●
――学校。その職員室。
潜行するエルレーン・バルハザード(
ja0889)が、机の下に隠れていた少女の肩に触れた。
絶叫しかけた彼女の口を、エルレーンは慌てて指でおさえる。
「しーっ、だいじょうぶだよっ」
優しく笑んで。
「ぶじ、だね? ほかの子たちがかくれてる場所とか、知らないかな」
静寂。少女の目に、安堵の涙が浮かぶ。
「‥‥友達が、上にいます‥‥屋上で会った蜘蛛の怪物のせいで、おかしくなって‥‥」
「蜘蛛。そして、おかしくなった、ですか。面倒な相手なようですね」
同じく潜行したアセリア・L・グレーデン(
jb2659)が紫眼を細めた。
少女の隣で、鑑夜 翠月(
jb0681)も屈む。人に沿う猫のように。
「怖いなか、ごめんなさい。もう一つ教えてください」
この時期の四国だからこそ、訊かねばならぬこと。
「校内に不審な人物を見かけませんでしたか?」
少しの回想の後。女子が答える。
「屋上に男がいて、腕がうじゃうじゃした怪物を、惰獣って‥‥」
「惰獣‥‥」
その名に、彼はかつての敵を思い出す。曇天を背に立つ黒頭巾の巨躯を。
「嫌な予感がしますね」
少女を昇降口から脱出させ、三人は上階へと向かう。
何かが待ち、何かが狂っている空間へ。
●渡り廊下
「中学校を占領‥‥一体何が目的なのでしょう?」
エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)が歩を進めながら言った。
「不明、だな。帰還時には推測が可能なよう善処する」
北条 秀一(
ja4438)が応答し、神喰 茜(
ja0200)も赤い目を細める。
「場所が場所だし、気は引き締めないとね」
冥魔が蠢く地。そのうち四国が死国になんて、洒落にならなくて苦笑した。
体育館に到着。両開きの戸から覗くと、館の奥に8人もの生徒が固まっている。
「隠れていないなんて不自然ですね」
訝ったエリーゼが阻霊符を発動させる。すると案の定。体育館入口と生徒達との間の床から、びょんっ、と傀儡蜘蛛が弾き出されてきた。
「ははあ。人質を餌に私たちを奇襲する気だったのか」
敵の出現に物騒な微笑みをうかべ、茜はすばやく体育館に踏み込む。
蜘蛛が茜を睨む。頭をもたげるや否や、一束の蜘蛛の糸を噴き出した。
「読めるって!」
敵の姿から攻撃手段を予測していた彼女は蛍丸の一振りで糸を弾く。
その姿を眺めながら、秀一とエリーゼは狙撃銃とバルディエルの紋章を具現化させた。
敵の射程を中距離までと見定めて。
「対処する」
「ご一緒します」
秀一の射撃を蜘蛛は横に跳ねて回避する。直後にエリーゼが無数の稲妻の矢を放つも、敵は思わぬ速度でくぐり抜けてきた。
エリーゼめがけて糸が飛ぶ。咄嗟に受けた彼女の腕に、糸は根を張るように広がった。
痛みはごくわずか。だが、皮膚の裏へと不快感が広がる。
「‥‥気持ち悪いですね」
天使は鋭く腕を振って魔法の糸を断ち斬る。
まさにその時、蜘蛛の前に踏み込んだ茜が、太刀を握る手に力を込めて――
「雑魚にかかずらってる暇はないんだ」
振り上げる刃で蟲を薙ぎ飛ばした。
直後に飛来したエリーゼの雷矢が、敵を宙にあるまま貫き、爆散させる。
「無事か?」
秀一が短く訊ねた。
頷こうとしたエリーゼを、不気味な痛みが襲う。
体中の血管が一斉に蠕動したような。
「‥‥毒ですか」
これは、先ほどの糸のせいか。冥魔の小細工に、苦々しく笑む天使だった。
●校舎3階
アセリア達が廊下に立ち尽くす少女を見とめる。
「‥‥例の女子生徒でしょうか?」
「近づいてみよう、なの」
アセリアとエルレーンが言葉を交わす。と同時、翠月が教室を指さした。
「皆さん‥‥! 横です!」
彼が指した教室の扉。窓に張り付くように、黒頭巾が廊下を眺めていた。
無音の探索が功を奏した。迂闊に少女に接触していたら、敵の奇襲を受けていただろう。
失策を悟ってか、八本腕が這い出てくる。
女性のような細身。惰獣イリンクス。蜘蛛を従えている他、周囲に三人の少女を盾のように吊るしていた。
(彼らを攻撃に巻き込むわけには‥‥っ)
翠月が眉間に皺をよせる。範囲魔法『ファイアワークス』での一掃を画策したが、人を盾にされては使えない。
躊躇う彼に、パキリと開いた惰獣の指先の孔から、薄青い糸が光線のように迸る。
翠月は体を右に振ってそれを躱した。敵の射程は、約8m。
「人質とは、姑息だな」
ふいに響いたアセリアの声。惰獣が硬直する。
声がしたのは、自らの背後だったから。
「うすぎたない天魔‥‥」
潜行状態を活かして、彼女とアセリアは人の壁を越えた。惰獣の背後をとったエルレーンが叫ぶ。
「しんじゃえッ!」
エネルギーブレードがイリンクスの顔面に突きこまれる。ダメージは無い。しかし惰獣の頭部は黒い靄で包まれ、スキル『目隠』による認識障害を負った。
「形勢逆転だな」
腰を落とすアセリアがパイルバンカーにアウルを纏わせる。一気に決めるべく、惰獣の細身に狙いを定めた。
その時だ。惰獣の八つの掌に切れ目が入る。二人の眼前で、惰獣の手に覗いたガラス質の内皮が突然に発光した。
(なに‥‥?)
エルレーンとアセリアの視界が暗転する。同時に彼女達は悟った。
これは『認識障害』だ。エルレーンがかけたものと同じ。惰獣の能力は、受けた状態異常を相手に返すもの。
「小賢しい」
視力に妨害をうけてなお、アセリアはダークブロウを止めなかった。悪魔・ナイトウォーカーである彼女の振りきったカオスレートの恩恵か、暗黒の一撃は惰獣の上半身ごと、惰獣が人質達に伸ばしている糸を呑む。
だが、人質は相変わらず。惰獣の糸は魔法で出来た幻影のようなもので、攻撃による排除は叶わぬらしい。
一撃離脱。後退を試みた二人を追うように、傀儡蜘蛛が薄青い糸を吐きだした。
糸がエルレーンの服を射抜く。しかし、それは服だけ。スキルで身代わりにされたロングコートが、まるで幽霊が着ているかのように宙に吊られた。
惰獣が指を動かす。二人の少女が空中をスライドし、アセリア達の前に盾として吊るされた。
「こちらが手薄です!」
惰獣の背中めがけて、翠月がカード状の魔法刃を飛ばした。
振り向いた惰獣が刃に指を向ける。直後に噴出したのは、糸の網。
バリア技のようだが防御には至らず、網を貫いたカードは惰獣の灰色の脇腹を裂いた。
(今だ!)
エルレーンが廊下に備えてあった消化器を持ち、吊られた少女達へ噴霧口を向けた。
「荒っぽくてごめんだけどっ、許してね!」
消火剤が廊下に充満する。傀儡化された少女達の視界を奪うも、されど彼女達は止まらない。
(やっぱり‥‥天魔を止めないと駄目なのか)
消化器を捨てるエルレーン。同時。煙の中に蜘蛛を捉えたアセリアがチェーンを放った。白い世界の向こうで、ギッ! と悲鳴がする。
翠月も惰獣を探す。煙の向こうに見えた影に手を向けようとして、その瞬間。
惰獣イリンクスが、翠月の目の前に立っていた。
戦慄が翠月を襲う。
惰獣が指先から放った薄青い糸が、翠月の胴体に吸い込まれた。
「う‥‥」
彼の体を信じられない激痛が貫く。
「あああああぁぁぁっ‥‥っ!」
皮膚の内側を何かが這いずりまわる感触。必死に抗うも、天魔の力が四肢に染みていくのが分かって――。
「スイゲツ!」
アセリアが叫んだ。
駆け寄らんとした彼女に傀儡蜘蛛が糸を吐く。咄嗟に立ち止った彼女の眼前を、薄青い糸が掠めていった。
翠月は体を宙に括り付けられ、その足は床を離れる。満足げな黒頭巾が翠月の顔を覗き込む。次に起こったのは誰もが予想していなかったこと。
惰獣の隣の白い煙が、ぽぅと赤く発光した。
それはまるで血を溢された霧のよう。
だんだんと深くなる紅蓮のなかに、金色にそまった艶やかな髪がひらめく。
「なんだ、強いのはこっちにいたんだ」
声と同時。霞むような速度で放たれた茜の烈風突が、惰獣イリンクスの胸のど真ん中に命中した。
惰獣の体がトラックに轢かれたように吹き飛ばされる。教室の壁を突き破り、数個の机を弾き飛ばして、瓦礫の中で踏みとどまった。
前屈みの姿勢から顔をあげた黒頭巾は、眼前に迫った大剣の切っ先を見る。
「ふんっ!」
気合の一声と共に、両足で床を踏みしめた秀一がツヴァイヘンダーを突き出した。
惰獣が咄嗟に指を出す。放たれた網が秀一の胴から下を床に固定するも、刃は止まらない。
イリンクスの腕が斬り飛ばされた。
同時に、廊下に吊られていた一人の少女が落下する。糸を伸ばしていた腕が破壊され、惰獣の術が解けたのだ。
秀一の眼前で、惰獣は胸と腕から大量の血を溢しながら立っていた。
黒頭巾を傾けて、教室の窓を確認する。
「‥‥逃げる気か」
体力の限界をみたのだろう。動けるうちに撤退するらしい。
イリンクスは廊下に背を向けた。
一歩を踏み出した彼の周囲に、ふと、柔らかな光が発生する。
首を傾げる惰獣。
発生した光の鎖が、彼をとりまくように漂った。
「帰る気ですか?」
声。エリーゼの白い姿が、教室の入り口に立っている。
「最初から逃げる気でいたのですか? 殺さず殺されずのまま、今日は顔出しのみと、そんな気で?」
頬に浮かぶのは、残酷なほどに無垢な微笑み。
「それは少し蟲が良すぎるのではないですか?」
集束した光の鎖が惰獣の体を締め上げる。
唖然とする黒頭巾。足掻くように光を放ち、天使の体を拘束する。
「諦めろ、天魔」
廊下でエルレーンがエネルギーブレードを向ける。茜が太刀を構える。アセリアがパイルバンカーを具現化させる。
状況は、決したかに見えた。
惰獣はもはや動けない。残ったのは、宙に吊られた一般人が2名と、傀儡蜘蛛が1匹。
学園陣営の茜とエルレーンと、アセリア。そして、
翠月。
彼の手のなかには、限りなく鮮やかなアウルが光っている。
『ファイアワークス』。
全てを平等に焼く破壊の魔法。彼の腕を吊るす糸が、アウルに煌めき美しい。
「皆さん‥‥逃げて、ください」
小さな唇の動きを最後に。
綺麗な花火が、廊下を吹き飛ばした。
●
エルレーンが目を覚ます。
彼女の眼前では、仲間達の応急処置をした秀一が救急箱をしまっていた。
ここは廃墟同然となった三階だ。
――爆発の瞬間、茜とエルレーンとアセリアは、一般人を爆発から庇った。
エリーゼは爆風で気を失い、秀一は防壁陣で身を護ったが、それしか出来なかったのは惰獣による拘束のせいである。
傀儡蜘蛛は砕け、惰獣は逃げた。
エルレーンの救急箱を借り、秀一と翠月は全員の治療をした。
その間、翠月は謝っていた。
何度も何度も。擦り切れそうな声で。
「謝ることないよ」
崩れかけの壁にもたれて、茜が微かに笑む。
「誰がああなってもおかしくなかったんだ。あの攻撃は、天魔のものだよ」
「‥‥すみません」
「謝らない」
茜に優しく指摘され、翠月は言葉につまる。少しの間を経て、一滴の涙を流して言った。
「‥‥ありがとう、ございます」
やがて天井を見上げ、エルレーンが言う。
「じけん、終わらせよう」
●屋上
抜けるように青い空のした。
六人の撃退士達と、一体の冥魔が対峙する。
「またお会いしましたね、シルバさん」
声揺らさず、凛として、翠月が言った。
「お前、あの街にいた奴か。またこんな危ない場所に来たのかよ」
呆れるシルバ。その姿を瞳に映し、アセリアが犬歯の鋭い口を開いた。
「シルバといったな。人を操るディアボロとは、なかなか悪趣味な同胞もいたものだ」
「‥‥同胞?」
彼女を目にとめ、シルバの目がゆっくりと見開かれていく。
「待てよ‥‥お前、悪魔か」
驚愕を顔に浮かべたまま、視線をエリーゼにずらし。
「そっちは天使かよ。お前ら、なんだって人間と一緒に‥‥」
「『上』に疑念を抱いてしまってな。今は人間の本質を見極めるためにこちらにいる」
アセリアを異端と見倣すシルバの目に、彼女はふっと息を吐いた。
かつての私も、こんな顔をしたことがあったのだろうか。
「さて――」
茜が抜刀して床を蹴る。その気迫に、シルバも剣を抜く。
刃が激突する音。悪魔との鍔迫り合いに茜が笑む。
「どうしたの? やる気ないね。せっかくの斬り合いなんだけど」
「‥‥お前こそ、その怪我でよくやるぜ。人間が天魔に勝てると思ってるのかよ?」
「どうでもいいよ」
一蹴する。茜は唇に物騒な笑みを浮かべ。
「私はただ、存分に剣を振るえることが楽しいんだから」
「お前‥‥俺より悪魔にむいてるな‥‥」
ギャンッ! と両者が刃を弾きあう。
エルレーンは戦闘に参加せず、悪魔に問いを投げた。
「学校を狙うとか、ずるいね。もしかして、この街が欲しいの?」
アセリアのパイルバンカーを躱しながら、シルバは眉を顰める。
「ゲート展開のことか? 俺は興味ねぇよ」
「じゃあ」
とエルレーンは。
「この校舎の襲撃は陽動だったんだ」
シルバが目を見開く。襲い来る光鎖を躱した彼に、エリーゼが言う。
「大きな目的は他にある。貴方は今まで、その隠蔽のために動いていたんですね?」
「‥‥思ったより、賢しい奴らだな」
その呟きは、独り言か肯定か。
翠月のクロスグラビティがシルバの頭上から落下する。悪魔は脇に一歩移動して躱す。
シルバの視線と、翠月の目があった。
「以前、僕達は敵ではないと仰いましたね」
翠月は真っ直ぐ、悪魔を見つめて。
「改めてお聞きします。僕達はあなたの敵足り得ますか」
「‥‥。‥‥足り得ねえよ。お前らは俺のディアボロに苦戦したんだぜ」
「貴方のディアボロは、僕達に苦戦しました」
引き下がらない。戦い、この男にスキルを使わせるのだ。
「貴方は本当は、僕達の力を認めたくないだけなんじゃないですか?」
今だ。
駆けた秀一がシルバの側面へ大剣を突き出す。
視線を動かし剣を出す悪魔。
散る火花。
噛み合う刃に、変哲は無い。
「‥‥まだ本気を出さないのか」
剣を合せた状態で、秀一は悪魔の瞳を見据えた。
「ここまでの身のこなしで確信した。貴様の思想の背景には実力という根拠がある」
「‥‥どうだかな」
「我々もまた天魔に抗う力を入手しつつある。貴様の怠惰はいずれ‥‥‥‥いや」
秀一は目を鋭くし。
「宣言しよう。次に相対した時、俺が貴様をその怠惰を捨てなければならない状態にまで追い詰める。貴様の安寧を奪うのは、我々だ」
彼の言葉に、シルバは目を細めた。
「‥‥面倒なやつに目をつけられたもんだ」
たん、と床を蹴る。蝙蝠の羽でシルバは飛翔した。
「でも悪いな。次に会う時は洒落にならない状況かも知れないぜ」
「どういう意味?」
エルレーンの問いにシルバが答える。
「大きな目的だ。今後は俺も、それなりに働かないといけないんでね」
悪魔は去った。
屋上には、6人だけが残される。
‥‥大きな、目的。
誰とも無く呟く言葉。
その言葉が本当になった時に、救いの糸は垂れるか否か。
晴天の下でまたひとつ、四国が軋みをあげたのだった。
〈了〉