「古い旅館で札の交換ねぇ…」
去っていく坊さんの後姿を見送り、各自1枚ずつ受け取った札を胡散臭げに眺めるディザイア・シーカー(
jb5989)。
「いかにも『出そう』な雰囲気じゃありませんこと?」
対して、声を弾ませたのはシェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)。
彼女は燥ぎながら茂みや樹木にカメラを向けてパシャパシャとフラッシュを焚く。
その横で、武田 誠二(
jb8759)は札を持った右手でぽりぽりと自らの頭を掻いた。もう一方の手には、斡旋所へ行く前に寝酒として飲んでいた日本酒の一升瓶。
「まあ…現地で何もなければ適当に呑んで帰るか」
ツマミの袋が入っているのとは反対側のポケットに、無造作に札を捻じ込む。
そうして8人は、暗い山道を登って行った。
――燥ぎ疲れたのかいつしかシェリアの口数も減り、景色の変わらない暗道に誰もが御札の事などすっかり忘れた頃……
ぼんやりと灯る旅館が見えた。吸い込まれるように門を叩き、中に入る。
「いらっしゃい……」
すうっと、影のように立つ女将が8人を出迎えた。
小さく会釈したディザイアが、ふとシェリアが妙に静かな事に気づく。そういえば、初めは一番元気があったのに途中から完全に無言だった。
燥ぎ過ぎて疲れるなんて子供みたいだな、と悪戯っぽく笑うディザイアに、彼女は何も答えない。
他の宿泊客は居ないので、好きな部屋を使って構わない。そう説明を受けている間も、彼女は1人俯いていた。時折何かをブツブツと呟き、かと思えば、急に静かになる。
永連 紫遠(
ja2143)が心配そうに声をかけると、
「ナンデモ…ないデスワ。ゴメンナサイ。ワタクシ少し疲れタので、サキに部屋でヤスンデいますわね…」
彼女はふらふらと廊下を歩いていった――
「僕、旅館の中を見てくるね」
6人に声をかけ、山本 ウーノ(
jb8968)は物珍しそうに館内を散策。
初めての旅館。橙の照明が和装の廊下を仄かに照らし、1歩進むごとにスリッパの擦れる音が響く。所々内装が傷んでいる気もしたが、これが風情というものだろうか。
内心ワクワクしながら、彼は人気の無い館内を歩き回った。
(なんだか随分とじめじめした所だな)
ウーノにつられ、自らも景色の良い場所を探して部屋を出た誠二。しかし趣というよりも薄暗い感の漂う空気に、少々怪訝な顔で通路を歩く。
まあ、この湿気も『味』のうちかもしれない。
やがて彼は裏口近くに縁側を見つけると、持参していた酒とツマミを置いて腰を下ろした。
(……私は此処に何しに来たのでしょうか?)
個室に荷物を置いた雫(
ja1894)は、唐突に湧いた疑問に首を傾げた。
なぜ夜の山道なんて登っていたのか……思い出せない。まあ、いいか。
(こんな時間にチェックインでは、朝食は無しでしょうね)
カチ…カチ…と秒針を刻む時計。
のんびりと座椅子に腰掛けていた雫は、とりあえず温泉にでも入ろうと部屋を後にした。
他の女子達の部屋を回り、一緒にどうかと声をかける。
二つ返事でついて来る紫遠。
次いで神雷(
jb6374)の部屋へ。既に浴衣になっていた彼女は、畳でごろごろしながら携帯ゲーム機に夢中になっていた。
「いま良い所なので、後で入りますー」
足をパタパタさせる神雷に手を振り、2人はシェリアの部屋へ。ドアをノックするも、返事が無い。そういえば「疲れたから休む」と言っていた気がする。
起こすのも気の毒だと思い、そのまま声をかけずに離れる。
そして最後にリディア・バックフィード(
jb7300)の元を訪れたが、彼女は既に風呂を終えた後だった。
良い湯だったとご満悦な様子のリディアに見送られ、いそいそと女湯へ。
脱衣所に入り、紫遠が脱いだ服をしまおうと目の前のロッカーを開けた刹那――
人の頭。
中に入っていたモノを見て、紫遠は詰まるような声を上げた。飛び退き、雫にしがみ付く。何事かと顔を向けた彼女にロッカーの中を指差すが、そこには空っぽのロッカーがあるだけだった。
見間違いだと言われ、紫遠も首を傾げながら頷く。
湯浴衣を纏って浴場へ入った雫に続き、ロッカーに背を向けた直後、
がたり、と。
ロッカーから物音が聞こえて紫遠は肩を上げた。
「きゃ! ちょ、ちょっと待って。いま確かに―――」
恐る恐る振り返るも、脱衣所は静まり返ったまま。自分の思い過ごしかと、紫遠は浴場に出て脱衣所の戸を閉めた。
浴場は、透明な湯船に星明りが反射してとても綺麗だった。2人は高揚しながら掛け湯を汲み――
――男湯。
ディザイアは湯船に身体を沈めながら、染み入るような熱さに長い溜息を零した。
そういえば、何故自分はここに居るんだったか……。
ぼんやりと考えていたその時、柵で隔てられた女湯から紫遠の悲鳴が上がる。
何事かと立ち上がり、湯船から出ようとするが――
ずるり……。
足首にぬめりとした何かが絡み付いて、前のめりに転倒。振り返ると、血に濡れた真っ黒な髪の毛が湯船から伸びて足に巻きついていた。
再度、紫遠の悲鳴。顔を上げたディザイアが舌打ちしながらもう一度自身の足首を見やった時、既に髪の毛は消えていた。
足に残る気味の悪い感触に構う暇もなく、彼は引っ掴んだ浴衣を乱雑に羽織ながら女湯の前へと駆けつける。しかし踏み込むわけにもいかず、暖簾越しに声を張り上げて紫遠へと呼びかけた直後、濡れたままの身体に浴衣を羽織った紫遠と雫が飛び出してきた。
「か、かか髪! お湯!」
涙目で訴える紫遠の脳裏に、道中で出会った坊さんの言葉が浮かぶ。
「そうだ御札っ、僕たち御札貼りに来たんだよっ」
思い出したという彼女の様子を見て、ディザイアと雫の頭にもハッとその時の事が甦る。
札は荷物の中に放り込んだままだ。
「とりあえず取りに行かんとな」
そう言ったディザイアに、2人はこくりと頷いた。
「旅先の部屋での読書。贅沢な休日です」
座椅子で本を読み耽っていたリディアは、ふと思いついたように携帯を取り出す。無事に旅館へ着いた事を、オペ子に報告しなければ。
長いコールの後ガチャリと通信の切り替わる音がして、彼女は電話の向こうへ話しかけた。
「もしもし。いま例の旅館に居るのですが良い湯でしたよ。今度一緒に――」
にゃー……
不意に受話器から猫の鳴き声がする。小次郎か?
聞き返そうとした彼女の声を遮って、猫の声は徐々に増えていく。そして次第に金切り声のようなしゃがれた鳴き声へと変わっていき、唐突に劈く様な悲鳴が流れて彼女は耳から携帯を離した。
キンと響いた耳を押さえ、彼女が電話の切れた携帯を不思議そうに眺めていると、
ずる……ずる……
どこからともなく、何かを引きずる様な音が聞こえる。ふっ、と前触れもなく照明が消えた。
生暖かい風が背中を撫で――
バンッ、と乱暴に部屋のドアが開け放たれてリディアは振り返った。浴衣姿で1枚の札を握りしめた紫遠が立っていた。同時に、消えていた部屋の明かりが再び灯る。
紫遠は酷く慌てた様子で部屋に入ると、預かった札はどうしたかと尋ねる。しかしリディアが何の事かわからないと返すと、紫遠は山道に居た坊さんの話を聞かせた。
そこでようやく事の経緯を思い出した彼女は、妙に浮ついた感覚の頭を押さえながら荷物を漁った。
「この感覚、現実のような夢のような……?」
指摘されるまで、目的や行動が一致していなかった。論理を見失うとは自分らしくもない。
取り出した札を持ってすっくと立ち上がるリディア。
「札を貼るだけの簡単なお仕事です……」
ホラー小説などでも、こういう物は掛け軸の裏と相場が決まっている。部屋の壁に掛かっていたソレを捲ると、思った通り古札が貼られていた。
すぐに持っていた新しい札と貼り替え、残りの札も探すべく部屋を出て行くリディア。
「…ま、まって、1人は危ないから2人以上で行動しようヨ」
紫遠は慌ててその後を追いかけるが、
(ううう、よくよく考えてみたら…御札の貼られてる場所なんて、一番危ない場所に決まってるじゃない。なんでこんなこと引き受けちゃったんだろう…)
涙目でリディアの浴衣をぎゅっと掴み、ビクビクしながらついていく。だが前を歩く彼女が角を曲がった瞬間、館内中の電気が一斉に暗転。
びくりと天井を仰いだ紫遠はただの停電だと必死に自分に言い聞かせるが、不安を和らげるためにリディアの浴衣を掴み直そうと顔を向けて――
彼女が忽然と居なくなっている事に気がついた。
刹那、通ってきた廊下の奥から水に濡れた様な足音が追いかけてくる。
水――そうだ風呂場。きっとあそこに古札があるに違いない。
紫遠は泣きながら走り出し、女湯へと向かう。暖簾をくぐり、暗がりの中を見渡す。すると、1つだけ不自然な位置に置かれているマッサージチェアが目についた。薄ら寒いものを感じつつ、意を決して椅子をどかす。
千切れかけた古札が、床に貼られている。
彼女はすぐ後ろまで迫っていた足音を振り払うように、手にしていた札を貼り付けた――
電気が消え、手元のゲーム機まで画面が暗転。あれ?と思って神雷が画面を覗き込んだ瞬間、液晶に反射した自分の背後に髪の長い女が立っていた。振り返る事もできずに、嫌な汗を浮かべる。
彼女はゲーム機を置いて立ち上がると、後ろを見ない様にしてそっと部屋から出た。心細さに耐えながら、誰かしら居そうなロビーへと向かう。が、
「誰も居ませんね……ホラーゲームなら、出入り口の扉が開かなくなってたりするんですよねぇ」
悪寒を誤魔化す様に努めて明るく声に出しながら、戸に手をかける。
開かない。
だらだらと汗を流しながら、はたと思い出す。坊さんから札を渡されていた。
しかし、札は部屋に置きっぱなし。
半泣きで部屋へと戻り、変な物を見ないように気をつけながら鞄から札を取る。手にした札を握りしめて踵を返し、
ひたり、と。
誰も居ないはずの室内で後ろ手を掴まれた瞬間、彼女はパニックを起こした。
動転し、発動してもいない透過能力を使った気になって壁へと突っ込み、額を強く打ちつけた所で失神――
突然暗くなり、躓いたウーノは咄嗟に近くにあった壷置きに手をつく。傾いた壷が真っ逆さまに床へ落ちるがなんとか受け止めた。
安堵した彼は、壷を棚に戻そうとする。だがその時、壷が置かれていた場所に古札が貼ってあるのを見て、おやと首を傾げる。
しばらくして、彼は「ああ」と内心で手を叩いた。一旦壷を床に置き、ポケットにあった新しい札と貼り替えてから壷を戻す。
すっかり忘れていたが、初めは他の7人もホラーがどうのと燥いでいた気がする。いきなりの停電と言い、もしかするとあの坊さん自体が旅館側からのサプライズだったりするのだろうか。
(なんて、考えすぎかな)
自嘲した彼の頭上に、ずるりと誰かの髪が垂れてきて――
縁側で横になっていた誠二はむくりと身体を起こした。いつの間にか寝ていたらしい。
口直しにもう1杯飲もうと、日本酒を注ぐ。しかしその直後、透明な酒に混じって真っ黒な髪の束がごぼりとコップの中に落ちてきた。
驚いた誠二は手を滑らせ、縁側から落ちたコップが砕け散る。しまったと思いつつ、髪の毛が混じっていた事に首を傾げて一升瓶を見やり、
瓶に反射した自分の顔に、眼鏡が掛かっていない事に気がついた。
慌てて顔に手を当てる。無い。
辺りを見渡す誠二。すると割れたコップの破片に混じって、砂利の上に落ちているのを見つける。コップと違って、傷ついてもいない。
ほっと安堵しながら拾おうと手を触れた瞬間、縁の下から誰かの腕が伸びてきてその手を掴まれた。
信じ難いほど強い力で掴まれ、誠二は床下へと引きずり込まれる。そこには、仰向けで床下にへばり付いている髪の長い女が居た。不気味に笑いながら、眼鏡を持つ誠二の手を引き込もうとする。
大切なソレを奪われそうになって激昂する誠二だったが、不意に視界の端に古い札が映って、坊さんの事を思い出す。
ポケットに捻じ込まれていた札を取り出し、必死に片手を伸ばして札を貼り替えた――
荷物から札を取り、古札を探すディザイアと雫。途中、妙な位置に飾られていた水墨画の裏に古札を見つけて雫が貼り替える。
「何時もはある程度の下調べをするのに……緊急依頼でもないのに今回に限って調べないなんて」
一体いつから天魔の術中に嵌まっていたのか。
札を貼り替えつつも一連の怪現象はあくまでも天魔の仕業と考えた雫は、女将が元凶に違いないとして、その行方を探る為に響鳴鼠を発動。だが鼠達は、呼びかけに一切応じてはくれなかった。
女将を探し出して問い詰めると言う雫。
雫の実力を知っていたディザイアは無理にそれを止める事はせず、自分は札を探すと答えて別方向へ。
そして雫が1人になった直後、
『ねェ、アナタの髪、トテモ綺麗ね…』
髪を撫でられ、振り返る。シェリアが立っていた。だが様子のおかしい彼女に雫が警戒の色を見せた瞬間、彼女は『真っ黒な髪』を伸ばして雫を壁に縛り付ける――
館内を回るディザイアだったが、札はおろか仲間達の姿すら見つけられずにいた。まだ見ていない場所といえば、神雷とシェリアの部屋。特にシェリアの方は、チェックイン以降一度も顔を見ていない。嫌な予感がして彼女の部屋のドアを開ける。
和室の隅に不気味な光を帯びた日本人形が置かれていた。その背には古札の跡。
ディザイアはすぐに札を貼り替えるが、光は消えない。
どうなっているのかと舌打ちした彼は、ふと対面に鏡が置かれているのに気づいた。
鏡の中に人形が映り込んでいる。
まさかと思い、彼はシェリアの鞄から彼女の分の札を取り出すと、鏡の人形に貼り付ける。刹那、膨れ上がった光は瞬く間に旅館中を覆いつくし――……
気がつくと彼らは、私服姿で廃屋の前に倒れていた。身を起こし、顔を見合わせる。雫はシェリアの様子を窺うが、首を傾げる彼女はいつも通りの彼女だった。
一体あれは何だったのか。一同は奇妙な感覚に眉を顰めながら山を下りる。
斡旋所に着く頃には日も昇りきり、雫達は受付にいたオペ子を見て声をかけた。
「昨夜受けた依頼ですが、もっと詳しい情報は無かったのですか?」
雫の苦情に、彼女は何の話かと首を傾げる。
「昨夜は局長の晩酌に付き合わされて私は斡旋所には居ませんでしたが」
その言葉に、雫達は沈黙。ふと思い出したように、貼り替えた古札を並べてみせる。
1枚、2枚……6枚と、新札が1枚。
「「え?」」
足りない上に、1枚貼り替えられていない。1人だけ新札を持っていた神雷がサーっと青くなり、直後、紫遠がこの場に居ない1人に気づく。
「ねえ、山本さんは……?」
●
暗い山道を登り、道に迷っていた男女はぼんやりと明かりを灯した建物を見つけて門を叩いた。
音もなく出迎えてくれたその女将は、俯きながらそっと呟く。
――――。