「うぉっ! 大変な事になってるっ!?」
「び、ビル火災ですかー?!」
「逃げ遅れた人がいるかも。急いで助けなきゃ!!」
現場の光景に佐藤 としお(
ja2489)、Rehni Nam(
ja5283)、深森 木葉(
jb1711)の3人が叫ぶ。
一方で「なるほどね」と合点がいった様子で呟く砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)。
「ちゃんと頼れるじゃない。…真っ先に電話した相手が気に入らないけど」
むすっ、と。
「この燃え方は……油でしょうか」
その横で、火の勢いが強い上階をじっと見上げる青鹿 うみ(
ja1298)。
噴き上がる黒煙。このススの濃さからして、石油かもしれない。もしもガソリンや軽油であれば炎はこの程度では済まないだろうから、おそらくは灯油。
そこへ、店員や消防士らが駆け寄ってきた。一同の様子、特に久遠ヶ原の制服を着ていた樒 和紗(
jb6970)の姿を見て、彼女らが撃退士であると気づいたらしい。
「…火事の原因は、いったい…?」
店員に恐る恐る尋ねる華愛(
jb6708)。
「わ、分かりません……。何かが爆発音がしたと思ったら、急に火が広がって……」
「爆発、なのです…?」
まさか爆弾だろうか。
華愛は消防士へと向き直り、
「あの、爆発物の処理を、お願い、したいのですが……」
備えとして、処理班を呼ぶよう要請。
対して店員も話を続け、
「先に来ていた撃退士の男の人は何か知ってたみたいで、私達を助けてくれた後、1人で屋上へ行きました」
リーゼの事か。
瞬間、和紗が行動に移る。
「頼みました。俺は俺に出来る事をします」
機動力の高い他のメンバーに屋上への直行を任せ、自身は屋内の対処に。
「屋上ですね。まかせてくださいっ!」
合点承知、と返事をするうみ。
それに対しレフニーも、
「コノハちゃん、私達に韋駄天をお願いするのです」
飛行できる斉凛(
ja6571)とエリス、そして壁走りでデパートの外壁を直接駆け上がれるうみと自身を指して、木葉に頼んだ。
頷き、スキルを発動する木葉。5人の脚に風神の加護が宿る。
「お気を付けて」
そうして木葉も、和紗やジェンティアンと共に急ぎ屋内へ。
また、華愛も、
(まだ、爆発が、あるかもしれない、のです…)
聞けば、現時点で爆発があったのは8階から6階まで。音と振動からして、上から順に起こったようだと言う。
ならば、まだ下階にも…?
――身体が、小さく震えていた。
以前関わった別のビル火災の光景がフラッシュバックする。
また崩れたらどうしよう…。
また失敗したらどうしよう…。
不安が炎となって心を焼く。
だが、だからこそ、行かなくてはダメな気がする。
塞ぎ込みそうになる気持ちをぐっと堪え、意を決し、華愛は屋内へと駆けた。
(和紗さんの心配はリーゼさんっ。ふふ、ちょっと不謹慎ですが、微笑ましいですっ)
うみは和紗の背を見送りながら、軽く屈伸。ぐいーっと後ろに反り返って見据えるは、上階が燃え盛るデパート、その頂――
としおも隣に立ちながら、目を凝らす。
店員によれば、リーゼは1人で屋上へ向かったと言うが……
「無茶するな〜、ね? 青鹿s」
「――青鹿うみ、壁走りで参りますっ!」
顔を向けようとした刹那、うみが飛び出した。
外壁に足を掛け、正面右側を生身のまま一気に駆け上がる。
「あーっ! 青鹿さんも壁ダッシュっ!?」
40mはあるのに無茶しやがって!
「詳しい話は電話越しで!」
更には、片耳にイヤホンマイクを付けたレフニーも。
葉巻を銜えた強面のヒリュウ――大佐――を召喚し、片手で抱えながら正面左側を全力で上っていく。
ムチャシヤガッテ!
「落ちたらどうすんだ!」
としおは大慌てで、救命マットを借りに消防士の元へと走った。
一方で、うみやレフニーに先んじて真っ先に飛び出していたのは凛とエリス。
「空中支援はお任せくださいませですの!」
翼を広げ、建物の中央付近を垂直に上昇。
屋上までは届かない。だが、この中で高高度を飛べるのは自分とエリスだけだ。壁を駆け上がるレフニーとうみの直掩に付けるのは、自分達しかいない。
そうして凛とエリスの両側下方を、うみとレフニーが駆け上がってくる。
レフニーは小脇に抱えた大佐に状況判断を任せ、ただ全力で上を目指して走る。
火に追われて飛び降りるような無茶をする者が居なければ、それに越した事は無い。仮に居たとしても、絶対に自分達が間に合ってみせる。
無論、それは避難を始めている一般客に対してだけでなく、
「リーゼさん聞こえますかー! いま行くのですー!」
壁を走りながら、屋上へ向けて声を張るレフニー。
また、限界高度に到達した凛も、上方を索敵スキルで注視する。僅かなりとも視界に人影が映れば――
その時、凛の視界に影が映った。いや、映ったと認識できた時にはもう、その人物達はビルの縁から完全に飛び出していた。
2人の少年と、その片方――凛達から見て左側に位置する少年――を追うリーゼ。
全力で縁下を蹴ったリーゼはすぐさま相手に追いつき、空中で組み付く。
まるでスローモーションのようにはっきりと、しかし一瞬にして、3人は凛とエリスの両脇をすり抜けて落ちていった。
「リーゼさん!」
凛が叫んだ。
その声にレフニーとうみも気づく。対して、リーゼも。
予期せぬ方向から現れた彼女達を見て、屋上の縁へワイヤーを伸ばそうとしていた彼の挙動が一瞬遅れる。
代わりに、下からレフニーが大佐を投擲。少年の1人を抱えたリーゼごと壁側へ押し戻そうとするも、落下の勢いが強すぎる。
レフニーは急ブレーキを掛けて壁に張り付きながら、落ちてくるリーゼへと手を伸ばし、彼も手を伸ばし返すが、互いの指先を掠めただけで掴むに至らず。
リーゼは咄嗟に刀を抜き、僅かに届いた切っ先で壁を引っ掻く。
微かな減速。その刹那の差に、レフニーは壁を蹴って2人に飛びついていた。
壁走りの効果中であれば何度でも壁に張り付き直す事が出来るが、それはあくまでジャンプした後も壁に手足が届けばの話だ。
腹を括っていたレフニーはこのまま地上まで落ちるつもりで、されどそこに停まっていた乗用車をクッションにする算段で、落下地点を修正するように空中で体当たりして組み付く。
更に寸前で凛が追いつき、レフニー達の体を抱え込んで全力で制動を掛ける。
ぐんっ、と全身に圧し掛かる慣性。それでも尚、止まらない。
リーゼが少年を庇うように自らを下にし、レフニーが韋駄天の効力を活かして着地を試み、凛と大佐が最後まで全力で上へ引く。
直後――
ごしゃり、と。
無人だった乗用車が大きく拉げ、窓ガラスは無数のヒビで真っ白に曇った。
うみの頭上を越えて地上へと落ちていく、もう1人の少年。
「す、ストップですよっ!」
それは少年へ向けたものか、それとも行き過ぎた自分の足に対してか。
全力移動の慣性に抗い、ざぁっと壁面で踏ん張って大急ぎで下方向へUターンするうみ。
落ちていく少年へ手を伸ばすが、僅かに届かない。
一瞬の逡巡の後、覚悟を決めた彼女は足場の壁を蹴り、跳んだ。
空中で組み付き、共に落下。
(受け止められる方の無事を期すには、勢いを殺せばいいのですが…)
そう考えながら落下地点への進路上に召喚したのは、けーちゃんことケセラン。
自らの体とけーちゃんを緩衝材にして少年を助ける計算。
「でもこれだと私のダメージは見事2倍にっ!」
召喚獣と主の生命力は共有。
しぬかも。
そう思った刹那、唐突な減速による負荷がぐんっと体を引っ張る。
追いついたエリスが、2人を掴んでいた。
「な、ナイスキャッチですよエリスちゃn」
「ごめん、落ちる…!」
が、止まりきれずそのまま落下。
一方、落ちてくる仲間達の光景に人一倍焦りを露わにしたのはとしおだった。
救命マットなど到底間に合わない。
――光纏。
ドンッ、と彼の立っていたアスファルトに丸いヒビが走り、本人の姿が消える。
砲弾のように駆け出したとしおは召喚したスレイプニルを先行させ、空中でうみ達を受けさせる。それでもまだ止まらない。
そして地面に衝突する寸前、としお本人もギリギリのところで落下地点へと届いた。
ヘッドスライディングの要領でうみ達にタックルをかまし、着地の衝撃を横へと流しながら揃って道路に転がる。
「間に、合った……かな?」
2つの落下地点を見やるとしお。
道路を転がった自分やエリスも、車の上に落ちたレフニーや凛達も、それぞれむくりと起き上がる。
うみは……目を回しているが、命に別状なし。
限界まで減速した事、幾重もの緩衝を挟んだ事、他者を抱えたままというペナルティこそあれ、少なからず韋駄天の効果があった事など多数の要因が上手く積み重なり、皆、奇跡的なまでに軽傷で済んでいた。
ほっと一息。
気が抜けたところで、漸くとしおは、落ちてきた少年達へと意識が向く。
「ん? この子達は……」
見ると、何やらスマホを握りしめている。
画面では、複数の赤い丸が点っていて――
瞬間、まだ車の屋根に乗っていたリーゼが、向こうの少年の手からスマホを取り上げる。
遠目にだが、あちらのスマホにも同じ画面が映し出されているようだった。
「ど、どうしたんですのリーゼさん?」
「起爆装置だ」
困惑する凛に対し、画面を見て思い至ったリーゼが告げる。
「なんと!?」
それを聞き、としおも咄嗟に自分の側に居る少年からスマホを取り上げた。
屋内では、出入口に人の波が押し寄せていた。
警備員や消防士が流れを整えようと必死に奔走。
「落ち着いて、ください、なのです」
華愛もそれを手伝い、懸命に呼びかける。
一方で和紗は、天井に設置されたスプリンクラーを見上げていた。
噴出口から水が出ていない。まさか反応していないのだろうか。
案内図に駆け寄り、各設備の位置を確かめる。
「俺は警備室で設備を作動させます。竜胆兄、上をお願いします!」
「任せて! 設備操作は任せたよ」
消防士の1人と共に走って行く和紗を見送る暇もなく、ジェンティアンや木葉らも行動を開始。
「あたしはまず7階を見てくるのです!」
案内図を見ていた木葉が言う。
7階にはおもちゃ売り場がある。もしも子供達が取り残されていたら、放っておく訳にはいかない。
「僕も行くよ」
迷わず頷くジェンティアン。
火の中だと分かっていて女の子を1人で行かせられない。
「ボクは、5階から、探してみます、なのです…」
そう言ったのは華愛。
新たな火の元を断つ、と。スレイプニルのプーさんを召喚してその背に乗り、雪崩のように行き交う客や木葉らの頭上を飛ぶ。
「華愛ちゃんも、お気を付けて」
互いに、こくりと頷きを返した。
警備室に到着した和紗と消防士。
中では、1人だけ残っていた警備員が酷く狼狽していた。
どうやら防火設備の作動を任されたものの、1人取り残された途端、焦りと不安で頭が真っ白になったらしい。
落ち着かせ、遠隔操作の手順を1つ1つ確実にチェックしてもらう。
と、傍に居た消防士が少しだけ待ったをかける。
「スプリンクラーはまだ作動させないでください。煙の色からして、油が燃えているのかもしれない」
散水すると油が広がってしまう可能性がある。
頷き、一先ず防火シャッターのみを作動。
これだけでも、火の勢いをかなり抑えられるはずだ。
作動を確認した和紗は、スマホでエリスに電話。
「防火設備は作動させました。其方は大丈夫ですか」
『とりあえず大丈夫そう。リーゼとも一旦合流できたし』
「リーゼに伝えて下さい。必ず全員助けます」
『それが、もうそっちに飛び出して行っちゃったのよ。私達もすぐに行くから、和紗達も無理はしないでね』
互いに慌しいまま電話を切り、次に和紗はジェンティアンをコール。
「竜胆兄、状況は」
『いま生命探知しながら上ってるとこ』
少し間を置き、
『8階0人、7階5人、6階7人…まず目の前行くよ』
目の前。すなわち、今しがた到着した7階。
「分かりました。では俺は先に6階へ」
リーゼは双子の憎しみの籠った視線を受けながら、しかし無言のまま、休む間もなく再び屋内へと向かおうとする。
避難はまだ完了していない。
その背を呼び止めるとしお。
「これも持って行ってください!」
消防隊から借りた、要救助者用の耐火シートと飲料水ボトルが入ったミニバッグを投げる。多少なりとも、救助の役に立つかもしれない。
リーゼは投げ渡されたそれを手に頷き、屋内と消えた。
「残るはこの子達なんだけど……」
各自の手当てを済ませながら、力なく座り込んだままの双子を見やる。
「リーゼさんとは、どういうご関係ですの?」
凛が尋ねる。
2人は暫しの沈黙の後、やがて交互に語り始めた。
4年前、とある町で橋が崩れる事故があった。
実際は、事故ではなく事件。天魔が暴れた事による被害。しかし少年達にしてみれば、抗いようの無い天災のようなものだった。
その際、運悪く橋の上に居た少年達とその両親は、崩れかけの瓦礫に必死にしがみついていた。その時点で一家は既に重傷を負っており、もはや瓦礫にかけた手からも力が抜けようかという間際に現れたのがリーゼだと言う。
――私達はいいから、子供達を。
それが、少年達が最後に聞いた両親の声。
救助は間に合わず、リーゼが掴んだのは双子の手。
いや、本当は間に合ったのではないか?
もっと、何か良い方法があったのではないか?
――僕らはいいから、母さんと父さんを。
そう叫んだ自分達の願いは、聞き入れられなかった。
後に残ったのは、理不尽な苦しみのみ。
だから、復讐しようと決めた。
あの時の選択は間違いだったのだと、彼に分からせる為に。
ふと、話の横でエリスのスマホに和紗から着信。
「――私達もすぐに行くから、和紗達も無理はしないでね」
電話を切る。
そして口を開いたのは凛。
「わたくしも目の前で親を殺され、ショックでアウルに目覚めましたの」
2人の話を自身の境遇に重ね合わせ、その痛みに、寂しげな微笑を浮かべていた。
「目も髪も色が変わって…赤い目が不気味だと何度も石を投げつけられたわ」
理不尽で残酷な世界。
だが、
「自分が理不尽な思いをしたからといって、人に理不尽な事をしていい、言い訳にはなりませんわよね」
儚げな紅玉の瞳が、スッと鋭いものに変わる。
「貴方方の起こした火災で亡くなった人がいたら、遺族に理由を説明できますか? 死ねば許されるとでも思ったのかしら?」
だとすれば、それこそ大きな間違いだ。
「わたくしは理不尽な思いをしても、人を犠牲になんかしないわ。リーゼさんのせいにして逃げないでくださいませ。リーゼさんはわたくし達の大切な仲間ですの」
「なか…」
「……ま……?」
ふっと顔を上げて目を剥く、双子の兄弟。
自分達が考えていたものとは違うリーゼの立場を耳にして、呆然としているようだった。
対して凛は、徐に踵を返してデパートへと向かう。
リーゼが持っていったものと同じミニバッグを掴み、エリスと共に飛翔。
「守れる命があるのならわたくしが助けますわ。それがわたくしの生きる意味だから」
一方でレフニーも、
「同情はしますが軽蔑します」
双子の行為を咎める。
復讐をするにしても、何故こんな場所で行なったのか。
危うく『2人の少年』を量産するところだった事を理解しているのか。
その時は、いったいどうするつもりだったのか。
「…結局、助けて欲しかったんでしょう?」
だから、騒ぎになれば他にもヒトが、撃退士が来るかもしれないこの場所で行なった。
「…助けますよ」
届くかは分からない。
けれど、全力で手を伸ばす。
「掴めなかった命もあるけれど…それは、手を伸ばさない理由にはなりません」
2人の少年の為ではない。
自分自身がそう望んでいるから。
としおからミニバッグを受け取り、屋内へと駆けていくレフニー。
その背を見送りながら、としおは項垂れている双子へと尋ねる。
「何故そうなったか聞いたの? 言ったの? 本気で気持ちをぶつけ合ったの? 言葉にしないと伝わらない事ってあるんだよ?」
「……」
「……」
直接問い質した事は無い。
耳にしたのは、“カラス”の噂。
ただの噂。
そしてその過程で、一度だけこんな噂も聞いた事がある。
彼の事を“カラス”ではなく、“ヤタガラス”と呼ぶ者達の声。
死肉を漁る凶鳥ではなく、陽の光を探して飛ぶ鳥の話。
その時は、耳を傾ける価値も無い妄言だと、痛みを刻まれたことの無い者達が無責任にのたまっているだけなのだと、そう思っていた。
だが、本当にそうだったのだろうか。
もしかすると……
5階フロアへと入った華愛。
スレイプニルを戻し、新たにフェンリルを呼ぶ。わんこっぽい見た目なので、鼻が効く……かもしれない。
「お願いします、なのです」
すんすんと鼻を床にこすりながら探索を始めるフェンリル。
何か不審な物がないか手分けして探す。途中、追い着いてきた消防士達も探索に加わりながら。
するとフェンリルが何か異臭を嗅ぎつけた様で、一度戻ってきて華愛の袖を銜えてくいくいと引っ張った。付いていくと、植木の裏に蓋の開いたポリタンクが1つ。
恐る恐る中を覗き込むと、灯油と思しき臭いがつんと鼻を刺激する。
更に袖を引くフェンリル。
追って調べると、他にも隠されていたポリタンクが、一定の方向へ続くように配置されている事に気がつく。
そして従業員専用の通路を通ってフロアの裏側へと行き着き、店員ですらもあまり立ち寄らなさそうな建物の隅にそれはあった。
一目でそれと分かる、むき出しの小さな爆弾。
下手に触ると危ないと思い、とりあえず近くにあったポリタンクのほうを動かして遠ざける。
そこへリーゼが合流。だが彼も爆弾解体の技術は持ち合わせていない。
今出来るのは、少しでも引火のリスクを下げる事のみ。
華愛は消防士の無線で仲間達に連絡を回してもらいつつ、手分けして残りの階の爆弾――その付近の灯油を――回収する作業に移った。
7階へと急ぐ木葉とジェンティアン、そして消防士達。
その時、和紗から着信。
『竜胆兄、状況は』
「いま生命探知しながら上ってるとこ」
既に脱出を始めていると思しき反応は、一先ず除外して数える。
「8階0人、7階5人、6階7人…」
探知が届いていない位置にも居るかもしれないが、
「まず目の前行くよ」
到着した7階フロアへと足を踏み入れた。
『分かりました。では俺は先に6階へ』
電話を切り、消防士達と手分けして進む。
一方、気持ちが逸りどんどん先へ行こうとする木葉。
おもちゃ屋へ直進。
だがその行く手を、立ち昇った炎が阻む。
一気に通れ抜ければ、いけそうではあるが……。
「炎や煙を怖がってる場合じゃないのです」
「待った」
木葉の肩に、ジェンティアンが手を置く。
炎から滲むように漂うこの臭いは……
「油の臭い…」
彼は傍にあった植木鉢を持ち上げると、中の土を燃える床の上へとぶちまける。
蓋をされて勢いを失う炎。
「油火災は土かけて炎押えるのも手でね」
その隙に通路を渡り、2人はおもちゃ屋へ。
そこには1人の女性が蹲っていた。慌てて駆け寄る木葉。
「動けますかぁ?」
「え、ええ、大丈夫よ。ありがとう……」
まだ幼い木葉を見て、少しだけ驚いたような表情を浮かべる女性。
「レディに無理はさせられない」
それを他所にジェンティアンはどこかおどけた調子で、片膝をついて女性の手を取りつつ、その実、彼女の疲弊の程を推し量る。
「でも娘が…はぐれた私の娘がどこかに居るはずなんです」
手当てしながら木葉が名前を尋ねると、その母親は、娘の名は明里(あかり)だと答えた。
ジェンティアンが携帯を取り出してとしおをコール。避難してきた客の中にそれらしき子が居ないか探してもらうも、
『ちょっと時間掛かりそうですね』
「だよね」
言いながら、生命探知で改めて店内の反応を探る。
消防士達が奔走している事もあり、上下階のほとんどの客が出口へ向かっているのが窺えた。
ただ、6階におかしな反応が1つ。
脱出口へ向かうでもなく、てんでデタラメな移動の仕方でフロアを1人うろうろ。
これが明里という保証は無いが、どのみち放っておく訳にはいかないだろう。
自分もついて行くという母親。頑として譲らない雰囲気だ。
問答している暇もない。
「こんなところで、家族の絆、失うわけにはいかないのです。この身に変えても、必ず!!」
木葉のやる気にも背を押され、ジェンティアンは2人をつれて6階へと急いだ。
としおから母娘の話を聞き、飛び起きるようにして思考を回復させるうみ。
のびている場合ではない。
双子の元へ行き、告げる。
「そのお母さんは、きっと自分の命を引き換えにしても、娘さんを助けたいと思っています」
私は、お母さんが私を想う気持ちを知っているから。
そして双子の彼らも、『その事』を考えなかった訳ではないはずだ。
それはきっと、親と子どちらかしか助けられない時に、両親が言うべき言葉。
「お願いです、爆破をやめて。そして私たちに、その母子を助けさせてください」
「…爆弾は」
「…遠隔式だよ」
「遠隔操作で爆破。時限式ではないのですね?」
「衝撃や飛び火で誘爆する可能性も、ゼロじゃない」
「急ぐ必要がある事に、変わりはないよ」
消防士と手分けして、和紗は6階の避難を手伝っていた。
ふと、視界の先に1人の女の子を発見。同時に、その子の頭上で天井の破片がみしりと音を立て落ちる。
咄嗟に回避射撃を撃ち込んで弾き飛ばす和紗。
驚く女の子へと駆け寄り、抱き止めて落ち着かせる。
だがその直後、炎で崩れた商品棚が2人のほうへ倒れ――
盾を構えたジェンティアンが、受け止めていた。
「珍しく働いてますね、竜胆兄」
「ここはもっと褒めてくれても良いんじゃない!?」
木葉と母親も合流。
「明里! 無事で良かった…!」
母親が娘を抱きしめる。
その光景を見て木葉はどこかチクリとした痛みを感じながら、今は感傷に沈んでいる時ではないと、気を奮い起こす。
実際、助けに入ったは良いが、周囲はすっかり炎に包まれていた。
不安げな色を浮かべる明里の頭を、ジェンティアンがマインドケアを使いながらそっと撫でる。
「大丈夫。イケメンのお兄さんが護るから」
軽口のおまけ付き。
「すぐにお外へ出られますからねぇ〜」
木葉もにっこりと笑いかけながら励ます。
とは言え周囲は炎の壁。
撃退士である自分達は、多少炎熱を浴びたり煙を吸ったとしても何とかなる。だが既に相応の熱と煙を吸って弱っている一般人の母娘を抱えたままでは……。
その時、炎の向こうに現れた大勢の影。大量の消化剤を抱えたうみやレフニー、としお、リーゼや消防士らの姿。
更に彼らに先んじて飛び込んできたのは、華愛だった。
スレイプニルの巨躯で炎の壁に穴を開け、母娘を背に乗せて落ちないようにしっかりと支える。
そのまま炎を振り切り、向かった先は西に面した窓。既に割れていたそこで待っていたのは、翼を広げた凛とエリス。
母娘をキャッチして離脱。
残った木葉達も消化剤を使ってその場を脱する。
それでも、まだ終わりではない。
「全フロアの探索が終わるまで、駆け巡るのです!」
木葉がここ一番の気合を見せ、仲間達と共に最後まで救助活動を続けた――
●
消化作業に伴い炎の勢いが弱まり始めたデパートを背に、一同は改めて経緯を問う。
が、口を開きかけた双子をジェンティアンが制止。
「あ、STOP。少年でなくリーゼちゃん説明して。呼付けた以上は責任持って」
口下手なのは知っているが、だからと言って甘やかさない。
彼自身の声で聞かせたほうが、双子にも気持ちが伝わり易いはずだ。
リーゼは少し困窮した様子だったが、やがて辿々しいながらも話し始めた。
崩落の事。
天魔の正体は不明な事。
助かった者も多かったが、亡くなった者も決して少なくなかった事。
居合わせ、救助に加わった先で……
私達はいいから、子供達を。
僕らはいいから、母さんと父さんを。
どちらも言葉を言い終えるより早く力尽き、しがみついていた瓦礫から指が離れた。
親か子か。
結果、掴んだのは少年達の手。
「……すまない」
謝って済むとは思わない。
しかし他に言葉が見つからない。
兄弟の歯噛みする音が聞こえる。
分かっている。リーゼのせいではない。
だがそれでも、彼がもう少し早く来てくれていれば。両親を選んでくれていれば。
そう思ってしまう。許せなく感じてしまう。
「貴方達の感情は否定しません。ですが無罪でもない」
静かに声を掛けたのは、和紗。
「リーゼの事、許せなくても良いと思います…“今”は」
何度でも彼に挑めば良い。但し、誰も巻き込まず。
そしてその度に、
「何度でも俺も一緒に必ず助け、貴方達を生かし続けます」
すっ、と。リーゼの隣に立ち、彼の手を握りながら双子を直視する。
生きる糧は希望以外でも構わない。
生きてさえいれば…ヒトは変わる事も出来る。
「榊達を見て、何よりリーゼ自身で分かるでしょう?」
生きてさえいれば。
その願いの遠さに、リーゼは微かに目を伏せ――
「ありがとうございます」
唐突に。
和紗から礼を言われて、リーゼは顔を上げる。
「呼んでくれた。おかげで皆助ける事が出来ました」
微笑む和紗。
「但し90点。突入前なら95、呼出し時点で警戒していれば満点…ですが合格です」
そのままそっとリーゼを抱きしめて、頭を撫でる。
言われ、彼は思い出したように辺りを見た。
倒れて怪我をした者はいる。火傷と酸欠で朦朧としている者もいる。
しかし、死傷者0。
いつだって、間に合わないかもしれないという覚悟が必要だった。1人でも多く助ける為に、死者に背を向ける判断も必要だった。
だが今度は、確かに間に合った。
それは紛れもなく、彼女達や彼らのおかげで……
――1人でない事は忘れないで。
リーゼの脳裏に、夢に見た記憶が瞬く。
『あたしゃもうババアだからねぇ。馴染みのある連中は、みんな先に逝ってしまったよ』
昔、老婆が言っていた言葉。
そうして彼女が迎えた最期は――
決して、ひとりなどではなかった。
葬儀には多くのヒト達が訪れた。
占いの常連だった客を始め、隣人や役場の職員、先立った友人達の家族、その誰もが老婆が生前関わった者達。
あの時に感じた、確かな想い。
――それでも、貴方の味方でいさせて下さい。
近く聞いた少女の言葉が重なる。
リーゼは彼女達へ向き直ると……
「ありがとう」
ともすれば見落としてしまいそうなほど小さな、しかし確かな笑みで、その言葉を口にした。
とくん、と。
和紗は自分の中で、鼓動が跳ねるのを感じた……ような気がした。
力になる、などと大それた事は言えない。それでも、願わくば彼の――
“ヤタガラス”の、翼休める枝でありたい。
そう想いながら。
それは双子が、彼を“カラス”と呼ぶ者達が、知り得なかった姿。
陽の光を探して飛ぶ鳥の姿。
一方、和紗の中に脈打った不穏な気配を察知したジェンティアン。いつものように嫉妬で黙っていはいない……と思いきや、何故かニコニコと大人しくしていた。
リーゼに突っかかる訳でもなく、代わりに双子へと話の続きを投げ掛ける。
「周囲に従う必要ないでしょ」
ましてや、人生の強要などに。
「僕は君らを“無力な子供”とは認めない。…これだけやれて何処が無力?」
がしっと双子の手を取り、
「何なら手組まない? リーゼちゃん倒すの」
やっぱり黙ってなかった。
「ガス抜きは必要だから向かって行けばいい。リーゼちゃんは受止めてあげるでしょ?」
っていうか受け止めろ。全力で行くから。全力で行くから!
「関わるうち関係も変わるかもよ」
「ではリーゼの味方である俺は、竜胆兄を倒す事にします」
ジェンティアンの脇腹をドスッドスッと手刀で突く和紗。
「加勢しますの」
釘バットを振り上げる凛。
騒がしい…いや、賑やかな光景。
それを眺めていた2人の少年は、やがてやってきた警官の元へ自ら赴いていった――
●数日後
一同にお礼が言いたいと斡旋所に願い出ていた母娘。オペ子の計らいにより、久遠ヶ原へ招待されていた。
場所は、修繕中のオカマバー『Heaven's Horizon』。
おもてなしのメニューはお酒…という訳にはいかないので、凛特性の紅茶とケーキ。
「どうぞお召し上がりくださいですの」
テーブルでは、明里に捕まった大佐が困った顔を浮かべている。
「たばこ、メッ!」
「ぎゅ……」
そんな娘を見守りながら、母親は改めて礼を述べる。
特に気掛かりだったのは、娘とそう変わらない年齢である木葉の事。
「これからも辛い事がたくさんあるかもしれない。けれど、そんな時はどうか思い出してちょうだい」
あなたやあなたのお友達のおかげで、この子も私も、そしてたくさんの命が救われた事を。
「助けられた人達と同じくらい、どうかこれからのあなた達に多くの幸せが訪れますように」
そう言って、彼女はそっと木葉の頬を撫でた。
一方で、エリスが華愛の様子を見る。
「ハナもいっぱい頑張ったわね。火、苦手だったんでしょ?」
「でも、みんな助けられて、よかったのです」
こくり。
そしてカウンター席では、和紗がリーゼにプレゼントを渡していた。
「誕生日前ですが。…どうもお守りが必要そうですから」
中に入っていたのはカイヤナイトのネクタイピン。
純粋や清浄を象徴し、宝石言葉は安らかな時間。
「蒼が似合うと思って」
「ふむ。大事にしよう」
「ちょっとリーゼちゃん何!? 和紗にプレゼントせびったりなんかして!」
「竜胆兄、うるさいです」
フォークぐさー。
そうしてまた、新しい日々をすごしていく――