.


マスター:水谷文史
シナリオ形態:ショート
難易度:難しい
形態:
参加人数:8人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2012/11/30


みんなの思い出



オープニング

●常闇の淵

 部屋の中に満ちているのは、どこまでも静かな仄闇だ。

 鎮座するソファの前に向き合うように、一人の女性が立っている。
 流れるような金髪に、凛々しく整った顔立ち。はっとするような美女だが、されど彼女は人間では無い。

「‥‥四国、ねえ」

 軍服悪魔レディ・ジャムの眼前で、寝起きの男が気だるげな声を上げる。
 叩き起こされた姿勢のまま。ソファに身を埋めた彼の姿には、やる気と云うものが見られない。
「返事はどうした、シルバ。調査に行くのか。行かないのか」
 アイスブルーの瞳に苛立ちを募らせつつ、ジャムは猶も冷静に男の反応を待つ。
 どっこいしょ、と身を起こす男性悪魔。民族調の簡易なロングコートの裾が揺れる。
「‥‥何で、俺なわけ」
 寝癖のついた黒髪を掻きながら、悪魔シルバがそう言った。
「他に、もっと優秀な奴がいくらでもいるだろ。なんで、わざわざ俺なんだ」
「勘違いするな。別に、お前が選別された訳では無い」
 気だるげな紅い瞳を向けるシルバに、ジャムは腕を組んで言う。
「片端からだ。既に数名の悪魔が四国の調査に向かっている。帰還報告はまだだが、事態はとっくに動いているぞ。‥‥お前の所にも情報は回した筈だ。聞いていなかったのか?」
「聞いてるわけないね」
 シルバはあくびをする。
「寝てたんだから」
 ジャムは、胸の奥から深い溜め息を吐いた。
 ――悪魔シルバは、こういう男だ。
 動かず。戦わず。興味を持たず。不老にかまけて、ゲートで惰眠を貪るだけ。
 あの道化や化け猫と同様に、悪癖を持つが、されど実力者だ。
 全く、どいつもこいつも‥‥。
「‥‥今すぐ支度をしろ。さもなければ、今度は天使を狩りに行かせるからな」
 ぴくり、と眉間を動かすシルバ。
 ジャムは構わず金髪を翻し、ロングブーツを鳴らして歩き出す。
 深淵の淵へ。
 遠ざかっていく、彼女の背中に。
「つーかさぁ」
 シルバが声を投げた。
「冥魔陣営の敵は、あくまで天使だろ。人間なんていう、現地の『資源』相手に、冥魔は何をそんなにムキになってんだ」
 コツ、と、ジャムが足を止める。
 瞳を細めて振り向いた彼女に、猫背に座ったままシルバは続ける。
「俺は正直、天使との戦争にもウンザリなんだ。それがこの上、食料でしかねぇような奴らの相手しろだなんて、勘弁して欲しいね。それ相応の戦力が、奴らにあるのか?」
 ――‥‥そうか。
 ジャムは理解した。
 思えばシルバは、魔界から来たばかりなのだ。

 ――こいつは、今の撃退士を知らないのか。

「戦力というものは、」
 そう言って、ジャムは軍服の肩を下げる。
「相手を知ってこそ、‥‥だそうだぞ。どこかのふざけた悪魔が、そうほざいていた」
 脳裏をよぎる忌々しいマッド・ザ・クラウン(jz0145)の像を払いつつ、美しき女軍人はシルバを見据える。
「誰かから話を聞いた所で、人間どもを理解は出来まい」
 ふっと艶やかな唇の端を上げ。
「気になるのなら、自身で行って確かめてくることだな」
 眉間に皺を寄せるシルバ。揺るがないジャムの蒼き瞳。
 闇の中に満ちる静寂。
 そして。
「‥‥四国に行った悪魔ってのは、どうせ、あのピエロか、猫か、その辺だろ」
 溜息をついて、シルバが言った。
「そいつらが帰ってきたら、嫌味たっぷりに伝えてくれ」
 コツ、とブーツで立ち上がり。

「『食べ物で遊んでる暇があったら、俺の分も働いてくれ』、ってな」

 何時の間にか、腰には剣。
 寝癖のあった黒髪も、肩まで整い流れている。
「‥‥行ってくる」
 紅い瞳を闇に向け、シルバが言う。
「さぼりすぎて天使とバトらされても、堪んねぇからな」
 ポケットに両手を突っ込んで、足を踏み出した。


●久遠ヶ原学園・依頼斡旋所
「襲撃されているのは、四国の、とある町です」
 資料を配布した後、斡旋所の少年が落ち着かぬ調子で言った。
「現時点で、その町の住民24名から『イヌの怪物の群れが出た』『家族を攫われた』との通報が入っています。予想される戦場、そしてディアボロの詳細情報は資料をご参照願います。依頼をお受けになる方は、現場に急行し、敵の排除と人々の救助を行ってください」
 そう言って、彼は頬に汗を伝わらせる。
「‥‥重要なのは、ここからです」
 少年は唾を呑み込み。
「今回の現場には、」
 声を震わせて。

「悪魔が、来ています」


●襲撃の数分前 -四国某所-

 厚く連なる暗雲が、不吉に蜷局を巻く大蛇のようだった。

 吹き荒ぶ風の中。
 天界の主力級ゲートの気配を疎むようにコートを押えながら、悪魔シルバは大気に目を細める。
「‥‥ここ、『ツインバベル』に近いんだな」
 息を吐いて、眉間に皺を寄せる。
 すぐ傍に強大な力を持つ天使勢がひしめいているかと思うと、ますますもって帰りたくなった。

 ――戦いが、嫌いだ。

 力ならある。
 恐怖はない。
 戦える自覚も、そこそこある。
 それでも相手が強ければ、相手も自分も傷を負うのだ。シルバはその常識の虚しさを、経験から知っていた。
 何十年。何百年。
 何千、何万という月日の経験から。
「‥‥明らかに弱い相手となら、戦わなくても済むわけだ」
 戦争の主体は、天使と悪魔。
 そこに割り込む脆弱な『資源』の存在は、彼には何とも不自然に映る。
 今。
 シルバの紅い瞳の前には、街がある。
 夜の闇の中。煌々と明かりを灯す、人の街が。
「‥‥さてと」
 小高い丘の上。
 気だるげに口を開き、悪魔は眷属に指令を下す。
「適当に人間を狩ってこい。何人か殺して、あとは生け捕りだ。ディアボロの材料にでもすりゃ、仕事をしたことにはなるだろ」
 戦いにすらならない、惰性の狩り。
 彼の口にする『人間』という言葉に、対等の知的存在としての意味は無い。
「‥‥今晩のメシは、そいつらの魂だ。お前らも、しっかり食っとけよ」
 人間と悪魔。
 二つの存在。
 彼にとって其処にあるのは、野菜と農夫の関係だけだった。



リプレイ本文



 眼下の街で悲鳴が響く。

 小高い丘の上。悪魔は寝そべって欠伸をする。
「‥‥平和なもんだ」
 ここに悪魔の『敵』はいない。『戦い』も無い。『誰』も傷つかない。
 人間の悲鳴だけが、永遠に続く。

 これ以上の平和が、何処にある?


●惰性


 住宅街。橙を灯す民家の狭間を人々が曳き摺られていく。

 暗いアスファルトの上。腐乱した猟犬に吠えられる少年が、別の犬に曳き摺られる母に手を伸ばした。
 母も必死に抵抗しているが、その腕は犬の首をすり抜け空を掴むだけだ。
「嫌だぁぁ‥‥! お母ざぁああん‥‥!」
 少年の腕に犬の牙が迫る。
 瞬間。
 弦の返る音。血飛沫。潰れる死体。天魔を貫通した光の矢が、輝きながら消滅する。
「あ‥‥」
 少年が、涙に濡れた目を上げる。民家の上に立つ、梓弓を構えた神城 朔耶(ja5843)。
 騒然。仲間を滅した一撃に、群れていた3体のグールドッグが騒ぎ出す。
「――何処を見ている?」
 犬の隣で声。無音にて接近したサガ=リーヴァレスト(jb0805)が、腕にアウルを纏わせる。
「お前達の相手は此方だ!」
 放たれたダークブロウを、2匹の犬が跳ねて回避する。残光の中、追って踏み込む大澤 秀虎(ja0206)。
 気合の声。振り下ろす太刀でグールドッグを薙ぐ。散った紅に歯を覗かせ。彼には、この危険な状況が愉しくて仕方が無い。
「さあ、早く住人を救い出さんとな」
 言いつつ、秀虎にとってそれは二の次だ。
 天魔が吠える。
 手負いの個体と、もう一匹が、秀虎に飛びかかる。襲い来る爪を太刀でいなし、首を狙う牙を左腕で受け止めた。サガも、天魔を引き付ける。
「‥‥というわけで、こっちにはグール犬しかいないよ」
 危機に瀕していた親子を救出し、嵯峨野 楓(ja8257) がハンズフリーにしたスマートフォンに言った。
「うん‥‥分かった。こっちが片付いたら向かうね」
 楓が腕を振る。迸った火炎が、夜の路地を照らして手負いのグール犬を焼却する。
 息をつく。胸にざわつく予感に、目を細める。
(‥‥面倒臭いなぁ)
 こんなに風が強い夜。
 こんなに、危なっかしい街。
「仕事じゃなかったら、絶対来ない」
 秀虎に飛び掛かったグール犬が、突き出された太刀に口腔を貫かれて息絶えた。
 これで3匹目。残るは1匹。敵はもう、何秒も持たないだろう。
 重々しい風に袴と黒髪を靡かせながら朔耶が言う。
「急ぎましょう。‥‥嫌な予感がするのですよ」






 ――悲鳴が止んだ。






 地面を抉って疾駆する猟犬が、咆哮と共に牙を剥く。

 狙われた佐藤 としお(ja2489)の前に、夏野 雪(ja6883)が滑り込む。円盾を構えるも、猟犬は賢しく爪を突き出した。
「ぐ‥‥っ」
 上級ディアボロの一撃。腕に齎される激痛に耐え、雪は敵を睨む。
「‥‥好きにはさせない!」
 突き放つ銀刃。後ろに跳んで躱すハウンドに、間髪いれずに火球が飛来した。
「躾のなっていない犬さんは嫌いです」
 ハートファシア(ja7617)のフレイムシュートが猟犬を捉える。業火に包まれたハウンドを、翡翠 龍斗(ja7594)が狙撃銃で狙う。
 その時だ。龍斗の視界の外で、もう一体の猟犬が遠吠する。
「‥‥! ちっ――」
 強制的に集中力が刈られ、龍斗の放った弾丸は燃える猟犬を掠める。炎から脱したハウンドが、天に噛み付くが如く獅子吼(ししく)した。

 ――公園にいたのは3体の天魔だ。
 敵の目的の要たる大蛙。としおの銃撃を一度受けて猶、皮膚にろくな損傷も無いまま公園の奥にいる。
 その脇に控える無傷のヘルハウンド。そして、前線にてすっかり戦闘態勢をとる、僅かな火傷を負う猟犬。
 無慈悲に堅い、トードの守護。でも。
「一人でも多くの人を助けるんだ」
 やるしかないのだと、としおは照準を覗く。
「もう一発!」
 逃走を阻止するべくトードの右足を狙うも、大蛙は足を持ち上げて弾丸を避ける。
 猟犬が迫る。攻撃の目標は、やはりトードを狙う者だ。胸を裂かんとするしなやかな前肢を、間一髪、としおは身を倒して躱す。
 蛙の傍に控えていた2匹目のハウンドが龍斗に駆けた。地を跳ね、噛み付かんとする、その牙に。
「私を見ろ!」
 雪が駆け込む。
「この盾、砕いてみるがいい!」
 今度こそシールドで受け止める。反撃で雪が振った刃を、跳ねて躱す地獄の猟犬。少女を映す天魔の視界に、かちり、と龍斗の銃口が割り込む。
 銃声。
 空中の猟犬の肩に弾丸が埋まる。されど動じぬ地獄の犬は、着地し、態勢を立て直し、跳びかかる。
「寒いでしょう? 少し温めて差し上げます」
 その背後で、ハートファシアが手を向けた。
「‥‥直火で宜しければ、どうぞ」
 撃ち放たれた焔の塊が空中の猟犬を喰らう。爆発が照らす公園の景色の中に、としおは見る。

 トードが、後退を始めるのを。

「‥‥まずい!」
 逃げる気だ。そうはさせるか。前進し放つ弾丸が、一直線に大蛙の足の肉を散らす。効いている。
「よしっ‥‥このまま――」
 笑み、引き金に力を込めたとしおの背後で、ハウンドが跳躍する。
 無防備な彼の肩口へ。
 振り向いた時には遅く、並んだ凶悪な牙が肉を突き破った。





 めきり、と音が鳴ったのは一瞬で。次の瞬間に、猟犬はとしおの肩の肉を食いちぎっていた。
「ぐ‥‥ああああぁぁッ!!」
 溢れる血を手で押さえ、としおが膝をつく。事態を悟った龍斗が眼前の少女を呼ぶ。
「雪! 此方は任せろ。としおの回復に向かってくれ」
「しかし――」
 彼らの前にも、圧倒的戦力を有するハウンドがいるのだ。
「俺なら心配無い」
 龍斗は笑み。
「さあ、行け!」
 雪が駆ける。直後、龍斗の体を敵の爪が縦一閃に裂いた。散る鮮血と、千切れる髪留め。
 乱れた緑髪の奥で龍斗は笑みを漏らす。違和感を覚えるハウンド。その毛並みに、翻った戦斧が叩き込まれる。
「――俺が修羅たる所以、教えてやる」
 血を零して飛び退いたハウンドは、短く唸ると、突如、身を反転させた。
 別所。
 逃げるトードを追い駆けたハートファシアが、遂に、敵を攻撃の射程に捉えた。
「お腹一杯食べ過ぎたようですね」
 敵は遅い。黒曜護符を構えて、『異界の呼び手』を活性化。腕を構え、後は発するだけとなり、彼女は失念していた。

 天魔の収穫籠を一人で狙うという事が、一体何を意味するのかを。

 背後から飛びかかった猟犬がハートファシアの細身に喰らいつく。
 バランスを崩した少女は地面に衝突し、牙に削られる。
 血。血。血。符を握ったままの手が、力を失って地に落ちた。
「ハートファシア!」
 龍斗が叫び、狙撃銃を具現化する。狙う時間ももどかしく、少女に被さる天魔に銃弾を撃つ。
 弾丸を頭部に受け、遂に一体の猟犬が事切れる。だが、トードは無傷。鈍重に歩を進め、公園の逆の端まで辿り着く。その、背に。

 震えつつ。血沼から伸びるハートファシアの手。

「残念でしたね」
 無数に伸びた手が大蛙の巨体を縛る。大蛙の逃走は阻まれた。
 トードが首を回す。眼球で瀕死の少女を見ると、ぼっと突き出した舌を彼女の腹に叩き込んだ。
「‥‥っ」
 肺から奪い尽くされる空気。今度こそ、少女の意識が消えた。
 やっと得た成果。
 だが。
 回復し、やっと立ち上がるとしおの前で、猟犬の猛攻に雪が消耗する。強力な猟犬2体の相手に、元より人数が足りなかった。
 雪の粛清の刃を躱し、猶も猟犬の勢いは止まず。大蛙も、今に動き始めるだろう。
「くっ――」
 としおが銃を構える、その瞬間。


 電撃が猟犬を打った。


 面食らった猟犬が唸る。体に纏わり付く電流に動きが止まる。
 さらに二つの影が駆けた。
 翻った直剣と、大太刀。ヘルハウンドの首に、閃光が交差する。
 一瞬の静寂の後。天魔の首が、ずるりと落ちた。
 崩れる巨体。脇に立つは、黒髪を靡かせるサガと、太刀を担ぐ秀虎だ。
「遅くなってごめんね」
 傷だらけのとしおと雪の背後から現れる楓と朔耶。
「よく耐えて下さりました」
 朔耶の言葉に、としおの顔が色を取り戻す。雪の胸にも、染み渡る安堵。
 合流。
 仲間の存在は、こんなにも心強い。
 朔耶が弓を引き絞る。撃退士達が、最後の敵を見据える。
「捕らえられている方達を、救出しましょう!」
 縮地を使用した秀虎が地を蹴った。
 飛翔した光の矢に、大蛙の右足が遂に砕け散る。秀虎がトードの頭部に狙いを定める。
 その眼前で、地面を、ブーツが踏む。
「なに?」
 秀虎が目を上げる。眼前に立つは長身の男。
 現れた瞬間は見えなかった。
 何処から来たかも分からない。
 ロングコートが風に靡く。腰で揺れる、刀の鞘。
「‥‥面倒気も無く、よく頑張るもんだ」
 蝙蝠の翼を畳み、悪魔が気だるげに嘆息した。





 トードの撃破は最後でいいと考えていた。
 救助後の人々の危険を排除するのが先決。悪魔からは、逃走の策のみを考えた。

 ――悪魔襲来時にトードが生きている事など想定していなかった。

 固まる撃退士達。脳裏に巡るのは、最も恐ろしく、悲惨な結末。
 何秒間の沈黙だったろう。
「天使陣営が近くにいるのに、仕事熱心ですね」
 少女の声に全員が、はっとする。意識の戻ったハートファシアが悪魔に呟いた。
「‥‥悪魔にもいろいろ事情があってね」
 男が言う。
「まぁそれでも、お前らみたいな『資源』の収穫に勤しんでれば良い分、俺は楽な方だ」
 会話の内容は、何でも良い。それより判明した重要な一点。
 この悪魔、会話の余地がある。
「分かりますね、それ」
 楓が肩を竦める。
「こんな所、仕事じゃなかったら絶対来ないです」
「全くだ」
「‥‥ここは見逃してくれません?」
「いいぜ」
 あっさり言った悪魔に、楓は瞬きをする。
「面倒を嫌う姿勢は俺も好きだよ。人間はもう、たんまり獲ったしな。逃げるなら、見逃すぜ」
 頭を殴られた感覚。
 つまり、状況はこうなのだ。

 蛙が呑んだ人々を見捨てれば、自分達は逃げられる。

 悪魔が蛙に歩き出す。楓達は動けない。
 鼓動が高まる。思考が、めまぐるしく回転する。人々を助けなくては、敵は悪魔だ、勝てる訳が無い、しかし、でも。
 サガが、龍斗の様子に気付く。拳を握り、一点を見つめ、何かを決心をしたような彼の瞳。

「‥‥ん?」
 歩を進めていた悪魔が紅い瞳を上げる。
「‥‥何してんだ」
 龍斗が大蛙に向けて駆けていた。そして、眼前には楓と、朔耶と、秀虎が並ぶ。
 ――チャンスは一度きり。
 時間を稼ぐのだ。敵の『資源』に対する油断、その隙を突いて。
「‥‥人間にも、いろいろ事情がありまして」
 楓が肩を竦め手を向ける。
「立場上、抗わなきゃいけないのです」
 目つきが変わる。楓が放つ糸と、朔耶の審判の鎖。完全に油断をしていた悪魔は体を締め付けられ、眉を顰めた。
 秀虎が大太刀を振る。
 悪魔は腕を上げ、受ける。
「少しぐらい遊んで行ったらどうだ? 眷属を殺されたんだ」
 笑う秀虎。太刀を止めた腕が、そのまま押し込まれる。悪魔は舌打ちをし、腕を振り、刃を弾いて体勢を戻す。
「‥‥お前ら、本当に人間かよ?」
 声色だけで苦笑する。瞳と表情は、笑っていない。
 もう一人。盾を構えた雪が悪魔と蛙の間に割り込む。その体を『祝福』の光が包む。
 悪魔が嘆息し、髪を掻き、右手を剣の柄にやる。
「‥‥見逃すっつってんだぜ?」
 鎖と糸を千切って嘯く悪魔。敵は強大。それでも――数秒でいい。人々を救出する時間を稼ぐのだ。
「驕るな、冥魔」
 雪が地面を蹴る。悪魔が剣を抜いた。通常なら、到底通らない人の刃。
 銃声。
 としおが放った銃弾が、躱した悪魔に隙を生んだ。舌打ち。決定的な一瞬。雪は逃さず懐に入る。
 その瞳に、一瞬の無防備になった敵を捉え。
「知れ! 人の意思の力を!!」

 悪魔の喉元に、粛清の刃を突き出した。

 悪魔は紅い瞳を細め、一歩、脇に足を踏む。
 雪が目を見開く。武器が空を突く。がら空きになった、雪の肩口に。
「じゃあな」
 悪魔が剣を振る。雪が盾を動かす。防御は、間に合わない。
(――龍斗さま)
 蛙を振り向こうと揺れる瞳。何かを言う、唇。
 悪魔の剣が、雪の体を背の大盾ごと薙ぎ飛ばした。





「‥‥本当に人間かと、訊きましたね」
 悪魔の足許。血に伏した雪を抱いて、朔耶が言う。
「その通りですよ。私達は人間。天魔の家畜ではなく、人間なのです」
 悪魔は興味も無さそうに、蛙に向かって歩き出す。
「悪いな」
 温度無き声。
「人間が家畜かどうかを決めるのは、お前らじゃねえよ」
 ‥‥抗われた瞬間。悪魔は一瞬だけ、「もしや」と思った。
 もしや人間は、俺の『 』なのではないかと。
 剣を振ってみた。するとどうだ。力ある個体さえ、一薙ぎで死んだ。
 鞘に収める剣。安心と失望と共に。
(‥‥どうだよ、ジャム)
「所詮、悪魔の戦う相手じゃねえんだよ」
 瞬間だ。
 足に衝撃を感じ、悪魔が眉を動かす。


 足首を雪が掴んでいた。


(嘘だろ)
 紅い瞳が硬直する。
「‥‥名を‥‥名乗れ」
 血溜りの中から少女が唸る。
「私は‥‥夏野 雪‥‥。私は‥‥‥‥私達、『人間』は――」
 悪魔のコートを、震える血濡れの指で掴んで言う。

「――お前の、『敵』だ」

 悪魔が剣を握る。それと同時。
 トードが叫んだ。
 巨体で悶え、大量の粘液と共に3人の人間を吐き出す。
 地面に落ちたのは、2人の幼い子供と龍斗だ。撃退士達の最後の策。体内からのスキル直撃を受けた大蛙が、異物を吐いて力尽きた。
 龍斗が顔を上げる。外の世界。戦況に目を向け、目を剥く。血塗れの恋人と、その傍に立つ悪魔に。


 咆哮。


 黄龍の光纏と共に疾走する。剣を抜く悪魔に、戦斧を振りかぶる。
 地を蹴る音。飛び掛かったサガが、龍斗を押し倒した。
「! 離せッ!!」
 暴れ狂う、修羅の男に。
「戦って勝てる相手じゃない!!」
 胸ぐらを掴んで、サガが叫んだ。辛く細められる紫瞳。喉を裂くような静止の声。
「無駄死にになる。‥‥今は、退くんだ」
 沈黙と慟哭が満ちる空間。
 悪魔が横切る。人を詰めた肉袋と化した大蛙の死骸を掴み、空に舞う。
「‥‥訊かれたから名乗る。俺の名前は、シルバだ」
 どこか悲痛な瞳で撃退士達を眺め、去り際、悪魔は最後に唸った。
「人間が‥‥、悪魔の『敵』であって堪るかよ」




 生徒達は学園に帰ってきた。
 眷属の殲滅と、「可能な限り」の人命救助。依頼の目標は達成された。
 皆が褒めた。悪魔を前に良く帰った。無事で何よりだと。
 医務室。仲間の回復を待ちながら、朔耶の表情は暗かった。
 想うのは公園での最後の一幕。助け出せた2人の子供、としおが少年を抱き上げる脇で、朔耶は幼い少女を介抱した。
 少女は薄く目を開けた。
 濡れたおさげを揺らし、何かを探すように、力なく周囲を見回して。
 そして言ったのだ。震える口で。
『‥‥おとうさん、は?』
 朔耶は、音が鳴る程に拳を握る。人間は悪魔の家畜などではない、長く続き過ぎた天魔の惰性を、「人間」として断つのだと、心に誓う。
「‥‥必ず、一矢報いてみせます」


 いつか、必ず。


〈了〉


依頼結果

依頼成功度:普通
MVP: 心の盾は砕けない・翡翠 雪(ja6883)
 盾と歩む修羅・翡翠 龍斗(ja7594)
重体: −
面白かった!:8人

剣鬼・
大澤 秀虎(ja0206)

大学部6年143組 男 阿修羅
ラーメン王・
佐藤 としお(ja2489)

卒業 男 インフィルトレイター
夜を見通す心の眼・
神城 朔耶(ja5843)

大学部2年72組 女 アストラルヴァンガード
心の盾は砕けない・
翡翠 雪(ja6883)

卒業 女 アストラルヴァンガード
盾と歩む修羅・
翡翠 龍斗(ja7594)

卒業 男 阿修羅
魔女の瞳・
ハートファシア(ja7617)

大学部2年7組 女 ダアト
怠惰なるデート・
嵯峨野 楓(ja8257)

大学部6年261組 女 陰陽師
影に潜みて・
サガ=リーヴァレスト(jb0805)

卒業 男 ナイトウォーカー