●
少女は、ヒーローになりたいと願っている。
悪者を倒し、弱きものを助け、みんなの涙を笑顔に変える。そんな、誰もが願うが叶えられることの少ない夢を、少女が抱いたのはいつからだったか。
猫野 宮子(
ja0024)は、道路を走っている。夢を現実にするために、ヒーロー足り得る力を持った魔法少女として。
悪魔に蹂躙される徳島県美馬市。不透明な雲に天を閉ざされたこの街は、異世界に沈んだかのように薄暗い。
足元でごうごうと流れる穴吹川の音を聞きながら、撃退士達は橋を駆けていた。
「一斉ゲート展開とは、冥魔もやってくれるね」
神喰 朔桜(
ja2099)が残念そうな笑みと共に言う。彼女にとって四国は『友』が大願のために奮闘している場所。悪魔に荒らされるわけにはいかない場所なのだ。
各々の想いを胸に、撃退士達がゲート展開地へと向かう。
橋を抜け、視界が開ける。丁字路に展開されていた凄惨な光景に、紅葉 公(
ja2931)が思わず息を呑む。
「これは‥‥」
血で濡れている。道路標識、瓦屋根、道路の白線。ありふれた日常の光景が、わざとらしく血で汚されていたのだ。
主こそ見えないが、断続的に人間の悲鳴も響いてくる。悪魔が、此方にアピールしているようにしか見えない。
人が甚振られているぞ。
惨劇が起きているぞと。
「ふむ‥‥」
ラドゥ・V・アチェスタ(
ja4504)が真紅の瞳で街を眺める。万物の支配者を自負する彼にとって、人々が冥魔に蹂躙されている光景は、決して愉快で無い。
『搾取』。冥界には冥界の作法があるのかも知れない。だが。
「これは些か、品に欠けるな」
然るべき処置を講ずる為、まずは侵略の主を見極めねばなるまいと、ラドゥは目を細めた。
「移動手段を探そう。悪魔の元に急ぐんだ」
龍崎海(
ja0565)が仲間達に言った。拳を握りしめる。
「人々が襲われているのは悔しいが、学園によれば殺害された人はいないらしい。命に別状が無いなら、トリアージだ」
海は努めて冷静に振舞う。悪魔の理不尽は許せないが、彼が持つ医療の知識が、彼に人々の命を救うための優先順位を決定させたのだ。
車道をバイクが走ってくる。‥‥と、何を思ったか、公がその前に飛び出した。
「止まってください!」
あわや轢かれそうになりつつもバイクを停車させる。苦しむ人々の気配に焦燥を抱いたか、公の対応は、普段の温和な彼女のものとはまるで違った。
「そのバイクを貸していただけませんか? この街の騒ぎの中心に行くために、移動手段が必要なんです」
素早くライダーに訊ねる。マスクの男が声を荒げた。
「ふ、ふざけんな‥‥! こいつを貸したら俺が助からねぇだろうが!」
「この先の橋に向かえば天魔に会わずに逃げられます。私達も大丈夫でしたから、絶対に助かります。でも、私達のゲート展開阻止が間に合わなかったら‥‥」
公の顔に悲痛な焦りが浮かぶ。
「誰も助からなくなるんです。だから、お願いです――」
「うるさい! どけ!」
聞き分けのないライダーの肩を、少女の手が掴んだ。乱暴に振り向く彼に、月丘 結希(
jb1914)が嘆息して言う。
「‥‥悪いけど、文句は後で聞くわ」
言うや否や、結希はバイクから男を引き剥がす。胸中で謝罪しつつバイクに跨り、スロットルを捻る。ライダーが怒号をあげるのを無視し、目的地へと車体を向ける。
「こっちだ!」
海が見つけた軽トラックに仲間達が乗りこんだ。と同時。後ろに御守 陸(
ja6074)を乗せ、結希はバイクを発進させる。
「あんたも、早く逃げなさいよね」
ツインテールを暴風に曝しながら、結希は背後のライダーへと呟く。心配の表情はすぐに消し、凛とした目で海の車を追う。
心を前に運び、向かうしかないのだ。
惨劇の根源、害意の底へ。
●
「何で私、こんな危ない場所に来てるんですかねぇ‥‥」
トラックの荷台でゴトゴトと揺さぶられながら、加茂 忠国(
jb0835)は、曇り空を見上げて呟いた。
物騒な事は嫌いなのに、参じてしまった。理由があるとすれば、作戦会議中に、女性陣の真剣な顔にうっとりしつつ読んだ悪魔の資料の内容だろうか。
書かれていたベルッキオの素性、自身の保身を優先し他者を見下すスタンスは、忠国が知る過去の人物に良く似ていた――。
(‥‥全く、腹立たしいほどでしたね)
サングラスの奥で細められる青い瞳。忠国の過去を悟れる者が、此処に居るはずもない。
そして、悪魔に不快感を覚える彼がいる一方で、同じ荷台には、こんな考えを持つ者もいた。
(弱者を侮ることの何が悪い‥‥。驕りもまた、強者の特権だろうて)
荷台の縁に頬杖をつくラドゥだ。人を侮る冥魔のあり方自体には、彼は同じ強者として何も反感を抱いていない。
(無論、それに相応しいだけの行いをする義務はあるがな)
力には責任が付随する。悪魔の器を見極める為に、ラドゥは今日、屋敷を出たのだ。
惨劇を孕んだ街が後方に流れていく。
甚振られている街の人々を救えない自分に、御守陸は自らの無力を感じていた。
(ダメだ‥‥今は集中しろ‥‥)
風に身を切られながら、陸は目を閉じる。だが、駄目だ。任務に集中しようとすればするほど、黙っているだけで人々の悲鳴が、聞こえる気がした。
「あー、むかつく」
少女の声に、陸が目を開く。心の声が漏れたかと心配するが、苛立ちを口にしたのは結希だった。
「むかつく?」
陸が訊ねると、結希はバイクを運転しながら、無愛想に答える。
「悪魔よ。ベルッキオだっけ? 才能に溺れて人間を見下してるってのが許せないわ」
結希にとって天魔との戦いは、己の能力を高める為の手段でしかない。
正義感とは無縁な彼女。だからこそ、人間の向上を蔑ろにする悪魔の態度には、カチンと来る。
「才能至上主義? 舐めんじゃないわよ。あたしの技術で、その鼻を明かしてやるわ」
彼女の強気な言葉に、陸は清々しさすら覚える。彼もまた、努力によって力を得ようと奮闘する一人だったから。
そんな会話の、直後だった。
海の軽トラックの前方に、ブラックシープ達が飛び出してくる。
トラックの荷台で跳ね起きた宮子が、手に忍苦無を具現化させる。目視できた敵の数は、三体だ。
「出たにゃね天魔! 魔法少女マジカル♪みゃーこが成敗してやるのにゃ!」
綿毛のように飛来する黒い羊の人形たちに、荷台の撃退士達が応戦を開始する。
陸もスナイパーライフルCT−3を構える。が、彼の視界の隅に、見逃せぬものが飛び込んでしまう。
道路脇の民家。
その屋根に立つ、羊男。
半人半獣。仮面をつけたシープマンが、黒羊達を率いて此方を見下ろしていた。
「‥‥っ! 止めて!」
陸は思わず、運転する結希に叫ぶ。
「はぁ!?」
「屋根の上だ! あいつがブラックシープ達を操ってる! 倒さなきゃ‥‥」
一瞥した結希の目が、悔しげに歪む。
「っ‥‥無理よ! 今はこっちに集中しないとトラックが足止めされるわ。ゲート展開地に遅れたら、何人が犠牲になるか分からない!」
もどかしく思う陸の視界で、シープマンが妙な動きをする。
彼の脇の2匹のブラックシープが、屋根の上で、一般人の男の両腕を一本ずつ掴んだ。
もがく男性は、宙に磔にされたように動けない――。
「でも‥‥! あいつを放っておいても街の人が‥‥!」
シープマンが手を振る。
二匹のブラックシープが男性の両腕を、両方向に引っ張り出した。
陸と結希の視界の隅で、男性の服に血が滲む。
「やめろ‥‥」
陸が呻き、叫ぶ。
「やめろよっ!」
瞳を金色に染めた陸が、スナイパーライフルをシープマンに向ける。弾丸を放つ。屋根の上で、シープマンは身を倒して銃撃を躱した。仮面が笑っている。
直後に響く、男性の悲鳴。
「‥‥!」
軽トラックの助手席で朔桜も気付く。窓からスナイパーライフルを伸ばすが、走る車からでは羊男に届きそうにない。
「っ‥‥深追いはしないほうがいい。先を急ぐしかないよ」
運転席の海の悔しげな言葉に、朔桜は狙撃銃をヒヒイロカネに戻す。
「冷静だね」
「‥‥まさか。悪魔を見つけたら、吹き飛ばしてやろうと思ってる」
海のハンドルを握る手は、怒りに強張っていた。
応戦が続く。ラドゥと宮子の攻撃に曝されつつも、1体のブラックシープがトラックに到達する。
車体が殴られる。仮にも天魔の攻撃だ。普通の車両など一撃で崩れてもおかしくは無かったが――
トラックは耐えた。
「『アウルの鎧』だ」
トラックに魔法をかけた海がアクセルを踏む。阻霊符の効果と合わさって車に弾かれた黒羊は、倒されこそしなかったが、道路に転がって後方に消えた。
「これで‥‥!」
公が放った火球と、忠国が放ったクロスボウの矢が、前方のブラックシープ1体を宙で仕留める。
最後の1体。黒羊が、車体のタイヤを狙って魔法球を撃った。爆発と衝撃に、今度こそトラックのバランスが崩れる。
電柱に激突する直前、撃退士達は車から道路へと跳んだ。
「よっと‥‥!」
道路に転がる瞬間、朔桜が放った魔法槍が、宙のブラックシープを貫く。浮いたまま数秒痙攣し、ぬいぐるみは今度こそ、地に落ちた。
やや目を回しつつ、宮子が顔を上げる。傍の看板を何とか読むと、其処には小学校の名が彫られていた。
ゲート展開地に、着いたのだ。
●緑色の害意
警戒しながら校庭に踏み入ると、公はすぐに彼を見とめた。
グラウンドの奥に、緑色のコートを着た男が立っている。毒々しい紫の翼を広げ、真っ赤な舌で唇を舐める。
「おやぁ? 予想より到着が早いですねえ」
薄青い結界の中央で、悪魔ドルトレ・ベルッキオが口角を上げた。彼の脇には、紫色の巨大な猫モドキがうずくまっている。
「街の光景はいかがでしたッ? 人間達が、泣いて、叫んで、痛がっていたのでは?」
悪魔の声に、公がはっと悟る。
「‥‥まさか‥‥町が襲われていたのは、全部‥‥」
囮。
罠か。
撃退士ならば助けずにはいられない。心理を弄び、目的を忘れさせる為の――。
「時間を稼ぐ為だけに、街の人達を‥‥!」
公の言葉に、悪魔は愉快そうに目を細める。
「悲劇はそこにあったのに、なぜ君達の到着は早いのでしょう? はッ。もしかして!」
ベルッキオは芝居臭く、唇に手をあて。
「もしかして、もしかしてッ! 苦しむ人々を見捨てて来たんですかあッ!?」
ぷつん、と。
撃退士達の中で何かが切れた。
「‥‥お前ぇえええええええええええええええええええええええーっ!!」
慟哭にも似た叫び声をあげ陸が地を蹴る。曇天を劈く悪魔の笑い声のなか、撃退士達も続いた。
「デュアルッ!」
ベルッキオの声に、デュアル・ペインが跳んだ。紫の巨体で疾駆し、バリアに接近せんとした宮子と朔桜に、人の手に似た拳を叩き込む。
「ぐ‥‥っ」
腹を貫通するような衝撃に朔桜が吹き飛ぶ。一方、宮子は紙一重で躱し、一気にベルッキオの傍まで駆け寄った。
「まずはあのバリアを何とかしないとにゃね‥‥!」
悪魔を包む結界は、正方形に浮く四つの子機が降らせている。母機は結界内にあり、しかも子機を高速再生させるという。
ならば策は一つ。四つ同時に破壊するのだ。
「卑劣な悪魔は、正義の味方‥‥マジカル♪みゃーこが倒すのにゃ!」
ヒーローたる為に。苦無を構える宮子と、ベルッキオの笑みが交差する。
「無事かい?」
後方に飛ばされた朔桜の傷を海が癒す。うん、と朔桜は口元の血を拭い飛ばす。
「思ったより素早いね」
不敵に笑みつつ朔桜が眺めるなか、デュアルはグラウンドで暴れまくっている。悪魔を殴る為には、この猛攻の中、バリア破壊班がバリア子機に攻撃を届けなくてはならない。
容易では無い。だが、やるしかないのだ。
陸が、金色の瞳で紫の猫を追う。溢れる激情を制御しきる事が出来ないままに、それでもやっと、照準にデュアルを捉える。
「邪魔を‥‥するなぁっ!」
陸の弾丸が、デュアルの背を鋭く抉った。叫び声の中をラドゥ・結希・朔桜が突っ切っていく。
だが、デュアルの警戒心も柔では無い。即座に彼らを睨み、足で地を踏む。
「お邪魔しますよっ」
忠国の矢が飛来するが、デュアルは素早く身をよじって躱す。公が敵の脚を狙って放ったライトニングも跳んで避けられ、閃光と共に地面を砕くだけだ。
撃退士達の苦戦をにやにやと眺めているベルッキオ。その、脇から、
「貴様が彼の悪魔か」
声。結界の外まで到達したラドゥと、悪魔の目があった。吸血鬼の接近を悟れず顔を強張らせる冥魔に、ラドゥは傲岸にブラストクレイモアを構える。
「慄くな。我輩は貴様を見物しにきたのである」
「何ィ‥‥?」
言うなり剣をバリアに叩きつける。子機破壊の頭数が揃うまでの余興と試したが、やはり罅も入らない。
「ふむ。戦場にまで城壁を連れ歩くとは何とも臆病な事であるな。侵略者としても底が知れよう」
ラドゥは辟易と、冥魔を見下す。
「興醒めである」
悪魔が唖然とする。眼前の男が冗談を言っているようにも見えず、眉を顰めた。
「興醒め‥‥ッ?」
バリアの側面に周りこもうとする結希、正面に立った朔桜に、悪魔は笑み。
「誰に言っているのですッ!?」
デュアルが、大量の透明な粘液を空中に吹き上げた。
面で降り注ぐそれに陸が銃撃を加えるが、惜しくも散らしきれず、宮子とラドゥが涎を被る。粘液に濡れた前髪の奥で、宮子の目が見開かれた。
「うに‥っ」
全身を貫く激痛に。
「く‥‥あああぁ‥‥っ‥‥!!」
耐え難く、体を抱いて膝を折る。脳に直接届く痛みが、彼女の意識を朦朧とさせた。
同じく全身を激痛に襲われたラドゥに、ベルッキオが嬉々と腕を掲げる。
「どうです! ワタシの才を! 味わった気分はッ!」
ラドゥも手に目を落とすが‥‥成程動かない。下らなそうに、彼は嘆息する。
「何から何まで、無粋な事よ」
その遠方。
デュアル・ペインの背を追いながら海が顔をしかめる。
人間を朦朧とさせる能力。これにも、対策を練るべきだったか。
デュアルの四肢に宿る毒に関しては、公が、デュアル対処班――海・忠国・公・陸に、対抗力を付加してくれている。だが、デュアルは主を守る為、バリア破壊班を優先して攻撃していた。
自分に出来ることは何だ、と海が槍を手に踏み込む。眼前の敵を、早々に撃破する他にない。
「耐えていてくれ、皆‥‥!」
忠国と公の攻撃をデュアルが跳ねて躱す。その浮いた巨体に、陸と海が鋭い一撃を加える。その一方、バリア側面に到達した結希は、軽快に地を蹴った。
「才だとか権力だとか、あたしの研究成果を見てから言いなさいよね!」
軽やかに宙に跳んだ彼女の周囲に、光を放って電子の窓が出現する。
結希のクリアレッドの端末が展開する光の間合いに、無知なるベルッキオの目が大きくなる。
「奇門遁甲は方位の吉兆の占術よ。凶兆に誘えばコレぐらいの芸当も――できるんだけどね!」
バリアクォーツの子機たちが浮かぶ空間が、殴られた水槽のように不吉に揺れた。敵の方向感覚を狂わせる術で、バリアを乱すのが結希の策。
だが、子機に変化は無い。表情を取り戻したベルッキオが、思い出したように笑う。
「は‥‥ははッ! け、結晶体に! そんなモノが効く筈がありませんねぇッ!」
焦ってたくせに。とは口に出さず、結希が着地する。
少し離れた地から、朔桜も子機に狙いを定めた。四人一斉の攻撃は出来ない。効果は、期待できないが――。
「何もしないよりマシ、ってね」
空を裂いて飛んだ漆黒の槍が子機の一つを貫く。中心から砕け散った青色の水晶は、しかし逆再生されるように集まり、元通りになった。
無駄無駄と悪魔が笑う。その下卑た様子に、朔桜はぽつりと。
「あー。何だろう」
息を洩らす。
「悪魔さん、小物っぽいよ?」
ぴくり、とベルッキオが固まる。単純な悪魔に、朔桜は微笑んで。
「端的に愛が足りないね。まぁ悪魔らしいといえばそうだけどさ。此処は一つ、私の愛を教授してあげよっか」
目を剥き喚きかけた悪魔に、「それと」と朔桜は指を向ける。
「残念だけど、四国はあげられないなぁ。 私の友達が、停戦協定とか色々頑張っててさ」
朔桜にとって四国が大切な理由。
「まぁ、その友人は‥‥使徒なんだけどねっ」
あっけらかんと言ってのけた朔桜に、悪魔は愕然とする。が、すぐに、虚勢を張って。
「友‥‥? シュトラッサーが『友』ッ? サーバントに毛が生えた程度の道具を!? 貴女は、『友』とッ!?」
爆笑した。朔桜は笑んで眺める。悪魔を貫く槍を、脳裏に描きながら。
ふいに悪魔の左手の平が光る。
それに合わせて、結希と朔桜の背後でデュアルが大口を開いた。どうやらベルッキオは左手でディアボロを操るらしい。
「!」
結希がデュアルに気付く。だが遅れた。
避けられぬ間合いから、涎が吹き出す。
●
「‥‥‥‥っ」
結希は手を交差させ待つも、攻撃は降らない。恐る恐る、目を開く。
忠国が、攻撃を庇っていた。
「‥‥いけませんねぇ。この世の宝たる女性に、こんなもの吹っかけちゃ」
大量の酸に背を焼かれながら、忠国は悪魔に瞳を移す。
「ドルトレさんでしたっけ? 個人的な恨みは無いんですが‥‥貴方のその、人を見下す趣味がね、」
サングラスの奥から、悪魔を見据え。
「私の親族に似ているんですよ」
男は言った。
「そりゃあもう、殺したい位に良く似てますね。憎くて憎くて堪らない。私の身に何があっても貴方の眉間には風穴空けてやらないと気が済まない。その程度に」
脳に激痛が浸みていく。攻撃の全てを庇った傷に、忠国の膝が折れた。
「‥‥忘れるなよ」
忠国の青瞳が残虐に笑う。
「俺が、お前を‥‥撃ち抜‥‥‥‥」
地面に倒れる白スーツの男。冥魔は苛立たしそうに、彼を見下ろす。
「‥‥はッ。それで守ったつもりですか」
デュアルの素早さは並のディアボロの約二倍。ディアボロ一体分の攻撃なら一人で庇えるかもしれないが、『二体相当の攻撃は、庇えない』。
デュアルが牙を剥き、二度目の涎を吐く。陸の回避射撃も突き抜け、今度こそ粘液が、朔桜と結希を捕えた。
「く‥‥っ」
結希が歯を食い縛って激痛に耐える。眼前で嬉々と眺めてくる悪魔を、睨んで、抗う。だが。
「‥‥つっ‥‥‥‥!」
だが痛かった。どうしようもなく。身体を抱いて堪えるも、意識と視界が薄れていく。
苦悶の顔で膝をついた結希に、悪魔が高らかに笑う。
「弱い、脆い、儚いんですよッ!! この街も、人も、ワタシの才に下るのだッ!」
笑い、嗤い、恍惚とする悪魔。その遠くで、今度は。
デュアルの絶叫があがった。
ベルッキオの笑みが凍る。海が、目で、それを睨む。
「ふんっ!」
海が、渾身の力を込めて十字槍をデュアルの後ろ脚に突き込んだ。アウルを纏った一撃がディアボロの皮膚を深く抉る。続く陸の弾丸と、公の雷撃が、立て続けに天魔の体を背後から砕く。
「‥‥無駄ですッ」
ベルッキオが左手を振る。デュアルに背後を攻撃させようと指示を出す。だがデュアルの動きは鈍い。何故だ? 考えて、悪魔は、
絶句した。
デュアルは既に、朔桜と結希を止めるために普段の二倍の行動を費やしてしまっているのだ。並のディアボロの二倍の速さを誇るデュアル・ペインだが、これでは動けるはずがない。
ひきつる顔で、悪魔は倒れた忠国を睨む。先ほどの一撃を受け止め、この男が、デュアルに隙を作った――
「キ‥‥サマ‥‥ッ」
顔を真っ赤にする悪魔。同時に、デュアルの背に少女が触れる。
「やっと捉えました」
安堵したような公が魔力を込める。泣きそうな悪魔の視線の先で、彼女の腕に電流が光る。
もう誰も、傷つけさせない為に。
「これで‥‥終わりです!」
青い稲妻が、デュアルの全身に奔った。
横切れの目が見開かれ、猫に似た口が声無き絶叫をあげる。公のライトニングに焼かれ、天魔は遂に地に崩れた。
戦慄するベルッキオ。手に魔力を込め、慌ててゲート展開を開始する。だが、遅い。
「させるか!」
陸がスナイパーライフルを撃つ。空を穿つ弾丸が、子機の一つを無数のガラス片へと粉砕する。
同時に海が駆ける。勢いを殺さず、突き出す槍で子機を砕く。
別方向から伸びた影の槍が子機の一つを貫く。ベルッキオの視界の隅で、前髪を汗に濡らした朔桜が、悪魔に片頬で微笑んでいた。
わなわなと震える悪魔を余所に、最後の子機も砕け散る。痛みを乗り越えた結希が火球を飛ばしたのだ。
「馬、馬な‥‥ッ」
無防備になる悪魔とバリアクォーツ。
青色に光る正八面体に、公が手を向ける。再度放たれたライトニングが、一閃に結晶に命中した。
水晶の親機が、一瞬で粉々に爆散する。輝く結晶の粒子に満ちる空間の中で、ベルッキオが短い悲鳴を上げる。
「‥‥よくもやってくれたにゃーね」
天から降る声。顔面蒼白となった悪魔の頭上から、宮子が落ちてくる。
苦無を握りしめ、体を捻る。全身全霊の勢いを一撃に乗せて――
「必殺、マジカル♪脳天割りにゃあーーっ!!」
ベルッキオの脳天に叩き込んだ。
悪魔が地面に激突して吹き飛ぶ。ゲートとなるはずだった魔力が爆散し、曇天下のグラウンドを照らした。
泣きそうな目を上げた悪魔が見たのは、朔桜の姿。
「護りがなくなっちゃったね、悪魔さん?」
くすりと笑んだ朔桜が、一瞬の躊躇いもなく巨大な雷槍を投擲する。
真っ直ぐに飛来したアウルの槍を、悪魔は両手で掴み止めんとする。胸の前で、勢いは死なず、槍に手が焼かれていく。
「ふ、ふざ‥‥けるなッ! 人間如きに‥‥ワタシの才がぁ‥‥あぁッ!!」
その瞬間。ベルッキオの腕を一本の矢が貫く。
がくん、と腕のバランスが崩れる。無防備になる一瞬、悪魔はクロスボウの射手である忠国を見た。
「往生際が悪い男はモテませんよ?」
冷たく笑んだ、サングラスの男に。
「‥‥貴様らぁああああああああアあアアああアアアアあアア―――――ッ!!」
悪魔の絶叫を黒焔の雷槍が呑んだ。爆発が巻き起こり、矮小な悪魔の姿は、黒い閃光と土煙の中に掻き消える。
「‥‥了解した。鴉型ディアボロには、こちらで対処をするよ」
海が、通信機で受信した北側からの警告に返事をする。
「それから、一つ報告がある」
炎に煙るグラウンドの中央に目を細めて、海は戦いの結末を静かに告げた。
「ベルッキオのゲートの展開は、阻止できたよ」
●
宮子は油断せず、朦々と煙るグラウンドの一角に、目を凝らしていた。
敵は悪魔だ。この程度で倒せたとも思えない。苦無を構え、地面を踏みしめ、戦闘態勢を維持する。
ただ、街の人々を救えたのだという安堵だけは胸にあって、痛みに失いかけていた勇気は戻ってくる。
負ける気は、しない。
「‥‥来るにゃ!」
宮子の警告の通り。緑色の魔法球が蛇のように土煙を突き破ってくる。咄嗟に跳んだ公の足元で、緑の一撃は毒々しく地面を融解させた。
「まだ耐えるのですね‥‥」
顔の半分に火傷を負った姿で現れたベルッキオに、公が顔をしかめる。
悪魔の右手にはレイピアが握られている。
奇声をあげ、悪魔が駆ける。その眼前に、海が割り込む。
「やっと、お前を吹き飛ばせるよ」
突き出された悪魔の剣を、海がバックラーで弾いた。
ほぼ同時。海の背後から駆けたラドゥが、片手に握ったブラストクレイモアで悪魔の胸を薙ぎ払う。
ざん、と衝撃。
虚空に鮮血を散らし、悪魔はその場に膝をつく。
「二つほど、忠告を授けよう」
ラドゥが、這いつくばる悪魔を見下す。真紅の瞳を、すっと細めて。
「第一に、人間は貴様の物ではなく、我が物である。第二に、我が愚民、貴様に侮られる程愚かではないぞ」
優雅に言う彼の表情は、まるで自らも人間の成長に驚いているとでも云うような、余裕に満ちたものだ。
「覚えておきたまえ。ただ驕るばかりで何も見ようとせん者は、その弱者に首を撥ねられるものだ」
ベルッキオの視界では、宮子が苦無を構えている。海が槍を悪魔に向けている。朔桜は既に二撃目の黒槍を準備済みで、公も勇気の籠った瞳で、護符を握っている。
陸の金色の瞳もベルッキオへと注がれ、結希の手の端末も空に液晶画面を反映させている。忠国も気怠げに立ちつつ、冷ややかにクロスボウを構えていた。
強者は、どちらか。
問うまでも無い。
静寂の中。くくっ、と。誰かの笑いが漏れる。
気付いたのは誰だったろう。
悪魔の左手が、微かに発光していたことに。
ベルッキオには、遠隔でディアボロを操る能力があるということに。
通信機を手に、海が声をあげた。
「皆、気を付けろ! 上空からディアボロだ!」
撃退士達が目を上げる。その、直後。
二羽の大鴉が降る。
滑空した巨大な天魔が、土煙を巻き起こしながらグラウンドを旋回する。出鱈目な突進を繰り出す惰獣アレアに、しかし、朔桜だけが反応する。
「これで‥‥!」
朔桜の術。黒焔の鎖が、空間に奔る。だが、確かに大鴉を捉えた筈のそれは、敵の体を素通りした。
分身能力を持つアレアに、闇雲な攻撃での命中率は二分の一だ。惰獣の襲来は予測できていたが、肝心の対処法が彼らの策からは抜け落ちていた。
グラウンドが羽音と轟音に包まれる。暴風が鼓膜を叩き、視界を閉ざし、撃退士達は各々の体を守るので精一杯になる。
悪魔の笑いが暴風を劈く。
暴風の中で陸は見た。翼を広げ、空へ逃れていくベルッキオの背を。
逃げるのか。と陸の瞳が怒りに燃える。無慈悲に街の人々を甚振っておきながら、自分は易々と逃げるつもりなのか。
スナイパーライフルを天に向ける。照準が暴風にぶれる。腕が軋む。それでも遂に捉えた悪魔に、雄叫びと共に引き金を引いた。
「お前だけは、絶対に逃がさない!!」
暴風を貫く銃声。放たれた弾丸は一筋の閃光となって飛翔し、大気を穿った果てに、ベルッキオの左手を粉砕した。
曇天に散る鮮血。剥かれる悪魔の目。
何が起きたのか理解出来ないベルッキオが、風穴の空いた手を見て、絶叫する。
使役の力を解かれたのか、地上の惰獣が、弾かれたように上昇する。
身をよじりながら逃げていく大鴉を、撃退士達は地上から見上げた。
悪魔も惰獣も去った空を、傷だらけの体で彼らは仰ぐ。
疲労のなか、しかし何かをやりきったという感覚はあって。
今の戦いで誰かを護れていたらいいなと、心から思った。
●常闇の淵
息を切らして彼は暗闇に墜落する。
左手をおさえ、激痛に耐える。コツ、と床を踏んだ怠惰な同僚が、声をかけてきた。
「随分と派手にやられたもんだな」
屈辱が胸を焼く。
やられた? 誰が?
「流石のあんたも今回は懲りたかよ?」
‥‥懲りたか、だって?
冥魔の眷属が、ずるりと暗闇を這ってくる。不定形の体を揺らし、ディアボロは器用に主の左手の欠如を埋めた。
「はッ。冗談を」
と彼は目頭に皺を寄せる。
害意は止まない。
満足は無い。
だから、また。
私はいずれ、君達を傷つけよう。
「次の襲撃が楽しみですよ。‥‥ねぇ?」
憤怒の顔を上げた害意の悪魔が、闇に牙を剥きだした。
●夕焼けに染まる街で
「これで‥‥最後にゃ!」
空中戦の果て。宮子に苦無で斬られたシープマンが撃破され、墜落する。
「これで全滅かな?」
「そうですね‥‥」
「ふむ」
四方から敵を追い詰めた朔桜と陸、そしてラドゥが屋根の上で息をつく。各々の武器をしまい、解放された街に目を細めた。
街に死者はなかった。だが重症者は多く、冥魔の爪痕は想像より深いらしい。
(僕が‥‥もっと強ければ)
陸が思う。強ければ、彼らを救えたのではなかったか。
「‥‥ごめんなさい」
無力感に声を洩らす。そんな彼の肩を、ばしん、と朔桜が叩いた。
目を白黒させる陸に、朔桜は笑む。
「へこんでる場合じゃないよ。私達は、悪魔に一矢報いれたんだしさ」
腰に手をあて、ラドゥも言う。
「無力を恥じるのならばそれも良い。自覚がある以上、救える命は未来にあろう」
精々、練磨を積むが良いぞ。と励ましているのか何なのか分からない彼の言葉に、でも、陸は少しだけ楽になった。
「にゃっ?」
宮子のポケットで通信機が鳴る。海からだ。
「‥‥そう。良かった。こっちも終わったよ」
海の側でもブラックシープを倒し終えていた。救った人々の治療も行い、学園への報告も入れた後だ。
あ、と結希が声を出す。バイクを持ち主に返さないと、と。
「なるほど‥‥。では、私がご一緒しましょう!」
重い空気から解放され、水を得た魚のようになった忠国が結希に寄る。
「運転は私にお任せを。危ないですから、貴女は後ろからしっかり私に掴まってくださいね。勿論、密着してもいいですよ! ああっ! むしろ私が後ろに乗って貴女を抱きしめるというのも素晴ら」
無視してバイクで出発する。
結希の後ろには公が乗っている。あの時の男性に、いきなりバイクを借用したことを謝るためだ。
「怪我をしている人は、まだいるでしょうか」
後ろへと流れていく街を眺めながら、公がぽつりと呟いた。
「え?」
「あっ、いえ」
公が結希に苦笑する。
「傷ついてしまった方々に申し訳ないなと、どうしても、気になってしまいました」
避けられぬ犠牲。たとえそうであっても、心は痛む。
「そうね」
結希は口惜しさを胸に押し込め、ふんっと気丈に言い放つ。
「じゃあ、今度は今日の分、襲われてる全員を端から助けてやればいいのよ」
‥‥相変わらず、きっぱりと物を言う少女だ。結希の強い言葉に、公の表情が思わず和らいだ。
「そうですね」
胸に湧く勇気に、公が目を閉じる。
「今度は私達で、みんなを守りましょう」
これはその為の戦い。人は悪魔と戦えるのだから。
結希がスロットルを絞る。
「飛ばすよ。しっかり掴まってて!」
加速し、加速し、風をきる。
天魔に仇なす覚悟を胸に、少女達は四国を駆るのだった。
〈了〉