「もっふもふやでー!」
ふさふさもふもふの狐耳と尾を揺らしてシャウトする神坂 楓(
jb8174)。
何事かと振り返った警官2人に撃退士である事を説明し、8人は役場から借り受けてきた病院の見取り図をパトカーのボンネット上に広げて状況を確認した。
樒 和紗(
jb6970)が警官に爆発箇所を尋ねると、彼らは地図の中の2階裏手側にある手術室を指差す。
薬品やガス等の危険物にも注意した方が良いという楓の言葉に頷きながら、一同は院内の間取りを頭に叩き込む。
鷹代 由稀(
jb1456)の提案により、探索は二手に分かれて行う事に。
A班は御琴 涼(
ja0301)、柘榴姫(
jb7286)、志摩 睦(
jb8138)、そして由稀の4人で爆発現場を中心に調査。
B班は白虎 奏(
jb1315)、グリムロック・ハーヴェイ(
jb5532)、そして和紗と楓の4人で1階から回る事に決まると、互いに連絡用の携帯番号を交換する。
「何が出て来るかな〜っと。なんか、お化け屋敷みたいですね〜」
相棒であるヒリュウ(ポチ)を呼び出して元気良く駆け出した奏に続き、一同は静まり返る廃病院へと足を踏み入れた。
●2階、A班
「こないな場所、普通の人は来ぅへんやろなぁ…」
睦は、緊急時に備えて既に具現化させていた魔具を手にしながら言う。仮に要救助者が居たとして、まず一般人では無いだろう。
どちらにせよ、状況がはっきりするまで戦闘は極力避けた方が良さそうだ。
爆発現場に到着。
丸ごとという程ではないが、手術室奥の壁は大きく抉れ、その中心に開いた穴から外の景色が覗いている。壁や天井も大きく焼け焦げ、破門状に広がった煤で床は真っ黒だ。
由稀は爆発の中心点と思しき壁のクレーターに顔を近づけると、その抉れ方や煤の広がり具合から、クレーター自体は爆発によるものではなく、何か別の力によって出来たものだと思い至る。
「んぁ? こいつぁ…人形、か?」
涼は、棚やガラスの破片に雑じって落ちていた炭の塊のようなソレを拾い上げる。パタパタと手で叩いて煤を落とすと、それは厚手の生地で作られたぬいぐるみだった。ほつれた部分から、綿の代わりにガーゼのようなものがはみ出ている。
他にも、大き目の木片か何かだと思っていた残骸の幾つかは、同じように焼け焦げたぬいぐるみ達のようだ。
柘榴姫も涼を真似て落ちているぬいぐるみの一つを手に取ると、何を思ったかダラリと垂れたその首をブチリと引き千切ってみる。直後、彼女は以前関わった『ぬいぐるみ騒動』の事をふと思い出す。
「ともだちがいるわ」
唐突に言った柘榴姫に、涼や睦が首を傾げる。
襲われているのは自分の友達かもしれないと話す彼女に、まだそうと決まった訳ではないと2人が諭す。一方で由稀は、床に残った別のモノに目をつけていた。
煤のこびり付いたタイル張りの地面に薄っすらと浮かび上がっている足跡。廊下から室内へと向かって付いている4つの靴跡は、言うまでもなく自分達のもの。しかし、室内から廊下へと真っ直ぐに続いているこの2つの足跡は……。
小柄な女性あるいは子供のものと思われる小さめな靴跡と、明らかに人間のものとは思えない大きさの裸足の跡。ざっと見積もっても、後者の身長は2mはあるだろう。
由稀は携帯を取り出してB班にその旨を報告すると、通話を切って再び足元に視線を落とす。気になっているものはもう一つあった。
ほとんどが爆風で蒸発しているものの、乾燥して皮膜のように残留しているコレは恐らく血の跡。幾つもの戦場を経験している彼女にとって、それは溜息が出るほどに見慣れた痕跡だ。
目を凝らしてその跡を辿る彼女を追って、他の3人も手術室を後にする。
周囲を警戒しつつ足跡と血痕を追っていた彼女らはしかし、徐々に薄くなっていくそれらが完全に途切れてしまった事で小さく舌を鳴らした。
仕方ない。やはり虱潰しに探索するしか――
そう思った時、アウルによる補正を掛けて聴覚を研ぎ澄ましていた由稀の耳に、新たに1人分の足音と息遣いが届く。音源を辿って顔を上げると、突き当たりのT字路を右から左へ横切ろうとする人影が姿を見せる。
否。それは人ではなく、人の形をした狼だ。
ヒクヒクと鼻を動かしながら歩いていた人狼は、こちらに気付いて足を止める。
ギラリとした金色の眸子で、こちらをじっと見つめる人狼。
身構えて魔具を実体化させようとする3人だったが、相手の様子が少しおかしい事が気にかかっていた睦はそれを制止する。
すると人狼は何かと見比べるように4人を凝視した後、そのままぷいっと視線を外して当初の進路を歩き去っていった。
今の人狼には、特に外傷は無かった。
外傷が無いという事は、ナニカに襲われて出血したのは今の人狼では無く別の誰か。そしてそのナニカというのは、おそらく今の人狼だろう。にも関わらず自分達を襲ってこなかったという事は、あの人狼は与えられた特定の命令以外には一切興味を示さないように出来ているのかもしれない。
どうせ見つかっても平気であるのならと、由稀はそれまで不用意に敵に悟られるのを防ぐために我慢していた煙草に火を点けて、再度、携帯を取り出した――
●1階、B班
先頭を歩いていた楓が、手鏡を使って曲がり角の先の様子を確認する。
「映画で見て真似したいと思ってたんですよね…映画じゃ銃剣にガムで鏡くっつけてたけど…」
そう言って、先々にある病室の入り口でもクリアリングを行う楓。グリムと和紗も視界内をくまなく精査し、同時に、いつでも使えるように阻霊符を準備しながら歩く奏とポチによる広範囲索敵。
そうやって慎重に歩を進めていたB班の面々は、再び携帯が鳴ったことで足を止める。A班からだ。
内容は、人狼型の天魔と遭遇したという報告。しかし、こちらには興味無しといった様子でそのまま素通りされたらしい。
もしかするとその人狼は、『誰々を殺せ』という単一で限定的な命令あるいはそれを阻害する要素以外に対しては反応しない、極めて単純な思考しか持ち合わせていないのかもしれない。
和紗は、自分達の気配にはそれほど神経質にならなくても大丈夫だと判断。それならばと、グリムは声を出してどこに居るとも知れぬ要救助者へと呼びかけ始めた。
直後、物音がして、4人は早足でそこへ向かう。
駆けつけた先は備品倉庫。4人は万が一を想定して魔具を実体化し、互いに顔を見合わせてスライド式のドアを開けた。
それぞれ違う方角を注視しながら中に踏み入り、すぐに和紗が棚の陰に隠れている人影を発見。
右眼を酷く負傷しているその少女は、和紗達を見るなり強い警戒の色を示した。
「あんた達、撃退士ね」
その様子から、すぐに4人は彼女が人間ではない事を察した。和紗は大太刀の切っ先を僅かに逸らしながら、少女に敵意の有無を問う。
少女は傷の痛みに息を荒げながら、
「……あんた達が私の敵だって言うなら、そうなるわね」
問いかけた和紗以上に警戒した様子で、そう答えた。
それを見た和紗は徐に武装を解くと、座り込んでいた少女の前で膝をついてそっと手を伸ばす。
少女は一瞬、びくりと身を強張らせて後退るが、和紗の細い指が負傷した右目にそっとあてがわれた事で、困惑した表情を浮かべつつもすぐに大人しくなった。
和紗は未だ血の止まらぬ彼女の右眼に治癒スキルを試みるが、半暴走状態にある少女の魔力と反発して効果が薄い。楓も試してみるが、結果は同様。
このままではどうにもならないので、彼女らはとりあえず倉庫内にあった未開封のガーゼと包帯を開けて処置した。
「応急手当したから…少しの我慢だよ、頑張ってね」
その間グリムが、A班に要救助者を保護した旨を連絡。傷が酷い為この場で待機すると告げる彼の言葉に、少女がむっとした様子で口を挟む。
「勝手に決めないで。立って歩くくらい、できるわよ」
そう言って立ち上がるも傷口がズキリと脈打ち、彼女は早くも血の滲み始めた包帯を押さえてよろめいた。
咄嗟にそれを支えるグリム。彼は少女の辛辣な態度に腹を立てた様子も無く、「では一緒に行こう」と優しい笑みを浮かべる。
それを見て、少女は何だか悪い事をした気がして、照れ雑じりの気まずさに頬をわずかに赤くしながら――それでも、やはりまだ少し不満に思いつつも――小さく頷いていた。
戦闘時の分担を考慮した結果、少女の付き添いは奏に決まり、5人は部屋を出る。
病院外を目指して移動を開始。互いに軽く自己紹介を済ませつつ、道中、和紗はエリスに事の経緯を尋ねた。しかし、彼女を襲った人狼の主については、エリス自身にも特定に至るほどの心当たりは無いらしい。
ちなみに手術室の爆発は、人狼から逃げる為の咄嗟の行動だったようだ。
おかげでせっせと作り貯めたぬいぐるみが全て消し炭になった、とぼやくエリス。
やがて5人が、T字路の手前へと差し掛かった時――
A班が言っていた個体と同一であると思しき人狼が、のしりと曲がり角から姿を現した。
一同の中にエリスの姿を見つけた人狼は突き出した鼻筋に皺を寄せ、低く唸りながら大きく牙を剥く。直後、他の者には目もくれずにエリスへと突進。
グリムは咄嗟に前へ踏み出して注意を引こうとするが、人狼の目にはもはやエリスしか映っていない。
被弾も厭わず強引にグリムや楓、和紗を突破してきた人狼を前に、奏は自らの身体を盾にしてエリスとの間に割って入った。しかし次の瞬間、彼を後ろに突き飛ばしていたのは他でもないエリス。
彼女は、高々と振り翳された爪から奏を庇い――
銃声。
人狼の鉤爪が粉々に砕け散り、カキンという排莢の音が響く。
驚いて顔を上げたエリスの視界の先――T字路から横に伸びた通路の奥――で、紫煙を燻らせながらうつ伏せでライフルのスコープを覗き込んでいる女の姿があった。
由稀は長く真っ直ぐに伸びた通路の端から、スコープ越しに少女と人狼の姿を捉えていた。人狼が爪の砕けた手を再度振り上げた瞬間、その拳にレティクルを合わせる。
トリガー。
銃声と共に吐き出された弾丸が敵の拳を弾き飛ばし、由稀は即座にボルトを引き起こす。勢い良く排出された薬莢がカキンと床を跳ね、痛みに悶える狼の呻き声がそれに重なった。
転がったアウルの薬莢が霧のように消えていく。だが、人型の獣は尚も止まる事無くエリスへと迫った。
――そこへ投げ込まれた一つの盾。
ブォン! と風を裂いて飛び込んできたその盾はどかりと地面に突き刺さり、エリスと人狼の間に壁を作る。
「わんわん、もふもふじゃないわんわんね」
通路の先で、投げ込まれた盾の持ち主――柘榴姫――が言う。
手を離れた盾はすぐにヒヒイロカネへと戻るが、そこへ間髪容れずに飛び込んできた涼が、体制を立て直したグリム達と共にありったけの力を込めてエリスから人狼を引き剥がした。
「今日は、あなたがないているのね?」
「あ、あんた、あの時の――ぅぷ!?」
見知った顔の少女にエリスが目を見張った瞬間、柘榴姫は隠し持っていた棒付きキャンディを彼女の口に突き入れていた。同時に、包帯越しのエリスの右目に治癒スキルをかけてやるが、やはり効果は無い。
「……ほんとお人好しよね、あんた達って。…………ちょっと変だし」
ジト目ぎみに、キャンディを口の中でカラコロと転がすエリス。
それに対し柘榴姫は、頭に疑問符を浮かべながらコテンと首を傾げる。
「ともだちがこまっていたらたすけなさいって、ししょーがいっていたわ」
彼女はエリスを、次いで自身を指差しながら――
「あなたは、私のともだちだから」
「こいつぁ、おめぇさんが作ったのかね? …よく出来てんじゃねぇか」
人狼の重撃を盾で受けて大きく押し出されてきた涼は、グリムがすかさずカバーに入ってくれたのを確認しながら口を開く。彼はすぐ後ろのエリスを振り返ると、懐からある物を取り出した。
焼け焦げ、煤だらけになった手製のぬいぐるみ。
彼はそれを手渡すと、にっと笑いながらエリスの頭を撫で、両手に一対の拳銃を抜いて再び人狼へと向き直った。
「…敵やないんやったら、守らんとやねんな」
「女の子は護るものでしょ!」
それが友達であるのなら、尚更だ。
由稀の隣で睦はアウルを灯した風玉を操り、奏の召喚したポチのブレスに合わせて人狼の全身を射抜く。
頽れそうになりつつもしぶとく踏みとどまった敵の右膝を、和紗の強弓が砕いた。
人狼は片膝をつき、右に傾きかけた姿勢を支えようとして右手を壁に伸ばすが、重心を寄せた掌が壁に触れる寸前、楓の振り抜いた太刀によって肘から先を切り飛ばされる。
完全にバランスを崩した人狼は右肩を床に擦りつけ、ずしんと建物を揺らした。
それでもまだ左腕で重たげに身を起こし、轟くような咆哮で大口を開けた刹那――
ターン! と、通路の奥から一際甲高く鳴いた銃声がこだまする。
異形の狼はその四肢をぱたりと地面に落とすと、それきり、二度と動かなくなった――……
●廃病院前
「あの日の、きゃんでぇのおれい」
柘榴姫は自身の大好物である『いちごオレ』をずいっとエリスに差し出す。
「え、でも私、まだ口の中にキャンディあるし……」
遠慮しようと胸の前で手を振るエリスと、構う事無くずずずいっと紙パックを前に出す柘榴姫。
2人の身体に挟まれた紙パックが、ぐいぐいと徐々に歪な形に潰されていき――
ぶしゃっ
薄桃色のミルクが噴き出し、エリスは頭からそれを引っ被った。ポタポタと白液を滴らせながら、げんなりした表情を浮かべる。
「もったいないわ」
一方、何故か一滴も浴びる事のなかった柘榴姫は、エリスから滴るいちごオレを直接舐め取ろうとして、見かねた警官や仲間達に止められていた。
楓からタオルを借りて髪と服を拭き終えた頃、由稀は幾本目かになる煙草に火を点けながらエリスに声を掛けた。
ここに来て今更『投降』などという言い方をするつもりも無いが、傷の事もある。ましてや、刺客紛いの天魔が再び襲ってこないとも限らない。
一緒に来る? と、由稀が手を差し出す。
しかしエリスは差し出されたその手をすっと躱すように、徐に彼らと距離を取った。
「助けてくれた事には感謝してるわ。でも、やっぱり人間となんて……」
小さく俯いた脳裏に、ふと、ある言葉が蘇る。
――あなたは、私のともだちだから
悪魔の少女は輪の中にいる柘榴姫をちらりと一瞥すると、
「……考えとく」
呟くように言い残し、楓にタオルを返すと翼を広げて静かにその場を去って行った。
力ずくで拘束するわけにもいかず、黙してそれを見送る撃退士達。
「…自分を好いてくれる人が居る場所が、帰る場所、やねんで」
睦の言葉が、少女の飛び去っていった空へと消える。
既に見えなくなったエリスの背を追うように最後まで空を見上げていた柘榴姫は、やがて肩に手を置いた仲間達に引かれ、学園への帰路についた。