●P.M.5:23‥‥広場
「すべき事を確認しよう」
並べた皆の所持品を眺めつつ、天風 静流(
ja0373)が言った。
寝床の準備、食料の確保。下山の目処立てに、現在地の特定。
「現在地の把握といいましても、どうしたもんですかね」
地図を広げ、片瀬静子(
jb1775)が顎に手をやる。
「機械の類や磁石は使えず。天から見渡せる目がある訳でも無しに」
「あ、それは私にお任せを」
ひょいと静子の頭上から地図を覗き、加茂 忠国(
jb0835)が笑む。
「私も陰陽師の端くれです。風と空さえあれば――」
スーツの背を伸ばし、サングラスの奥から夕焼け空に目を向ける。古来よりの方位術。数秒後、忠国は地図の一点を指さした。
「現在地は此処です。それ程、山奥って訳でも無いですねぇ」
おお、と面々から歓声が漏れる。
「見事なものですね」
藪木広彦(
ja0169)が素直に感心する。一大事である遭難状態からはこれで脱した。
しかし、天魔討滅の為にも今夜は山を離れるわけにいかない。
(すなわち、テントでキャッキャウフフせざるをえない‥‥!)
忠国が拳を握りしめる。燃え滾る伊達男の浪曼、天魔の恵みで女子達と一泊だなんて!
あっと夏紀が声を洩らす。
「申し訳ありません。一応、テントを持ってきてはいたのですが‥‥」
改めて確認した所、なんと寝るスペースが4人分しか無いという。しかも数も一つだけ。
忠国が歓声を上げる。
狭いテント1つ! 男女は分けられない! ともすりゃ有りうる、少女との一夜の過――
「では、私のテントも使ってくれ」
静流が地面にテントを置く。
ですよね、と崩れる忠国を、「?」と眺める来崎 麻夜(
jb0905)の脇で、藍 星露(
ja5127)が手を上げた。
「あたし、近くに水辺を探して来るわ。魚が居れば獲ってきてもいいし」
行動力のある少女達である。静子も森を指す。
「じゃあ私は、捌きやすそうな兎あたりを捕まえてきましょうか」
ワイルドである。
広彦が頷く。
「では、男手の私は加茂君とテントの設営をしましょう」
「えっ」
気を抜いた瞬間に、女子との共同作業の機会を逃す忠国。
そんなこんなで、役割分担は終わり。
静流と麻夜が天魔探知用の罠の設置、御守 陸(
ja6074)と夏紀が周辺の警戒を担当する。
●
森に入るなり、地形把握に優れた陸は、見張りの拠点として最適な樹木に目星をつけた。軽々と枝に登り、ペアたる夏紀にすら見分けれぬほど風景に溶ける。
(夜の見張りも、ここで良さそうかな)
周囲に敵がいない事を確認し、陸は頷いた。
ふと目線を下げる。
下で待つ夏紀の表情は、やはり浮かない。刹那の逡巡の後、陸は問う。
「先輩‥‥何かあったんですか?」
●
「‥‥という事がありまして、」
事情を話し終え、夏紀が苦笑する。
「情けないことに少し落胆ぎみで‥‥って、あれ?」
枝の上に陸がいない。
と思ったら、目の前に狼マスクの顔がある。
「うわっ!?」
驚く夏紀の前で陸は拳を握りしめる。
怒っていた。努力を否定した沖村の言葉に。
「努力は‥‥」
声が震える。
「努力は無駄なんかじゃないです! 絶対に、芽は出ますっ!」
必死だった。否定される訳にはいかなかった。
アウル発現から学園編入まで、陸は両親の元、死に物狂いで射撃の腕を磨いた。努力を、してきたのだ。
「射撃訓練所なら僕もいくつか知ってます。一緒に訓練しませんか? 続けていれば絶対に成果は出ますよ!」
陸の瞳は精一杯だった。夏紀はそこに、自分に似た何かを感じる。
●P.M.5:49
陸達が戻ると、テントが出来、魚を捕りに行った静子達が帰っていた。
ふと、夏紀には広彦と忠国が、少年少女を引率する父親に見えた。
母親に当たるのは一見は静流だが、しかし、実際に既に母親であるのは星露だったりする。微妙な距離をあけワクワクと興味深そうに準備に勤しむ麻夜は、キャンプに連れて来てもらった黒毛の子犬のようだった。
家族に似ていた。
見繕った木の枝を集め、ライターを持つ陸と麻夜が焚火の準備に取り掛かる。夏紀は罠の設置を仕上げる静子を手伝う。
少し離れた木には麻夜のライトが括り付けられ、それがグールを誘導、テントへの接近を許す前に、鳴子に掛ける仕組みだった。
やがて、静子がぽつりと問う。
「何を辛気臭い顔してるんです?」
そんなに分かり易い顔だろうか。夏紀は苦笑する。
●
「そりゃあ、あなた‥‥自分に失礼ですよ」
聞いた静子が、そう言った。
「失礼、ですか?」
「ええ。あなたの最大の目標は何ですか?」
目標は何か。
戦う力をつける事だ。
それは何の為か、と訊かれれば「世界を守る為」と答えるだろう。
「ちょっとそっとの努力で辿り着けるもんじゃないんでしょう?」
手を動かしながら静子が言う。
「それなのに志半ばで糞教師の言うこと真に受けて、今までの努力を顧みないってのは、自分に失礼ってもんです」
秋風に静子の髪がそよぐ。
「だいたい、才能の無いやつが才能ある奴に勝てないんだったら、とっくに人類は天魔に滅ぼされてますよ。でも未だに滅んでないのは、皆が努力をしてるから」
静子が鳴子を結び終わる。立ち上がり、背伸びをする。
「今はちゃんと勝ててないけど、最後は勝つ。その為にするもんなんじゃないですか、努力っていうのは」
頷く夏紀を眺めながら、静子は自分を顧みる。
(私も、か)
思えば、アウルの適正を認められたのは突然だった。
流されるように学園に来て、人類を守れと言われた。でもそれは、流石に話が飛び過ぎというものだ。追いつかない頭は易々と目標なんて見つけてくれない。
道は今でも模索中。でも、いつか見つける日の為に模索だけは止めないつもりでいる。
今の為の努力じゃない。
「いつかの為の、今の努力ですから」
●
焚き火が灯る。
「静流先輩と星露先輩、料理上手いですねっ!」
陸が声を上げる。
晩御飯は焼き魚だ。さばき方なのか焼き加減なのか、静流達が調理した身は柔らかく美味だった。
「実家が料理店だから、一応ね」
と星露は胸を張り。
「まあ、一応な」
と静流はあっさりしたものだった。
「こういうのも悪くないねぇ」
麻夜が幸せそうに目を細める。記憶喪失が故に「初」のキャンプ。不測の事態でも気持ちは弾む。
「そういえば黒峰君」
ふと広彦が夏紀を見る。
「何か調子が優れないのではないですか」
また言われた。
夏紀は頭を倒し、しばし沈黙する。
「‥‥少し、相談に乗ってくださいますか?」
●
ぱちん、と焚き火が鳴る。
「ふむ」
と広彦は息をつき。
「随分と、「才能の無い」教官ですね」
声色は穏やかだ。しかし、人を攻撃するような発言をする彼を夏紀は初めて見た。
「手元に拳銃一丁しかない時に強大な天魔が現れても、我々は拳銃一丁で生きる方法を探すでしょう」
広彦が言う。
「強力な武器や才能が無くても、無いなりの戦い方ができる、その知恵こそが最大の武器ですよ。無い物ねだりは非生産的です。「才能」ではなく「行動」を、苦しむ人々は待っているのですから」
行うは、現状でのベストパフォーマンス。それは広彦の基本スタンスでもある。
「無いなりの戦い方‥‥」
呟く夏紀に、「気分転換を」と広彦はおにぎりを渡す。自身もおにぎりを頬張る広彦に頭を下げ、夏紀は一口、それを食べた。
「‥‥っ! ぶっ!?」
とたんに咽る。
広彦が手渡したのは「悪魔のおにぎり」。口に入れたが最後、悪魔的辛さで舌を焼くと噂の一品だ。
「身も心も温まったでしょう、黒峰撃退士」
藪木教官の言葉。涙を滲ませ目を白黒させる夏紀に、広彦は瞳にほんの微かな笑みを湛える。
(‥‥気分転換、か)
夏紀は口元を拭いつつ、焚火を見つめる。
広彦が「撃退士」と呼んでくれた事も、彼女に行動の意欲を取り戻させつつあった。
●深夜
暗い森。
青みがかる闇の中を、一点の光を目指して「彼」は往く。絶え間ない唸り声を洩らし、黄色い歯を覗かせて、襤褸布を引き摺りながら彷徨い進む。
「夜の一人歩きは危ないよー?」
振り向いた「彼」の胸を、背後から三ツ爪が刺し貫いた。
森に揺蕩う月光の粒子が、グールの背後をとった麻夜の透き通る肌を撫でる。
「闇は、夜に還るといいよ」
少女が天魔を屠る音は、猟犬が獲物を喰(は)む音に似た。
「調子悪そうだねぇ。どうしたの?」
得物を仕舞いながら、麻夜が夏紀に首を傾げる。
時刻は深夜2時。定めたローテーションに従って、二人は森を巡回していた。
「才ある者、ね」
と聞いた黒衣の少女は顎に指を当て。
「少数精鋭で勝ち取れるのは局所的な戦果だけなのに」
大規模作戦の例を見ても、天魔との戦争において少数での勝利は有り得ない。
天才という少数に拘る沖村の方針には、理屈として決定的な欠点が見える。
「片瀬撃退士も仰っておりました」
夏紀が言う。
「天魔に人間が負けていないのは、皆が努力をしているからで、努力は最後に勝つ為にする物だと」
勝つ、か。
麻夜は言葉を味わい、愉快に思う。
「ふふっ、努力で才ある者を追い抜くのも一興だね」
長い髪を揺らし、腰を折って夏紀を見上げる。月明かりに湿る仄闇の中で、少女は微笑んだ。
「いつかその先生を見返してあげようか」
●
満天の星空だ。
森からは動物の声が聞こえる。
焚き火は燃え続けた。
●
「加茂さん、寝なくて大丈夫ー?」
麻夜達が戻った時、忠国は自身の休憩時間を返上し、見張りの静流・星露と共に居た。
「だってテントには濃い男と狼少年しかいないんですもん。女の子とお喋りしてた方が素敵じゃないですか!」
夏紀と麻夜は広彦と陸の顔を思い浮かべる。というか、陸は抜かりなくあの恰好で休んだのか。
ずっと緊張してても疲れます、トランプでもどうです? と誘う忠国を、ぱぁっと目を輝かせた麻夜はテントにつっこみ、依頼中だよ、と星露が止めた。
そして、広彦と忠国が見張りの時間。
「ふぅん。夏紀ちゃんも苦労してるんですねぇ」
寝る前の夏紀に相談され、忠国が呟く。
「沖村さんについては、言葉を額面通りに受け取らない方が良いと思いますよ」
焚き火が忠国の横顔を照らす。
「好きの反対は無関心、とは良く言ったものです。本当に興味がないなら声なんて掛けません。瞳にも写しませんし、邪魔と知覚する事自体ありません」
忠国は目蓋を下ろす。
「いないのと同じなんです。私がそうでしたから、よく分かる」
「え‥‥」
目線を上げる夏紀。忠国は口角を上げ、また例の芝居がかった口調で言う。
「沖村さんは最後、貴女に体を気遣う言葉をかけたのでしょう? 貴女が向けられたのは「無関心」じゃ無いんです」
言葉に棘あれど、歩む道は同じ。
「『月が綺麗ですね』。そんな言葉と同じですよ、きっとね」
ぱちん、と焚火が鳴る。
夜空の月は、森の端に沈みかける。
●
「才能、か」
月明かりが染み込むテントの中。夏紀の話を受け、静流が呟く。
夏紀と星露と静流は仰向けに寝ている。脇では寝袋にくるまった麻夜が寝息を立てていた。
静流が続ける。
「世の中は平等では無いしね。持つ者も持たざる者もいる。その事に打ちのめされる者もいれば、努力で差を埋める者もいる。結局は自分次第なのだろう。誰が何を言おうと、最後に決めるのは自分だ」
「静流さんも考える事あるの?」
テントの天井を見つめ、星露が呟く。
「自分と才能の関係について」
「あまり無いな」
静流は同じく仄闇に瞳を向ける。
「経験を積んだ分、強くはなれたかもしれないが、上には上がいる。その差の原因が才能なのか否かは分からない。これもまた、自分で判断するしかないのだろうな」
最後に決めるのは自分、か。
呟く夏紀の隣で、星露が後頭部に腕を組む。
「うーん。あたしが言える事はあんまりないかなぁ」
此処で何を言っても、沖村を変えることは出来ないし。
「でも、一つだけ」
仄闇の中、夏紀に身を向けた星露が指を立てる。
温かみを込めて、頬に微笑を浮かべる。
「『撃退士の才能』は、沖村先生の主張するものだけじゃないってこと」
夏紀の瞳を、真っ直ぐ見つめて。
「黒峰さんは黒峰さんなりの『才能』を見付ければ良いと思うな」
自分なりの才能。
夏紀の中で、この一晩に貰った言葉が一気に巡る。
胸に染みて、何かが動いた。
「そろそろ休もう」
背伸びをした静流が、心地よさそうに息を吐いて言う。
「朝も近い。天魔が出た時に寝不足では良くないからね」
星露と夏紀が同意する。静寂の中、目蓋を下ろす。
おやすみと言い合って眠りに落ちる。その、直前。
「ありがとうございました」
夏紀が呟いた。
●
喧しく罠が鳴ったのは、この数分後だった。
●
「敵の種類は?」
「鴉です!」
腰を上げた忠国に、鳴子の紐を掴んだ静子が叫ぶ。無線はUFO天魔の電撃で壊れ、仲間との連絡は巡回役がするしかなかった。
「‥‥来ますね」
広彦がアサルトライフルを具現化させる。
夜空に響く鳴き声。
木葉の煙を突き破るかのような勢いで、追われる陸と、濡羽色の大鴉が森から飛び出した。
「くっ‥‥」
陸が咄嗟に体を捻る。銃で天魔を狙う、が。
急降下した巨大な嘴に胸を薙がれ、小さな体が地に叩きつけられる。
止まらぬ大鴉は風圧で草々を削り、一直線に広場を飛翔する。
「避けて!」
忠国の忠告。星露と麻夜が脇に跳んだ直後、無人となったテントを嘴が砕く。
吹き飛ぶ布と鉄棒。暴風の中。子鬼が手繰る鴉の先には、体勢を崩した静流がいる。
広彦が銃を向ける。が、僅かながら決定的に、弾丸を撃ち込むに距離が足りない。
瞳を細める静流。
広彦が土を踏む。その、背後で。
構えられる陸のスナイパーライフル。
金色の瞳で狙う。夜目で闇を無効化して彼は引き金を引く。
「努力は――無駄なんかじゃない!」
空を裂く発砲音。大気を穿って飛んだ弾丸が、大鴉の翼の付け根を撃ち抜いた。
体勢を崩す大鴉。前方で、静流が戦槍を構える。
交錯の刹那、瞬いた蒼白閃光の一撃が天魔の頭を薙いだ。
「ノコノコ降りてくるからですよ」
地面にバウンドした鴉を、静子と星露が打ち砕く。
勝負は一瞬だった。
地に転がり、奇襲の失敗を悟った鴉の騎手は奇声を上げる。逃げ出す鬼。その脚を、しかと狙って夏紀が撃つ。
転ぶ子鬼。麻夜は静かに手を向けて。
「‥‥行っておいで。『ユウヤ』」
振り向く鬼の瞳は、剥かれた黒犬の牙を最期に映した。
天魔の討伐は完了し、陽光が差す。
森に満ちていた闇が緑白色の靄に変わる。撃退士達は景色に瞳を細め、しばしの静寂の後に忠国が呟いた。
「朝、ですねぇ」
●
「二人とも、良い射撃でしたね」
陸と夏紀に広彦が言った。臨時野営の撤収中のことだ。
垣間見えた努力の結果。陸と夏紀は互いを見やる。
「当然であります」
あの時は呑み込んだ言葉。今度は胸を張って言おう。
「努力は無駄ではありません」
撃退士達は帰途につく。
思いもかけず、いい夜だった。
〈了〉