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血鋏兎が繰り出す二連撃を、聖騎士が盾で受け止めた。
苛々するデュラハン。人間を斬り、この地を制圧してしまいたいのに、思わぬ邪魔が入ってしまった。
さっさと退けるに限る。聖騎士が盾で鋏を押し戻した、その時だ。
音がした。
要請を受け、林を抜けてきた撃退士達が家族に向かう。
新たな敵。新たな邪魔者。
闖入者達を見とめ、聖騎士が激昂した。
●
「‥‥久しぶりのお仕事、がんばる」
雑木林を先頭で抜けたユウ(
ja0591)の視界に、湖畔で寄り添うように固まっている親子が映った。
救出班の自分達は、すみやかに彼らを確保しなくてはならない。
「あれは‥‥天魔の小競り合い、でしょうか」
交戦するディアボロとサーバントを眺め、ユウと並走するアンナ・ファウスト(
jb0012)が呟いた。
天界と冥界の陣営が直接争うことは極めて稀だ。今回の衝突は、差し詰め下っ端同士の不運な鉢合わせ――といった所なのだろう。
「姉さんなら見世物としては及第点、とか言うんでしょうけど」
今の私が見るべきは、眼前の救出対象だ。
佐竹 調理(
ja0655)と諸葛 翔(
ja0352)が彼女らに続く。
――唐突だった。
ギャリンッ、と金属音。兎を突き飛ばし、交戦していた聖騎士型サーバントが咆哮した。
重く芝生を蹴り、疾走で救出班に追いすがる。
「‥‥!」
背後に迫った聖騎士に調理が気付く。しかし、距離はまだたっぷりあった。
(適当に銃でおっぱらえれば‥‥)
そう考えれた時間はわずか。
騎士が虚空を剣で薙ぐ。振った長剣を腰に溜め、ぐっと身を低くする。それはまるで、突進の予備動作――。
(‥‥やば――)
調理が危機を悟る。次の瞬間には、前方を駆ける翔の背を咄嗟に突き飛ばしていた。
一閃。
滑り込んだデュラハンの横切りが、調理の脇腹と一瞬前まで翔がいた空間を斬る。
「っ! 調理!」
「‥‥大丈夫」
裂かれた脇を押さえて膝立ちになった調理に駆け寄り、翔が周囲を見回す。
すぐ傍にはデュラハン。遠くでは兎頭の怪人が駆けだしていた。赤い魔導師も真っ暗なフードの奥から、じっとこちらを見つめている。
「くそ、厄介だなこりゃ」
「愚痴ってる暇もないけどね」
ゆっくりと向き直るデュラハンに、調理がリボルバーを撃った。白銀の十字盾の表面で弾丸が砕ける。
僅かな隙を逃さず、二人は救護対象へ駆けだした。
聖騎士が唸る。後を追い、重い一歩を踏み出す。その背後で、
大剣が振り上げられた。
『!』
咄嗟に巡らせた十字盾が、叩きつけるような斬撃を防ぐ。
「どこ見ているんですか? あなたの相手は僕ですよ」
タウントを纏ったイアン・J・アルビス(
ja0084)が、聖騎士の巨躯を見上げた。
聖騎士の周りに、美しく輝く卵型サーバントが飛来する。
ほのかな月光の如き光が、騎士の剣と盾を包む――。
赤魔導は、じっと状況を見ている。
ゆらりと杖を構え、傍に立つ仲間の得物に呪いの魔法をそっとかけた。
その時、傍で銃声。
命中した弾丸に魔導師の体が跳ねる。首を巡らし、二丁拳銃を構えた二人と、札を持った少女を見た。
「邪魔しちゃったかな?」
高峰 彩香(
ja5000) が微笑む。
仁良井 叶伊(
ja0618)がクロスファイアを撃ち、蒼波セツナ(
ja1159)が火球を放つ。
赤魔道は体を浮かせて躱し、兎頭の隣に着地した。
「ディアボロにサーバント‥‥難しい状況ですね。上手く漁夫の利が得られればいいですが」
「漁夫の利、ね。いい響きじゃない」
叶伊の言葉に、状況を眺めるセツナが不敵に笑った。
●
血鋏兎が彩香に飛び掛かる。
甲高い音をたてて閉じた鋏が、彼女の肩をわずかに捉えた。
焼け付く痛みに歯を食い縛る彼女を余所に、兎はもう片手の鋏を叶伊に突きだす。
叶伊は身を捻ってそれを躱し、兎頭の側面を狙ってセレネを振り抜いた。兎は飛び退いてそれを避け、ケタケタと笑ってステップを踏む。
「速いね。兎の見た目通り」
しかし力はそれほどでもない。彩香は分析し、銃を兎に向ける。
――ズグン――。
「‥‥っ‥‥」
突如襲ってきた吐き気と痛みに、彩香は胸と口を押えた。
胸の奥が熱い。
傷口を見ると、何やら紫色のオーラが漂っている。
(‥‥そうか)
先ほど赤魔導がかけた魔法はこれだったのだ。彩香が顔を上げて赤魔導を睨むと、小人はゲタゲタと肩を揺らしながら別の魔法を血鋏兎にかけている。
危険だ。
感情からの発砲。
彩香が放った弾丸が、魔導師のフードに飛び込み中身を砕いた。ぐらりと揺れたディアボロの体が、糸が切れたように地に潰れる。
セツナは戦況を観察し続けていた。
兎の行動。傍にいる者に躊躇いなく襲い掛かる様――。
「‥‥ふーん」
何かにひらめいたように声を漏らす。
「堅いですね、なかなか」
様子見のつもりで手加減をした斬撃を、デュラハンはいとも容易く盾で防いだ。剣で敵の盾を押さえながら、イアンはその強固さに苦笑する。
デュラハンはまだ背後の救出班を諦めていない。盾でイアンを抑えたまま、剣を片手で大上段に構える。
(あの連撃で脱するつもりか‥‥)
イアンは迷わずカイトシールドを活性化させ、その端で聖騎士の胸を思い切り殴りつけた。
呻き、技を止める騎士。
「通さない、それが僕の役割です」
腕に溜まっていく疲労に頬を歪ませつつ、イアンは1人、エッグに回復され続ける強敵を抑え続ける――。
「イアンさん!」
セツナに呼ばれ、イアンが振り向く。
彼女の指が、兎を指し、デュラハンを指し、くるくると回される。
(‥‥成程)
イアンが頷く。撃退士達全体が、ある策を持ったようだ。
デュラハンが剣を振る。
イアンがそれを盾で止め、腰だめの体制から放たれた二撃目の剣も、流れるように受け流した。
全力で技を放った聖騎士は、遠くセツナの鼻先まで滑り込む。首の無い鎧が彼女を見た。
「さっきのおかえしだよ!」
彩香の構える大剣ハイランダーが、逆巻く風を纏う。
芝生と並行に軌跡を描く斬撃を、血鋏兎は跳躍で避けた。ジャランッと空中で鋏を開く怪人に、彩香は微笑む。
風の軌跡を突き破って、炎を纏った大剣の突きを繰り出した。
空中では躱せない。ハイランダーの刀身は怪人の腹部をまともに貫通する。
ヒット&アウェイ。剣を引き抜いた彩香は、即座にセツナの隣まで飛び退いた。
血鋏兎が、発狂したような悲鳴を上げる。
かかげた鋏に赤黒いオーラを纏わせ、真っ赤な目を開いてセツナの背中に飛び掛かった。
振り向くセツナ。口元に悪い笑みを浮かべ――、
「あとはまかせたわよ」
彩香と叶伊、セツナは共に、デュラハンの背後にひょいと消えた。
鼻先を付き合わせるかたちになった聖騎士と兎。
オーラに包まれた血鋏兎の凶悪な攻撃が、聖騎士に襲い掛かる。
『‥‥‥‥ッ!!』
デュラハンが咄嗟に上げた十字盾。鋏の威力に、その表面の装飾がはじけ飛んだ。
慌てたわけでも無いだろうが、二匹のエッグが聖騎士に寄る。撃退士達は彼らを逃さない。
セツナが放った氷の弾丸と、叶伊が撃った二丁拳銃の弾丸が、螺旋の軌跡を描いて黄色エッグの表面を砕いた。
破片をこぼす卵は、それでも光を聖騎士の剣に降らす。
蒼のエッグも光りを帯びるが、イアンが撃ち込んだシールドの一撃が、回復の発動を許さなかった。
「さあ、潰しあいなさい‥‥?」
狂ったように暴れる兎の斬撃、それを防ぐので手一杯なデュラハンを見据え、セツナは口元に指を当てる。
●
戦闘班が奮闘している頃。
救出班は無事、家族を保護していた。
「俺が、この人達を安全な所まで連れて行くよ」
湖方面を退避中、調理は、万が一に備えて自分が彼らについておくと提案した。
万が一敵が来たら対処できるし、そうすれば他の班員が戦場に戻れるから、と。
母親と娘を抱えて避難していた翔は、二人を抱えたまま頷く。
「‥‥分かった。無理すんなよ」
「それ、そっちの台詞かな」
翔が笑い、ユウ、アンナと共に駆けだした。
「さて、皆さんで‥‥」
と家族と残された調理は麦茶を差し出して、ふと黙したままの父親に目をとめる。
「大丈夫ですか。こういう時はお父さんが頼りですからね」
面倒臭がりやの彼としては、中々に喋った方だった。
言われた父親は、びくりと反応する。
びくびくと声も出ない様子だったが、自分よりも二回りも若い少年の平然とした表情に気合を入れ直したらしい。次第に落ち着きを取り戻していった。
十数分が経った頃だ。
調理を見て、父親が呟いた。
「あの‥‥なんで、そんなに冷静に‥‥助けてくれるんですか」
‥‥やっと喋ったと思ったら面倒な質問を。
歩き出しながら、調理はくしゃりと髪を掻く。
●
回転しながら空を穿った弾丸が、光を降らすエッグを撃ち砕いた。
散る残滓が日光に煌めく。
クロスファイアをリロードしながら、彩香は目に入る汗を拭った。
眩暈と吐き気。毒が回る。
胸の奥から蝕まれる感覚が、彼女から体力を奪っていった。
振り下ろされたイアンの大剣に、デュラハンが十字盾を叩きつける。
「まだ持ちこたえますか‥‥!」
幾度となくV兵器の攻撃を受けて猶も防御力を保つ聖騎士の盾に、イアンが辟易とした声を出す。
もちろんこの頑丈さには、光を降らすエッグの存在が大きかった。立て続けに盾を、剣を修復されるため、敵の手札が尽きる気配が見えない。
「これ以上の回復はさせません」
「邪魔よ? 消えなさい」
叶伊がセレネで蒼色エッグを打ち抜き、セツナの放つ火球が翼を焼いた。ゆらりと爆炎から逃れた卵は、なおも聖騎士に付き従う。
鎧の足が芝生を踏む。
(――ッ!)
叶伊とセツナが目を大きくする。
「ぐっ‥‥!」
聖騎士が縦に振った剣にイアンがよろめいた。
地面を蹴って踏み込んだ斬撃が、セツナの腕を裂き、叶伊の武器を削って包囲を突破する。
切っ先から血を滴らせて姿勢を直す騎士に、蒼色エッグが光を帯びて近づいた。
「それ以上‥‥回復はさせない‥‥!」
切れる息。彩香が震える指で銃を握る。その時だ。
聖騎士の傍に奇妙なものが出現する。
空中に浮かぶ正八面体だ。
くるりくるりと回転し、一陣の疾風が巻き上がる音がして、
聖騎士の鎧が、足元の草々から凍りついた。
「‥‥冷たい冷たい、幻の冬が始まるよ。凍え砕ける準備はいい?」
歩み寄ったユウの声と共に、八面体が爆散する。
衝撃波に轢かれ、結晶質のエッグが一瞬で砕け飛ぶ。唐突な攻撃に防御が遅れたデュラハンも、その鎧の表面を削られた。
「お待たせしました」
硝子の欠片に似た輝きが吹きすさぶなか、黒衣と銀髪を揺らしてアンナが来る。
「さあ、貴方も片付けてしまいましょう」
左腕に添うように薄紫の矢が生ずる。腕の一振りと共に、それを放った。
十字盾でそれを受けるデュラハン。紫の閃光と衝撃音。盾の表面で魔法矢の勢いは死なず、むしろ突き進むように軋ませる。
そして、それは起こった。
十字盾のど真ん中に亀裂が入り、マジックアローが轟音と共に、盾を白銀の塊へと粉砕したのだ。
魔法矢を胸に受ける聖騎士。滑った巨体が踏む地面が、白い煙を舞い上げる。
「吹けよ南風!」
少年の声がして、彩香の体は暖かな光に包まれた。
苦痛が和らぎ、肩の傷も塞がっていく。
「ほらよ、まだ行けるぞ!」
顔を上げると、盾甲『白虎爪』を身につけた翔がいた。
「‥‥うん。ありがとう」
ハイランダーを握りしめ、彩香が翔と並んで立つ。
『オ‥‥オオオォォオオォ――ッ!!』
空になった左手を握りしめ、純白のデュラハンが咆哮する。それと同時。
血鋏兎が翔に襲い掛かる。
振り向いた翔が眼前に見たのは、ツギハギだらけの汚れた兎頭。視界の中央に、錆た鋏が突き出され、彼は咄嗟に仰け反った。
芝生に血が散る。
翔の首筋から頬に紅い線を走らせ、鋏を引いた兎は続いて叶伊に向かった。
突き出した鋏を躱される。巨体の叶伊が血鋏兎の側面をとり、前につんのめった怪人の後頭部を目掛けて――
「あなたも、いい加減にしなさい」
渾身の力を込めて、杖による衝撃波を叩きこんだ。
耳がもげ、毛が吹き飛ぶ。怪人の指からも鋏が舞う。
頭部を地面に落ち埋められ、ディアボロはついに動かなくなった。
「悪い、助かった」
「いいえ。後は彼だけですね」
長剣を握って立つデュラハン。胸板を盛り上げた巨躯に、全撃退士達の視線が集まる。
「‥‥いきましょう」
「ちょっと本気を出そうかしらね」
アンナが『エナジーアロー』、セツナが『アイシクルバレット』を撃ち放つ。
「おら、切り裂けろ!」
「終わりだよ!」
翔と彩香が、二人そろって風を纏う突進攻撃をしかけた。
矢が弾け、弾丸が小手を崩し、白虎爪が背を削り、大剣が胴を貫く。
『‥‥‥‥ッ‥‥!』
とても耐えられない。そう判断したデュラハンは、脱出に最適な隙を探す。
そして、見つけ、芝生を蹴った聖騎士がアンナの眼前に走り出た。
「――っ」
少女の瞳に揺れる一瞬の恐怖。
聖騎士は高々と剣を振り上げ、一息に斬りおろす。肩口から胸へ、血の一閃が服と白い肌を裂く。歪む少女の目。騎士は止まらない。
「ッ! ユウ、あぶねぇッ!」
騎士が剣を腰に溜めるのを見とめ、翔が叫んだ。
鎧の軋りと共に、聖騎士が正面のユウに踏み込む。
横斬りに振り抜かれた長剣が、纏う冷風ごとユウの脇腹を薙いだ。切っ先が赤色を引き、包囲を突破したデュラハンが、逃走すべく足を踏み出す。
停止。
デュラハンの眼前には、正八面体が浮遊していた。
白く凍てる空気。サーバントの豪奢な鎧にも、霜が降りて――
「‥‥ほんとうに、早く冬にならないかな」
そう呟き、空を仰ぐユウ。
透き通った音と共に、八面体が炸裂した。
爆風と衝撃波。
揺凍りついたデュラハンの鎧に白々と亀裂が走り、一瞬の後に砕け散る。
幻想的に舞う白。術士の少女の銀髪が揺れ、吹き飛んだ白金の欠片が陽光に煌めいた。
「‥‥終わりましたね」
「本当に運が悪かったですね」
イアンの呟きに、いえ、運が良かったと言うべきでしょうか、と肩口を押えるアンナは目を瞑る。
「このような小競り合いではなく、もっと積極的に潰し合ってもらいたいものですね」
白く凍る芝生の上で、撃退士達がついた息は、まだ白まない。
●
「なんでって‥‥」
父親の質問への答えを、調理はぼんやり考えていた。
『なぜ、冷静に、助けられるのか』?
冷静に見えるのはスキルのおかげ。
怪我をさせないのは負ぶって運ぶのが面倒だから。
励ましの声をかけるのは陰惨な空気が嫌いだから。
じゃあ、命を助けるためにわざわざ戦場に来たのは‥‥?
「‥‥まあ、ノリで」
ぼそりと答えて、調理は頷く。考えるのも、面倒だった。
背後から声がして、振り向く。戦いを終えた仲間達が歩いてきた。
全員いる。少し安心する。短く息をついて、片手を上げる。
「‥‥おつ」
かける声は、やはり短かった。
〈了〉