妙に慌しい一部の生徒を眺めながら、ディザイア・シーカー(
jb5989)は斡旋所受付でオペ子を発見して声をかける。
「何かあったのか?」
「シーカーさん。こんにちは」
彼女ははたと顔を上げると、事の経緯を説明する。曰く、トイレで遭難者あり。
「私の活躍により生徒会から報酬も出ます。褒めるとよいです」
「じゃあその報酬で何か奢ってやるよ。どうせ泡銭だ、苦労に報いれるなら何よりだろうさ」
「見るのです小次郎。ここにイケメンがいます」
小次郎がにゃあと鳴くのを聞きながら、ディザイアは依頼書にサインをしてその場を後にする。去り際に、
「正規の依頼なら、空飛んでも問題ないよな?」
と尋ねると、オペ子はこくりと頷いた。
「とりあず紙の調達にでも行くかね」
依頼情報を思い浮かべながら、彼はその背に漆黒の翼を広げて宙を駆けた。
『【急募】おケツにやさしいトレペ教えれ( ´∀`)』
ルーガ・スレイアー(
jb2600)はTwitterでそう呟きながら、スーパー内を徘徊していた。程無くして返信が来る。
どうやら商品名で『高級』と銘打っている物が、肌触りもシルクのように優しく一歩進んだ大人のアイテムらしい。色や香りもついていてとってもオシャレ。
高級ロールを買っていく事を『更新情報』として斡旋所へ転送し、トイレ用品コーナーで『高級!』と印刷されていた商品を掴んでレジへ。
会計を済まして店を出る。
「…(;´∀`)思いのほか高くてムカついたンゴwwww」
まあ報酬が出るのならば経費も出るだろう。
彼女はロール片手に、現場である公衆トイレへと向かった。
「リーペンは公衆トイレに紙、アルですか。よく盗まれる、シナイものです」
中国語雑じりのカタコトで独言しながら市街を激走する紅 椿花(
ja7093)。壁を走り、屋根を飛び越え、一直線にホームセンターへと向かう。
やがてホームセンターへと辿り着いた彼女は、しかし売り場にあるロールの種類の豊富さに困惑した。そういえば、本人からの要望が幾つかあった。
確か要求は、『柔らかい』『ダブルじゃなくて』『しんg』。
しんg? しんが? 芯が? ……なんだろう?
わからないので、椿花は近くを取り掛かった店員に声をかけ、カタコトながらも一生懸命に事情を説明する。
協議の末、一般家庭向け商品の内の幾つかを勧められたが、それでもまだかなりの種類がある。
そんな時、携帯にオペ子から更新情報が届く。どうやらルーガが『高級ロール』を持っていくらしい。だが、いざ現場へ着いた後で「これじゃない」と言われても困るので、もういっそのこと違う種類の物を複数用意した方が良いのかもしれない。
そう考えた椿花がとりあえず一番手前にあったロールに手を伸ばした時、隣から伸びるもう一つの手があった。指先がぶつかり、手の主と椿花が互いに顔を見合わせる。
「おっと悪い。急いでたもんでな」
「私も、失礼スル、しましたー」
手の主――ディザイア――と椿花は、会釈し合いながら他のロールを数種ずつ抱えて会計へ。ディザイアの方は、受け渡し時に紙が汚れないようにするための適当な小袋も一緒に買っていた。
そして外に出るなり、屋根から屋根へと飛び移るように駆ける椿花と、翼で高々と飛翔するディザイア。
進行方向が全く同じである事に「おや?」と互いに首を傾げながら、2人の撃退士はロールを両手に公園へと急いだ。
●公園
「悪魔のほうも住処を取られただけだしあまり手荒な真似はしたくないな」
できる事なら依頼主にも悪魔の方にも、誰にも傷ついてほしくはない。
桜榎(
jb8884)の言葉に、クリオン・アーク(
jb2917)が頷く。その手には、行き掛けに用意した菓子折りが。
「人の世には、住処を近しくするものへ菓子等を持参し挨拶へ赴く風習があると耳にしましたのでな」
はぐれ悪魔がトイレを住処にしているのであれば、自分は公園内の遊具に引越して来た天使を装い、挨拶がてら上手く相手をトイレの外に連れ出せないか試してみる……という作戦だ。
「悪魔さんがトイレを住処と思ってるなら僕らも勝手に入って大丈夫かな」
そう懸念を口にしたのは陽波 透次(
ja0280)。彼の手にも菓子折りがある。
入る前に伺いを立てるなり、場合によっては外から話しかけるだけの方が良いかもしれない。
「一理あるな」
背後からの相槌に3人が振り返ると、南部春成(
jb8555)が公園の真隣にあるアイス屋の氷菓を食べながら立っていた。
「大所帯でトイレの中に入れば、ますます悪魔を刺激してしまうだろう」
アイスを頬張りながら淡々と話す彼のもう一方の手には、なんとトイレ用の芳香剤が。
なんという心配り……!
無関係な第三者がいた場合は、自分が対処する。そう言って最後の一口を食べ終えた春成に3人が頷きを返し、一同は紙が到着するまでの時間を稼ぐ為に問題の公衆トイレへと向かった。
「うおお! やめろ! 他人様のデリケートな領域に入ってくるんじゃねえ!」
「ウヴァヴァ!」
現場に着くなり、男子トイレの中から若い男の声と妙な奇声が聞こえてきた。
4人がそうっと中の様子を窺うと、はぐれと思しき悪魔が閉まっている個室のドアノブをガチャガチャと回しながら意味不明な言語を叫んでいる。
目の見えない桜榎にも、音と気配で大体の状況が『視えた』。
4人は一度トイレから離れる。
とりあえず周囲の警戒にまわった春成を除き、透次らはひそひそと話し合う。
「まずは俺がいこう」
先陣を切ったのは桜榎。彼は静かにトイレの中へ入ると、必死にドアをこじ開けようとしている悪魔に声をかけた。
突然の来訪者に悪魔はビクリと肩を上げて顔を向ける。
「あまり手荒な真似はしたくないからできれば話を聞いて欲しい…」
感情表現が苦手な彼なりの、精一杯の語りかけ。それに対し悪魔は、
「ヴァ! ヴァ!」
何を言っているのか全くわからない。
少なくとも呼びかけに応答するだけの知性はあるようだが、厄介な事に共通言語を話せないようだ。仕方が無いので、桜榎は刺激しないように可能な限りそっとした足取りで接近を試みるが――
「ヴァー! ヴァー!」
途端、怯えたように取り乱しながら掴んだドアノブをガチャりだす悪魔。
これはまずい、と桜榎は一旦トイレから出る事に。
まずは落ち着かせる事が第一か。
一同が顎に手を当てて思案していると、そこへ高級ロールの袋を持ったルーガが到着する。
現状を説明された彼女は「自分が行く」と告げ、買ってきた高級ロールを手に男子トイレへと入っていった。
「やーあやあ、はじめましてなんだぞー」
ドアに手をかけたままの悪魔が振り向く。
「同じ悪魔が近所にいるって聞いて、ご挨拶に伺ったんだぞー」
撃退士である素性は隠したまま、同種族である点を強調するルーガ。
「つまらないものですが( ´∀`)つ◎」
と、手にしていた高級ロールを袋ごと差し出す。すると悪魔は、ドアノブにかけていた両手のうち右手をノブから離してロールを恐る恐る受け取った。
心なしか、少し嬉しそうだ。
「ところで、悪魔ニキは何故トイレに住んでいるンゴ( ´∀`)?」
やんわりと話しかけるルーガに、悪魔は大分落ち着いた様子で、しかし左手ではしっかりとドアノブを押しながら口を開く。
「ヴァ、ヴァ」
やはり何を言っているのかわからない。悪魔語というよりは、この個体独特の言語らしい。
しかし次の瞬間、ルーガの脳裏にキュピーンと静電気のような閃きが走る。この感覚は、一種の伝達スキルか。
悪魔の思考が断片的に頭の中に流れてくる。
トイレ、狭い、落ち着く。雨、当たらない。敵、居ない、安心。等々――
悪魔は他にも『日本のトイレは綺麗』やら『公衆用だとウォシュレットが無いのが残念』といった様々な想いを語ってくれた。
「ほほう、悪魔ニキはすごいなあー、私ももっとトイレについて学ばねばならんなあー!」
傍目には「ヴァ」としか言っていないように見える悪魔の話にルーガは1人で感心しつつ、結局ドアから離れるまでには至らなかった悪魔に別れを告げてトイレを後にする。
「だめだったぞー」
一同は「うーむ」と唸りながら次の方法を思案する。当初の予定通りクリオンと透次の菓子折り、あるいは春成の芳香剤を餌に釣ってみるか……。
トイレを借りようと近づいてきたサラリーマンに事情を話す春成の背に、4人が視線を向けたその時――
「遅イ、なりました」
「なんだ、同じ依頼を受けてたのか」
数種類のトイレットペーパーを抱えた椿花とディザイアが現れた。と、他にも――
「何故殺したァアア!?」
弾丸のような勢いで公園内に突っ込んで来る学園男子生徒の姿が。掲示板の書き込みを見て駆けつけた口か。
走ってきた学園生に春成が組み付き、地面に転ばせてから状況を説明する。
学園内のトイレから拝借したロール片手に後を追ってきていた先輩に連れられて、男子生徒はすごすごと帰っていった。
7人は気を取り直し、再度救出を試みる。紙が到着した今、後はどうやってそれを個室内の依頼主に渡すかだ。
一同は顔を突き合わせ、それはもう真剣に話し合った――……
「トイレから出られ無い辛さはよくわかるのデスワ」
公園への道を行きながらどことなくイントネーションのおかしいお嬢様言葉で独白する桃々白もとい桃々(
jb8781)。
編入したてで不慣れな事も多い学園生活。しかしマメにこつこつ実績を積み上げるタイプの努力家である彼女は、なんだか謎な依頼ではあったがこれも大事な仕事の1つと考えて、背負ったバッグ『ゲレゲレさん』と共に張り切っての参戦である。
やがて現場に到着した彼女は、しかし依頼の内容以上に謎過ぎるその光景を前にして思わず言葉を失った。
紙と菓子折りと芳香剤を持った撃退士達が、公衆便所の前でトイレ談義を繰り広げている。
目をパチクリさせて立ち尽くしていた桃々だったが、すぐに気を取り直して一同に声をかけた。
状況を確認し、先に集まっていた7人に合流する形で彼女も作戦に加わる。
「僕が行きます」
挙手したのは透次。自分が悪魔の注意を引き付ける、と。
それならばと、透次に続いて手を挙げる桃々。
「引き付けている間に実弾を空輸デスワ」
彼女は背負っていたゲレゲレさんの中から、事前に調達しておいたトイレットペーパーを取り出す。他の2人が持ってきた物と並べてどれが良いか相談した後、念には念をという結論に至り、ディザイアの用意した小袋に全種1個ずつ詰めて実行する事に。
配置に着き、互いに顔を見合わせる透次と桃々。
入口の陰に身を潜めた彼女が頷いたのを見て、透次はこちらに顔を向けた悪魔の前で深く息を吸う。
――どこまでやれるかはわからないが、それでも、いま自分にできる事を全力で貫き通してみせる。人を説得するのなら、プライドを捨ててでも己の本気を見せるべし。
そして彼は、ぐっと溜めた息を一気に吐き出した。
「お願いします!!」
菓子折りを置いてタイル張りの床にドサリと両膝をつき、ダンッと両掌もついてごつりと額を地面に擦り当てる。
本気の土下座。
「そこの個室に居る彼はこの素敵なトイレを見てつい催してしまっただけなんです! 出来心で悪意は無かったんです! 終われば出て行きますから見逃してあげてください!」
――絡め手は苦手だ。だが、何とか目の前の悪魔の怒りを鎮めたい。
「彼が汚した分の掃除は僕が確り責任を持ってやります。むしろ前以上にピカピカにします。トイレを全て掃除したって良いです」
――ならば、いま自分にできるのはただひたすらに懇願するのみ。
「ば、ばか野郎お前……見ず知らずの俺なんかの為に、そこまで……」
個室の中から、男子学生の震えた声が響く。
(無茶しやがって……!)
(無駄ではない……! 無駄ではないぞ……!)
入口の外でも、仲間達が口元を押さえて涙ぐむ。
「ヴァ……」
直後、悪魔は酷く哀しげな様子で声を漏らすと、それまで決して離そうとはしなかったドアノブから両手を引き、代わりにその手を床に這い蹲る透次へそっと差し出していた。
ここしかない!
(そろーりそろりと気づかれないよーに気づかれないよーにデスワ)
持てる隠密スキルをフル稼動させて桃々がトイレ内に侵入する。
気配を消し、透次と悪魔の脇を抜けると、その背に翼を顕現して天井付近まで身を浮かせる。
ロールの詰まった袋を持ったまま天井とドアとの隙間から中に入ろうとしたところで、
(ちょ、待て待て! 入ってくんなって! 紙だけ! 紙だけで良いから!)
ドアの上から彼女の頭の先が覗いた事に慌てた男子学生が、小声で制止する。
ふむ、と。とりあえず桃々は袋を放り投げて男子学生へ紙を届ける事に成功。しかし問題はこの後。スキルによる潜行効果は直に切れ、男子学生もすぐには出てこれない中、こちらに気づいた悪魔がどのような行動に出るか――
「悪魔殿、少しよろしいですかな?」
その時、前へ進み出たのはクリオン。彼は手にしていた菓子折りを差し出しながら、
「私、公園の滑り台の下に越してきた者です。よろしければ私の住処で一緒にお茶でも如何ですかな?」
そう言って、土下座したままの透次にも目を向ける。
悪魔は「ヴァ」と頷きながら透次の手を取ると、彼と共にクリオンの後についてトイレから出て行く。やがて――
トイレの水が流れる音が響き、個室のドアが開く。
出てきた男子学生は水道で手を洗い、入口前の地面に芳香剤をそっと置いた春成らと共に学園へと帰っていった――……
●後日談
「結構食うんだな……」
「タダメシだったので」
オペ子と小次郎を連れて公園の前を通りがかったディザイアは、公衆トイレにふと見知った顔を見つけて足を向ける。
「おお、この間は世話になったな」
デッキブラシを手にトイレを掃除していた男子学生――嘉島 大地――は笑顔で礼を述べた。彼の後ろには同じくブラシを持った透次とあのはぐれ悪魔の姿。
騒ぎの後、椿花やクリオンの勧めで学園に登録した悪魔の腕には登録証代わりの腕輪が光っていた。専有しないという事を条件に、ここに住む許可も貰ったらしい。
「ご近所さんもできたしな」
「ヴァ」
「ご近所?」
首を傾げたディザイアに、大地は外に出て滑り台を指差す。
「これこれ、仲良くですぞ」
滑る順番を巡って言い争いをしていた子供達を嗜めながら、台の下で幼い女の子とママゴトをしていたのはクリオン。
子供好きの彼にとって、公園の遊具は思いのほか性に合っていたらしい。
まさか本当に引越したわけではないと思うが……。
透次達は実に朗らかな笑みを浮かべているクリオンを眺めながら、しばし雑談に花を咲かせた。
『♪トイレにはぁ〜 それはそれはヘンな悪魔様がいるんやでぇ〜( ´∀`)♪』
ある日ツイートされたそのフレーズは、妙な中毒性があるとして一部のユーザーの間で長らく口癖のように呟かれたという。