●
「ステルスねぇ‥‥。『気分は命がけのかくれんぼ』か? 楽しそうだ」
鳥獣も寝静まった深夜の森。土道を駆けるトァーグ(
ja8113)がにやりと口角を吊り上げた。
「言っている場合じゃないですよ、トァーグさん」
七海結愛(
ja6016)が走りながら諌める。その隣では礼野 智美(
ja3600)も頷く。
「そうだな。今回の敵は特殊だ。それに――」
気がかりなのは、通信の最後の吉木の言葉。
『そうだ、僕は思い違いをしていたんだ‥‥! あの時に判断を誤ったんです!』
『気をつけて、ここにいる敵は』
「――現場にはおそらく、複数の敵がいる」
吉木達が逆方向からほぼ同時に攻撃を受けていたことからの推理。それを前提にした作戦を彼らは練っていた。
「撃退士の方達は大丈夫でしょうか? 救出が間に合えばいいのですが‥‥」
並んで走る神城 朔耶(
ja5843)も、心配そうにそう呟く。
暗い木々の隙間から、かすかに現場が見えてきた。
●いないスナイパー
負傷した撃退士たちはすぐに見えた。救出隊の目に飛び込んだのは、倒れた少女の隣でまさに、崩れ落ちた吉木の姿だった。
林を抜けた八人は、素早く彼らを取り囲む。救急箱を落とすように屈んだ地領院 徒歩(
ja0689)が、即座にライトヒールを使用した。
「おい、生きてるか! おい!」
治療しながら呼びかける。傍では朔耶も同様に、倒れた少女の回復を開始した。
「うっ‥‥ぐ‥‥」
吉木に撒きつく漆黒の炎が、傷を塞ぐと同時に脇腹から弾丸を抜け落ちさせる。
「ふむ、目に見えぬ狙撃‥‥基本とはいえ、厄介かしら」
闇夜に目を凝らしていた卜部 紫亞(
ja0256)が、吉木に意識があるのを確認し、しゃがみ込む。
「命があってよかったのだわ。さて、聞けば敵は一匹だけでは無さそうなのだけれど、現場で何か気付いたことはあるかしら」
「ああ‥‥応援に、来て、くれたんですね‥‥」
吉木は口から血の泡を溢しつつも、掠れた声で返事をした。
「敵は、二体‥‥それと、ヤツら‥‥地面には隠れません‥‥。祖霊陣で、地面への透過を封じたけど‥‥、意味、無かった、から‥‥」
必死の彼の言葉に、徒歩が悲痛な表情で頷く。
「分かった。もう無理に喋らなくて良い。待ってろ、いま俺が――」
キュン――ッ。ドスッ。
「――!? ぐ、あ‥‥っ!」
治療を続ける徒歩の肩に、例のトゲが突き刺さる。
「気を付けろ、来るぞ‥‥!」
即座に臨戦態勢になった朱烙院 奉明(
ja4861)が、澄んだ声で叫ぶ。
キュン――ッ、バシンッ!
奉明の注意が効き、次の射撃を徒歩は活性化させたブロンズシールドで受け止めた。砕ける弾丸。一瞬の判断で、徒歩は弾丸の質を確認する。動物の牙か人間の骨に似ている。どうやら、『この砂場自体が敵である』という可能性は消えたようだ。
(‥‥俺がいくのだ)
味方に卑怯な攻撃を浴びせ続けた敵を憎み、徒歩は盾を持つ手に力を込める。
(これ以上、誰も死なせるものかよ)
「ここまで良く耐えた。あと少しの辛抱だ」
夜風に黒髪をなびかせながら、リボルバーを構えた奉明が静かに光纏した。
「‥‥必ず、助けてみせる」
吉木が奉明を見上げる。その隣では、トァーグが愉快そうに顔をほころばせた。
「そういうことだ。ほらよ、これでも飲んで、ゆっくり休んでな」
トァーグが腰のポーチからミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、吉木にひょいっと投げ渡す。とても飲める状態ではなかったが、それでも吉木の顔には帰るべき日常に近づけたような確かな安堵の色が浮かんだ。
ぴっと祖霊符を取り出し、智美も光纏。
「いきましょう、皆さん!」
張りつめた空気に通る結愛の声。それを合図に、全員が行動を開始する。
●戦闘
「見えない相手‥‥できるだけ、やってみるか」
吉木たちの護衛班、南雲 輝瑠(
ja1738)。立ち位置を定め、足を開いて腰を落とし、高めの位置に打刀を構える。集中しつつもリラックスした姿勢。呼吸の音すら消しながら、輝瑠は夜の湖畔に気を張り巡らせる。
結愛も同じく、吉木たちを囲むように背面護衛の陣形を作った。
戦闘班の紫亞は、護衛班の比較的近くで、片膝立ちで魔法書を広げる。
「さて、こう暗くてはいけないわね」
彼女が掲げた手の先で、ぽぅ、と生まれた淡い光球が、ふわんっ、と広がる湖畔を照らす。しかしそこに、敵の姿は見つからない。
(光も透過するタイプの能力なのかしら? いや――)
そもそも透明になっているから、光を受けても見えないのだ。
「‥‥頭脳戦は俺守備範囲外だぞ‥‥」
攻撃班として吉木達から離れた智美が、内心の不安を口に出す。しかし仲間の救出は最優先。ここまで来たら出来るだけの事をするだけと、彼女は慣れないリボルバーに指を通す。祖霊符によって敵の透過能力が消えていることは確実。それを念頭にまず一発。
タァンッ、と静寂を裂く発砲音。当たらずとも良い。救出班に攻撃が行かないよう、攻撃の意思を見せることが目的だった。
キュン――ッ。ビシッ!
「‥‥ッ!」
狙い通り。敵は智美を狙ってきた。どこかから放たれた鋭利な弾丸が、彼女の太ももを切っていく。
「そこかぁーーっ!」
智美から六メートルほど離れた位置、徒歩の盾を遮蔽物に見立てて飛び出したトァーグが、智美が受けた射撃の発射地点に立て続けにピストルを乱射した。しかし、弾丸は虚空に消える。
キュン――ッ。
「おおっとっ!」
バシンッ!
別地点から放たれた攻撃に、トァーグは徒歩のシールドの陰に転がった。ステルス攻撃に自分はどこまで反応できるのか。病的に『楽しさ』を追求する彼は、こんな状況でなお命をかけた遊戯を『楽しんで』いるのだ。
「トァーグさん、油断をしていると危ないぞ!」
「わかってるって!」
徒歩の注意に、笑いながら返事をする。
「神城、どうだ?」
奉明が朔耶に問いかける。音で必死に敵の位置を捉えようとするも、やはり不可視かつ移動する敵の捕捉は容易ではない。
朔耶は意識を集中する。アストラルヴァンガードの生命探知が、風の向こうに紛れる狙撃主の吐息、鼠の足音ほどに微かな音を感じ取った。
「――いました。敵は真正面、子の方角に一体と‥‥‥‥すぐ近く、卯の方角に一体です。地領院様っ!」
彼女の声に徒歩が素早く反応する。彼の右手に広がる何もない砂浜。そのなかに潜む敵に向け、彼は不敵に笑いかける。
「ふっ‥‥、俺の魔眼から逃れられると思うなっ!」
盾の上から手をかざし、アウルの魔法弾を撃ち放つ。地を抉る勢いで発された彼のカッコイイ光の弾丸が真っ直ぐ飛び、月光が降り注ぐ暗い風景の中空に見事に消えた。消えた。外れた。‥‥あれ?
「‥‥‥‥」
手をかざした体勢のまま硬直する地領院徒歩。
「地領院」
「なんだ」
文句があるなら謹んで聞こうじゃないか。覚悟した彼に、奉明の言葉が続く。
「礼を言う――!」
ひゅっ! と、奉明が空に向かってスプレー缶を投げる。そのままリボルバーで狙いをつけ、彼はそれを魔弾で打ち抜いた。
炸裂したアルミ缶から、蛍光色の塗料がぶち撒けられる。飛び散る液体が、徒歩が明らかにした『敵がいない場所』を避けるように散り、パッと空中に人の右腕の骨の形を浮き上がらせた。
「‥‥さ、作戦通りだな!」
慌てたように親指を立てる徒歩の脇で、すかさず智美がペイントボールを投げる。朔耶が示した通りの遠い地点で、見えない別の敵にかする。わずかではあるが、オレンジの点が虚空に付着した。
カシャン――。
と、イエローに塗られた右腕先端のボウガンが、缶を投げた奉明たちを狙う。その距離は、わずかに十メートル。
察知したのは輝瑠だった。地面を蹴って奉明の前に躍り出る。
「間に合え‥‥!」
祖霊陣を使っていたのでは動けないと判断。骸骨の腕を狙い、苦無を投げた。
ヒュンッ、と空を切った彼の一撃が、ガスリと確かに敵を削る。とたんに滲みだす黒い影。灰色の大きな骸骨が、中空で腕を庇うように可視化した。
ニィ、と骸骨が笑う。むき出しの歯を軋らせながら、キリリリと護衛班にボウガンの先を向け、そして――。
「――! 来ますっ!」
キュキュキュキュキュキュキュキュキュン――――ッ!!
狙撃主の名に似合わぬ連射が、護衛班に迫る。最前列で目を見開く輝瑠と奉明。その前に、一人の少女が飛び出した。
「く‥‥ぁああああっ!!」
結愛だ。身を挺して二人を守った彼女に、無数のトゲが襲いかかる。魔具と体に弾ける弾丸。血しぶきの中で必死に口を開き、彼女は叫んだ。
「今です、アイツを‥‥っ!」
躊躇い無く奉明が駆けだした。リボルバーを両手で握り、降り注ぐ弾丸の中に突進する。
骸骨の反応もまた素早い。一瞬で狙いを奉明に向け、途切れることのない連射を続行する。
奉明の眼前に薄い魔法の壁が広がった。緊急障壁を盾に、攻撃の射程圏内まで接近し、奉明は雄叫びと共に銃を撃つ。
銃口から放たれた電撃が、トゲの列すらも呑み込んで骸骨に直撃する。カッ、と開かれた髑髏の口。内部で炸裂した光が漏れた。連射が止まる。到来するチャンス。
また透明にならないうちにと、痺れた相手に紫亞が魔法弾を撃つ。同時に駆けた攻撃班の智美。二人が放った魔法と剣の攻撃が、骸骨の体にダメージを与える。
ギギギ‥‥と罅割れた頭をもたげるスナイパー。その脳天に、ガッと黒い銃口が叩きつけられる。
「みぃーつけたぁーっっ! ‥‥ハッ! ゲームオーバーだ。大人しく逝っとけ」
断末魔のかわりに銃声が響く。見つかった者は即座に退場。『かくれんぼ』のルールに則って、鬼に見つかったスナイパーはトァーグの零距離連射で頭蓋を砕け散らせた。
駆け寄った徒歩が、奉明が負った傷を癒す。
キュン――ッ。
「‥‥っ!」
紫亞が、トワイライトの明りで照らされた弾丸を目視。先の攻撃と同時に身を低くしていたこともあり、飛来した攻撃の直撃を避ける。敵は狡猾にも手薄になった護衛側を狙ってきたのだ。彼女の頬に、血の線が出来る。
「つくづく面倒な相手かしらね。頭蓋骨の中はカラッポなくせに、まったく小賢しいったらないのだわ」
頬杖をつくかのようなおっとりとした顔に、一瞬よぎる暗い感情。
「見えない有利はそんなに心地よいのかしら」
遠くで不可視の敵が、ガスッ、ガスッ、と、蛍光塗料を削ぎ落しているのが分かる。
「ここで逃がせば後が辛くなるのは確実なので‥‥絶対に逃がしません!」
朔耶の強弓が弦音と共に放った『特別性』の矢が、夜を切って敵を穿った。鏃に撒かれた布が、染み込んだペンキを敵のあばら骨に付ける。同時に与えたダメージが、二体目のステルススナイパーの姿を暴き出した。
全身灰色の、左腕しか無い骸骨だ。先ほどの個体と同じく、頬を曲げて笑い出す。
「遠い‥‥っ」
敵の現れた位置は、護衛班から見て20メートル弱。その距離の残酷さに結愛が苦々しく顔を歪めた。
「俺が行く」
輝瑠が、ぐぐぐ‥‥と足に力を込める。敵が再び不可視化するまで約10秒。迷っている時間は無い。
「私も行きます! 卜部さん、ここを任せてもいいですか?」
カシャン。
「構わないのだわ」
もはや防御に徹するより、逃げられる前に全力で仕留めに掛かったほうが得策だろう。
キリリリリリ――。
「いくぞっ!」
一斉に駆けだす撃退士たち。
キュキュキュキュキュキュキュキュキュン――――ッ!!
ステルススナイパーの連射音が、戦いを決する最後の10秒の始まりを告げた。
「うぉおおおおおっ!」
突進する結愛たちの前に、盾を構えた徒歩が割り込んだ。
「無駄だ! お前の攻撃は、俺がいるかぎり全て通らないっ!」
豪雨のような弾丸と、防御音の嵐。じわりじわりと後退を開始する髑髏の射手。
「逃がすか!」
奉明と紫亞の魔弾と魔法球が、疾走する徒歩たちを越していく。敵に命中。だが、連射は止まらない。
トァーグの弾丸と、朔耶の矢が飛んだ。が――、あろうことか、スナイパーは紙一重でそれを躱す。
さらに遠く、滑るように後退していく隻腕の骸骨。その後方に広がるのは、真っ暗な雑木林。逃げられたら、打つ手は無い。
智美がリボルバーを撃つ。他のメンバーとは全くの異方向からの攻撃に、敵はわずかに攻撃の対象を躊躇った。その最後の隙を逃さずに、
結愛が地面を蹴った。夜の宙に砂を蹴り上げて飛び上がり、思い切りハルバートを振りかぶる。最後のチャンス。長い柄に力を入れて、連射を続ける敵を見据え、そこで彼女は悟った。
――届かない。
斬撃を躱すように後退するスナイパー。その体と自分の攻撃範囲との距離に、ほんの少し、でも確実に決定打が入らない差があった。
10秒が経過する。
骸骨は連射する左腕を動かして、自身の体表ごとあばら骨についた塗料を削り落とした。そして、嗤う。肉の無い頬を震わせ。得物の健闘を讃えながら、その至らなさを嘲笑う。
骸骨の体が夜闇に溶ける。雑木林の闇を背に、紙が燃え尽きる如く姿を消し、そして――。
「どこに行くつもりだ?」
空中にわずかに消え残った骨の眼が、バッ! と後ろを振り返る。そこにいたのは南雲輝瑠。脚部にアウルを燃やし加速する『縮地』の技を使う彼だけが、射手の背中を取っていた。
「悪いが‥‥お前はここで仕留めさせてもらう」
輝瑠の呟きに、骸骨は見えない武器を彼の鼻先に向ける。だが、遅い。
「この好機、無駄にする訳にはいかない」
輝瑠は最後の距離を詰め、完全に透明になったスナイパーの胸に掌底を放った。再び迷彩を暴かれた罅だらけの骸骨が、仰け反りながら吹っ飛ぶ。
そして、その眼窩は見た。天から落ちてくる、一閃の斬撃を。
「せぁあああああああああ――っ!!」
気合一閃。叩き落とされた結愛の戦斧が、重い斬撃音と共にディアボロの頭蓋を真っ二つに叩き割った。
地面にめり込むハルバート。トドメを刺された狙撃主が、夜風にぱらぱらと崩れていく。
そこに残ったのは敵のいない、正真正銘の『無』だけだった。
●敵のいない帰り道
「おーい! こっちだ! 早く来てくれ!」
救急車が、負傷者と犠牲となった少年を病院に搬送した。救急隊の誘導と死者の弔いを終えた徒歩が合流し、八人の撃退士は帰途につく。
歩き出して間もなく、きゅるるー、と可愛らしい音が鳴る。ぴくりと反応する八人のなかで、朔耶がみるみる赤面する。
「さ、さすがに集中したままだったので疲れたのですよ‥‥」
微笑ましげな空気が広がる。そんななか、トァーグが腰のポーチを漁り出した。
「腹へったんなら、これ食うか?」
取り出したのは、サンドイッチやらおにぎりやら、やけに充実した軽食だ。
「長期戦になるかと思って持ってきてたんだ。準備いいだろ?」
感心するやら呆れるやら、感情はともかく撃退士たちはゴクリと喉を鳴らす。
腹が減っては戦はしまらぬ。学園までの遠い道、思いがけない兵糧に助けられる彼らであった。
〈了〉