――現場への道中。
「孤児の誘拐など言語道断。一切の容赦なく断罪します」
憤りを隠す事なく口にするリディア・バックフィード(
jb7300)。
救出が最優先。それは揺るがない。しかし弱き者を護らず搾取する、そんな行為は断じて認められない。
権力を笠に着ず、私利私欲で力を行使をしない。真の強さとは、そうした気高さにこそあるべきはずのものだ。
――矜持を理解せぬ者に慈悲はなし。
(相応の裁きを与えましょう……)
その時、携帯にオペ子からグループ通信が入る。
建物内で何者かが戦闘しているらしい。それを聞いて足を早める8人。
やがて、到着した敷地前では数人の野次馬が騒いでいた。
「大きなビル、なのです…」
野次馬の視線を追うように、華愛(
jb6708)も建物を見上げる。すると野次馬の1人が8人に声をかけてきた。
曰く、ビルから飛び去る3つの人影を見た。
「…面倒な『匂い』だ。急いだ方が良さそうだ」
空気を感じ取り、中津 謳華(
ja4212)が口を開く。
8人は周囲を警戒しながらビルの正面エントランスへと入る。そして、すぐにその違和感に気が付いた。
静か過ぎる。
受付カウンターにすら誰も居ない事を怪訝に思いつつ、近づいてカウンターの中を覗き込む。すると、床に倒れている受付嬢を発見。
息はある。魔術的な作用で一時的に眠らされているようだった。
アウルを纏って耳を済ました斉凛(
ja6571)が、建物内の端々から無数の『寝息』を拾い上げる。どうやら地上階の人間全員が眠らされているらしい。
次いでRehni Nam(
ja5283)が、物音ではなく生命反応そのものを探るスキルを、未だ見ぬ地下へと向けて展開する。
返ってきたのは、身を寄せ合うように一箇所に密集する確かな反応。そのすぐ傍にも、別の反応が1つ。動く事なくぽつりと佇んでいる。
そして更に、そこへ向かって移動する何者か。
地下に誰かが居る事は間違いない。確証こそ得られていないが、密集している生命反応が孤児達である可能性は非常に高いだろう。
「絶対助けて見せます…!」
強く言葉にするレフニー。
一同は、事前に冨岡からFAXで受け取ったビルの建築設計図を広げる。地下への入口は、ビルの裏手側。
レフニー、華愛、凛、Robin redbreast(
jb2203)、神雷(
jb6374)は地下班として。リディア、謳華、御堂・玲獅(
ja0388)は地上班として、それぞれ捜索を開始した。
●
地上班が向かったのは警備室。受付嬢同様、警備員達も睡眠状態にあった。ふと監視モニターを見た玲獅が、近くの通路で男が倒れているのを見つける。
急行する3人。発見した男の首には、『代表取締役社長』と書かれた社員証があった。
玲獅の介抱を受け、目を覚ます社長。
「撃退士です。助けに来ました」
玲獅が沈静剤代わりのマインドケアを織り交ぜつつ話を聞こうとするが、彼は「私は何も知らない」の一点張り。しかしその目は泳ぎ、あきらかに動揺している。
業を煮やした謳華が口を開く。
「…面倒事は嫌いなのでな、背後関係からなにから何まで洗いざらい吐いてもらおうか。ああ、嘘をつけば一つにつき一本折るからそのつもりで」
社長は怯えつつも、中々口を割ろうとはしない。
ならば記憶に直接聞くまでだ。リディアはシンパシーを強行。社長の記憶が奔流となってリディアの脳裏に映し出される。
彼女が『視えた』光景について口にすると、それまで白を切っていた社長は観念するかのように腹の内に溜め込んでいた秘密をぶちまけ始めた。
主犯はあくまでも研究部主任の橘 直雄であり、自分は孤児を利用する事には反対だった。何より、自分は悪魔に脅されていた被害者だ。
「た、頼むっ。何でもするから、助けてくれっ」
それは社会的な保身についてか、それとも悪魔に脅かされていた己の命についてか。
縋りつく男に、リディアは冷めた目を向ける。
「私には貴方の命より子供の命が大事です……」
「この男……」
やはりその身で痛みを知るべきではないか。謳華が鋭い眼光で社長を睨め付けるが、玲獅がそれを制しながら社長の両手を背中側で縛り上げる。
「警察の方々が到着するまで、警備室で拘束しておきます」
そう言って玲獅は、社長を連れて通路を歩いていった。
対するリディアと謳華は、神雷達が先行している地下へと向かう。社長の記憶と設計図を照合しながら地下入口前へと着いた時、2人の携帯が着信を告げる。凛からだ。
『ターゲット発見ですわ』
●少し前
ロビンは、ただ淡々と動いていた。
――自身も物心のつく前に人身売買組織に拐われ、売られた身。
暗殺の為の道具として育てられ、技術の代わりに心を捨てた。いや、捨てる以前に、芽生える事なく機械として組み立てられた。
その後、久遠ヶ原に保護されてからの生活で『知識』としての感情は理解した。それによれば、今回のような孤児や自身の生い立ちは『可哀想』と表現するに足る境遇らしいが……これといって感慨は湧かない。
いま彼女を動かしているのは、任務を請け負ったという無機質な義務感だった。
地下班はビル裏手――資材搬入口――から、設計図にある地下通路を目指して周囲を精査しながら進む。レフニーが大佐(ヒリュウ)を、華愛がスーさん(ストレイシオン)をそれぞれ召喚し、探索を手伝ってもらう。
孤児を誘拐・監禁しているのであれば、薬品などの積み荷に偽装して出し入れしている可能性が高い。実際、前回の移送にはトラックが使用されていた。
そうなると、厄介なのは先の通報内容だ。何らかの戦闘があったとなると、焦った犯人が証拠――孤児を他所へ移そうとするかもしれない。
運び出される前に、トラックを潰しておくか。
そう考えたロビンだったが、運搬車両の類は特に見当たらなかった。平時はここには置いていないらしい。
「重要な場所は基本的には最深部ですよねぇ」
一方、捜査の基本は足とばかりに駆け回る神雷。
ややこしい事は考えずにオペ子経由の冨岡情報を信じ、ただひたすら地下エリアを目指す。途中、件の『戦闘があったらしき通路』に差し掛かるが、それすらも無視して突き進む。
あまりの豪胆さに呆気に取られる凛達をぐいぐい牽引して進軍する神雷。
その大胆さが功を奏し、地下班はあっという間に地下入口へと到着。問題は、内偵員では立ち入る事ができなかったというそのエリアにどうやって侵入するかだ。
アナログな錠前であれば凛の開錠スキルがあるので多少は何とかなるが、もしも電子ロックだった場合はそうはいかない。
しかしそんな凛の懸念に反して、鍵問題はすぐにクリアできた。直前に誰かが通り――それもかなり慌てていたようで――扉が開けっ放しになっていたからだ。
これ幸いと、神雷は迷わず扉をくぐる。
奥へ、奥へ。
不自然に開けっ放しになっているドアを辿って進むと、やがて真っ直ぐに伸びる一本道に出た。進んできた勢いのまま通路を抜けると、そこには剣を携えた銀色の甲冑が1体。
「ほぉ、これはこれは…良さそうなのも居るじゃないですか!」
思わずニヤリとする神雷。
製薬会社のビルには不似合いな、違和感バリバリの風体。どう考えてもこれ悪魔かディアボロでしょう。悪魔が関わっているという物的証拠ゲットです。
それだけではない。その天魔のすぐ後ろには、開けた檻の中で孤児達に詰め寄る白衣姿の男が居た。こちらはレフニーの異界認識を介して見ても、紛う事なき普通の人間だった。事件に関与している社員か。
監禁された子供達と、それに詰め寄る社員。門番はディアボロ。
令状が出るには充分すぎる状況だった。
「ターゲット発見ですわ」
至急合流されたし。凛が携帯越しに地上班へと呼び掛け、華愛は再度スーを召喚。
一方、男――直雄――は孤児達の中から大人しそうな少女を1人掴み、檻から出てくる。そこで初めて、出入口に立つ神雷達に気がついた。
「な、何だお前達!」
「悪魔が絡んでる製薬会社ですかぁ。まぁ、人間の為になるなら問題は無いかなと思うんですよねぇ」
神雷が言う。
モラルの是非はともかく、まっとうな製薬事業に被験者が必要なのは事実だ。
「そういった貪欲さも人間の強さだと思います」
――人間という種の強さに惹かれてやまない。
「私からすればあなたの魂も輝いていますよ」
素直な感想を口にする神雷。しかしそんな彼女とは裏腹に、直雄は忌々しげな様子で胸ポケットに挿していたボールペンを手にしていた。
キャップを外し、抱き寄せた少女の喉元に尖ったペン先を突きつける。
「動くとこの子供が死ぬぞ」
人質を取られて手を出せずにいる撃退士達を鼻で笑い、一同に出入口から離れるよう顎で指示する。彼女らが渋々そこをどくと、直雄は地上への通路をじりじりと後退っていく。
だがそこへ、後方からリディア達が駆けつけた。足音を聞き、直雄は肩越しに振り返って舌打ちする。
「くそ、まだ居――」
瞬間、鼓膜を殴りつける竜の咆哮。
スーの超音波を浴び、直雄が思わず両手で耳を塞ぐ。その隙をついてロビンが肉薄。右手で孤児を引き剥がしながら左掌を直雄の横首に叩き込む。
衝撃が首筋を介して脳を揺らし、直雄は白目を向いてその場に昏倒した。
へたり込んで泣き出した孤児の頭を、駆け寄った華愛がよしよしと撫でてやる。
だが、まだ終わりではない。
「必ず助けますから安心して下さい」
同じく駆け寄ったリディアがその子の手を取り、甲冑の後ろに囚われている孤児達にも向けて言う。彼女は手を取った子を隅の方へ避難させると、檻の前に立ちはだかるディアボロに対し、仲間達と共に武器を構えた。
華愛の思考を汲み、スーが仲間達に自身の魔力を分け与える。防御効果を得て、最初に仕掛けたのはリディア。
まずは子供達が居る檻から引き離さなければ。そう考えて、微動だにせず佇んだままの甲冑の足下を狙って、魔弾を放つ。あえて躱され易い位置を撃つことで敵の立ち位置を巧みに誘導しようとしたのだが――
大気が微かに揺れた。
瞬間、リディアの魔弾が敵の足下に届く前に空中で真っ二つになって掻き消える。
携えたバスタードソードによる、切り払い。
文字通り目にも留まらぬ剣速を繰り出した甲冑はしかし、斬撃前と変わらぬ姿で静かにその場に佇むのみで、決して追撃に動こうとはしなかった。
それに対し双剣を構えた神雷を見て、凛が援護の為に先んじて牽制射撃を試みる。
檻の子供達へ弾が流れないよう細心の注意を払い、甲冑の中心を狙って引き金を引く。しかしその銃撃はリディアの時と同様に、見ることも叶わぬ剣閃によって塵と化した。
間髪容れずに、神雷がデタラメな速度を誇る剣筋に対抗心を燃やしつつ、両手に持った鉈刃を振るう。
向こうは1本、こっちは2本。単純な手数では勝っているはずだったが、いつ振るわれたのかすら見えない剣閃はいとも容易く双剣の連撃を弾き、カマイタチのような三閃目が凛やレフニーに支援の余地も与えぬ速度で、バッサリと神雷の体躯を捉えていた。
パッと血飛沫が飛び、仰け反った神雷が剣圧に押されて地面に転がる。
激痛に歯を食いしばって蹲る彼女の後ろ襟をレフニーが咄嗟に鷲掴み、後方へ引っ張り戻しながら治癒スキルをかけてやるが、止血をするので精一杯だった。
一方、追撃を阻止する為に敵との間に割って入った謳華だったが、その思惑に反して甲冑がその場から動く気配は無い。
隙あらば一撃を見舞ってやろうと睨み合うが、無言の甲冑はまるで岩のように油断無く佇んでいる。これでは迂闊に飛び込めない。
孤児達の檻の前で静かに立つ甲冑姿の――いや、甲冑そのものの――ディアボロ。
万が一狙いが逸れて後ろの子供達へ弾が流れてはまずい。射線に子供達や味方が入らないよう、華愛はスーと共に甲冑の側面へ回りこむ。
スーの魔力が収束しきるのを待ってから、華愛自身もタイミングをずらした連携射撃を放つ。だがその時差攻撃は、音速を超えるスピードで振るわれる剣閃によって、スーの攻撃もろとも完全に打ち消されていた。
それならばと、スキルによる束縛や麻痺を試みるが、意思も痛覚も持たぬ銀の甲冑には効果が見られず。
――時差を孕んだ連続攻撃では、剣閃の速度を上回れない。
とは言え、如何に神速を誇る剣捌きであろうとも決して空間を超越しているわけではない。ならば、『連続攻撃』ではなく『別方向から同時攻撃』を仕掛ければ良い。
だが今の8人には、その用意が無かった。
弾幕や回避射撃による互いのカバーこそ意識してはいたが、呼吸を合わせた完全な同時攻撃には至らず。あと1歩のところで、タイミングが合わせられずにいる。
加えて、切り払いのみに特化した甲冑の特異性も8人の不利を誘発する要因となっていた。
例え視界に敵を捉えようとも、射程内に踏み入ってこない限り決して自分から動く事は無い局地防衛型のディアボロ。
攻めず、追わず、ただ与えられたその場を死守するだけの、物言わぬ鎧。
負ける事はないが、勝つ事もできない。
撃退士達は、膠着状態に陥りかけていた。
「……止むを得まい」
その時、謳華が重々しく呟いた。
――まだ、取れる手段は残っている。
刹那、彼は甲冑の懐へと全力で踏み込んだ。
一閃。
正確には剣を一閃したと思われる大気の揺れを感じた瞬間、謳華の右肩に銀の刀身が深々と食い込んだ。
だが、最初から『受け止める』つもりで捻じ込まれた彼の頑強な肉体を断ち切る事ができずに、剣閃がそこで停まる。
「肉を切らせて骨を断つ…生憎とそれくらいの堅牢さはあるつもりなのでな…!」
出血と激痛を食い縛りながら、膝による必死の一撃を撃ち込む謳華。
切り払いに特化しているが故に、一度抜かれれば脆い。鉄壁に思えた甲冑は謳華の『牙』に砕かれて、文字通りの物言わぬ鉄屑と化した。
辛勝。レフニーが謳華を手当てする横で、凛や華愛が孤児達を檻から解放してやる。
「もう大丈夫ですわ。正義の味方が助けに参りましたの」
「なのです」
孤児の1人が、目を輝かせて言う。
「お前ら、小さいのにスゲーんだな!」
「小さ……わ、わたくし達、これでもあなたよりお姉さんですの」
「なのです…」
ひくひくと笑顔を引きつらせる凛。
華愛も、心なしかしょんぼりとした様子で頷いていた。
●
「犯罪証拠を発見しました。税金以上に仕事して下さい」
言いながら、リディアは後ろ手に縛り上げたままの社長と直雄を警官達に突き出す。
「罪の意識があるなら再犯防止に努めて孤児達の支援をしなさい」
贖罪の機会。
告げるリディアを一度だけ振り返り、2人は頷くでも否定するでもなく目を伏せ、黙ってパトカーに乗せられていく。
「これで終ると、いいのです…」
依頼は達成できた。だが、暗躍していた悪魔はまだどこかで活動している。
華愛は、孤児や直雄達を乗せた警察車両を不安そうに見送っていた――