●夕焼け
どうすればいいのか、分からなくて。
辛くて、悩んで、訴えて。
それでも誰にも解ってもらえないというのは、
痛くて哀しくて。
虚しいです。
「急ぎましょう」
エヴェリーン・フォングラネルト(
ja1165)が目を上げる。
大切な事を、手遅れにしないために。
8人の撃退士が、夕刻の動物園の門を潜った。
●
建物の陰に、お母さん達は居た。
悲鳴を呑んで、私を見る。
――私は、悪くないのに。
まるで、■■でも見るみたい。
風が吹く。
目を細め開けると、両親を庇うように赤髪の女の人が立っていた。
誰、と訊く。その人は澄んだ瞳を上げる。
「久遠ヶ原学園高等部1年、一条 朝陽(
jb0294)」
薙刀を下段に構えて名乗る。
「撃退士だよ。祈穂ちゃん」
――撃退士。
怪物を狩る、凄い人達。
ああ、と漏れた自分の声が、信じられない程に渇いていた。
――終わりだ。
目に滲む涙を感じながら、悟る。
撃退士が来た。
此処にいる怪物を刈る為に。
――親を裂こうとした『怪物』は、彼らに罰されて死ぬのだろう。
●
「治安当局への連絡は済んでいます」
夫妻と連絡を取り、仲間の誘導を終えた只野黒子(
ja0049)が、携帯を仕舞いながら高峰 彩香(
ja5000)にそう言った。
「私達が現場を処理します。高峰嬢はその隙に古谷夫妻を連れて、本園西門まで避難させてください」
「了解」
2人が頷く。その先で。
「いや」
祈穂が頭を抱えた。
「いやだぁぁああああああああああ!!」
懸念、焦燥、自責。現実の全てを拒絶する絶叫。
「念の為に訊くが、作戦に変更は無しでいいんだな」
黒焔に軋る祈穂の鎌を見ながら、巌瀬 紘司(
ja0207)がヒヒイロカネに指をやる。
エヴェリーンが頷く。
「祈穂さんは絶対に傷つけません」
紫の瞳で祈穂を見つめ。
「無傷で帰せるよう、私が説得します」
難しさは覚悟の上。夕陽を映す彼女の瞳には、されど希望が灯る。
フードを風に靡かせながら、麻生 遊夜(
ja1838)が口角を上げる。
「‥‥OK。そんじゃ俺達は、」
視界の隅に現れた異形、ヒドラと血鋏兎に、銃を向け。
「場違いさんの排除と参りますかぁ!」
光纏の音が、轟いた。
●
「布石を一つ!」
遊夜の放つ弾丸が、ヒドラの白濁色の体に蕾の紋様を刻む。
装甲を蝕む呪いを残し、彼は担当である血鋏兎の元へ急いだ。
前方から駆けて来る黒子。その、すれ違いざまに。
「兎のカオスレートは−1です」
「ヒドラの装甲、腐れ堕ちるようにしたぜよ」
情報共有。通知&スルー。頷き合って、土を蹴った。
地を割る勢いで放たれたヒドラの触手を、アデル・シルフィード(
jb1802)は銀髪を靡かせ回避する。
蒼き瞳で敵の動きを追いながら、やはり想うは古谷夫妻の事。
自ら危険を顧みもせず、望むのは勝手な庇護ばかり。
「挙句の果てには求めた救いに裏切られる‥‥滑稽な」
天賦の才を持って猶、無限の向上の中を生きるアデル。彼にとって、理想を語るだけの夫妻は、戯言を弄する弱者でしかない。
一方で――。
思考を断つように振られた触手を、彼は屈んで回避する。
一方で、生き抜く為に自ら戦わんとする祈穂には、好感を覚えもした。
ヒドラが、キュイイッと高く鳴く。開いた6本の触手を振り下ろす。
「隙ありです」
アデルの後方に立つ黒子が、金の前髪の奥から照準を定めた。
連なる弾撃。ヒドラは身を折って躱す。
が。
躱した先にいるのはアデルだ。
銀の軌跡を描く彼の斬撃が、触手を斬り飛ばす。天魔は焦ったのだろうか。
「っ!」
黒子の視界の中。ぐんっと身を跳ねさせたヒドラが残る触手でアデルに組みついた。
みしりみしりと、遠目にも分かる怪力。
(――何処か)
照準を覗く黒子が探す。味方に当てず、かつ効果が最大になる一点。
見つけた。脇に一歩移動し、引き金を引く。
小柄な体躯で放った弾丸は大気を掻き分け、迫った弾は的確に、触手の根本を貫通した。
黄土色の粘液が散る。僅かに緩んだ隙を逃さずに、銀髪の剣士はさらに1本、触手を斬った。
「2本目」
軽やかに着地しながら、アデルは太刀を振って粘液を飛ばす。
「目新しくも無い。貴様の力はその程度か」
切っ先をヒドラに向け、瞳を細め。
「興醒めだ。疾く、滅べ」
●
「鋏を使う、ね。何ともまあ気が合いそうだ」
血鋏兎と対峙しながら、ジェーン・ドゥ(
ja1442)は飄々と鋼糸を指に弄ぶ。
「さあ、さあ、似た者同士、遊ぼうか?」
予備動作もなく地を蹴るジェーン。
滑るように天魔の鼻先まで接近し、嬉々と笑む。
「まずは、まずは、受け取ってくれ」
怪人の視界が『暗がる』。
「きっと君に似合うだろうさ!」
スキル『マッドハッター』。何処からとも無く降る帽子が、天魔の兎の目を呑んだ。
狂声と共に振られた鋏に飛び退きながら、魔女は愉し気に地を叩く。
ぶわりと伸びた幾束もの茨。襲い来るそれを、兎は跳び越えて、鋏を開く。
すり抜け様の2連撃が、ジェーンの脇腹を大きく裂いた。
血を引く鋏に喜ぶ天魔。顔を上げた前方で。
遊夜が、漆黒の銃口を向けた。
「塵は塵に、灰は灰に」
黒子に聞いた敵のレートは−1。
銃から肩に、蒼い光を螺旋状に纏う。充填。騙り。天使の如く。
カオスレートを上昇させる、『天騙る者』。
「地に還れ」
目を剥く兎。放たれた白光の弾丸が、天魔のタキシード中央を貫いた。
地に落ちる敵。穴の空いた腹を晒して、猶も笑いだす。
崩れ去った帽子の向こう、血走り剥かれた真ッ赤な眼。
奇声と共に兎はジェーンに跳ねかかった。
●
祈穂の鎌をいなし続ける朝陽の二の腕が、刃に裂かれて血を散らす。
「っ‥‥今だ!」
苦痛に顔を歪める朝陽が叫ぶ。
隙の生じた祈穂めがけ、エヴェリーンが駆けた。
目を見開く祈穂。体勢を直そうとするも、間に合わない。
無理な姿勢から跳ねあげた鎌。その先でエヴェリーンが、
剣を捨てた。
肩を裂く鎌に構わず、彼女は祈穂を抱き止める。
「辛かったですね」
服に染みる血を感じながら、背を撫でる。
「思ってる事、ご両親に解って貰えなくて」
本当に辛い時、
一番痛いのは、同情でも叱咤でもない。
誰にも理解、されないことだ。
「離してッ!」
祈穂が暴れる。その様に。
「祈穂ッ!」
朝陽が懸命に叫ぶ。
「その人をちゃんと見て! 言葉を聞いて!」
震える祈穂を、エヴェリーンが抱きしめる。
「もう、いいんです」
諭す背に。
鎌が。
「っ‥‥」
祈穂が寄せた鎌の先が、エヴェリーンの背に刺さる。
甘噛みをした犬の牙が、徐々に現実味を帯びていくように。
少しずつ、沈んでいく。
「大丈夫ですよ」
汗に濡れる前髪の向こうから、彼女は必死に微笑みかける。
「怪物が怖いの、とーぜんです。撃退士にならない子だっていっぱい居るんです」
歯を噛みしめて。
「ご両親と話しに行きましょう‥‥? 祈穂さんは、もうイイ子でいなくていいんですよ」
血と、静寂。
鎌が、止まる。
「‥‥撃退士は」
祈穂が呟く。
「天魔退治の他にも、いろんな事、するんですよね」
困っている友達を助けたり。
お店の手伝いをしたり。
「アウルに目覚めて、おかしくなった人の『片付け』も」
エヴェリーンの思考が凍る。この子は、まだ。
「怪物が、怖いです」
祈穂が呟く。錯乱が収まっていない。
「アウルに目覚めた私も、『怪物』なんです」
祈穂がエヴェリーンを突き飛ばす。
後方によろめき、彼女は見る。
祈穂の頬に浮かぶ苦痛。
掠れた声で。呟かれる言葉。
ごめんなさい
そして。
ゆるして
慟哭と共に振り下ろされた大鎌が、エヴェリーンの体を引き裂いた。
●
銃声。
黒子が銃を連射する。銃弾に体表を削られつつもヒドラはアデルに迫った。
その体に、真紅の一閃が刻まれる。
ずるりと上身を滑り落とす天魔の奥には、大剣を振り抜いた彩香が居る。
金色の瞳を死骸に細め。
「‥‥急ごう」
彼女が言った。黒子は頷き、携帯を見る。
説得班からの連絡は、まだ無い。
●
血鋏兎が猛烈な速度でジェーンの足に鋏を伸ばす。
猫の如き跳躍で避ける魔女。兎の赤目が彼女を追い、喜々と曲がる。
空中で攻撃は躱せない。宙で無防備なジェーンを目掛け、兎は奇声と共に鋏を突き出す。
ジェーンが目を歪める。人間離れした挙動で傍の檻の鉄格子を蹴り、横に飛んだ。
一瞬前まで彼女がいた空を挟む二枚の刃。
ぐるん、と兎が頭を回し、ジェーンを視界に捉える。そして同時に。
「お疲れさん」
ジェーンの向こうで、遊夜が銃を向けているのが見える。
連射。
足元に襲い来る銃弾の雨を、しかし血鋏兎は操り人形が如く跳ねて回避した。
空中で体勢を立て直す兎。それを見て。
「あーあ」
遊夜が笑む。
「さっき自分で仕掛けたばっかだろうに」
かちり、と銃を向け。
「――空中じゃ、攻撃は躱せないんだぜ」
刮目する血鋏兎。その眼前に、いつの間にかジェーンが屈んでいる。
使用したのは加速する『首狩り兎』のスキル。
斧の冷たい刃が、怪人の首に迫って――。
「”その首を刎ねておしまい!” ってね」
飛ぶ血飛沫と、兎の頭。
崩れる天魔の脇で、ジェーンは斧をヒヒイロカネに格納する。
「すまないね。随分と気は合いそうだったけれど」
魔女は指先についた血を舌で拭い。
「――ええ、ええ、キャラが被ってしまうだろう?」
●
方法は、一つしかない。
血溜りに倒れたエヴェリーンを庇いながら、紘司は悟っていた。
手の中の十字槍。
これで祈穂の攻撃を受け止め、そのまま武器も絡め取る。
容易な事では無い。
しかし、彼女の戦意を喪失させ、言葉を通すにはそれしかない。
「‥‥少々無茶をするが、構わないか?」
紘司が訊き、朝陽は頷く。
「ボクでも、そうします。そうしたいと思いますから」
紘司が地面を蹴る。
大鎌を振りかぶって走りくる祈穂を、真っ直ぐ見据えた。
チャンスは一瞬だ。
風に黒髪を靡かせながら、その時を捉えるべく斬撃に目を凝らす。
迫る大鎌が。
急速に加速した。
「ッ!」
石火。黒焔を纏う刃が紘司の槍を越え、彼の胸を横に薙ぐ。
舞う鮮血。
よろめく体を、必死に支え。
(まだだ――)
紘司が目を上げる。翻ってくる大鎌の『刃』を狙い――。
咆哮。
十字槍を、思い切り突き出した。
高く鳴る金属音。
祈穂の細指から、漆黒の大鎌が、抜ける。
くるりくるりと宙を舞い、建物を越えて、落下した。
茫然と手を見つめる祈穂。後ずさる。
「君は怪物なんかじゃない」
朝陽が声をかけた。
祈穂が上げる目を、瞳で受ける。
「祈穂ちゃんは人間だよ。ボク達に君を害する気は無い。殺す気なら、今の一撃でそうしてるよ」
彼女の言葉に、祈穂が口を開く。
反論の言葉は無い。
「‥‥君は、攻撃も抵抗もする必要が無い」
体を起こし、紘司が言った。
「ただ選ぶだけでいい。アウルを持つ者である以前に、一人の人として、君には権利がある筈だ」
よろよろと、力が抜けたように後退する祈穂。
「両親も、君を追い詰めてしまっていたことに気付いただろう。全力でぶつかったからだ。今なら、君の言葉にも耳を傾けてくれる」
とすん、と檻の一つに祈穂の背がぶつかる。
紘司はまっすぐ、彼女を見る。
「時間を置きたいのであれば、それもいい。好きにするといい」
武器を格納。
祈穂の正気を戻すべく、最後に。
「君の人生は、他の誰でもない君自身のものだ」
祈穂の顔に、理性の色が帰ってきた。
耐えていた全てが溢れるように、瞳に潤いの膜が張る。
地に伏すエヴェリーンの虚ろな瞳と、祈穂の目が合う。
必死に抱きしめてくれた少女。
もういいのだと、言ってくれた彼女。
涙が溢れた。
祈穂が唇を動かす。その時。後ろの檻の陰から。
音もなく、坊主頭の男が現れた。
●
古谷夫妻は、黒子の手配によって保護され、車両の中で寄り添っていた。
『謝りたかったりするかもしれないけど、後にしてもらうよ』
助けてくれた少女の言葉を、父は反芻する。
謝る。
謝る、か。
「あなた」
と隣で妻が言う。
「あの子が帰ってきたら、しっかり、話を聞いてあげましょうね」
祈穂と話す。
長く、していない気がした。
「ああ」
潤む声で頷く。
「あの子は、私達の娘だものな」
迎える夕暮れの時間。
どちらが先とも無く、手を握り合う。
●
「誰、あなた」
警戒して動けぬまま、光纏した彩香が坊主頭の男を睨んだ。
「ああ。”囁いた”のは君か」
その隣、ジェーンは静かに目を細める。
「それは魔女の領分だろうに」
男は無言で歩を進める。
祈穂の手に大鎌を握り直させた。
「その少年の言う通りだ」
紘司を一瞥。暗い深海のような目で、祈穂を見つめ。
「君には選ぶ権利がある。誰にも邪魔されることは無い。最後まで自分の力で、選ぶと良い」
男は目を閉じる。
「‥‥私」
祈穂が言う。
「私は、」
口を動かし。
「お母さんとお父さんと、話がしたいです」
男が目を開く。
祈穂が続ける。
「話そうとしていなかったのは、両親だけじゃない。私も同じです。良い子でいたくて、今を変えてしまうのが怖かったんです」
祈穂は撃退士達を眺め。
「もう怖がらない。撃退士さん達の様に、正面からぶつかりたい」
男は表情を変えない。
地を、蹴る音がする。
「‥‥この子に、何の用かな?」
縮地で接近した朝陽が、光纏を全開にして男に槍を向けた。
「用、か」
男が答える。
「望むのは、熟考だ。アウルに目覚めた『不運』についての」
朝陽を見て、腕を伸ばす。手には数珠が握られている。
「それは、君達も考えるべきことだ」
言って、男は『光纏した』。
手の中で数珠が展開する。具現化した刀は紛うこと無きV兵器だ。
(――まさか)
あっけにとられる朝陽達を見据え、男は右腕で刀を振りかぶる。
刃にオーラを纏わせ。
左手を、祈穂の肩に乗せたまま。
「! 待てッ!」
叫んだ朝陽が駆ける。その直後。
男の振った剣撃が、地面の土を巻き上げた。
暴力的な勢いで撃退士達に吹きつけられる土煙。
腕で顔を守る彼らの前で、煙がしだいに晴れていく。
そこにはもう、男の姿は無い。
あるのはただ、地に落ちた大鎌と。
茫然とした様子で立つ、祈穂の姿だけだった。
●
その後。
撃退士達は、祈穂を学園職員に引き渡した。
撃退士事件の対応は難しい。専門的な手続きは専門家によって踏まれ、祈穂は数日後に、両親と日常に帰るだろう。
そして話す。今まで溜めた全てについて。家族で。
かくして撃退士達は、彼女を救った。
帰りのバスの中。
学園職員に事件の顛末を報告しながら、各々が想うは何だろう。
「あの男、」
報告の最後に彩香が言う。
「坊主の男は、人間だった」
天使でも悪魔でも。
シュトラッサーでもヴァニタスでも無い。
「あの男は、あたし達と同じ、『撃退士』だ」
彼らを照らす紅い夕陽が、水平線の彼方に落ちていく。
車内は淡い紫に染まり、窓の外には闇が来る。
夜が始まる。
〈了〉