生い茂った木々の遥か上空を、翼を広げたミーシャ=ヴィルケ(
jb8431)が飛んでいく。頂上の開けた丘の上へと辿り着き、そこに広がる光景を見下ろす。
――桜の木は、枯れたまま。
●南
丘の麓入口。
車椅子に乗った喜代とそれを押す恵子。2人に合流した双羽 蒼(
jb3731)と聖蘭寺 壱縷(
jb8938)は、既に丘へと入っている修造達の足跡を見つける。
そこへ、無線機のイヤホンからミーシャの短い報告が届く。
『枯れています』
集団回線を通じて仲間達全員へと伝わる現実。しかし蒼達は喜代と恵子に配慮し、無線機を付けていない2人にはその事実を今は伏せておく事に。まずは修造達に追いつかなければ。
車椅子を押す恵子を挟むように立ち、蒼と壱縷は丘を登り始めた。
丘に入ってすぐ、オペ子から通信が入る。蒼が事前に調べてくれと頼んでいた、枯れ桜についての情報だ。しかし結果は不発。
私有地での案件の為、少なくとも『千年桜』という公式な記録は見つからなかったというオペ子。ただ笠木家を中心に、地元住民や役場の間では『童話の類』としてそこそこ知られているおとぎ話ではあるらしい。
それを聞いた蒼は短く礼を言ってから通信を終え、坂を進みながら壱縷と共に喜代へそれとなく尋ねる。千年桜の昔話、喜代自身の想い、そしてなぜ今になって見に行く事にしたのか……
喜代は枯れ木のおとぎ話を語った後、他の質問についても丁寧に答えてくれた。
「本当はね、怖かったの」
一族が笠木の名を背負うよりも遥か以前からそこにあったという枯れ桜。決して死なず、されど一度も咲かぬという奇妙な神木として語り継がれ、地元領主となった笠木が代々管理してきた。ほとんどの先祖は『咲かないからこそ意味がある』と考えていたようだ。
だが喜代は、幼少の頃から『まだ誰も見た事のない花』に強い想いを抱いていた。それはきっと、『誰も見た事がないほど美しい』に違いないと。そしてそれと同じ想いを抱いたのが、今は亡き喜代の夫。
誰もが、咲くはずがない桜として、咲いてしまっては意味がない桜として、その木を見てきた。
――咲いた姿を見に来てくれる人を、待っているんじゃないか。
喜代の夫は、そう言って枯れ木の前で指輪を差し出した。いつか必ず、咲いた桜を2人で見に来よう。
だがその直後に彼は亡くなり、約束が果たされる事は永遠になくなってしまった。
――枯れたままの木を見てしまったら、夢の終わりを認めなくてはならない。
それが怖くて、今日まで丘には近づかずに居た。
「でも、例え望んだ終わり方とは違っても、これ以上あの人との夢を放ったままにはしておけないものね」
自分も、もう長くは無い。大切な夢だったからこそ、最後はきちんと終わりを見届けなければならないのだと。
「喜代さんはその桜が大好きなのですね」
そっと触れた壱縷の手を握り返し、喜代は微笑む。
「ええ。でも本当は、あの枯れ木を一番好きでいたのは息子――修造なの」
きっとあの子は――
●北西
落ち葉で作った即席のギリースーツを頭から被り、上手にある茂みの中でライフルのスコープを覗き込むルーカス・クラネルト(
jb6689)。レティクル付きの丸い視界の中で、木々の中を駆け抜けて上手を押さえていた藤沢薊(
ja8947)がトボトボと獣坂を下っていくのが映る。
やがて登ってきた重機と撃退士2人に鉢合わせ、直後、迷子を装っていた薊はわんわんと泣き喚いてみせた。
重機が足を止め、護衛の1人が無線機に呼びかける。
「修造さん、子供が。迷子のようですが……」
『笠木の私有地だぞ。部外者が迷い込むなど――いや待て、このタイミングだ。恵子の雇った撃退士かもしれん』
無線機本体のスピーカーから聞こえる修造の言葉に、護衛達は頷き合って薊に目を向ける。すると薊はぴたりと泣きやみ、「バレたか」と小さく呟いていた。
その様子をスコープ越しに見ていたルーカスは、作戦失敗かとトリガーに指をかける。だが「まだだ」と制止したのは、イヤホンから流れたジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)の声。
警戒して武器を実体化した2人の撃退士に向かって、薊は素手のまま両腕を広げる。
「俺は貴方達と敵対することは望まない、故に武器は取らない、向けない。でも、貴方達に敵対の意思があり、刃を向けるつもりなら向けるがいい。俺を傷つけられるのであれば、やってみろ」
言い放つ薊。その言葉に撃退士達は明らかな迷いを見せて切っ先を下げ、重機を操縦している男とも顔を見合わせる。それを確認したジェラルドは、木々の陰から姿を現して彼らに話しかけた。
なぜ修造は、こうまでして枯れ桜の伐採に拘るのか。そう問いかけるジェラルドに、男達は答える。
彼は決して伐採そのものに拘っているのでは無い、と。
笠木の一族は、代々あの枯れ木を護ってきた。前当主である喜代はもちろん、それは現当主である修造の代でも変わらない。そして自分達が知る限り、あの笠木 修造という男はとても優しい人間である。だが同時に、どこまでも現実的な考え方をする人でもある。
『咲くはずが無い』という現実と、『いつか咲くかもしれない』という夢。
過ぎるほど優しく誰よりも現実主義者である修造は、現実を目の当たりにして打ちひしがれるくらいなら、『もしかしたら咲いていたかもしれない』という希望を残したままの方が幾らか救いがある、そう考えたのだ。例えそれが一族の、母の、自らの、大切な枯れ木を消し去る事になったとしても――
●北東
撃退士2人に護衛されて重機を操縦していた男は、唐突に頭の中へと声が響いてきて辺りを見回した。
――私を伐るなら、お前に呪いを刻んでやる。
それは、木陰に隠れる川澄文歌(
jb7507)が発した幻術。低く震える嚇しは確かに男の耳へと届いていたが、幼い頃より千年桜のおとぎ話を知っていた彼には通用しなかった。
どうしたと振り返る護衛達に「何でもない」と首を振り、機体を前に進める。しかしその行く手を綾巫 風華(
jb8880)が塞ぐ。
「少し話をしたい。良いか?」
武器を構えていた男達に、風華は両手を上げて戦意が無い事を示す。
「お前達は本当にこれで良いのか?」
風華は諭すように男達に問いかけた。
伐採の話を聞いた時、お前達も疑問に思ったはずだ。おとぎ話にもなっているあの枯れ木を、本当に切る必要があるのかと。地元でも有名なあの枯れ木は、もはや笠木の一族だけではなく、お前達にとっても意味のある物となっているのではないのか。
「私たち撃退士同士が戦うなんて馬鹿げてます。ここは見逃してもらえませんか?」
そう言ったのは文歌。彼女は男達の前に姿を見せながら、風華と共に説得を試みる。
男達は顔を見合わせ、思い悩むようにしばし黙り込んでいたが――
「修造氏には世話になった恩義がある。何より、一度受けた依頼を放棄はできん」
やがてはっきりと言い放って武器を構え直した。やはり戦うしかないのか。唇を噛みながらヒヒイロカネにアウルを灯す風華と文歌は、しかしある違和感に気づく。
武器を手にしてはいるが、男達には闘気の類がまるで感じられなかった。
もしやと思った文歌は武器をしまい、代わりに携行していたロープを手にして男達の方へと歩いていく。護衛の2人はじっと彼女の方に目を向けながらも、仕掛ける気配は無し。
そのまま2人の脇を抜けた文歌が、重機の外装に足を掛けて運転席の男へと近づくと――
「一般人が能力者相手に抵抗したところで、勝てるはずも無いな」
やれやれ、と。わざとらしく声に出しながら、男は抗う事無く文歌に両手を縛られていた。直後、彼らの意図を察した風華が無線機に呼びかける。
「ヴィルケ」
『Ja』
無機質に返事をするミーシャ。上空で待機していた彼女は、構えていたスナイパーライフルの引き金を引いた。
生い茂る樹木の隙間を縫い、銃弾が飛ぶ。
ミーシャの存在にも、その弾丸の軌道にも気づいていたディバインナイトの男は、しかし躱す事無くその一撃を身体で受ける。血が出ない程度にまで抑えられたアウルの銃撃に、男は大げさな呻き声を上げて膝をついた。
すると残った1人――ルインズブレイドの男――は、酷く緩慢な動きで剣を振り上げて風華へと組み付く。柄を弾いて手首を掴んだ彼女が相手の身体を地面に引き倒すと、男は派手に転びながら抵抗をやめた。
●北西
護衛撃退士達の無線機から聞こえてくるやり取りを前に、ジェラルドは「おやおや♪」と薄ら笑いを浮かべる。薊と顔を見合わせ、遠方で狙撃銃を構えているルーカスを振り返ってひらひらと手を振ってみせる。
スコープ越しの彼の笑みに「ふむ」と頷いたルーカスは、重機の足回りに狙いを定めてトリガーを引き絞った。
木々の隙間から飛来した銃弾が、キャタピラを支えているボルトの1本を貫く。
「あーあ、これじゃ走れねえな」
運転席の男が無線機に口を近づけながらごちる。
続いて歩くような速度で飛び掛ってきた護衛の2人を、薊とディザイアは土汚れがつく程度にいなしてからロープで縛り上げた。
後方のルーカスに目配せを送り、3人は森を横切って南西へ。茂みを抜けた先では、待っていたとでも言うように歩みを止めた重機と撃退士達がこちらを見ていた。その手には、振るう気の無い武器を構えて。
「素直じゃないなぁ」
「ま、嫌いじゃないけどね♪」
肩を竦める薊と、おどけるジェラルド。
加減して銃を撃つルーカスと共に、彼らは重機と護衛の男達を取り押さえた――
●南
――中腹。
恵子が車椅子を押し、蒼と壱縷が周囲を警戒しながら喜代の体調を気遣っていたその時。前方に2人の男が姿を見せる。
修造と、護衛の撃退士。
修造は無線機から流れてくる茶番ともいうべき敗北に文句を言うでもなく、ただ静かに蒼達を見下ろして立っていた。
「あんたは、本当にこれで良いと思っているのか?」
1歩前に出た蒼が、修造へと語りかける。
薊や風華達の無線機から聞こえていた会話で、修造側の事情は理解した。優しさも知った。だが修造の想いと喜代の願いは、すれ違ったままだ。
「お互いの気持ちを話し合う場が必要だと思うのですよ!」
「いいのよ、聖蘭寺さん」
強く訴えた壱縷の手をそっと撫で、ありがとうと微笑む喜代。
「通してはくれないかい、修造」
「……はっきりさせないままの方が幸せな事もある」
修造は、痛みから顔を背けるように目を閉じる。
あの木は今も、枯れたままなのだ。
どうして、と尚も食い下がろうとした蒼の前に、護衛の撃退士が歩み出た。
壱縷がもう一度語りかける。
「どうか……退いて下さい。僕達は撃退士同士の戦いは望んでいないのです!」
彼女の言葉にただ黙って首を横に振った撃退士は、鞘に収めたままの刀に手をかけ……
「貴方は間違ってない――」
その時、薊達が道の横から草木を掻き分けて現れた。反対側の茂みからは、文歌達。そしてそれぞれの後ろには、ロープで縛られた護衛の撃退士や重機操縦者達の姿もある。
「――でも、その人の人生はその人のもの。恩返しするなら、したいことさせてあげなよ」
薊の声に、修造は看過できぬと頭を振る。だがそれに異を示したのは、傍らに居た護衛の男だった。
「……ここまでだよ、修造さん」
彼は合流して8人となった蒼達を見て「もはや抗う術は無い」と告げると、抵抗する事無く武器をヒヒイロカネに納めた。
「……丘の……丘の上へ行ったところで、母さんの夢は……」
「お父様……」
握りしめた修造の拳が小さく音を立て、恵子は悔し涙を浮かべる父を見やる。だが護衛の男が修造へと付き添い、事態を見守っていた文歌達にも促されて、恵子は喜代を乗せた車椅子を押して再び歩き始めた。
やがて長く続いていた坂が終わりを告げ、頭上を鬱蒼と覆っていた木々の雲が消える。強く差し込んだ光に一瞬目が眩み、やがてその光がとけた先には――
薄桃色に咲きほこる、満開の桜景色が広がっていた。
「あ、ああ……」
喜代は、震える手で自らの口元を押さえる。
吹き抜けた丘の中心に立つ、1本の大桜。
風にゆれ、遠く澄んだ青空に桃色の花びらが舞う。
「馬鹿な……こんな……」
「こいつは見事な……」
修造が目を見開いて膝をつき、蒼達は言葉も忘れて桜の舞う空を見上げる。
そんな幻想的な光景に包まれた丘の上で、喜代は『彼』の姿を見て声を詰まらせた。
大桜の下に立つ、若い男の姿。それは、ずっと昔に亡くなったはずの最愛の人。
背を向けて桜を見上げていた彼はゆっくり振り返ると、優しい笑みを浮かべながらそっと手を差し出す。
喜代は車椅子から立ち上がり、震える足で懸命に彼の元へと歩いていく。
伸ばしたシワだらけの手が、彼の手に触れる――
――いつかこの桜が咲いた時、必ず2人で見に来よう。
それは、果たされるはずのなかった遠い約束。
千年枯れ続けた桜の木は、夢の続きを告げて歌っていた。
●
1週間が過ぎたある日。斡旋所を介して笠木 恵子から一通の手紙が届く。
そこには、喜代が亡くなった事、修造が丘の上の木の伐採を取りやめた事、そしてあの桜が元の枯れ木へと戻っている事が書かれていた。
あの満開の桜を見た日の翌日。恵子と修造が再び丘の上を訪れた時、既に枝には花1つ残っていなかったそうだ。あれだけ舞っていた花びらも、辺りには影も形も無かったという。
まるであの光景が、全て夢だったかのように――
壱縷達は、笠木家の墓前を訪れていた。傍らには、誘いを受けたミーシャの姿もある。
線香を添え、手を合わせて目を閉じる。
「皆さん、いらしてくださったんですね」
声が掛かり、8人は振り返る。手入れ用の水桶を持った恵子が立っていた。
彼女は柄杓に汲んだ水を静かに墓石に掛け、壱縷がそっとそれを拭いてやる。
笑っていました、と。
唐突に恵子が口を開く。
あれから息を引き取るまでの数日間、喜代は最後まで幸せな笑みを浮かべていたという。ありがとう、と言い残し、安らかに眠ったそうだ。
ありがとうございました、と微笑む恵子。壱縷達も静かな笑みを返す。
ふと、ジェラルドが懐からハンカチを取り出して墓前で膝をついた。布を広げ、中に包まれていたのは2枚の花びら。
彼はいつもよりほんの少しだけ真面目な笑みを浮かべ、花びらをそっと墓の前に移す。
薄桃色の桜の花が、寄り添うように揺れていた。