●
「‥‥勘弁してくれよ」
出現した撃退士達を一瞥し、悪魔が深々と溜息を洩らした。
「いくらなんでも間が悪いってもんだぜ、人間」
「悪魔‥‥? どうしてこんな所に」
地に降り立った鑑夜 翠月(
jb0681)が身を強張らせる。悪魔との対峙は初では無いが、抜き身の刃を見たような臨戦感は薄まらない。
「それはこっちの台詞だぜ。お前らこそ、何で――」
ふと、撃退士達の面子を見た悪魔が言葉を止める。「げ」と声を洩らし、顔を歪めた。
「――シルバ‥‥ッ!」
夏野 雪(
ja6883)が光纏し、剣盾を構えて素早く踏み込んだ。
彼女は、眼前の男が四国の街を襲撃した事を忘れていない。今にも斬りかからん勢いに悪魔シルバが目を剥くも、彼女はぴたりと静止する。
目だけで周囲を見渡す。当然のように、生じる疑問。
「‥‥お前がいて何も起きていないのは、何故?」
真っ白な曇り空を広げる街並みには、何の異常も見られなかった。
「普段の俺が、まともに仕事をしてると思うな」
シルバが何故か堂々と言った。雪の隣から、来崎 麻夜(
jb0905)も問いかける。
「ん‥‥シルバさん、だね? 隣町の惨状は貴方のせいなのかな?」
やや人見知りの気があるものの、指の隙間にカード型魔具を展開している所は抜かりない。
「元を辿ればピエロの所為だけどな」
武器を構える彼らに顔をしかめたまま、シルバが答える。
「あっちにディアボロを放ったのは俺で、こっちの自警団達にそれを報せたのも、俺だよ」
「報せた‥‥?」
一体、何の為に? 久遠 冴弥(
jb0754)が努めて冷静に思考する。
「お、おい、君達‥‥」
傍観していた青年が、慌てたように声をかけた。
「悪魔を刺激しちゃダメだ‥‥! いったい何者だ、君ら?」
青年の前に、月居 愁也(
ja6837)が進み出る。
「俺達は久遠ヶ原学園の撃退士です。天魔に襲われた隣町から要請を受けて来ました」
気が急くのを抑える彼の様子に、中年の男、岡野が反応する。
久遠ヶ原。撃退士。隣町からの要請‥‥。
「自警団、と呼ばれていましたね」
前に出た雫(
ja1894)が、彼らに言う。
「悪魔が話した内容を、お聞かせ願えますか?」
●
岡野は語った。隣町を襲う天魔がいかに危険な存在かを。
青年は言った。それに対し、自分達は傍観を決め込むと。
「‥‥責める事は出来ないですね」
雫の呟き。理解してくれたか。そう安堵する、自警団の青年に。
「状況は承知致しました」
蜜珠 二葉(
ja0568)が頷く。
「隣町へはわたくし達だけで向かいますわ。車かバイクか、移動手段をお貸し頂けません?」
岡野と青年が息を呑む。
「正気か、あんた‥‥!? 俺らの話を聞いてなかったのかよ?」
「聞いていましたよ。聞いた上で、私達は戦うつもりです」
慄く青年に冴弥が言う。瞳には隠せぬ動揺があるが、それでも気丈に、彼を見返す。
批難しようとする青年を、「杉本」と岡野が制する。
「行かせよう。私が、この子達に車を貸す」
「岡野さんまで何を‥‥っ! みすみす死なせるようなものじゃないですか!」
杉本と呼ばれた青年が二葉を睨む。
「あんたもあんただ! わざわざ危険な場所に行く理由が、どこにある?」
二葉は一瞬、本気で首を傾げ、すぐに考え直し、口を開く。
「それがわたくしだから‥‥では、回答になりませんか?」
唖然とする青年。
二葉は、どこか悲しそうに苦笑して。
「自分に出来る事があるのなら、やりたいと思います。誰かの救いになれるのなら、わたくしはその『誰か』を救いますわ」
彼女の言葉に背に聞きつつ、岡野は雪と翠月を連れ車庫に向かう。
落ち着かぬ杉本は舌を打ち、彼らに向かって罵声を――
「戦いを放棄した輩が、いつまでも吼えるな」
残酷なまでに怜悧な声。
黙していたアデル・シルフィード(
jb1802)が、刃を添えるように杉本を見据えた。
「目的は何であろうと、我々は戦い、求め、自ら道を切り拓く事で初めてその生に意味を得る。貴様のように生きる為の戦いを放棄した弱者など、食われるばかりの獣にも劣る」
生きるだけの命に意味など無い。
それが戦いの中で育ち、人間の脆弱さを厭悪して生きてきたアデルの矜持であり、哲学だ。
杉本がアデルを睨む。
「俺らが道を拓かなくても‥‥誰かがやるだろ。いいか? 俺達なんかよりも‥‥無関係な被害者を助けようとして、勝手に首を突っ込んで、怪我して死ぬような連中がたくさんいる。そんな奴らこそ馬鹿だと、あんたは思わないのか?」
杉本を縛るのは、保身の一念。
ふん、とアデルは息を吐き、塵を見るような目で杉本を見下ろす。
「他力本願に救いを求める輩よりは、その馬鹿の方に生きる資格があるな」
――別所。
「お前達はどうして、そんなに必死なんだ」
車庫のシャッターを開けながら、岡野が雪達に問う。
歴戦の先達。幾多の戦場を超えてきた岡野の声には、されど覇気も何も無い。
「それが、私の正義だからです」
雪が迷いなく答える。
「私は盾。全てを征する盾。秩序の調停者。それが私の意思です」
意志。
正義、か。
「君はどうだ」
倉庫の奥に進みながら、岡野は翠月にも同じく問う。
「僕ですか?」
少し困ったように口ごもる。猫の耳に似た髪が、微かに下がる。
「僕は‥‥自分が何故アウルに目覚めたのか、このアウルが何の為のものなのか、まだ良く分かっていません」
その発現は突然で。学園への入学も、道を探る為に決めたのだ。
「それが分かった時に後悔しないため、今を頑張っているのだと思います。僕よりも多い経験をして来た自警団の皆さんなら、今だって感じるものは僕よりも多い筈ですよね」
岡野は無言。その、背に。
「何故、そんな事を聞くのです?」
雪が問うた。
「今回の判断について自分の正義が揺るがないなら、他の意見など気にならないでしょう?」
彼女なりの説得の言葉。岡野が振り向き、二人を見て。
「鍵だ」
放られた鍵を翠月が受ける。
「このバンなら全員乗れる。バイクの希望者がいるなら、自由に使え」
翠月は鍵を握り締め、雪は心を殺して言う。
「‥‥車両の拝借、感謝します」
●
バンの運転席には二葉が乗った。やや緊張気味な彼女だが、個人でバイクを希望したアデル以外では、彼女が最年長である。
自警団達が『見送り』に出る。彼らは全員、此処に残ることを決めたらしい。
「ご苦労なこったな」
シルバが欠伸をする。
「わざわざ生き急ぐ必要もねえだろうによ」
雫が振り向き、悪魔を見据える。人と魔の灼眼が交差する。
「‥‥死人の様な目」
哀れむように言う。
「貴方では無く他の誰かの思惑があっての事でしょうが、情報の提供は感謝します」
「そう言うお前も、『生きてる』ようには見えねえけどな」
シルバが髪を掻く。紅い瞳で、雫の感情の欠如を見透かす様に。
「誰かの思惑、って部分は鋭いが、情報の使い方は間違ってるぜ。戦う為の情報じゃない。逃げる為の情報だ。こんなに分かり易い『勝てない敵』を前に、なんで逃げない?」
「誇りを持ちたいからです」
断つように雫が答える。自警団達にも、聴こえる声で。
「私は前の依頼で、仲間を見捨てて逃げてしまった人と遇いました。その人が、逃げた後の方が辛かったと言っていたんです。そんな苦しみを、私は味わいたく無いですから」
「誇り、ね」
杉本が唾棄する。その為に、死にに行くだって?
「馬鹿げてる」
「その通りです」
雫にとって誇りとは、人の生き様と、死に様が昇華したもの。
「自らの死の瞬間にしか手に入らず、でも他者の生き様に影響を与えられる。そんな、つまらない物ですよ」
撃退士達が車に乗り込み、アデルがバイクに跨る。立ち止まれば隣町の悲鳴が聞こえるような、そんな焦りがこみ上げる。
「あ。一応確認」
ひょいと車から顔を出した麻夜が、武器をシルバに向ける。
「結局、貴方は戦うの?」
シルバが驚き、自警団達が悲鳴を呑み込む。
「‥‥生きるか死ぬかの質問を随分あっさり言うんだな、お前」
悪魔は口角を緩め、両手を上げた。
「俺は手を出さないよ。そもそも、お前らは悪魔の敵じゃなく資源だ。戦う相手じゃねえよ」
ならいいや、と窓を閉める直前、黒衣の少女は岡野に微笑む。
「先に行ってるよ、『何処かの誰かの抜け殻』さん」
白々とした曇り空。土煙に霞み、荒涼とする道路。
「抜け殻? 全く、何の事なんだか‥‥」
遠ざかる車を見届け、杉本が鼻で笑う。何故だか、とても嫌な気分だ。
「いつまで黙っているんですか岡野さん。ほら、皆さんも早く駐在所に入って――」
その時だった。
杉本の背後で、地を踏む音がする。ぴくりと反応し、振り向いた彼の前。
自警団達に対峙するように、たった一人で愁也が立っていた。
●SEVEN/怠けの報酬
灰色の街が硝煙に霞む。
曇天に背を伸ばすコンクリートの建物群は無人。土埃で不透明になった市街地を、バンとバイクが疾走する。
「惰獣‥‥ディアボロの中でも驚異的な相手のようですね」
血と硝煙の匂いが、此処で起きている惨劇を否応なしに悟らせる。勝てるかどうか、と冴弥は自分の腕を自らで抱いて。
「‥‥いえ、勝てなければどうにもならない以上、やりましょう」
その数秒後。あっ、と翠月が戦場を指した。武器を振り上げる魔の眷属と、その前で蹲る3人を発見したのだ。
気がついたら、扉を開けていた。
走行中の車から飛び出す撃退士達。着地も待たず、冴弥が手の平を天に掲げる。
「応えて――、『布都御魂〈フツミタマ〉』!」
●
蒼煙。召喚されたスレイプニルが、暴れる狂う剣が如く天魔に襲い掛かる。
戦場は、瓦礫が積もる交差点。2匹の鴉人は咄嗟に回避するも、彼らが率いた2匹のグールバードは、馬龍の一蹴に砕かれた。
顔を上げる女性撃退士に癒しの風を行使して、雪が脇に屈む。
「自警団の方ですね」
応援が来たことを悟ってか、口元を抑えて涙する女性。されど声は確りと、自らを笹岡と名乗った。
「現状は?」
「‥‥1人、やられました。私達は圧されてしまいましたが、あと2人は今も最前線で戦っています。若井君という少年と、津村ちゃんという女の子が‥‥」
駆け寄った二葉が頷く。
「分かりました。此処はわたくし達に任せ、あなたは避難を――」
「駄目です!」
笹岡が首を振る。鴉頭の怪人を指し言った。
「あいつは手下の鴉を盾にするの。攻撃を集中しないと勝てない‥‥! だから、協力を――」
大剣を構えた雫が、その鴉人の前に踏み込んだ。
振り放つ斬撃は地を這う三日月。アウルの軌跡がグールバードを両断し、貫通した衝撃が後ろの鴉人を襲う。
驚愕に目を剥き、咄嗟に躱す敵。暴れる鴉の群れに、翠月が飛び込む。
「数が多いですね。それなら、これで‥‥!」
掲げる手から冷気が吹き荒ぶ。風はグールバードを凍て砕き、二体の鴉人に命中。緑色の鴉人を、魔の眠りに落とした。
「‥‥ご覧の通り、こちらは大丈夫ですわ」
唖然とする笹岡に、二葉が微笑む。
「余力があるなら民間人の救助をお願いします。さあ、行って!」
赤色の鴉人の指示に応じ、滞空していた三匹の鴉が滑空した。漆黒の弾丸が翠月を貫く。
「くぅ‥‥っ!」
地を滑った鴉達が翻る。飛び掛かった黒の軌跡を、されど雫、翠月、布都御魂は回避した。
「舞い落ちて」
天を仰ぎ見た麻夜が『Night Rainbow』を放つ。
炸裂する七色の焔は曇天に咲く虹。破壊の力が空を舞う鴉を四匹覆うも、一体だけが炎を突き破って逃れた。
「耐えたか」
直後、腐乱鴉の体に白銀の一閃が描かれる。砕ける体と、散る黒羽根。小天使の翼で舞ったアデルの剣がグールバードを両断した。
飛翔する黒衣のアデル。その周囲を、4匹のグールバードが旋回する。多勢に無勢。些か分が悪い。
「僥倖だ。来い」
アデルは片頬に笑みすら浮かべ、剣を構えた。
地上。召喚獣の攻撃半径から飛び退いた翠月が叫ぶ。
「冴弥さんっ!」
同時に指示を出す冴弥。布都御魂の縦横無尽な爆発力が、最初から手負いだった2体の鴉人と、2体の鴉を纏めて粉砕する。
即座に翠月が魔法の刃を放ち、滑空してきた三体の内の最後の鴉を断ち斬った。
(ここまでは順調‥‥)
雫が息を吐く。見える敵は空の鴉が4匹のみ。
――だったのだが。
瓦礫の上に、三つの影が現れる。紫、黄、青のスロス・クロウ。
いずれも無傷。そして、青の個体が担ぐ鎌には、少年の胴体が刺し貫かれていた。
「‥‥若井さん‥‥っ」
冴弥が悲痛に目を歪める。鴉人は、それを棄て、襲い来た。
振られた黄色の鎌を雫が潜る。続いて降った紫の刃を、その細腕で受け止めた。
散る血華。満足げに鳴く紫の鴉の腕を、ばすん、と雫の大剣が刎ね跳ばす。
甲高い絶叫を消して、二葉がアサルトライフルを連射する。同じ紫の鴉人の体を弾丸の雨で穿ちに穿つ。――だが耐える。敵は堅い。
どしゃり、と瓦礫に墜落する者があった。
「くっ‥‥」
天を睨むは、空で鴉達の一斉攻撃を受けたアデルだ。視線の先には、空で不気味に両腕を広げる漆黒の鴉人がいる。
起き上がる彼を雪の癒しの風が包む。口を開きかけた彼女の背に、青の大鎌が振り下ろされた。
「ッ!」
咄嗟に盾で受け止める。嘲笑うように嘴を揺らす青鴉人は、若井少年を殺した敵だ。
「冥魔‥‥ッ!」
鍔迫り合う。その脇で、麻夜が二発目の炎を放つ。空中で炸裂した火炎が3体の鴉を焼き尽くした。
躱した黒き鴉人が地に下りる。4体で撃退士達を圧している現状に、不気味に笑んでいた。
――と、さらなる闖入者。撃退士達の視界に、十字路に立ち入る人影が映る。血に濡れて飴細工のようになった左腕を押え、瓦礫を越えて少女が歩いてきた。
「笹岡さん‥‥! アイツが‥‥巨大ディアボロが来ます‥‥!」
既に退避した仲間の名を呼ぶ彼女。茶色の前髪の奥で、視線を上げて立ち止まる。
ああ、と潤んだ声を洩らし、少女は顔を歪めた。
「学園の人達‥‥来て、くれたんだ‥‥」
「津村さん」
翠月が安堵する。笹岡が言っていた内のもう一人は生きていたのだ。
「良かった‥‥あたし、見捨てられたのかと思って‥‥」
津村は泣きそうな声で言う。
「でも‥‥助かったんだ‥‥諦めなくて、本当に良かった」
傷浅い右手で涙を拭う。気丈そうな瞳をこちらに向け、津村は泣き笑いのように微笑んだ。
その、瞬間。
閃光。衝撃。轟音。
降り注いだ蒼色の雷が、少女の右肩を粉々に砕け散らせた。
絶叫。
ぼたぼたと落下する肉片の中、二葉は現実を瞳に映す。
瓦礫を踏み砕く巨大な蹄。頑健とした馬の脚。力強さなどという次元を遥かに越え、常識外れの密度だけを放つ巨人の上半身。
進軍する力の塊。惰性の『闘争』を貪る獣。
「アゴン‥‥っ!」
出現したそれには目も鼻も口も無い。感情を失った黒頭巾が微かに首を傾げ、その動作に、全ての撃退士達が戦慄した。
アゴンの肩から4匹のグールバードが羽ばたき、その音で撃退士達が我に返る。
滑空した一体の嘴が麻夜の脇腹を裂いていく。
「っ‥‥!」
目を細める麻夜。それを嘲うように、黒き鴉人が指を振る。
使役により急旋回した鴉が、麻夜をさらに後方から貫いた。
回復に駆け寄ろうとした雪に、青の鴉人が鎌を振り下ろす。受け止める盾ごと抑え込まれる。
「夏野さん!」
翡翠が魔法の刃を放ったのと、紫の鴉人が掌を手繰ったのが同時。奔った刃パンデモニウムの刃は、青い鴉人の前に滑り込んだグールバードに防がれた。
「避けてくださいっ!」
冴弥が雫に叫ぶ。布都御魂が雫に纏わりつく黄色の鴉人を蹴り飛ばすも、紫には躱された。
(逃がさない――)
好機。雫は地を蹴り、大剣を紫鴉人に突き出す。
しかし何ということか、敵は間一髪でそれを躱す。雫は赤い瞳で敵を追う。
「危ない!」
誰かの絶叫。雫が目を上げると、頭上でアゴンが槍を構えていた。
収束する蒼雷。スローモーションのように降る一撃に、雫は自らの不覚を悟る。
希薄な表情に少しだけ無念の色を浮かべ、彼女の唇が、すみませんと最後に動いた。
●
「残念だったな。お前の仲間が、一人死んだぜ」
悪魔の言葉に、愁也が目を剥く。即座に言った。
「嘘だ」
「楽観的だな。嫌いじゃないね」
悪魔は何事でもなさそうに。
「惰獣を通して、戦況は全部分かるんだ。勘違いってことはあるかもしれねえが、それでもお前の仲間は、『アゴンが死んだと勘違い出来るような有様』になってるってこったな」
悪魔が立つ。くしゃりと髪を掻き、飛び去る寸前に。
「だから言ったろ。お前らは所詮、悪魔の戦う相手じゃねえんだよ」
残されたのは愁也と、十人の自警団員。懸命な説得を続ける彼は、あまりに孤独だ。
「な? あいつらの本気の前では、俺らは無力なんだ。あんたも、いい加減に諦めろ」
杉本が言った。
不安と動揺に乱れる思考。愁也は必死に頭を振る。
胸に思うは、親友の信念。そうだ。揺れるな。出来ることを考えろ。
「俺と一緒に、現場に向かってください」
愁也は声を絞る。
「あなた方は、もっとずっと厳しい前線で戦ってきた人たちだ。だからこそ、その力が今どれだけ必要とされているか分かっているでしょう?」
「そんな理屈じゃねえんだって‥‥! こうしてる間にも、あんたの仲間が死んでるかもしれないんだぜ!? いいから、あんただけでも助かれよ! 誰も文句は言わねぇって‥‥!」
杉本は泣きそうな笑みを作る。
「俺らが‥‥そう、俺らが、あんたを弁護してやる! この状況じゃ、現場に行くなんて方が間違ってたって――」
「お願いします」
愁也が頭を下げる。激情を、ぐっと堪え。
「一緒に、戦ってください」
杉本が、ぎり、と歯を食い縛る。
「なんで――分からねぇんだよ馬鹿ッ!!」
杉本に殴り飛ばされ、愁也が土に転がった。
狂乱した青年が、さらに彼の腹を蹴り続ける。
「死にに行くようなモンだってのが分からないのかお前は! 『管轄外』なんだよこっちは! 黙って今まで通りに過ごしてれば誰も傷つかねえんだってのが、どうして分からねえんだ!!」
激痛を堪え、愁也は耐えた。
否定はしない。出来もしない。惰性に流されるのは悪では無い。誰にだって――そう、愁也にだって、そうしたい気持ちはあるのだから。
でも――。
「俺は、いつか死ぬ時に、振り返って恥ずかしい生き方はしたくない」
心からの言葉を吐く。
「できることが、やれることがあるから、そしてそのための『力』があるから動くんだ。あなた方だって――」
ぐっと顔を上げ。
「あなた方だって、分かる筈だろ!!」
愁也は叫んだ。強い瞳に射抜かれ、びくりと跳ねた杉本の瞳に、葛藤が揺れる。
誇り。正義。誰かの泣顔。それを救う過去の自分と、やっと掴んだ平穏な今。棄ててきた全部に襲われて、自警団の青年が絶句する。
訪れる静寂。
誰も、何も反応しない。
(‥‥限界か)
切れた手の平を見つめ愁也は悟った。これ以上の説得は出来ない。
「分かりました。俺、一人で仲間を追います」
避難勧告だけを彼等に任せ、一礼した愁也はバイクにまたがる。
(‥‥耐えててくれよ、皆)
仲間を想い、無事を願う。アクセルを捻った、その直後。
愁也の腕を、岡野が掴んだ。
●
冴弥の声に応えた布都御魂が、紫電と蒼の炎を纏ってアゴンの攻撃を空中に引き付けた。
傍では、飛翔したアデルが鴉達を一手に引き受け、嘴に啄ばまれては、銀の一閃で反撃する。
「負けるわけにはいきませんわ!」
二葉が叫ぶ。紫鴉人の死骸を足元に転がし、震えそうになる体に銃を沿わせ。雫を抱えた雪に追いすがる青い鴉人に弾丸を叩きこむ。
アゴンの進行方向から離脱せんとする雪が、青い鎌に脇腹を裂かれる。
「これで‥‥!」
さらに襲おうとする青鴉人を、翠月の魔法刃が両断した。天魔は地面に衝突し、灰へと還る。
好機を逃さず鎌を振る黒と黄の鴉人を、雪は身を裂かれつつ突破した。地面に横たえた雫にヒールをかける。
胸の鎧は砕け、肩から大きく肉を抉られている。並の大人でも即死しているであろう怪我を、雫は尋常ならざる生命力で耐えていた。
雪の背後に黄鴉人が迫る。鎌を振り上げた、その刹那。
雫が跳ね起きた。
大剣を振り、鉄塊が如き大剣で眼前の鴉人を叩き斬る。
「出番だよ――」
手を振る麻夜。よろめく黄鴉人に、アウルで構成された黒靄のケルベロスが喰らいついた。
大ダメージを追って猶、鴉人は眼球を回して鳴き叫ぶ。それに反応したのだろうか、アデルが空中で戦っていた鴉達が、一斉に滑空した。
世界が羽ばたきの騒音に満ちる。
濡れ羽色の弾丸が雪の腕を、翠月の背を、麻夜の脇腹を裂いていく。
黄鴉人が指揮者のように手を振ると、さらに翻った鴉が冴弥に突進。彼女が躱した先でもう一匹の 嘴が肩に突き刺さり、別の一匹は、手負いの滴の背に爪を突き立てる。
雫が即座に剣を閃かせる。咄嗟の反撃が、自らを襲ったグールバードを両断した。
「避けて布都御魂っ!」
冴弥の視線の先で、アゴンが槍を掲げた。
直後、蒼雷の柱が布都御魂とアデルを呑む。冴弥が体を折って膝を付き、煙を引いてアデルが墜落した。
巨大な岩の塊を思わせる動作で惰獣が脚を踏み出す。瓦礫とアスファルトを踏み砕き、その黒頭巾は十字路の先にある病院を見据えた。
邪悪な祭司のように立った黒鴉人が、冴弥を処刑を執行すべく大鎌を振りかぶる。その瞬間だった。
ごしゃん、と。
唐突に飛来したバイクが、鴉人の頭で砕け散った。
●
ダメージは無いが、唐突なそれに硬直する天魔。
崩れて舞う部品の中を踏み込んだ青年が、紅蓮の炎を纏う剣盾で黒鴉人の胸を貫いた。冴弥の目の前で、爆発的な衝撃に鴉人が吹き飛ぶ。
「お待たせ」
駆け込んだ愁也が言った。そして笑む。
「遅くなってごめん。皆、来てくれたよ」
こつ、と戦場に踏み込む岡野。その脇には、風格漂う九名の撃退士が並ぶ。
彼等を眺め、傷だらけになった翠月が安堵の息を漏らす。
「良かった‥‥。来て、くれたのですね」
彼等は隣町を見捨てなかった。
悪魔の囁きに、勝ったのだ。
「君達の必死さに、耐えられなかったよ」
岡野が言う。顔に、いっそ清々しい程の苦笑を浮かべ。
「若者達を蔑ろにし、誇りを棄ててまで怠けた報酬が、汚い保身では割に合わん。後で思い出したら、それだけで死にそうだ」
逃げて生きても意味は無い。かつての戦場で感じた事ではないか。
「確かに抜け殻だったな。先ほどまでの私達は」
だが今は違う。覚悟の息を吸い、無尽光を纏って岡野が叫んだ。
「一班! 残った鴉共を殲滅しろ! 二班は彼等の治療を急げ! それ以外の全団員は巨大ディアボロへ攻撃、全力で学園撃退士達を援護しろ!」
戦場に満ちる咆哮。
愁也と自警団達が地を蹴り、慌てて鎌を降る鴉人達と刃をぶつける。
「よくも、こんなになるまで」
冴弥を治療する女性団員が悲痛に言った。
「貴女みたいな子が、どうして、ここまで‥‥」
「私は、アウルを得るまで病弱で、頑張りたくとも頑張れなかった時が多かったので」
冴弥が言う。治療の感覚に、病室の景色を想いだして。
「そのせいで必要以上に頑張らせてしまった相手もいます。戦えるのは、その悔しさを知っているから‥‥でしょうか」
そう、と女性団員が微笑む。
「アタシも悔しがるべきだな。こんな若いコに、ちょっと頑張らせ過ぎたよ」
自警団達が剣を振る。鴉人の大鎌を断ち、グールバードを墜とし、鬼神の武勢で天魔を塵に還していく。
「よくもまぁ、こんなに敵を斃したねぇ」
麻夜の傍に着地し、無精ひげを生やした自警団員が声をかける。
「残ってるのは、鴉人と鴉が2匹づつ。正直、拍子抜けだ。嬢ちゃん、一体何を支えにこんなに頑張れるんだ?」
「ボクが頑張るのは」
麻夜は少しだけ考え、ふと穏やかに笑む。
「‥‥大切な人の為。生きる理由も傷つく理由も、それだけで十分でしょう?」
男は歯を剥き、ニヒルに笑む。
「いいね。恋する乙女は強いってか?」
その感想は轟音に掻き消える。聞こえず首を傾げた麻夜に、男は「何でもない」と手を振った。
麻夜と男が並ぶ。強大な敵を見据え、武器を手に。
「さぁ行こう?」
「おうよ!」
撃退士達が駆ける。残った敵は、アゴンのみ。
麻夜は気配を消して背後へ回り、アデルは翼で飛翔する。冴弥に応えた布都御魂が上空からアゴンに襲い掛かり、盛り上がった胸板を鋭く裂いた。
初の出血。
されど動じぬ惰性の獣。
「流石に強敵ですけど、引く訳にはいきません」
背後には病院。何としても勝つのだ。大木が如き馬脚に、翠月が炎を放つ。市街を七色に染める爆発が、微かに確実に、皮膚を砕く。
自らの傷を回復させ、戦線に向かう雪が、ふと、視線を上げた。
気付いたのだ。戦況を見下ろす、その存在に。
「シルバ」
廃墟と化した住宅の上に立つ悪魔に瞳を向ける。
「お前は言いましたね、私達は『敵』じゃないと」
シルバは無言。紅い瞳を真っ直ぐに見つめ。
「ならもし、私達がそれに足りうる存在になったら」
硝煙の中、雪は微笑すら浮かべ。
「――お前は、どうする?」
悪魔の瞳が反応したのを見届けて、雪は地を蹴った。
焼き付けろ。人の足掻きを。
思い知れ。人の意志の力を。
「全ての果てに、私達を認めさせてやる」
アゴンが槍を掲げる。
撃退士達の意志を押し流すかの様に帯電し、接近した二葉に狙いをつけた。
(あの技‥‥!)
雫を吹き飛ばした「滅槍」だ。避けられぬ距離に二葉が体を強張らせ、覚悟を決める。
その背後に、葛藤を爆発させた杉本が駆けた。
目を見開く二葉を押しのけ、突き出された杉本の左腕が、アゴンの滅槍を弾いて砕け散る。動揺に襲われつつも、雷を相殺した隙を逃してはならぬと二葉が跳躍。
背後を顧みず、想いを載せて。指のカーマインに全力を込め、
「やああああああああ――ッ!!」
全身全霊、薙ぎ払った。
衝撃が暴れ、惰獣の動きを麻痺させる。
「今だ! 全員でかかれ!」
愁也が叫び、撃退士達が一斉に飛び掛かった。
雫の大剣が巨人の脇腹を薙ぎ、翠月の魔法刃が脚を裂く。愁也の一撃が胴を穿ち、雪の粛清の刃が腹部を抉る。前進せんとするアゴンの首を、馬の胴体に舞い乗った麻夜が背後からワイヤーで引き絞め、抗う巨腕に、アデルが緑光の剣を突き立てた。
自警団が剣の雨を叩きこみ、人々の雄叫びが惰獣を押し返す。
時間も忘れる猛攻の果て。ついに訪れるその瞬間。
アデルが放った斬撃の後、微かな膨張を経て、アゴンの巨体が無数の灰へと爆散した。
吹き荒んだ風が雲を裂く。土煙の街に立つ撃退士達を、射し込んだ日光が温かく包む。
達成感に満ちる彼らの背後。守りきった病院が、降り注ぐ陽光を反射させた。
●
「良い気分だよ」
雪の治療を受けながら、左腕を失った杉本が清々しく笑った。
「さっきの一瞬で昔の俺に戻れた感じだ。この気分のために生きてもいいって感じがする。‥‥君達のおかげだな」
ありがとう。彼の言葉には、心から染み出た雰囲気があった。
ふと、アデルが反応する。「それ」の動きを察知し、仲間達に声をかける。
「‥‥冥魔だ」
地面にシルバが降り立つ。不機嫌そうな顔を撃退士達に向け、横たわった杉本をゆらりと指差し、悪魔は言った。
「俺は、今からその男を殺す」
感情の無い声。紅い瞳。
「黙って見てれば他は見逃す。でも、逆らうなら皆殺しにする。俺がそう言ったとしたら、お前らはどうする?」
自警団達が唾を呑む。張りつめた空気が、一瞬で広がって――。
「戦いますよ」
冴弥が言った。
不屈の意志と共に頷き、愁也も続く。
「惰性は何も生まない。それを知っているからこその『人間』だ」
「動かなければ、ただ失うだけですわ」
二葉が言い、翠月が頷く。アデルも麻夜も武器を構え、雫と雪も立ちふさがった。
自警団達も目を上げる。各々の武器を構え、悪魔を見据える。
「‥‥なるほどね」
諦めたように、悪魔は肩を竦めた。
「どこまでも面倒を惜しまないヤツらってわけだ」
翼を広げ、飛び立つ前に悪魔が言う。
「覚悟はしておきな。お前らの希望はいつか重荷になる。食われる者が最期の瞬間まで抗えるってのは、きっと地獄だぜ」
「ご安心を。ボクらは食べ物じゃないからね」
くすりと微笑んだ麻夜が、武器をシルバに向ける。
「一応確認。結局、貴方は戦うの?」
シルバが驚き、瞬きをする。空に羽ばたき、観念したように嘆息した。
「‥‥そうならないことを祈ってるよ。人間」
●悪魔達の報告会
「‥‥つまり話を纏めると」
黙るシルバを前に、道化は愉快げに、黒猫はむふむふと。
「してやられた訳ですね?」
「完敗だったのであるなー」
「‥‥お前ら‥‥」
項垂れるシルバだが、それ以上は語らない。もはや喋るのも面倒だった。
ただ、黙して、考える。人間が万が一、『敵』になった日のことを。
力を得た人間が、天使と同じような脅威になったとしたら、惰性でそれを許せぬ俺は、一体彼らをどうするか?
シルバは誰とも戦いたくない。だからこそ、人間が悪魔の脅威に成り得たその時は――。
「‥‥何を考えてんだ、俺は。柄でもねえ」
怠惰な悪魔は思考を止める。惰性に身を任せて生きるには、思考は一番の敵だった。
胸の奥の不安は、寝て流すに限るのだ。
●現実
「さて‥‥と」
翠月が猫のように背を伸ばす。
「ディアボロは倒せましたけど、いつかは悪魔とも戦わないと。先はまだまだ長いですね」
「果てしないですね。一体、何から始めたものやら」
雫が言ったのを聞き、岡野が眉を顰めた。
「何を言っているんだ。最初にやることは、分かりきっているだろう」
きょとんとする撃退士達に、岡野は愁也を指差して。
「バイクを弁償しろ。お前が投げたのは、私の愛車だ」
青く晴れ渡る空の下。からからと響くは一人の悲鳴と、闇に屈せぬ撃退士達の笑い声だった。
〈了〉