落ちる。
まだ耐えた。
骨格を軋ませながら、天魔が床に這う。傍にはアンドラスが倒れている。
震える花嫁の手が、花婿に伸びる。愛おしそうに、その右手を握る。
繋がれた手。
回復は、起こらない。
アンドラスは既に、息絶えていた。
「死が二人を分かつまで……ね」
緑が目を細めて言う。
「安心しなよ、あんた達は死んでも一緒だから」
床に膝をつき、漆黒の仮面で天を仰ぐ花嫁。その背後で、クリスティーナが静かに魔具を振り上げる。
「……せめて、安らかに」
声が震えそうになった理由は分からない。
ただ、剣を振った。
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教会の外は、良く晴れていた。
潮風のなか、座る紗枝の父親に愁也がある物を手渡す。
「これを」
紗枝の指輪だった。無傷だったギネカの左手に残ったものだ。
父親は何も言わなかった。ただ大事そうに指輪を握る。儚げではあったが、それでも、生きようという意欲の感じられる動作だった。
「私達は、あの二人を救えたのかしら」
少し離れた所で、クリスティーナが呟いた。
「……あの悪魔は、人の、大切なものを壊そうとしたんです」
翠月が呟く。やはり、自分に向けた言葉のように。
「でも、僕達は紗枝さんの左手を守れました。指輪もです。悪魔は、僕達にそれを壊させることが出来なかった。紗枝さん達の永遠を穢せなかった。だから、紗枝さん達は、きっと救われていました」
そう信じよう。
愁也が姿勢を正す。紗枝の父に、静かに一礼をした。
「仇は、必ずとります」
結婚式。
人生で最高の日。
たとえその日から救いが奪われても、避け得ぬ別れを前に人は願い、涙を溢し、
景色のなかに、救いを見出していくのだろう。
〈了〉