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マスター:水谷文史
シナリオ形態:ショート
難易度:難しい
形態:
参加人数:10人
サポート:2人
リプレイ完成日時:2013/03/07


みんなの思い出



オープニング

●宵闇の淵

 静かな暗がり。微睡を誘う薄闇がたちこめる空間で、悪魔ヴァンデュラム・シルバ (jz0168)はソファに横になっていた。

(‥‥ゲート展開、ねえ)
 レディ・ジャムがやる気になった。これで、いよいよ潮時だ。自分もまた前線に出て戦わねばならない。
「‥‥‥‥」
 乱れた前髪の奥で、寝起きのようなシルバの目が天井を見つめる。
 気だるげな紅い瞳が想うは、この数か月間に出会った人間達の姿だ。
 戦う彼らの姿。
 言葉を投げかけてきた彼らの口を。
 寝て、起きて、ふと思い出して。そのたびに出てくるのは、いつも同じ問いだった。

 撃退士達が天使と同じような脅威になったら、惰性でそれを許せぬ俺は、一体彼らをどうする?

 何度目かの自問に、悪魔はゆっくりと牙を覗かせる。
 唸るように、観念するように、呟いた。
「‥‥答えは、決まってるけどよ」


「答え! それはワタシの命令に対するですかぁ!?」


 声。
 シルバが寝るソファの前に、いつの間にか、緑色のフロック・コートを着た男が立っていた。
 金髪を後ろで一つに結い、長い前髪もくるくると巻いて胸まで垂らしている。
「‥‥わざわざ冥界から馳せ参じるとは‥‥あんたも必死だな、ベルッキオ」
 知人の来訪に身を起こすシルバに、緑の男は口角を吊りあげる。
 悪魔ドルトレ・ベルッキオ。
 整った顔をしているが、ヘビのように鋭い目と、常に舌舐めずりをしているような真っ赤な唇が、どうしようもなく嫌らしい印象を与える。
 性格もそれに違わず、卑屈さを絵に描いたような男だ。
 シルバは言った。
「命令ってのは‥‥力を貸せ、だったか? あんたが四国にゲートを開く為に?」
「その通り! どうせ君一人ではマトモに戦えもしないでしょうからねぇ。むざむざ粛清されるのを眺めても可哀想ですし、ひとつ、ワタシの才で救ってあげようと言うのです!」
 才‥‥ね。
 シルバはうんざりと眉を顰め。
「作ったヴァニタスを2体も敗死させて、ゲート展開に失敗。あげく上司から戦力外通告を受けて、粛清に怯えまくってるあんたの才かよ?」
「黙れッ!」
 目を剥いてベルッキオが叫ぶ。
「過去の失態は全て状況が悪かっただけのこと! 狡賢い天使に邪魔をされましたが、今回は別ですよ。この四国で功を立てれば、今度こそワタシの才を世に示せるというものですッ!」
 お前、それ二百年前から言ってるよな。
 そんな批判は思うだけしたシルバの眼前で、興奮したベルッキオが細い両腕をおおきく広げた。
「ゲートの乱立! こんな大仕事が今までにあったでしょうか!? 否! なかった! 皆無だったッ! ワタシの才を活かすにこれほど適した舞台はかつて存在しなかっ――」
「分かった。もういい。乗ってやるよ」
 言ってやると同時に、してやったりという表情で笑んだベルッキオに、シルバは嘆息した。
 こいつは相変わらず、魂を上納して上司の機嫌をとることしか考えていない。
 情けないが、しかし、情けないという一点を除けば何も悪いことは無い。

 戦いに虚無感を覚えてる俺より、マシかもしれないくらいだ。

「‥‥つくづく、洒落にならないことに巻き込まれたもんだな」
 気だるげに歩を進めるシルバと、嬉々として両腕を掲げるベルッキオ。
 2体の悪魔が暗闇から出て行く。


●久遠ヶ原学園


「徳島県の美馬市に悪魔‥‥であります!」
 あわただしい依頼斡旋所の一角で、黒峰 夏紀(jz0101)が声をはった。
「現地の住民からの通報で、出現した二体の悪魔の素性は判明済みです。一体はヴァンデュラム・シルバ。断続的に四国を襲撃していた悪魔です」
 夏紀は資料のページをめくり。
「もう一体は‥‥ドルトレ・ベルッキオ。過去に学園が交戦し、同悪魔のヴァニタスを撃破した記録が残っています」
 緊急の依頼です、と机に地図を置き、夏紀は撃退士たちを傍に寄せる。
「この二体はどうやら、二、三日ほど前から美馬市に潜伏していたようです。それが本日、広域に大量のディアボロを撒き散らして姿を現しました。時期的にゲート展開が懸念されていますが‥‥」
 ゲートの展開には、ある程度の「詠唱」の期間が必要だ。
 そして今回の場合、その期間は既に満たされている。
 ゲートがいつ開いても、おかしくない。
「詠唱を行っていると目されるのは、ベルッキオであります。根拠として、この悪魔はこの数日間、美馬市の小学校の校庭から動いていません」
 詠唱中の悪魔は無防備になり、行動を大きく制限される。
 この小学校を中心に敵の陣営が展開されていることからも、最も怪しいのは彼だろう。
「‥‥地形を鑑みて、今回は部隊を二つ編成し、同市を北と南から攻略します」
 美馬市は東西を森に囲まれている。
 ディアボロが散っている今、見通しのきかない森を進むのは危険だ。

「こちらのチームには、北側からの進行をお願いします」
 部隊を結成した撃退士達に、夏紀が説明する。
「北側の最大の特徴は、市街地に悪魔シルバが待ち構えていることであります。作戦の目的は、市街地の奥にいるベルッキオのゲート展開阻止ではありますが‥‥」
 悪魔シルバ。
 未だ本気を出さぬ彼の力が、今回どれほどの障害となるのか。
「作戦としては市街地を突破し、ベルッキオに到達できることが一番でしょう。しかし、無茶をせずシルバを抑え、南側の撃退士たちに繋ぐこともまた一つの策です」
 もっとも、シルバを抑えにかかることが『無茶でない』保証すら何処にもないのだが。
「‥‥危険な依頼であります。でも、誰かがやらなくてはいけない依頼です。だから、やりましょう。そして、無茶だけはなさらないでください。全員で帰還することが、本作戦の最優先事項です」
 撃退士達に資料を渡し、夏紀は気丈に、拳を握って言った。
「怠け者の冥魔に、人の力を見せましょう!」


●徳島県美馬市


 押し潰すような暗雲が、この街の空を覆っている。


 日光を遮断された世界。灰色の影に塗られた街の一角に、怠惰な悪魔が立っていた。
 放たれたディアボロ達が町を蹂躙する音が聞こえる。
 どこか遠くで、今も悲鳴があがっていく。
「‥‥平和なもんだ」
 何年も変わらぬ光景に髪を掻き、シルバはコートを風に揺らす。

 戦いが、嫌いだ。

 自分の力は自覚している。しかし、戦えば、相手も自分も傷を負うのだ。何百という年月のなかで、シルバはその虚しさに辟易としていた。
 だから、人間相手は気楽だった。こちらで優位を握り、必要な時に殺せ、それ以外の時には逃がしてやれる。悪魔は強く、人間は弱い。
 弱い、はずだった。
「‥‥‥‥」
 彼の隣。
 一羽の大鴉が爪で道路を踏みしめている。
 翼を広げれば、全長は5メートルもあるだろうか。光沢のある灰色の体躯をし、目も鼻も嘴も無い黒頭巾に、頭部をすっぽりと覆われている。
 異様なのは、胸の部分に、海賊船の船首のように灰色の女神像を生やしていることだ。目隠しをされ、謳うように口を開き、祈るように胸の前で手を組んだ女神像。
「‥‥惰獣を使うのも、これで三回目か」
 シルバが呟くと、惰獣は天高く飛翔した。
 曇天に舞い上がり、その先で、『二つに分離する』。
 幻影と本体。
 見分けのつかぬ二羽が、一羽は上空で旋回し、もう一羽は市街地へと飛んで行く。
 さあ、準備は整った。
 今さら覚悟は必要ない。
「全く。お互い、災難だよな。人間よ」
 遥か遠く、街に踏み込んで来る撃退士達の気配にシルバは唸った。



リプレイ本文

●What a calamity.

 天魔にとっての牧場である、ゲート。
 人間もまた喰らう為の家畜を育てている以上、天魔のゲート展開を悪と断ずる権利は無い。と、佐藤 七佳(ja0030)は時折思う。
 けれど現状、ゲート展開は悪と見なされる。七佳もまた阻止する為に、四国の地を駆けている。
「正義とは、なに‥‥?」
 胸中で自問する。答えは出ない。だから、戦うしかないのだろう。
 人にとってゲートが災厄である事実は変わらないのだから。
 広い吉野川にかかる穴吹橋を、撃退士達が走って行く。
「どこもかしこもゲート、ゲートと‥‥忙しくて敵わんね、まったく」
 麻生 遊夜(ja1838)が嘆息する。勃発している異常事態。絶えず鳴る四国からのSOSに、撃退士達の近況は「暇」からは程遠いのが現状だ。
「麻生の言う通りだよ。また面倒な‥‥」
 嵯峨野 楓(ja8257)も息を吐く。四国がどうなろうとドライでいる自信はあるが、仕事で来た自分の命まで脅かされては冗談ではない。
 友人も一緒なことだし、さっさと終わらせて帰ろう。そう思う楓の隣で、友人たる鴉女 絢(jb2708) も濡れ羽色のツインテールを靡かせ駆けている。
(正直、四国や冥魔勢には興味ないけど‥‥)
 と絢は楓を一瞥する。大切な友が頑張っている姿に。
「私も頑張らなきゃ」
 紫の瞳に戦意を込め、真っ直ぐに前を見据えた。
(頑張る‥‥か)
 絢の呟きに、相原 陽介(ja6361)は瞳を暗くする。天魔に抗う気持ちはあるが、陽介のそれは責任感というより自己犠牲の色が濃い。
 天魔を止める為、自分など、どうなろうが構わなかった。
「南側の人達も今頃走ってるのかな‥‥?」
 肌に纏う嫌な雰囲気に、森田良助(ja9460)が唾を呑む。大丈夫だ。なんとかなる。努めて前向きに、彼は南と北を繋ぐ通信機を握り絞める。
「‥‥大鴉が飛んでいるな。あれも天魔か」
 獅童 絃也 (ja0694)が冷静に視線を曇天に向けた。
 遠くを跳ぶ黒い烏が一羽。あれが何時、北南の障害になるやも知れぬと、表情も変えず肝に銘じる。
 今回は南側との合同作戦だ。
 ゲートを開かんとする悪魔は南にいて、北には、その護衛として惰性の悪魔が立ちふさがる。
「‥‥また、誰かの思惑で動いているのですね」
 悪魔を想うは雫(ja1894)だ。かつて四国で見た、あの男の死んだような目を思い出す。
 己の思考を持たぬ冥魔。
 貴方はそれでいいのかと、胸中で問う。
「うーん。嫌がってたのに、らしくないねぇ?」
 来崎 麻夜(jb0905)も唸る。遊夜の隣で駆ける彼女の姿は、風に揺れる黒い髪とドレスのせいで黒い子犬にも見える。
 麻夜もまた、この先で待つ悪魔と面識を持っていた。戦いを忌避していた彼が臨戦したのは、本意か否か。
 会えば分かる。
 此処は既に、冥界の端だ。
「――異音を感知」
 市内に入り、遊夜がスキルで音を聞きとった。
「前方15メートル先‥‥敵だ!」
 開ける視界。
 両側に店々を並べた一本道に、細身の異形が立っている。
 襤褸布に翼を広げた模造天使。冥魔ファウストが、顔無き顔で此方を見る。
「‥‥わざわざ御迎えご苦労さん」
 辟易と矢野 古代(jb1679)が腕にアサルトライフルAL54を具現化させる。
「さっそくで悪いが‥‥通らせてもらうぞ!」
 護るために。
 帰るために。
 冥魔に宣戦布告をするが如く、曇天に銃声を響かせた。


●『災難』


「どいてどいて!」
 良助が先陣をきる。ヨルムンガルドによる射撃で、ファウストの魔法を阻害する。
 たじろいだ敵を逃さず、雫が一気に踏み込み、右下段からフランベルジェを振りあげる。空を断つ鉛の軌跡を、しかしファウストは飛び退いて躱した。
 その眼前に麻夜が踏み込む。両手に二丁拳銃を呼び出した彼女よりも、だが、ファウストの方が一瞬速い。
 鎌が振られる。
 左から翻ってきた鎌を、黒衣の少女はまるで想定していたかのように潜り抜けた。空を刈る鎌。少女の背後で、遊夜が跳躍する。
 天魔の鎌をさらに蹴り、宙に舞った遊夜が、右手に握った拳銃をファウストの首元に叩きつける。
「じゃあなっ!」
 マズルフラッシュ。
 天魔の首に穴が空く。折れたカカシのように身を崩す天魔に、遊夜と入れ替わりで前進した麻夜が二丁拳銃を向けた。
「お休みなさい」
 数発を連射。薬莢が落ちる音と共に、模造天使は地にくずおれる。
 撃退士達は止まらない。着地した麻夜も、遊夜も、既に先へと駆けていた雫と良助を追う。
 ゆらり、と。左の民家から、別のファウストが舞い降りてきた。
「おっと!」
 疾走しながらも即座に反応した古代と絢が、アサルトライフルの銃弾を集中させる。着弾光に包まれるファウストだが、それでも細身を揺らして絢に鎌を振り上げてきた。
 迎え撃つのは絃也だ。道路を踏みしめ、左拳に具現化させたサーベラスクローを突き出す。
「ふんっ!」
 大気を揺らすような一突きに天魔の体が跳ねる。一瞬の痙攣の後、仮面に罅を入れて崩れ落ちた。
「楓ちゃん!」
 絢の前方で、楓達の眼前にもファウストが待ち構える。敵が放った火球に七佳が焼かれるも、彼女は、ひるまず突進する。
(南の人たちも交戦しているのでしょうか‥‥)
 思いながら繰り出す右手。光の杭。大鎌で受け止めた敵に、陽介がさらに蹴りを加える。
「敵が多いなぁ」
 軽く眉を顰めながら、楓も風の刃を放つ。そりゃそうか。此処は天魔の懐なんだ。
 雄叫びをあげて雫が地を蹴る。両手で大剣を突き出し、ファウストの胴体を深々と貫通させた。
 敵は全滅。
 今なら、眼前の道路に敵は無い。
「急ぎましょう!」
 良助の回復を受け、七佳が走り出す。その、瞬間だ。

 強風が撃退士達の髪を叩いた。

 全員の頭上に、影が降る。一斉に上を見ると、一羽の大鴉が低空を旋回している。
 両翼で飛ぶその姿は巨大。秘めたる筋力をまざまざと見せつけ曇天を泳ぐ怪鳥は、表情の無い黒頭巾で戦闘機が如き沈黙の威圧を与えてくる。
「来たか」
 絃也が身構える。新手だが、敵は一体だ。切り抜ける覚悟を撃退士達が決める。

「相変わらず、慄かねぇ奴らだな」

 声。撃退士達が思わず足を止め、進行方向に目を向ける。
 男が立っていた。腰には剣。気怠げに腕を垂らし、片手で黒髪を掻いている。
「ああ‥‥お疲れさまです」
 楓が乾いた声で言った。潰れそうな重圧にうんざりしながら、見知った悪魔を見る。
「今日もやる気は無い感じなんですね。‥‥シルバさん」
 悪魔ヴァンデュラム・シルバ (jz0168)が紅い瞳を楓に向けた。
「お互い様だろ。仕事じゃなけりゃ、こんな所にゃ来ないね」
 脅すような雰囲気は無い。だが、否応なしに伝わってくる悪魔の実力の気配が、撃退士達の肌を粟立たせる。
「や、シルバさん久しぶりー」
 麻夜も微笑みを浮かべて手を振る。悪魔が出てきた理由は分かっている。だからこそ、囁いた。
「前と同じこと訊いていい? 今日は、貴方は戦うの?」
 悪魔が眉を下げる。
 武器を構える学園生徒達に、牙を覗かせた。
「戦わねえよ」
 一同がきょとんとする。悪魔は楓を一瞥し、目を閉じる。
「話が分かる奴もいそうだし提案しとくぜ。お前ら全員、ここは黙って退いちゃくれねえかな」
「‥‥なんだって?」
 古代が声を洩らす。仁王立ちをしたまま、絃也も無表情に問う。
「ゲートはどうなる」
「開くよ。だが、お前らは無事でいられる。悪くないだろ」
 ‥‥成程。
 命は助ける。四国は捨てろと。悪魔の提案を理解して、良助が口元で笑う。
「――少し、僕達を甘く見すぎなんじゃない?」
 銃を構えて鋭く敵を見る。
「四国の人を見捨てて逃げろなんて、僕ら十人に言える立場なの?」
 薄く眉を顰める冥魔に、楓も肩を竦める。
「残念ながらお返事はノーですね。帰りたいのは山々ですけど、お互いそうもいかなくて」
 難儀だなぁ、と。死ぬのだけは絶対に御免だと己に誓う。
「他の連中はどうなんだ?」
 未練がましくシルバが問う。遊夜が髪を掻き、嘆息した。
「手ぇ差し伸べてもらって悪りぃけど、ここで帰ったら大切な人に顔向けできねぇや」
「‥‥。そりゃあ変だ。此処で死んだら、本当に顔向け出来ないぜ?」
「逃げて嫌われても生きていけないんだな、これが」
 両手に銃を召喚し、苦笑する。
「残念だが、こっちにも守りたいもんがあるんでな‥‥。お互い災難だねぇ、シルバさん?」
 シルバが溜め息を吐く。緩慢な動作で、剣を抜く。
「ああ」
 悪魔が赤い目を細める。
「全くだな」
 怠惰なる刃。思考を止めた惰性の男に。
「私が私である為にも進ませて貰います!」
 光纏した雫が吼え、各々の武器を手に、十人の撃退士達が地を蹴っていく。





 不用意にぶつかっても勝ち目は無いと、絃也は距離をとり、悪魔の一挙一動に目を凝らす。
「まずはこいつだ!」
 遊夜が銃を撃った。『腐乱の懲罰』。アウルを引いて飛来した弾丸を、悪魔は身を振って避ける。
 麻夜の腕でアウルが凝縮する。漆黒のケルベロスとなった光が駆け、シルバに獰猛に飛び掛かる。狙いは一つ。敵に攻撃を躱させ、味方の次撃に繋げることだ。
 麻夜の思惑通り、シルバは体を右に振って黒犬の一撃を避ける。動きの止まったところに、すかさず雫が大剣を振り下ろした。
 だが、悪魔の動きは異常。どう見ても力の入らない体勢から跳ねあがった右手の剣が、雫の薙ぎ払いを受け止める。散る火花のなかで、悪魔と雫の視線が交わる。
「甘えよ」
「そうでしょうか?」
 シルバの背後に、陽介が滑るように踏み込んでいた。
 悪魔がそれに気付く、直後には、虚ろな目をした陽介が宙で体を捻り、メタルレガースによる蹴りを放っていた。
 自己犠牲を厭わぬ陽介の大胆な一撃が、悪魔の胴体を喰らう。
 よし、と楓が唇を結ぶ。仲間達による、シルバを支点とした三角形の陣形が完成した。
 流石の悪魔も、多方向からの攻撃なら、避けきる事は難しい筈だ。
(俺は弱いからたっぷり見させてもらうぞ‥‥!)
 古代も遠距離から目を凝らす。悪魔の注意を散らさんと口を開いた。
「なあ悪魔! 自慢じゃないが、俺も怠けもんなんだ。気が合いそうだと思わないか?」
 絢の銃撃をいなしながら、シルバが瞳を彼に流す。
「‥‥思わないね。俺が帰れって言っても、お前、帰らなかったじゃねえか」
「ああ、あれな」
 古代が愉快そうに笑う。
「実に魅力的な提案だったよ。俺も戦うのは嫌だ。出来るなら、だらだらとぬるま湯のような毎日を過ごしたい。んで給料も欲しい。多めにな!」
 威張るように言う古代。それから、少し真面目に。
「‥‥ただ、俺にも見栄を張りたい奴らがいるんでな」
 義理で増えた子。彼らの為にも、ゲートを阻止し、帰らなくてはならない。
「四国での冥魔の狙いは何だ、悪魔」
 真剣なトーンで古代が続ける。撃退士達の攻撃を躱しながら、シルバが言った。
「そんなこと訊いてる場合かよ?」
 直後だ。良助が、視線を上げて叫ぶ。
「‥‥っ! みんな、上だ!」
 大鴉――惰獣アレアが、滑空してきた。
 楓が瞬時に手を上げる。透明な金縛りの糸を烏に放つ。同時に、古代も銃撃で迎え撃つ。
 だが、アレアの巨体に到達した攻撃は全て、透過能力が適応されたかのようにすり抜けていく。
「え‥‥?」
 良助が呟く。と同時、地表を削るように飛ぶ惰獣の体が、彼と洋介、麻夜を呑んだ。羽音と真っ暗な視界の中で、良助は、精神を魔法で裂かれるような痛みを感ずる。
「この鳥‥‥幻覚か、何かか‥‥っ!」
 過ぎ去り、空へと戻る惰獣を見上げ、良助が叫んだ。咄嗟に撃ったマーキングも、命中した手ごたえがない。
「あの鳥全体が大きな魔法なんだ! 攻撃は効かないよ!」
 痛恨する。
 怪鳥型ディアボロの存在は知っていた。対策も練った。だが、悪魔と怪鳥が同時に出現するケースを考えてはいなかった。
 何の技を用いるべきかの混乱が、撃退士達を等しく襲う。
「驚いてる場合でもねぇよ」
 眼前の陽介に、シルバが剣を振り上げる。迫る刃に陽介の顔が、一瞬、表情を失う。
「「通すかよ!」」
 古代と遊夜の声が重なる。
 シルバの剣が衝撃で弾かれる。剣の軌跡を逸らした一撃は、古代の『軌曲』と遊夜の『絶望の拒絶者』だ。
 隙を突き、陽介が斬撃を回避する。剣を引き戻す悪魔の前に、すっと男が踏み込んだ。
 絃也だ。腰を落として構えをとり、『気を練る』。
 ――突いてくる。とシルバが悟る。距離をとらんとした、その時だ。
 七佳が、地を滑走して彼の背後をとった。
 背に負う多重魔法陣は彼女の『破陣』。次なる攻撃への力を溜めながら、七佳は揺れる赤い瞳で冥魔を見る。
 この冥魔も、一つの命。
 自衛の為に奪うことも、正義では無いのだろう。
「‥‥本当の正義は‥‥戦いの先に見つかるのでしょうか?」
 白光のなかで呟く彼女。両面から補足した、二人の阿修羅に。
「悪いな」
 シルバの右手が霞む速度で振られる。
 刹那、絃也の胴が一閃に裂かれた。
 鮮血が噴く。結ばれた絃也の口からも血が零れる。遊夜と古代の援護射撃はあったが、練気で動けぬ絃也は剣を躱せなかった。
「獅童さん!」
 仲間の危機に、絢が思わず身を乗り出す。そんな彼女を目掛けて、側面から惰獣が落ちてくる。
 幻影だ。頭では分かっていても、そこには圧倒的な現実感がある。黒い烏に撃退士達は慄き、その、足を――

 止めなかった。

 シルバが眉を顰める。幻影に体を貫かれても一歩も退かず、自分に向かってくる撃退士達に、僅かながら驚嘆する。
 否、それに留まらない。
 大量の失血のした絃也が、拳を握る。倒れぬ彼の姿には、流石のシルバも声を失った。
 躱そうと脚を踏み出す冥魔に、右側から陽介が蹴りを放つ。悪魔は舌打ちをし、咄嗟に構えた刃でそれを止める。
「人は貴方が思っている程、脆弱な存在で有りませんよ」
 声。左に瞳を向けたシルバが見たのは、眼前で大剣を構える雫。
 ――囲まれた。そう悪魔が悟るより早く、雫が剣を振る。フランベルジェによる極太の一閃が、確かな手応えと共に悪魔のバランスを崩した。
「力を認めぬは侮ると同義」
 絃也が、低く唸って拳を引く。
「侮りにより生ずる隙の一瞬、」
 冥魔に深く、踏み込んで――

「衝かせてもらうぞ」

 震脚。突き出された拳の、大気すら圧す無言の気迫が、シルバの剣を圧し切った。
 絃也の全霊の拳を胴に受け、シルバのブーツがアスファルトを削る。その背後、さらに七佳の光纏が閃く。
 迷いはない。きゅっと唇を結んで、七佳は背の魔法陣から光の束を噴射する。
「やぁあああーーッ!!」
 七佳の右腕から打ち出された杭が、光の加速を得てシルバを貫く。
 両面からの必殺の一撃が、悪魔を挟んで大地を揺らした。





 キュオン、と光を集束させ、七佳は即座に悪魔と距離をとった。
 彼女の眼前で、悪魔は立ち尽くす。
「今回、お前は何故剣を取ったんだ怠惰の悪魔」
 絃也をアウルで治療しながら、古代が声を投げる。
「人間は戦う相手じゃないんだろう? ならどうして、得物なんか持ってそこに立っている?」
 無言で立つ冥魔に、古代は言い放つ。
「お前は俺達を、いや人間を少なくとも牙を向いた鼠として認めたんだ」
 戦場に満ちる静寂。
 遊夜は光纏を腕に伝わせ、銃口をシルバに向けた。
「‥‥悪りぃけど、アンタは強いんでな」
 視界に映る予測戦に、目を細める。
「手加減は‥‥ナシぜよ!」
 腐爛の銃弾を撃ち放った。
 その瞬間だ。光纏にも似た灰色のオーラを纏い、シルバが紅い瞳を上げる。
 鋭く振られた灰色の一刀が、遊夜の弾丸を宙で打ち消す。微かに広がった薄墨色のオーラは、そのまま剣へと凝縮する。
「強いな、お前ら」
 悪魔が呟く。
「‥‥とても、人間とは思えねぇよ」
 悲痛そうな瞳で周囲を眺める。次の瞬間。


 シルバの周囲の撃退士達が、一斉に斬り飛ばされた。


 絃也が、雫が、陽介が、自らの体に迸った鮮血の軌跡に唖然とする。皮膚を裂かれ、胃を断たれ、身体から吹き飛ばされた熱と血に、膝の力が抜けて消えた。
「ぐっ‥‥」
 雫が地を踏んで耐える。汗に滲む視界の隅で、陽介が血だまりに沈んでいる。
 絢が絶句する。はぐれ者でない悪魔の力。瞬時に撒かれた剣の数閃の威力に、戦慄する。
「絢ちゃん。‥‥上」
 楓が呟くように言った。
 曇天の大鴉が、いつの間にか二体に増えている。
 分身したのか? 否。先程の一体が分身であり、今飛来したのは本体だろう。北側に他の撃退士がいないか巡回してきたのだ。
 本体が。
 こんな、最悪のタイミングで。
「‥‥治療は俺がやる!」
 古代が血相を変える。
「森田さんは鴉をマーキングしてくれ!」
 叫ぶや否や古代は駆けていた。良助も、言われるより先にヨルムンガルドを惰獣に向けている。
 飛来する黒頭巾の大鴉。放ったマーキング弾が、命中する。
「こっちが本物だ!」
 良助が周囲に報せる。視線を動かし、そして青ざめた。
「‥‥! 避けて獅童さん!」
 アレア本体が滑空した先に、絃也が硬直している。
 古代が何とか陽介を引いて倒れ込む。雫も間一髪、翼に掠められつつ脇に退く。
 だが、乾坤一擲後の絃也は動けない。血塗れの彼が、黒頭巾の天魔に轢き飛ばされた。
「く‥‥っ」
 雫は地面に手をつき、
「此処で落ちなさい!」
 体ごと、大剣をアレアに振った。薙ぎ払いが、通り過ぎていく大鴉の胴を僅かに斬る。
 がくん、と体を傾かせる惰獣。空に逃す訳にはいかないと、絢が全力で駆ける。
 惰獣の背後に跳躍し、宙に浮いたままナイトアンセムを発動。周囲に広げる闇で、まさに飛翔しようとしていたアレアを呑んだ。
「楓ちゃん! 今のうちだよ!」
 暴風に全身を包まれながら絢が叫ぶ。千載一遇のチャンスに、楓が地を蹴る。
 掲げた手から『不動金縛』を放つ。無数の透明な糸が飛来し、暗闇を貫いた。
 糸を手繰る。引き絞る。闇の中から、アレアが現れる。

 糸は――、躱されていた。

 楓が目頭に皺を寄せる。遅れて滑空した惰獣の幻影が、宙に跳躍していた楓と絢に真正面から突っ込んだ。
 二人の少女が、闇に消える。その時、良助は見た。
 惰獣の本体が、何かにぶつかったように身をよじったのを。
(本体には、分身の感覚が分かるのか‥‥?)
 それにしては分身に動きが無い。五感は一方通行‥‥? 可能性でしかない情報を、良助は必死に仲間に報せる。

「待ってろ‥‥! 今、治してやるからな」
 古代が陽介の脇に屈む。治療の為に、拳にアウルを込める。
 コツ、と。
 彼の背後で、シルバが地を踏んだ。古代は気付くが、反応はしない。
「逃げれば、見逃すぜ」
 悪魔の声がする。古代は目を閉じる。
「悪いが、遠慮させてくれ」
「‥‥。なんでだよ」
「なんてことはない、凡人の見栄だ」
 此処で退いたらシルバは南に向かう。
 そうなれば、ゲート展開は避けられない。
「背負うものがあるってのは大変なんだぞ? 怠惰の悪魔よ」
 言いつつ、古代は幸福そうだった。
「‥‥そうかよ」
 虚しそうにシルバが剣を振り上げる。
「じゃあな」

 陽介が跳ね起きた。

 シルバの剣を片手で掴む。動きを止めた悪魔に向かい、感情のタガが外れた陽介は歯を剥き笑った。
「こんな命、要らない」
 世界を冷やすような絶望を込めて彼が云う。爛々と輝く瞳に過去の惨劇を写し、それを壊すように足に『インセインドライブ』の力を宿す。
「ほら、」
 道路を踏んで。
「お前も、どけよ――ッ!」
 アスファルトを砕く。シルバに向かって、常軌を逸した力で蹴りを放った。
 ずん、と鈍い音がする。
 攻撃を終え、狂気に堕ちた陽介は、瞳孔の開いた目で脚を見る。
 放った一撃は、シルバの左手に止められていた。
「‥‥‥‥ちぇっ」
 つまらなそうに陽介が呟く。失血に霞む彼の視界で、シルバが剣にオーラを纏わせた。
 迸る薄墨の一閃に、古代と陽介が血を散らして沈む。
 崩れる二人に目もやらず、シルバは身を返し、背後の少女を剣で突いた。
「ぐっ‥‥ッ」
「不用意に近づいても無駄だぜ」
 『破陣』のチャージを行っていた七佳が、肩を貫通した剣に顔を歪める。額から伝う汗に、視界が滲む。
 激痛に耐える。気丈に敵を見て、剣を抜こうともがく。
「辛いなら、逃げてくれねえか」
 悪魔の声に、七佳は敵を睨む。痛みに震える唇を、開く。
「‥‥あたし、は‥‥――」


「楓ちゃん」
 紫色の澄んだ瞳で曇天を見上げ、絢が言った。
「次にあいつが攻撃してきたら、終わるよね」
 天を旋回する二羽の惰獣。
 本体がもう一度降ったら、きっと、撤退は免れない。
「‥‥そうだね」
 楓が答える。彼女の中では撤退は已む無し。最悪なのは、仲間が帰れなくなることだ。
 最も、自分がそうならない自信も無いが。
「‥‥‥‥」
 絢は自らの体を見る。
 ウィンドウォールで、風の障壁に守られた体。
 上空にいるのは、数秒後には味方を殲滅するであろう天魔――。
「‥‥絢ちゃん?」
 楓が訝しげに友人を見る。
 絢は、紫の瞳で楓を見返す。
 仲の良い友。
 頑張っている友に。
「――ごめんね」
 絢は微笑んで、背に鴉の双翼を広げた。
 はっとする楓を余所に、絢は上空を睨んで地を蹴る。
 地上で叫ぶ制止の声を遠ざけ、虚空にて光纏し、絢は単騎、惰獣アレアとの死闘に臨む。
 周囲を旋回しだした二羽を、少女は睨む。本物はどちらか一体。確率は二分の一だ。
(いや‥‥)
 本物を知る方法はある。絢は、それを試すつもりだ。
 二羽のアレアが突進してくる。攻撃に当たれば分身の識別は出来るが、本体の攻撃を受けたらひとたまりも無い。楓の魔法を最大限に活かし、紙一重で二羽を躱す。
(今だ‥‥!)
 擦れ違いの寸前、絢は『クレセントサイス』を発動した。翻った無数の刃が、惰獣を目掛けて飛ぶ。絢が狙うは、敵の反応。
(敵は、幻覚の五感をリアルタイムで受信できる‥‥。なら、逆は?)
 絢の左で、刃が惰獣を斬る。絢の右で、微かではあるが惰獣が首を振った。
 続いて、右の惰獣にも刃が刺さる。
 左の惰獣に、反応は、無い。
「やっぱり‥‥!」
 絢は悟る。惰獣アレアは幻覚の五感を受信する。しかし、『幻覚の方は、本体の感覚を受信することが出来ない』のだ。

 両方に攻撃して、どちらにも反応できるのは本体だけ。

「見つけた」
 子鴉の悪魔と、大鴉の惰獣が向き合う。
 惰獣アレアが、絢の前後で空を蹴った。挟まれる寸前、絢は、正面のアレアの胸部――女神像の首に、輪にしたゼルクを引っかける。
 ぐんっと腕が敵を捉えた衝撃を感じ、彼女は0コンマ数秒の中で笑む。
「あなたに恨みはないけど」
 絢は力を込め、
「ここで消えて!」
 全力で、ゼルクを引き絞った。
 二羽の大鴉が、絢の前後に突撃する。微かに笑んだ少女の唇が、二対の惰獣の隙間へと消える。
 曇天に衝撃を走らせて、惰獣の交差が完成した。





 逃げません。

 七佳の答えに、シルバが眉を顰める。
「あたしは、逃げません‥‥!」
 強い意志と共に繰り返す彼女。
 同時。シルバの傍で、全身から血を流して絃也が地を踏みしめる。眼光鋭く、シルバの紅瞳を射抜いていた。
「‥‥お前、不死身か何かかよ?」
 絃也の隣には、応急手当を行った良助がいる。アサルトライフルを構え、唇を結び、戦意を失わずに立っている。
 震える膝で、古代も立ち上がる。不敵に笑んで銃口を向けた。
「ボク達にも譲れないことがあってねー。守らないと、世界が壊れちゃうんだよ」
 シルバの背後で麻夜が言った。少女は、ちらと遊夜を一瞥し。
「だから‥‥ゴメンね」
 遠距離から飛来した遊夜の弾丸を悪魔は剣で弾く。無防備に開いた彼の胸に、麻夜は舞うように距離を詰めた。
 触れるように、シルバの顔に手を伸ばす。握られているのは、黒い銃。
 発砲する。
 悪魔は咄嗟に、首を倒して避ける。
「逃げる訳にはいきません」
 シルバを見据え、七佳が肩の痛みを無視して言う。
「奪ってきた命を無駄にしない為に‥‥いつか、答えを見出すために‥‥!」
 叫んで、突進する。

「あたしは、倒れる訳にはいかないんですッ!!」

 ガントレットからシルバに光の杭が伸びる。悪魔が剣を伸ばすも、七佳の一撃は急激に軌道を変え、それを躱す。
 光纏式戦闘術『追刃』。軌道変化によって加速した渾身の一撃が、悪魔の胴を大きく打った。
 衝撃と共に血が飛ぶ。
 辛うじて身を捻り、シルバは杭から脱した。
「一つ訂正をして貰います」
 悪魔の前に立ち、雫が言った。
 以前のシルバとの会話。生きているように見えぬと言った、悪魔の言葉に。
「貴方の様に自らは何もせず考えない死人とは違う。私は、自らの意志で動く生者です!」
 叫んで地を蹴る。光纏を帯びた大剣を、シルバの剣にぶつけた。
 剣が圧される。侮っていたのだ。死者の惰性が、生者の足掻きを。
「ちっ‥‥」
 雫の圧倒的な剣圧が、シルバの体を横一閃に薙ぎ抜ける。

 衝撃波を散らすように、アスファルトに悪魔の血が散った。





 攻撃を受けたというより、大鴉の二匹に挽かれた、という表現があっていた。

 誰の物とも知れぬ黒い羽根を散らして、少女が落下してくる。
 気を失っている、そう確認した瞬間に、楓は駆け、絢を受け止めていた。
 それとほぼ同時、シルバと撃退士達の戦いもクライマックスを迎える。
「‥‥‥‥」
 立ち尽くすシルバが、自分の体から地面に散った鮮血を眺めた。
 と、その時。大空で惰獣アレアが身をよじる。何かに乗っ取られたかのように、惰獣は美馬市の南側へと向かい始めた。
「! まずい‥‥っ」
 良助が声を洩らす。止めたいが、どうやる? 天高く飛んでいく怪鳥に、体を張る術など浮かばない。
 無線を手に取る。アレアが向かう事を南側の撃退士達に伝える。そこで、
「え‥‥」
 驚いた。ゆっくりと、良助の顔に安堵が広がる。
「本当ですか‥‥?」
 笑みを溢す彼に、撃退士達が耳を傾けた。そして、彼は言う。


「ゲート展開阻止‥‥成功したそうです‥‥!」


 一瞬の静寂の後、撃退士達が息を吐く。銃を下ろし、遊夜が悪魔に言う。
「どうだろうシルバさん? これでもう、あんたが戦う理由も無いんじゃないか?」
 数秒の沈黙の後、シルバも剣を収める。
「とんだ骨折り損だったってわけだ」
 負った傷から目を逸らし、髪を掻いて立ち去る。
 ――考えるな。と、悪魔は胸中で呟く。
 浅い傷は無視しろ。人間に力は無い。‥‥だが、奴らは強かった。
 どういうことだ? などと、考えるな――

「人間が駄目なら、撃退士って別の生き物で見ればいい」

 楓が言った。腕の中に友を抱き、楓は動かぬ瞳で、悪魔の背を射抜く。
 何も残さず倒れる気はない。
 だから。
 少し。
「貴方を教えて」
 悪魔の背は動かない。
 言いたいことがあるのは、楓だけでは無いらしい。
「シルバさん」
 大剣を片手に握ったまま、雫がどこか神妙な面持ちで言った。
「戦う事を忌避するのは構いません。傷つく事を嫌悪するのも理解できます。‥‥ですが、思考を嫌う事は、辛くありませんか」
 感情を持たぬ気持ちは雫にも痛いほど分かる。
 だから。
「もし‥‥、もしです。貴方が、何も考えられぬ死人である事を嫌うなら」
 雫は少しだけ躊躇をして、最後は迷わず、こう言った。
「此方に来ませんか?」
 誰もが声を失う。
 街にも静寂が満ちる。
 此方とは、すなわち久遠ヶ原。雫は悪魔に言ったのだ。
 仲間にならないか、と。
「学園は、嘗て人形だった私を人に戻してくれた場所です。貴方もきっと生者になれると思いますよ」
 雫の言葉に、悪魔は無言。永遠とも思える数秒が過ぎる。
 やがて悪魔は、振り返ることもなく口を開く。
「‥‥長い間な」
 と、長い息を吐きだすように。
「それなりに長い間、俺も、お前らが言う生者として生きてきたんだ」
 考えて、動いて、話しをして。出会って、決別して、斬り合って。
 結局は全員が死骸になった戦場で、たった独りで溜め息をついて。
 そんな何百年かを、生きてきた。
「長い時間を生きて、思えたことが一つだけある」
 温度の無いシルバの片目が、振り向いて雫を睨んだ。
「俺はもう、生者でいたくねぇんだよ」
 悪魔が地を蹴る。
 蝙蝠の羽を大きく広げ、曇天へと去って行った。
「‥‥終わったのか」
 悪魔も大鴉もいなくなった空を見上げ、陽介が呟く。街を守れたことも、自分が死に損なったことも、実感がなかった。
「‥‥絢ちゃん!」
 目を覚ました絢に、楓が声をかける。
「か、楓ちゃん‥‥」
 無茶を咎められるかと焦ったのか、絢は誤魔化すように笑って言った。
「‥‥思ったより、ディアボロって強いね‥‥」
 込み上げる安堵に、楓は歯を噛みしめる。誰かの死だけは御免だったから。
「ばかやろーっ!」
 心配を発散するように、拳を振る。



●常闇の淵



 奇妙な奴らだ。と、闇に降りた彼はまず思う。
 人間と悪魔は相容れない。ずっと昔からそうだろ? と。
「‥‥本当に、撃退士ってのは面倒だ」
 彼の呟きに、緑コートの同僚が反応する。
「んん? 君、人間を『撃退士』などと呼んでいましたっけッ?」
「‥‥呼んでたぜ。別に、初めて言う呼び名じゃねえよ」
 首を捻る同僚を、彼は無視する。

 彼の脇には、一羽の大鴉が控えている。
 光沢のある灰色の体躯をし、頭部を黒頭巾で覆われている。胸部には、海賊船の船首のように女神像が生えていて、


 その女神像には首が無い。


「撃退士」
 とシルバが呟く。
 人間でも天魔でもない存在。彼らはもしかしたら、俺の敵なのかもしれないなと。



●夕焼けに染まる街で


「なんというか、逞しいよねー」
 美馬市を帰りながら、既に市内に戻り始めた人々を見て、麻夜が呟く。
「もう立ち直ってるんですね。怖くないのかな」
 傷だらけの良助も苦笑した。
 眉一つ動かさず、絃也も言う。
「これなら四国の戦いも負けないだろうな」
 今も何処かで、今も此処で、人は天魔に抗えているのだから。
「さて、帰ろうか」
 古代が背伸びをする。夕焼けに染まる景色の中へ、撃退士達は歩いていった。

〈了〉


依頼結果

依頼成功度:普通
MVP: 歴戦の戦姫・不破 雫(ja1894)
 怠惰なるデート・嵯峨野 楓(ja8257)
 子鴉の悪魔・鴉女 絢(jb2708)
重体: 【流星】星を掴むもの・相原 陽介(ja6361)
   <悪魔シルバの攻撃を受けた>という理由により『重体』となる
 子鴉の悪魔・鴉女 絢(jb2708)
   <仲間のために強敵を食い止めた>という理由により『重体』となる
面白かった!:12人

Defender of the Society・
佐藤 七佳(ja0030)

大学部3年61組 女 ディバインナイト
厳山のごとく・
獅童 絃也 (ja0694)

大学部9年152組 男 阿修羅
夜闇の眷属・
麻生 遊夜(ja1838)

大学部6年5組 男 インフィルトレイター
歴戦の戦姫・
不破 雫(ja1894)

中等部2年1組 女 阿修羅
【流星】星を掴むもの・
相原 陽介(ja6361)

大学部3年182組 男 阿修羅
怠惰なるデート・
嵯峨野 楓(ja8257)

大学部6年261組 女 陰陽師
セーレの王子様・
森田良助(ja9460)

大学部4年2組 男 インフィルトレイター
夜闇の眷属・
来崎 麻夜(jb0905)

大学部2年42組 女 ナイトウォーカー
撃退士・
矢野 古代(jb1679)

卒業 男 インフィルトレイター
子鴉の悪魔・
鴉女 絢(jb2708)

大学部2年117組 女 ナイトウォーカー