「哀れな…例え作られた仮初の命、ディアボロといえ、作り手にすら忌み嫌われ死ぬ事を望まれるなど……せめて、苦痛が短く済む様にしましょう」
「まぁ、作る前にシミュレートくらいはしとくべきだったな…自信あったんだろうが」
通報があったという現場への道を進みながら、黒井 明斗(
jb0525)とディザイア・シーカー(
jb5989)が言う。この男子2人は、虫は平気らしい。慈悲と信心の徒である明斗に至っては、むしろその嫌われっぷりに悲哀すら感じているようだった。
そしてその2人とは少し違った意味で平気な顔していたのは、シグネ=リンドベリ(
jb8023)と望月 紫苑(
ja0652)。
「ゴキブリもムカデも見たことないのよねェ…北海道には居なかったしィ」
シグネはボストンバッグの中から大量の台所用洗剤を取り出す。
「とりあえず、その2つに効くってYAH○O知恵袋に書いてあったから持ってきたわァ…」
ネットに書いてあったから本当です。
一方の紫苑は終始眠たげな顔で、ただ『喋るとお腹が空くから』という理由で無言のままついていく。頭の中はご飯と寝る事で一杯で、そこにはゴキブリもムカデも割り込む余地など微塵も無かった。なんという腹ペコキャラ。
やがて8人は現場に到着。しかし、パッと見える範囲にそれらしきゲテモノの姿は無かった。
情報通り全長が3mもあればそうそう隠れる場所も無さそうなものだが……いやしかし、本来のゴキブリやムカデはわずか数ミリの隙間にも入り込む不思議ボディの持ち主だ。そんなメルヘンな国の住人たるヤツラをベースにしているとなると、どこに潜んでいてもおかしくはない。
「とりあえず索敵だな。見つけんことには話にならん」
ディザイアの言葉に明斗が頷き、錬ったアウルをソナーのように周辺に拡散させる。他のメンバーも敵の奇襲に備えて散開しつつ索敵。そんな中で、いつも通りの純白メイド服に身を包んだ斉凛(
ja6571)は――
(……天魔は退治しなければいけないわよね。我慢、我慢)
ゴキブr――だめ無理。口に出すのも無理。生理的に受け付けない。そうだG・Mとコードネームにして呼ぼう。
既に血の気の引いた顔でぶつぶつと呟きながら、狙撃の為のポイントを探していたその時、
かさり。
明斗の探知スキルよりも早くソレを感じ取ってしまった彼女は、ぞわりと身の毛立ちながら背後を振り返る。
すると、高く聳えたビルとビルの隙間から、細い2本の触角がチラチラと風に揺れて飛び出していた。
声の無い悲鳴を上げてズザザザっと後ずさる凛。その様子に気づいた仲間達も、武器を構えてそれを見た。同時に、一部の女子達から悲鳴が上がる。
ウゾウゾと蠢くムカデ状の脚がギチギチと歯を鳴らしながら壁を這い、チロチロと長い触角を揺らしながらビャッと飛ぶように路地裏から姿を現した巨大なゴキブリ。
黒とも茶とも取れぬ名状しがたい不快な体色が、アスファルトの上でカサカサと自己を主張する。
「うわぁ…、ないわー…」
「……あ、これは直視に耐えない」
背筋を逆撫でする敵のビジュアルに、東雲 凪(
jb9404)とリディア・バックフィード(
jb7300)は目尻に青線を浮かべながら口元を押さえた。
そしてそれまでGとMを見た事が無いと言っていたシグネが、己の認識の甘さに引きつった笑みを浮かべる。
「うっわァ…帰りたいィ…帰っちゃだめかなァ…?」
邂逅一瞬、気力値急下降な女子達。対してそれまで無言だった紫苑は徐に口を開いたかと思うと、
「ああ、あれはちょっと不味そうですね…足も食べづらそう…」
「「不味……え?」」
ざわ……ざわ……。
彼女の口走ったセリフに、一同の間に戦慄と響めきが広がる。ゲテモノ好きってレベルじゃねえ。
思わず想像してしまい、更にテンションが落ちるメンバー。
リディアは友人の奇行に戸惑いつつ、肉眼でも脳裏でも猛威を振るう敵の姿形に必死に抵抗する。
「……み、見たくない! でも、私の戦法はっ!」
そう。観察、分析する事こそが自分の戦い。必死で我慢して、GMを凝視する。
――本体のゴキブリがカサカサと気配を撒き散らし、脚のムカデが無数の節足を震わせながらミチミチと音を立てて波打っている。
見る見るうちに顔面蒼白になるリディア。
「足の動作が気持ち悪い。気持ち悪いです」
大事な事なので(ry
遠巻きな距離から「大丈夫ですか?」と声をかけてくる紫苑に、
「だ、大丈夫です。私は冷静です……」
と、口元を押さえながら応える。
「通常サイズなら特に感じる物は有りませんが、ここまでの大きさになると醜悪ですね……」
その時、すっかり役に立たなくなっt――もとい戦意を削がれた他の女子達に代わって、雫(
ja1894)が前に進み出た。
見ただけで恐怖心を植え付ける事が出来る。これが制御可能となったら確かに強敵だ。
「こんな事もあろうかと用意しておきました」
比較的涼しい顔をしたままの彼女は、懐から死霊粉の詰まった袋を取り出す。
――被った者の外見をゾンビな感じに錯覚させるシノビアイテム。
雫はそれをGの頭上に放り投げた。刹那――
腐った胴の隙間から泡だった黄緑色の体液を垂らすGと、削げ落ちた肉を痙攣させながら節足を擦り合わせるM。
紫苑と雫を除く女子達が、さっき以上の悲鳴を上げる。これは失敗ですね。
雫はすぐさま大剣から烈風の忍術書へと武器を持ち替え、放ったアウルの風で敵の体表面を覆っていた死霊粉を吹き払った。
元の姿に戻るGM。同時に、そこへ飛来する1発の銃弾。
雫以上に動じていなかった紫苑が、Gの触角を狙ってリボルバーを撃っていた。しかし全長が3mもあるとは言え、触角が身体に比べて細い事に代わりはない。ゆらゆらと揺れているGの触角はひらりとその弾を回避し、射手である紫苑の方へと頭を向ける。
だがその動きに真っ先に反応した明斗が、咄嗟に審判の鎖を発動。無数の聖鎖がGの巨体を縛り上げる。
それを見たシグネは、今しかないと大量の台所用洗剤をGMめがけて投げつけた。同じく懐に洗剤を忍ばせていた雫もそれを援護する。
だが当然というべきか、ディアボロであるGMにはまるで効果は無かった。
「効かないじゃないの知恵袋のうそつきぃぃぃぃぃ」
直後、明斗の鎖が消滅。
M脚がウゾウゾと蠢き、Gは悲鳴に引き寄せられるかのようにシグネの方へ。カサカサと高速で地面を這って迫る巨大なG。
「近距離はァ! 無理ィ! むぅぅぅぅぅりぃぃぃぃぃ!」
逃げ惑う彼女を庇うように明斗はGの前に飛び出す。突然目の前に立ちはだかった彼の姿にGがピタリと立ち止まり、その隙に彼は取り乱すシグネにマインドケアを掛けてやる。
明斗の柔らかなアウルの波動で少し平静を取り戻したシグネだったが、その彼の背後に映ったGとMの姿を目にした瞬間、
「やっぱりむぅぅぅぅぅりぃぃぃぃぃ!」
再び戦意をごっそりと削られた彼女を、明斗は「失礼します」と断ってから横抱きに担ぎ上げ、後方にいた凛達の所まで退避させた。Gの身体から伸びたM脚が2人を捉えようと鎌首を擡げたが――
「カサカサうぜぇんだよ、全部毟ってくれる…!」
割って入ったのはディザイア。M脚の一本に抱きついてガシリと動きを封じる。Mの節足が全身にギチギチと絡みついてきたが彼は動じる事もなく、逆に口端に獰猛な笑みを浮かべてM脚の怪力に対抗心を燃やした。
身体に巻きついていたMの頭が喉元に噛み付いてこようとしたのを肘で弾き、返す動作でM脚の付け根を抉るように拳を突き入れる。
ブシュッと黄色く濁った血が噴き出し、わさわさと暴れた他のM脚も一斉に巻きついてきて――
Mにみっちり絡みつかれた彼の姿を見て女子達が阿鼻叫喚。
「き、気持ち悪いですわ!」
「ディザイアさん気持ち悪いです!」
「Mじゃなくて俺かよ」
思わぬ抗議にディザイアが困ったように片眉を上げていると、Gの懐へと飛び込んだ雫が大剣を斬り上げた。
打ち上げられて腹部を晒したGへ、続けざまに強烈な突きを見舞う雫。吹き飛ばされたGは道路脇に立っていた木にぐさりと突き刺さる。
ビクビクと痙攣しながら百舌の速贄のようになっているGを追撃しようと雫は更に踏み込むが、寸前で枝が折れてGが着地してしまう。
直後、致命傷を負った事で生存本能が膨れ上がり、動きが活発化するG。
リディアは、そこへ異界の呼び手を被せていた。幾重にも生えた魔手が見事に敵を拘束するが、
ヴヴヴヴヴ!
ウゾウゾウゾ!
GMがもがく。
瞬間、その感触が呼び手越しに伝わってくるような気がして彼女は思わず術式を解いてしまった。錯覚とは言え、妙に鮮明に残ったGMの感触にSAN値も激減。
Gの頭がリディアに向く。対して、彼女を援護しようと凪が顔を顰めながら遠距離狙撃を敢行。
「何がイヤって、スコープのせいでドアップなんだよね…。見たくもないのに…」
スナイパーライフルを構えながら、凪が震えた声で呟く。狙いを変え、カサカサウゾウゾと荒ぶりながら猛スピードで地面を這うG。
距離が詰まり、慌ててPDWに持ち替えて弾幕を張る凪。しかしその弾幕をすり抜けて更に距離を詰めるG。
切羽詰った凪は、助けを求めてシグネ、リディア、凛の方へと猛ダッシュ。それを追うG。
「ちょ、こっち来ないでェ!」
Gを引き連れてきた凪に抗議しながら全力で後退する3人。
狙いも付けずに後方へと銃や魔法を乱射し、キャーキャーと悲鳴を上げながら逃げ回る女子4人。それを追うG。更にそれを追うディザイア、明斗、雫、紫苑。
市街を爆走する撃退士達と巨大ゴキブリ。
ディザイアは走りながら声を張り上げた。
「これじゃ仕留めようにも仕留められん、とりあえず停まってくれ!」
「停まれとかそれ本気で言ってんの!?」
「信じられませんわ! もうちょっと考えて物を言って欲しいですの!」
あれ? これ俺が悪いのか?
その時、小石に躓いて凛が転び、Gが容赦なく迫った。隣に居たリディアは、咄嗟に身を挺して彼女を守れ――ない!
(ああ、リンさんごめんなさい……!)
きらきらと涙を散らしながら凛を見捨てて走り去るリディア。
「あばばば……!」と泣きながら縮こまる凛にGがグワッと覆い被さり――
刹那、弾き返されるようにGが吹き飛んでいた。
黒いオーラを揺らめかせながら身を起こす凛。その手には、抜き放たれた妖刀虎徹――もとい釘バット。
「今宵の虎徹は血に飢えている。虎徹のサビにしてくれるわ」
豹変した凛は引っくり返って痙攣していたGに自ら飛び掛かり、握りしめた釘バットを狂ったように振り下ろす。何度も、何度も、何度も――
Mの体殻をメキメキと砕き、Gの羽はブチブチと千切れ、Gの頭部がミチッと潰れて2本の触角がビクンッビクンッと揺れる。
(今宵っつうか、いま昼だけどな……)
(いえ、まあ些細な問題でしょう……)
内心でツッコミつつ、目の前で繰り広げられるスプラッターな光景に流石のディザイアと明斗も「むう」と小さく唸る。
グッチャグチャ。純白だったメイド服が、ぬめりとしたクリーム状の体液を浴びて黄ばんだ緑色に染まっていく。
砂利の混じった粘土細工のように原型を失った敵を前に、凛は釘バットから火炎放射器へと持ち替えてヒャッハーと高笑いを浮かべる。
「汚物は消毒ですわー!」
――状況終了。
辺りには消し炭となったG本体と、飛び散ったM脚の残骸や黄緑色の粘ついた体液が無残な姿を晒していた。
「……お腹が空きました」
その光景を眠そうな目でぼんやり眺めていた紫苑は、唐突に思い出したように鞄の中からサンドイッチを取り出して頬張る。刹那、凛が条件反射の如く振り向き、
「お茶にいたしましょう」
体液まみれのキラキラしたメイドスマイルを浮かべていた。どうやらまだ錯乱しているようだ。
そんな彼女達を尻目にGMの残骸をちらちらと――しかし決して直視はせずに――見やっていた凪は、ふと嫌な考えがよぎって口を開く。
「…これ、まさか増えてないよね」
「「…………」」
害虫の繁殖力。
凪達は顔を見合わせて押し黙る。
まさか。
そんなはずは無いだろう。
だってディアボロだし。
自然繁殖なんて。
……ないよね?
●斡旋所
仲間達に治癒スキルを掛け、憐れな生涯を終えたディアボロを弔う明斗。そんな彼を残して、一同は一足先に帰還していた。
(同じ黒い生き物でも、やっぱこっちの方が可愛げがあって良いな)
斡旋所のシャワールームでさっぱりしたディザイアは、オペ子の頭上に乗っている小次郎の喉をうりうりと指先で弄りながら内心でごちる。そこへ、猫用のおやつを持ったシグネが近づいてきた。
彼女は小次郎の方をチラチラと気にしながら、差し入れにとオペ子に猫用おやつを差し出す。
オペ子が礼を言いながらそれを受け取ろうとして小次郎を頭に乗せたまま1歩近づくと、シグネ(猫アレルギー)は笑顔のまま1歩下がる。オペ子が更に1歩近づくと、また1歩シグネが下がる。
見かねたディザイアが代わりに受け取り、オペ子へと手渡してやった。
「そういや、お前はゴキブリ捕ったりすんのかねぇ?」
小次郎の喉を撫でてやりながら、彼がふとそんな疑問を口にしていると――
「オペ子さん」
不意に呼ばれて、オペ子が振り返る。他のメンバー同様、シャワーを浴びて私服に着替えた雫が立っていた。その手には、魔具や魔装の交換申請書類が一式。
「ムカデや蜘蛛位の体液だったら洗浄で問題は無いのですが、流石にゴキブリの体液だと洗浄しても…」
書類には、件のGやMの残骸を鮮明に激写した写真がたっぷりと添付されていた。
申請に必要だと思ったのは勿論だが、わざわざドアップな写真満載にしたのは、ぶっちゃけこの不快祭りの道連れが欲しいという八つ当たり半分な理由からだった。
斡旋所に罪が無い事は充分わかってはいたが。
しかしその写真を見せた瞬間、凄まじい反応を示したものが1人――いや1匹。
オペ子の頭上に乗っていた小次郎が、身を乗り出して写真にねこぱんちを超連打。トドメの右フックで写真はカルタのように宙を舞い――
べたり。
手の消毒を終えて笑顔で通りがかった凛の顔面に、写真が張り付く。
沈黙。
視界一杯に広がったG写真に凛はふうと気の抜けるような息を吐いて引っくり返り、担架だ医者だと騒ぐ声が夕方のロビーに木霊した。