小次郎の抱っこに挑戦しようとしていた所で斡旋所内に緊急放送が流れ、ディザイア・シーカー(
jb5989)は天井のスピーカーを見上げる。
「何だ、緊急の仕事か? いけると思ったんだが間が悪かったな」
仕方ない、急ぐとしよう。
他にもロビーに居合わせた7人の学園生が放送を聴きつけ、一同は飛び出すように現場へと急行した。
●工事現場
翼を広げたイシュタル(
jb2619)とディザイアが、上空を飛びながら辺りを見渡す。
眼下では、3体の人狼がバラバラの位置で作業員達を襲っていた。
壁も天井も無い吹き抜け状態の上層階に1体。中層階に1体。地上の入口広場に1体。そしてその人狼達に対して、作業員達は無謀にもただの鉄パイプで殴りかかっている。
明らかに脅威足りえない作業員達を弄んででもいるのか、人狼は透過するでもなく相手の攻撃を棒立ちして受けながら、時折その爪を振るって作業員を威嚇している。
相手を舐めきっている敵の態度が幸いして、作業員達にはまだ負傷者は出ていないようだが……時間の問題である事は明白だ。
グループ通信を繋いだ懐の携帯越しに、イシュタルが俯瞰した位置情報を仲間に伝える。
通報にあった監督とお嬢と言うのがいったいどれなのかまでは判別できなかったが、どうも作業員達は上層へ向かおうとしているようだ。
そしてその上層では、既に辿り着いていた数人の作業員と、それを襲う人狼。そして階の中心に、崩れた資材の山。
まさか生き埋めに?
「避難や救助は任せた、俺は先に敵を押さえに行く」
隣を飛んでいたディザイアは、地上班から最も遠い上層ポイントめがけて急降下した――……
正門から入って地上を駆ける6人。
イヤホンから流れるイシュタルの声を聞きながら、樒 和紗(
jb6970)は人狼の1体を視界に捉え、間髪容れずに弓を引いた。
作業員達の隙間を縫って飛来したアウルの矢が、振り上げられていた人狼の右手を貫く。光輝の魔力を帯びたその一矢は凄まじい衝撃で以て、貫いた右手ごと敵の巨体を大きく後ろに押し飛ばす。
次弾を番える彼女の視界で、しかし人狼は現れた撃退士になど目もくれずに再び作業員達に近づこうと身を起こす。
――単一の命令に縛られている。廃病院の時の個体と同じ習性か。
「わ、私だって、1匹くらいならっ!」
瞬間、人狼と作業員達との間に躍り出たのは青鹿 うみ(
ja1298)。明らかに苦手意識を含んだ声色で、懸命に魔具を翳す。
装飾のストラップからアウルの糸が展開し、人狼の足を地面へと縛り付ける事に成功。
「撃退士か!? 監督とお嬢がヤベエんだよ!」
鉄棒を構えたままの作業員達が、うみに掴みかかりそうな勢いで捲くし立てる。自分達が助けに行くから敵の足止めを頼む、とまで言い出した。
「お二人が心配なのは分かります。ですが護るべき人が多いと、その監督とお嬢が危険に晒されるのです。ここは俺達に任せて頂けませんか?」
和紗は、言いながら再度矢を放つ。それは敵の眉間を狙った一撃だったが、うみの糸で足を止められている人狼は咄嗟に顔の前で両腕を重ねて防御。
他の2体も、まだ活動を停止していない。脆弱な一般人を庇いながらの戦闘はリスクが大きすぎるのだ。
6人の言葉に作業員達は苦々しげに顔を歪ませると、やがて――
「『助けられませんでした』なんて事になったら、タダじゃおかねえからなコルァ!」
巻き舌でメンチを切りながら、指示に従った。
護衛も兼ねて、リディア・バックフィード(
jb7300)が彼らを正門付近へと誘導する。その際、彼女は作業員から監督とお嬢は上層に居るはずだと聞かされ、その情報は携帯を通じて他の7人の耳にも届く。
だがその直後、手足に絡みつく糸を引き千切るようにして振り払った人狼が大きく吼えた。
眼前の撃退士を無視して作業員のもとへ駆け出した人狼に、うみは咄嗟に術を射掛ける。焔風を纏った扇子が脇を抜けようとした人狼の横っ面を張り飛ばすと同時に、靄のように濃い視覚障害を引き起こさせる。
一切の視界を奪われ、人狼は思わず足を止めた。長く伸びた鼻先をスンスンと動かし、臭いによって作業員達の位置を探ろうとするが、そこへ撃ち込まれる一筋の雷撃。
脳髄へと響いたリディアの攻撃で、人狼は大きく痙攣してその場に蹲る。
そしてその眉間に、和紗の矢が今度こそ深々と突き刺さった。
――中層階。
同僚達を上層へと辿り着かせるべく囮役を買って出ていたその作業員は、鉄棒を武器に単身で人狼へと挑んでいた。
頭や首筋を狙って全力で鉄棒を叩きつける。だが土木作業で鍛えたその腕力も、人の域を外れた天魔相手では無力に等しい。まるでコンクリートを殴っているかのような硬い――しかし明らかに効果の無い――手応えに、作業員は何度も悪態をつく。
それまで無抵抗だった人狼は目の前の人間に飽きたのか、唐突に爪を振って作業員の手から鉄棒を弾き飛ばと、その大きな足をずいっと前へ踏み出して全身で作業員を威圧する。
思わず後ずさる作業員だったが、すぐに外周付近まで追い詰められて身動きが取れなくなった。
まだネットすら張られていない風晒しの鉄骨建造物。その外縁ギリギリに立たされ、踵は既に半分空中にはみ出している。
相手の窮地を理解するだけの知能があるかも怪しい人狼は、火の灯った蝋燭を吹き飛ばすかのように大口を開けて吼えた。
足を踏み外し、遥か階下へと真っ逆さまに落下していく作業員。
しかし次の瞬間、彼の身体はほんの僅かな衝撃の後、下方向では無く横方向へフワリと移動していた。
「無茶しすぎよ」
空中で作業員をキャッチしたイシュタルは、彼を抱えたまま外周付近の鉄骨の陰へと身を隠す。口を開きかけた作業員を制し、抗天魔陣を展開。
息を潜めて上階の様子を窺うと、先程の人狼が外縁から首を伸ばして階下を覗き込んでいた。
落下したはずの人間の死体が見当たらない。
人狼はスンスンと鼻をひくつかせるも、対象の気配を感じられずに小首を傾げる。
まあいいか、と。獣程度の知能しか持たないその怪物は、もはや自分がいま何を探していたのかすら朧げになりながら後ろを振り返り――
刹那、眼前に1人の撃退士が迫っていた事にようやく気がついた。
気配を殺して人狼へと接近していた鷹代 由稀(
jb1456)は、反射的に振り回された爪を掻い潜ってするりと身を絡め、アウルの鋼糸を人狼の首に引っ掛ける。
直後、そのまま外縁から飛び降り、自重と落下の速度を利用して一気に敵の首を引き刎ねていた。
『支え』を失って落下する中、由稀はワイヤーを適当な鉄骨に絡めて振り子のように最寄の階層に着地。
煙草を咥えて火を点けると、乱れた前髪に手櫛を通しながらふーっと紫煙を吐き出した。
――上層階。
2体の人狼をやり過ごして何とか辿り着いていた数人の作業員。しかしそこにも待ち構えていた1体を相手に為す術も無く、監督とエリスが下敷きになっている資材の山を前に、ただただ気持ちばかりが焦っていた。
一向に有効打を放てないこちらの攻撃に飽きてきたのか、人狼の鼻筋に刻まれたシワが徐々に深くなっていく。
殴りかかってきた作業員の鉄棒を軽々と弾き飛ばしたその人狼は、獣そのものといった唸り声を発しながら五指の切っ先を揃えて大きく爪を突き出し――
ドカリ、と。
人狼の尖爪は、急降下してきたディザイアによって勢いよく地面に叩きつけられていた。
着地の寸前でくるりと1回転して振り下ろした踵で人狼の爪を叩き落とし、続けざまに逆の足で突き蹴りを放って人狼を向こう側へと押しやる。
「すまんが、先ずは俺の相手をして貰うぜ?」
口の端を吊り上げて笑うディザイア。しかし人狼は、撃退士には興味無しといった様子で尚も作業員達を凝視していた。
そこへ、仮組みされた足場を上ってきたRehni Nam(
ja5283)と天辻 都(
jb8658)の2人が駆けつける。
それでも頑として標的を変えない人狼。
人狼は、背後に現れたレフニーと都の事も作業員達との間に立つディザイアの事も一切気にかけず、一直線に作業員達へと襲い掛かった。
大きく振りかぶられた敵の拳を、割って入ったディザイアが脇に抱え込んで押さえつける。
「つれねぇなぁ…もっと殴り合おうぜ?」
敵がこちらを狙ってこない以上、間合いを離すと面倒だ。
ディザイアは左脇で敵の右腕を押さえ込んだまま、空いた右拳を敵の胴体に叩き込む。アウルを纏った彼の剛拳に人狼はくぐもった悲鳴を上げ、流石に無視できなくなったのか――しかしその瞳は作業員達を捉えたまま――、お返しとばかりにディザイアの右脇腹にブローを捻じ込んできた。
巨躯に比例した重い一撃にディザイアは一瞬息を詰まらせるが、すぐに口端に獰猛な笑みを浮かべると、お互いに掴み合ったまま荒々しい拳の応酬を繰り広げた。
その間に、レフニーと都は瓦礫付近で集まっている作業員達へと駆け寄る。
すぐに避難させたいところだが、揃ってぞろぞろと下層まで移動させている暇は無い。より早く安全に彼らを敵から遠ざける為には――
「ディザイアさん!」
「おうよ!」
レフニーが叫ぶ。
意図を察したディザイアは強く頷き、体当たりするように人狼へと肩を押し当てる。そのまま敵を外縁から突き落とし、自身も一緒に落下しながら空中で敵と拳の応酬。地面に衝突する瞬間、下側に敷いた敵の鳩尾に一際強く拳を突き立てる。
轟音が爆ぜ、立ち込める砂塵の中でむくりと身を起こす1つの人影。
大きく抉れた地面の真ん中で人狼を見下ろしながら、ディザイアは自らの肩に乗っていた土をパタパタと手で払い落とした。
敵は遠ざけたが、まだ終わっていない。一刻も早く瓦礫を除去して監督とお嬢を助けなければ。
レフニーはまず、探知スキルを使用して2人の生命反応を確認する。もし手遅れだったら、と僅かばかり恐怖しながらアウルを練り――
瓦礫に隔たれたその空間に2つの反応を感知して、ほっと胸を撫で下ろした。
だが問題はここからだ。
「慎重に、でも素早くですね」
隣にいた都が言う。
適当に動かして更に潰してしまうなんて事になっては洒落にならない。更に彼女は、そもそもこの資材の山はどうやって落ちてきたのかが気になっていた。
――人狼が暴れたことによる事故? もしも故意に落とされたものだとしたら、嫌な話だが……
いや、今はとにかく2人を救出するのが先か。
(手遅れになってからでは何の意味もありませんから)
都は頭上を仰ぎ、他に落ちてきそうな物が無いかを確認。対してレフニーは、作業員達に指示を仰いでいた。
戦闘であれば一般人である彼らは戦力外に他ならなかったが、土木作業ともなれば立場は完全に逆転する。
力を加えた際の応力がどうとか、そんなのは自分には分からない。腕力に物を言わせて適当に掴みかかるより、専門家である彼らの指示に従った方が確実だろう。
とりあえず言われるままに、付近に散乱していたジャッキやら手動ウインチやらを掻き集めるレフニーと都。と、その時――
『むう……誰かいるのか……?』
瓦礫の中から、男の呻き声が聞こえてきた。
「「監督! 無事ッスか監督!」」
作業員達が一斉に瓦礫へと詰め寄る。
『おう、嬢ちゃんのおかげでな。右足の骨はいっちまってるみてえだが……我ながら情けねえ』
「お嬢は! お嬢は大丈夫なんスか!」
『気ぃ失っちまってるみてえだが、命に別状無さそうだ。見えてる分には、ヘボっちまった俺と違って怪我もしてねえ。ほんとに大した嬢ちゃんだぜ』
(ん、お嬢のその頑丈さは天魔かアウル覚醒者でしょうか?)
「骨折してるとなると、下手に治癒魔法はかけない方が良さそうですね」
内心で首を傾げた都の横で、レフニーが告げる。
骨折状態で細胞を活性化させると、骨が曲がったまま繋がってしまう可能性がある。1秒を争うほどの重傷であればそんな事も言っていられないが、この様子ならばすぐに掘り出してやれば手当ても充分間に合うはずだ。
「痛いでしょうけど、もう少し辛抱してください」
男の子でしょ、と。少し緊張の解けた調子でレフニーが言うと、瓦礫の中から苦笑混じりの吐息が洩れてくる。
やがて階下の敵を排除した和紗達や他の作業員も合流し、一同は慎重に瓦礫の撤去を進めていった――……
●
エリスはゆっくりと意識を取り戻した。見覚えの無い人物達が、自分を見下ろしている。
――いや、2人ほど覚えがある。
「お嬢は…貴女でしたか」
「廃病院以来ね。元気そうで何よりだわ」
和紗がエリスの顔を覗きこみ、由稀はふーっと煙草の煙を明後日の方向へ吐きながら軽口をきく。
「笑えないわよ、その冗談……」
身体の軋みに眉を顰めたエリスは、ハッと思い出して上体を起こす。
「監督は!?」
問いかけに応じ、和紗達の後ろから部下に肩を借りた監督が顔を見せる。その右足には副木代わりのレンチが巻かれているが、他に目立った外傷は無い。
良かった。
そう言おうとして、しかしエリスは咄嗟に口を噤んだ。
――人間の中で生きていけるなんて、本気で思ってんのかよ?
白髪の青年に言われた言葉が心の奥に突き刺さる。
その通りだ。悪魔は人間の敵。彼らが負傷したのだって、元はと言えば自分がここに居たせいである。
独り俯くエリスだったが、
「ありがとよ」
不意に、監督が言った。お前のおかげで助かった、と。
エリスは目を見開いて顔を上げる。
監督はその視線を促すように、傍らに立つリディア達を見た。
「事情は聞きました。監督さんの男気は素晴らしいです」
確かに、偏見を持たずに誰かと接するのは困難だ。
「そして怪我してでも監督さんを護る貴女が人類の敵のはずがありませんよ」
だが、必ず理解し合えると信じている。
「貴方は身を挺して監督さんを守ったんですね。偉いですね、そう簡単にできることじゃありませんよ」
「あなたのお陰で、この程度で済んだのですっ。ありがとうございます、ですよっ」
「皆、良い方々ですね。貴女を含め。俺には多くを語る必要はないように思えます」
口々に、そう告げる。
呆けるエリスの前で、由稀が膝をつく。
「一緒に来なさい」
今回は、『来る?』ではなく。
「怪我が治った後で、出てくか残るかは好きにすればいいわ」
そう言って手を差し出す由稀。
――話せばきっと、分かり合えると思うんだ。
――そう。友達だよ。
エリスの目に、涙が溜まっていく。
――ああ、そうだ
ぼろぼろと零れ落ちる雫を取り繕う事もなく、
――そうしよう
やがてその涙は大きな声となって、
――この世界で、生きていこう
エリスは由稀の手を越えて彼女そのものにガバッと抱きつき、わんわんと子供のように泣きじゃくった。
胸の中で、ズビーっと鼻をかむ音が響く。
「ちょっ」
由稀は慌てて胸元に顔を埋めるエリスを見るも、やがて諦めたように頬を掻いて紫煙を吐き出した。